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深く息を吸い込み、ボクは呼吸を整える。精神を集中して――闇の奥から輝いてくる光のイメージ。やがて画面一杯に輝きを増したそれの具現化を図って。
「………ジュゲ……」
………あれっ!?
大爆発!
すっさまじい爆音と共に、ガシャンガシャンと窓ガラスの割れる音が響いた。
「うっわぁあ〜!」
魔力が暴発したのだ。単純に、呪文発現の失敗である。
「あいたたたぁ……」
「……アルル〜〜っ!!」
暴発の反動で多少くらくらする頭を立て直していると、世にも恐ろしい声が響いた。
「ら、ラーラちゃんっ」
「ちゃん付けはやめなさいって言ってるでしょ! ……じゃなくてっ。アンタ何回失敗すれば気が済むのよっ」
「ボクだって失敗したくてしてるワケじゃあ……」
「お・だ・ま・り! 見なさいよこれっ」
ラーラちゃ……ラーラは、ほつれた金髪をかき分けながらボクの背後を指し示した。うわぁ……ぐちゃぐちゃだぁ。いつものことながら。
ここは魔導小学校の教室。対魔力防御の魔法で予め強化されているからこそ、爆裂魔法の暴発なんて事態にもこの程度の被害で済んでるわけなんだけど。
「アルル・ナジャさん」
「は、はいっ」
先生の声に、ボクはびくっと反応する。
この六年生担任のラオ先生はとっても穏やかな物腰と笑顔を持ってる、優しい先生なんだけど……その実、煮ても焼いても食えないというか、怒らせるととんでもなく怖いっていうのは生徒みんなが知るところだ。
「窓ガラスのかけら……片付けといてくださいね。危ないですから。それから、来週までにもう少し魔力制御の勉強をしてくるように」
「は、はい」
「今日の授業はここまでにしましょう。……皆さん、また元気で明日会いましょうね」
みんなの元気な声と、終業の鐘の音とが重なった。
「あーあ……。どうしてボクってこうなんだろう……」
がらんとした教室で。ほうきを動かしながら、ボクは呟いた。ガラスの破片がチリトリに掃き込まれていく、チリチリという音が聞こえている。
「ほんっとに、アンタってボケなすよね〜。魔導幼稚園からの幼馴染みとして恥ずかしいわ、全く」
傍らの机の一つに腰掛けて、ラーラが言った。すらりとした足をぶらぶら揺らしながら。
「このあたしは将来有望、古代魔導学校進学間違い無しなんて言われてるのに。アンタときたら、もうじきある卒業試験も危ないんじゃないの?」
「うっ……」
「卒業資格がもらえなきゃ、魔導中学に入学できないし……せめて魔導中学までは出とかなきゃ、魔導師としては認めてもらえないわよ。ましてや、古代魔導学校なんて全然無理ね」
「そ、そうだよね……」
古代魔導学校っていうのは魔導師養成の最高学府で、世界中の魔導師を目指す人たちみんなの憧れの学校だ。入学するのだってよほどの能力がなければダメだし、卒業できたとなれば押しも押されぬ一流魔導師の仲間入りになる。
幼稚園の頃は、入学したいなんて(そして入学できるって)思ってたけど……今のボクには夢のまた夢、だよね。勿論、今でも魔導師志望の一人として、古代魔導学校進学を目指してはいるのだけれど……。
でも……。
思いきって、ボクは言ってみることにした。
「ねえラーラ。最近ね。ボク、別に古代魔導学校になんて入らなくたっていいって思ってるんだ」
「"入らない"んじゃなくて"入れない"んでしょ。……って、アンタ! 魔導師になるのをあきらめるって言うの?」
心底ビックリしたように、ラーラがその青い目を丸くする。
「そ、そうじゃないよ。魔導師にはなりたいケド……『一流の魔導師』にはならなくってもいいって思うんだ。そんな……ずうっとずうっと遠くの学校に行かなくても、この村で、みんなのために何か出来たらいいな、なぁんて……」
幼稚園の頃は、本気で「世界一の魔導師」になろうと思っていた気がする。なんでそんな事思ってたのか覚えてないけど。
「ダメかなぁ」
「ふぅん……。………ま、それもいいのかもね」
ラーラはそこで言葉を切った。
「それより、アンタこんなことしてていいの? そういえば、今朝"今日は早く帰らなくちゃ"なーんて言ってたじゃない?」
「あっ、そうだ!」
ラーラの言葉に、ボクははっとした。教室の時計を見上げる。
「もうこんな時間。急いで帰らないと………ラーラ、ここお願いっ」
「えっ? ちょ、ちょっとアルル!?」
ラーラにホウキとチリトリを渡して、ボクは大急ぎで教室を飛び出した。おっと、カバンを忘れるわけにはいかない。
「ちょっとお! なんであたしが!? 待ちなさいよアルルぅ――――!!」
「ごめんラーラ。今度掃除当番代わるからっ」
だって、今日は一刻も早く家に帰らなくちゃならないんだもの。ごめんねっ。
ラーラの憤った声を聞きながら、ボクは学校を飛び出した。
「ぐっ、ぐう。ぐぐぅ?」
学校を出て、道を走っていると、切れ切れにこんなうめき声(?)が聞こえてきた。
「あぁっ!! ごめんカーくんっ」
急ブレーキをかけて止まり、ボクは持っていたカバンを開けた。
「ぐぐぅ〜」
ぐるぐると目を回しながら、黄色くて小さな生き物がカバンの中からよろめき出てきた。
これはカーバンクルのカーくん。ボクがちいちゃな頃から、どんな時でもいつも一緒の、大切な友達なんだよ。でも、学校に連れてきてはいけないことになっているから、時々こうしてこっそりカバンの中に入ってついてくるのだ。
今日もそうだったんだけど、うっかりカーくんがいる事を忘れてカバンを振り回して走ってしまった。
「ごめんね。大丈夫? カーくん」
「ぐー」
ぐるぐる目をつぶらな瞳に戻して、カーくんは「大丈夫だよっ」ってカンジにボクを見上げた。そのままぴょいとボクの頭の上に飛び乗って、それから左肩に滑り降りる。ここが、最近のカーくんの指定席。
「ぐー!」
「うん。早く帰ろう、カーくん。今日はご馳走だよ」
「ぐぐう!」
嬉しそうなカーくんにボクも笑顔で応えて、歩き出そうとした時。
日はそろそろ落ちようとしていて、道には長くボクらの影が落ちていた。その影に重なって、背の高い影が一つ、ボクらの行く手に伸びている。
誰かが、ボクらの背後に立っているのだ。……いつの間に?
ボクは、後ろを振り向いた。
男の人だ。
逆光で、姿が見えづらい。でもそれは判った。短い髪は淡く夕日の色に染まっている。多分、本来は銀色なのだろう。格好からすると、魔導師だろうか。
でも……。
その人の着ている服もマントも、全部カラスみたいな真っ黒で。
赤い夕方の景色の中のその姿は、ボクには何だか…………ひどく不吉に思えた。
その人は、じっとボクを見つめているような気がする。
「あ、あの……。ボクに、何か用ですか?」
本当は背を向けて逃げ出しちゃいたかったけど。
「何か用、だと?」
声は、思っていたよりずっと若かった。「おにーさん」と言っていいくらいの年みたいだ。
おにーさんは、大股にボクに歩み寄ってくる。
「勿論、お前に用があるに決まっているだろう、アルル・ナジャ」
「え?」
この人、ボクの名前を知っている?
間近に見ると、おにーさんは見上げるくらい背が高かった。それに、かなりのハンサムだ。だけど……ボクを見る蒼い目は、ひやりと冷たくて……。
何故か、ボクは腹が立った。
「な……何なの、おにーさんはっ。ボクに用って、何? それに、どうしてボクの名前を知ってるんだよ!」
おにーさんは、少し黙り込んだ。思ってもみなかったことを言われたみたいに。
「どうして、だと!? お前は……っ。この期に及んでふざけるなっ!」
怒鳴り声に、打たれたようにボクは立ちすくんだ。
何故だか解らないけれど、この人は本気で怒っている。
「で、でも……」
ボクだってわけがわからないのだ。
「まぁまぁ、シェゾさん。レディーを怖がらせてはいけませんよ」
「え?」
いつのまにか。もう一人、男の人が現れていた。
銀色の髪のおにーさんよりはもう少し年上みたいで。紫の長い髪をしている。やっぱりすごいハンサムで、でも銀の髪のおにーさん……シェゾとは、表情が正反対なくらい違っていた。なんていうか……すごく軟派な感じ。
「大丈夫ですか、小さなレディー。ミーたちは怪しい者ではありませんね」
紫の髪の男の人は、そう言うとボクの前で腰をかがめて、握っていた手をぱっと開いた。すると、バラの花が現れてぽんっと開いた。作り物ではなく、本物のバラ。どーやったんだろう……。
「美しいレディーに、ささやかなプレゼントでーす」
にっこりと笑い、男の人は言った。キラリと白い歯が光っている。
…………うう。すっごく怪しい……。
「お前は引っ込んでろ、インキュバス!」
「オー。乱暴ですね、シェゾさんは。アルルさんを脅えさせてどうするんですか」
「あのなぁ。俺は、これ以上このふざけた茶番に付き合う気はねぇんだよ!」
そう言うと、シェゾはボクにその視線を戻した。
「来い!」
ボクの腕を掴んで、引き寄せる。
途端に。
「きゃああああ――っ!!」
ボクは、悲鳴を上げていた。
とてつもない恐怖に駆られたのだ。
「なっ。……こら、暴れるな。大人しくしろっ」
狼狽したシェゾの声が聞こえる。でも、ボクはそれどころではない。悲鳴を止められない。
怖い、怖い、怖い!
「アルルを放せ!」
突然、鋭い声が割って入った。同時に、光と熱風!
「なにっ!?」
とっさに、シェゾはボクを突き放して飛びのいた。ボクらの間を炎の渦がかすめ過ぎる。
「大丈夫か、アルル」
「……先輩?」
駆け寄って、ボクを抱え起こしてくれたのは、学校の二年先輩の(今は魔導中学に通っている)カミュ先輩だった。
ラーラと同じように、ボクとは違って、古代魔導学校進学は確実と言われている。幼稚園の頃から何かというと助けてくれた、ボクにとってはお兄さんのような人だ。
でも、先輩がどうしてここに……。
「チッ。何だお前は」
「お前こそ何者だ。アルルに何をする気だった。このヘンタイめっ」
「な……。誰がヘンタイだっ!」
シェゾは、何故か過剰に反応した。……図星だったんだろうか?
「じゃなーいっ!! 大体だな。俺が欲しいのはアルルの魔力であって、それ以外の何物でもないんだ。なのに、よってたかってヘンタイ呼ばわりしやがって……。一体、俺のどこがヘンタイだというのだ!?」
「自覚がないのは怖いですねぇー」
「黙れ、ヘンタイ淫魔!」
「オー。ひどい言いがかりです。ミーは清く正しいインキュバスでーす」
「アルル、やれるか?」
なにやら騒がしく言い合っているシェゾたちの目を盗んで、声を潜めて先輩が言った。ボクはうなずく。
いつも失敗してばかりだけど……そんなコト言ってる場合じゃない。精神を集中する。
「!? お前ら?」
魔力の流れに気付いたのだろう。ハッとしたようにシェゾがこちらを見やった。でも、ボクらの呪文は既に編みあがっている。
「行くぞ。ニュークリアー!」
「ジュゲムっ!」
閃光が走る。
「……やった!」
キセキ的に上手く行った!
凄まじい爆発と爆音。放ったボクら自身でさえ、吹き飛ばされないようにこらえなければならない。
ただでさえ強力な威力を持つ爆裂魔法を、二発、しかもこれだけの至近距離で放ったのだ。間違いなく、相手はばたんきゅーしているハズ。
……だが。
もうもうと舞い上がった土煙が静まると……その向こうに、ボクらは立ったままのシェゾ、そしてインキュバスの姿を見たのだった。
あれだけの爆風の中にいたというのに、彼らは髪の毛ひとすじ乱れてはいない。
「な、なんで……」
無造作に突き出されたシェゾの左手の周囲に、ほのかに淡い光が見え、それは次第に拡散して消えた。
「……障壁魔法か」
カミュ先輩が呟いた。
それにしても……あれだけ強い魔法を二発も、しかもとっさに受け止めてしまうだなんて……。
なんて技術と、そして魔力なのだろう?
「……アルル。お前は逃げろっ」
かばうように、ボクの前に先輩が飛び出した。取り出した杖を一閃し、
「フン」
うざったそうにシェゾは冷気を跳ね除けた。……全然効いてない。
「甘いな。ダイヤモンドダスト!」
「うわぁああっ」
シェゾの放った氷系の高位魔法で、カミュ先輩は弾かれたように地に転がった。
「先輩!」
「くっ……。アルル、いいから、お前は早く……」
「イヤだよ! そんな……」
ボクは涙をぬぐった。
先輩がかなわない相手に、ボクがかなうはずはない。そんなに強い魔法は使えないし……。でも、先輩を置いていくなんて、できないもの!
「おいおい……俺は完璧に"わるもん"かよ」
「シェゾさん、ここは一時手をひいた方がよさそうですねー」
ムツッとしたシェゾに、後ろからインキュバスが声をかけた。
「なんだと? バカを言うな。俺は、引きずってでもこいつを連れていくぞ」
「オー。それでは逆効果です。女性には優しくやさしーく触れるのがセオリーですね」
「お前のセオリーなんぞ知るか。……っ、おい、放せ!」
インキュバスは、問答無用とばかりにシェゾを羽交い締めにした。バラの花びらが渦を巻いて舞い始める。
「アルルさん……また会いましょーv」
「おいっ。…………だぁあああっ、放せ――っ!!」
ウインク一つ。バラの花びらは嵐を起こし、彼らの姿は消え去っていた。
「…………なんだったんだろう、一体……」
「…………さぁな。ヘンタイの考える事は解らないさ」
ややあって。呆然としていたボクらは、ようやく気を取りなおした。
「無事でよかったな、アルル。どこもケガしてないか?」
「そんな。先輩こそ……」
立ちあがって魔導スーツの埃を落としているカミュ先輩を、ボクは見回した。
「あっ、血が出てる。ヒーリングをかけますっ」
「かすり傷だよ。…………それにしても、あの男、何者だったんだろうな。かなりの腕を持つ魔導師みたいだったが……」
先輩は顎に手を当てる。
「アルル、心当たりはないか?」
「別に……ありません。初めて会ったんだし……」
「そうか。……じゃあ、ホントにただのヘンタイかな。……この辺も物騒になったもんだな。アルル、お前、気をつけろよ」
「はい。……それより、先輩はどうしてここに?」
「ああ。…………おババ様に、"今日帰ってくる"って聞いてな」
「おババさまって、園長先生?」
「ああ。………で、話が聞けたらいいな、なんて思って……」
「じゃあ! 一緒に来てくださいよ。先輩が来たら、みんな喜びます」
「…………いや。やっぱり、久しぶりの家族の団欒を邪魔しちゃ悪いだろ。今日は遠慮するよ」
「そんなこと……」
「いいんだ。また明日にでも伺うから。そんな風に伝えておいてもらえないか?」
「はい! じゃ、伝えておきます」
「ああ、ありがとう。じゃあな。気をつけて帰れよ!」
飛翔の魔法をかけた杖に飛び乗ると、先輩は帰っていった。
「カーくん。今度こそ、ボクたちも帰ろうか」
「ぐっぐー!」
ボクたちも走り出した。先輩と一緒に、しばらく話ながら歩いていたので、ここから家まではそう遠くはない。
帰りついて、ボクは家の扉を開けた。
「ただいまぁ!」
家の中からは、お帰り、という声が返ってくる。それを確認して、ボクも続けて言った。
「……お帰りなさい、お父さん!」