神武東征〜兄弟の旅立ち


 波限建鵜葺草葺不合命ナギサタケ ウガヤフキアエズのミコト玉依毘売タマヨリヒメの間には、五瀬命イツセのミコト稲氷命イナヒのミコト御毛沼命ミケヌのミコト神倭伊波礼毘古命カムヤマト イハレビコのミコトの四人の息子がありました。父の後を継いだのは、末の弟の伊波礼毘古命イハレビコのミコトでした。


 ある時、伊波礼毘古命は高千穂の宮で兄弟と子供たちに相談しました。

「遥か昔、天照大御神アマテラスオオミカミ高御産巣日神タカミムスビのカミは、我等の曽祖父・番能邇邇芸命ホのニニギのミコトにこの国を授けた。まだ暗闇の中にあったこの国を代々の父祖たちは治め、恩恵を与えたが、未だ国の全てに行き渡っているわけではない。

 また、塩椎神シオつチのカミに訊けば、東方に青い山々に囲まれた良い土地があるという。思うに、そここそが国の中心であり、天下を治めるに相応しい場所だろう。そこに都を造ろうではないか」

 一族は賛成し、早速、軍勢を率いて日向(宮崎県…九州南東部)を出発し、まずは筑紫(北九州)に向かいました。

 途中、一行は速吸門ハヤスイのトと呼ばれる海峡(現在の豊後水道。一般には豊予海峡とされる。)に差し掛かりました。すると、亀の背にまたがり、釣りをしながら羽ばたきをしている男がいるではありませんか。器用です。これは何者なのか問わずにはいられません。

「お前は誰だ」と尋ねると「私は国つ神(土地の神)です」と答えます。また「お前は海路を知っているか」と尋ねると「よく知っています」と答えました。

 更に命たちは尋ねました。

「我等に従い、仕えるか」「仕えましょう」

 それでさおを下ろし、掴まらせて男を船に引き入れました。亀も一緒に船に乗せてもらえたんでしょうか? そして槁根津日子サオネつヒコという名前を与えたのです。この辺りの物事をよく識る知恵者・槁根津日子の案内で、命たちの旅はますます順調になりました。


 それから、一行は豊国の宇沙(大分県宇佐市)に立ち寄りました。土地の人の宇沙都比古ウサつヒコ宇沙都比売ウサつヒメが簡素な御殿を作ってご馳走を振舞いました。命は、家臣の天種子命アマつタネのミコトを宇沙都比売と結婚させました。

 筑紫に到着すると、一行は宮を造ってしばらく住み、それから瀬戸内海沿いに東上して、安芸の国(広島県辺り)と吉備(岡山県)にそれぞれ宮を造って、何年か住んで軍備を整えました。



 軍備を整え、一行はついに、目指す青い山々に囲まれた地へ出発しました。岬が見えてきた時、潮の流れがとても速く、予想以上に速く先に進むことが出来ました。それでこの辺りを浪速ナミハヤと呼びました。今の難波です。川を遡り、河内国(大阪府)青雲の白肩津アオクモのシラカタツという川原に停泊しました。

 一行は上陸し、進軍を開始しました。ところが、ここには那賀須泥毘古ナガスネヒコという男が軍勢を率いて待ち構えていたのです。矢を射掛けられ、命たちは盾で防ぎながら応戦しました。

 戦いの中、那賀須泥毘古の放った一本の鋭い矢が五瀬命の肘に当たり、深い傷になりました。五瀬命は傷を押さえながら弟に言いました。

「我ら日の神の御子として、日に向かって戦うのは間違いだった。だから下賎な奴の矢などで痛手を受けたのだ。今からは廻り込んで、日を背に負って戦おう」

 それで撤退して南に廻り、途中で傷の血を洗いました。そこから更に廻って紀国キのクニ(和歌山県〜三重県)水門ミナトに到った時、

「下賎な奴の手にかかって死のうとは!」

と剣を差し上げ無念の雄叫びを上げて、五瀬命は亡くなってしまいました。



 遺された伊波礼毘古命たちは軍勢を率いて紀伊半島に上陸し、再び海を渡ろうとすると、暴風に阻まれて先に進めません。

 伊波礼毘古命の次兄・稲氷命イナヒのミコトは嘆いて言いました。

「我が祖先は天神、母は海神。なのに、何故 陸路も海路も阻まれねばならぬのか」

 そのまま剣を抜いて海原に入り、鋤持神サビモチのカミとなって去りました。

 三番目の兄・御毛沼命ミケヌのミコトも続けて言いました。

「我が母と叔母は海神だ。なのに、何故 波に阻まれねばならぬのだ」

 そして波頭を踏み渡って常世の国に去ってしまいました。




神武東征〜神を斬る太刀


 兄弟全員を失った伊波礼毘古命は、息子の手研耳命テギシミミのミコトと共に軍勢を率いて熊野村(紀伊半島南部)に到りました。その時、ふいに巨大な熊が現れ、たちまち消えたのです。すると、伊波礼毘古命はぐらぐらと目がくらみ、気力がうせて、軍勢もろとも、一人残らず気を失って地に倒れ伏してしまいました。

 熊は、この地を守る荒らぶる土地神でした。侵略者である伊波礼毘古命の一行に神罰を与えたのです。一行は気を失ったまま、誰一人として目を覚まそうとはしません……。

 その時でした。熊野の高倉下タカクラジという男が、一振りの太刀を持って命たちの倒れ伏している場所にやってきました。そして太刀を倒れている命に差し出しますと、天つ神の御子はすぐさま目を覚まして起きあがり、「長寝してしまったな」と言いながら太刀を受けとりました。すると、熊野の山の荒らぶる神々は勝手にみんな斬り倒されてしまったのです。途端に、気を失っていた軍勢がことごとく目を覚まして起きあがりました。



 命が太刀を手に入れた経緯を尋ねると、高倉下は答えました。

「私はこんな夢を見たのです。

 天照大御神アマテラスオオミカミ高御産巣日神タカミムスビのカミの二柱の神が、建御雷神タケミカヅチのカミを呼んで命じました。

葦原中国アシハラのナカつクニ――地上は、大変ザワめいている。我が御子たちは平定をなし得ていない。あの国は、元々そなたが従えさせた国だ。よって、そなた、建御雷神よ。もう一度降臨し、国を平定するがよい』

 これに答えて建御雷神が申すには、

『私が降臨せずとも、かつてあの国を平らげた時使った太刀がありますゆえ、これを降ろしましょう。方法は、高倉下の倉の屋根を打ち貫いて、そこから落として入れればよいかと。

 ――そんなわけだ。高倉下よ、明日の朝 太刀を取り持って、天つ神の御子に差し上げよ』

 それで、夢の教えの如きに、朝に自分の倉を見ますと本当に太刀があり、底板に逆さまに突き立っていました。ですから、この太刀を差し上げるのみでございます」


 この太刀の名を佐士布都神サジフツのカミ、または甕布都神ミカフツのカミ、または布都御魂フツのミタマと言います。後に、この太刀は石上神宮いそのかみじんぐうに祀られることになるのでした。




神武東征〜八咫烏ヤタガラスの導き


 熊野を下し、伊波礼毘古命たちは更に奥地へ進もうとしました。けれど道は険しく山は深く、行くも戻るもできずに迷うばかりです。そんな時、命は夢を見ました。

 天照大御神と高御産巣日神が現れ、伊波礼毘古命を諭して言いました。

「天つ神の御子をこれ以上奥地へ進ませるわけにはいかぬ。荒ぶる神々がとても多いのだ。

 今、天より八咫烏ヤタガラスを遣わそう。八咫烏が導く。その飛び立つ後から進んで行くがいい」


 翌朝、確かに八咫烏――大きなカラスが舞い降りてきました。家臣の日臣命ヒのオミのミコトオホクメを率いて、八咫烏を追って山の中を進んでいきました。

 大和(奈良県)の吉野河の河尻に到った時、やな(魚捕りの罠)を仕掛けて魚を捕っている者がいました。

 命が「お前は誰だ」と尋ねますと、「私は国つ神、名は贄持之子ニエモツのコという」と答えました。

 更に進んでいくと、尻尾の生えた人が泉から出てきました。その泉は光っていました。

「お前は誰だ」と尋ねますと、「私は国つ神、名は井氷鹿ヰヒカという」と答えました。

 それからすぐに山に入ると、また尻尾の生えた人に逢いました。この人は岩を押し分けて出てきました。

「お前は誰だ」と尋ねますと「私は国つ神、名は石押分之子イワオシワクのコという」と答えました。そのまんまです。石押分之子は続けて言いました。

「今、天つ神の御子がおいでになると聞いたゆえ、参り迎えました」

 これらの国つ神は全て命に服属しました。命たちは贄持之子の一族から食料を得、井氷鹿の一族から清らかな水を得たのでした。


 ここも通り過ぎ、険しい道を踏み越えて、宇陀うだ(奈良県東部)に無事に到着しました。命は喜び、率いた日臣命を誉めて言いました。

「お前は知勇を兼ね備えた男だ。よくぞ我々を導いてくれた。これからはお前を道臣ミチのオミと呼ぶことにしよう」



 さて、宇陀には兄宇迦斯エウカシ弟宇迦斯オトウカシという兄弟がいました。そこで、まず八咫烏を遣わして二人の意思を問いました。

「今、天つ神の御子がおでましになった。お前たちは御子に従い仕えるか」

 兄宇迦斯は即座に鏑矢かぶらや(放つと音の鳴る矢)を放ち、使者を追い返しました。命を待ちうけて戦おうと兵の呼集をかけましたが集まらなかったので、「天つ神の御子に従い仕えましょう」といつわって、御殿を造り、中に吊り天井を仕掛けて待ち受けていました。

 その時、弟宇迦斯は先に命の元へ行って拝んで言いました。

「私の兄・兄宇迦斯は、天つ神の御子様の使者を追い返し、兵を挙げようと呼集をかけたものの集まらなかったので、御殿を造って吊り天井を仕掛け、待ちうけようとしています。それで、ここに参りましてお知らせする次第です」

 命の家臣・道臣命ミチのオミのミコト大久米命オホクメのミコトの二人が兄宇迦斯を調べ、事実と知って怒鳴って

「お前が造った御殿には お前がまず入って、命に仕えるという言葉のあかしをたてよ」

 と言いながら、太刀を握り矛をしごき、矢をつがえて御殿の中に追い込みました。兄宇迦斯は自分の造った仕掛けに押し潰されて死にました。死体は引き出され、バラバラに斬り刻まれて辺りに撒き散らされました。流れ出た血で、くるぶしまで浸かるほどでした。

 弟宇迦斯の用意したご馳走は全て兵たちに振る舞われ、祝宴が開かれました。命はこんな歌で兄宇迦斯の失敗を嘲けりました。


  宇陀の 高城たかきに 鴫罠しぎわな張る

  我が待つや しぎ)はさやらず いすくはし 鯨 さや

  前妻こなみが  乞はさば たちそばの 実の無けくを こきしひゑね

  後妻うはなりが 乞はさば いちさかき 実の多けくを こきだひゑね

  ええ しやこしや こはいのごふそ

  ああ しやこしや こは嘲笑ふぞ

(宇陀の高い狩場にシギの罠を張る

 私の待った(ちっぽけな)シギはかからず、思いがけずに(大きな)鯨がかかる

 古く娶った妻がおかずを欲しがれば、(実の無い木のように)身をちょっぴり削ってやれ

 新しく娶った妻がおかずを欲しがれば、(実の多い木のように)身をたっぷり削ってやれ

 エエシヤゴシヤやーい これは戦さ声ぞ

 アアシヤゴシヤやーい これは嘲笑う声ぞ)


 無残な最期を得た兄とは違い、要領のいい弟宇迦斯は命の家臣になりました。




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 ここからは、神々の話ではなく、人々の話になります。
 人々の話……。でも、ヘンな人がいっぱい出てたよねぇ。亀に乗って羽ばたいてたり、光る泉の中から尻尾はやして出て来たり。
 あら、でもこの物語は、第二次世界大戦の終戦前までは本当にあったこと、”史実”として学校で教えられていたんですよ。
 今の”建国記念の日”も、この物語を元に制定されています。この戦いによって”日本”が建国されたと考えられていたんですね。
 え!?
 じゃあ、昔の日本に住んでた人にはホントに尻尾がはえてたの? 光る泉や岩の中から出てきたりとか。
 さぁ。
 何かのたとえなんでしょうね。その一族の服装だとか風習だとか、崇めていた神様の姿だとか。
 あ、そうか。そりゃそうだよねぇーー。
 ホントに尻尾が生えてたり泉や岩から出て来る人なんていないよね。
 尻尾に関しては、差別の要素も入っているかもしれませんが……。
 ここでは省きましたが、元々の本には、命の出会った不思議な者たちが、後の天皇に仕えるどの一族の先祖なのか、なんてことも一つ一つ説明されていますよ。
 ところで、八咫烏ってなんだか名前がカッコイイね。
 道に迷ったとき、鳥の後についていって助かるって、わりとあちこちの話で見かけるような気がするけど……。グリム童話の『ヘンゼルとグレーテル』とか。
 山で道に迷った時、朝、鳥が飛んでいく方向に付いて行けば人里に出られる、というのは本当のことらしいですよ。鳥が朝のエサを摂るために人里に向かうからなんだそうです。
 へぇ、そうなんだ。昔からずっと伝えられてる知恵なのかな。
 ちなみに、八咫烏は後に褒賞も与えられて、その子孫は役職も与えられています。
 はえ!?
 カラスじゃなかったの?


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