そんなある日の昼過ぎだった。
私を突き動かす望みに導かれ、水面を越えた。
「カー君、お弁当にしよう」
大きな声が聞こえ、その方向を見ると、岸にひとりの少女と変な黄色い生き物がいた。
「ぐぐー」
小躍りしながら、ウサギに似た生き物はなくと弁当のひとつを丸呑みしてしまった。
「ああ〜、だめだよカー君!ぼくの分がなくなっちゃうじゃないか」
怒られた生き物は、くるくるとごまかすように廻りながら…、私と目が合った。
「ぐっぐー」
うれしそうになくと同時に何か赤いものが、私に巻きついた。その瞬間世界が変わる。
「だめだ、だめだよ、カー君」
悲鳴のような声が耳元で聞こえた。気がつくと陸の上。そして巻き付いているのは、あの生き物の舌だ。
今にも飲み込もうとする大きな口を目にして、本能的に悲鳴を上げる。
「だめだってばぁ」
勢いよく口が閉じられた。少女が生き物の頭を押さえつけたのだ。巻きつける力が弱まり、慌ててその場を離れる。怖くて涙が溢れた。
「ああ、泣かないで。ごめんね」
少女が慌てて駆け寄ってくる。
「痛いところない?怪我してない?」
うんうんとただうなづく。
…その間に彼女の持ってきていたお弁当はすべてなくなっていた。

「ぼくはアルル。こっちはカーバンクルっていうんだ」
ひとここちついて、彼女は自己紹介をしてくれた。
「カー君は食いしん坊だから何でも食べちゃうんだよ。…ほんとにごめんね」
「…いいえ」
言いながらまだどきどきしている。また食べられそうになったりしないかしら…。
「もしかして食べられるんじゃないかって、まだ心配している?もう食べちゃいけないって覚えたから大丈夫だよ」
アルルさんが笑った。
「ねっ、カー君」
弁当を食べ、おなかの落ち着いたカーバンクルさんは蝶を追いまわしていた。
「…かわいいですね」
勇気を出して言葉をつむぐ。
「うん」
アルルさんは無邪気に笑った。
「ところで、君はここに住んでいるの?」
「ええ」
答えると、アルルさんは深刻そうな顔をした。
「ねえ、ここに悪い魔物が住んでいるっていう噂があるんだけど、君は知らない?」
「悪い魔物?」
問い返すと、アルルさんはうなづいた。
「人を襲ったり、脅かしたりするんだって。町の人が怖くて湖に近づけないって言うから、ぼくが退治しに来たんだ」
ちょっと誇らしげ。
「すごい。アルルさんって、お強いんですね」
「………そこ突っ込むところじゃないよ」

「でも、ここには私しか住んでいませんよ」
よくよく考えて私は言った。寂しくて湖中を見て廻ったけれど、誰もいなかった。これは間違いない。
「本当に?」
アルルさんが念を押す。
「ええ、間違いありません」
答えると、アルルさんは考え込んだ。
「場所を間違えたのかなぁ。う〜ん、でもここに案内してくれたのは町の人だしなぁ……」
「ぐっぐぐ〜、ぐっぐぐぐ〜」
いつのまにか踊りながら、カーバンクルさんが戻ってきている。
「ぐーぐぅ」
「何々、カー君」
アルルさんの注意を引きながら、カーバンクルさんはあの真っ赤な舌で私を指し示した。舌で指されるとはかなりどきりとする。まさかまた食べる気じゃぁ…。
「え?」
何かを訴えているらしい。
それを受けて、アルルさんは笑った。
「え〜、この子は確かに魔物だけど悪い魔物じゃないよ」
だが、カーバンクルさんは執拗に訴えを続けた。
困ったように、アルルさんが私を振り返る。
「違うよねぇ」
なんだか複雑な気分になってしまった。
ここに住んでいるのは私しかいない。私が悪い魔物なのかそうではないのかは、私自身にはわからないのではないだろうか。カーバンクルさんがこれだけ執拗に訴えるのならば、私は悪い魔物なのかもしれない。私が悪い魔物でないという証拠がどこにあるのだろうか。
「わかりません」
消え入りそうな声で答えた。
「ここには私しか住んでいないのですから」
アルルさんの表情に陰りが見えた。
「君は人を襲ったことがあるの?」
横に首を振る。
「人を脅したことは?」
再び首を振る。
「悪いことをしたことはないんでしょう?」
「ええ」
答えて、ふっと思い出した。
「驚かれたことはあるかも…」
アルルさんが瞬きをする。カーバンクルさんは、またどこかへ遊びに行っていた。
「湖から上がったときに子供と目が合って、子供がびっくりして逃げて行ったんです」
「……」
アルルさんが考え込む。
「…それかも」
つぶやいて、再び話し出した。
「きっとそれが思いっきり大げさに伝わっちゃったんだね」
笑った。
「私ひとりきりで寂しくって、誰かいないかなと思って水の上の世界をのぞいたんです」
なんだかすごく侘しくなってきた。
「誰かにそばにいて欲しかっただけなのに…」
泣きたい。自分がしてきたことが自分を追い詰めていたなんて。
アルルさんが寄り添ってくれる。
「ねえ、じゃあぼくが君のおともだちになってあげるよ」
「おともだち?」
初めての言葉を聞いた。
「うん、ぼくがここに遊びに来てあげる。さすがに水の中には住めないからね」
アルルさんは屈託なく笑った。
「本当に?」
つい、聞いてしまう。
「うん、本当。カー君もともだちだよ」
「ぐぐっ」
いつのまにかカーバンクルさんもそばに来て、「そうだ、そうだ」といわんばかりに小さな手で私を叩いていた。
「ともだちだよ」
もう一度繰り返した。

夜の闇が来る。
いまはひとりだけれど、もう寂しくない。
ともだちができたから。







あとがき

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