「キャアァッ」

 その威容に少女たちが悲鳴を上げる。

 その声に引かれたように、ドラゴンはずるりと鎌首をもたげると、こちらを見やった。そう。このドラゴンは通常見られるそれとはかなり異なった形状をしていた。普遍的に見られるドラゴンは(といっても、一般の人間がドラゴンに遭遇する機会はそうないだろうが)、ずんぐりとした胴体に長い首と尻尾を持っていて、背にコウモリ状の翼を持っている。翼があることを除けば大トカゲのような姿だが、後脚が発達して二本足で直立歩行できるようになっているのが特徴的だ。だが、このドラゴンは蛇のように長く細い胴体を持っていた。ではただの大蛇ではないかと言われそうだが、その体には鋭い鉤爪を持った二対の足が生えており、なにより頭部の形が蛇とは異なっている。……とはいえ、ドラゴンのそれとも似ていない。ねじくれた二本の角はもっと別の魔物のそれのようだ。

 初めて見る、なにかドラゴンのような魔物――それが最も適切な形容なのだろう。

 シュッ

 蛇のような声を漏らし、細い舌をちらつかせて、それ――奇妙なドラゴンはわずかに首をかしげた。

 何故我らがここにいるのか分からない――そんな感じだ。

 通常、ドラゴンは高い知能を持っている。だが、果たしてこいつは…………。

「なんだお前たちィイ。なんでこんなトコロにいるんだァア?」

 洞穴を吹き抜ける風のような声でそいつは喋った。吐き出された息で空気がかき乱され、微風を作る。

「にゃっ、そのっ、これは」

「別に……用があったからな。済んだから帰るぜ」

 おろおろするリュンクスの隣で、平然と彼奴は答えた。……たまに思うが、こいつの脳の回路は常人のそれとは違うのではなかろうか。少なくとも普通の人間ならこの状況でこういう返事は返さないに違いない。

「んン……?」

 あまりに超然とした態度に事態を計りかねたのか。再び、ドラゴンは首をかしげた。あるいは、この仕種はこいつの癖かもしれない。ルビーのように赫い眼球がギョロギョロと動き、ハッとしたように見開かれた。

「ああっ、お前、なんで外に出てるんだァ〜!」

 やっと、廊下に立つセラの姿に気付いたらしい。

 セラは身を強ばらせたが、彼奴の方は相変わらずだった。

「気にするなよ。仕事を減らしてやろうっていうんだ。……お前だって、ここでずっと見張りをしているのは大変だろう?」

「あー、そうだなァ……。ここは石造りだから、長い間じっとしてると冷えるんだよなァア」

 どうやらかなり人が好いらしいドラゴンはそう言ってぶるりと体を震わせた。

「こういう時は熱ぅいウーロン茶でも一杯やりたいんだよなァ……」

「じゃあ、これから好きなだけ飲んでくればいいさ」

 するとドラゴンは悲しそうに嘆息した。

「それがなァ。さっき、食事をとりに戻ってたんだが、茶っ葉が切れててなァ」

 と。彼奴が何か言うより早く、口を挟んだのはセラだった。

「ウ、ウーロン茶ならウチにあるわ」

「なに、それはホントウか!?」

「本当よ。ウチは商店だもの。ウチには何でも揃ってるのよ」

 少し誇らしげに胸を張ってから、セラは続けた。

「今度、持ってきてあげるわ」

「おお、そうかァ」

 ドラゴンは満面の笑みを浮かべる。……そういう雰囲気だった。ドラゴンの表情というのはかなり分かり難いのだが。

「――じゃ、そういうコトで」

「ああ、頼んだぞォオ」

 彼奴の声を合図に、我らはドラゴンの前から立ち去る。ドラゴンはにこやかにそれを見送っていた。

 ……のだが。

「ちょっと待てェエ!!」

 通路の角を曲がるか曲がらないかというところで、背後から大音量が浴びせられた。ドラゴンが追ってきている。

「……なんだよ」

「考えてみたら、もしお前が戻ってこなかったら、オレがマスターに怒られるじゃないかァア!」

 気付くのが遅い。

「お前、ホントウに戻ってくる気あるのかァア?」

「え………………」

 そんなのないに決まっている。ここでハッタリを通し続けられなかったセラを責めることは出来まい。

「お前ら、オレをだましたなァ! 許さぁんっ」

 ギャオォオオオン!

 ドラゴンは雄叫びを上げた。

「キャアァッ」

「フン。……結局、痛い目に遭わせてやらなきゃならないらしいな」

 彼奴は剣を構えた。無駄な戦闘は避けたいところだが、やはり力でカタをつけた方がすっきりとはするらしい。

「行くぜ!」

 先制。彼奴は呪文を解放した。

「サンダーストームっ」

 空中に起こった放電がドラゴンを撃ちすえる。

 ギャワァ!

 こんなに巨大な相手には、剣でまともに切りかかっても埒があかない。しかし体が大きいということは攻撃が当たりやすいということでもある。つまり離れた位置から強力な魔法をぶつけるのが最善策なのだ。

 ただし、ドラゴンは魔物の中でも特に魔力を帯びた生き物であるために、ある属性の魔力に対してかなり強い耐性を持つことがままある。個体によって、あるいは血族によって異なるそれを見極めるのが重要なのだが……とりあえず雷系に対する耐性はなかったようだ。効いている。

(――よし!)

 続けて呪文を放とうとした時、ドラゴンが奇妙な真似をした。

 全身を強ばらせる。すると、がさがさと尖っている白い鱗が一斉にめくれた。まるで開いた松かさのようだ。しかもそのまま固まるのではなく、鱗は細かく震えた。雨音のような音が迷宮に響き渡った時、それは起こった。

 ゴォオオォ――ッ

「なに!?」

 風だ。ドラゴンの背後、迷宮の彼方……あるいはドラゴンそれ自体からなのか。猛風が巻き起こり、我らを翻弄した。

「くっ」

 彼奴のマントや髪が激しく風にはためく。一瞬よろめき、飛ばされぬように踏みとどまったその隙に。

「!」

 咄嗟にかわした体のその横を、ドラゴンの巨大な顎がかすめた。

 宙を噛んだドラゴンは首をもたげ、再び彼奴の肉を狙ってくる。いつのまにかごく近い間合いに踏み込まれてしまっていた。捕まれば、骨は噛み砕かれてしまうだろう。

「――……」

 口の中で、彼奴はある呪文を唱えた。ふわりと幽かな光が彼奴自身や背後に離れた少女たちの周囲をすり抜ける。そして、ドラゴンの顎の二撃目をかわしながら次の呪文を解放した。

「アレイアード!」

 魔力の爆発!

 爆風。石の破壊され崩れ落ちる音。ドラゴンの怒号。そして少女たちの悲鳴。一斉に起こったそれらは一つの轟きとなって辺りに鳴り響いた。

 しかし轟きはすぐに去る。

 もうもうと舞い上がった石塵が静かに沈む中、ちらりと彼奴は背後に目を走らせた。唖然とした顔で、少女達とついでにリュンクスがへたり込んでいる。怪我はない。当然だろう。シールドの呪文がかけてある。

『とはいえ、あまり誉められたやり方ではないぞ』

 いくら崩れ落ちる瓦礫を防いだところで、土砂ですっかり埋まってしまえばお陀仏だ。ここは最初に降りた通路よりはかなり天井も道幅も広いとはいえ……。

「ウルセェな、問題なかったんだからいいだろう。それより」

 みなまで言わぬうちに。沈んだ石塵の向こうから、ぬっとドラゴンの体が浮かびあがった。あちこち傷ついてはいるものの、思ったほどのダメージを与えられなかったようだ。……あの魔法を受けて。

『おい、こいつは……』

「ああ」

 しかし。思ったほどのダメージ(手っ取り早く言えば「ばたんきゅ〜」だ)とはいかなかったものの、それなりのダメージはあったのだ。ドラゴンは怒り狂っていた。

「このォお!」

「!?」

 赫い目に涙を浮かべて、ドラゴンは体をひねった。太く巨大な尾が空を切ってうなる。あれに当たれば無事では済まされない。シールドをかけた今でも骨の一本や二本はへし折れるかもしれないし、かけていなければ潰れたカエルのように壁に貼り付けられてしまうだろう。

 が。

 石壁の壊れる凄まじい音。そして「ぐきょっ」という破滅的な音が事態の終息を告げた。

 なんと、ドラゴンの尾は勢い余って壁をえぐり、しかしえぐりきれずに引っ掛かって、結果として……。

 ドラゴンの大きな目からポロポロと涙がこぼれる。

「……………………………………………………………………………………………………………、腰が」

 その時。

 硬直したままのドラゴンの壁にめり込んだ尾の周囲から見る間に亀裂が走り、広がった。亀裂は網の目状になり、それぞれが乖離し始める。亀裂はそこでとどまらず、天井、果ては床にまで広がり、その手を結び合った。

 地響き。

「なっ!?」

 巨大な音をたてると天井が砕け、床が崩壊した。



  

 ………………………………………………………………………………………………………………………
……………………………………………………………………………………………………
………………………………………………………………………………
…………………………………………………。

 全く、何ということだろう。

 これというのも、考えなしに大呪文を使った彼奴と、自分の体の大きさも配慮せずに暴れたあの間抜けな闇属性のドラゴンのせいだ。

 とはいえ……。

 ここはどこだ?

 とりあえず、我は彼奴を呼んだ。

『主よ』

 ……応えはない。

 ひやりとした感覚が我を襲った。……これは正確ではない。魔導具である我には厳密な意味での感覚はなく、ただ、時に主のそれを擬似的に追体験するに過ぎないのだから。我は主と共にあってこそ、初めてこの世に「存在」できる。ただの剣ではなく……、―――として。だが……。

 彼奴は……どうしたのだ?

 存在が感じられない。

 まさか。

 不吉な予感が我を縛った。

 ……有り得ない話ではない。どんな力を持とうとも、人間の命はもろく儚い。滅びは突然に、あっけないほど簡単に訪れる。それを我は知って……、――いや。

 我ははっとした。

 違う。

 もしも真に主が亡んでいれば、それはもっと強烈な衝撃となって我をさいなむはずだ。我と主は精神的にリンクしている。であるからこそ、それが失われればそれは存在の大きな欠如として我に伝わるはずなのだ。そうだ、――かつても、そうだったではないか。

 彼奴とのつながりは消えてはいない。

 今彼奴の意識を身近に感じられないのは、恐らく彼奴自身が人事不省に陥っていることと、物理的に側にいない……はぐれたせいなのだろう。

 だとすればそう難しいことではない。

 気を取り直し、我は周囲を観察することにした。

 辺りはぼんやりと暗かった。……青い光が満ちている。我の束頭にかけられていたライトの魔法はその効果を失ってしまっていた。……かけてからかなり時間が経ったことと、術者である彼奴が気を失ったことが原因なのだろう。

 青くぼんやりとした光の中には石組みの壁が見えていた。広さからして部屋ではなく、通路だ。見覚えがない情景である。どうやら抜けた床から迷宮の下の層へ落ちたようだな。床には沢山の瓦礫が土砂と共に斜めに積もっている。

 その瓦礫の一つが動いた。

 ゆっくりと身を起こす。……人間だ。しかし、彼奴ではない。ずっと小さい。

「…………ここ、どこ……?」

 上がった声から、それが少女の片割れ――リシェンであることが分かった。

 少女はしばらくぼんやりと辺りに視線をさまよわせていたが、唐突に状況に気付いたらしい。狼狽したように立ち上がり(怪我はないようだ)、見回した後、姉妹の名を呼んだ。……返事はない。どこか別の場所に落ちたか、あるいはこの瓦礫の下に……。

 リシェンは泣き始めた。

 この地下迷宮に来てから、この少女は幾度涙を流したのだろう?

『泣いても何も解決しないぞ』

 我は言ったが、当然、少女には聞こえるはずもなかった。

 ……何をすることも出来ない。

 その時、小石が滑り落ちる音が聞こえた。……瓦礫が再び崩れ始めたか? 滑り落ちた瓦礫の一つが床に落ちて砕け、その破片が我の間近まで滑ってクルクルと回った。大きな音に、リシェンが顔を上げてこちらを見る。

 ……どうやら我を見付けたようだ。彼女が目を見開いて立ち上がった時。

 フギャアァ……

 瓦礫を滑り落としていた土砂の中から、ついに一塊の岩盤を跳ね除けて短い尾のリュンクスが飛び出した。こいつも無事だったのだ。

「猫さん!」

 縋るものを見付けて、リシェンが声を上げた。

「猫さん、みんないないの。どうしよう、もしかしたら……」

 言いながらリシェンは視線を瓦礫の山に移し、絶望的な表情になった。姉妹がこの下に埋まっている可能性に、ようやく気付いたらしい。

 べそべそとしたリシェンの様子に、リュンクスはしばし何か言いあぐねているようだったが、ややあって口を開いた。

「ミャー達は魔法の障壁に守られていたにゃー」

「え……?」

「だからミャーもこうして出てこれたし、お前も無事なんだにゃ。つまり他の二人も無事だにゃっ」

「ホント?」

「ウソはつかないにゃ」

 実際には――たとえ魔法の障壁に守られていたとしても、深い土砂の下に埋まってしまえば自力での脱出は難しい。そうなれば良くて窒息死、悪ければ魔法の効果が切れて圧死だ。……尤も、彼奴であれば、意識さえあればいくらでも自力で脱出できるだろう。仮にも闇の魔導の後継者なのだ。問題はもう一人――セラの方だが。……この場合、とりあえずリシェンの気力を呼び戻してやるのが先決である。……だからこれでいい。

「じゃ、二人ともどこにいるの?」

「そんなのミャーだって知らないにゃー」

「でも……」

「……多分ここは迷宮の一番下の層だにゃ。なにしろ、ミャーにも見覚えがにゃい」

 リュンクスは天井を見上げた。

「てっぺんまで埋まってるにゃ。ミャー達はあそこから落ちてきたにゃ。他の二人は、多分もっと上の階で止まったんだにゃ」

 つられてリシェンも天井を見上げる。

 多分、リュンクスの言うことは正しいのだろう。……となれば、彼奴と合流するためには……。

「じゃ、探しに行くにゃー」

「え?」

 リュンクスにリシェンは問い直した。

「ここにいてもしょうがないにゃ。上に行くにゃ」

「うん……」

 リシェンは頷く。それから、ふと気付いたように我に視線を戻し、屈んで無造作に手を伸ばした。

 我はぎょっとした。

 ――おい、待て!

「ちょっと待つにゃー!」

 我に合わせるように叫んだのはリュンクスだった。リュンクスは身軽にリシェンの前に回り込むと、我との間を遮るように立った。

「これを持っちゃいけないにゃー」

「え?」

「お前には分からないだろうが、これは魔剣だにゃ。すごい魔気を感じるにゃあ。お前なんかが触ったらそれだけでどうにかなってしまうにゃー」

「で、でも……それ、あの人のだよ。置いていくの?」

 フギャア……。

 リュンクスは少し考えたが、すぐに言った。

「ミャーが持っていくにゃ」

 そして短い尾で危なっかしげにだったが我を巻いて持った。

 魔物であれば、我の力に狂わされることはない。しかし、我は人に使われる魔導具であるゆえに……。

 我に宿る力は、本来、人の身には余るものだ。故に、極限まで力を抑えられたこの状態にあってさえ、我に触れれば大概の人間はその心を狂わせる。我の所持者となる資格を持てる人間はごく少ない。ましてや、力を使いこなせる人間ともなれば、それは………………。

(――おい!)

 唐突に、我の意識野一杯に声が響いた。

 声といっても音声として発せられたものではない。精神による呼びかけだ。

(闇の剣よ、どこにいる?)

 彼奴だ。

 やはり、生きていたのだ。

 


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