日本から来る者、行く者

 駕洛の首露王はインドからやってきた姫君を妃にしたと伝えられていますが、耽羅――現在の済州島の建国神話では、始祖王たちは日本からやってきた姫君を妃にした、と語られています。

 

 はじめ、耽羅には人間がいませんでした。

 漢拏という奇異秀麗な山があり、その頂には雲が掛かっていました。その神霊な気が降り、山の北のふもとの毛興という穴で三人の神人に変化しました。

 三人は同時に穴から湧き出てきました。その名を、良乙那、高乙那、夫乙那と言います。彼らは狩や漁をしながら暮らしていました。

 そんなある日のこと、紫泥の木の箱が東の海辺に流れ着きました。急いで駆けつけて開けてみますと、箱の中には更に石の箱があり、側に赤い帯に紫の服を着た男が従って守っていました。石の箱を開けると、中から青い服を着た三人の姫君と、子馬と子牛と五穀の種が現れました。

 男は言いました。

「私は日本国の使者である。我が王が自分の三人の娘に申したことには、

『西南の海の向こうに山がある。その山に、天が神人三兄弟を降らせて国を開こうとしているが、伴侶がいない。そこで、そなたたちが行って夫にせよ。子孫が必ず増え、繁栄するであろう』と。

 それで、この私に三人の娘を連れて行けと仰せになったので、お連れいたした。そなたたちは夫婦になって、大事を成し遂げなされ」

 そう言い終えるやいなや、男は雲に乗って立ち去ってしまいました。

 三兄弟はそれぞれ娘をめとり、泉の水が甘く土地の肥えたところを探して矢を射て、(その落ちたところに?)各自の住まいを構えました。良乙那が住む地を第一の都とし、高乙那の住む地を第二の都とし、夫乙那の住む地を第三の都としました。初めて五穀の種を蒔き、子馬と子牛を育てて、次第に繁栄していったということです。

 

 

 また、新羅の第八代の阿達羅アタ王の御世のことです。

 東海の辺りに、延烏郎ヨノオ ラン細烏女セオ ニョという夫婦が住んでいました。ある日のこと、延烏ヨノオが海で海藻を採っていますと、彼の乗っていた岩が動き出して、そのまま日本に連れ去ってしまいました。一説には、その岩は巨大な魚だったのだと言います。日本人たちは岩に乗って海を渡ってきた延烏を見て驚き、非凡な人だと思って王にたてまつりました。

 一方、そんなこととは知らない細烏セオは夫の帰りが遅いので海に捜しに行き、岩の上に夫のくつが脱いであるのを見つけて、そこに登りました。すると、その岩も動き出して日本に運ばれてしまいました。彼女が日本に着くと人々が驚いて王に報告し、夫婦は再会して再び結ばれたのでした。

 その頃、新羅では大変なことが起こっていました。突然、太陽と月の光が消えてなくなってしまったのです。その理由を、日官という予言者が王に申し上げました。

「このような異変が起こったのは、我が国に降っていた太陽と月の精が、今、日本に行ってしまったからです」

 これを聞くと、王は使者を日本に遣わしました。けれども延烏は、

「私たちは天によってこの国に遣わされたのです、どうして帰ることが出来ましょうか。しかし、我が妃の織った極上の絹織物がありますので、これを持ち帰って天を祀るといいでしょう」

 と言って帰還を拒み、絹織物を渡しました。

 使者はそれを持ち帰って王に仔細を申し上げ、延烏に言われたとおりに天を祀りますと、果たして、まもなく太陽と月が元に戻りました。

 絹織物は国宝として倉庫にしまわれ、その倉庫の名を貴妃庫とし、天を祀った場所を迎日県、または都祈野トキヤと呼びました。「都祈」とは日の出を表す古い言葉で、「迎日」と同じ意味です。




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 日本が出てくる神話も色々あるんだね。
 なにしろ、お隣の国ですからね。
 『三国遺事』にある延烏と細烏の話は、新羅に住んでいた日月の化身の夫婦が、まず夫が日本に去り、それを妻が追って去るというものですが、日本の『古事記』には、太陽の娘であるアカル姫が新羅から日本に逃げて、それを新羅の王子で姫の夫のアメのヒボコが追ってくる、という話が載っています。
 関係あるような無いような……。なんだか面白いね。
 朝鮮半島(韓半島)より東にある国だから、太陽や月がいると思われていたのかな?
 さて、この後の高麗や李氏朝鮮、果ては朝鮮民主主義人民共和国まで、建国・始祖神話は語られ続けていますが、ここでは今回で朝鮮半島(韓半島)の神話は終了にさせていただきます。
 また、次の国の神話でお目にかかりましょう。


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