ふ……ふふふ……ははは……。

 一息つく間もなく、どこからか笑い声が響いてきた。

「お見事です、シェゾ・ウィグィィ……。「神を汚す華やかなる者」の名を持つ闇の魔導師よ」

「……貴様がイクスグレイズだな」

「いかにも、その通り」

「ちょっと、出てきなさいよっ! 正々堂々と勝負なさいっ」

 ルルーが怒鳴った。

「正々堂々とは、また青臭いことを言いますね、お嬢さん……。しかし、いいでしょう。これだけ私を楽しませてくれたあなた方に敬意を表して……」

 部屋の奥、えぐれた床の向こうに闇が現れた。それは渦を巻き、一瞬の後に一人の人物を出現させる。

 黒い髪、黒いローブをまとい、まがまがしい形状の杖を手にしたその男は、黒目がちの目にシェゾたちを映すと冷たく笑った。

「あなたは……グロストさん!?」

 ウィッチが息を飲む。

「いかにも」

「フン……随分と手の込んだことをしたもんだな」

 呟いたシェゾに、グロスト……いや、イクスグレイズは視線を向けた。

「あなたは驚かないのですね、シェゾさん」

「貴様はおかしかったからな。……最初から」

 イクスグレイズは眉をひそめる。

「おや? 気配は完全に隠したつもりだったんですがね」

「だからだよ」

 シェゾは短く言う。

「「グロスト」の気配は、あまりにも小さ過ぎた。いくら普通の人間でも、あそこまで気配の小さな人間なんてそういるはずがない。胡散臭いと自分で宣伝してるようなもんだぜ」

「なるほど……万全の準備が裏目に出ましたか」

「一体……貴様の目的は何だ? こんな自作自演をしかけてまで、なぜ俺を……アルルを呼び寄せようとしたんだ」

「別に、アルルさんを連れてくるつもりはなかったんですがね……」

 イクスグレイズは軽い口調でそう言う。

「彼女が自ら志願したんですよ。それに、ちょうどいいと思いまして」

「何?」

「あなたがその少女……アルル・ナジャに執着しているというのは、有名な話ですからね。彼女を手にしておけばいずれあなたも来てくれると思っていましたよ。実際、招待状を出すまでもなく、こうして来てくれましたし」

「貴様っ……」

 剣を構えたシェゾを見て、何故かイクスグレイズは笑みを浮かべた。

「そうですよ、もっと楽しませてください。私はまだ満足していないのですからね」

「フレイムストーム!」

 シェゾの呪文解放と共に、再び戦いの火蓋が切って落とされた。

 イクスグレイズは杖を振り、炎の渦を消し去る。

「食らいなさいっ」

 懐に飛びこんだルルーが掌底突きを放つ。

「破岩掌ッ」

 だが、手応えはなく、ルルーはつんのめった。残像を残し、魔導師は別の場所にいる。

「くっ」

「ミルキー・ウェイ!」

 ウィッチが振り回したほうきの先から光り輝く星が降り注いだ。

「ううっ」

 イクスグレイズが呻きを上げる。だが、

「うおおおお、猛進クラッシュ!」

「ダークブリザード!」

「ぐおっ」

 続くミノタウロスの体当たりは、イクスグレイズの繰り出した魔法で阻まれた。

「サンダーストームっ」

 再びシェゾが強力な魔法を放った。その基本を光系と同じくする、雷系の上位魔法だ。それは目的の空間を放電させ、打ちのめす。しかし、

「ブラックホール!」

 イクスグレイズの指先から生まれた闇が、放電を吸い込んでしまった。

「結構……手ごわいわね」

 幾度かの攻撃を試したルルーが、わずかに肩を揺らしながら言った。

「ふふふ……どうしました。この程度の力では、私を傷つけられませんよ」

 イクスグレイズは笑う。

「シェゾさん……あなたの力を見せてください。あなたの力はこんなものなのですか? 闇の世界に名を馳せた、あなたの力は!」

「フン……なら、見せてやろうじゃねぇか」

 シェゾは左手を挙げた。そこに、闇が凝縮していく。

 実際、これまでの戦いでシェゾの魔力は結構消費されていた。だが、このままちまちまと殆ど効かない攻撃をするよりは、強力なヤツをぶつけてやったほうがいい……。

「食らえッ、アレイアードっっ」

 解き放たれた闇の力は、まっすぐにイクスグレイズを捉えた。だが、それが彼に到達する前に、闇の障壁に阻まれる。

「なにっ?」

「ふふ……いいですよ……もっと見せてください、あなたの力を!」

「ならっ……これならどうだっ!」

 シェゾは剣を目の前で構えた。急激に魔力が集中する。

「アレイアード・スペシャルっ!」

 斬撃と共に闇の力がイクスグレイズを襲った。

「くっ……」

 数瞬、それは障壁に受け止められる。しかし。

「うわぁああっ」

 障壁は打ち破られ、イクスグレイズは跳ね飛ばされて地に叩きつけられた。

 シェゾは構えたまま、倒れたイクスグレイズの様子をうかがう。いかに反撃してこようと対処できるよう……だが、やがてゆっくりと身を起こした彼の反応は、シェゾの理解を超えていた。

 彼は笑っていた。その笑いは次第に大きくなり、やがて体を揺らして笑い始める。

「な、なにコイツ……」

 ルルーの呟きはその場の全員の気持ちを代弁していた。

「いいですよ……素晴らしい。さすがは、伝説の闇魔法です。比類なき威力だ……」

「だったら、どうした。もっと食らいたいのか?」

「いいえ……さすがに、痛いですからね。それに、もう充分見せていただきましたし……」

 イクスグレイズは立ち上がると右手を突き出した。何事か呪文を唱え始める。 

「そろそろ、私からも行かせてもらいましょう」

 突き出した手のひらに闇が凝縮する。

「――アレイアードっ!」

「何っ!?」

 闇の爆流がシェゾたちを襲った。

「ど……どんえーん!」

 ウィッチが唱えていたらしい障壁魔法を放つ。威力は軽減されたが、最後まで持ちこたえられずに障壁が弾けた。

「きゃあっ」

 ショックでウィッチが昏倒する。

「ウィッチ!」

「貴様、何故……」

 ウィッチから視線を戻し、シェゾは眼前の魔導師を睨みつけた。

「驚きましたか? アレイアードはあなただけしか使えない、いわばあなたの看板のようなもの。しかし、あれだけ「お手本」を見せてもらいましたからね」

「今、見て覚えたというのか?」

「ええ。……古代魔導語に精通しているのは何もあなただけではないのですよ」

 黒づくめの男は笑った。対するシェゾも同じく黒づくめだが、こちらはプロテクターの随所に施された銀の装飾や、なによりその銀の髪が目立つ。 

「私はね……常々考えていたのですよ。私は闇の魔導に身を堕として、あらゆるものを支配しました。だが……噂にあなたのことを聞いて、不思議に思った。あなたは何も支配していない。なのに、何故闇の魔導師として随一のように言われているのだろうとね」

「…………」

「それは、あなたが強い力を持っているからです。その力とは……そう、古代魔導ですよ。でも、ずるいじゃないですか。そんなすごい呪文を独り占めにしておくなんて」

「……お前の目的とはそれか。アレイアードを手に入れるために、こんなことをしたのか?」

「ええ。最初は、もっと平和的に教えていただこうと思っていたのですがね。色々と予定が狂いました。けれど、帳尻は合いましたから、よしとしておきます」

「お前ごときにその呪文が使いこなせるとは思えんな。必要なのは、知識や素質だけではない」

「……では、何が必要だというのです?」

「…………」

「いいでしょう。負け惜しみが言えるのも今だけですから」

 イクスグレイズは杖を構えた。

「呪文が私のものになった以上、もはやあなたは邪魔なだけ……アレイアードの使い手は、私だけです」

 杖の先に闇の力が集まる。

「アレイアード!」

「アレイアードっ!」

 対抗して放ったシェゾのそれと、二つのアレイアードが衝突した。

「くうっ」

 爆風が駆けぬけ、ルルーたちの髪や衣服をなびかせる。

「やりますね。だが、あなたの魔力はそろそろ底をつきはじめているはず。どこまで持ちこたえられるか、試してみるとしましょう……」

「…………」

 荒い息をつきながらシェゾは眼前の男を見た。魔力が切れかけているのを見抜かれている。……ルルーたちを戦力とすればまだ打つ手はあるが、アレイアードを手に入れた相手に対して、それがどこまで通用するか……。

 と、その時。

「――ヘブンレイ!」

 シェゾの背後から、肩越しに誰かが強力な光魔法を放った。

「ぐあっ!?」

 余裕の表情を浮かべていたイクスグレイズは、突然の攻撃を受けて弾かれたように体をひねる。

「アルル!」

 ずっと意識を失ったままだったアルルが目覚めて、魔力を放ったばかりの右手を突き出していた。

「お……おのれ……」

 被弾した顔面の右半分を押さえ、イクスグレイズが唸る。押さえた指の間から血が滴ってくる。その機を逃さず、シェゾの剣が一閃した。

「がはぁっ」

 胸を左下から斜めに斬り上げられ、きりきりと男は舞った。しかし倒れるには至らず踏みとどまり、胸を押さえながらシェゾたちを睨みつけた。

「ゆ、許さんっ……貴様ら、全員消し去ってくれるっ」

 イクスグレイズは雄叫びを上げた。彼の全身に魔力が、闇が集まってくる。その魔力の集中は風を生み、まるで竜巻のように彼を中心に渦巻き始めた。

「うおおおおおおおおおおおおおッ…………」

「な……何ですの?」

 目を覚ましたウィッチの不安をにじませた声が聞こえた。

 闇の竜巻はいまや一抱え以上もの太さに成長し、なおも闇を吸い込み続けている。膨張した闇のエネルギーがぱちぱちと音をたて、放電のように弾け始めていた。

「ちょっとっ……、こんなの、普通じゃないわよっ……?」

 魔力の流れが風を生み、周囲には突風が荒れ狂っている。なびく髪を抑え、ルルーが怒鳴った。

「力を制御しきれてねぇ……、闇の力が暴走してやがる!」

「何ですってぇ!?」

 ごうごうと唸りをたてながら、巨大な闇の塊が出現していた。力はどんどん内側に凝縮され、密度を増している。

「まるで……ブラックホールみたいですわ」

「ルルー様……建物が崩れそうです。ここは離れた方がいいですよ。危険です」

「で、でも……そうしたら、グロストさんはどうなっちゃうのっ?」

 アルルが言った。

「あんたはまた、何言ってるのよ。そいつはあんたを誘拐した犯人なのよっ」

「え? そうなの?」

「だーっ、もう、このボケボケ娘がーっ」

 ヒステリーを起こしたルルーをよそにウィッチが呟く。

「どうにかしようったって……どうにもなりませんわよ、こんなの。それどころか、今は内側に向かっているこのエネルギーが外側に向かい出したら……」

 ごくり、とつばを飲む。

「この城はおろか、近隣一帯……街も」

 アルルやルルーがはっとした顔になる。

「そ、そんなっ……」

「どーすりゃいいってのよっ」

「そ、そうですわ。みんなで障壁を張ってみたら……」

「ブモッ!? しかし俺やルルー様はそんなもの張れんぞ」

「シェゾっ、キミも協力して……」

 振り向いたアルルは、闇の竜巻と対峙したままのシェゾを見た。

「シェゾ……?」

 シェゾの髪はもつれ、マントは激しくはためいている。表情に焦りはなく、静かに見えた。

「……この程度の力を制御できずに暴走するとはな」

 シェゾは呟いた。

「所詮、貴様はその程度の器だったということだ」

 竜巻の奥から唸り声が響いた。こんな状態になってもなおそこに意思は存在していたのだろうか。ゆらりと力の方向が揺らぎ、外側に向かって流れ始める。

「シェゾっ!」

 シェゾは右手を突き出した。闇の竜巻に向かって。口は、呪文を紡いでいる。

「――バーニング・ルアク・ダグアガイザン!」

 突風が起こった。魔力の流れに伴うものだ。だが、恐れていたような魔力の爆発は起こらない……。アルルたちは風の中でやっと目を開け、それを見た。

 この風の中でも銀髪の青年はなおも立ったままでいる。その前には闇の竜巻が渦巻いていたが、何故だろうか。その威力は徐々に弱まっているように見えた。青年の突き出した手のひらに、まるで吸い込まれてでもいるような……。

「シェゾが……魔力を、吸収してる?」

 竜巻はその勢いをなくし、次第に細まっていき、最後に、細身の男の体が現れて糸が切れたように倒れた。

「…………」

 かすかに息をついて、シェゾは手を下ろした。

「グロストさん……? そんな」

 倒れた男を見て、アルルが息を飲んだ。

 男は見るも哀れに憔悴していた。肌は土気色になり、張りをなくしてしわを寄せている。髪は艶を失い、まるで一度に数十歳も年を取ってしまったようだった。

「愚かだな……。己の力量も見極めきれなかった、自分自身を悔やむがいい」

 男を見下ろして、シェゾは言った。と。倒れていた男がかすかに身じろいだ。肩を揺らして……笑っている。ひそやかな、嘲笑。

「……何がおかしい」

「おかしいとも…………、いかに強い力を持とうとも、所詮あなたも闇の魔導師……。私と同じ、左道に堕ちた身ではないですか……。この、今の私の姿は……いずれのあなた自身の姿。それを、覚えておくがいい……」

 言い終わると、男の姿は見る見るうちに風化した。まるで炭化したように真っ黒くなり、それが端から勝手に崩れて、黒い砂は更に細かく砕け、大気に散って跡形もなく消え去った。

  

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