西の丘に確かにその城はあった。

 人の手を離れてから久しい城は、しかしそれでも堅固な造りをもって威風を備えている。

 とはいえ、正面の扉は傾いで外れかけ、進入を咎める者もなく、うら寂しい様子を見せていた。

 だが、全く人の出入りがないというわけでもない。

 埃の積もった床には、足跡が残っていた。アルルもここに来たのだろうか? だがそれを判別するのは難しい。床に残る足跡は一つや二つではなく、しかも入り乱れていた。以前街の人々はイクスグレイズを倒そうとしたというから、その時のものなのかもしれない。あるいは、意外にこの城には頻繁に人の出入りがあるのか……。

 しかし、なんにせよ……。

 夜はとっぷりと更け、しかも屋内であればそこには闇しかない。その闇の中にシェゾは確かにその気配を感じ取っていた。それはシェゾにとっては近しい――邪気とも、瘴気とも言い換えられる、濃密な闇の気配だった。

 この闇の中に、闇に属する者が潜んでいる……それは疑いようもないことだ。

 シェゾは闇の魔導師である。だが、だからといってこの闇に潜む者に親しみを覚えるかというと、そうではなかった。これまでシェゾは闇の魔導師と名乗る者には数えるほどしか遭遇したことはない。そして、出会った相手は必ず――倒してきた。そうせざるを得ない状況だったせいでもある。だが、所詮、闇の魔導師とは孤独な者なのである。どんな経緯があるにせよ、それぞれが自分の欲望、自分の理屈のためだけに左道に堕ちているのだ。仲間意識など生まれようもない。むしろ、同じく欲望に身を投じた身である故に、決して気を許せぬ存在であることを知っていた。

 カツン……。

 立ち止まると、やけに足音が響いた。

 ごく自然な姿勢のまま、シェゾはわずかに身構えていた。何かが自分の周りをうろうろしている。先ほどから、時折視界の端をさっと横切るものがあった。ごく小さなものだが、油断は思わぬ失敗を生む。

 いつでも呪文を放てる状態にして――再びそれが横切った瞬間、さっと振り向いた。――が、何もいない。

 気のせい……か?

 わずかに気をゆるめた瞬間、何かが足元にまとわりついた。

「うわっ、わあぁああ!」

 柄にもなく悲鳴を上げてしまったのは、この闇の気配に警戒しすぎていたせいだろうか。魔法を放つことも忘れ、反射的にまとわりつかれた足をぶんぶんと振っていた。その勢いに耐え兼ねて、それはシェゾの足から放物線を描いて弾き飛ばされ、円柱の一つにぶつかった。

「ぐーっ」

「……「ぐー」?」

 目を凝らして――闇に慣れたシェゾの目は、さしたる光源もなくそれを見て取れる――思った通り、シェゾはそれがあの朗らかな少女がいつも連れていた黄色い生き物であることを確認した。

 なんでここに……いや、こいつがここにいるということは、アルルも間違いなくここにいるっていうことだ!

 黄色い生き物――カーバンクルを摘み上げて、シェゾはその生き物のひたいに輝く宝石を確認した。「赤い石」の名の通り、カーバンクルはそのひたいに秘宝石ルベルクラクを戴いている。それはカーバンクルの心臓とも言うべき物で、力の源でもある。早い話、カーバンクルは二つといない存在で、また、アルルとは常に行動を共にしているということだ。本来は魔王であるサタンのペットだったそれがどういう経緯でアルルになついてしまったのか、その理由をシェゾは知らない――正確にはその時「ばたんきゅー」していたので知ることが出来なかったのだが――なんにせよ、現在は彼女とカーバンクルは切っても切れない間柄であるし、それが離れているなど考えられない。

「アルル! いるのか?」

 シェゾは呼びかけたが、少女が姿を現す様子はなかった。

「おい……アルルはどうしたんだ?」

「ぐ、ぐー!」

 じたばたと短い手足を動かして、カーバンクルは鳴いた。

「ぐっ、ぐぐっぐっぐー! ぐっぐぐー」

 必死に何かを訴えているようである。が……。

「……ぐーぐー言われても俺には分からん」

 実際、カーバンクルと会話が成立するのはアルルくらいのものだろう。そして今はそのアルルがいないのであるから、このままでは堂々巡りである。

「ぐっ」

 カーバンクルは身をよじると、ひょいとシェゾの手から逃れた。そのまま彼の肩にちょこんと居座る。シェゾはぎょっとした。カーバンクルが男の肩に乗るなど……いや、アルル以外の者の肩に乗るなど、前代未聞の出来事ではなかろうか。

「一緒にアルルを捜そうって言うのか?」

「ぐー!」

 したっ、とカーバンクルは短い手を挙げる。どうやらその通りらしい。

 やれやれ……こんなところをサタンが見たら憤死ものだな。

 この不思議な生き物を溺愛している魔王の顔を思い浮かべて、シェゾは小さくため息をつくと歩き始めた。

 さて、こうしてシェゾはカーバンクルという案内役(?)を得たわけであるが、その案内振りは至って大雑把だった。

 分岐のある場所に来ると、時折「ぐっ」と鳴く。「何だ? こっちなのか?」「ぐぅ!」といった具合で、手振り足振り手旗信号の解読のように意思の疎通を図るというわけだ。

「にしても、お前、一応もの考えてたんだな……」

 しみじみとシェゾは呟いた。アルルと通った道筋を覚えていて、それを案内しているのか、あるいはその不思議な力をもって現在アルルのいる場所を探知しているのか……それは分からないが、まぁ、この際どっちでも関係ない。

 俺は、別にあいつを捜しているわけじゃない……だが、あいつの近くにはきっとイクスグレイズがいるはずだ。

 いないとしても、アルルならば何がしかの情報を与えてくれるだろう。カーバンクルのように、ぐーぐー鳴くことしかできないわけではないのだから。……鳴いたら怖いが。

「……おい、ここはどっちに行くんだ?」

 暫くして再び分岐に出たシェゾは、カーバンクルの「信号」がないのを訝しんで肩を見た。

「……うっ」

 あろうことか。……カーバンクルはシェゾの肩で熟睡していた。しかも、大きな鼻ちょうちんを膨らませてである。

「人の耳元で鼻ちょうちん膨らますなぁ―――っ!」

 ぱん!

 その瞬間音を立てて鼻ちょうちんが破れ、カーバンクルは目覚めた拍子にシェゾの肩から転落したのであった。

「ぐうっ」

 床にべちゃりと潰れたカーバンクルは、起き上がるとシェゾを見上げて何やら騒ぎ始めた。

「ぐう、ぐっぐー」

「……なんだ? 怒ってるのか? ちなみに俺も怒ってるぞ。人の顔に鼻ちょうちんの飛沫なんぞつけやがって……」

 手で顔をぬぐいながら、カーバンクルの耳を掴んで目の前に持ち上げる。

「お前、真面目にアルルを捜す気あるのか!?」

 ……って、俺はなんでどーぶつ相手にムキになってるんだろうな……。

「ぐっ」

 カーバンクルは再びシェゾの肩に飛び乗ると、今度は懐の中にもぐりこんだ。

「わっ!? おい、ちょっと待て、どこにもぐりこんでんだっ」

 もぞもぞとカーバンクルは動き、しまいこんでいた道具袋を発見すると、その紐を耳に引っ掛けて外に飛び出た。

 ちなみに、道具袋は空間圧縮の魔法がかけられた携帯袋で、中にはかなりの量のアイテムが入れられる。そんなわけで、さほど膨らんでもいないシェゾの袋の中にもそれなりの量のアイテムが入っていたのだが。

「あっお前、なに勝手に開けてんだっ」

「ぐー!!」

 カーバンクルは袋を開けると、中から携帯食料のらっきょを取り出して食べてしまった。

「あ―――っ!!」

「ぐぅぐっ♪」

 満腹になって機嫌が良くなったのだろうか……カーバンクルはその場で反復横跳び……もとい、ステップを踏んで踊り始めた。

「わ……分からん……」

 カーバンクルの踊り(?)を見ながら、シェゾは頭を抱え込んだ。こんな怪生物を、何を思ってアルルやサタンは可愛がっていたのだろうか……。

「あれ? シェゾ?」

 不意に、聴き慣れた声が耳朶を打った。

 瞬間、雷に打たれたように立ちつくして、シェゾは全身で振り向いた。

「アルル!?」

 肩で切りそろえられた茶色い髪、快活な金無垢の瞳。青い装甲魔導スーツを着た姿が、シェゾにはそこだけ闇の中で明るく浮き上がって見えた。間違いない。アルル・ナジャがそこにいた。

  

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