伊波礼毘古命は、宇陀の高倉山に登って国中を眺めました。
その夜、神に祈って眠ると、夢に天照大御神と高御産巣日神が現れ、こう告げました。
「
目を覚まし、命が夢の事を考えていると、弟宇迦斯がやってきてこう進言しました。
「
ですから、まずは天香具山の
命は驚き喜びました。
「実は、昨夜 天照大御神が夢枕に立たれて、お前と同じことを申されたのだ。これは吉夢に違いない。
亀に乗って釣りをしながら羽ばたいていた槁根津日子と、兄を裏切ってまんまと命に取り入った弟宇迦斯のコンビです。二人は汚い服と蓑笠などを着て、槁根津日子は老人に、弟宇迦斯は老婆に変装しました。とはいえ、道を塞ぐ敵にこの変装が通用し、無事通れるかは分かりません。
「我が君の器が、天下を統一する者として神の意思に適うものであれば、きっと成功するだろう」
槁根津日子はそう言い、二人は出発しました。
「ははは、なんて汚い爺ぃと婆ァだ」
敵はみすぼらしい二人を見て嘲笑いました。すっかり馬鹿にして道を開けたので、まんまと赤土を取ってくることが出来ました。命は大いに喜び、早速この土で平たい皿と酒器を作らせ、
冬、伊波礼毘古命は兵を整え、国見丘の
神風の 伊勢の海の 大石にや
い這ひ廻る
細螺の い這ひ廻り
撃ちてし止まむ 撃ちてし止まむ
(伊勢の海の大石(大きな石→国見丘)に
這い回る 巻貝の 巻貝のように
我が軍よ 我が軍よ
巻貝が(大石を)這い回るように(我々も国見丘の敵の廻りを這い回って)
撃ってしまおう 撃ってしまおう)
この戦いには勝利しましたが、
「軍を率いて
盛大な酒宴が開かれました。和睦するとの言葉を信じた
宴もたけなわになったとき、道臣命が立って歌いました。
人
人
みつみつし
みつみつし
(忍坂の大きな室屋に
人が沢山来て入っている
人が沢山入っているが
(勇猛な)
頭槌(柄頭が頭のように大きく丸い剣)を石椎(石の柄頭の剣)を持ち 撃ってしまおう
(勇猛な)
頭槌を石椎を持ち 今撃てばよろし)
この歌を聴くや、給仕していた料理人たちは一斉に太刀を抜き、
夷を 一人 百な人 人は云へども 抵抗もせず
(蛮族を 一人で百人分強いと 人は言うけれど 抵抗もしなかった)
命が言いました。
「大きな敵を倒しても奢り高ぶらないのがよい。まだ討つべき敵は数多いのだ。先へ進もう」
こうして、命の軍勢は更に進軍して行きました。
これで、この辺りに残る主だった敵は
「天つ神の御子がお前を呼んでいる。来い来い」
「天神が来たと聞いて慌しい時に、何故こうもカラスが騒がしいのだ」
兄師木は怒って矢を放ち、八咫烏は逃げ去りました。次に弟師木のところに行って鳴きました。
「天つ神の御子がお前を呼んでいる。来い来い」
「私は天神がおいでたと聞いて、朝も夜も
弟師木は八枚の皿に食べ物を盛って八咫烏をもてなし、導かれて命の元に参じたのです。
「我が兄・兄師木は、天つ神の御子が来ると聞いて、
命はと諸将と相談し、弟師木を使者に立てて降伏を勧めました。けれど兄師木は承知しません。そこで
「まずは女軍で忍坂の道から攻めます。さすれば敵は精兵を出して応戦してくるでしょうから、その間に男軍を墨坂に向かわせます。この道は燃える炭で塞がれていますが、これに宇陀川の水をかけて、敵が驚いた隙に不意をつけば、勝てるでしょう」
命はその作戦を誉め、まずは女軍を出しました。敵は全力でこれを迎え撃ちましたが、果たして、その間に男軍が墨坂を突破して現れ、兄師木の軍を挟み撃ちにしたのです。
命たちはついに、再び
戦いは長引き、勝敗はなかなか決まりませんでした。
その時でした。にわかに空がかき曇ると、雹が降り出しました。天から
かつての怨みを忘れない命の軍勢は勢いづいて歌いました。
みつみつし 久米の子等が
そねが
((勇猛な)命の軍の兵たちの 粟畑(平らげた土地)には
臭いニラ(従わぬ者→那賀須泥毘古の軍)が一本
その根 その芽を繋いで(ニラを根こそぎ抜いて→敵を数珠繋ぎにして) 撃ってしまおう)
みつみつし 久米の子等が
植ゑし
((勇猛な)命の軍の兵たちが 垣根のそばに
植えた山椒 口ピリリ
(その辛さを→かつて那賀須泥毘古に受けた苦しみを)我らは忘れぬ 撃ってしまおう)
神風の 伊勢の海の
(伊勢の海の大きい石に 這い回っている
巻貝の 這い回るように(取り巻いて) 撃ってしまおう)
那賀須泥毘古の軍は負けて逃げ出し、命の軍はそれを追撃しました。
追い詰められた那賀須泥毘古は、命に使者を送って言いました。
「その昔、天つ神の御子が天の磐舟に乗って天降られた。御名を
「天つ神の御子は数多くいる。お前が主とあがめる者が真に天つ神の御子ならば、必ずそのしるしがあるはずだ。それを示してみよ」
命がこう答えると、那賀須泥毘古は邇芸速日命の持つ神器・
「これは、間違いない」
それを見た命は呟き、自分の持っていた羽羽矢と歩靫を那賀須泥毘古に示しました。曽祖父の
実は、邇芸速日命は邇邇芸命の実の兄なのです。邇邇芸命が降臨を命じられた時、兄はどこに消えていたのかと思いきや、彼もちゃんと降臨していたのでした。邇芸速日命は磐船で天空を駆け巡り、この地を巡り見て河内の山に降り、後に大和の
更に明かせば、熊野で伊波礼毘古命に神の太刀・
互いに天孫であることが判ったものの、既に戦いは止めることが出来ないところまで来ていました。那賀須泥毘古は、伊波礼毘古命が本物の天つ神の御子だと認めはしましたが、自分の主のためにあくまで戦おうとしたのです。
しかし、彼が命がけで守ろうとした主・邇芸速日命は、それを良しとしませんでした。彼は、天つ神が本当に気にかけているのは、邇邇芸命の子孫だけだと知っていたのです。
邇芸速日命は、那賀須泥毘古を殺しました。そして残った部下と共に伊波礼毘古命に帰順したのでした。
伊波礼毘古命は、邇芸速日命を臣下に加えて寵愛しました。
伊波礼毘古命が東征に出発してから、何年もの年月が流れすぎていました。命は言いました。
「天つ神の御威光のおかげで、凶徒は制圧することが出来た。周辺の地はまだ平定されたわけではないが、国の内は静かだ。都を開き、御殿を造ろう。
今、民の心は素直だが、人々は巣に住んだり穴に住んだり、未開の野蛮な風習が変わらずある。そもそも聖人が制度を定めてこそ道理が正しく行われるのだ。人民のためならば聖人は何でも行わなければならない。山林を切り開き宮を造って、王として人民を守ることこそが聖人のなすべきことだ。
国中を一つにして都を開き、天下を一つの家とするのは素晴らしいことではないか。思うに、かの
命は宮を作り、正妃を迎え、
「なんと素晴らしい国を得たものだ。狭い国ではあるが、
これによって、
およそ百三十七歳で伊波礼毘古命は亡くなりました。後の人々は彼のことを神武天皇と呼ぶようになります。
伊波礼毘古命には、日向にいたとき
ですが、大和で即位した時に新たな妻を得て、それを正妃としました。まさに『
正妃の名は
「こんな理由でそう言われているのです」と、この噂を命に伝えた
実は、その矢は三輪山に住む
しかし、いきなりアソコに突き刺さるのはストレート過ぎだと思います。変質者です。
とはいえ、神で美形なので許されました。大国主神と勢夜陀多良比売は契りを結び、二人の間に生まれたのが伊須気余理比売なのでした。
「なに、本当の名は
娘に「
命は、話を聞いてこの娘に興味を持ちました。大久米命と共に国内の高佐士野に行くと、七人の娘が野遊びに来ています。その中に例の伊須気余理比売がいたので、大久米命は
(大和の高佐士野を 七人で歩く娘たち 誰と寝ましょう)
天皇は娘たちを見て、先頭にいるのが伊須気余理比売だと気付き、歌で答えました。
かつがつも いや先立てる
(ギリギリで選んで 一番前を歩いている 年かさの娘と寝よう)
そこで、大久米命が伊須気余理比売に「天皇が妃にと望んでいる」との命を伝えると、比売は大久米命の刺青をした鋭い目を見て「どうしてそんな目なの」と怪しみます。大久米命が「お嬢さんを直によく見るためにこんな目をしているのですよ」と答えると、安心して「妃になります」と承諾しました。
正妃になり、伊須気余理比売は
さて、天皇が亡くなると、伊須気余理比売は義理の息子の多芸志美美命と再婚しました。ところが、多芸志美美命は自分の三人の義弟たち、伊須気余理比売の息子たちを殺そうと企んでいたので――嫡子として父の東征に従ってがんばってきたのに、ここにきて庶子にされ、腹違いの弟たちに何もかも奪われたわけですから、無理もない感じもしますけれど――、伊須気余理比売は悩み苦しみ、歌に込めてこのことを息子たちに知らせました。
(狭井河から 雲が湧き上がり
畝火山の 木の葉ざわめく 風が吹こうとしている)
畝火山 昼は雲とゐ 夕されば
風吹かむとそ 木の葉
(畝火山 昼は雲が湧き 夜になれば
風が吹こうとするよ 木の葉ざわめく)
歌の意味に気付いた息子たちは驚き、逆に多芸志美美命を殺そうとしました。末弟の神沼河耳命が次兄の神八井耳命に「武器を持って宮に入り、多芸志美美を殺してください」と言いましたので、神八井耳命はその通りにして殺そうとしましたが、手足が震えて殺せませんでした。それで、神沼河耳命が武器を譲り受け、当芸志美美を殺したのでした。
この一件から、勇猛を称えて神沼河耳命を
神八井耳命は建神沼河耳命に皇位を譲り、言いました。
「私は、仇を殺すことが出来なかった。あなたは殺すことが出来た。だから、私は兄であるが皇位を継ぐべきではない。これをもって、あなたが天皇となって天下を治めよ。私はあなたを助けて、神職となって仕えましょう」
こうして建神沼河耳命は天皇となり、天下を治めたのでした。彼は後の人々に
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金色の鳶が伊波礼毘古命の弓に舞い降りて輝くのは、神武東征の中では最も有名な場面でしょうね。 | |
空が曇って、雹が振って、金色の鳶が降りてきて光ってみんな驚いた……って、もしかして雷が落ちたってことかな? | |
そうでしょうね。もし元になる事件が本当にあったとしてですが。 鎌倉時代の元寇の時の”神風”のように、たまたま自然現象が味方して、それを神意と捉えたという感じでしょうか? ギリシアのゼウスなどの例を引いても、猛禽類はしばしば雷神・雷光の化身とされていることですし。 |
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雷が弓に落ちて、伊波礼毘古命は感電しなかったのかなぁ。 | |
なにしろ、神の子ですから。 | |
神の子っていえば。邇芸速日命って何者なんだろう? 伊波礼毘古命のひいおじいさんのお兄さんなのに、生きてるし、ヨボヨボでもないみたいだし、ヘンなの。 神様だから年もとらないし死んだりもしないってことかな? |
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『先代旧事本紀』によると、邇芸速日命は邇邇芸命より先に天下って那賀須泥毘古の妹姫と結婚して、けれど子供が生まれる前に亡くなられたことになっています。 | |
え!? ……じゃあ、えーと? | |
伊波礼毘古命が出会った邇芸速日命は、天下った本人ではなくて、その地上での子孫、ではないかとも思えますね。邇芸速日命の天での息子だという高倉下も、本人ではなくて子孫なのかも……。 もっとも『古事記』では、邇邇芸命が天下ったのを知って、それを追って後から降りてきた本人だということになっていますけれど。 本当に正体不明です。 |
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それにしてもさ、大国主神からこっち、ずーーっと、お兄さんが悪かったり弱かったりして、強い弟が出世する話ばかりだよねぇ。 | |
そう言われればそうですね。昔は末子が後を継ぐ慣習だった……というわけでもないようですし。 考えてみれば、世界的に見ても、大抵の民話では末っ子が一番知勇に優れていて、兄や姉を退けて富貴を手に入れることになっています。……何故なんでしょうね? |
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私に訊かれても……。わかんないよぉ。 だけど、今回の話はみんな血なまぐさくて、裏切りとか騙まし討ちばかりで、ヤーな感じだよ。弟はいつもお兄さんを裏切るし、那賀須泥毘古は守ってたはずの邇芸速日命に殺されるし。伊波礼毘古命は古い奥さんを捨てて年甲斐もなく若い奥さんを正妻にするし。そのせいで身内で殺し合いになるし。 あれもイヤだな。「撃ちてし止まむ、撃ちてし止まむ」って殺しの歌。 |
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平和な時代では忌む人が多いのでしょうが、戦わねば生き残れない時代があり、また、勝った方が残って歴史の正義になるのは世の習いですからね。 それから、「撃ちてし止まむ」は人殺しの歌とは限らないんですよ。元々は、九州に住んでいた隼人族が鯨を捕る時に歌っていたものだ、という説があるんです。 |
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あっ、それで話に関係ない鯨とか巻貝が出てきてたのか。 | |
それに、伊波礼毘古命が大和で新たな正妃を得たのは、ただの好色ではなくて、政治的な意味合いがあったといわれています。 比売多多良伊須気余理比売の名前には”たたら”という言葉が入っています。これは製鉄の時に使うふいご、たたらのことで、つまり製鉄技術者たち――当時のハイテク集団と繋がりを持つための政略結婚だった、というのですね。 |
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うーん……。だけど、どっちにしたって不幸だよぉ。 |
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