それにしても、こんな調子でこの先大丈夫なのかなぁ。
歩きながら、ボクはつらつらと考えていた。
こっちの言いたいことが全然伝わらないんだもんね。筆談とかすればいいのかな? でも、この手でペンを持つのは難しそうだなぁ……。
あーあ、どうして猫って人の言葉が喋れないんだろう。
「にゃんにゃん」
「にゃんにゃん」
その時、ボクの行く手にふたごのケットシーが現われた。
可愛らしい二匹のシャム猫にしか見えないケットシーだけれど、名前通り、実は猫の姿をした精霊だ。要するに魔物である。魔物なだけあって人語を解し、喋る。
――あああっ、そうだ。ケットシーズにボクの言葉を通訳してもらえばいいんじゃないかっ。
「姉ちゃん、怪しい奴がいるにゃん」
「ホントだにゃん。ウチらのナワバリを荒らすとは、太いヤツだにゃん」
キラリ、とケットシーズの細い目が光ったような気がした。
ボクは忘れていた。ケットシーって外見に似合わず、出会う時の態度は常に友好的とは言いがたかったのだ。
「ひっかいてやるにゃん」
「噛みついてやるにゃん」
爪を伸ばして襲い掛かってきたふたごのケットシーにボクがどんな目に逢わされたか……それは言いたくない。
「おいっ、そこのお前!」
ボロボロの姿で歩いていたボクに、道端から誰かが声をかけた。
あ……スケルトンTだ。
スケルトンTは、やっぱり名前通り、骸骨の姿をした魔物。でも何故かお茶、特に緑茶が大好きという渋い趣味を持っていて、いつも湯飲みを持って飲んでいる。今日も道端に緋毛せんなんか敷いて、茶釜にお湯を沸かして、お茶を飲んでいた。
「なんだ、ぼろぼろだなぁ。こっちに来て茶でも飲んでいかんか?」
おおおおっ。
座布団なんかを勧めつつ呼ぶ姿を見て、ボクはむやみに感動してしまった。スケルトンTが人にお茶を飲ませたがるのはいつものことだけど、猫になって以来、いつもと変わらない態度で応対をされたのは初めてだ。
散々走り回って、実際のども渇いている。加えてスケルトンTのお茶には優れた疲労回復効果もあるんだから、飲んでいかないわけにはいかないよね。
「さぁ、飲め」
なみなみと注がれた湯飲みの中には、茶柱なんかが立っちゃってたりする。
それじゃ早速、いっただっきまーす。
ごくごくっ。
………………。
!!!!!!
「あっ、どうしたんじゃ!?」
ボクはもう、声にもならない。
じたばたと死にもの狂いに駆け回って、その場を走り去った。
猫は猫舌なのだ。それをスケルトンTは勿論、ボク自身も忘れていた……!
水、みず、水ぅ〜っ!!
めちゃくちゃに走り回りながらも、ボクはなんとか池に到着。
ううううう、舌がひりひりするよぉー。
ヒイヒイ言いながら水で口の中を冷やしていた、その時。
ぬっ。
まさにそうとしか言いようのない様子で、池の真ん中に海坊主が頭を出した。
ぬるっとした感じに光っているその海坊主は、赤くて、大きくて目付きの悪い顔をしていて、すごく大きなたらこくちびるをしている。
……あ、よく見たらすけとうだらか。
赤い魚体に生えた手足でざばざばと岸に上がってくると、すけとうだらはその大きなやぶにらみの目で、硬直しているボクをじっと見つめた。
「そうか、そんなに俺の踊りが見たいか」
……は?
「そんなにまでも言うのなら仕方がない。特別に、この俺様の華麗なステップを見ィせェてやろう!」
言うなり、すけとうだらは腰と腕を動かして珍妙に踊り(?)はじめた。
「ふぃっしゅ、ふぃーっしゅ!」
な……なんなんだぁあぁ!?
だけど、小さな猫のボクの前で、あの巨体(今のボクにすれば充分そうだ!)が一心不乱に踊り始めたのだから洒落にならない。
「みゃおぉ、みゃおおお!」
たらの足元で必死に飛び跳ねている猫の姿は、傍目には仲良く踊っているように見えたかもしれない……。
「ふぃにーっしゅ!」
「みぎゃあぁあああ!」
とうとう、ボクは踊りに熱中したすけとうだらに蹴り飛ばされ、更にそのまま池に落ち、果ては池の端から流れ出ている川の流れに巻き込まれて、流されて行ってしまったのだった。
がばげべごぼ……。
ボクは泳ぎは不得意じゃない。だけど猫になると勝手が分からないし、なによりパニックを起こしてしまっていた。人間の姿のままだったらそんなに大きくもない川なんだけど、今のボクには西の平原に流れる大河もかくや、という状態だ。
がばごぼ……ボク、このまま猫として溺れ死んじゃうの〜!?
死にゆく人の脳裏にはこれまでの思い出が走馬灯のように映し出されるって言うけれど……あああ、駄目だ、なんかロクな思い出が出てこないっ。花の十六歳、まだまだこれからのハズなのに、このまま人生終わっちゃうの?
ああ神様女神様、もし助けてくれるなら、ボクもっといい子になります。とりあえず、絶対猫を洗濯機で洗ったりはしません〜っ。(って、勿論今までだって一度もそんなコトしたことないけど!)
……なんて馬鹿なこと考えてる場合じゃないよぉ〜。
でも、ボクの願いは聞き届けられたのかもしれない。
溺れかけていたボクを、誰かが水の上に救い上げた。岸に引き揚げたんじゃない。川の真ん中にその人はいて、水に浸かったままボクを抱き上げたようだった。
「あ、あの……。だ、大丈夫……?」
おどおどと小さな声で語り掛けてくる調子に、ボクは聞き覚えがあった。セリリちゃんだ。
セリリはうろこさかなびと……いわゆる人魚族の出身で、とっても可愛い女の子だ。でも気が弱くて、泣き虫で被害妄想が強くて、ちょっと厄介な性格をしている。そんなこともあって一人でいることが多いんだけど、それが尚更、厄介な性格に拍車をかけているらしい。悪い子じゃないんだけどね。
そうか、セリリちゃんならボクを助けてくれるかもしれない。ボクがアルルだって分からないにしても、いじめたりはしないだろうしね。
「みゃあ……」
ボクがなんとか鳴くと、セリリはほっとしたように微笑んだ。
「よかった……」
うう、優しさが身にしみるなー。
それから、セリリはじっとボクを見つめた。
「あなた、わたしのお友達になってくれに来たの?」
……うっ。
出た、セリリちゃんのお友達攻撃だ。
いちいちこれをやっちゃうからヒトが引いちゃうんだって話もある……。
ここは、とりあえず可愛く鳴いて、敵意はないってことを見せておこう。
でも、全身ずぶぬれのボクは、鳴くより先に大きなくしゃみをしてしまった。
「……嫌なのね。わたしとお友達にはなってくれないのね」
あああああっ。たちまち、セリリは大きな瞳をうるうると潤ませた。
「ひどいわ、どうしてなの。わたしはお友達になってほしいだけなのに……あっ」
セリリははっと顔を歪ませた。
「まさか、あなたわたしをいじめに来たの?」
えええええっ、ち、違うよっ。
でも、慌ててジタバタしたボクの様子で、セリリはますます誤解したみたい。
「そうなのね。ひどいわ……。わたしが何をしたって言うの? そうよ、みんながわたしをいじめるのよ。わたしが半分魚だからって、冷たい目で見てるんだわ」
セリリのマイナス思考の暴走は止まらない。
「ひどいわ。みんな、みんな、大嫌いよ!」
違うってばぁああ!
水を操るセリリの起こした大津波で、ボクは遥か彼方へ吹っ飛ばされてしまったのだった。
日は、既に暮れかけて赤い。
地面に落ちた自分の長い影を見ながら、ぼんやりとボクは座り込んでいた。
「お前、何ぼーっとしてるんだ? そんなところで」
ボクの後ろを通りがかった影が、通り過ぎる間際に立ち止まって尋ねた。といっても、猫相手になんだから、返事を期待してというより独り言に近いものかもしれない。
「……ん? お前、もしかして昼間の猫か? ……随分と汚くなったもんだな」
目をすがめてそう言っているのは……声を聞いただけで分かったけど、シェゾだ。
ボクはもう何を言う気力もないけどね。
そんなボクの様子を見て、何を思ったのだろうか?
シェゾはひょいとボクの首根っこをつまむと、そのまま、仕事帰りのお父さんのお土産みたいにぶら下げて、長い影を踏みながら歩いて行った。