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「ミャッ。こっちですにゃー、シェゾ様っ!」
我らの先頭に立って、得意そうにリュンクスが振り返った。
少女達を取り戻してしまえば、もはやあの血にまみれた部屋に留まる理由は無い。彼奴の使った石円陣で上層に戻ると、ここからなら道が分かりますにゃ、とリュンクスが道案内を買って出たのである。
ホムンクルス・マスターが滅んだ後、駆け寄ってきたリュンクスは彼奴を「シェゾ様」と呼んで騒いだ。
「だって、あのマスターを倒したにゃー! そ、そうにゃっ。つまり、シェゾ様が新しいミャー達のマスターだにゃー!」
調子がいい……というより、たくましい奴である。
(こいつは後々まで生き残るタイプだな……)
騒ぎ続けるリュンクスを見つつ、裡で彼奴は呟いたものだ。……まぁ、少なくとも彼奴にはできそうに無い処世の技ではある。
対照的に――少女達は静かだった。
彼奴の後方、少し離れたところを二人で固まって歩いている。
往路など――リシェンは殆ど彼奴にしがみつかんばかりだったし、セラはとにかくかしましかったものだが。今は二人とも、彼奴から一定の距離を空けて決して近付こうとはしない。部屋を出る時、「出るぞ」と声をかけた時から、ずっとこの調子だった。
『嫌われたな』
(ほっとけ)
まぁ……無理もあるまい。
血にまみれた戦闘は、平凡な環境で幸せに育った少女達には馴染まなかったのだろうし――それに。
……こういう反応は珍しいものではないのだ。我らにとっては。
「なんだか、静かですにゃ」
「お前は賑やかだな」
「そうですかにゃ。ミャーは、仲間内では無口で通ってますにゃ。……あっ、これが最後の階段ですにゃっ。あとは石の魔法陣で外に出るだけですにゃー」
リュンクスの先導で、我らは階段を上がりきった。
「あと、一息だぜ」
なんの気なしに、彼奴は少女達に言ったのだが。
「ねぇ」
不意にセラに声を掛けられて、彼奴は目を瞬かせた。例によって反応はないと思っていたのだ。
セラは硬い表情をしていた。
「本当なの?」
「はぁ? ……何がだ」
「あいつが言ってた。……あんたはルーン・ロードの後継者だって」
一瞬、彼奴は沈黙した。
この瞬間に彼奴の中をよぎった感情の色は、雑多過ぎて我には捉えようが無い。
「あんた本当に……、闇の魔導師なの?」
「そうだ」
この問いへの彼奴の答えは素早く、淀みがなかった。
「なっ……」
「言わなかったか? 俺はシェゾ・ウィグィィ。――闇の魔導師だ」
「だっ……だったら、どうしてあたし達を助けたりするのよ!」
どういう応えを予想していたものか。一瞬、虚を衝かれたようになったのはセラの方だった。憤ったように叫ぶ。
「それは……仕事だからだな」
「闇の魔導師って、この世に災いをなすんでしょ!? それがお父さんに雇われてあたし達を助けるっていうの? そんなのおかしいよ! 変じゃない!」
「何が言いたいんだ、お前は」
彼奴はわずかに声を苛立たせた。
「お前の親父を斬り捨てて金を奪った方がよかったのか?」
「そ、そんな……」
青ざめ、一歩さがったセラにリシェンがしがみついた。その様子を見て、彼奴は表情を緩める。
「あのな。俺は……」
言葉は最後まで発されなかった。
少女達の後方、我らが通って来た道の突き当たり。その角から、ぬっと姿を現したモノがいたのだ。
「………な!?」
天井に頭がつきそうな巨人だった。
虹彩のない目は緑色をしている。鼻は鼻梁を持たず、コウモリのような潰れた形をしていた。頭髪は一本もない。発達した筋肉は首筋を埋めるほど盛り上がっており、たくましいその腕は二対、なんと計四本もある。うち一対は蜘蛛のそれに似た形状で、背中から生えているのだ。
ぢゅおぉぉおお。
細かい歯を持つ魚めいた口を開け、異形の巨人は吠えた。
「にゃ、にゃんだにゃっ!?」
毛を逆立ててリュンクスが叫ぶ。
「チッ……まだこんなヤツがいたのか」
彼奴は素早く前――進行方向からすれば、後ろに戻った。
その動きに反応したのか、思いがけない速さで巨人が突進してくる。
「下がれ!」
背後の連中に言いながら、彼奴は自分も飛びすさる。丸太のような腕が風圧を伴ってその鼻先を掠めた。
「や、やめるにゃー! そのお方はミャー達の新しいマスターだにゃー!」
リュンクスの言葉を、巨人は請け合わない。己を生み出した者への忠誠が深いのか……あるいは、理解できるだけの知能がないのかもしれないが。
「どうやらコイツは……まだ未完成品ってところだな」
彼奴が言った。
巨人の肉はぬめっていた。――ひどくただれているのだ。生育途中でマスターが死んだからなのか、あるいは、ビンを破壊してしまったからなのだろうか。見るからに尋常の様子ではなかった。
そして、この匂い。鼻をつく薬品のそれと――腐臭だ。
全身は塗れそぼり、ポタポタと雫を落としている。
「焼き尽くしてやるぜ!」
亜空間から我を取り出すと、彼奴はその刃先に添えた指で印を組み、呪文を唱えた。
「――エクスプロージョン!」
劫火が巨人に叩き付けられる。肉の焼ける嫌な匂いが漂った。
ぢゅおぉおおおお!
巨人はもがき、めくらめっぽうに腕を振り回す。
「ぅあっ!」
「ぎにゃー!」
「キャアアッ」
巨人の背中の爪を食らった彼奴は弾き飛ばされ、後方の連中にぶつかった。潰されてリュンクスは目を回してしまったが、少女達は悲鳴を上げただけのようだ。セラの前にリシェンが折り重なるようにして、小さく苦鳴を上げている。
「――つっ。……おい、大丈夫か」
「いやぁっ!」
思わず伸ばした彼奴の手は、リシェンに払いのけられた。
その瞳にありありと浮かんでいるのは、純粋な恐怖。――忌避。
我らの見慣れた、拒絶の色だった。
その間にも巨人は再三腕を振り上げている。
『――主よ!』
咄嗟に、彼奴は少女達を突き転ばしていた。自らも逆方向に転がって身を躱す。風を切って巨人の背の爪が床石を砕いた。
「ダークバインド!」
間髪入れず放たれた彼奴の呪言が、巨人の体を縛った。
その隙に跳ね起きる。が、がくりと片膝が崩れかけた。
「……ちょっと!」
白銀のローブに広がる鮮紅色の染みに気付いたのだろう。セラの動揺した声が聞こえた。あの瞬間、脇から背中にかけて、巨人の爪に肉を削り取られていたのだ。
『反応が鈍いぞ。御主らしくもない』
(うるせぇ)
我に悪態を吐き、彼奴は今度こそしっかりと立った。命に関わる傷ではない――少なくとも、戦えぬほどのものでは。そして我と共にあるならば、肉体が粉々にでもならぬ限り戦い続けられる。
ぢゅ おぉお
巨人は身動きならぬまま、それでも呪縛から逃れようともがき続けていた。その虹彩のない両眼から涙が溢れた。
いや。腐り溶けかけた両眼から溢れるものなど、涙と限った物ではないだろう。ただの膿漿なのかもしれなかった。にもかかわらず――やはり涙に思えるのは、我と繋がっている彼奴の感覚だ。
「考えてみれば哀れな奴だな、お前も」
呼吸を整えて痛みを抑えながら、彼奴が言った。
「戦うためだけ――破壊のためだけに歪めて創られた命だ。……お前をそう創った奴ももういない。それでも戦い続けるか?」
ぢゅおぉおおお
巨人が吠えた。筋肉が盛り上がり、所々繊維が弾けて飛沫が飛ぶ。渾身の力を込めて呪縛を打ち破ろうとしていた。滂沱と涙を流す目には狂暴な輝きがある。憎しみなのか、破壊の衝動か。それは知れるものではなかったが。
「……そうだな」
彼奴は嗤った。
(そのためだけにしか存在できない者もいる。お前も――)
『我らも』
一つになった我らは、自らの意識の底――無我の混沌から"力"を引きずり出した。
自らの肉体と共に呪縛を引き千切った巨人が、我らに走り、その爪を振り下ろす。
だが。それよりも数瞬速く、我らは刃を――破滅の力を解き放っていた。
――アレイアード・スペシャル!
我を通して形質化した漆黒の刃は巨人を一刀のもとに切り裂いた。のみならず、その背後の壁をも切り刻んで貫く。放出された膨大な魔力にかき乱されて唸りを上げて風が駆け巡り、青白い雷が走り閃いた。壁が砕け散り、粉々になって崩落する。
ぢゅお、ぉ
轟音の中で、巨人の声はその最期までは我らに届かなかった。
風が動く。
崩れ去った壁の向こうに、銀砂を撒いたような星空が見えた。夜明けが近いのか、夜空の色は薄い。
『――どうやら、我らは丸一晩地下にいたようだな』
壁を隔てた向こうは、地上だったのだ。