音機関都市ベルケンド。障気に包まれたその街を歩いていると、前を横切ろうとした研究者が不意にその場に座り込んだ。胸の辺りを押さえて震え、そのまま倒れ伏したのを見て、驚いてルークたちは駆け寄る。

「しっかりして!?」

 ティアは側にしゃがみ、手をかざして癒しの光を当てた。街を警備していたキムラスカ兵の一人が階段を駆け下りてきて、片膝をついて覗き込んでいる。その視線を受けながらティアは癒しの光を当て続けたが、研究者の息吹が甦る事はついになかった。

「間に合わなかった? 何故……」

 眉を曇らせるティアの前で、ハーッと重く兵士が息を吐き出す。

「……これで今日は三人目だ」

「どういうことですの?」

「ここ数日、突然死が増えてるんだよ」

 気安い口調で兵士は返した。ナタリアが自国の王女だとは気付いていない様子だ。

「どうもローレライ教団へ預言スコアを聞きに行った直後に倒れる奴が多いみたいだな。治癒術師ヒーラーさんで助けられないとなると、怪我の類じゃなくて病気かねぇ……」

「変だよ。今教団では、預言スコアの詠み上げを中止してるんだよ。イオン様がそう決めた筈なのに……」

「いや、この障気ってのが出てくるちょっと前から再開したみたいだぜ」

 憤るアニスに答えて、兵士は遺体を荷物のように肩に担ぎ上げる。

「旅の預言士スコアラーが各地を回っててね。俺も詠んでもらったぜ」

 幾分得意げに言った彼に向かい、ティアは自分も立ち上がって疑問を口に乗せた。

「その預言士はどこへ行ったか分かりますか?」

「さあ……バチカルの方へ向かったみたいだがな」

 それだけ言って、兵士は重そうに遺体を担いで階段を上っていく。その背が遠ざかると、ジェイドがぽつりと言った。

「今のはフォミクリーでレプリカ情報を抜かれたのかもしれませんね」

「どうしてそうだと分かる?」

「実験では情報を抜かれた被験者オリジナルが一週間後に死亡、もしくは障害を残すという事例もありました。先程の方とフォミクリー被験者の亡くなり方は、よく似ています」

 ガイに答えるジェイドの声は、あくまで淡々としていた。眉を曇らせたのはルークだ。

「レプリカ情報を抜かれた人は死んじまうのか」

「そういう被験者オリジナルもいるということです。必ず命を落とすわけではありません」

 アッシュのようにね、とジェイドは言い、「もっとも……」と続けかけて口をつぐむ。

「もっとも、なんだよ?」

「……いえ、やめましょう」

 軽く眼鏡を押し上げて一瞬表情を隠し、ジェイドはルークに視線を戻した。柔らかく笑いかける。

「ともかく、これ以上レプリカを作らせる訳にはいきません。被験者オリジナルのためにも、レプリカのためにも」

「うん。そう思う。もし本当にレプリカ情報を抜いてるなら、やめさせるべきだ」

 頷いて、低くルークは言葉を返した。声に幾分力を込める。

「もう俺とアッシュみたいな関係は生まれない方がいいに決まってる」

「まずは障気です。スピノザに聞けば何か分かるかもしれませんよ」

「スピノザから話を聞いたら、旅の預言士スコアラーっての探してみるか」

 ジェイドとガイがこれからの行動を提示し、一行は第一音機関研究所へ向かう足を速めた。





「レプリカ研究施設の方には人がいないんだな」

 この研究所に来るのも久しぶりだ。以前はスピノザが属し、活発に動いていたエリアを見やりながらルークが言うと、「兄さんの部下はここを引き払った筈ですもの」とティアが返してくる。

 ここでのレプリカ研究はキムラスカとダアトの合同研究という建前で、その実、ヴァンのレプリカ大地計画の為に行われていた。ヴァンの目論見が明かされた今、その活動も停止されていて当然だ。

「とはいえ、生物フォミクリーが復活してしまったことは事実です」

「そうですよね。レプリカが大量生産されちゃってますもんね」

 ジェイドとアニスが言い、ガイが呟きを落とした。

「禁忌か……。人間は禁忌って奴に弱いな」

「好奇心という誘惑ですわね。研究者たちは悪用されると分かっていても止められなかったようですし」

「兄さんは、その気持ちすらも利用していたのね」

 ナタリアとティアの暗い声に、ガイが取り成しの言葉を挟む。

「まあ、起きたことは今更どうしようもない。これからどうしていくか、だ。俺たちの前には問題が山積みだからな」

「そうですわね。一つ一つ片付けていかなくては」

 ナタリアは顔を上げて気負うと、スピノザの研究室へ向かう足を動かした。その後にアニスが続き、ジェイドとティアも続いたが、ルークは立ち止まったままでいる。

(フォミクリー……。レプリカ……)

「……ルーク。言っただろ。起きたことを悔やんでいても始まらないんだ」

 同じように足を止めたままでいたガイが、ルークの背を見つめて呼びかけた。

「……うん。分かってはいるんだ……」

(だけど……俺は……)

 俯いて、ルークは顔を見られたくないとでも言うように僅かに身を背ける。

 そんな彼らの様子を、少し先で足を止めたティアとジェイドが、それぞれの表情で無言で見ていた。


 昔、ガイが『起きたことを悔やみ続けて』、復讐心に囚われていた頃。ルークの言った「昔のことばっか見てても前に進めない」という言葉が、彼を変えるキッカケになりました。今のガイは未来を見つめて歩いている。

 でも、今は逆にルークの方が過去に囚われ続けているのでした。『レプリカの自分が誕生した』という、悔やんだところでどうしようもない過去に。

 レプリカ情報を抜かれただけで死ぬ人がいる。アッシュは、ルークがいるせいで自分の家にも帰ってこない。

 レプリカは、生まれただけで、生きているだけで、オリジナルやその周囲の人々を苦しめている。

 そんなことを気にしてもしょうがない、というのが正解なのだと、頭では分かっている。でも、いたたまれない。苦しい気持ちは消えない。

 

 ――レプリカという、本来ならいないはずの存在。なのに俺は生まれた。俺は何者なんだろう。どうして生まれて、何のために生きているんだろう。

 

 ルークはそれを考え続けます。


「おお、今度はお前さんたちか!」

 スピノザの研究室に入ると、老研究者が振り向いて大きな声をあげた。

「元気そうだな」

「うむ。お前さんたちのおかげで、研究を続けさせてもらっておるよ」

 わしにはそれしか出来ないからな、とスピノザは呟く。

「わしはこれから一生かけて償うつもりじゃよ。そんな簡単に許してもらえるとは思ってないしの」

 彼の裏切りでシェリダンの住民たちが惨殺されてから、数ヶ月しか経たない。残された人々の傷は未だ生々しいだろう。贖罪として障気封印の検証をやり遂げ、一時つけられていた監視は外されているようだったが、それでも償いは終わっていないと彼は言った。そして切り出す。

「しかし大変なことになってしまったな」

「やっぱりタルタロスじゃ抑え切れないほど、地核の震動が激しくなってるのか?」

 ガイが訊ねた。ディバイディングラインの膜で包み込んで地核の中に押し戻したはずの障気が再び湧いて出たということは、恐らくは障気が地核に収まりきれないほど増えたということなのだろう。障気は震動する地核が生み出していた。少し前からパッセージリングの異常な活性化の調査報告はあったが、そのもたらす震動が障気を生み出すほど激しくなったということか。

「うむ。このままでは再び大地が液状化するかもしれん」

「障気に液状化……。また元の魔界クリフォトに逆戻りだ」

 ルークが重く呟いた。ガイは腕を組んで考え込む顔をする。

「パッセージリングが停止してるから、もうディバイディングラインも作り出せないしな……」

 それどころではない。パッセージリングが停止したまま地殻が液状化すれば、全世界が泥の中に沈むかもしれない。

「やっぱ封じ込めるだけじゃなくて、根本的な障気の消滅を考えた方がいいのかな」

 ルークがそう言った時、「それなんじゃが」とスピノザが考え深げな声を出した。

「ルークの超振動はどうじゃろうか」

 ルークは目を瞬かせる。

「超振動で障気を消すのか? そんなこと出来ないんじゃ……」

「超振動は物質を原子レベルにまで分解する力がある。わしは超振動は専門ではないが、可能じゃろう」

「アクゼリュス消滅時の超振動を単純計算したところ、かなりの力のようですし」

 スピノザの傍らから若い助手が口を添えた。

(俺の超振動で……?)

 以前、平和条約すらまだ締結していなかった頃、ルーク自身それを考えたことがある。その時は、惑星全体を覆うほどの障気の分解は無理だとティアに止められていたのだが。

「……」

 ルークが考え込む様子を見て、ジェイドが不意に話を変えた。

「そういえば、先程の口振りでは先客がいらしたようですが?」

「ああ。アッシュじゃよ。外殻降下時の第七音素セブンスフォニムの流れとやらを調べているとか……」

「アッシュ!? アッシュがここに来ていたのですか?」

 ナタリアが大声をあげる。ルークも声を張り上げた。

「あいつは今どこに!?」

「ここで測定していたセフィロトの情報を食い入るように見ていたが……」

 幾分気圧された顔でスピノザは言い、傍らから助手が口を足す。

「あれはロニール雪山の情報でしたね」

「行ってみますか?」

 ジェイドがルークを見た。

「そうだな。アッシュを追いかけよう」

「でも、バチカルへ行ったって言う旅の預言士スコアラーはどうするの?」

 ルークは頷いたが、アニスにそう言われて「そ、そうか……」と口ごもる。

「ですが、アッシュならヴァンのこともローレライの鍵のことも、詳しく知っているかもしれませんわ」

 一方でナタリアが言い、ルークは一声呻いて赤い髪をがしがしと掻きむしった。

「後回しにしようと思ったら、アッシュの奴出てきやがるし、預言スコアが絡めば六神将やモースが出てくる! ローレライの鍵の事も分からねぇ! 障気を何とかする方法も分かんねぇってのに! どれから片付けりゃいいんだっつーの」

「全くだ。ルークじゃなくても頭が混乱してくるぜ」

 ガイも困った顔をしている。落ち着いたジェイドの声が落ちた。

「それぞれが密接に関係しているからでしょう」

「どういうことです? 大佐」

 ティアが訊ねている。

「それぞれ個々の事象にしては因果関係が強すぎます。障気、第七音素セブンスフォニム、レプリカ、預言スコア、ローレライ……。これら全てに関わっているアッシュが鍵を握っているのでしょう」

「それは憶測、ですわよね?」

「大佐が憶測で話をするなんてめっずらしーい」

 ナタリアとアニスが言ったが、ジェイドはふっと笑う。

「と、言ってしまった方が、行き先が決まりやすいでしょう?」

「うだうだ考えずに、アッシュを追うって事か?」

 確かめるようにルークが言うと、ガイが苦笑を見せた。

「ま、確かにそろそろアッシュから話を聞かないと情報も手詰まりだしな」

「今のままバチカルに戻っても、現状の混乱を打開する策がない……。国際的な預言スコアの扱いなど決めることは出来そうにありませんわ」

 ナタリアも口を添え、アニスは異を唱えていた口を閉ざす。

「今はアッシュを追うことが。俺たちに出来ることなんだな」

「そういうことです。時間を無駄にしたくありませんから、効率よく考えていきましょう」

 真顔のルークにジェイドが頷き、「そうですね。まずはロニール雪山に行ってみましょう」と、ティアが促した。




「ジェイド」

 第一音機関研究所の門を出たところで呼ばれ、ジェイドはゆっくりと歩いていた足を止めた。

 既に日没近いからだろう、影が長い。障気を通して輝く太陽は真昼でもやけに赤く見えたが、光の赤さが今は更に濃いような気がする。

「さっきの障気と超振動のことだけど……」

 他の仲間たちは先に行っていた。振り向かないまま、背後から訴えてくる赤い髪の少年に小さく告げる。

「……馬鹿なことです。忘れなさい」

「だけどそれで障気が中和できるなら……」

「お忘れですか? あなたはレプリカで、ろくに超振動を制御することも出来ない。下手をすれば、あなたが死にます」

 冷たい目を向けられて、一瞬、ルークは怯んだ顔をしたが、それでも食い下がった。

「だったら、アッシュなら出来るんじゃないか? もしもロニール雪山にアッシュがいたら、頼んで……」

「失礼。私の言い方が悪かったようです」

 ジェイドの声がルークを遮る。

被験者オリジナルであろうと、惑星一つを覆うほどの障気を消滅させるような超振動は起こせません」

「そんな! だって不可能じゃないってスピノザが言ってただろ。何か方法があるんじゃないか?」

「そうですね。何か力を増幅できるものがあるなら話は別ですが」

「増幅できるものって、例えば?」

「諦めが悪い人ですね。……つまり超振動を使うことによる体の負担を軽減するものがあればいい」

「じれったいな! だから?」

 小さくジェイドは息をついた。

「一つはローレライの剣ですね。あれなら第七音素セブンスフォニムを大量に自分の傍へ集められます」

「もう一つは?」

「大量の第七音素セブンスフォニムですよ。

 そうですね……第七音譜術士セブンスフォニマー、あるいはその素養がある人間を、ざっと一万人も殺せば何とかなるかもしれません」

「……っ!」

 ルークは息を呑む。

「もちろん超振動を使う人間も、反動で音素フォニムの乖離を起こして死ぬでしょう」

 冷徹な赤い瞳が、正面からルークを見据えていた。そこにフッと皮肉な笑みが浮かぶ。

「一万人の犠牲で障気は消える。……まあ、考え方によっては安いものかもしれません」

「そんなの……」

「ええ、無理です。ですから忘れろと言ったんですよ」

 ジェイドの顔から笑みが消えた。冷たい顔を背けて、仲間たちの方へ歩いていく。

 残っているのは、長く伸びた影だけだ。それも次第に遠ざかっていったが、それでもルークはその場に佇んでいた。


 原作だと、ジェイドとルークの会話が以下のようになってるんですが。

「失礼。私の言い方が悪かったようです。被験者オリジナルであろうと、惑星一つを覆うほどの障気を消滅させるような超振動は起こせません。何か力を増幅できるものがあるなら話は別ですが」
「増幅できるものって、例えば?」
「諦めが悪い人ですね。……つまり超振動を使うことによる体の負担を軽減するものがあればいい」

 …これだと、ジェイドがルークを諌めるふりをしながら積極的に煽ってるよーな感じになっちゃうので、ノベライズではルークの台詞を一つ増やしてワンクッション置いてみました。あんま意味ないですが。

 

 ジェイドってある意味では正直な人ではありますよね。

 彼は、ガイみたいに上手な嘘を見繕って誤魔化すってことを あまりしないです。大抵は、言うか言わないか(あからさまにはぐらかすか)の二択。

 善良ってことではなく、誤魔化す(相手の心に波風を起こさせないように計らう)ことに価値を見出していないんだろーなーと思います。

 

 ところで。ジェイドは、超振動で障気を消すには大量の第七音素セブンスフォニムが必要だから、第七音譜術士セブンスフォニマーを一万人殺す必要があると言います。

 ……ええと。それって第七音譜術士を殺せば第七音素を入手できる……第七音譜術士の肉体は第七音素で出来てるってこと?

 しかし設定上、人間の肉体は複数の音素で構成されてることになってます。元素が第七音素のみで繋がれているのはレプリカだけ。

 というわけで、これはつまり、

「第七音譜術士は、第七音素をフォンスロットから体内に取り込む能力がある」→「第七音素を引き寄せて集めることが出来る」→「しかし全世界の障気を消すのに足るほど第七音素を引き寄せれば、身体が保たないし、下手をすれば互いに擬似超振動を起こす」→「結果として、ほぼ全員が死ぬだろう」

とかいう意味で『第七音譜術士を一万人も殺せば』という結論になるのかなーと思ったんですが。でもルークの日記には

「大量の第七音素は、現状では第七音譜術士の資質がある者を、一万人ほど殺して奪い取らない限り調達できない。」

 と書いてある。…むー。まさか第七音譜術士はそれ以外の人間とは肉体の音素構成が違うんですか?? 謎。

 第七音譜術士は常にフォンスロットから第七音素を取り込んでいるから、肉体にそれが蓄積されている。だから殺すとフォンスロットから放出された第七音素を入手できる、…ってことでしょうか。

 

 関係ないですが、障気蝕害に侵されてた頃のティアは、通常の第七音譜術士が生涯に取り込む百倍以上の(障気と結合した)第七音素を体内に蓄積させてましたよね。……んじゃ、イオンが第七音素を持って行ってくれなかったら、ティア一人殺すことで百人分……いえ、それ以上の第七音素を奪い取れたんでしょうか。(鬼畜なこと考えてすみません。)


 その日はベルケンドで宿を取った。全員でついた食卓の片隅には小さなミュウが座って、パリパリとサラダを食べている。

「美味しい? ミュウ」

「はいですの。とっても美味しいですの」

 覗き込んで言ったティアにニコニコとミュウは笑う。「チーグルは草食なのですわよね」とナタリアが言った。

「森では、どんなものを食べていましたの?」

「みゅううー……。タタル草、バチカル草、ユリア草、フーブラス草、ネコニン草……。でもキノコも食べるですの!」

「あの辺りでキノコなんて採れるのかしら?」

 ティアが小首を傾げる。

「採れるですの! 北の方はキノコだらけですの!」

「いつか行ってみたいわね。案内してくれる?」

「勿論ですの!」

 少女とチーグルが笑って言葉を交し合っている一方で、ガイが隣の席のルークに注意を促している。

「ルーク。……おい、ルーク」

「え?」

「だから。垂れてるぞ、スープ」

「あ……」

 ルークは、口に当てたまま止めていたスプーンを皿に戻した。

「どうしましたの、ルーク。なんだか元気がありませんわね」

「いや……。なんか疲れてるのかもな。――俺、今日はもう寝るから」

 不思議そうなナタリアに曖昧な笑みを返すと、ルークは席を立って客室の方へ歩いていく。

「ルーク?」

 ティアが席を立ちかけたが、ジェイドの声がそれを止めた。

「下手の考え休むに似たり、です。放っておきなさい」

「大佐……」

「何かあったのか?」

 ガイがジロリとジェイドを見やる。「くだらないことですよ」と軽く返して、「それより、今後のことですが」とジェイドは話を変えた。

「ロニール雪山にアッシュを捜しに行くのですわよね」

「ローレライの鍵のこと、兄さんたちのこと……。アッシュは何か情報を持っているはずだわ」

「でも、旅の預言士スコアラーのことも放っておけないよ」

 ナタリアとティアに続いて、アニスが訴える。

「イオン様は預言スコアに頼らない教団を作ろうとしてた……。なのに、教団の名を騙って預言を詠んで、それでレプリカ情報を抜いてるんだとしたら……」

「ヴァン、そしてレプリカか……」

 暗い目でガイが呟いた。

「そういえば、惑星譜術の触媒も集め切れてないよな」と言うと、ジェイドが応える。

「そうですね。惑星譜術の復活に必要だという六種の触媒のうち、私たちが入手できたのは、今のところ四種だけです」

「惑星譜術の触媒とされている割に、それぞれの武器は扱いがずさんですね」

 ティアが言った。家宝として大事にされていた魔槍ブラッドペインはともかく、その他の武器は野ざらしになっていたり、廃工場に放置されていたり、皇帝の部屋でガラクタに埋まっていたりしたのだから。二千年前から伝わる曰く付きの武器としては、あまりといえばあまりな扱いではあろう。

「いえ、触媒だと知られていないからこそ、ずさんなのでしょう」

 ジェイドはそう返した。

「確かに、こんな武器を集めて譜術が使えるなんて、想像しないからな」

「ええ。……でもこの存在に兄さんたちが気付いてしまうと恐ろしいことになるわ」

 ガイの声に頷いて、ティアは僅かに目を伏せる。惑星譜術は他に例がないほどに強力無比であるという。そんなものが、世界を破壊して入れ替えようとしているヴァンたちの手に渡ったとしたら。

「触媒はまだ全て探し切れていない。頑張りましょう」

 目を上げると、力を込めて彼女はそう言った。




 客室で、ベッドの縁にルークは腰掛けていた。

 灯りは点けていない。障気が発する紫の光が窓から差し込み、ぼんやりと室内の様子を浮かび上がらせている。

「……生きる……死ぬ……」

 小さく呟いていた時、カチャリと部屋の扉が開いた。廊下の音素フォニム灯の光がくっきりと床に型を描いている。

「ルーク、やっぱり起きてたんだ」

「アニス」

 顔を覗かせたのは、ヌイグルミを背に負った少女だった。

「ご飯食べなかったし、お腹がすいて眠れないんじゃないかなーって思ったんだけど」

「そ、そんなんじゃねーよ」

 幾分憮然として返すと、もとよりそう思ってはいなかったのだろう、アニスは気にした風もなく歩み寄ってきてルークの前に立つ。しかしすぐに言葉を継ぐでもなく、間を誤魔化すように視線がさまよって、ベッドサイドの小卓の上で止まった。

「あ、預言書スコアロール

 ローレライ教団の経典であるそれは、大抵の宿に備え付けられている。簡素な装丁の本を手に取ると、アニスはパラリと表紙をめくった。声に出して読み上げる。

「……『まず始めに「虚空」があった。虚空は世界であり命そのものであった。虚空は音を生み、音は分離を促した。かくて世界は、古き約束の大地と虚空の記憶とに分離した』」

「何となく聞いたことあるような……」

「預言書の序文だからね。家庭教師から聞いたことがあるのかも」

 そう言って、「知ってる? ルーク」と、アニスは悪戯っ気のある大きな瞳をルークに向けた。

「ダアト港に石碑があったでしょ。あれに、この序文と同じ文章が書いてあるんだよ」

「え、そうなのか? 全っ然気が付かなかったな……」

 思わず引きこまれた様子のルークに笑って、「古代イスパニア語で書かれてるからねぇ。ルークじゃ読めないよね」と澄ましてみせる。

「う。悪かったな……」

「まあまあ。一般の信者も大抵読めないし。ダアトのあるパダミヤ大陸には石碑が三十三個あって、その全部に古代イスパニア語で教団の歴史が書いてあるんだ。港の石碑は第三十三石碑で、それから第一石碑まで、順番に下って巡るのが石碑巡礼って訳」

「へえ……。でも、三十三箇所も巡るなんて大変そうだな」

「初心者向けには五大石碑巡りもあるよ。それならすぐ終わるし。ルークがやりたいなら、アニスちゃん、今度案内してあげちゃう」

「そういやアニス、前にダアトの石碑の前で信者に何か説明してたよな」

「いいバイトになるんだよね。……ホントはいけないんだけどさ」

 ぺろりと舌を出すと、アニスは声の調子を改めて言い始めた。

「――こちらをご覧下さい。ここが第三十三石碑。通称始まりの石碑と言います。この石碑は天地創造を表しておりまして、始まりや誕生を司ります。出会いを求める若者や、子宝を望むご夫婦に人気がありまーす」

「なるほど……」

「ルークにも恋人できるといいねv アニスちゃんがなったげてもいいけど」

 アニスは可愛く身をよじる。「どうせ財産狙いだろ」とジトリとルークが睨むと、「当然」と胸を張った。

「……はいはい。で、他のは?」

「五大石碑巡りだと、次は第二十七石碑だね。

『その娘ユリアは生まれて七日目に自立し、七歩目の足を踏み出した時ローレライの声を聞いた。これが虚空の記憶が人の元へと回帰した瞬間であった』」

「生まれて七日で!? 嘘だろ!?」

「ルーク。これは伝説。偉い人には伝説が付き物でしょ。ルークだってそのうち公爵継いだり王様になったら、ローレライの力を継ぐ英雄とか言われちゃうんだって」

「……身も蓋もないなー」

「で、こちらの石碑は成長を司っておりまして、学問所を目指す若者や、小さなお子さんを持ったお母様に人気がある石碑でございまーす」

「勉強はいいや」

「ま、確かにルークは世間知らずで馬鹿だけど、勉強できない訳じゃないモンね」

「……」

 複雑な顔でルークは黙り込んだが、アニスは構わずに「次は第十八石碑。商売をやっている方に人気の石碑で〜す」と続けている。

「『ローレライはユリアに虚空の記憶を読み取る鍵を授けた。鍵はユリアにローレライの力を貸し与えた。ユリアは七つの預言スコアを詠み上げた』」

「それって第一から第七までの譜石のことか」

「この世界を作り上げた預言の誕生だね。この辺りから教団の歴史になってくるんだ。史実と伝説が入り交じってるけど……」

「預言を信じる人たちにとってみれば、全てが真実なんだな」

「うん。信じるっていうのはそういうことなんだと思う」

「でもどうしてこの石碑が商売人に受けてるんだ?」

「道具を使って物事を成し遂げる辺りがってことらしいよ。まあ、お布施をもらう為の方便だけどねー」

「ほんっと、お前、身も蓋もないな」

「大丈夫v ホントの巡礼ではこんなこと言わないもん」

 ケロリとしてアニスは笑って、「それで、次は第六石碑」と言うと、ふと声の調子を落とした。

「これは犠牲の石碑だね。

 ……『お前の裏切りは最初から預言に詠まれていた。だから私はお前を引き留めまい。ユリアの言葉にダアトは恐れおののいた』」

「あ、これは知ってるぞ。ダアトがユリアを裏切るところだろ」

 ルークは声を上げる。ユリアに関する伝説でも最も有名な場面だ。創生の時代、世界を救うべく各地を巡っていたユリアの周囲には十人の弟子が集っていたが、その七番目の弟子とされるダアトは、ローレライ教団設立と引き換えに敵対国にユリアを売って、投獄させたのだった。

「そう。……そこは許しを請いたい人たちが訪れる石碑なんだ。ダアトが罪の意識に苛まれてユリアを助けた後、自害して果てたってことを表してるから」

 アニスは説明を続ける。そして小さく笑って呟いた。

「私もダアトと同じだね」

「……アニス……」

 胸を突かれてルークは目を向けたが、アニスは預言書スコアロールを見つめたままだ。

「でも、私は自害なんてしないよ。だって悪いコトしたら、ちゃんと生きて償わないとだよ」

「……うん」

「この世界は預言と決別する。ローレライ教団には、イオン様が目指してた、人を縛るのではなく、救い解放する宗教になって欲しい。っていうか、アニスちゃん、してみせるしね」

 アニスは顔を上げた。真っ直ぐな視線がルークを射抜いてくる。

 イオンの死は、アニスの心に塞ぎ切れない大きな穴を空けているだろう。だが、アニスは恥じずに顔を上げ歩き続けることを選んだのだ。それこそが己の贖罪の道だと定めて。

 犯してしまった罪は消えない。イオンも、アクゼリュスの人々も生き返らない。その責任を負って、生きるということは。

「俺もそう思う。俺……生きてる限り償い続けたい」

「くじけそうになった時は、第六石碑に足をお運び下さ〜い。えへへ……」

「……ははは。そうする」

 ぎこちなく二人が笑い合った時、開いたままだった戸口に人影が立った。

「アニス? ルークの部屋にいるの?」

「ティア」

 目を瞬かせて、ルークは彼女の名を呼ぶ。

「ルークが眠れないみたいだから、アニスちゃんが楽しい石碑講座を開いてたんだよ」

 そう言って、アニスはニヤリと笑った。

「でも、もう行くね。お邪魔みたいだし」

「え、どうして? 別に邪魔なんかじゃないけれど……」

 不思議そうに言ったティアに、アニスは大仰に肩をすくめてみせる。

「あのさ、ティア。たまには妬いてみせるのも駆け引きの一つだよ」

「……な、なんのこと?」

「おい、よく分かんない話をしてるなよ」

 怪訝そうなルークを見て「お子様だよねー」ともう一度肩をすくめると、アニスは背のヌイグルミを揺らして部屋を出て行った。

「アニスの奴、何言ってるんだ?」

「さあ……。それよりルーク、眠れないの?」

 ティアが近付いてくる。「うん……」と声を返して、ルークはふと訊ねた。

「……なぁ。ダアトはユリアを裏切ったんだろ。ユリアはそのことも知ってたのかな?」

「知っていたなら止めればよかったのに……?」

「……うん。そう思った」

「言い伝えでは知っていたことになっているわ。でも真実は分からない。知らなかったのかもしれないし、知っていて止めようとして……」

「……でも止められなかったってこともあるか。そうだな」

 ルークは目線を落とす。

 予め知っていることと、何も知らないということ。その差は、さして大きくはないのかもしれない。唯々諾々と惑星預言プラネットスコアを詠んで死んでいったイオン。預言スコアに従うばかりの世界を憎悪してレプリカと入れ替えようとしたヴァン。それらを止めようとして、止めたつもりでいて、自分たちは翻弄されているばかりだ。警告されていた障気の復活にもなす術がない。かつての大地の崩落をティアやアッシュは予感して止めようとしていたらしいが、アクゼリュスは落ちた。――ルークが落とした。ヴァンに言われるまま、何も知らないままに。

(生きてる限り償い続けたい……残りの人生全部使って。それは本当の気持ちだ。だけど……)

「ルーク……?」

 俯いたままのルークに、ティアが気遣わしげに呼びかけてくる。

「死ぬって何なんだろうな」

 ぽつりとルークは言った。一瞬みはった目を、ティアは静かに伏せる。

「……そうね。全ての終わりかしら」

 失われた人々を想ったのだろうか。寂しげな色が滲んだ声を聞きながら、「そうだよな……」とルークは頷いた。

(終わらせることで始まるものがあるんなら……俺は……)

「ルーク。顔色が真っ青よ」

 ティアの声が聞こえる。

「何を考えているのか知らないけれど、人間は夜、悲観的な考え方しか出来ないと言うわ。……もう寝ましょう?」

「……そうだな。分かった」

 優しい声にルークは頷いたが、ティアと目を合わせる事は、ついになかった。


「私、もう少しみんなと一緒にいて、考えたいんです。私がこれからどうしたらいいのか」

 イオンが死んだ時、アニスはそう言っていました。「私が死ねばよかった」とも。

 メインシナリオとそれに付随するフェイスチャットだけ見ていると、ダアトを後にしてからのアニスは(幾つかのイベント時を除いて)それまでの態度とまるで変わっていないように見えて戸惑います。

 サブイベントとの関係もありますし、ゲームとしては構造的に仕方ないことなのですが、アニスがイオンの死を忘れてしまった、気にしていないかのように思えて、少々理不尽な思いに囚われたプレイヤーも多いのではないでしょうか。

 

 ダアトからベルケンドへ行き、アッシュの消息を聞くと、ダアトでサブイベントを起こせるようになります。(第一石碑――教会入口の階段右の石碑前に行くと発生。階段左の第二石碑の前で終了。)

 石碑巡礼の経験がないのは自分だけだと知ったルークが、仲間たちに勧められて五大石碑巡りをするというイベントで、案内役としてティアかアニスのどちらかを選択します。ティアを選ぶと普通に教義について学ぶ感じなのですが、アニスを選ぶと もっと砕けたローレライ教団への信仰なども分かって、より興味深いです。なにより、アニスとルークが裏切り者のダアトに絡めて贖罪に付いて話し合うシーンは見逃せないと思います。

 アニスは「私は自害なんてしないよ。だって悪いコトしたら、ちゃんと生きて償わないとだよ」と言います。そして、イオンが目指していた人を救う教団を作り上げてみせると決意を述べます。

 多分、これがダアトを出る時にアニスの言った「これからどうしたらいいのか」という自己問題への答えなのだと思います。

 

 このように考えてみると、アニスが普段と変わらないような態度をとっていること、そしてこの位置にこのサブイベントが配置されていることにも意味が見えてくる気がしたり。

 いかにも罪の意識に苛まされていますという顔をして、ショボンとうな垂れているのは、ある意味では楽なのですよね。でも、アニスは(自分のため、仲間たちのために)意識的にそれを避けているのだろうなと妄想しました。それはとても難しいことだと思いますが。自分独りで答えを見つけて行動したり、この辺、アニスはルークよりも強いなぁと思います。(でも、ルークの分かり易さはまた、人間として愛すべきものだと思っているのですが。)

 

 ところで、アニスが「確かにルークは世間知らずで馬鹿だけど、勉強できない訳じゃないモンね」と言いますよね。

 アニスは不必要な時におべんちゃらを言う人間ではないので、本当にそう思っているのだろうと思います。つまり、ルークの言動は馬鹿だけど、頭はいいんだな、と思わせる何かがあったってことですね。

 アニスが感心することですから、何か実利的なこと…。例えば、ルークと買い物に行った時にお金の計算(暗算)が速かったとか、そう言う感じかな、と勝手に考えています。あるいは、何かを覚えさせた時に物覚えがやけによかった、とか。



 素朴な疑問。

 第六石碑は通称「犠牲の石碑」。ダアトの裏切りを記しています。で、石碑巡りのサブイベントで見ると、それは街の外、郊外らしき場所にあります。

 ところが、思い返してみますとレプリカ編冒頭、ルークとティアがアニスに再会するシーン。ダアトの第一自治区の街中、賑やかな商店街の真ん中にある石碑(第三石碑)の前で、アニスは「……ですからぁ、この石は犠牲を表しているのです」と言ってたんですよね。

 …えぇー!?

 犠牲を表す石碑は複数あるってことなんでしょうか。ちょっと気になります。


 極点に近いシルバーナ大陸は常に薄明の中にある。といっても、障気に包まれた現状では、どの大陸でも さして変わり映えしないと言ってもよかったが。

「では、私はケテルブルク港に戻っています」

「ああ、悪いな。頼む」

 艇内に戻るノエルに、ガイがそう返している。

 以前は水平で硬い場所にしか着陸できなかったアルビオールだが、たった一ヶ月の間に改良されて、柔らかな雪や砂の上にも降りられるようになっていた。その性能を生かしてロニール雪山の登山口までルークたちを運んでくれたが、ここで停泊していて、また浮力機関でも凍り付いてしまったら手に負えない。

「……」

 仲間たちとノエルがやり取りする声、アルビオールの離陸音。それらを他所に考えに沈んでいたルークの側に、雪を踏んで近付いてくる人影がある。

「……まだ悩んでいるんですか?」

「ジェイド……」

 ルークは目を上げた。その顔色は冴えない。

「ガイたちが心配していますよ。ルークが柄にもなく考え込んでいると」

「一万人の第七音譜術士セブンスフォニマーの犠牲……? そんなことでも起こさなきゃ、障気は消せないってのか……」

 揶揄を込めた声にもルークの表情は変わらなかった。訴えるような目を向けられて、ジェイドは軽く失笑する。

「おっ……イヤミにも乗ってきませんか。これは深刻ですね」

「ジェイド! だって他には……」

「一万人殺し」

 冷めた声が落ちて、ルークは詰め寄っていた身をハッと引いた。

「アクゼリュスを消滅させ、シェリダンの皆さんを傷つけ、大勢の『敵』と分類された名も知らぬ人々を手にかけ、これ以上まだ両手を血で染めますか?」

「……それは……」

「やめなさい。あなたには無理です」

 冷たく言い捨てると、ジェイドは背を向けた。そのまま振り向かずに歩いていく。

「でも、これはイオンが最後に残してくれた預言スコアだ……」

 足元に目を落として、それでもルークはそう言った。

「イオンにはその未来も見えていたんだ……」

 雪混じりの風が吹き抜けて赤い髪を揺らしている。

(教えてくれ、イオン! お前ならどうする?)

 その問いに答える者はいない。





 障気の中で、雪山はまるで夕闇に沈んでいるかのようだ。

「アッシュの奴、本当にここにいるのかな」

 歩きながらルークは呟く。

「せめて俺もあいつに呼びかけられればいいんだけど」

「仕方ないさ。とりあえず、奥のセフィロトまで行ってみよう」

 目線を落としたルークにそう言ったガイが、ハッと足を止めた。雪道を誰かが降りてくる。二人――いや、三人だ。

「あらん。坊やたちもローレライの宝珠を探しているの?」

 降りしきる雪の向こうから現われたのは、長身の男女と岩のような小男。自称義賊団の『漆黒の翼』だった。

「なんでお前たちがローレライの宝珠のことを知ってるんだ!」

「そりゃあ、アッシュの旦那がうるせぇからな」

 詰問するルークを軽くあしらって、ヨークがそう答える。ウルシーが付け加えた。

「あんたが宝珠を手に入れ損ねたとかで、そりゃあ旦那はご立腹でゲスよ」

「お待ちなさい。ではここにアッシュはいるのですか!」

 声を弾ませたのはナタリアだ。身を乗り出した彼女を見て、ノワールが煩げに顔を顰めた。

「あらん。あっちもナタリアナタリアうるさいけど、こっちもアッシュアッシュとかしましいねぇ」

「ナタリアが六割、レプリカが三割、残りはヴァン。旦那の話はこれで出来てるからなぁ」

 ヨークが薄く笑う。

「……なんか想像つく」と、アニスが苦笑気味に笑い、「同感です」とジェイドが同調した。

「と、とにかくアッシュはいるんだな?」

「奥で宝珠を探してるよ。あたしらはここで待機さ」

 気を取り直したように続けたガイにノワールは頷く。ルークが声を上げた。

「アッシュを追いかけよう! 今度こそあいつと手を組むんだ!」

「言い争いになるのがオチだと思うけどねぇ……」

 小さく肩をすくめて、ノワールは二人の手下を連れて山を降りて行く。

「アッシュはローレライの鍵を受け取っていますのよね」

「そうですねぇ」

 興奮を抑えきれないという風に確かめるナタリアに、軽くジェイドが頷いた。

「漆黒の翼の話を考えると、アッシュの鍵はローレライの剣……ですの?」

「アッシュは宝珠を探してるんだ。あいつが持ってるのは剣だろうな」

 ナタリアにとっては、アッシュと逢えるのは二ヶ月以上ぶりだ。それを思ったガイが笑って返すと、ルークがぼそりと呟いた。

「ローレライの剣……。第七音素セブンスフォニムを結集させる剣……」

 そのまま青い顔で黙り込んでいる。ハーッ、と大きな溜息をジェイドが落として、ナタリアが目を瞬かせた。

「あら、大佐。随分大きな溜息ですわね」

「……失礼。物分かりの悪い子供は苦手なものでね」

 あからさまに不機嫌な様子で言って、ジェイドは大股に先に歩いて行く。呆気にとられた顔でガイがルークに訊ねた。

「お前、なんか怒らせるようなコトしたか? ジェイドのああいう態度は珍しいぜ」

「……べ、別に……」

 ルークは口を閉ざす。頑なな様子を見て、ナタリアが拗ねたように唇を尖らせた。

「聞くまでもありませんわ。ルークが悪いんです」

 歩き出した二人の背を見て、ルークは小さく息を落とす。

「……俺って信用ねぇなぁ……」

(その通りだけどさ)

 内心で独りごちた。

 一万人の第七音譜術士セブンスフォニマーを犠牲にし、自分自身をも殺して障気を消す。こんなことを考えていると知ったら、他の仲間たちもジェイドと同じように呆れ憤ることだろう。

(だけど、俺は……)

 仲間たちの後を追ってルークも歩き始める。ぎゅっ、と踏みしめた雪が鳴った。


 ダアトを出る時、ルークはイオンの遺した物とはいえ、預言に頼れば、いずれそれに縛られるのではないかと懸念していましたが。

 果たして、ルークはしっかりイオンの預言に縛られてしまっています。イオンが命を賭してその未来を詠んだのだから、それに従うのが正しいんだと思ってしまっている。誰かに頼ってそれに従ってしまうという、ルークの弱さが出ちゃいました。あと、思い込むと人の話を聞かなくなるという欠点も。あーあ…。

 とはいえ、多分、イオンはベルケンドに行くことでルークの前にどんな道が提示されるかまでは視てなかっただろうと思うんですが…。(イオンの性格なら、あの結末を知ってルークにそれを告げるとは思えないので。) それとも、この道以外の未来はもっと悪い結果になるものだったんでしょうか。


 以前の記憶に頼りながら雪道を歩く。やがて大きな亀裂の側に出て、僅かな細い道を辿ってセフィロトの扉の前に降りた。以前訪れた時、ここは最初は氷雪で隠されていた。六神将との激しい戦いが雪崩を起こし、それによって初めて扉が現われたのだ。

「結局、ここで雪崩に巻き込まれた人間は、みんな助かったということですわね」

 ふと足を止め、ナタリアがしみじみとした口調で言った。「そういうことになるな」とガイが返す。

 リグレットも、アリエッタも生きていた。ラルゴの安否は未だ確認してはいないが、恐らく生きているのだろう。

「教官たちはどうしてモースに協力するのかしら。モースと兄さんの目的は違っていた筈なのに……」

「ですが、以前から協力している節は見受けられました。利害が一致している時は手を組む……或いは、お互いがお互いを利用しているのかもしれません」

「少なくともモースは六神将を手下にしたと思ってるみたいだったよ。六神将の方は違うみたいだけどね」

 ティアの疑問にジェイドとアニスが答える声を聞きながら、ルークはキラリと足元で光を反射したものに気付いて、屈んでそれを拾い上げた。

(なんだ、これ?)

 それは銀色のロケットだった。鎖が付けられていて、ペンダントになっている。蓋を開くと、中には赤ん坊の写真があり、蓋の裏に文字が刻んであった。

(新暦1999年。我が娘メリル誕生の記念に……?)

 閃くものがあって、ハッとルークは息を呑む。

「……どうしたルーク? 何か見つけたのか?」

 様子を見ていたガイが声をかけてきたが、ルークは慌ててそれをポケットに突っ込んだ。

「い、いや、ただのゴミだった」

「……ふーん」

 ガイは目を細めたが、それ以上追及はしなかった。ジェイドも赤い瞳でじっと見ていたが、ルークはそれらに気を払う余裕もなく、忙しなく頭の中で考えている。

 偽の王女として処刑されそうになっていた時、アルバイン内務大臣やモースが口にしていたのだ。この名前は、確か……。

(メリルって、ナタリアの本名だったよな? 生まれた年も同じだし……。偶然か?)

「ごめんなさい。わたくしが余計な話をしたから、足を止めてしまいましたわね。先を急ぎましょう」

 ナタリアの声が響く。一行はセフィロトの扉をくぐった。

 セフィロトの内部は、相変わらず不思議な光に煌々と照らされている。セフィロトツリーを消滅させても記憶粒子セルパーティクルの流れ自体は消えないということか、光の粒がキラキラと舞い上がり続けていた。

「……ナタリアの誕生日って、1999年のレムの月だったよな」

 歩きながら、何気ない風を装ってルークはナタリアに訊ねた。

「ええ」

 とはいえ、唐突だ。少し不思議そうに返してから、ナタリアはニコッと笑った。

「あら、贈り物して下さるの?」

「へ?」

「そういえば、丁度ナタリアの誕生日の頃は、マルクト領をうろうろしてたもんな」

 後ろを歩いていたガイが、記憶を探る顔で言う。

「あ、そうか……。ティアと飛ばされたすぐ後ぐらいだもんな……」

 レムの月、レムの日の三十七日。ティアとの間に起こった擬似超振動で屋敷の外に飛ばされたのはその二週間ほど前だった。だから、今年はナタリアに何も贈ってはいない。

「まあ。素晴らしい贈り物、期待していましてよ」

 すこしおどけた口調で、けれど嬉しそうにそう言われて、ルークは小さな声でぼやく。

「ロケットの日付、確認したかっただけなのに……」

「ロケット?」

 聞き咎めたガイが問い返してきて、慌ててルークは声を張り上げた。

「わ……な、何でもないっ!」

 事は重大だ。下手をすればナタリアが傷つく。

(ハッキリするまでは、誰にも気付かれないようにしないとな……)

 ガイやナタリアの視線を振り払って、何食わぬ顔を心がけた。

 ルークの抱える秘密は増えるばかりだ。





 パッセージリングの操作盤は開いたままになっている。その前に立って、血のように赤い髪を腰まで垂らした男が、奇妙な形の剣を横にかざしていた。

 刀身が白光を放つ。だが、すぐに光は消えて何事もない。

「……ここにも宝珠の気配はないか」

 剣を下ろして呟いた時、背後から聞き覚えのある声が掛かった。

「もしかして、その剣がローレライの鍵なのか?」

 振り向けば、案の定、見慣れた連中が間抜け面をさらして雁首を揃えている。

「またお前たちか」

 鬱陶しい思いでアッシュは眉根を寄せたが、金色の髪の少女が駆け出てきたのを見て眉を戻した。

「アッシュ、教えて。ローレライはどこに閉じ込められていますの? それにヴァンは生きているのですか?」

「お前ならローレライと連絡が取れるんだろ? ローレライがどこにいるのか知ってるんだろ?」

 ナタリアの後ろから、耳障りな声でレプリカが問う。

「……いや、外殻大地降下の日からローレライの声は聞こえない。呼びかけにも応じない」

被験者オリジナルのお前でも駄目なのか……」

「それならお前が知ってることを話してくれないか?」

 肩を落としたルークに代わるようにガイが願った。ムッとする間もなく、ナタリアが口を添えてくる。

「アッシュ、お願いですわ!」

「元々ローレライは、地核からの解放を望んでいたようだ。俺やルークに接触したのも、地核に留まることでこの星に悪影響が出ると考えたためらしい」

 アッシュは答えた。「確かに、ティアの体に乗り移ったローレライはそんなことを言っていましたね」とジェイドが言う声が聞こえる。ナタリアが問いを重ねた。

「それなら、ローレライが閉じ込められている場所は地核なのですか?」

「いや。今はいない。ローレライはお前たちがヴァンを倒した後、地核から消えた」

「なら、どこに……」

 ルークが呟く。苛立ちをこらえて、アッシュは説明を続けた。

「……奴は俺との最後の接触で言っていた。ヴァンの中に封じられた、とな」

「兄さんは生きているのね!」

「だけどあの時の総長、ものすごい怪我だったよ。あの状態でどうやって……」

 ティアは叫び、アニスはこめかみを揉みながら不審げな顔をしている。

「そこまで俺には分からない。とにかくヴァンはローレライを体内に取り込んだんだ。第七音素セブンスフォニムには癒しの力がある。それがヴァンにとっては幸いしたんじゃないか?」

「もしそうなら、ローレライの解放ってのはヴァンからの解放ってことか?」

 ようやく理解した顔でガイが言った。

「そうだ。ローレライはオールドラントの重力を離れ、音譜帯の七番目の層になることを望んでいる。その為に俺はローレライの宝珠を探している。この剣にはめる宝珠がなければ、剣は鍵としては機能しないからな」

 アッシュは剣を示した。宝珠をはめるような穴はないが、不思議なことに、刀身が音叉をかたどった柄から浮き上がっている。どうやら、その隙間に宝珠を差し込むらしかった。

「そうか……。ローレライの鍵で解放してくれって言ってたもんな」

 ルークは頷いている。ティアが言った。

「ユリアの伝説通り、鍵にローレライそのものを宿して、成層圏の遥か上空にある音譜帯へ導くのね」

「でも、宝珠はどこにあるんだ……」

「お前が!」

 まるで他人事のような呟きを聞いて、カッとアッシュの頭に血が上った。

「お前がローレライから鍵を受け取っていれば、こんなことにはなっていなかったんだ!」

「俺が……?」

 ルークは戸惑った顔をしている。こいつは本当に分かっていないのだ、と理解すると、吐き気のするような怒りを感じた。

「恐らくセフィロトを通じてどこかに投げ出された筈だ。六神将の奴らも鍵を探している。もし奴らに奪われたら、ローレライを解放できなくなる」

「解放できないとプラネットストームが第七音素セブンスフォニムを生むため、更に激しくなって……」

 ナタリアが呟いている。プラネットストームが活性化すれば地核が震動し、地核が震動すれば障気が発生する。更に、地核の震動は大地を液状化させ、セフィロトツリーを再び発生させる技術は現代にはない。つまり。

「この世界は滅びる」

 ティアが一足飛びの結論を述べた。

「……そういうことだ」

 そう返すと、アッシュは身を翻して歩き出す。慌てた様子でルークが呼び止めた。

「アッシュ! 待てよ! どこへ行くんだ!」

「ここにも宝珠はなかった。別の場所を探す」

 立ち止まりはしたが、アッシュは振り返らない。それでもルークは呼びかけた。

「なら一緒に探そう!」

「レプリカと馴れ合うつもりはない」

「レプリカだから、お前の助けが必要なんじゃないか!」

 その言いようが、押さえつけていた怒りを弾けさせる。振り向いてアッシュは怒鳴りつけた。

「いい加減にしろ! お前がそんな台詞を言える立場だと思ってるのか!」

「やめなさい! 二人とも喧嘩している場合じゃないでしょう?」

 ティアのきつい叱声が飛び、気が削がれた思いでアッシュは口をつぐむ。

「……俺は他のセフィロトを回ってみる。お前が受け取り損ねた宝珠の場所を見つけるには、それしかないからな。お前たちはお前たちで勝手にしろ。何か分かったら連絡ぐらいはしてやる」

 それだけ言うと、アッシュはその場を立ち去った。


 アッシュの視点で見ると、ルークはホントに馬鹿なので、ムカムカする気持ちもまぁ分かるんですが…。(おまけに、凹み過ぎた反動でルークの悪い性格が出てきちゃってて、それが尚更イライラさせますし。)

 でもローレライとの接触が上手くいかないっていうのは生まれつきの能力の問題なので、そのフォローくらいしてあげてもよかったかも。(ルークへの恨みが大きいから、そんな親切をしてやる余裕なかったっつーのも分かるんですけどね。しかし世界の存亡に関わる問題ですので。意地張ってる場合じゃないぞ。)

 アッシュは教師には絶対不向きな性格だという気がします(苦笑)。「こんなことも分からねぇのか、この屑がぁ!!」と怒鳴りつけて子供をぺしゃんこにして、父母の間で吊るし上げられてワイドショーで取り沙汰されて免職されそう。

 

 あ、そうです。『アビス』の世界って「写真」は存在してない感じがしますし、また、そぐわない気もしてしまうんですが…。

 ルークが拾ったロケットペンダントの中に「写真」があったということは、ルークの日記に明記されています。なんかすげー意外です。


「港が封鎖されています」

 操縦席からノエルが言った。着岸するためにアルビオールを海面に降ろしていたのだが、港の周囲には軍艦や兵士たちがうようよしており、「立ち去れ」とばかりに手を振っている。

 アッシュは行ってしまい、あれ以上雪山に留まる理由はなかった。そこでもう一つの懸案事項であった『旅の預言士スコアラー』を捜すためにバチカルに向かったのだが、港は使えないようだ。

「じゃあ、陸側に降ろすしかないな」

「では、アルビオールをバチカルの陸側に回します」

 ルークの言葉に従って、ノエルはアルビオールを舞い上がらせた。こういう時、水陸両用の飛晃艇は便利だ。




 かつて巨大な譜石が落下した跡に作られたというバチカルは、広深な穴の中にある。陸側から入るためには長い橋を渡るしかなく、砦としては優れた形だと言えた。

「なんだか随分慌ただしいね」

 普段はしゃちほこばっている兵士たちがバタバタと橋を走っていった様子を見て、アニスが眉をひそめる。ルークは出入口を守っている兵士に詰め寄った。

「おい、何かあったのか?」

「ダアトから手配中のモースを発見して連行したんだ!」

「なんですって!」

 ティアが顔色を変えた。兵士が話を続ける。

「だが、隙をついて逃走されてな。これから街を封鎖して捜索するところだ」

「なるほど、それで港が封鎖されてたんだな」

 得心顔でガイが呟き、ナタリアが高揚した声で言った。

「では、まだモースはバチカルのどこかにいるのですわね」

「よし。俺たちもモースを探そう!」




 バチカル港には常ならぬ緊張感が漂っている。

 兵たちを追って街に駆け込めば、モースは港へ向かったらしいとの情報を得ることが出来た。市民たちの間を凄まじい勢いで突っ切って、港行きの天空客車に乗った太った男がいたという。一般の立ち入りは封じられていたが、ナタリアの顔を使って港に向かう。

「いたぞ!」

 港に散らばっていた兵たちの間から声が上がった。見れば、コンテナの陰から飛び出していく法衣の男が見える。

「モースの野郎!」

 雄叫んでルークが走った。その後から、アニスが吐き出すように叫んで追う。

「……捕まえる!」

「ですの!」

 ミュウも懸命に走っていた。

「皆さん。頭に血を上らせたままでは……」

「あのような卑怯者、聖職者の風上にも置けませんわ!」

 たしなめかけたジェイドの声に、飛び出していくナタリアの強い声がかぶさる。並んで駆け出したのはティアだ。

「導師イオンの仇を!」

「……いつも冷静なティアまでか」

 ガイは少し困った様子で呟いていた。傍らでジェイドが肩をすくめる。

「まっ、気持ちは分からないではありませんが……」

「こんな時ほど、俺たちは冷静に、だな」

「そういうことです」

 成人二人は苦笑して顔を見交わす。すぐに、自分たちもモースを捕らえるべく走り出した。




 逃げるモースは埠頭の端に追い詰められていた。

「うぬぅ! もうすぐエルドラントが浮上するというのに捕まってたまるか!」

 憎々しげに吐き捨てるが、その先は海だ。使える船はない。

「待て! モース!」

 真っ先に追いついて、ルークがその前に止まった。後ろに駆け込んで来たティアが険しい声音で叫ぶ。

「潔くローレライ教団の査問会に出頭し、自らの罪を認めなさい」

「冗談ではない! 罪を認めるのはお前たち預言スコアを無視する愚か者共だ! 私は正しい! お前たちには何故それが分からぬのだ!」

 両手を広げてモースが訴えた時、「そうですとも、モース様!」と、頭上から声が掛かった。

 豪華な安楽椅子に腰掛けて、銀色の髪の男が天から舞い降りてくる。

「おお、ディストか!」

「……ディスト。いっそのことず〜っと氷漬けにしておけばよかったかもしれませんねぇ」

 皮肉のこもった声で言われて、ディストはくるりと椅子ごと回ってジェイドに向き直った。

「だ、黙りなさい! あなたは昔からすぐ約束を破って! 卑怯じゃないですか!」

 キイキイと喚くと、モースに体を向ける。

「さあ、モース様、こんな奴らは放っておいて、エルドラントへ参りましょう」

「待て、ディスト! わしはこの場で導師の力を手に入れる」

「よろしいのですか? エルドラントで厳かに行う方が……」

 モースはルークたちを指差した。

「世界のあるべき姿を見失っているこの愚か者共に、わしの新たな力を見せつけるのだ」

「それでは……遠慮なく!」

 ニヤリと笑って、ディストはモースの額に手をかざした。譜術なのか小型の音機関を使ったのか、ディストの手のひらから紫色の光が走って、モースの額に何かの文様を描いていく。

 目を見開き、血相を変えたのはジェイドだった。

「ディスト! 何をしているのです! その技は……」

「お黙りなさい。モース様が自ら望んでおられるのです。あなたに止める権利はない!」

 紫の光が消えた。同時にモースの全身が白く輝く。

「がはぁっ!?」

 モースの苦鳴が聞こえた。走った閃光に目を焼かれ、ようやく目を開いたルークが見たものは――真っ黒い、まるで風船のように膨れ上がった異形の存在だった。

「な、なんだあれは……」

 呆然とルークは呟く。あれはモースなのか。だが、一瞬前とは似ても似つかない。

「……私の眼と同じです。体に音素フォニムを取り入れる譜陣を刻んで譜術力を上げる」

 身構えながらジェイドが言った。

「ただあれは……第七音素セブンスフォニムを取り入れる譜陣です」

 それを聞いてティアが青ざめる。

「第七音素の素養のない人がそんなものを刻み付けたら、全身の音素が変異します!」

 その怪物の足は細く、殆ど退化して役を果たしてはいなかった。代わりにコウモリのような羽が二対あって、それで宙に浮いている。

ぐふぅ……ディスト!? なんだ、この醜い姿は!?

 時折ビクビクと痙攣しながら、怪物と化したモースは奇妙にくぐもった声で問うた。

「それは第七音素を暴走させないため、モース様のお体が最も相応しい形を取ろうとしているまで」

 椅子で怪物の前に舞い上がると、落ち着いた口調でディストは言い聞かせる。

「ご安心下さい。力は導師そのものでございますとも!」

 そう言われると、モースは太い両腕を広げた。喉から感に震える声が溢れ出す。

……おおお! これは……! 確かに力がみなぎってくる! これは始祖ユリアのお力か!

 大きな口を開けてニイッと笑い、そのまま身軽に舞い上がると。

わしはこのままエルドラントへ向かう。お前も後で来るがいい

 そう言い残し、モースは抜かれたシャンパンの栓のように、あっという間に障気で曇った天の彼方へ消えてしまった。

 まるで、悪夢のようだ。

「人間があんな姿になっちまうのか……」

 ややあって落ちたガイの声は、動揺を抑えきれずに震えている。

「素養のない第七音素セブンスフォニムを取り込めば、いずれ第七音素との間に拒絶反応が起こり、正気を失います」

 どこか沈痛な面持ちでジェイドが言ったが、ディストはケロリとしたものだ。

「モースは導師の力を欲しがっていましたから、本望でしょう。ま、私は実験が出来れば誰でもよかったのですがね」

「お前……!」

 カッとして怒鳴りかけたルークは、風のように飛び掛ってきたディストに突き飛ばされて転びかけた。再び宙に戻ったディストの手にしているものを見て、ハッとする。

「ハーッハッハッハッ! 第一音素ファーストフォニムの力を強く発散している剣。いただきましたよ」

 ルークが腰の後ろに差していた、闇の剣。惑星譜術の触媒の一つでもあるそれが、ディストの手に抱えられている。

「泥棒なんて、せこーいっ!」

 アニスが怒鳴ると、ディストはぐっと詰まった。

「だ、だまらっしゃい! この剣は、我が野望を叶える為に必要なのです。お前たち猿には宝の持ち腐れですよ」

「待て!」

 ガイが叫んだが、ディストを乗せた椅子は、素早く海の向こうに飛び去っていた。

「触媒を盗られてしまいましたわね」

「まさか、兄さんたちも惑星譜術の存在に気付いた?」

 ナタリアに続いて、ティアが不安げに呟く。だが、ジェイドは言った。

「恐らくはディストの独断でしょう。それに、他の触媒には目もくれませんでした。あの様子では惑星譜術とは関係なさそうです」

 周囲にいたキムラスカ兵たちが慌ただしく動いている。国際手配されていたモースをまんまと逃がしてしまったのだ。だが、異形と化した者が相手では、今後の確保は一層難しいに違いない。

「……モースの奴、あんな化け物になっても預言スコアを守らせたいのか」

 苦しげにルークは呟いた。

「人間が……あんな姿になっちまうなんて……。あれは一体どういうことなんだ」

「……第七音素セブンスフォニムを無理に扱えばどうなるかは、ディストならよく分かっていた筈なのに……」

 ティアも呟いて目を伏せる。

「……ああやって、体内に音素フォニムを取り込む技術も、私が幼い頃開発したものです」

 ジェイドが言い、ルークは驚いたように目を見開いた。アニスも唖然として息を漏らす。

「大佐って……ホント、何でも作ってますね」

「……時間を遡れるなら、私は生まれたばかりの自分を殺しますよ。まったく、迷惑なものばかり考え出してくれる」

「……それは困る」

 ぼそりとルークが呟いた。不思議そうな顔をしたジェイドを見上げて、アニスが小さく笑う。

「ルークもイオン様も生まれなくなっちゃいます」

 一瞬目を丸くして、ジェイドは皮肉に口を歪めた。

「……そうですね。起きてしまったことは変えられない、か」

 それが過ちから生じたものだとしても、既に彼は存在している。生きているのだから。

 全てを安易に否定することこそが、更なる罪を呼ぶのだろう。――ヴァンが、預言スコアで腐った世界を否定して、消滅させようとしているように。

 ――犯してしまった罪は消えない。逃げずにそれを見つめて生きることを、あの時自分は。

「そういえば、勝手に預言を詠んでるっていう預言士スコアラーはどこ行ったんだろう」

 アニスが話を変えている。ティアが彼女に顔を向けた。

「また別の街に行っているのかしら。モースの事も併せて、教団に報告した方がいいかもしれないわね」

「だが、現時点でローレライ教団の最高責任者は誰になるんだ?」

 ガイが疑問を口にする。口元に手を当ててティアは考え込んだ。

「……分からないわ。お祖父様になるのかしら」

「今のダアトには状況が分かってない人ばっかりだろ。俺はテオドーロさんでいいと思う」

 振り向いてルークが言うと、「だね……」とアニスが同意する。頭を抱えて、「あーあ、教団はどうなっちゃうんだろう……」と嘆いてみせた。

「テオドーロ市長に報告するってことは、次の目的地はユリアシティだな」

 ガイが言い、一行は天空客車の乗り場へ向かって歩き出す。ふと足を止めて、ルークはポケットから取り出したロケットを見つめた。

「ごめん。バチカルに来たついでに陛下に挨拶していきたいんだけど……」

 そう言うと、先頭にいたナタリアが振り向いて笑う。

「あら、そうですわね。参りましょう」

「あ……」

(まずいなぁ。ナタリアの前でこのロケットの話をする訳にもいかないし……)

「ルーク、行きますわよ」

「う、うん……」

 仕方なく、頷いてルークは歩き始めた。





 バチカル城の城門に至ったところで、ルークはもう一度提案を口にした。

「あ、あのさ。俺一人で陛下に会いたいんだけど……」

 仲間たちの視線がルークに集まってくる。

「まあ、どうしましたの? わたくしたちが一緒では不都合でもありますの?」

 何かを勘繰るようにナタリアが少し目を細めた。「そ、そういう訳じゃないけど……」と、ルークは所在無げに頭を掻く。

 その時、不意にガイが声を上げて笑い出した。

「ははは、馬鹿だなぁ。お前は嘘が下手なんだから正直に話しちまえよ」

「ガイ!?」

 ぎょっとしてルークはガイを見たが、その視線には構わずに奇妙なことを言い始める。

「実はね、ナタリア。こいつはピオニー陛下から私的な手紙を預かってるんだ」

「まあ、ならどうしてそれを隠しますの?」

「実はここだけの話ですが、陛下はあなたを王妃にとご所望なんですよ」

 次におかしなことを言い始めたのはジェイドだった。これには全員がポカンと口を開ける。無論、当のナタリアの動揺ぶりが一番すごかった。

「わ、わたくし!? わたくしにはルークが! あ、でもアッシュもいますわね。この場合どうなるのでしょう……」

 しどろもどろに言って、とうとう赤い顔を俯かせてしまったナタリアを見ながら、ティアはふと、何かが痛んだような顔をする。だが誰もそれには気付かずに、アニスの「ナタリアずるーいずるーい!」という声が場に大きく響いた。

「ま、そんな訳で、ナタリアには秘密で手紙を渡してくれと言われてるのさ」

 澄ましてガイが結論づけると、ナタリアは俯いたまま、両手を胸元で組んで頷いた。

「……分かりましたわ。わたくし、ここで待ちます」

「お願いします。さあ、ルーク行きましょうか」

 朗らかにジェイドは言うと、がし、とルークの右腕を取る。

「へ? いや、俺一人で……」

 うろたえたルークの左腕を、がし、と笑顔のガイが取った。

「まあまあ、堅いこと言うな。行くぞ」

 長身の二人は、そのままルークをぶらさげて城門をくぐっていく。

「じゃ、私たちも行こうよ」

「え、ええ……」

 アニスは小走りに後を追い、釣られたようにティアも歩いていった。




 城内に入ってナタリアの姿が見えなくなると、ルークは仲間たちを見渡して困り果てた声をあげた。

「おい、ガイ! ジェイド! アニスにティアまで……」

 誰にも秘密にして確かめるつもりだったのに。

「ごめんなさい。なんだか成り行きで……」

 ティアはすまなさそうにそう言ったが、他の面々は泰然としている。

「お前、ロニール雪山でロケット拾ってたよな。それのことじゃないのか?」

「う、うん……」

 ズバリとガイに言い当てられて、反射的にルークは頷いてしまった。「なんだ、ばれてたのか」と気まずげに呟く。

「そりゃ、港で深刻な顔して拾ったロケット見つめてれば気になるさ」

 ガイは真面目な顔でそう言ったが、ジェイドとアニスは。

「ええ。野次馬根性です」

「で〜すv

 どこまで本気なのか。にこやかに言い切られて、少々反応に困る。

「……ナタリアには黙ってろよ」

 好奇心でいっぱいという顔をしたアニスにそう言って、ルークは諦めて歩き始めた。


 バチカル城の前で、ジェイドとガイに両脇から抱え上げられて運ばれていくルーク。

 この姿を見たプレイヤーの四割くらいは、例の『捕獲された宇宙人』の写真を思い出したのではなかろーかと思います。

 私は思い出しました。


 ノックをして私室の扉を開けると、書棚の前にいたインゴベルト王がルークを見て眉を上げた。

「どうしたルーク? おや、ナタリアの姿がないが……」

 杖をつきながら歩み寄ってくる。ルークも歩み寄って、ポケットから銀色のロケットを取り出した。傍らで見ていたアニスが、琥珀の目を見開く。

「陛下。これを見て下さい」

「これは!」

 ロケットの中には赤ん坊の写真がある。それを見て顔色を変えたインゴベルトに、ルークは言った。

「俺、赤ん坊の頃のナタリアって分かりません。でも陛下なら……」

「……これはナタリアだ。恐らく間違いないだろう。どこで見つけたのだ?」

「ロニール雪山です。六神将と一緒に雪崩に遭った場所でした」

「それ……前に見たことあるかも」

 戸惑う少女の声が聞こえた。

「チラッとだけど、確かラルゴが……」

 その場の全員が、驚いて声の主を――アニスを見つめる。

「本当か? 確かに条件が合いそうなのはラルゴくらいだけれど……」

「……ナタリアの乳母が暇をもらったそうだ。今はケセドニアのアスターの元で働いていると聞いた。行ってみるといい」

 暫くインゴベルトは黙っていたが、やがてルークにそう言った。

「分かりました」

「ナタリアには……言うのか?」

「陛下はどう思いますか?」

 逆に訊ねると、インゴベルトは苦しげに目を伏せる。

「……分からん。知らせてやった方がいいのか……。しかし相手がラルゴなのだとしたら……」

「はっきりした答えが出たら、一度陛下のところへ伺います」

「頼む」

 インゴベルトは頷き、そこで怪訝そうに眉をひそめた。

「……しかしルーク。どうしたのだ。陛下などと、お前らしくない」

「……俺、レプリカですから」

 スッとルークの目は逸らされる。王はルークの顔を覗き込んだ。

「それは要らぬ気遣いだ。わしにとって、お前も甥には違いないのだぞ」

「……はい」

 だが、ルークの視線はさ迷うままだ。




 王の私室を退出すると、ジェイドが早速のように口を開いた。

「驚きましたね。ナタリアがあのラルゴの娘とは」

「まだ決まった訳じゃない」

「……だが本当にそうだとしたら、辛いところだな」

 ルークとガイの声は沈んでいた。ラルゴがナタリアの実の父親なのだとしたら、彼女は知らずに父と殺し合っていたことになる。しかも、その殺し合いはこれからも続くのだ。

「どうするの? ケセドニアへ行く? でも下手な誘導するとナタリアにばれちゃうよ」

 アニスがルークを振り仰いで訊ねてくる。

「勝手に預言スコアを詠んでいる預言士スコアラーがいたわね。あの預言士がケセドニアに向かったと情報を仕入れたことにしたらどうかしら」

 ティアが考えながら言った。「うん。それなら、ナタリアも納得しそうだな」とルークは顔を綻ばせる。

「だけどいずれはナタリアに話すんでしょ? ナタリア……傷つくんじゃないかな」

「……そうね。血の繋がった家族が敵になるのは辛いと思うわ」

「うん。特にナタリアは、あれで脆いところがあるから心配だな」

 頷いてルークが眉を曇らせると、何故なのか、ティアはきゅっと口をつぐんだ。

「……そろそろナタリアの所へ戻りましょう。あまり待たせると、あのお姫様は何をしでかすか分かりません」

 ティアから視線を戻してジェイドが言い、一同は城門へ向かって歩き始める。

「うー……次から次へと、こう重い話が続くと……」

 歩きながらアニスが唸った。

「確かに滅入ってくるな」と、ガイも重い息を吐く。

「そうだな……」とルークは俯いた。

「あまり暗い表情をしているとナタリアにばれるわよ」

 ティアは平然とした顔だ。少なくとも、表面上は。言われた三人は、(頬を引きつらせながら)ぱっと明るい笑顔を取り繕った。ジェイドがのほほんと笑う。

「そうですよ。人生山あり谷ありでいいじゃないですか」

「だけど、ラルゴだぞ!」

 ムッとして、ルークは再び表情を険しくしたのだが。

「ならティアはどうなるんですか?」

 キツい声音で返されて、ハッと息を呑んだ。

「そうか……。総長はティアのお兄さんだもんね……」

 同じように目を瞠ったアニスが、苦しげに呟く。

「落ち込んでいる場合ではないです。こういう時こそ、冷静に」

 ジェイドは柔和に笑っていた。感傷に囚われるな、ということなのだろう。

「そうだな。真実を知って苦しむのは、俺たちじゃない。……ナタリアなんだもんな」

 呟いて、ルークは目を上げた。





 城門に出ると、ナタリアは大人しく階段に佇んで待っていた。

「お、お帰りなさい。あのお父様はなんて……?」

 うわずった声でルークを見上げて訊ねてくる。

「いや、アッシュがいるからって言ってたけど」

 当たり障りなく、ナタリアの納得する答えを返したつもりだったのだが、彼女は驚いたように問い返してきた。

「アッシュが? お父様はアッシュとわたくしをと考えていますの? ではあなたは……」

「あー、いや、だから俺かアッシュかってさ」

 咄嗟に、ルークは曖昧に繕ってしまう。

 形式上、ナタリアの婚約者は未だルークのままだった。彼がレプリカだということはバチカル上層では知られていたが、だからと言って、ファブレ家嫡男『では無い』と認定されている訳でもない。本物のルークの帰還が成されていないための宙ぶらりんな状態が続いているのだ。

 婚約は本来『キムラスカ王女とファブレ家嫡男』の間に交わされたものであり、彼らが赤ん坊の時にそれを定めたのは、国王と公爵だった。

「お父様は結局、ルークとアッシュ、どちらを選ぶのでしょうか……」

 微かに頬を染めて、ナタリアは落ち着かなげに声を落としている。

「ほえ? そんなのナタリアの趣味でいいじゃん」と、アニスが笑った。

「苦労続きの人生で、眉間の縦皺増えまくりのアッシュか、突然湧いた苦労に後ろ向きうじうじ君になって、眉尻下がりっぱなしのルークか」

「……なんかむかつく言い方だな」

 ルークはムスリと表情を腐らせる。

「……ナ、ナタリアは……どちらが好きなの?」

 ずっと押し黙っていたティアが、おずおずと口を開いた。何故なのか、ひどく恥ずかしそうだ。

「そ、それは……あの……」

 釣られたように、ナタリアの頬が更に上気する。

「いやですわ。そんなこと、言えません。それに、決めるのはわたくしではなくお父様ですし」

 拗ねたように言って、赤い顔を伏せた。ルークは益々むくれた様子で、つんと顎を反らす。

「……どうせアッシュだろ。変な気を遣うな。そもそも婚約者はオリジナルルークな訳だし」

「まあ、誰もそんなこと言っていませんわ! 第一、アッシュもルークも好きではないかもしれないじゃありませんの!」

「え? まさかガイ?」

 食ってかかった台詞を真に受けたのか、ティアが驚いた顔で言った。

「渋いところで大佐とか?」

 アニスはニヤニヤと笑っている。

「……おいおい。からかうのはやめろよ。ナタリアが困ってるぜ」

 流石に苦笑してガイが止めると、アニスは大仰に頬を膨らませた。

「ぶーぶー。コイバナは乙女の暇つぶしなんだよぅ!」

 これ以上は埒があかないと踏んだのか、ジェイドが口を出してくる。

「それより、城の中で気になる話を聞きました。例の預言士スコアラーがケセドニアへ向かったとか。ついでですから追いかけてみましょう」

「まあ、もしかしたらそのままマルクトへ向かうのかもしれませんわね。分かりましたわ」

 ナタリアは表情を引き締める。ティアを見て、「テオドーロさんへのご報告は、その後でよろしいかしら」と訊ねた。

「え、ええ。勿論よ」

「……じゃあケセドニアへ行ってみよう」

 どうにか誤魔化して話をまとめられたようだ。安堵して、ルークはナタリアの背を支えるように手を回した。この幼なじみを、このまま安全に歩かせてやりたいと思う。その様子を見ながら無言でティアが続き、城門の階段の上には三人が取り残された。

「……大佐ってホントに嘘が上手ですよね。しれっとしてますもん」

 アニスは息を落としてジェイドを見上げた。見下ろしてジェイドはにこやかに答える。

「いえいえ。心苦しくて仕方ありません」

「よく言うよ……」

 ガイが呆れた目で見やった時、ルークたちの方に目を向けたアニスが「あれ?」と声をあげた。

 メイドが一人、城の前の広場を走ってきたのだ。彼女はルークの前に止まると、両手を組んで訴えた。

「ルーク様! 大変でございます! どうかお屋敷にお戻り下さい」

 どうやらファブレ邸のメイドらしい。「どうしたんだ?」と訊ねたルークに、彼女は言った。

「奥様がお倒れになったんです!」

「なんだって!?」


 アッシュとルーク、どちらがナタリアの夫になるのか。そわそわするナタリアとティア。俄かに恋愛模様が盛り上がってまいりました(笑)。

 一周目をプレイした時このイベントを見て、ナタリアはまだレプリカルークと結婚する気があったのかと かなり驚いたものでした。崩落編の終わりに、ルークとの関係に決着を付けるようなイベントがあったからです。自分の好きな人はアッシュ。ルークは幼なじみ。はっきりそう線引きをしたんじゃなかったのか、と。

 しかし、後にシナリオライターインタビューで、ナタリアと『ルーク』の婚約は、二人が生まれた時に親が決めたものだと明かされたのを見て、自分の中で納得できるようになりました。

 ゲーム中では、二人の婚約は親が決めたものだとはっきり語る描写はありません。そして、子供の頃にオリジナルルークがナタリアに語った約束プロポーズの言葉は、物語の重要な鍵の一つになっています。ですから、私はオリジナルルークとナタリアは恋愛の結果として、自分たちの意志で婚約したのだと思い込んでいました。(だからこそ、十七歳で死ぬと預言に詠まれていたルークが王女の婚約者足りえたのだと。) しかしそうではなく、婚約は親が決めたもので、二人の恋愛はそれとは別個のものだったんですね。

 ナタリアは「愛する人はアッシュ」と自覚していても、親が定めるなら、国益の為に『婚約者』と結婚しようと覚悟しているのだと思います。

 

 また、レプリカルークとの婚約を否定する事は、単なる感情のもつれ以外の問題もはらんでいます。

 婚約者はレプリカルークではなくオリジナルルークだとはっきり定める事は、レプリカルークが『ファブレ公爵家嫡男』という社会的立場を失うことをも意味していると思われるからです。ファブレ夫妻、インゴベルト王、そしてナタリアが、外殻降下後一ヶ月、これらの問題を曖昧なままにしていたのは、それを懸念していたからではないでしょうか。アッシュが帰ってくれば話も詰めたのでしょうが、帰って来ませんし。

 ルークは「どうせアッシュだろ。変な気を遣うな」とむくれた顔をしていましたが、この宙ぶらりん状態は、周囲の人々が彼を『単なる偽者』として安易に処理することを否定したからこそ、なのかも?

 

 一方、ティアの方。

 外殻大地〜崩落編では、ルークがナタリアとの婚約の話をしたり、ナタリアを気遣ったりしても、さして気にする様子は見せなかった彼女ですが。はっきりと苦しそうな顔を見せるようになってきました。

 とはいえ、この辺は話の流れ方がどうにも微妙。

アニス「だけどいずれはナタリアに話すんでしょ? ナタリア……傷つくんじゃないかな」
ティア「……そうね。血の繋がった家族が敵になるのは辛いと思うわ」
ルーク「うん。特にナタリアは、あれで脆いところがあるから心配だな」
ティア「……」

 これは単に、ナタリアを気遣うルークを見てティアがちくりと嫉妬に胸を痛ませた、というだけのシーンなのでしょう。しかしこの会話の流れでは、「そうか、ティアも実の兄さんと殺し合わなきゃならなかったんだもんな」とルークに同情してもらうのを期待していて、なのにナタリアの方を気遣ったから…「お前は強いからいいけど、ナタリアは弱いから守ってやらなきゃ」と言われたかのごとく感じて傷ついた、という風にも見えてしまいます。しかも、この直後に発生するフェイスチャットでは、ナタリアの為に憤るルークにジェイドが「ならティアはどうなるんですか?」とキツく言っている。

 ここのエピソードで言わんとしているのは、多分「誰か一人だけが辛いということはないのだから、感傷に囚われて行動を鈍らせるな」ということなのだと思います。ですが。「Aさんはお気の毒ね」と言っている時に「じゃあBさんは可哀相じゃないのですか」と言うのって、普通に変でしょう。おかしいです。

 どうしてこんな会話運びになるのか。私には今ひとつ納得できません。

 しかも、この書き方は誤読を呼びやすいと思います。まるで『ナタリアよりもティアの方が可哀相なんだ』『ルークはティアのことを常に第一に考えるべきだ』と言いたがっているような。ティアを愛せと上から強制されているかのごとく思えてしまい、なんとなくムッとしてしまうのです。いわれなき反発を覚えてしまいます(苦笑)。

 まあ、ティアのことを意識しているくせに、彼女の前で平気でナタリアの肩を抱くルークも、無神経と言えばそうなんですけどね。

 ティアが障気蝕害で倒れた時は彼女の肩を抱いたり膝枕したりしてましたが(ついでに言えば、ガイがカースロットで倒れた時はガイの肩を支えてたし、フリングス将軍が倒れれば抱きとめてましたっけ)、ルークは人が弱ると触って支えようとする性質みたいです。普通の時は、ティアが自分の手を取っただけで真っ赤になって跳ね除けてたくせに、思えば不思議な奴です。女性恐怖症のガイが、救助活動の時だけは平気だとか言うのと同じ理屈でしょうか。

 

 ナタリアとルーク。互いに相手の恋を応援してみたり、かと思えば痴話喧嘩っぽいこともしてみたり。

 個人的に、この二人の間にはモトカレモトカノ的な空気が微妙にある気がして、それも結構好きです。


 屋敷に入ると、普段はかしこまって控えている執事が困惑顔で駆け寄ってきた。

「お坊ちゃま!」

「ラムダス。母上が倒れたって?」

「はい。旦那様もまだお戻りにはなれませんし、どうすればよいのか……」

「まさか、この障気の影響で……?」

 ティアがそう言うのを聞くなり、ルークは母の寝室へ向かって走り出していた。




「心配をかけてごめんなさい……」

 寝室で、ベッドに半身を起こしてシュザンヌは微笑んでいた。その前に片膝をついて、ジェイドが彼女の脈を取っている。

「障気のせいではないのよ。ただ、いつもの薬が切れてしまって……」

「足りなくなったなら俺買ってくるよ」

 ルークはそう請け合ったが、背後からラムダスが申し訳なさそうに声を出す。

「それが、奥様のお薬は特別に煎じさせている物で、市販の薬ではないのでございます。このところの混乱で材料の一部が不足しているらしく医者の方もお手上げで……」

「材料が足りないと言うのは、具体的には何が必要なんですか? 私たちにはアルビオールがあります。大抵の物なら取りに行けると思いますが」

「ティアさん……」

 強い声で言った少女をシュザンヌは見つめた。ラムダスが答える。

「ルグニカ紅テングダケでございます。ですが、栽培していたセントビナーは……」

「そうか……。くそ……どうしたら……」

 ルークは悔しげに唇を噛む。――と。

「ルグニカ紅テングダケなら生えてる場所を知ってるですの」

 救いの声は足元から上がった。

「おい、本当か?」

 見下ろした視線の先で、青い仔チーグルがハキハキと答えてくる。

「はいですの。ミュウたちが住んでいるチーグルの森の脇の川を北に進むですの。するとキノコがいっぱいのキノコロードに辿り着くですの。ルグニカ紅テングダケはそこに生えてますの」

「なるほど……。アルビオールで川を上って行けば、そのキノコロードってとこに行けそうだな」

 ガイが言い、ナタリアはシュザンヌに顔を向けた。

「叔母様。わたくしたちがルグニカ紅テングダケを採ってまいりますわ。しばらくご辛抱下さい」

「でも危険なのでは……」

「そんなの気にしてられるかよ」

 そう言い切った息子を見て、シュザンヌの眉が曇る。彼女がもう一度口を開きかけた時、片膝をついたままジェイドが言った。

「皆さん。少し冷静に。この方は今すぐ危険という訳ではありません。ルグニカ紅テングダケを煎じた薬なら滋養強壮の意味合いが強い。むしろ心配をかける方がお体に障ります」

「でも大佐……」

 珍しく、ティアが不満顔で一歩詰め寄ってくる。「ティア。落ち着けって」と、ガイが宥めた。

「ルグニカ紅テングダケ採りは私が禁止します。いいですね」

「ジェイド!」

 ルークも不満の声をあげたが、シュザンヌの強い声がかぶさった。

「ジェイドさんの仰る通りになさい、ルーク」

「母上……」

 目を見交わす母子の前に、ジェイドは立ち上がる。

「ご安心下さい、奥方様。彼を危険な目には遭わせませんから。さあ、皆さん、外に出ましょう」




 母の寝室を退出して応接室に入ると、ルークはジェイドの背に詰め寄った。

「ジェイド! どうしてあんな……」

「さあ、ルグニカ紅テングダケを採りに行きましょうか」

 振り向いたジェイドはふっと笑う。その場の全員がポカンとして彼を見つめた。

「大佐? だってさっきは……」

「過保護な母親の前で、息子を危険な場所に連れて行くなどと言ったら余計に具合が悪くなりますよ」

 困惑顔のアニスに、澄ましてそう言ってくる。ガイが渋い顔をして肩をすくめた。

「……やれやれ。嘘も方便とはいえ、あんたの嘘は嘘とも思えないからなぁ」

「ジェイド! ありがとう!」

「さすが大佐ですわね」

「別に礼を言われることはしていませんよ。それより行きましょう」

「そうですの! ご主人様のママさんを助けるですの!」

 仲間たちが盛り上がる中で、アニスはラムダスに首を巡らせて釘を刺す。

「ラムちゃん。このことは秘密だかんね」

「は、はぁ……。勿論でございます」

「なら早速キノコロードへ行きましょう」

 強い調子でティアが促した。





 アルビオールを水上走行モードにして河口に侵入した。シジス川を北に遡上し続けると、広々とした湖に出る。霧に包まれたその岸辺に、巨大なキノコが樹木のように林立する、奇妙な森があった。

「キノコロードですの」

 ミュウが嬉しそうにぴょんぴょん跳ねて言っている。

「なんて言うか……」「凄い所だな……」

 ガイとルークは顔を顰めて呟いていた。巨大なキノコの色味は毒々しいし、煙のように胞子が吹き出されているし、正直、気持ち悪い。魔物の気配も濃密に感じられる。

 なにやら粘つく地面を踏んで歩いていくと、すぐに、薄暗い中に佇んでいる人間の後姿が見えた。黒衣をまとい、赤い髪を腰まで垂らしている。

「……アッシュ!?」

 ナタリアの叫びを聞いて、彼は弾かれたように振り向いた。

「お、お前たち! こんな所で何を……」

「わたくしたちは叔母様の薬になるルグニカ紅テングダケを採りに来たのですわ」

 ナタリアが答えると、アッシュは気まずげに視線を沈めて「……ちっ……」と舌打ちする。

「……そうか。おまえも同じ目的か」

 ガイが得心顔で言った。

「……ち、ちが……」

 アッシュは反駁しかけたが、アニスに「わあ、照れてる」と笑われて、顔を更に朱に染める。

「黙れ! このクソガキ!」

「ちゃはー。怒ったー」

 アニスはまるで悪びれない。憮然としたのはアッシュだけだ。

「丁度いい。アッシュ。共同戦線を張りましょう」

 ジェイドが口を開いた。

「お前たちと馴れ合う気はない」

「ここは未開の土地です。連絡役を残しておいて、ある程度時間が過ぎても戻って来なければ救援を呼ぶというのが無難だと思いますが」

「それは名案ですわね!」

「人の話を聞けっ!」

「それなら、俺が残るよ」

 ルークが言い出し、仲間たちは驚いたように彼を見つめる。ティアが眉を曇らせた。

「ルークが? どうして……」

「俺の話を聞けと……」

「俺とアッシュは戦いの傾向が同じだろ。……同じ奴が二人いるよりどっちかが残った方がいいし、アッシュなら俺に連絡できるじゃん」

「便利連絡網があるもんね」と、アニスが言う。

「か、勝手に決めるな!」

「怒鳴らないで。魔物が寄って来たらどうするの」

 何度目かの声を張り上げたアッシュに、厳しいティアの叱声が飛んだ。「ぐ……」と詰まり、アッシュは拳を握り締める。

「お、お前たちと馴れ合う気は……」

「利用すると思えばいいのでは?」

 ジェイドはそんな逃げ道を提示し、ナタリアは真摯に見つめてきた。

「そうですわ。あなただって叔母様を……お母様を助けてあげたいのでしょう」

「……」

「……じゃあ俺、ここで待ってるから」

 黙り込んだアッシュの様子を見て、ルークが駄目押しをする。ティアが悲しげに訴えた。

「ルーク。自分を殺さないで。行きたいのなら、私が残るわ」

「……ありがとう。でもいい。アッシュと連絡とれるの俺だけだし。頼むぜアッシュ」

「……フン。馬鹿が……」

「ルークがそれでいいと言うなら……仕方ないか」

 不承不承ながらガイも承服する。

「ボクは残りますの。ご主人様といつも一緒ですの」

「了解です。では行きましょう、アッシュ」

「気をつけてな。母上の為に、頼むぞ」

 ルークに見送られて、アッシュたちはキノコの道を進んで行った。




 キノコだけで構成された道は不気味で分かりにくい。空は障気で曇っている上に霧まで立ち込めている。

「何て言ったっけ、キノコの名前」

 歩きながらアニスが小首を傾げた。

「……ルグニカ紅テングダケ」

 表情を変えないまま、アッシュが答える。

「何か毒がありそうな名前だよね」

「毒があるのはルグニカオオ紅テングダケの方だ」

「な、何か差がありますの」

 訊ねたナタリアに、アッシュは簡潔に答えた。

「毒がある」

「いや、そんなことは分かってるって」

 思わず、ガイが苦笑して口を挟んだが。

「なら聞くな」

「聞いたのはナタリアだろう?」

「……ナタリアのせいにするな」

 強めに言い捨てると、アッシュは大股に足を速めた。「あ、お待ちになって」とナタリアが後を追う。

(……なんか腑に落ちないんだが)

 怒ればいいのか、笑えばいいのか。腹の中で独りごちたガイの前で、「やっぱアッシュって、ボケ担当だと思うよ」と、アニスがニヤリと笑った。

「それにしても、本当にキノコばかりですね」

 周囲に目を配りながら、ティアがジェイドに言う。

「興味深い植生です。世界には、まだまだ知られていない秘境が存在するのですねぇ」

 ところどころに倒木があるので、以前は普通の木も生えていたのだろう。だが今は、見渡す限り全てがキノコだ。何かの要因で菌類が異常増殖、巨大化したのか。それにしても、この辺りはさして菌類の繁殖に適した気候とは言えないはずだが。

「あれ? 花が咲いてるよ」

 アニスが足を止めた。胞子を煙のように吹き上げるキノコの陰に、赤い大きな花が見えている。「めっずらしー。キノコだけじゃないんだ」と近付きかけた背に、「待て!」とアッシュの鋭い制止が掛かった。

 間髪を入れずに、花がキノコの陰から飛び出してくる。それは頭に花を開いた、歪な幼女のような形をしたものだった。

「魔物だわ!」

 叫んで、ティアが杖を構える。ぬらぬらと不潔な触手を蠢かせて、株のような魔物までもが周囲に現われた。

「囲まれましたか……」

「フン。蹴散らしてやるまでだ!」

 抜き放った剣をアッシュは構える。雄叫びと共に魔物の中へ斬り込んだ。ガイが続き、ナタリアは弓を構えて、アニスが大きくしたヌイグルミに飛び乗っている。

「大地の咆哮、は怒れる地竜の爪牙。――グランドダッシャー!」

 しばらく続いた混戦の中で、ジェイドが譜文を解放する声が聞こえた。大地から爆発的に噴き出した地の音素フォニムの力が、大半の魔物をズタズタに引き裂く。

「来い、地のあぎと!」

 濃密に溜まった音素の中に駆け込んで、アッシュが拳を振るい、地に剣を叩きつけた。

「魔王っ地顎陣!」

 周囲に再び地の力が噴き出し、残る魔物を一掃する。幾本かの大きなキノコがなぎ倒され、その向こうに視界が開けた。

「……あれ!?」

 間の抜けた声が聞こえて、アッシュは片眉を上げる。見覚えのある赤い髪の男が突っ立っているではないか。

「何故お前がここにいる!」

「それはこっちの台詞だよ。なんだ? もう帰るのか?」

「どうやら、我々はさほど進めてはいなかったようですねぇ」

 ジェイドが肩をすくめた。キノコに囲まれた曲がりくねった道に惑わされたが、距離としては殆ど進んでいなかった――戻ってしまっていたということなのだろう。

「……くそったれが」

 吐き捨てると、アッシュはつかつかと歩いてルークの前に立つ。

「代わってやる。今度はお前が行け」

「え? だけど俺からはお前に連絡できないし……。やっぱ俺がここに残る」

 僅かに目を伏せて言ったルークの様子に、とうとう我慢ならないという風にガイが割り込んできた。

「ルーク。お前が遠慮することはないんだぜ」

 押し退けられた格好になったアッシュを見て、ルークは幼なじみに向かって言う。

「おいガイ! こいつガイのこと好きなんだから、ちょっとは優しくしてやれよ」

「……だ、誰がだっ! 馬鹿なことを言ってないでさっさと行け!」

「でも、俺……」

「ルーク、急ぎましょう」

「ご主人様、ママさんを助ける為に行くですの」

 ティアとミュウに促されて、ルークは小さく頷いた。

「……分かった。じゃあアッシュ、待機役を頼む」




 再びキノコの道を進む。だが変わり映えのない景色で、本当に進めているのか疑わしい。それに、どれが目的のルグニカ紅テングダケなのだろう。

「キノコなんかで、母上の体調が良くなるのかねぇ……」

 探索を始めて何時間経ったのか。ルークが呟くと、足元からミュウが笑顔で訴えた。

「病は気からと言うですの! 効くと思って食べれば効くですの!」

「うさんくせぇなあ……。まあ、今までも飲んでたんだから、それなりに効くんだろうけどよ」

「そうですの! 早くルグニカ紅テングダケを見つけるですの。甘い香りが目印ですの!」

「甘い香り?」

 ルークは目を瞬く。

「はいですの。ご主人様のお家で食べたケーキに似てるですの」

「ん? お前、いつの間にケーキなんか食ったんだ?」

「この間ラムダスさんがくれたですの。甘くて美味しかったですの」

 にこにこ笑うミュウを、ルークは咎める目で睨んだ。

「だけどお前、草食なんだろ? ケーキなんか食って毒じゃないのか?」

「ど、毒!?」

 たちまち、ミュウは青ざめる。(毛並みは元々青いのだが。)耳を垂らして半泣きになった。

「もしかして、ボクはもう駄目ですの?」

「駄目か知らねーけどよ」

「みゅうぅぅぅぅうう……。もうボクは駄目ですのぉ……」

 フラフラと、まるで病人のような足取りでミュウは歩いていく。

「おいおいミュウ。これだけ時間が経って平気なんだから、駄目ってことはないだろう」

 苦笑するガイの声を聞きながら、「確かに、病は気から……だな」と、ルークは肩を落とした。

「でも、ルグニカ紅テングダケって、ケーキみたいな匂いがするんだね」

「ええ。そして、名前の通りに赤い色をしています」

 アニスにジェイドが応えている。

「じゃあ大佐。ルグニカオオ紅テングダケは?」

「それも赤いですねぇ」

 失笑してそう言い、「大丈夫ですよ。ちゃんと見分けはつきますから」と、ジェイドは沈黙した仲間たちに請合った。

「頼むぜ。母上に毒キノコを飲ませちまったら大変だからな」

 片手で頭を掻きながらルークが息を落とす。その時、ミュウが「みゅっ!?」と鳴いて顔を上げた。小走りに走り出す。

「おい、ミュウ!? 勝手に動くなって」

「甘い香りがするですの!」

 ミュウを追ってキノコを掻き分けると、少し開けた場所にぽつんと一つ、手のひらほどの大きさの赤いキノコが生えていた。

「ルグニカ紅テングダケですの! やっと見つけたですの!」

「これがルグニカ紅テングダケか!」

 ルークたちはそれに歩み寄る。確かに甘い香りだ。ほう、とティアが落とした安堵の息が聞こえた。

「これで奥様を助けられるわね。よかった……」

「ティア……。ありがとう。母上のこと心配してくれて」

「そ、そんなの当然よ」

 微笑みかけると、彼女は微かに頬を染める。

「それに私、兄さんとのことであの方にご迷惑をかけてしまったから、お詫びがしたいの。気にしないで」

「……うん。ごめん」

「さあ、必要なものは手に入れたんだ。戻ろうぜ」

 笑って、ガイが仲間たちを促した。




 アッシュは、道の入口にちゃんと待っていた。

「……見つけたか、レプリカ」

 ルークが手にした赤いキノコに目を落とす。

「ああ。すぐにバチカルに帰って、母上に届けよう」

「それはお前がやれ」

 身を翻したアッシュを見て、ルークは驚いて声を上げた。

「アッシュ!? 待てよ! 一緒に母上の所に行かないのか?」

「俺は宝珠を見つけなければならない。……時間がない」

「待てって。なあ、一緒に行こう。母上はお前のこと待ってるし……。それに、宝珠だって協力して探した方がいいだろ」

「レプリカと馴れ合うつもりはないと、何度言えば分かる」

「レプリカだから! ……みんなの力になるためには、俺よりもお前が……」

「――貴様!」

 振り向いて、アッシュはルークの胸倉を掴み上げた。「やめて!」とナタリアが悲鳴を上げる。

「そうよ。やめなさい! 喧嘩なんてしている場合じゃないでしょう」

「そうだぜ。急いで奥様にルグニカ紅テングダケを届けるんだ」

 ティアとガイが叱声を飛ばす。舌打ちして、アッシュはルークから手を離した。再び背を向ける。

「……母上を頼む」

「お、おい! アッシュ!」

 今度はアッシュは立ち止まらなかった。

「全く……。素直じゃない奴だな」

 ガイが苦笑ともつかない息を落とす。

「本当ですわね……」

 彼の立ち去った後を寂しげに見つめるナタリアの傍らで、アニスは肩をすくめていた。

「仕方ないよ。それより、早く届けてあげよ」

「ええ。宝珠に関してはアッシュに任せて、私たちはキノコを届けにバチカルへ戻りませんか?」

「……そうだな」

 ジェイドの提案に同意して、しかしルークは暗い顔をしたままだ。肩を落として呟いた。

「だけどまたアッシュとは物別れか……。どうしてこんな風になっちまうんだろう」

「……気付いてないのか」

「え?」

 振り向いて、ルークは何かを呟いたガイを見る。しかし、視線の先で彼は緩く首を横に振った。

「……いや、いい」


 キノコロードに行くサブイベントは、レプリカ編冒頭でナタリアが仲間に加わった後から起こせるんですが、自分が初めてこのイベントを起こしたのが障気発生後だったので、ここに入れたくなっちゃいます。実際、障気のせいでシュザンヌが倒れたのかと焦ったものでした。

 

 キノコロードは、ルグニカ大陸の川を遡って湖に入ると、その岸辺にあります。崩落編の時点でも、タルタロスを使って湖までは入れるのですが、その頃はまだ上陸できません。

 このイベントは、アッシュをパーティーに入れて戦闘で使える、というのが最大の魅力かと思います。

 

 キノコロードに最初に入ると、アッシュが佇んでいます。ジェイドとナタリアが協力しようと提案しますが、未開の地だから連絡役を一人残そうという話になると、ルークが自ら残ると言い出します。押し切られてアッシュが仲間になり、ナタリアは嬉しそうですが、ガイは渋々、ティアは態度がなんか冷たいです(笑)。

 そのままルグニカ紅テングダケを入手してクリアすることも出来るんですが、その前にルークに話しかけて外に出ると、アッシュが仲間から外れます。もう一度キノコロードに入るとアッシュがいないので、今回はルークが探索に加わります。

 ここでルグニカ紅テングダケを入手してクリアすることも出来ますが、もう一度フィールドに出てまたキノコロードに入ると、アッシュが奥から歩いてきます。一人で探索したけれど見つけられなかったと言うのです。もう何度か探索したので連絡役を残す必要はないのに、ルークはまたも自分は残ると言い出します。ティアが「自分を殺さないで。行きたいのなら、私が残るわ」と言ってくれるのですが、ルークはお礼だけ言って聞き入れないのです。アッシュは躊躇っていますが、ジェイドとナタリアの取り成しで仲間に加わります。

 ここでルグニカ紅テングダケを入手してクリアしてもいいんですが、またもそうしないで外に出て中に入ると、アッシュがいないのでルークが探索することになります。ここのデモは前回のものと同じです。

 ここでルグニカ紅テングダケを入手してクリアしてもいいんですが、そうしないで外に出て中に戻ると、アッシュが待っています。みんなと行動するのに慣れたようで、自ら「俺を連れて行け」と言って来ます。するとルークが「わかった。俺がここに残る」と言う。一緒に行ったっていいのに、ルークは決してアッシュと共に行こうとはしません。アッシュと協力すべきだと思いつつも、彼と比べられるのが――自分がレプリカで、劣化していることを見せ付けられるのが、余程苦痛なんでしょう。ガイは微妙に不機嫌になっていて、待っていたアッシュを見て「またおまえか」と言い、案の定ルークが残ると言い出すと「ルーク。おまえが遠慮することはないんだぜ」と言うんですが。するとルークが言うのですよね。「おいガイ! こいつガイのこと好きなんだから ちょっとは優しくしてやれよ」と。……ルーク、それフォローになってないから。アッシュを逆に傷つけちゃうから。(ーー;)

 これ以降は、何回出入りしてもアッシュは現れなくなります。

 

 ちなみに、アッシュの探索にはミュウも同行するんですが、何故かミュウアクションが一切使えないです。アッシュのためには一切働いてやる気がないらしい…。なんかあんまりな気がしますし、ルークがホントに一人きりで待ってるのかと思うと可哀相なので、ノベライズではミュウはルークと一緒に残ることにしました。ルークで探索すると普通にミュウアクションが使えます。あちこちにある胞子を吹き出しているキノコにミュウファイアを当てると、中から宝箱か魔物が出てきます。

 また、キノコロードの奥側の出口からフィールドに出ると、そこに探索ポイントがあって、『大飛譜石』を入手できます。これを入手するとアルビオールが着陸できる地形が増えるのですが、これを入手する前にロニール雪山奥地で『練成飛譜石』を入手していた場合、無意味です。(練成飛譜石はアルビオールの全ての機能をオープンするので。)


 ファブレ邸に入ると、ラムダスが待ちきれなかった様子で近付いてきた。

「お坊ちゃま! ルグニカ紅テングダケは……」

 ルークはキノコを差し出す。

「採ってきた。これ、早く煎じて母上に……」

「かしこまりました!」




 小一時間が過ぎて、ルークたちはファブレ夫妻の寝室に通されていた。シュザンヌはやはりベッドで半身を起こしていたが、その顔色は幾分良いように見える。

 見舞いに訪れた息子を見ると、彼女は笑うより先に美しい眉を曇らせた。

「ルーク。薬が届けられたけれど、あなたまさか……」

「そ……それは……その……」

 叱られた子供のように、ルークはおどおどと目線を落としている。

「危ないことはしないでと言ったのに……」

「ごめん、母上。だけど俺、どうしても心配で……その……」

「……馬鹿ね。怒っている訳ではないのよ。私の為に無茶をして欲しくなかっただけ」

 困ったように、シュザンヌは息子に微笑みかけた。

「ありがとうルーク。それから皆さんも……ありがとうございます」

「あの、母上。実はそれ俺だけじゃなくてアッシュが、ここにいるみんなと探してくれたんだ。俺は別に……」

「……あの子が……」

「お礼は、あいつに言ってやってほしいんだ。いつかこの家にあいつが帰ってきたら……」

「……そうね。分かったわ」

 柔らかくシュザンヌは微笑む。そっと目を伏せて言葉を継いだ。

「私はこんないい息子を二人も持つことができたのね」

「母上……」

「皆さんも、それから、ルークも本当にありがとう」


 ルグニカ紅テングダケをアッシュで採ったかルークで採ったかで、その後のシュザンヌの反応がちょっと変わります。

 大抵のプレイヤーがアッシュでクリアすると思うんですが、その場合、

ルーク「ごめん、母上。だけど実はそれ俺じゃなくてアッシュがここにいるみんなと探してきてくれたんだ。俺は別に……」
シュザンヌ「……あの子が……」
ルーク「お礼は、あいつに言ってやってほしいんだ。いつかこの家にあいつが帰ってきたら……」
シュザンヌ「……そうね。皆さんも それから、ルークも本当にありがとう」

 となりますが、ルークが採って来た場合だと

ルーク「ごめん、母上。だけど俺、どうしても心配で……その……」
シュザンヌ「……馬鹿ね。怒っている訳ではないのよ。私の為に無茶をして欲しくなかっただけ。ありがとうルーク。それからみなさんも……ありがとうございます」
ルーク「それと母上。いつかこの家にアッシュが帰ってきたらあいつにも礼を言って欲しいんだ。あいつも一緒に探してくれたから……」
シュザンヌ「……あの子が……。そう、わかったわ。私はこんないい息子を二人も持つことができたのね。ありがとう」

 となります。個人的に、ルークで採って来た場合の方が好きです。「私はこんないい息子を二人も持つことができたのね。」と言ってもらえるから。

 

 このイベントで目を引く要素の一つに、ティアがシュザンヌの為にやたらと張り切る、というものがあります。

 勝手な妄想なのですが、私は、ティアはシュザンヌに自分の母親の影を重ねているのだろうと思っています。ティアの母は彼女が物心つく前に亡くなっています。そして、超振動で飛ばされたルークを連れてファブレ邸に戻った時、シュザンヌに優しい言葉を掛けられて、ルークに「優しいお母様ね。大切にしなさい」と言っていました。あの台詞は、彼女に母親がいない――自分は何もすることが出来なかったからこそのものだと思うのです。そして、その後のサブイベントで、シュザンヌはティアに「あなたが私の娘で、ルークの姉だったら」という風に語りかけています。

 ティアにとって、シュザンヌは『憧れの母』なんじゃないでしょうか。


「良かったですわね。叔母様、元気になられたようで」

「ああ。あいつのおかげだよ。アッシュのこと聞いて、母上、嬉しそうだった……」

 ファブレ邸の回廊を歩きながら、ナタリアとルークが笑い合っている。

「この件も無事終わりましたし、次はケセドニアですわね。旅の預言士スコアラーとやらが、まだあの街にいるといいのですけれど……」

「あ、ああ。そうだな」

「よーし。それじゃ、ケセドニアへ行こっ」

 アニスが音頭をとる。傍らで、ガイが真面目くさった顔をした。

「だが、障気をどうにかすることも考えなくちゃな。このままじゃ奥様の体が心配だ」

「そうね。ここは高い場所だから幾分障気も薄いようだけれど、影響がない訳ではないわ」

 ティアが頷いた時、回廊を警備していた白光の騎士たちが甲冑の中から声を出した。

「……ルーク様。我々に出来る事があるなら、何でも仰って下さい」

「お前たち……」

 驚いて、ルークは騎士たちを見る。

「障気が出て、誰もが不安がっています。大きな声では言えませんが、預言スコアを詠んでもらいたがる者も少なくありません」

「ですが、我々はナタリア殿下やルーク様のお考えに従います。一刻も早く障気を消しましょう!」

「ルーク様。あの……」

 家を出て以来、常に遠巻きにしていたメイドたちが、おずおずと近付いてきた。

「私たちからもお願いします。障気を消して下さい」

「障気を消して、奥様のためにも早くお屋敷にお戻り下さい!」

「……うん。分かった」

 ルークは頷く。執事やメイドたちに見送られながら屋敷を後にした。



「みんな不安なんだね……」

 中心街へ降りる昇降機に向かいながら、アニスが言う。「そうだな」と返して、ルークはぽつりと言った。

「アッシュの奴、変に怒ってないで、早く屋敷に帰ってやればいいのにな……」



「……うーん……」

 先を行くルークの背を見ながら、ガイは考え込んでいる。

「ガイ。どうしたの?」

「ルークだよ。困ったモンだなと思って」

 足を止めてティアに返すと、足元からミュウの可愛い声が上がった。

「ご主人様がどうしましたですの?」

「アッシュの怒りの原因はルークにもあるってこと、全然気付いてないからな」

「……彼は何でも行き過ぎなのね。図に乗りすぎ、調子に乗り過ぎ、落ち込み過ぎ、反省し過ぎ……」

 苦く笑って、ティアは悲しげに目を伏せる。一瞬眉を下げ、ガイは声音を明るいものに変えた。

「そうだなぁ。行き過ぎと言えば、ミュウへの仕打ちも凄かったよな」

「そんなことないですの! 遊んでもらって嬉しいですの!」

 ミュウは少しムキになったようだ。大好きなご主人様を貶されたとでも思ったのだろうか。

「そ、それは違うわ! ダメよ、ミュウ……」

「ご主人様は、名前まで付けてくれたですの。ボク、嬉しかったですの♪」

「……まあ。い、いい名前だよな……ブ、ブタザルも……」

「ですのーーーーーーー♪」

 微妙にひきつった笑みを浮かべながらガイが言うと、ミュウは満面で笑ってルークの方に走って行った。

 少なくとも髪が長かった頃のルークは、好意からブタザルと呼んだのでも、踏んだり蹴ったりしていた訳でもないだろう。あれが好意の表れだったというのなら、それはそれで問題がある気がする。そもそも、あの頃のミュウは、そうされることを手放しで喜んではいなかったように見えていたが。ルークを好きになるにつれ、その行為の全てが愛情からだったと思い込んで、過去の自らの記憶すらも改竄してしまったということだろうか。ある意味では、それは幸せなことだと言えるのかもしれないが……。

 仕方なくガイは苦笑を落とす。

「飼い主に似るって奴か? ミュウも行き過ぎ……」

「思い込み過ぎね……可哀相……」

 ティアは悲しげに息を吐いた。


 ガイとティア(とミュウ)の共通話題はいつもルーク(笑)。

 ティアの言う、「彼は何でも行き過ぎなのね。図に乗りすぎ、調子に乗り過ぎ、落ち込み過ぎ、反省し過ぎ」というルーク評は、もの凄く的を射ていると思いました(笑)。ちなみに、現在は『気にし過ぎ、卑屈になり過ぎ』街道を爆走中。

 しかし、これはルークの精神が非常に純粋だからでもあって、だからこそ『変わる』ことも出来たのかなと。つくづく、長所と短所は表裏一体です。

 

 レプリカ編冒頭では、ルークと距離を取る態度を見せていたファブレ邸の使用人たち。しかし障気が出ると反応がガラリと変わります。

「ルーク様! 障気を早く消さないと奥様のお体が……」
「この障気のせいで奥様が障気蝕害を発症させなければよいのですが……。ルーク様、我々に出来る事があるなら何でも仰って下さい」

 白光騎士団はこんなことを言いますし、メイドに至ってはこう言います。

「障気が出てきて奥様のお体が心配です。ルーク様、奥様のためにも早くお屋敷にお戻り下さい」

 屋敷を旅立つ時に「もう帰ってこなくていいのに」と言っていたのと対照的ですね。

 

 これは、ルークが『外殻を降ろして障気を封印した』という実績を持っているからこその反応だと思います。

 公爵は留守がち、夫人は病に伏せっている。そして障気が出て自分の命すら危険にさらされ始めた……。こんな不安の中で、使用人たちがルークを『自分たちの主人』と認識して頼り始めたと言うか。現金なんですが、そうさせたのはルークのこれまでの実績と、そして七年間『嫡男』として屋敷にいたという積み重ねだと思うので、素直に喜びたいなぁと思ったり。

 

 それはそうと、障気が出てからバチカルの兵士や修道院の教団員に話しかけると、口々に未来の話をしてくれるので困惑します。市民が暴徒と化してるとかレプリカたちを保護しているとか。ダアトの教会でも同様になってましたが、この辺、作りが粗いですよね。時間がなかったせいでしょうか。完全版が出たら直されるのかな…?

 

 インゴベルト王にロケットの写真を見せてからバチカルを出ると、グランコクマでサブイベント『譜眼2』を起こせるようになります。



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