暗闇の中にそれは白く透けて見えた。
魔獣をかたどった一対の石像だ。なんだか随分趣味が悪いけど、その出来ばえは素晴らしい。まるで生きているみたいだ。
……と、思ったら、それはギロリとガラス玉みたいな目を動かして喋った。
『お帰りなさいませ』
「ああ」
シェゾは全然気にしていない様子で、生返事だけ返して石像の間を通った。
多分、これはゴーレムの原理を応用したガーディアンだ。今はこうして大人しくしていても、意に染まぬ進入者があれば容赦なく襲い掛かるのだろう。
考えてみれば、ボクはシェゾの家に行ったことがない。
と言うより、そもそもシェゾがどんな所に、どんな風に暮らしているのかってコトも全く知らない。
でもそれはボクだけじゃなく、彼を知る周りの全員がそうなんじゃないのかな。
大体、シェゾの生活なんて想像もつかない。大きなお屋敷(でも暗そう)に住んでそうな気もするし、家を持たずに野宿なんかで過ごしているような気もする。木の下とか洞窟の中とかでね。
だから、シェゾに連れられて、ボクは少しずつ「興味」という気力を呼び戻しつつあったんだけど……。
――……普通だ。
扉を抜けた向こうは、拍子抜けするぐらい普通の部屋だった。家具は比較的シンプルで、早い話ボクが普段使っているものなんかとそう大差はない。
シェゾはボクをテーブルの上に放り出すと、奥の部屋に入った。その部屋はこことは扉で隔てられていない。どうやらここはダイニングで、向こうが台所のようだ。何かしているみたいでカチャカチャ音がしている。
まさか、料理でもしてるのかな? ……全然想像つかないなぁ。魔女の大鍋で何やら煮ているウィッチよろしく、怪しげな魔法薬でも作っているのならともかく……。
――はっ。
緊張したら、尻尾が先までピンと立った。
もしかして……シェゾってば、ボクを鍋で煮込んで薬にでもしてしまうつもりなんじゃないのだろーか!
ボクの脳裏に、ぐつぐつ煮込まれちゃってる哀れな猫の姿が浮かんだ。
いや、でもまさか……。そうだよね、いくらなんでも……。ははは……。だけど、なにか怪しい魔法実験の実験材料にはされちゃったりなんかして……。
再びボクの脳裏をよぎった光景は、ちょっとここでは言うに言えない。
ひええええ。
毛が全部逆立って、今のボクはケバケバの毛玉みたい。
大変だぁっ。今のボクじゃシェゾとはとても戦えない。いくらヘンタイとはいえ、あれで強力な力を持つ魔導師であることには違いがない。
そう考え出したら落ち着かない。とにかく、逃げちゃおうっ。
「ふぎっ」
ボクはテーブルから飛び降りた……けど、思いっきりお腹で着地してしまった。猫なら奇麗な回転を決めて降りるところなんだろうけど、勝手が違う体はいまだに感覚がよくつかめない。決してボクの運動神経がニブいとかいうわけじゃないよ。
ちょっとよたよたしながら、廊下に出る。
ええと……出口はどっちだったかな。
あ、でも待てよ。外に出たらあのガーディアンがいるじゃないか。うーん……とてもじゃないけど今のボクじゃ勝てそうにないなぁ。でもボクは猫なんだし、入ってくるんじゃなくて出て行く方なんだから見逃してくれないかな。
とはいえ。無駄な戦いは避けたい……。
廊下の片隅に、もう一つ扉があった。半開きになっている。
ボクは好奇心に駆られて……いやいや、出口を探して、部屋の中に入ってみた。
うわぁ……。
そこは書斎だった。……ううん、書斎と言うよりは図書室……いやいや、すごく雑然としてるから本の詰まった物置と言うべきかも。
本棚が沢山あって、その中にも上にも下にも山盛りに本がある。並べ方はでたらめで、整理してあるとは言い難かった。でもジャンルは大体統一されていて、殆どが魔導に関する本だ。魔導学校の図書館にあるような、ボクにも見覚えのある本もあれば、全然何が書いてあるのかも分からない、どこか外国の文字で書かれたものもある。
本だけじゃなくて、端っこの棚には何かの魔導具らしいものがごちゃごちゃと乱雑に積み重ねられていた。その棚の隣には壁際に小さな机があって、でもその表面積の大半を本やガラクタに侵食されて、机としての役を果たせるかは微妙なところ。机に面した壁には窓があって、真っ暗な夜景が開いている。……窓!?
ボクはごちゃごちゃに積まれた本なんかを伝って机の上に上がった。窓を覗くと……うわぁあ。
夜だから何も見えない。そう思ったのは半分当たりで、半分間違い。窓のすぐ下は切り立った崖になっていて、その深い亀裂の向こう、正面はまだ上まで続いている崖なのだった。
ここって、一体どういう立地なんだぁあ?
考えてみればそれって全然分からない。ここまで連れてこられたわけだけど……。
シェゾが大体どの辺に住んでいるかと言えば、なんとなく森の方かなぁという見当はつけていた。実際ここへ連れてこられる時も、最初シェゾは森の方へ向かったわけだし。でもそれから何回かテレポートを繰り返し、ついでにすっかり日が落ちてしまったので、正直言ってここがどこなんだかボクには全く分からない。
……あ、それってここから逃げても道に迷うだけだってコトかも……。
なんて事を考えていたら、いきなり後ろから抱え上げられた。
「ふみゃっ!」
「なに勝手に動き回ってんだ、お前は」
憮然としたシェゾの声。
「勝手にいじるなよ。ここらへんの物は俺があちこちの遺跡なんかから集めてきたヤツだがな。大体は俺が魔力を吸い取ってガラクタだが、ロクでもないヤツはそのまま転がしてる。不用意に触ってると結構とんでもないぞ」
げげげっ。それってホントにとんでもないよ。
って、それはそうとして。結局またシェゾに捕まっちゃったよー。
なんでこんなにあっさり見つかっちゃったのかなぁー。
「ったく、泥足であちこち歩き回りやがって。掃除させるワケにもいかんのが忌々しいぜ」
………………。
再び、ボクはテーブルの上に放り出された。
あああ、ついに鍋でぐつぐつ……。
でも、シェゾはボクが思っていたより、「想像がつかない」方のヒトだったようだ。
「ほらよ」
ボクの前にシェゾが置いたのは、いかにも仔猫御用達の、ミルクの入った皿だった。
ボクは上目遣いにシェゾを見た。
彼はもうこっちには関心がないみたいに、さっさと自分の食事を始めている。
ふーん……。
ミルクはほんの少しだけ温めてあって、暖かかった。
シェゾってちゃんと食べる物作れたんだなぁ……そりゃそうかな。一人暮ししてるんだもんね。毎日外食っていうのも不経済だし……それにしても、本を読みながら食べてて、味が分かるのかなぁ。
ミルクも飲んじゃったし、シェゾが食べてるのをなんとなく見ていたら、ふと、彼と目が合った。
シェゾはフォークを口に運ぶのをやめて、ミートボールの刺さったそれを左右にちらつかせた。
「欲しいのか?」
べ、別にっ。
でもボクのしっぽはフォークの動きに合わせてゆらゆらと動いている。
……だって、ボクは本当は仔猫じゃなくて、十六歳の育ち盛りの女の子なのだ。お昼ご飯抜きの夕飯がミルク一杯だなんて、とても足りやしないよ。……って言うか、気分的に物足りない。
「ほら」
シェゾがフォークを差し出してきた。
……って。
ちょっと迷ったけど、ええい、今のボクは猫なんだもん。ボクは身を乗り出して、あーんと口を開けた。
ところが、フォークは直前でひょいと移動。ボクはガチリと空気を噛んだ。
「にゃ?」
ぽかんとして見上げると、意地悪そうなシェゾの視線とぶつかった。動かしたフォークを、またゆらゆらとちらつかせている。
こ、これは……。
むー。俄然、闘志が沸いてきたぞ。腰に力を溜めてしっぽを揺らし、ボクは狙いを定める。
「みゃー!」
ジャンプ!
だけど、あえなく玉砕。フォークはまたも移動して、しかも行く先はシェゾの口の中だった。
ぱくっ。
あああぁ――っ。
ボクのミートボールがぁーっ。
「悪あがきだったな」
もぐもぐやりながらシェゾはそんなことを言ってる。
うううううー。
でも、最後にシェゾは、ぽんとボクのお皿に残りのミートボールを放り込んだ。……くれるんなら、最初から普通にくれればいいのに……。
食事が済むと、シェゾは台所で片付けを始めた。
なんか不思議な感じだ。でも確かに、自分で洗わないことにはお皿は勝手に綺麗になってくれたりしないもんね。
それにしても、ボクはここで何をやってるんだろうなぁ……。
そのうち、シェゾが濡れた手のしずくを振り飛ばしながら戻ってきた。
「さてと」
一人ごちてボクに視線を向ける。
え?
またも、首根っこを掴まれてぶら下げられた。
今度連れて行かれたのはちょっと狭い部屋の中。……って言うか……、ここは……。
初めて来たけど、どんな家のでも大体感じは似てるから分かる。
そこは脱衣場だった。お風呂場の。
……って、……ま、まさか。
なんて思っている間に、シェゾがとっとと服を脱ぎ始めているじゃないか!
ぎゃああああ、いやぁあああっ、ヘンタイっ、やめてえぇええ――っ!
「オラ、逃げるなっ。俺はこれ以上家を泥まみれにするつもりはナイからな。とにかくその汚れを落とさんことにはしょうがなかろうが!」
シェゾは即座にボクを捕まえる。
そりゃ、ボクだってお風呂にはすっごく入りたい。ホントにどろどろに汚れているんだもの。でも、ダメ、こんなっ。お風呂になら一人で入れるから(猫じゃ無理? ……でも)、うう、とにかく放っといてぇえ!!
だけど、仔猫の抵抗なんて無きに等しい。
結局お風呂場に引きずり込まれて、背中からシャワーをぶっ掛けられた。
その間もボクはギャーギャー騒いで、タイルに爪を立てて必死にこの場から逃れようとしていたんだけど……。背中を押さえつけているシェゾの手がそれを許してくれない。
「ええい、いい加減大人しくせんかっ」
イラついた声でそう言うと、シェゾはボクの体を自分の側にひっくり返した。
「――猫って、風呂が苦手だったんだな……」
半ば気の抜けた声でそう言いながら、シェゾはひらひらと手で風を送っている。
「しかし、まさかのぼせてぶっ倒れるとは……」
死んだかと思ったぜ、とか呟いてるシェゾの声を聞きながら、ボクはぐったりと寝転んでいた。
また、リビングのテーブルの上に戻っている。
ああ……。
珍しくもちょっと心配そうな顔のシェゾを、なるべく視界から外すようにして、ボクは内心で嘆息した。
お母さん、おばあちゃん……。
ボク、もう、おヨメに行けないかもしれません……。