「だぁあああああ――――っ、アルルーっ、一体どこにいるんだーっ」
幾度目かの雄たけびをサタンは上げた。
彼の前には水晶球が一つ。かなりの大きさと透明度で、店で買えばそら恐ろしい値段が付くだろう。
だが、サタンはそれを台から蹴落とした。
サタンは想像を絶する魔力の持ち主である。その気になればこの世界の隅から隅まで見渡すことが出来るし、また、その中の一つ一つについて知ることも出来る。だが……それはあくまで目標が明確である場合のこと。捜すべきものがどんな姿をしているのか分からないのに、それを捜し出すにはサタンの超感覚はかえって邪魔になった。ならばと気配を探ってみたが、変身しているからなのか、或いはこれも変身の指輪の効力か、アルルの気配は紛れてしまって全く捕まらない。
「やはり、しらみつぶしにやるしかないのか……」
サタンはため息をつく。こんな事をしている間にも、アルルがどんな辛い目に遭っていることか……。きっと私の助けを求めているに違いない。そうだ、私にはその声が聞こえる!
「カーバンクルちゃん……一緒に探してくれるかい?」
「ぐぅ!」
傍らで何やら食べていたカーバンクルが、しゅた、と片手を上げた。その可愛らしさ(?)にサタンはしばし懊悩を忘れて陶然となる。
ああ、まるで昔に戻ったみたいじゃないか……。
楽しかったあの頃。カーバンクルちゃんと二人きり、気ままな暮らしだった。勿論、今の暮らしも変化に富んで捨てたものではない。これでアルルとカーバンクルちゃんが私の元に来てくれれば、喜びはいや増すだろう。
待っていろアルル、闇の貴公子たるこの私が今行くぞっ!
「よしっ、行くぞ、カーバンクルちゃんっ」
「ぐー!」
「あのー、サタン様。お客様がいらしています」
盛り上がりとは無縁のキキーモラの声に、サタンは典型的な「ズッコケ」を披露した。
「キ……キキーモラ。私は今から出かけるのだ。帰しておけ!」
「はぁ。でも……よろしいんですか?」
「いい、いい。早く行け」
「そうですか。ではルルー様にお帰りいただくよう申します」
その瞬間、サタンは十秒は固まっていた。
「ち……ちょちょちょ、ちょっと待てっ! 来ているのはルルーなのか?」
「はい」
と言うより、普段からこの屋敷を訪れる物好きはルルーくらいのものなのだが、その辺はサタンの頭に入っていないらしい。
サタンはしばし閉じ込められた動物のようにうろうろと歩いたり立ったり座ったりしたが、結局意を決すると立ちあがってマントを翻した。
「わ、分かった。会おう、通せ」
結局こうなるのよね……そう思いつつ、キキーモラは礼儀正しく一礼して去った。
「サタン様、おじゃまいたしますわ!」
現れたルルーは恥じらいと興奮に満ちた声でそう言った。
確かに、美しい少女だ。顔立ちは勿論、体つきもアルルに比べれば随分と大人びて、妖艶な匂いさえ漂わせてきそうだが、鍛えられ引き締められた筋肉とそこからくる動作が、彼女に青竹のような瑞々しさとしなやかさを与えている。サタンにしてみれば、やはり「女」と言うより「少女」に見える。
「ああ。それで、ルルー。今日は……」
「今日はお約束でした、ルルーすぺしゃるダイナミックボンバ―ミスティーウルトラカレーをお持ちいたしましたのよ!」
「……は? 約束?」
「先日私の作ったカレーを召し上がって、また食べたいとおっしゃったじゃないですか。ですから、約束通り作ってまいりましたの」
「はぁ……そういえばそんなこと言ったような気もするようなしないような……いや、ゲフンゲフン」
サタンはわざとらしく咳払いする。
「さあ、お早く召し上がってください。冷めてしまいますわ」
ミノタウロス、と短く呼ぶと、牛頭人身の彼女の下僕が手早くテーブルを整えた。カレー鍋の傍らにお玉を持って立ち、ルルーは期待に満ちた顔でじっとサタンを待ち構えた。お代わりを十杯くらいするまでは放さないつもりに違いない。
「サタン様?」
うう……。
不思議そうに見上げてくるルルーに、サタンは一世一代の告白のような面持ちで告げた。
「いや、ルルー、それはすまなかった。だがな、実は私はこれから出かけなければならないのだ」
「えっ……」
「大事な用事でな。そういうわけで、折角持ってきてもらってすまないが……」
言いかけてルルーに視線をやったサタンは、ぴしりと全身を強張らせた。
「そ、そんな……サタン様がおいしそうに召し上がるお顔を拝見したくて、急いで作って持ってまいりましたのに……」
「あああああっ、な、泣くなっ。暴れるのもナシだぞ。カレーはちゃんと後でいただくからっ、な?」
魔王ともあろう者が少女をなだめたりすかしたり、もう大騒ぎだ。
「ルルー様……」
背後からミノタウロスがそっと諌める。
「そ、そうですわね……。サタン様のご予定をお邪魔するわけにはいきませんわ」
ルルーは目尻の涙をそっとすくう。
「あたくし、帰ります」
「あ、ああ…………」
一瞬、サタンは何とも複雑な顔を見せたが、それはすぐに呑み込まれてしまった。
「それでは、カレーは置いて行きます。お相伴出来ないのが残念ですけど、召し上がってくださいね」
その声に合わせて、ミノタウロスがカレー鍋の蓋を閉じようとした、その時だった。
「ぐーっ!」
どこからかカーバンクルが出現! ジャンプ一発、舌を伸ばすと、一瞬で鍋の中身を食べてしまった!
「ぐぅぐっ♪」
「おおっ、カーバンクルちゃんが大喜びだ。すごいぞルルー、本当に美味しいカレーでなければ、カーバンクルちゃんはこんなに喜ばない」
「…………」
サタンはとても嬉しそうだったのだが……。
「あの……ルルー様?」
「………………だぁ―――――――っ!!」
心配して覗き込んだミノタウロスが後ろにのけぞる声で、ルルーは叫んだ。
「なによなによなんなのよーっ! どーしてみんなしてあたくしとサタン様の間を邪魔するの!? もう、信じられないっ。昨日は猫で、今日はカーバンクルですって!?」
さっきまでのしおらしさもどこへやら、暴れまくるルルーである。
「ル、ルルーっ、落ちつけっ」
だがサタンがそう言うまでもなく、ルルーはがくりと床に膝をついて静かになった。
「どうしてなの……? 会心の出来だったのに……そうよ、敵の急所に寸分の狂いもなく全打を撃ち込めたみたいだったわ。なのにサタン様に一口も食べてもらえないなんて」
「あ、あのな、ルルー……」
「……はっ! そう言えば、どうしてカーバンクルはここにいるのかしら。まさか、アルルがここにっ!?」
冷水の入ったやかんが一瞬に沸騰したように、ルルーは立ちあがった。
「許せないわっ! カーバンクルなんかを使ってあたくしの邪魔をするなんて。勝負するなら堂々となさいっ。アルル、聞いてるの? 出てらっしゃいっ!」
周囲を睨みつけて怒鳴ったが、勿論、アルルが出てくるはずもない。
「ルルー……。アルルはここにはいないぞ」
「サタン様……」
ルルーはぱっとサタンの顔を見た。
「どうして、そんな風に隠そうとするんです?」
「え? いや、だからな……」
「アルルが来ているなら……来ているでも、いいんです。なのに、どうして二人してこそこそとあたくしから隠れようとするんですか! あたくしは……あなたがたにとってその程度の人間なんですか?」
「ルルー」
「アルルもアルルだわ。もう少し見所のある子かと思っていたけど、見そこなったわよっ。なによ、あんたなんかヘンタイ魔導師と一緒に猫でもなでまわしてればいいんだわ。それがお似合いよっ」
「――猫? なんだそりゃ」
そういう場合ではないのだが、あまりに唐突な台詞だったので聞きとがめてしまった。
「シェゾが猫を連れてたんです。その猫、あたくしのスペシャルカレーを台無しにしたんですのよ。……はっ。まさか、ヘンタイとアルルがつるんであたくしの妨害をしたのかしら?」
「猫……シェゾが猫をか?」
なんとも似合わない。……というより、何かカンに訴えかけるものがある。
――はっっ。
サタンの脳髄に衝撃が走った。
まさか……まさか、その猫こそがアルルなのかっ!?
そう思うと、なんだか間違いないような気がした。
いや、しかし何故シェゾと一緒にいるのだ。一緒に……ヘンタイ魔導師とアルルが一緒に行動……。
その瞬間、サタンの頭の中にそれはもう凄まじい量の脈絡のない妄想がごーっと通りすぎたのだが、それをいちいちここで語るのは適切ではないだろう。
まぁ、とりあえず例を一つあげてみると。
新妻のアルルがいる。エプロンなんかを着けて、夫のために料理をしているのである。ピンポーン、とチャイムの音が鳴った。「はぁーい」と可愛くも返事をして玄関に出るアルル。「ちわー、米屋です。ご注文の最高級の腰ヒカリ (←誤字にアラズ)持ってきましたー」「あ、お米屋さん、いらっしゃーい。そう、これこれ。サタンに美味しいご飯を食べさせてあげたくって注文したんだよね」無邪気でいじらしい妻なのである。と。突然、その新妻の可憐な手を、米屋の無骨な手が握った。「な、何?」「何はないだろう、奥さん……」米屋はその蒼い目でじっと新妻を見ている。「俺は、前から奥さんのことを……」「だ、ダメっ!」新妻はその先を言わせまいと遮ったが、米屋は止まらない。「俺は、奥さんが欲しいっ」「そ、そんな……。困るよ。ボクには愛する夫もカーくんもいるし……」「そんなことは関係ない。俺のものになれ!」「ダメっ。愛するサタンを裏切れないもん」「そうか……ならば、仕方がない!」ばさあっ。突如、米屋はその上着を脱ぎ捨てた。なんかヤバい展開になったわけではない。昔からのアニメ特撮のお約束、米屋の服は何故か黒い魔導師の衣装に一瞬で様変わりしたっ。いかにも悪役といった雰囲気だ。「無理にでも連れて行く。一緒に来てもらおうっ」あわれ、新妻アルルは米屋……もとい、闇の魔導師シェゾに捕えられ、連れ去られていくのだった。「あーれー。サタン、助けてぇ――っ」と、悲痛な悲鳴を残しながら。
「あああああああああアルルぅ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
自分の妄想に追い詰められたサタンの悲鳴に、さしものルルーもぎょっとして騒ぐのを止めた。
「サタン様っ!? いかがなされたんですか」
「アルル、アルルが変態の毒牙にっ……ぅおのれ〜、許せんっ」
ばさあっ、とサタンは背の漆黒の翼を開いた。
「あっ、サタン様、どちらへ?」
「ルルー、埋め合わせはするっ。止めてくれるな。スマンが、今日は……愚かな私を行かせてくれっ」
なんだか支離滅裂にそう言うと、サタンは窓から外へ飛んで出ていってしまった。
「サタン様……」
それを見送るルルー。
「……苦悩してらっしゃる表情も、す・て・き……」
「ルルー様ぁ……」
あくまで恋しか見えない主人に涙するミノタウロスだったが、安心しろ。うっとりとしながら、頭の半分では「埋め合わせに何をしてもらおうかしら」と冷静に計算していたりするんだから。……それはそれで怖いか。でも、こんなものなのだ。