未来はそう簡単に予測のつくものじゃない。単純で見通しがよいように見えても、実は歪んでおり、そこかしこに不用意な足を引っ掛けようとする石が潜んでいる。転んで初めてそれに気が付くなんて間抜けの極みだが、俺自身、ほんの少し前――ごく数週間前までは、未来は単純なものだと信じていた。
 魔導師になると決めたのは物心つく前だ。素質と才能には恵まれていたようで、魔導幼稚園からこっち、成績に不自由したことはない。魔導中学の卒業資格を得て、古代魔導学校に入学するまでは当然。そこを出たら押しも押されぬ一流の魔導師だ。大きな仕事をやって、やがて結婚し、家を構えて、子供を作り、その成長を見ながら老いて、いつか家族に看取られて死んでいく。
 それが当たり前に約束された未来だと信じていて、そんな人生は平凡に過ぎてつまらないとさえ思っていた。もっと面白い、波乱に満ちた、特別なものが待ち受けていやしないか。そんな夢想にふけっては無軌道に振る舞い、周囲の大人たちの渋面を誘ったこともある。
 全く、馬鹿だとしか言いようがない。
 結論から言えば、俺には本当に特別な人生が用意されていた。――望みどおりだろう? そう、少し前の俺に言ったら、何と答えるだろうか。――お前には、おぞましい、呪われた、真っ暗な人生が用意されているのだと。そう忠告することが出来ていたら、あるいは………あの時、あの扉を開けずに済んでいたのだろうか。
 ……いや。それは意味のない繰言だ。
 以前、ソードのクソバカと真剣で剣の練習をやったことがある。勿論、ただふざけてそうやっただけで、お互いに何も考えていなかっただけだった。だが、一瞬で事態は変わる。俺の腕からは血が流れ出て、袖は絞らねばならないほど重くなり、後で二人して義父オヤジにしこたま殴られた。当分右腕が使えなくなり、左を使う羽目になって学校の授業や試験にも差し支えて辟易したものだ。
 一瞬前までは予想もつかなかった事故。のんきに構えていた自分が腹立たしく、ああするべきだったこうしておくんだったとあれこれ考えては後悔した。だが……いくら考えたところで、起こったことを”なかったこと”には出来やしない。まさに、先に立たないからこそ後悔なのだ。義父にどんなに注意されていても、俺たちは本気で考えなかった。だから………多分、忠告したところで俺はあの扉を開けるのだろう。
 止めることは出来ない。ならば、それは予め決められていたことと変わらないのだろうか。

『――偶然だと、思いますか……?』

 穴蔵のような暗闇。その奥に、忽然と亡霊が現れた。紙のような顔色の中で目だけを赤く輝かせ、ヤツは忌まわしくわらう。
 そう。あれは本当に、”偶然”起こった”思いがけない事故”だったのか。
 修学旅行先があの遺跡で、クラスの中で俺だけがあの声を聞き。誰にも見咎められることなく列を離れて、……あの扉を開けたのは。

『待っていましたよ。…………わたしの力をうけつぎ、……………………として生きていくのですよ、あなたは!』

「黙れよ!」
 幻であっても、ヤツの粘ついた声を聞きたくはない。無駄だと分かっているが、俺はヤツを怒鳴りつけた。俺と同じ色の、ヤツの銀の髪。ザンバラのまま床に流れ落ちているそれは、廃墟を覆う蜘蛛の糸を思い起こさせる。

『あなたの名前は、我らの言葉で……………という意味なのです』

 銀の糸が俺に絡みついた。窒息しそうな強さで、逃れられず、身動きも出来ないほどに縛り上げられる。
「――そんなコトはないさ。親だろうと、家族だろうと、誰も縛ることは出来ん」
 いつだったかの義父の言葉がよぎった。このまま魔導師になっていいのか、ソードと同じように騎士団を目指すのを望んでいるんじゃないのか、と訊ねてみたときのことだ。
「お前の人生はお前のものだ、望んだとおりにすればいい。……まぁ、たまには武術の訓練にも付き合ってくれたら嬉しいがな」
――本当に? 本当にそう思っていたのかよ。そう、俺が出来るって。
 俺は馬鹿な子供で、義父たちの言うことを頭から信じていた。だから、扉を開けて亡霊に出会った後も、本当には真剣に考えていなかったのだ。時が経ち日常を過ごすうちに、夢か幻だったように思えていて。予定通りに中学を卒業し、古代魔導学校入学申請室を目指して家を出て……平凡で単純な未来への真っ直ぐな道が、まだそこにあると思い込んでいた。
 どうしてそうも愚かでいられたんだろう。”なかったこと”になど出来るはずはないのに。実際に痛い目を見て思い知るまで、何度その轍を踏んでも、俺には分かりはしなかった。

『既にあなたの魂には闇の種が植えられ芽が顔を出しました……』

 亡霊は揺らめきながら呪いの言葉を吐いている。

『わたしには分かりますよ……いずれ咲く花の色が、美しい闇の黒であるというのが……!』

「……黙れ」
 ギリギリと縛り上げ、絡み付く糸。――時の女神が紡ぐという人間の運命も”糸”なんだと、以前どこで聞いたんだったか。
 一体いつ、糸は絡みついたのか。始まりはいつだったのか。

『あなたのことは全て知っていますよ。過去のことから、未来のことまでね』

「黙れ、黙れっ!」
 もしも。全てが仕組まれ、最初から定められていたことなのだとしたら。
 俺の人生は、俺が赤ん坊だったときから、とっくに決まっていたってことになる。俺自身の意思なんて関係なしに。

『新たなる時は、既に動き始めているのです』

 だとしたら。俺は…………。

『それに逆らうのは、あなただけ……。闇は、あなたを暖かく迎えようというのに』

「黙れ、黙れ、黙れよっ!!」
 俺は、何のために。
 瞬間、頭がカッと白熱した。指先をぞろりとした感触が走りぬけ、手の中に一振りの剣が現れる。濡れたように刃を輝かせ、禍々しい気を絶えず発している、魔剣。
 そのつかを握り締め、俺は腕を振り上げた。あの時にもそうしたように。
「消えろ!!」
 刹那。亡霊はその姿を変えていた。
 亜麻色の長い髪、鳶色の瞳。銀の髪の亡霊とは異なり、健康そうな薔薇色の頬の少女。
 振り上げた剣を下ろすこともできず、俺は凍りつく。
 見知った顔だ。短い間だったが、ほんの数週間前まで一緒に行動していたのだから。

『……っと………もの間、待っていたのよ。あなたが…………………現れるのを』

 その声も知っている。どんな風に笑い、甘え、時には怒っていたか。その髪の匂い、唇の柔らかさや、指先を滑る肌の感触でさえも。
 そして……次に、彼女が何を言うのかも、俺は知っているのだ。

『でも………あなたは、彼を殺した!』





「………っ!」
 シェゾは目を開けた。
 心臓が激しく波打っている。寝台に半身を起こして、ゆっくりと強張っていた手のひらを開いた。――何も握ってなどいない。なのに、何かを握っていたかのような感触が生々しい。つ、と額から生温なまぬるいものが流れ落ちて、視界を濁らせ、目を痛ませた。
 随分と寝汗をかいてしまったようだ。血で濡れたかのように、シャツが背中にペタリと貼り付いてしまっていて気持ちが悪い。
 狭い窓の向こうはうっすらと明るかった。まだ夜が明けきっていないようである。だが、起きて出立の支度を始めることにした。目的などないのだ。急ぐ必要はなかったが、寝直す気にはなれない。





「よう」
 宿の戸口をくぐって朝の冷気を浴びた途端、例の不精髭を刷いた顔に笑いかけられて、シェゾはストレートに顔をしかめた。
「そんな顔すんなよ。また会えて、こっちは喜んでるんだから」
「俺は嬉しくねーよ」
 そう言って、バリーの脇を通り過ぎて歩いて行きかけ、はっと思い当たったように振り向いた。
「まさか……、金が足りなかったなんて言うんじゃないだろうな」
 迂闊にも、金袋の膨らみ具合を見せてしまっている。何かと理由をつけて、たかり吸い尽くすつもりなのかもしれない。
「いいやぁ〜? 昨夜は充分楽しませてもらったぜ、おかげさんでな」
「……だったら、何なんだよ。もう俺に用はないだろう?」
「お前さんと話がしたいと思ってね」
「俺はしたくない」
 背を向け直し、シェゾは歩き始める。「相変わらずつれねぇなあ」と笑いを含んだバリーの声が聞こえ、それは遠ざかることなく付いて来た。
「まぁ、そんなに急ぐなって。のんびり行こうぜ」
「付いて来んなっ。人のこと付け回しやがって、おっさん、もしかして変態か?」
 口に出してから、シェゾは改めて疑惑を抱く。そういえば、なんで俺が泊まっていた宿が分かったんだ。まさか、ホントに俺を付けていたとか?
「そりゃ簡単だ。この街に宿は一軒しかないからな」
 明かされたタネは単純だった。
「……じゃ、あんたもあの宿に泊まってたのかよ」
 だとすれば、外で待つというのも回りくどいが。
「いいや。泊まる場所なんてのはいくらでもあるからな、男には」
 先程とは矛盾したことを言って、バリーはニヤリと歯を剥き出した。なんだか無性に腹が立ってきて、「ああそうかよ!」と怒鳴り返し、シェゾは歩む足に力を入れた。これ以上こんなアル中エロオヤジには関わるまい。何度目かの決意を新たにするが、オヤジの方は諦める気はないらしい。
「そういやぁ、ようやく思い出したんだがな。ほら」
 背後から、相変わらずのほほんとした声が重ねられてきて苛立たされる。
「お前の名前。シェゾ・ウィグィィってのは、確か……。古代魔導語で”神を汚す華やかなる者”って意味だったよなぁ」
 シェゾの足が止まった。
「……なんで」
 なんで、それを。
 全身に現れた驚愕は刹那で沈み、振り向いた瞳には鋭い警戒の色が浮かび上がっている。
 彼の名の意味を知る者は、そう多くはないはずだ。未だ完全には解読されていない古代魔導語の、それも特殊な言葉。自分がそうだったように、多少なりとも古代魔導語に触れる機会のある魔導師であってもまず気付けぬことで、ましてや、魔導と関わらない生活を送る巷間ちまたの人々であれば、思いもしないことであるに違いない。
――それを、知るというのは。
 全身から剣呑な気を発する少年に、しかし男は頓着した様子はなかった。
「そりゃあ、こう見えても俺は考古学者だからな。どこかで聞きかじってたことがあったのさ」
「考古学者……?」
「ふ、見えねぇか? そうだな……確かにもう学者だなんて言えねぇか。ま、今はヤマ師ってトコだ」
 お宝専門のな、と付け加える。

 この大陸の各地には様々な遺跡が点在している。その殆どが古代魔導文明期のもの、またはその流れを汲むとされるものだ。
 古代魔導文明の定義は曖昧で、確立されてはいない。現代一般化しているものとは異なる論理系統の魔導技術を基盤とした文明で、およそ六千年前に発祥したとする説が有力だが、それどころではなく一万年以上前に遡れると主張する学派もある。確かなのは五千年前のピークの後、どういう原因からなのか、急速に衰退したということくらいだ。古代魔導自体やそれを利用した技術はその後も細々と残り続けたが、その最後の行使者が二百年前に勇者によって地底に封印され、その原理技術ARSを知る者は完全に絶えた、というのが現代の通説である。
 注意すべきなのは、古代魔導文明と総称されるものは、実際には一つの文明に収まりきれないものであるということだ。遠く離れた地域や時代の、全く異なる言語文化、種族による文明の跡。それらが、しかし共通の魔導技術の痕跡を残し、それぞれの言語とは別に”古代魔導文字”と現代呼ばれる特殊な魔導言語を使用していた。つまり、今は遺跡となっている数多くの古代文明の更にその基底に、共通の文明基盤として存在していたようなのである。
 この技術が、どうしてそれほどまでに世界を席巻したのか、どこで発祥してどのように伝播されていったのかは、それを語る決定的な文献も発見されておらず、通説はない。地域によっては神話の形でその発祥を伝えてはいるが、荒唐無稽であり、神話は神話に過ぎない、というのが現代の大方の見解である。
 ……と、まぁ、学者達はこのような論議を日夜戦わせているのだが、世間一般の人々はあまり頓着していない。遺跡だの、そこから発掘された魔導具だのは、つい百年単位昔のものであっても、押しなべて「古代魔導モノ」として扱われる傾向にある。魔導師も魔法使いも神殿法術師も、巷間の人々には殆ど区別されないのと同じこと。厳密な出自にこだわらずとも、遺跡から発見される魔導具は優れた機能を有したものが多く、そうでなくても好事家の収集アイテムとして高い人気を集め易い。早い話、「遺跡から出てくるような古い魔導具は金になる」。せいぜい、それが世の認識であった。
 よって、遺跡に潜り、それら魔導具を拾得しようとする輩が現れるのは当然の成り行きではある。一時は、貴重な歴史的資料を荒らされてしまうと学者達が戦々恐々とし、国に働きかけて規制をかけたものだったが、今は解かれ、合法化されている。誰であろうと自由に遺跡に入り、内部の物品を持ち出して自己判断で使用・販売することが出来るのだ。何故なら、遺跡は内部に様々な罠を有したり、攻撃的な魔物の巣窟になっていることが多く、結局はよほどの戦闘能力・運・気力の持ち主以外は深部に達することなど出来はしなかったからである。規制するまでもなく、遺跡に臨むのは優秀な能力者や高価な装備を多量に揃えられる公私の機関――古代魔導学校もそこに含まれる――が主となり、僅かに残った酔狂な個人探索者たちも、研究機関が高額で魔導具の買取を行ったことで概ね満足し、貴重な古代遺産の散逸は殆ど起こらなかった。
 つまりは、バリーはそんな酔狂な個人探索者の一人なのだろう。学者崩れ……ということは、何かの理由で組織から落ちこぼれたか。今現在のくたびれた様子からすれば、それは一年二年の話ではない、遠い過去のことなのだろうが。

「やれやれ……ちょっと座らせてくれ。お前の足があんまり早いから、俺ぁくたびれちまったぜ」
 そう言うとバリーは道の傍の草の斜面に座り込み、懐から酒ビンを出してぐいっとあおった。ふう、と息を吐くと、”学者”らしく長々と喋り始める。
「”神を汚す華やかなる者”ってのは、古代魔導の文献に稀に出てくる名前だな。例えば、古代魔導の最強の攻撃呪文の一つとされる”アレイアード”の呪文スペルにも、その省略形が入ってる。それが具体的に何者を表しているのかってのは諸説紛々なんだが……神話的存在の名前なんだろうというのが一般的な解釈か。
 神に反抗して地に堕とされた魔王のことだとか、いつか世界が終わるときに神を殺す者の名だとか。反対に、狂った神を殺して世界を救った英雄の名だとか、神を伴侶にしてこの世の人間の祖になった、創世の人間のことだって説もある。
 元がそういった神話に由来するのかはともかく、称号として実在の人間につけられていたんだってぇ説もあるな。古代、特に能力に優れた者をそう呼んだとか……。ああ、世界を滅ぼそうとして勇者に廃都ラーナの遺跡に封印されたっていう魔導王ルーン・ロード。ヤツがそう呼ばれていたんだって言ってたヤツもいた」
「ルーン・ロード……」
 呟き、ギリ、とシェゾは奥歯を噛み締めた。
「ヤツが言うには、アレイアードはルーン・ロードが作り出した魔導なんだそうだ。呪文の中にある”神を汚す華やかなる者”の言葉が、ルーン・ロード自身の名を表しているんだとかで。この呪文は、古代魔導呪文の中じゃ珍しく全文が遺されているんだが、どういうわけか、唱えても発動させられる人間がいない。何か重要な要素が抜けているのか、行使者の資質や能力によるのか。……さっきの説を唱えてたヤツの言うことには、”神を汚す華やかなる者”にしか使えんのだそうだ。もっとも、単なる呪文の読み間違いや発音間違いの可能性も否定できんと思うがな。何しろ、古代魔導語は完全には読み解かれていない」
「………」
「そういう名をつけるとは、お前さんの親はよほど古代魔導に詳しかったんだろうな。まさか、偶然ということはあるまいし……」

――『偶然だと、思いますか……?』

 かつて魔導王ルーン・ロードと呼ばれていた亡霊の声が脳裏をよぎり、シェゾはぎゅっと、魔導杖を握る手に力を込めた。
「そんなの……知るもんかよ。俺の名前をつけたのは産みの父親だって話だが、顔も覚えてないからな」
 人のために戦って命を落とした。立派な魔導師だったと、母や義父から何度も聞かされていた父親。そんな男が、何を思って息子にその名をつけたのか。偶然? まさか。なあ、呪われた名前だと、あんたは知っていたのか?
「……」
「……何だよ」
「いやぁ、お前もなかなか苦労してるんだなー、と」
 バリーは、いかにも憐憫を込めた目で見上げると、両腕を広げて差し出した。
「息子よ! 今日から、俺を親父だと思ってくれていいぜ」
「いらんっ!」
「おっ、照れ屋だねぇ〜」
「誰が照れてるんだっ! 大体、産みの父親はいなくても俺には義父オヤジがいたんだ。間に合ってるぜ!」
「まあまあ、そう言わずに」
「だぁあっ、抱きつくなこの変態オヤジっ!!」
 シェゾはバリーに蹴りを入れた。あっさりと吹っ飛んで、バリーは斜面を滑る。
「お、おい……」
 そんなに強く蹴ったつもりはなかったので、シェゾは少々面食らった。
「流石、若者はパワーがあるねぇ〜」
 斜面の中ほどで起き上がり、バリーは笑いながら懐から酒ビンを出してあおる。
「……おっさん、もう飲むなよ」
 自分の力が強かったというだけではない。それを悟って、シェゾは思わず言った。
「そうは言っても、俺の命の水だからな」
「飲みすぎだ。死ぬぞ、そのうち」
「心配してくれるのか? 嬉しいねぇ」
 絶句したシェゾを皺だらけの笑顔で見上げて、バリーは「俺はまだ死なねぇよ。目的があるからな」と言葉を継いだ。
「目的……?」
 この自堕落な男には不似合いな言葉を聞いた気がする。シェゾの疑問に、バリーは力強く頷いて答えた。
「俺はな、"グリーン"を探してるんだ」





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