『御主こそ、一体何処にいるのだ』

 思わず言うと、束の間、ホッとしたような波動が返ってきた。

(どうやら、ぶっ壊れてはいなかったようだな)

『当たり前だ。我をなんだと思っている。御主の方こそ、間抜けに瓦礫の下にでも埋まったかと思ったぞ』

(……そんなヘマはしねェよ)

 一瞬間があったのは、多少ばつの悪い思いがあったのかもしれない。

(それより、お前は今何処にいるんだ?)

 我は手短に現在の状況を伝えた。と同時に、今我の見ている情景そのものを彼奴に送る。

(成程。確かに、こことは全然違うな)

 我の見るものを「見た」彼奴が呟く。一方で我は彼奴の意識に己のそれ――正確にはその一部だが――を重ね合わせた。彼奴の意識を捕まえられれば、実際の距離が多少離れていようともこのようなことは造作もない。

 彼奴のいる場所。そこは基本的に、最初にいた場所……ドラゴンと戦った辺りと大差ないように見えた。傍らにはやはり大量の土砂と瓦礫があり、天井の一部が落ちて吹き抜けている。そんな情景が、彼奴が宙に浮かべたライトの光の中に浮かんでいる。……こうして宙に光球を浮かべる方が、物に光を宿すよりはやや難しく(多少の集中の持続を必要とする)、それだけに「うざったい」のだが。

 彼奴の傍らにはセラが寝かされており、意識を失っていた。……どうやら全員無事だったようだな。シールドが思いがけない点で役立ったようだ。

「多分、そこがここよりも下だというのは正しいだろうな」

 彼奴は我と同じように感じたようだった。

「問題はどうやってそっちと合流するかってことだが」

『どうもこうも、歩くしかあるまい』

「……テレポートが使えればな」

 彼奴は忌々しげに言った。

 この迷宮では空間転移系の魔法が使用できないというのは、最も最初に確認したところだ。まぁ、出入りに石円陣を用いているくらいである。そのくらいの仕掛けはあっておかしくはない。

『問題は……こちらもそちらを探して動いているという点だ』

「じっとしてもらっていた方が、俺としてはありがたいんだがな」

『仕方あるまい。……コイツらには我の声は聞こえないのだからな。しかし、これまでの例から行くと階段は各階層に一つしかなかったはずだ。とすれば、必然的にその近辺で遭遇する可能性は高い』

「そうだな……」

 そこまで言ったところで、彼奴はぎょっとして言葉を止めた。

 いつのまにかセラがその目を開いていて、胡乱な目でじっと彼奴を見上げていたのだ。

「――あんた、何一人で喋ってるの?」

「……うっ」

「やっぱ、ヘンなやつぅ!」

「ちっ、ちっがぁ〜うっ!」

 やれやれ。いつものように口に出して我と語っていたのが災いしたな。

 ちなみに、こういう場合は弁明は聞きいれてもらえないものだ。まぁ、聞いてもらえたとして我の声は彼奴以外には聞こえないのだから状況は変わるまいが。

「でも……一体どうなっちゃったの? ここはどこ? ……リシェンは!?」

「…………俺は変なんかじゃねェぞ……」

 彼奴はぶつぶつと呟いている。

「ちょっと! 聞いてるのっ!」

「どわぁっ! イキナリ大声出すなっ」

「あんたがぼーっとしてるからでしょっ!」

「この……っ、くそ生意気なガキが!」

「あら、そのガキに馬鹿にされるような行動取る方が問題あるんじゃないの」

「ぐぬぬ……」

『諦めろ。口では勝てないようだ』

 舌打ちし、彼奴は立ち上がった。

「他の奴等は下にいる。捜しに行くぞ」

「え? じゃ、リシェンは……リシェンは無事なの?」

「ああ。ピンピンしてるぜ」

「……なんであんたにそんなの分かるのよ」

 安心した表情を見せたものの、すぐにセラは不審な顔になる。

「分かるさ。あっちには俺の相棒がいるからな」

「相棒……?」

 セラは眉根を寄せる。

「あの猫のこと?」

「違うっ! なんで俺があんな猫なんぞと組まねばならんのだ!」

 リュンクスが聞いたらショックを受けるだろう台詞だな。

「とにかく、行くぜ。下への階段を探すんだ」

「あ、待ってよ!」

 二人は通路を歩き出した。



 

 とはいえ、階段はなかなか発見できなかった。

 これまではリュンクスという案内役がいたわけだが、それは今彼奴らの側にはいない。ちなみに、そのリュンクスを道連れとして下層をさまよう我らの方も、上層に戻る手段を未だ見付けてはいなかったが。この(つまり、下の)階層に関してはリュンクスは不案内らしい。

「ん……?」

 通路の突き当たり、袋小路になっている場所に灯ったランプを見付けて、彼奴が声を漏らした。

 ランプの軟らかな光に照らされて、小さな魔物が佇んでいる。それは本当にただ佇んでいて(正確にはトランク状の四角い台の上にちょこんと乗っている)、襲ってくるとか、単に近付いてくる様子も見せない。

「なんだお前は」

 彼奴が問うと、その魔物は甲高い声で喋った。

「わたし、ミイル・ホォルツォ・ベンジャミン。お客さん、いい品揃ってるよ」

「商人か」

 どうやってか、こういった迷宮には必ずといっていいほど魔物の商人が露店を開いていた。たとえどんな秘境であろうとだ。恐るべき商売根性だが、訪れる者が人間であっても分け隔てなく商売してくれるので、冒険者にとっては正直かなりありがたい存在であることは間違いない。どんなに準備万端整えていようとも、長丁場の探索では用意した物資も不足しがちだし、実際こうした魔物商人の店でしか手に入らない魔導具も数多いのだから。

「どんなものがあるんだ?」

 彼奴も覗いていく気になったようだ。

「なんでもあるよ。魔導酒にふくじんづけ、携帯食のカレーライス。てのりぞうに返しエプロン。象液の注射にマオリガの霊薬。竜の爪に竜の角……。お客さん、どうやら丸腰だねぇ。迷宮探索はキケンだよ。魔導杖を買っていかない?」

 ミイルは赤い翼を広げて口上を述べ、丸い目でこちらを見やった。

 一見して赤くて丸い鳥のようだが、その尾はトカゲ状になっている。コカトリスの眷族なのだろう。

「……ヘボい杖ばかりだな」

 一通り検分し、彼奴が言った。

「そんなことはないよ、お客さん。ウチの品物は信用あるルートから手に入れた厳正品ばかりだよ」

「駄目だな。そこらの見習い魔導師ならともかく、この俺がこんな杖を使えるか」

 手にしていた杖をポイとトランクの中に投げて戻す。

「あああっ」

 まぁ確かに、我と引き比べれば、ここで売られている魔導杖など子供のおもちゃに等しいだろうがな。

「もー、厳しいなぁお客さん。でも、これは本当にいい品だよ。これ以上の品質となったら――例えばウラノス・スタッフシリーズなんかだと、おいそれと市場に出回ることだってないんだから」

 杖の様子を試すがつしつつ、ミイルは言った。

「そうか? ……俺は一本持ってるが」

「またまたぁ。お客さん、デタラメはいけないよ。商売暦長〜いこの私でも、滅多にお目にかかれない逸品なんだからね」

「あのな。何で俺がお前に出鱈目を言わなきゃならんのだっ?」

 ウラノス・スタッフ――ウラノスの杖は、超古代魔導期に作られたとされる非常に高性能の魔導杖だ。偶然によって遺跡から発見されるそれの数は当然少なく、幻の杖と言われている由縁である。

 とはいえ。あれだけあちこちの遺跡を巡っていれば、幻の品といえど巡り合う機会もあるものだ。

「すると、ホントのホントに? 女神様に誓って?」

「女神はともかく、嘘じゃねぇ」

 ピ――ッ!

 唐突に、ミイルが鳥のような……元々鳥か……とにかく、声を上げた。

「おおおおお客さんっ!」

「うわ!?」

  言うなり、ミイルが彼奴にしがみついた。……今日はよくよく人にしがみつかれる日らしい。

「なな、なんだっ」

「ウラノスの杖、私に売っておくれっ!」

「は、……はぁっ?」

 ミイルの丸い目が、興奮のためかますます丸く開いていた。

「ウラノスの杖みたいなすごい品物を扱うのは商人の誉れね。わたし、ゼッタイゼッタイそれを仕入れたいよーっ!」

 ピロロロとミイルは文字通りさえずった。

「ねっ、頼むよお客さん、この通りっ。良い値で買い取るよ。私の夢をかなえると思ってっ」

「なっ、そんなの俺に関係な…………」

 言いかけて、何かに気付いたように彼奴は言葉を途切らせた。

「お前、そんなに欲しいのか?」

「勿論ねっ」

 くちばしを菱形に開けてミイルは勢い込む。

「よし。――では物々交換というのはどうだ?」

 こころもち笑って――しかしあくまでしかめつらしく、彼奴は言った。

「ピッ?」

「つまりだな……今のここの支払いを、ウラノスの杖と交換するんだ」

「そ、そりゃー構わないね! どれでも好きなのを……いや、全部持ってっていいよ!」

 持ってけドロボー、とばかりにトランクを丸ごと押し付けてきたので、流石に慌てた。

「そんなに持てるかっ。ガラクタはいらん」

 トランクの中から、彼奴は幾つかの品物を選び出した。

「それより、ちょっと尋ねるが……。下の層へ行きたいんだ。道を知らないか?」

 あまり期待していなかったのだが(恐らく、ミイルは外部から入り込んだ魔物のはずだ)、意外にもあっさりと「ああ、それなら」と答が返った。

「その先を左、右、左と行った突き当りに石の魔法陣がある。多分それで下に行けるはずね」

「本当か」

 頷き、ミイルは声の調子を改めた。

「ただし、行くだけでは駄目ね。その魔法陣を動かすには鍵が必要じゃ」

「鍵……?」

 彼奴は眉根を寄せる。

「まさか、それをお前が売ってるとか言うんじゃないだろうな」

 ちちち、とミイルは短い腕を振った。

「生憎、違うね。だから私はこの下までは商売に行ったことがないよ!」

「……なんでそこで胸を張るんだよ」

 無意味なノリというやつだろうか。

「まぁ、いい。……心当りはあるからな」

 世話になったな、と言い置いて歩き出すと、ミイルが慌てたように飛び立って追いすがった。

「ちょ、ちょっとお客さん!」

「あ? なんだ」

「なんだって……ウ、ウラノスの杖は?」

「ああ。……今は持ってねぇ」

 数瞬、ミイルは石になっていた。そのままゴトリと床に落ちてしまう。しかしそこは商売人、即座に立ち直った。

「ピピピッ、お客さん、ウ、ウソついたのね!? 女神様に誓ってって言ったのに!」

 ミイルはばさばさと宙で暴れた。

「女神には誓ってねェぞ……。あのな。落ち着いて聞けよ。俺は今ここには持ってないって言ったんだ」

「ピッ?」

「家に置いてある。そのうち持ってくるから、待ってろ」

「そ、そんなの……。ま、待ってよお客さん! だったら今交換に渡した品物を返してもらうよ!」

「なーに言ってんだ。お前、そういう確認は取らなかっただろ。もう駄目だぜ。大体、ウラノスの杖とこれっぽっちの品物を交換しようってこと自体、かなり虫がいい話だろうが」

「そ、そんなぁ……これって、サギね! ドロボーねーっ」

 足を止め、彼奴は振り返った。

「あー、ウルサイ奴だな……。別に今、ここでお前をヤキトリにしてやってもいいんだぜ?」

「ピピ――ッ!!」

 掌に炎を現出させてすごむと、ミイルは一目散に飛んで逃げていってしまった。

「ひっどいなぁ……」

 ミイルのさえずりが聞こえなくなると、黙って見ていたセラの声が落ちた。

「あんたってやっぱり悪人だったのね」

「善人だなんて言った覚えはない」

「だって、リシェンを騙してるでしょ」

「騙してねーよ。あの鳥のコトだって別に騙したつもりはないぞ。……しょーがないだろうが。換金してないから、今、現金の手持ちがなかったのを思い出したんだ」

「じゃ、ホントに杖を持ってくるの?」

「ああ」

 彼奴は請け負ったが、裡で呟いていた。

(……忘れてなきゃな)

「大体、騙す云々を言うんなら、お前だってあのドラゴン相手に適当なこと言ってただろ」

「うっ……」

「そんなことより、さっさと行くぞ」

 言いながら、彼奴はセラに何かを投げた。少女は反射的に受け取る。

「なに、……指輪?」

「魔導指輪だ。装備してりゃ防御力が多少は上がる。着けてろ」

 セラはちょっとばかり奇妙な顔になった。

「………………ヘンなヤツ」

「なんでだ!」

 ……まぁ、それはともかく。

 ミイルの言ったことは正しかったようで、程なく彼奴らは石円陣へと辿り着いた。形状は上層にあったものと大差なく、ただ違うのは、それは袋小路にあり、突き当たりの壁にまで何やら文様がぎっしりと刻み込まれていたという点だ。

「間違いないようだな」

 石壁に刻まれた文字を指で辿りながら、彼奴が言った。

「でも、あの鳥が鍵がいるって言ってたじゃない?」

「問題ないさ」

 言いながら、彼奴は胸元の隠しから何かを取り出した。覗き込んで、セラが不審な顔になる。

「なに、それ」

「ここに来る前、ある遺跡に行ってな……そこで見付けた」

 それは鶏卵大の丸い石だ。それ以外の何物にも見えない。……魔導に詳しい者であれば、それがある特殊な材質で作られていることに気付いたかもしれないが。

「遺跡?」

 セラはますます不審げな顔になった。まぁ、好んで過去の遺物に関わろうとする好事家は、世の中で魔導師か考古学者くらい。まっとうな暮らしを営む者には無縁だからな。

 その遺跡は歪んだ空間の中にあった。それ故に、遺跡を覆う森から脱出するのに、我らは思いがけず手間取ったのだ。人の手が入っていないがために魔物の巣窟とも言えたその場所では、ろくに体を休めることも出来なかった。

「多分……こうだろ」

 突き当たりの壁の中央近くに、僅かな窪みがある。すべすべした表面を持つ石を、彼奴はそこにはめ込んだ。

 光る。

 最初のそれと同じように、

 壁に刻まれた文様、何も刻まれていなかったはずの石。そしてはめ込んだ丸い石にまでも。光の文字が浮かびあがり、四方から彼奴らを照らした。

「きゃ……!」

 セラが小さく狼狽の声を上げる。

 光に包まれ、彼奴らは転移した。



 


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