バ ラ バ ラ な 風 景 。
透き通ったガラスの向こうに、その風景はあった。
まばらな立ち木の緑の合間に、一軒の家。
赤い、丸みを帯びた瓦の屋根。白い漆喰の壁。煉瓦造りの煙突からは、今しも薄い煙が立ち昇ってくるように思えた。それはきっと、暖かなシチューと、焼き立てのパンの香りを持っているのだろう。
四角く切り取られた窓には優しい色のカーテンが揺れている。正面のドアは素朴な木製で、斜め左横にはやはり木製のポストがあった。大切な便りが届いているのだろうか。
小さな手でその風景を包み込み、子供は輝く目で傍らの大人を見上げた。
「ありがとうお父さん! ボク、コレ すっごく大切にするよっ」
大きな手が降りてきて、子供の頭をなでる。少し力が強くて髪の毛はくしゃくしゃになってしまったが、かえって嬉しくて子供は笑い声を上げた。
ガラス玉に封じ込められた、ミニチュアの家を大事に握りしめながら。
深淵の風景
■
「虚」を満たすものは、薄墨の闇。
何一つ、明かりはなかった。――明かりを必要とする者がいないのだから当然である。ただ、通り過ぎる窓の向こうから、淡く月の光がさしこんで陰影をつける。
人の手を離れて久しい廃虚だ。かなりの技術とそれに見合う金額をかけて建造されたのであろうこの屋敷も、人の手と心が離れた今は、ただ無残にその骸をさらすのみ。
踏み出した足が、床に散乱する細かな瓦礫の一つを踏み砕いた。思いの外、音が大きく響く。
「ったく……。まさに”あつらえた舞台”ってヤツだな」
ため息と共に、男はそう呟いた。
「彼女のいる場所は、わかってるんですか?」
傍らの人物が尋ねてくる。うなずいて、男は廊下の一方を見据えた。
「ああ。アイツの性格なら……間違いないだろ。向こうだ」
歩き出す。
既に、彼女とは幾度かの邂逅と戦いを経ていた。勝敗を決するような決定的なものには至らなかったが。
最後に姿を消した彼女を彼らは追い、この屋敷に辿り着いた。
……諦めるわけにはいかないのだ。そのために、彼らはここにいるのだから。
幾つかの角を曲がり、階段を上り。
カケラも迷う事なく、彼らは一つの扉の前に辿り着いた。
「ここ……ですか?」
「ああ。…………”最奥の間”ってヤツさ」
男は答えた。茶化したような物言いの端に、微かに苦みがにじんでいるように感じられて、連れは「おや」と目を見開いた。
この男でも、何か感じるところはあるらしい。
――で、なければ……。いくらあのお方のたっての望みであるとはいえ、こんなところまではやって来ない……か。
「責任を感じる」という柄でもあるまいが。
「おい。……何やってるんだ。手を貸せ」
ふと気が付くと、扉に両手を置いて、彼が思いっきり不機嫌そうな顔でこちらを見ている。
「ミーはただのガイドなんですがねー。……ハイハイ、そんな怖い顔して見ないでくださいよ」
二人は、軋む扉を苦労して押し開いた。いっぱいに開いた途端、壊れかけていたそれはガタンと外れてしまう。
そういえば、「以前開けた時」もそうなったのだった。壊れた扉はもう使い物にならない。
「”見せかけ”ですよ。所詮ここにあるものは心象の具現に過ぎないんですから。……それより、ほら」
部屋は小ぢんまりとしていた。さほど広くはない。右手奥にベッドの残骸。突き当りに小さな勉強机。
その机にちょこんと腰掛けて――彼女は待っていた。
「やあ……」
その体の動きにつれ、茶色い髪がさらさらと肩を滑る。金色で縁取られた紫紺の魔導装甲。同系色のミニスカートから突き出した足を、挑発的に高く組んでいる。
「やっぱり、ここまで来たんだ」
そう言うと、笑う。その笑顔は彼らの知るそれと同じようで、しかし何かが違っているようにも感じられる。
「…………アルル」
彼女の名を、男――シェゾ・ウィグィィは呟いた。
「厳密には、彼女はアルルさんそのものではありませんよ。……間違いなく本人ではありますけどね」
茶々を入れると、連れは「アルル」に尋ねる。
「どうしても、帰る気にはならないんですか?」
「…………生憎ね」
「何故ですか?」
「”ボク”がそう望んでいるから……かな」
「チッ……。いいかげんにしろっ!」
舌打ちし、シェゾは叫んだ。
「ショックだったんだか何だか知らないが……いつまでこんなところにいるつもりだ!」
「ふぅん……。一応気にしてたんだ」
目を細めてアルルは言い、するりと床に降り立った。がちゃりと魔導装甲が音をたてる。
「でも、そういうことじゃない……」
「……力づくでも、連れ戻すからな」
「キミに、それができるんならね。……今度は脅しじゃないよ。キミたちをこれ以上奥へ行かせるわけにはいかないんだから」
その唇が静かに呪文を紡ぎ始める。黙って、シェゾは空から取り出した魔剣を構えた。