「あっ、サタン!」

 広間の人垣の向こうから、アルルの高い声が聞こえた。

 過たず私を見つけて、愛しい少女が近寄ってくる。

「アルル。よく来たな」

「うん。クリスマスおめでとうメリー・クリスマス!」

 そう言って笑った顔は、太陽のように明るい。

「それにしても、すごい盛大なパーティーだね。ボク、こんなに大きなパーティー初めてだよ」

「そうか? これでも規模は抑えたつもりなのだがな」

「うーん……。実は、ボク、こういうクリスマスパーティーっていうの自体、初めてなんだ」

「ほう?」

「いつも、家でお祝いしてたから……お母さんとおばあちゃんと」

 続けて、小さくアルルは何か呟いたが、それは聞こえなかった。

「ふむ。では今日がアルルのパーティーデビューといったところだな。心行くまで楽しむがいい」

「うん。ありがとう、サタン。ほら、カーくんも……あれ? カーくん?」

 己の左肩に視線を走らせて、アルルは慌ててあたりをきょろきょろ見回す。

 カーくん……我が愛しのカーバンクルちゃんを求めて、私も視線をめぐらせ……。

「ぐーっ」

「おおっ、カーバンクルちゃん!」

 カーバンクルちゃんはテーブルに陣取り、舌を長く伸ばして、料理を次々と、まさに「総なめ」しているところだった。

「ああーっ…。カーくんってば…」

「相変わらず見事な食べっぷりだ、カーバンクルちゃん!」

「ぐっ」

 ちらりとこちらを見ると、カーバンクルちゃんはテーブルの真中に置かれていた一抱えはあろうかという巨大な三段ケーキを舌で宙に投げ上げ、ぱくりと一口で頬張った。

 おおーっと周囲から声が上がった。勿論カーバンクルちゃんの妙技への感歎の声であろうが、幾分かはパーティーの目玉であるケーキを失ったことへの失望もかもしれない。

「ご、ごめんねー、サタンっ。こら、カーくんってば全部一人で食べちゃダメでしょ」

 そう言ったところを見ると、アルルも多少は落胆したのだろうか。

「いや、大丈夫だぞアルル。料理はまだまだあるし、ケーキも持ってこさせる。遠慮せずにどんどん食べなさい、カーバンクルちゃんっ」

「ぐーっ!」

 さぁ、これでさぞやアルルも私を懐の大きい男として尊敬のまなざしで見て……と思いつつ様子をうかがうと、アルルは少し頬を膨らませていた。

「もぉ、サタンってば甘やかしちゃって……ダメじゃないっ」

 がが〜ん! うむむむ……マズかったか?

 ん? いや、しかし。このシチュエーションはまるで……。

 子供の教育方針について意見を交わす夫婦の会話のようではないか!(そうか?)←影のツッコミ

 おおおおおおおおおおおっ!!

「さ、サタン、どおしたの? 笑いながら泣いてるケド…」

 少し後ずさったアルルの背が、ぼんと何かに受け止められた。

「あ、る、ルルー?」

 後ろを見上げて、アルルはその少女の名を呼んだ。

「なに人に寄りかかってんのよ。どきなさい、アルル」

「あ、ゴメン。ルルーも来てたんだ」

「何よ、あたくしが来てちゃいけない? あんただけがサタン様に招かれたってワケじゃないんですからね」

 むむっ…。そ、そうだった。ルルーも呼んでいたのだ。いや、この少女ならたとえ呼ばずとも勝手にやってくるだろうが……今までそうだったし。といって、別に彼女に会いたくないとか言うわけでもないのだが…むむむ。

「おお、ルルーか」

「サタン様ぁっ!」

 途端に、今の今までアルルに向けていた厳しい顔はどこかに消えうせ、ルルーは歓喜と期待に満ち満ちた目で私を見上げた。

 うーむ……。いつ見ても、女の変わり身というやつには目を見はる。

「本日はお招き感謝いたしますわ。サタン様のパーティーに出席できるなんて、夢のようです」

 そう口上を述べるルルーの姿は、いつもの比較的シンプルなドレスではなく、黒を基調としたやや落ち着いた感じのものだ。しかし結い上げられた髪のおかげで美しい首筋があらわになり、薄く化粧をしていることもあって、大人びて、むしろいつもより妖艶に見える。

 ちなみに、アルルの方はといえばいつもどおりの魔導スーツだが。飾らないところがアルルらしいといえばらしい。

「ルルー、今夜は美しいな」

 素直に賛辞を述べると、ルルーの肌が目に見えて朱に染まった。

「い、いやですわ、サタンさまったら! そんな、本当のこと! きゃっ」

「ぐぼっ」

 悲鳴は、彼女の背後に控えていたミノタウロスのものだ。ルルーの振り回した腕に当たって弾き飛ばされ、床に沈んでいる。

「あら? なにしてるの、ミノ! こんなところで寝るんじゃないわよ」

「あーあ…」

 小さくアルルが呟いた。

「それより、サタン様っ。ささやかですけれど、プレゼントを用意しましたの。受け取ってください」

「んっ? …お、お前が作ったのか?」

 私は少し身を引いた。

 いつもそう言ってルルーが持ってくる、怪しげな……もとい、個性的な創作料理の数々を思い出したのだ。

 普通に作れば、彼女の料理はそう悪くはないのだが、いかんせん、創作意欲にあふれて前衛的に走りすぎると……その、なんだ。

「勿論ですわ! 心を込めて編みましたのよ」

「な、なんだ…。食べ物ではないのか」

 ほっと肩の力を抜く。

「あら、食べ物のほうがよろしかったですか? では、また次に何か持ってきますわね」

「いっ!? い、いやな。そうではなく…」

「今回は編物に挑戦してみましたの。初めて編んだので、少し自信がないのですけれど……」

 そう言いながら、ルルーは綺麗に包装された包みを差し出す。

 な、なるほど……。それで今日のミノタウロスはなにやら目のもつれまくったセーターやら帽子を身に着けているのだな。

 ルルーがじっと私を見つめている。嬉しそうな、懇願するような、妙に危うく張り詰めたまなざしだ。……どうも、私はこの目に弱い。

「そ、そうか…。それはすまんな」

 ルルーの顔が輝く。私はプレゼントを受け取った。

 包みを開くと、青い色のセーターが入っていた。

 魔王たる私がセーターを着ることなど……ついぞないことだが。

「綺麗な青だな。ルルーの髪の毛でも編み込まれていそうだ」

「あら、判りまして?」

「い!?」

「あっねぇねぇ、ボクもプレゼント持ってきたんだけど」

 アルルが明るく声をあげた。

 おおおおおおっ!!

 アルルが? 私にプレゼントだとっ!?

「アルル!? あんた、サタン様にプレゼントなんかして気をひこうっての? アルルのくせに」

「アルルのくせに、って…。あのねぇ、クリスマスにパーティーに呼ばれたんだから、プレゼントくらい用意して当然でしょ。それだけなんだからね!」

 最後の一言は私に向けて言ったものだ。

 ふっふっふ……。相変わらず恥ずかしがりやさんだな、我が妃は…。しかしそこも可愛いぞ。そっけないふりをして、私のためにプレゼントを用意……し…て……。

 ……って。

「これ、ボクが作ったんだけど……。ボクこういうの苦手だから…」

「なぁに、それ。紐の先にボロきれ? あんた、そんなものをサタン様に差し上げる気?」

「マスコットだよ! 一応、カーくんのつもりなんだけどな。そんなに見えない?」

「あぁあああああああっ!!」

「サタン様っ?」「何っ?」

 思わず叫び声をあげ、頭を抱えて私は固まった。

 そう。

 そうだ。なんということだ。

 私は、我が妃へのプレゼントを何も用意していなかったのだっ!!

 パーティーの準備に気を取られて……。

 この私としたことが、なんたる失態っ!!!

「どうしたの、サタン」「サタン様? どうかいたしまして」  

「それがとてもマズい事態に……いや、ゲフンゲフン」

 私は慌てて言葉を飲み込んだ。

 魔王サタンの威信に変えて、我が未来の花嫁を失望させることだけはしてはならぁ〜〜〜んっ!

「なななな何でもない、なんでもないのだっ」

 そう言いながら、私はすばやく周囲に視線を走らせた。誰か……。

 目の合ったヒマそうな部下……ナスしかいないか? くっ、仕方がない! …に、必死にアイトークで語り掛ける。

 いますぐ店にでもどこにでも走って、我が妃へのプレゼントを用意するのだ!

「なす?」

 うぬぅううううっ。

 ナスはきょとんとして首をかしげている。

 だから、アルルのために、プレゼントを買って来いといっとるんだぁ〜〜っ!!

「さ、サタン…。何してるの?」

 身振り手振りもつけて熱演すると、ナスはようやくうなずいて駆け出していった。

「わかったなーす!」

 ふう……。とりあえず一息だな。

「サタン様、先程からどうかされたんですか? 何か問題でも…」

「いや、なんでもないぞルルー。なんでもないのだ! はは、ははははは!

 それよりアルル、の〜んびりしていってくれ。ナスが帰ってくるまでくらいはな。……いやそのゲフン!」

「ヘンなサタン……。いつもヘンだけど、今日は磨きがかかってるね」

「ちょっとお、サタン様に向かって「ヘン」とは何よ。失礼じゃない。ヘンといえば、あの変態でしょ」

 と、ルルー。

 ……そういえば。

「今日は、シェゾは来ていないのか?」

 私は尋ねた。いつも、こういうときに邪魔をしに現れるあの闇の魔導師が、今日はまだ現れていない。

「さぁ…あたくしは見ていませんけど」

 ルルーの背後で、ミノタウロスも首を横に振る。

「あ、シェゾ、来ないって」

 即座に返したのはアルルだ。

「途中で会ったから誘ったんだけど。

 そんなくだらん集まりにワザワザ顔を出すいわれはない、……なーんて言って」

 あの男を真似た口調が結構似ていて、その表情までが目に浮かんだ。

「くだらん、か…」

 まぁ、あの男の性格ならそう言うかもしれんな。

 もう少し付き合いがよくてもバチは当たらんとは思うが……。闇の魔導師とは言え所詮「人」だ。人に係らねば存在の意義を失うというものだろう。

 しかし、好都合だ。奴がいると男女のビミョーな雰囲気がたちまち壊れてしまうからな。

「あんな根暗男の話はもういい。それより折角来たのだ。アルルよ、お前も存分に楽しむがいい」

 言いつつ、私は手近を通りかかったトレイからシャンパンのグラスを取って、アルルに差し出した。

「えっ……。でも、ボク、お酒は…」

「あらアルル、あんたシャンパンも飲めないの?」

 すかさずルルーが突っ込む。言いながらひょいと私の手のグラスを取り、軽く中身をあおった。 

「あのねぇ…。ボクたち、まだ未成年でしょ」

「どこの国の法律よ、それ。

 あたくしは16の頃からワインをたしなんでいたわよ。サタン様の妃になろうという者がこういう場でアルコールも飲めないなんて、お話にもならないもの。オーッホッホ」

「ふぅん…。ルルーって酒飲みなんだね」

 いつもの高笑いをピタリと止めて、ルルーはアルルを睨んだ。

「ちょっと! なによそれ」

「へ?」

「あたくしが大酒飲みのアル中のヨイヨイだって言うの!?」

「ボ、ボクそこまで言ってな……」

「まぁまぁルルー様…」

「ミノ、うるさいっ!」

 騒然たる有り様になってしまった。

 うーむ……。ルルーがいても、いい雰囲気は裸足で逃げ出してしまうのか?

「サタン様、行ってきたなーす!」

 マントの裾をわずかに引かれ、私は背後を見下ろした。

 ナスが戻ってきている。よしよし、思ったより早かったな。

「……って…。なんだそれは」

「なす?」

 ナスの差し出しているのは、てのひらにすっぽり収まるほどの小さなものだ。リボンも包装紙もついていない。

「目薬だなーす! これをシャンパンのグラスに入れて、アルルに飲ませるんだなす?」

「ぬなっ。なーにを言っておるのだお前はーっ!」

 脳まですかすかの野菜めっ、変なところで物覚えがいい!

「………?」

 意味が分からないようで、アルルがきょとんと私を見上げている。

「は、はははははは。何を言ってるんだろーなぁ、このナスは。いやまったく。こんな目薬なんてポイだポイ!」

「そうでんな。最近は目薬の成分も変わってもーてあまり効果は期待できへんねん。どうせ入れるんなら煙草の灰やな。それ入れた酒飲ませて悪酔いしたところで介抱するフリして部屋連れ込んで一気呵成に既成事実や! ……ぐぃいい〜〜」

 最後のは私がさそりまんの首を締め上げた悲鳴だ。

「………サタン様?」

「なっ、なんだ?」

 振り向くと(思わず肩がビクリと震えてしまった。我ながら情けない。)ルルーがじっと私を見つめている。

「嘘ですわよね、サタン様がそんな……」

「いや、だから……。誤解なのだ」

「あんまりですわ!」

「ル、ルルー?」

 な、涙!?

「サタン様がそんな何か勘違いしたセクハラ男のような小細工をなさるなんて!」

「うぐっ」

「それならどこかのへっぽこ魔女に怪しい惚れ薬を作らせて一服盛ったけど失敗しちゃってうわー困ったね大混乱、みたいなお約束オチの方が百倍マシでしたわぁあ!」

「あのな……」

 なんだそれは。

「サタン様…」

 ぴたりと止まって、ルルーは私に呼びかける。

「な…なんだ?」

「そんなコトなさらずとも、既成事実でしたらいつでもあたくしが作ってさし上げましたのにぃい!」

「って、ちょっと待てぃ!」

 なぜか自らのドレスの前を引き裂こうとしたルルーの手を、私は慌てて押しとどめた。

「こんな所でイキナリ脱ぐやつがあるかっ! おい、ミノタウロス! ルルーを止め……」

 駄目だ。

 ミノタウロスは鼻血の海に沈んでいる。

「サタンさまぁぁ…」

「だからやめろというのだ!」

 私はマントを脱いで、きわどくなりかけた衣装のルルーをすっぽりと覆い隠した。

「まったく……。実は酔ってるな、ルルー」

 偉そうなことを言っていたが、かなり弱かったらしい……。今後は気を付けよう。

「サタン様……」

「ん?」

 少し潤んだ目で、ルルーが私を見上げている。

「そんなにあたくしの裸を見るのはお嫌ですか!?」

「は?」

「ひどいわぁあああ!!!!」

「のわぁああ!?」

 ごべ。どぐわっしゃあああん!! ぐちゃ。ぼきっ…。「あっお待ち下さいルルー様!」

 大音量の騒音が雑多に響き渡った。最後のは、復活したミノタウロスが走り去るルルーを追いかけていった声…か。

 ふ。流石はルルーだ……。人の身でありながら、魔王たる私をここまでふっ飛ばすとは。 っていうか、私じゃなかったらとっくに死んでるぞ。首が怪しい方向に曲がってしまったしな。

 首を元に戻しながら、私は立ちあがった。テーブルがいくつか粉々になってしまっている。やれやれ……。いや、そんなことより今はこっちだ。

「騒がせてすまなかったな、アルル。だが誤解なのだ。私は決してお前を……」

「アルルさんは、ルルーさんを追いかけて出ていっちゃいましたよ?」

 返ったのは、モップで掃除を始めたキキーモラの声。

「なっ!?」

 見れば、カーバンクルちゃんもいない!

「ワイらはもーちょいいさせてもらいまっせ〜。あ、お持ち帰りのタッパーないでっか?」

「お前らは出て行けっ!」

 私が赤ダルマ男とナスを外に蹴り出したのは、言うまでもない。

 

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