まったく、ひどい景色だぜ。
 何度目かの悪態を、男は胸の内で吐いた。
 なにしろ、緑というものが全くない。岩だらけの赤茶けた峠道だ。
 道は岩の間を比較的まっすぐに伸び、しかしごろごろした大小の岩が目隠しの役を果たして、見通しはよくない。ただ、右手が谷状になっていて、その下に平行に走っているもう一本の道は、岩の間からよく見下ろせた。このまま進んでいけば、やがてあの道と合流するはずで、そうなれば次の街も間近になるはずである。
「ま……ぼちぼち行くしかないか」
 乗り物にでも乗ることが出来れば楽だったのだろうが、生憎とそんな余裕はない。ましてや、転移魔法テレポートの使える魔導師でも雇うなどは論外だ。
 世の中にそういった便利な方法があると分かっていても、実際に誰もがその恩恵にあずかれるというわけではなく、大抵の者は己の足で旅し、やがては朽ちて消えていく。それが、世のことわりというものなのだから。
 歩きながら、男は持っていた酒ビンの中身をあおった。鼻腔を満たす香気と、喉を灼く液体が胃の腑へ流れ落ちていく感覚を心地よく味わう。アルコールを添加した安物だが、長く慣れ親しんだ味だ。頭を上向けたまま歩を進めると、ふと、足がふらついた。多少酔いが回ってきたのかもしれない。まぁ、この程度はいつものことだが。
 だいぶ減ってきたな……。前の街でもうちょい仕入れておくべきだったか?
 岩に寄りかかってふらつきをやり過ごしながら、ビンの重みを手で確かめて、男は考えた。酒はこれきりで追加はない。
 いや……どちらにせよ、金もないしな。
 ちびちびやっていくしかないだろう。まぁ、次の街へたどり着く間くらいは、たせることが出来るはずだ。
「ん……?」
 視界の端に動くものが引っかかった気がして、男は岩に寄りかかったまま、肩越しに下の道を見やった。誰かが歩いている。黒衣に銀のプロテクター、グローブに背にはマントという出で立ちからして、男。この峠道に入ってから初めて見たお仲間にんげんだ。……多分、そうだろう。この辺りには魔物や亜人の集落はないはずで、実際、角も羽も見当たらず、異形には見えない。盗賊の類はまれに出没するという話だったが、そうであれば、武器も持たずに一人でうろついているということはないだろう。長い杖を持っているが、剣や弓矢の類は目に付かない。
 なにより……あれは、子供だ。
 目をすがめて、男はそれを見て取った。
 一人前のこしらえをしてはいるが、全体に線が細い。せいぜい、十五、六歳か。額に巻いた青いバンダナと白銀の髪が黒衣と対照をなし、遠目にも目に付いた。
 こんな荒れた道を、あんなガキが一人で?
 奇異に思えたが、考えてみれば自分も一人旅だ。やはりサイフの都合なのかもしれないし、単に世間知らずなだけなのかもしれない。まぁ、どんな状況であろうとも、運がよければ何事もないし、運が悪ければそこで終わる。それだけのことではある。
 世界は混沌に満ちている。人も魔物も亜人も、善も悪も。時には反目し、時には融和して。正も負も無い。要は、うまくいったかいかないか。結果で判断されるだけだ。
 そんなことを考えつつ、見るともなしに見ていると、不意に少年が歩みを止めた。一拍の間をおいて、バラバラと男たちが飛び出してくる。ガラの悪い、見るからに"盗賊でござい"といった風体の者たちだった。それが単なる第一印象からの誤解で無い証拠に、それぞれが手に剣だの槍だのを持って、見せ付けるように少年に向けている。
 おいおい……。
 男は僅かに顎を上げて天を仰いだ。どうやら、少年はとびきり運が悪かったらしい。
 周囲をすっかり男たちに取り囲まれ、けれども連れや護衛が飛び出してくる様子はない。少年は武器を持っておらず、大人と子供、しかも多勢に無勢だ。
――ダメだな、こりゃ。可哀想だが。
 きっと、あの少年は荷物や所持金を根こそぎ奪われるだろう。それだけで済むのか、あるいはそれ以上の屈辱でも与えられるとしても、せめて命だけは取られずにやり過ごせるかは、盗賊どもの気分次第である。
 見つからないようにそろそろと岩陰に身を隠しつつ、あの場で囲まれているのが自分でないことを、男は女神に感謝した。助けに入る気は毛頭ない。そんなことをしたところで無駄、ミイラ取りがミイラになるだけ……ということは、他ならぬ自分自身が誰よりもよく知っている。コトが済むまで、息を潜めてやり過ごす。それが一番賢いやり方というものだ。
 間を置かず、「ぐわっ」だの「ぐえっ」だの、踏み潰されたカエルの断末魔のような悲鳴が聞こえてきた。本当に殺されてしまうのかもしれない……恨まずに成仏してくれよ。手前勝手に祈りつつ、しかめた顔を緩めて、下に視線を巡らせてみる。
 そこで、男は目をむいた。
 少年が男たちに殴られ蹴られている。てっきり、そんな光景がそこに広がっているものだと思っていたのに。腹や足を抑え、苦痛に顔を歪ませて転がっているのは、いかつい男たちの方ではないか。
 少年は、彼らの前に冷然として立っていた。その手に持っている長い杖がくるりと回転し、手を伸ばした動きのまま、前から襲いかかろうとした男の喉に食い込んだ。「ぎょほっ」と、男が奇声を上げてもんどりうつ。少年はそのまま半回転して背後からの剣をかいくぐり、杖の反対側で別の男の腹を打ち、軽く横に踏み込んで、引き戻した杖の先で剣を持つ男の手を打った。悲鳴をあげて剣を取り落とし、男は手を押さえて苦痛に喘いでいる。指が奇妙な形に曲がっていた。当分は何も持てないだろう。
 少年の動きには無駄が無く、よどみが無かった。杖の長さを活かして、男たちを間合いに入らせない。滑らかな円状の動作に合わせて、杖に結び付けられた長い紐がひらひらとたなびいて、まるで舞ってでもいるかのようだ。
 そんな錯覚すら覚えて見ているうちに、盗賊たちは残らず地面にひっくり返り、動かないか、呻いているか、ピクピクと痙攣しているかのどれかになっていた。少年はその中に立ち、流石に肩で息をして、長い杖をトンと地面に立てた。
 大したもんだ。
 男は、口笛を吹きたい気分になった。
 杖を使った武術マーシャルアーツは、一度だけ、見世物の演舞で見たことがある。門外漢の自分にはよく分からないが、遠い辺境の流れをくむものだと聞いた。あの少年は、どこでそれを身につけたのだろう。
 にわかに興味を覚えて少年を見やる。そして、あっと思った。少年の背後に倒れていた一人の盗賊がそろそろと起き上がり、剣を構えている。気が緩んだのか、少年は気づいていない。
 盗賊は立ち上がり、何事か悪態を叫んで少年の背を襲った。はっとして少年が振り返る。だが、遅い。
 ごつっ、と鈍い音がした。
 放物線を描いて飛んだ重い物体が、盗賊の後頭部に激突したのだ。昏倒まではしなかったものの、よろめいてたたらを踏み、片手で頭を押さえて男は振り返った。
「ちィっ……、誰だ! どこにいやがるっ」
 誰何すいかの声は鋭く、峠道によく通る。幾つかのこだまが返った。
 その肩に、ポン、と黒いグローブをはめた手が置かれた。振り向いた盗賊の眼前にもう一方の手をかざし、少年が何事か唱える。
 仄かな光が煌いた気もしたが、定かではない。ともあれ、どんな効果によるものだろうか、一瞬の間を置いて、盗賊はその場に崩れ落ちていた。人形のように転がってぴくりとも動かない……いや、微かに腹が上下しているから、生きてはいるようだが。
 少年は、今度こそ起き上がる者のいなくなった盗賊たちの間で、腰をかがめてそこに落ちていたものを拾い上げた。先ほど盗賊の頭に命中したもの。小ぶりだがずしりと重い、酒ビンだ。そして、こちらをまっすぐに見上げてくる。
 無精ひげの伸びた片頬に苦笑いを浮かべつつ、男は先程まで酒ビンを握っていた手のひらをヒラヒラと振ってみせた。
 ……なんで投げちまったんだろうなぁ。
 面倒を招き入れたのかもしれない。そんなことを思ってみたが。
 だが……、まぁいいか。
 殆ど睨み付けるような青い双眸を愉快に感じ始めてきて、男はそうも思った。





リーン・リーン






「なぁ……、おい、待てよボウズ!」
 さっさと歩いて行ってしまおうとする少年の背に向かい、男は言った。
 崖上の道と崖下の道は合流し、今はただ一本の道になっている。左右を崖に囲まれた、谷間の道。
「これを投げたのは、あんたか」
 あの時、酒ビンを手に崖上を見上げて少年は言った。知りたいというより、単に確認しているといった風な素っ気無さだった。男が「ああ」と大仰に頷いてみせ、さぁ、感謝の言葉よドンと来いだ、と待ち受けていたというのに、少年は不機嫌そうに眉根を寄せて「フン」と鼻を鳴らし、ただ、手にしていた酒ビンをブン、と無造作に投げ返してよこした。
 あやまたず両手の中に飛び込んできたそれを受け止めて、「大した肩だな」と感心して視線を戻すと、少年はもう背を向けて、スタスタと歩き始めている。男の存在になど、全く興味を失ったかのように。
 ……いや、そうだろうか? それにしては、肩や足取りに力が入っていないか。どちらかといえば、そう、一目散に逃げ出していこうとしているかのように、だ。
 そう思い至ると、男はニヤリと笑い、崖上の道を小走りに進んで行った。やがて道は合流し、現在の状況があるというわけである。
「なぁ、待てよ、なぁ」
 何度も声をかけたが、少年は立ち止まろうとも、振り返ろうとすらしない。それでも構わずに、男はベラベラと語りかける。
「なぁボウズ、お前、強ぇなぁ。大したもんだ。その……なんだ、杖術っていうのか? 杖を使った。それに、最後に盗賊を眠らせたアレ、アレはもしかして魔法じゃないか? いやぁ、すごいじゃねぇか。その年で武術マーシャル・アーツ魔法マジック・アーツも使えるなんざ……」
 この世界には、"魔法"を使える種類の人間が存在する。魔導師だとか、魔法使いだとか、法術士だとか、呼び名は幾つかあって、実際、その行使する力の内容が少しずつ違うらしいのだが、素人目には何が違うのかは分かり難い。ともあれ、それを使えるのは"魔力"を持った者だけで、人族の中ではその数は決して多くは無い。更に、魔力の大きさ自体も人それぞれで個人差がある。子供にいくばくかの魔力があると分かると、大抵の親は子を魔導幼稚園に入れるが、全ての子供が卒園資格を得て上級学校へ進んでいけるわけではない。殆どは脱落して、せいぜい、何か占いが出来るとか、暗い部屋に明かりライトを灯すことが出来るとか、薪に小さなファイヤーで焚き付けが出来るとか、その程度の術を学んで終わっていく。魔導中学まで卒業すれば魔導師の資格が与えられるが、そこまでいけるのは希少な存在だ。ましてや、噂に名高い魔導の最高学府、古代魔導学校の卒業者ともなれば、生きた伝説の如しである。
 そういうわけで、魔法という特技はそうありふれたものではなく、ましてや、精神的な魔法と肉体的な武術・体術双方を習得している者など、滅多に聞かない。何故なら、魔法を使える者は魔法のスキルアップのみに努めるのが常で、わざわざ武術に手を出そうとはしないものだからである。武術も魔法も、共に極めようとすれば果ての無い修練を必要とするものであって、複数に手を出す余裕のある者はそうはいない。逆に、武術をたしなんだ者が戦闘力アップを目論んで魔法に手を出すことはあるが、それは魔力を付与した魔導器エンチャーット・アイテムに頼った、ごく補助的なものであるのが殆どである。
 けれども、少年は杖ではなく、己が手をかざして盗賊を眠らせた。正真正銘、自分で魔法を使ったのだと男には見え、新鮮な驚きを呼んだのだ。
「俺はホントに感心したよ。なぁ、ボウズ」
「うっさい……」
 何度目なのか、数えるのも面倒なくらいに呼びかけたとき、足は休めないままであったが、ついに少年が不機嫌そうな声を返した。
「さっきから延々と……。ボウズボウズって、しつこいんだよ、おっさん」
 男は面白そうに笑う。その表情は、振り返ろうとしない少年には見えないだろうが。
「おっ、やっと返事したな、ボウズ。安心したぜ、耳が聞こえないってワケじゃないんだな」
「だから、やめろよ。ボウズって言うな!」
「あ? ……あぁ、そうか……スマン」
 素直に男は謝った。
「いやぁ、すまなかった。てっきりボウズだとばかり思っていたんだが………もしかして、お嬢ちゃんだったか?」
「違うっ! なんでそうなるんだ。俺は男だっ!!」
 ついに少年は立ち止まり、憤然として振り返った。そこで男の表情を見て、"してやられた"ことに気づく。
「くっ……」
 再び顔を背け、少年は肩を怒らせて歩き出した。その後を、歩調を合わせながら男が追っていく。
「待てよ、そう邪険にしなさんなって」
「うっさい。……大体、なんで付いて来るんだよ、おっさん」
「一本道なんだから仕方がねぇだろう。どうせ暫くは同道なんだ。折角だから、楽しくやっていこうぜ」
「知るか。俺には関係ない」
「つれないねぇ。俺は、哀れ、盗賊の剣の錆になろうとしたお前を、救ってやったっていうのに」
 言うと、男は殊更に大きく哀れっぽい声を出した。
「ああ、俺の酒。なけなしの懐をはたいて買った俺の大事な酒。すっかり空っぽになっちまった。誰かさんのために投げたときに、地面にご馳走しちまったからな。酒がないと手足が震えるんだ。俺の体を流れる血潮そのものだからな。ああ、そんなに大事な酒を犠牲にしたっていうのに、なんてことだ。こんなに冷たくされるだなんて。この世に女神はいないのか。ああ……」
「〜〜わかったよ! 次の街に着いたら弁償する。それでいいんだろう」
 うんざりしたように少年は言い、男は目を丸くした。
「ほー、随分気前がいいな。金は大丈夫なのか」
「……」
 立ち止まると、黙って少年は隠しから金袋を取り出した。分不相応に膨らみ、見るからにずしりと重い。
「……か、金持ちだな」
「さっきの連中からもらった」
 ごくり、とつばを飲み込まんばかりの男の様子も意に介さず、こともなげに少年は言った。
「さっきの連中……って、あの盗賊か?」
「ああ」
 頷いて、金袋を隠しに戻す。
「あいつらが勝ってりゃ、俺の金を取ってたんだろう。俺が勝ったから、あいつらの金を取った。当然だ」
 ぽかんと口を開け、暫くの間、男はまじまじと少年を見ていたが。
「ぷっ……ふははははは!」
 吹き出し、大声で笑い始めた。体を折り曲げ、身をよじり、目じりに涙すら浮かべている。少年はムッと顔になった。
「何がおかしいんだよ、おっさん」
「ははははは! いや、ボウズ、お前は最高だよ、面白い、ははははは!」
「勝手に面白がるなっ。それに、ボウズって言うなって言っただろーが!」
「はは……すまねぇな。だが、仕方ねぇだろう。俺はお前の名前を知らねえんだから」
 そう指摘すると、少年は一瞬虚をつかれた顔をみせた。暫く逡巡するように黙っていたが、やがて低い声でぽつりと言った。
「………シェゾ」
 そこで一旦切って、間を置いてから、思い切ったように続ける。
「シェゾ・ウィグィィだ」
「へぇ。ちょっとばかり変わった名だな。変わってるが、いい名だ。………どっかで聞いたことがあったかな」
「そんなことより! おっさんは、なんて言うんだよ。人にだけ名乗らせる気か?」
 上を向いて考え込みかけた男を遮るように、少年――シェゾが言う。男は視線を戻すと、無精ひげだらけの顔を緩めて、顔中でにっと笑った。
「ああ……そうだな。俺は、バリーだ。バリー・レスパーク。よろしくな、シェゾ」





 "次の街"に着いたのは、もう日も暮れかかった頃だった。イェシルタッシュ――緑玉を産出し、それによって栄えている、通称”石の街”だ。白い石だたみが街の入り口から中央広場まで続き、白い漆喰の壁の家並みが薄い紫がかった灰色の影の中に沈んでいる。山に囲まれたこの街の日暮れは早い。日はとうに崖の向こうに消え、街は薄暮の中にあった。
「じゃ……。酒屋にでも何でも行って、好きな酒を買えよ。よく分かんねぇけど、これだけあれば充分だろ」
 金袋から一掴みの金貨を出して、シェゾはバリーに握らせようとした。街に入るまでの数時間、二人は連れ立って歩いてきたが、もっぱら喋るのはバリーだけで、シェゾは黙っているか、せいぜい時折冷たいツッコミを入れるかで、あからさまに「必要以上に関わりたくない」という態度を示していた。今も、酒を弁償するという用事が済めば晴れて放免。さっさとこの場を離れたい、と言わんばかりだ。
 ところが、バリーは金貨を受け取らず、銀色のアームプロテクターに覆われた少年の手首を掴んだ。反対の手で肩を抱いて、「ま、ま、ま、そうつれなくしねぇで、付き合えよ」と、強引に押して歩いていく。そうして、そのままドアを押して入ったのは、酒の店は店でも、舞台できわどい姿の踊り子が熱演しているような酒場で、席に引っ張り込まれるやいなや、店の女たちが群がって周囲に座り込んだ。バリーは「酒だ、上等の酒をくれ」と上機嫌で注文し、「ねぇ、あたしメロンが食べたいのぉ」とねだる女にも「おお、なんでも注文しろよ」とすこぶる気前がよい。
「なんといっても、今日は軍資金がたっぷりあるからな」「キャーッ、うれし〜ぃ」
「それって、俺の金のことか……?」
 ボソッとツッコミを入れていると、バリーは片手で女を抱き寄せたままシェゾを覗き込んで、ニカッと歯を出して笑い、「シェゾ、お前も遠慮せずにバンバン注文しろよ」と言った。
 なんで俺が、俺の金を使うのに遠慮しなけりゃならないんだよ……。
 シェゾは勃然となった。
 酒代は、思っていた以上に高くついてしまったようだ。まぁ、どちらにせよ盗賊の金であって、彼自身の懐が痛むわけではないのだが。
「ねぇ、ぼうや。ぼうやったらァ」
 隣に座った女がなにやらしきりに言っているが、無視してグラスの酒を舐める。
 学校を出て自活を始めれば、酒を飲むのはこの大陸では当たり前で、薬草を漬け込んだ薬草酒の類ならば、疲労回復薬として小さな子供でも飲んでいる。だから、飲むこと自体は彼も慣れたものだ。とはいえ、こういう店でこういう強い酒を飲むというのは流石に未知の体験で、どうにも浮ついて落ち着かない。それを気取られぬためにも、外界の雑音は意識の表層で遮断するに限った。いつもそうしているように。
「もぅ、ぼうやったら、無視しないでよぉ」
「アハハ……フラれちゃったわね。こんなオバさんじゃイヤなんでしょ」
「なーに言ってんのよ。アンタだってあたしと同い年でしょ」
 口を尖らせた同僚の言葉を受け流し、バリーの隣に座った黒髪の女は、テーブルにひじをついて彼の顔を覗き込みながら尋ねた。
「ねぇお客さん、この子、お客さんとどういう関係?」
「ふ、どういう関係に見える?」
「そうねぇ。飲み仲間……にしては年が離れてるし、身なりからして、親方と徒弟って感じでもない。……人さらいと、さらわれたぼうや、とか?」
「うらぶれた博打うちと見習いの借金取り、じゃないのぉ?」
 くすくすと女達が笑うと、バリーは「おいおい、そりゃないんじゃないか? 俺は善良な男なんだぜぇ」と大仰に嘆くポーズをとってみせた。
「大体だなぁ、普通はまず、兄弟だとか親子だって言うんじゃないのか?」
「きゃははははっ、うそーっ。だって全然似てないじゃない」
 女達は一斉に笑った。互いに、軽口の応酬であることは承知している。
「なーに言ってる。こんなにそっくりじゃねぇか、なぁ!」
「………」
 グラスをテーブルに置いて、バリーが同意を求めるように声をかけるが、シェゾは黙殺した。馬鹿らしい。誰が付き合ってなんかやるもんか。
「悪いパパねぇ。父親なら、ぼうやをこんなお店へ連れて来ちゃダメでしょ?」
「チッチッ……父親だからこそだろうが。女の扱い方ひとつ知らねぇようじゃ、男としちゃあ半人前だからな。これも社会勉強ってヤツさ」
――誰が………。
「……いい加減にしろっ。誰がお前の息子なんだ!」
 遂に沈黙の仮面がはがれて、シェゾは押し殺した怒声を漏らした。が、バリーも女達も意に介した様子はない。結局のところ、黙っていようと口をきこうと、少年を話のつまみに出来ればいいのであって、大人たちには関係ないのだった。
「ふぅーん。じゃあ、ぼうやにはアタシが社会勉強させてあげようかな」
 バリーの隣から席を立って、黒髪の女がシェゾの側に回った。彼の隣にいた同僚と、その不満の声を押しのけて座り、しなだれかかる。
「あっ、ずるいわよ。それならあたしが教える」「あら、あたしがいいわよねぇ? ぼうや」
 負けじとばかり、周囲にいた女の幾人かがわらわらと群がった。
「おーい。俺は放ったらかしかい?」
 グラスをブラブラさせて、バリーが少しつまらなそうな声を上げるが。
「だってぇ。やっぱり、若くてキレイな子よね」「カワイイじゃなーい」
 女達は明るくそう返して、ますます少年に構おうとする。「な……何をする」と、多少頬を赤らめて退こうとしている少年の腕を絡め取って、
「うふん、心配しなくていいのよ。お姉さんが優しく教えてアゲルから」
 と、甘い声で囁いてやった。
 いくらふてぶてしい態度を取ろうとも、この年頃の少年を弄するなど容易いこと。確信のままに白い腕を回し、少年の体をその豊かな双丘に引き寄せるようにする。
 だが。
「――は、離せよっ!」
 唐突に強く突き飛ばされて、女は「きゃっ!」と悲鳴を上げて椅子から床に転がり落ちた。その場の大人たちが呆気に取られて見上げる中、シェゾは腰を浮かして全身をこわばらせ、女を睨みつけている。唇をかみ締めたその顔が、半ば青ざめてさえいるように見えるのは、店の薄暗い照明ライトのせいだけだろうか。
 少年は、しかしすぐに我に返ったようだった。周囲の視線を受けて流石に気まずげに視線をそらし、こわばらせていた両腕を弛緩させる。
「……俺は、もう出る」
 それでも、努めて揺れを抑えた声で、彼はそう告げた。
「お、おいおい? 待てよ」
 引きとめようとするバリーを一瞥いちべつし、懐から金貨を握り出して、テーブルにジャラリと載せる。女達が「わぁ」と瞠目してあげる声を聞きながら、
「これで充分だろ。あんたにはもう、借りを返すだけは付き合ったはずだ」
 苛立たしさを隠さぬ口調でそう言うと、「じゃあな、おっさん」と背を向け、シェゾは扉を押して出て行った。



「いったたたたぁ……。もう、なぁにぃ〜、あの子! 信じられない」
 床に転がされた女が、腰をさすりながら文句を言っている。
「あははっ、あんただってフラれたんじゃない」
 他の女たちがそれにかける揶揄の声を聞きながら、バリーは閉ざされた扉を見つめて、「ふぅん……?」と口元を歪めた。















 店から出れば、街はすでに人通りが少ない。夜道を一人行きながら、シェゾはつと足を止めて空を見上げた。
 赤道を越えるような真似さえしなければ、どこへ行こうとも、星は同じものを見る事が出来る。
 家を出る前は、そんなことを思っていたのに。
 街を囲む高い山々の合間から見える狭い星空は、いつの間にか、故郷のそれとはまるで違っている。





 

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