3.その頃の面々


 その部屋では、夢のような光景が繰り広げられていた。

 豪華な部屋。そう言ってしまえば一言だが、細部まで細工の行き届いた、しかも全体の調和を考えられた調度。手入れも万全で、チリ一つ落ちていない。

 部屋の中央には、五十人が一緒について食事が出来そうなテーブルがあったが、その上はびっしり、あらゆるご馳走で埋め尽くされていた。

 煮物、焼き物、蒸し物、寄せ物……さらにあらゆるお菓子に果物。

 それぞれに使われている食材も様々で、幻の珍品と言われるものからごく日常的なものまで。しかしそれぞれが過たず最適と思われる鮮度・熟成度で調理され、料理として正に芸術とも言える完成度に達していた。

 とはいえ、ごくオーソドックスなメニューの組み立てからすれば(この料理の洪水にそんなものがあるとすればだが)いささか風変わりであるとも言えた。なにしろ、その圧倒的な量の多さにおいてメインを努めているのが、実に一般的なあの料理――茶色くて、独特のスパイス臭のする――そう、カレーなのである。チキン、シーフード、豆にチーズ……。あらゆる具材があり、色も茶色かったり黄色かったり赤かったり、果ては緑や黒のものまであった。そしてそれぞれがそれぞれの香味の湯気を上げ、食べる者を食の桃源郷へといざなっているのである。

 まさに夢の饗宴であろう。

 とはいえ、この有り様を夢と感じるか悪夢と思うかは人それぞれであろうが。

 しかし、少なくとも今この宴の主賓となる者は、心の底から満足し、陶然とさえしているようである。

 礼儀に反することに、彼はテーブルの真中に直接腰を下ろしていた。うっとりと周囲の料理の山を眺め、体の半分をも占める口を開けると、自分の身長よりも長い舌でくるくると皿から巻き取っていく。

 調理にかなりの時間と手間を費やしたのであろう料理の一山を一口で平らげると、彼は満足げにのどを鳴らした。

「ぐっぐぐっぐー♪」

 黄色い、ウサギのような耳をしたこの小動物は、言わずと知れたカーバンクルである。

 この小さな体のどこにあれだけの量の食べ物が入るのだろう? もしかしなくても彼の体の中はブラックホールにでも通じているのかもしれない。

 そしてこの部屋にはもう一人、部屋の真の主――主賓のカーバンクルをもてなしている――が、自分は料理に手を付けることなく、ただカーバンクルの食べる様を眺めてはすっかり悦に入っていた。

「はぁ〜う〜はーと、おいしいかい、カーバンクルちゃん。さぁどんどんお食べ」

 いつもの凛々しい顔はどこへやら、情けないほどに目尻を下げて猫なで声を上げている彼こそ、古代魔導学校のマスクド校長の真の姿にして、この魔導世界の魔王であるサタンその人であった。

「ぐぅ!」

「おお、そうかそうか。そっちのそれもおいしいよ。さぁー食べなさい。なぁに、まだまだ新しい料理は来るからね」

 まるでたまに遊びに来た孫をご馳走攻めにする田舎のじーちゃんのようなノリだが、とにかく本人は幸せらしい。

「サ、サタン様―っ!」

 目尻が下がるのを通り越して、そろそろサタンの顔が顔面土砂崩れを起こそうかという頃、どたどたと廊下を疾走してきた誰かが部屋の扉を開いた。

 それでも勢い込んで喋るようなことはせず、一息置いた辺りはたいそう礼儀的である。

「あ、あの、サタン様」

「ん? なんだキキーモラ。今はこの部屋は掃除はいいぞ」

「いえ、あの……」

 キキーモラ――少女の姿をした掃除好きの精霊は、珍しく言いよどんだ様子でモップを持った両手を揉んだ。いつものサタンならば、ここで何事が起こったのかと質していただろう。だが、今のサタンは土砂崩れ真っ只中だ。

「なんだ、用がないのなら下がっていろ。今私はカーバンクルちゃんにご馳走するので忙しいのだ。……あっカーバンクルちゃあんはーと、こっちのことは気にしないでいいからネ。さぁ食べなさい食べなさいっ」

「あの、ですから……アルルさんが」

「アルル?」

 アルルの名前は、カーバンクルと同等に、サタンの頭脳の重要な位置を占めている。

「そういえば……カーバンクルちゃんが遊びに来ているのに、まだアルルが迎えに来ていないな」

 サタンは首をかしげた。

 どこから迷い込んだのか、屋敷内をうろついていたカーバンクルを見付けてすっかり舞い上がっていたのだが、いつもなら(大概)ケンカ腰で乗り込んでくるアルルが、今回に限って現われない。

「まさか……!」

 サタンははっとする。

「アルルは迷子になっているのか? この私の屋敷があまりに広いものだから! ……フッ、全く仕方のない奴だ。いつもいつも、さりげなく導いている私の苦労も分かってほしいものだぞ。しかし、そんなところも可愛くて仕方がないがな……」

「あの……」

「ふふふ……アルル、今は恥じらっていてもお前はいずれ私のもの。お前を我が妃に迎えた暁には、カーバンクルちゃんを挟んで、こう、川の字になって寝ちゃったりなんかしてはーと! いや分かっているぞ。勿論、夫婦水入らずの時間も大切にしなくてはな」

「サタン様」

「朝、眠っている私の元にアルルが起こしに来る……『サタン、起きて。朝ご飯出来たよ。……あっ』『フッ。アルル、"サタン"じゃないだろう? "あなた"だ』『えっ、でも……恥ずかしいよ』『恥ずかしがることはないだろう。我々は今や正真正銘、天地神明、公明正大、天下晴れて夫婦! なのだからなっ。さぁさぁさぁ』『うーん……なんか照れるケド……。それじゃ、……ア・ナ・タはーと』……ぐおおおおーっ、たまらんっ、可愛いぞアルルっ。流石の私もお前の愛で、もー朝からフラフラだぁーっはーとはーと

 カーバンクルと長時間接触して、よほど舞い上がっているらしい。おいおい、なんだかどこかの誰かに似てきてるぞ、サタン。

「サタン様あぁああああ―――っ!!!」

「どわぁあっ」

 キキーモラの一喝! たちまち、場はアルルとの夢の新婚生活ではなく、現実に引き戻された。

「なんだ、イキナリ人の耳元で大声出すヤツがあるかっ」

「ですから、……これを!」

 意を決したように、キキーモラは後ろに置いていたそれを差し出した。

「ん? これは……」

 畳まれた布と、金属製のパットだ。全体に青と白を基調とし、アクセントに金が入っている。……ひどく見覚えがある。

「これはアルルの服ではないか。一体どうしたんだ?」

「はい。あの……さっき、私が物置のお掃除に行ったら、部屋の中に落ちていたんです」

「何!? すると、まさかっ……!!」

 ががーん! 衝撃を受けた顔でサタンは息を呑む。

「ちょっぷんのヤツめ……! あんな所を更衣室代わりにしてるのか!? むむうっ、一度厳重注意せねばっ」

「違うだろ――がっ!」

 一閃したキキーモラのモップが、サタンの後頭部に炸裂した。

「ち……違うとは……?」

 サタンは顔面を壁にめり込ませていたのだが、そこは耐久と回復力に優れた魔王のこと、振り向いた顔は見事に復活している。流石に後頭部をさすりながらではあったが。

「これは、多分、アルルさん本人の服です」

「はぁ? ……だが、なんでウチの物置なんぞにアルルの服が落ちてなきゃならんのだ?」

「ごもっともですけど……。あの、私が物置に入った時、前はきちんと積み上げてあった物が幾つか、床に散らばっていたんです。そしてその中にアルルさんの服が……」

「散らばってた? まぁ、あそこに置いてあるものはガラクタが大半だが……」

「それで……アルルさんの服は、脱いで置いていったと言うよりは……その、そのまま、下にすとんと落ちたみたいな感じでした。着ていた人が突然消えてしまったみたいに」

「……なんだ、アルルのやつも意外にだらしないな」

「…………これをサタン様に申し上げるのはどうかとも思いますけど……落ちていた服は、全部だったんです」

「全部?」

「ええ。下着も、何もかも」

「したっ……」

 その瞬間のサタンの顔はなかなか見物ではあった。こんな魔王の顔を見た者は、恐らく当分の間はこのキキーモラだけであろう。とはいえその優越感に浸ることもなく、彼女は「確認を取ろう」とする魔王から、乙女の小さな尊厳を守り通したのだった。

 

 

「まー、なんだ……」

 キキーモラの隙を突こうとして、見事に返り討ちにあった証を青黒く顔面に見せながら、サタンは精一杯、事態と威厳の回復を図る。

「ここにアルルの服が落ちていたんだな」

「はい。その時のまま、現場は動かしていません」

 キキーモラとて常に問答無用で物を片付けてしまうわけではない。……こともある。

「うーむ……」

 サタンは落ちているものを確認する。

「ここでアルルに何かが起こったのか? ……ん、待てよ、これは」

 小箱を拾い上げて、サタンは声を上げた。箱の中は空である。

「あら……中身がありませんね。どこかに転がっていってしまったんでしょうか」

「この中には、変身の指輪が入っていたのだ」

 箱を握りしめ、サタンは言った。

「変身の指輪……ですか?」

「うむ。指輪をはめればたちどころに変身。しかも変身に合わせて指輪は不可視になってしまう。見た目でばれることのないスグレモノだ!」

 ちょっと自慢げである。でも、今はそんな場合じゃないだろう。

「サタン様、それじゃアルルさんは、その指輪をはめたんでしょうか」

「む? そ、そうだな。いや、恐らくそうだろう。するとアルルは今頃何かに変身して……」

「大変。どうすれば元に戻れるんですか? だって、指輪は見えなくなっちゃうんですよね。アルルさん、ビックリなさってるんじゃないかしら」

「いやなに、心配はいらん。ちゃーんと元に戻る呪文があるからな。しかも忘れないよう単純だ。つまり「元の姿に戻れ」と自分で唱えればいい。簡単だろう」

 フッと笑って得意げなサタンであったが。

「……それ、アルルさんは知ってるんですか?」

「うっ」

「それ以前に、口のきけない動物か何かに変身していたら、呪文も唱えられないんじゃないかしら」

 ズバズバと見えない短剣で刺されたように、サタンは胸を押さえて後ずさる。

「ううっ……い、いや大丈夫だ。そんな時のために、呪文が唱えられなくても変身が解ける「アクション」の設定がしてあるからな。喋れなくてもその動作をすれば万事オッケーだっ。この私に抜かりはない!」

「そうなんですか! 流石はサタン様ですね。それで、どんな動作なんです?」

「うむっ。右回りに三回回って、左足から三歩下がりつつ手を五回叩くっ。最後にVサインでキメだ!」

 誰がわざわざそんな動作をするというのか。などという突っ込みは各自にお任せするとして。

「……Vサインの出来ない動物って結構いますよね。鳥とか」

 天空の鳥が視界の端から端まで移動できるくらいの間が空いた。

「あぁあっ、アルルぅ〜っ!」

 俄かに悲鳴を上げて頭を抱えると、サタンはどたばたと部屋を駆け回り始めた。

「むっ」

 サタンの鋭い目が、部屋の隅を駆けていくネズミを発見した。

「アルル――っ、可哀相にこんな姿になって、さぞ不安だったろう。安心しろ、今、私が元に戻してやるからなっ」

 突如飛び掛かられ握り締められたネズミは、当然、この不埒者に噛み付いた。

「だーっ!」

 たちまちネズミは逃げていく。

「あっ待て、アルルじゃないのか? ……むむっ」

 再び、サタンの鋭い目が、部屋を飛んで横断していくハエを捉えた。

「アルルーっ! 今度こそお前だなっ。ああぁ、こんな変わり果てた姿になってっ。今すぐ元に……あっ、どこへ行く! そんな姿を私に見せたくない気持ちは分かるが、こんな時まで恥ずかしがる必要はないんだぞーっ」

「……サタン様……」

 その背後にただ佇むキキーモラの表情は、巧妙にも影が落ちて見えなかったりした。

 まぁ、そんなこんなで。

「これだけ探し回っていないんですから、きっとお屋敷の中にはもういないんですよ。それにアルルさんを探すなら、カーバンクルを一緒に連れていった方が早く見つかるんじゃないかしら」

 ようやく気を静めて(というより、ヘトヘトに疲れ果てて話を聞くくらいしか出来ることがなくなったのであるが)、サタンがキキーモラのこの提案を聞き入れたのは、実に白々と夜が明け始めた頃だった。

 


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