目が覚めたら、元の姿になっていた。
……なーんて都合のいいことは起こらなかったので、ボクは相変らず猫のまま。
寝起きの少しぼんやりしている頭で、ボクは夢ではなかった自分の状況を反芻していた。
はあぁあ。
今日もまた、猫なのかぁ。
学校が始まるのは明日。つまり今日まるまる一日は猫をやってなくちゃならないわけだ。
ボクはかなり憮然とした顔になっちゃってたと思うけど、シェゾはボク以上にイヤーな顔をしていた。
って言うか……寝ぼけてる。
起きて朝食の支度をしているけど、まだのーみそに血が回ってないみたいで、機嫌悪そうなんだよね。いや、シェゾが不機嫌そうなのはいつものことだけど。
時々ぼーっとしているし。
まぁ、昨夜はかなり遅い時間まで本を読んでたから、仕方がない。ボクがお母さんだったら「いい加減にして早く寝なさいっ」って叱ってたところだよ。
付き合いきれずに眠っちゃったので、ボクはシェゾがどのくらい遅くまで起きていたのか正確なところは知らない。それどころか、寝ていたボクがいつの間にベッドの方に移されたのか、それすら知らなかった。だからさっき目を覚ました時はホントに驚いたよ〜。だって、目の前でシェゾが寝てるんだもん! まぁ、シェゾの方はまだよく寝てたし、おかげで寝顔を観察しちゃったけど。
でも、こんな風に眠ってたり寝ぼけてたり、マントもアーマーも着込んでいない、いわば無防備状態のシェゾを見るのは、ボクとしては初めてのことだ。もしかしたらボクが一生知ることのなかったシェゾの一面を、こうして垣間見ているわけで……ちょっと見過ぎちゃった部分もあるけど……、得したような申し訳ないような、おかしな気分になる。
今となっては、ゼッタイ正体は明かせないな。
朝ご飯が出来たけれど、眠そうなシェゾはあまり食欲がないみたいだった。ボーッとフォークで皿をつついている。(行儀悪いなぁ。)ボクはお腹が空いてたので、パクパク食べていると(今回、彼は自分のと同じメニューをボクに取り分けてくれていた)、シェゾが言った。
「よく食べるヤツだな……。お前、さては猫じゃなくて豚なんだろう」
――なんつーことを言うかな、このおにーさんは!
でも、結構、がーん。確かに、ちょっと食べ方なんか品がなかったかも……。いくら猫になってるからって……。
「……ショック受けてるのか? まるで人間の言葉が分かるみたいだな」
ボクが思わず固まっちゃってたら、シェゾが不思議そうな顔で覗き込んできた。その蒼い目でじいぃっとボクを見つめる。
「…………アルル」
――ええ!?
「……みたいな目の色してるな、お前」
がくっ。
す……すすすごくビックリしたっ、今のは。
「んじゃ、『アルル』にするか……お前の名前」
とシェゾは言って、でもがくりとテーブルに突っ伏した。
「ダメだ……んな名前付けたらアイツらに何言われるか分からん」
テーブルから顔だけ上げてボクを見て、何か考えている。
「猫だからな……。………………、…………『ねこ』でいいか」
「みゃー」
「おっ、気に入らないって顔だな。生意気だぜ」
単に呆れてるんだよ。
まぁ、ボクは明日には猫をやめる予定だから、どう名前を付けられたっていいんだけどね。(すっごくヘンなのはお断りだけど!)
でも、今は少しだけコミュニケーションがとれた。ボクもだいぶ猫なのに慣れてきたけれど、やっぱり相手の聞く態度っていうのも重要なんだな。
もしかしたら、カーくんもこんな風にもどかしく思ってたりしたのかなぁ……。
ボクは昨日はぐれたままの小さな友達のことを思い出した。
そう言えば、カーくんどうしてるんだろう。ボクみたいに家に入れなくて困ってたりするのかしら。……ボクと違ってカーくんはビーム撃ち放題だし、そんなことはないと思うケド……って言うか、困ってるカーくんって想像つかない。
シェゾが立ち上がった。結局ミルクだけで、朝ご飯を食べるのはやめたみたい。小さく伸びをして一人ごちる。
「さて、行くか」
当然のようにボクはシェゾの腕から肩に駆け登った。これはいつもカーくんがやっている動作のマネ。
だって、ヒトの家でじいっとお留守番なんて、やりたくないもんね。
どこに出かけるのかと思ったら、どうやらいつもの街みたい。テレポートして出た先は、ボクもよく知っている、森から街に向かう原っぱの道だった。
原っぱと言っても、木もまばらに生えている。
まあ、どこかもっと危険な場所にでも行くつもりなら、ボク(猫)なんて連れて行かないよね。
ところで、歩いてる人の肩に乗るのってかなり大変だ。ちゃんといいポジションを見付けておかないと、すぐにずり落ちそうになってしまう。シェゾは肩アーマーを着けているから、これで結構マシなはずなんだけど……。カーくんはいつも苦労してたのかなぁ……。
はぁ〜らぁ〜ほ〜ろ〜ひ〜れ〜はぁ〜れ〜♪
風に乗って、聴き慣れた……と言うか、一度聴いたら忘れられない例の歌声が聞こえてきた。この調子はずれの奇声を「歌」と定義付けるならだけど。
青く澄み切った空の向こうから、白い大きな鳥のようなものがゆっくり舞い下りてくる。いつもの白いサマードレス姿のハーピーだ。
彼女は背中に金色の翼を生やした、とっても可愛い女の子の魔物だ。この種族は攻撃的で、空から鷲みたいに襲い掛かってきたり、物を掠め取ったりする……らしいんだけど。この界隈を根城にしている彼女は、いたってのんきな性格で、滅多なことでは襲ってこない。だけど困った癖が一つ。歌が大好きで、とにかく誰かにその歌を聴かせようと近寄ってくるんだよね。ちょうど今みたいに。だけど彼女の音痴ぶりときたら、それだけで人が殺せるほどなのだ。
「ハララ〜。シェゾさん〜、こんにちは〜」
「…………」
シェゾはいつにも増して憮然としている。
「いーお天気ですねぇ〜。どこかへお出かけですか〜」
「………………」
シェゾは黙って通り過ぎようとした。
「お急ぎなんですね〜。それでは私が〜、お見送りの歌を歌います〜♪(1オクターブ上がる)」
「やめんかっ!」
速攻で、シェゾはハーピーの頭を叩いた。
「ハラぁ〜、痛いですぅ〜」
「俺はお前の歌など聴く気はない。黙ってろ!」
「ふぅう〜、ヒドイわ〜」
ハーピーが大きな瞳にうるうると涙を浮かべると、シェゾはちょっと鼻白んだ。
「な、泣くことはなかろう」
「とっても悲しい〜。この気持ちを〜、歌に込めて歌いますぅ〜(半音下がる)」
「だぁあああーっ、だからやめろと言っとろーがっ!」
一説によれば、ハーピーの歌声は半径数キロに被害を及ぼすと言う……。
ボクたちが助かったのは、結局のところシェゾのテレポートの賜物だった。
街はいつも通りに賑わっている。
「……ん? あの女は……」
シェゾが呟いた。道端で両手を握り締めて、なにやらうっとりした様子の女の人がいる。……こう言うとスゴク変な人みたいだけど、ルルーだ。ルルーがこんなになるのは必ずサタンのことを想っている時。みんなそれを知っているので、なんとなく人の流れが避けて通ってる。
「また何を妄想してるんだか……考えるのもバカらしいな」
シェゾもそう言って通り過ぎようとしたんだけれど、ルルーの方が気付いてしまった。
「あら、シェゾ」
「……おう」
ルルーは無視すると後が恐い。それはシェゾもよく知っているみたい。
「やぁねぇ。折角いい気分だったのに、嫌な奴に会っちゃったわ」
「だったら声掛けるな」
シェゾは低く怒ってる。無視してルルーはボクに目をとめた。
「ん……? あんた、猫なんか連れてるの? ヘンタイがまた一つ極まったわね」
「俺は変態じゃねぇっ! いや、なんで猫を連れてると変態なんだ!?」
「あらぁ……だって、猫なで猫っかわいがりしてるんでしょ。そんなあんたを想像するだけで……げー。気持ち悪いわ」
「そんなコトしとらんわっ!」
「あら? それより、その猫……」
「人の話を聞かんかー!」
そんなことルルーに言っても無駄というもの。ルルーに凝視されて、ボクは総毛立った。そ、そういえば……。
「やっぱり、昨日の猫じゃないのっ。あんたのせいであたくしのスペシャルワンダホーな計画が台無しになったのよ! 一から作り直さなきゃならなくなったんですからね!」
ひええ〜、そうだったぁ。流石に今日はキレていないみたいだけど……ルルー、恐いっ。
そしてルルーの背後には例によってミノタウロスが控えていて、なにやら山のような荷物を抱えていた。どうやら、カレーの材料みたいだ。
事情の分からないシェゾは怪訝顔。
「……なんだっていうんだ?」
「この猫が、あたくしとサタン様の愛を邪魔してくれたのよっ」
ビシッ、とボクを指してルルーは断言したけれど、余計なことに、シェゾは鼻で笑った。
「ハン、こんな猫一匹に邪魔されるとは、たいした愛だな」
「なんですって〜!?」
ああ〜、このままじゃまたルルーがキレちゃうよぉ〜。
「ルルー様っ。そんな奴に構っていないで、早く帰りましょう。せっかくの食材が傷んでしまいます」
それまで黙っていた(口を挟む余地がなかったとも言う)ミノタウロスが、あたふたと声を上げた。
「そ、そうね……。こんなことしている場合じゃないわ」
ホッ……。苦労性のミノタウロスのおかげで、その場は何とか収まった。
「……にしてもまた、スゴイ量だな。ぞう大魔王十人くらい食事に呼ぶつもりなのか?」
シェゾが言った。
「違うわよっ。なんであたくしがぞう大魔王なんかにカレーを作ってやらなきゃならないの!? これはサタン様に差し上げるに決まってるじゃない!」
「……それ、全部か?」
「そ、そうよっ。ただ、ちょーっと、失敗するかもしれないから……用心のためよっ……ちょっとあんた、ナニため息なんてついてるのよっ」
「別に。それより、急ぐんだろうが。とっとと帰ったらどうだ?」
「……なーんかムカつくけど、その通りね。ミノタウロス、行くわよっ」
「はい、ルルー様」
こうして二人は去っていった。た、助かった……。
「嵐みたいな女だぜ……」
シェゾが呟いてる。うん。それは、同感だよ……。