大地は乾き、白茶けていた。その土で作ったのであろう家々の壁も鮮やかに白い。日差しは強く、影は黒々と落ちて、照り返しが目を刺すほどにまばゆかった。
 空は突き抜けて青く、雲は殆ど見えない。カラリとした暑さだ。同じ気温でも湿度が高いと格段に過ごしにくいものだが、その点では爽快だと言えるだろう。しかし暑いことに変わりはない。こうして木陰に座っていても、じんわりとした倦怠感が全身を蝕み、細胞の一つ一つが口を開けて水分を欲しているのが分かる。その欲求のまま、彼は懐からビンを取り出して、ぐいと中身をあおった。
「あーっ、飲むなって言っただろ!」
 途端に叱責の声が飛んだ。見やると、頭からスッポリ被った白布をひらめかせた少年が、肩を怒らせて駆け寄ってくるところだ。
「よう、シェゾ」
 にやりと笑い、片手を挙げて呼びかけたバリーの足元にドサリと荷物を置いて、シェゾは青い瞳で彼を睨みつけた。
「この依頼中は酒は飲まないっていうのが"契約"なんだからな。守れないんなら、破棄させてもらうぜ」
「安心しな、これは水だ。――おっと、命の水じゃなくて、ただの水、な」
 手にした酒ビンを振って見せながら言うと、シェゾはあからさまに疑わしそうな視線を向けてくる。
「……本当だろうな?」
「本当だ。フッ、そんなに心配すんなって」
「なっ……。誰もあんたの心配なんかしてねーよ! 最初に言ったが、俺は酔っ払いに雇われる気がないだけだ!」
 打てば響くような反駁だ。全く、子供の反応ってのは素直で面白いねぇ……。シェゾが聞いたらますます怒声を重ねそうなことを思いつつ、バリーは満足げに口元を歪めた。それから、少年の動きにつれて揺れる白布に視線を移動させる。
「しかし、その格好もなかなか板についてきたな」
「しょーがねぇだろ。郷に入っては郷に従え、だ」
 怫然としてシェゾは言った。
 頭からたっぷり垂らされた白布は、頭巾フード外套マントを兼ねた働きを成している。ずり落ちないように頭環で外側から留めてあった。この村に来てから調達した、この辺りの民族衣装である。尤もその下の衣服は、マントこそ外してはいるものの、依然黒い魔導スーツのままだったが。
 この村に着いた当初、その暑さに辟易したようで、シェゾはマントを外し、黒服の両腕を二の腕までまくっていた。ところが、そうして一日行動してみると、てきめんに両腕が水ぶくれて腫れ上がってしまったのである。元々色白ではあったが、彼は日焼けしやすい体質たちだったらしい。炎症は治癒魔法ヒーリングで治したものの、この、どうやら初めてらしい体験に、よほど懲りたらしかった。袖はまくらずに袖先まできっちり下ろし、泊めてくれた民家の家人の勧めもあって、この白布の頭巾を身に着けるようになったのである。
 これがなかなか似合ったので、どうせなら、頭巾だけではなくその他も全部民族衣装――長袖の白い貫頭衣である――にしてしまえばいいじゃないか、とバリーを含める大人たちはしきりに勧めたのだが、少年は頑固にこのままでいいと言い張った。彼曰く、今は仕事中で、それは魔導師用の服ではないから、と。魔導師たちが好んで身に着ける服を魔導スーツと呼ぶことは知っていたが、そう呼ばれるのはデザインや材質の差異だけではなく、防護的魔力付与エンチャーットがされていたからこそだったらしい。かつて魔導師と行動を共にしたことは幾度かあったが、知らないまま過ぎていたことってのはあるもんだな、とバリーは感心したものである。
「それで? 何か収穫はあったか」
「多少はな。……ったく、俺はただの護衛のはずだろ。なんでこんなことまでやってんだよ」
「そうブーブー言うな。若者は年寄りをいたわるもんさ」
「そんなトシでもないくせに甘えたコト言ってんじゃねーよ、グダグダ休みやがって。料金割り増しだからな」
「シビアだねぇ」
 やや芝居がかって天を仰いだバリーには構わず、シェゾは報告を始める。
「あちこち訊いて回ったが、殆どは今まで聞いたものと大差はなかった。――ただ、食料品店のオバサンが、知り合いのじーさんなら詳しく知ってるだろうと教えてくれたんで……」
 言いながら、地面に置いた荷物―― 一抱えの布袋の口を開けてみせる。中にはやけに大量の、様々な食料品が入っていた。
「……まさか、それ全部買ったのか?」
「違う。買ったのはこれだけ」
 中から小袋を一つ掴み出して、ポンと投げ渡してきた。中には干したナツメ椰子の実が詰まっている。
「もう一袋、手土産代わりにそのじーさんに渡したけどな。……必要経費だ」
 金150、と告げながら片手を差し出されて、バリーは「ホントにシビアだねぇ」と比較的真にこもった声色で嘆いた。





「俺はな、"グリーン"を探してるんだ」
 緑石の街イェシルタッシュの外れの高台でそう打ち明けたとき、少年は「グリーン?」と繰り返して不得要領そうな顔をした。こういう反応をされるのには慣れたものだが。
「ああ、グリーンだ。かつてこの地上のどこかにあったと言われる、理想郷のことさ」

――理想郷グリーン。その存在を最初に聞いたのは、一体いつ、どこでのことだっただろう。祖母の昔語りだったのか、時折村を訪れた"なんでも屋"の老人のホラ話の一つだったのか。
 それはどこかにあるが、どこにあるのかは分からない。ある者は虹の向こうにあると言い、ある者は海の向こうに、山や丘の彼方あなたにあると言った。物と智に富み、美しく清らかで、誰にでも優しい土地。そこではいさかいも飢えも病もなく、全ての望みが叶えられるのだという。
 どうしたらそこに行けるのだろう。どこを探せばいいのだろう。
 同じ話を聞いた仲間たちは大概、それはおとぎ話だと笑った。笑わなかった者は、これは「幸せ」に関するたとえ話なのさ、としたり顔で講釈した。夢想の中の幸せや希望は直接つかむことは出来ない。虹の向こうへは決して行けないように、現実離れした夢は追うだけ無駄なものだっていう戒めなんだよ、と。
 それはそうかもしれない。でも、それだけの意味しかないんだって、どうして言い切れる?
 もしかしたら、この話の元になったような素晴らしい世界が、本当にあったかもしれないじゃないか。
「俺は頑固なガキだったのさ。あれこれ似たような伝承を集めては、本気で理想郷を探そうと考えていた。そのうち、理想郷ってのは古代魔導文明に関わる都市の一つか、あるいは複数の都市のことじゃないかと思いついて、考古学にのめり込んだ。専門の学校に入って、研究室に所属し、実際にあちこちの遺跡を発掘して、雇った魔導師にくっついて探索までこなして。ガキの頃の夢をそのまま仕事にしちまった」
「……それって、幸運ラッキーっていうんじゃねーの?」
 夢をそのまま、まっすぐ叶えられたんだろ。そう、少年が言う。
「ああ、幸せだったさ。
 だが、それは周りが見えていなかっただけのことだった。ガキの頃から一つの夢だけを追いかけるってコトは、視野が狭いってことでもある。つまり、俺はガキのままだったってコトだ」

『どうして、どうして今頃! 浮ついた夢ばかり追っかけて、どうして足元を踏みにじるようなまねをするんだい!!』

「………」
「……おっさん?」
「ああ、スマン。ちょっと、昔言われたことを思い出してな」
 傍らの少年にそう返して、バリーは再び自己に沈んだ。
 今になっても耳が痛い。鋭く、抉るような叫び。言われて当然だった。むしろ、もっと言ってほしいと思った。責めて、責めて、いっそ殺してくれればいい。
「遺跡を発掘して、古代魔導文明の謎を解き明かす。それが俺の人生の殆どを占めていた。俺は考古学者だったんだ。夢を追うことが仕事を成すことでもあり、そうすることが正しくて当然だ。……そう思っていた。自分の足元を支えていたものをかえりみもせず、気が付きもしなかったのさ。……それを無くしちまうまで」


 走って、走って。ドアを開けるのももどかしい気分で家の中に飛び込んだ。
 以前このドアを開けたのは、どれほど前だっただろう。
 ぐちゃぐちゃに波立った思考の片隅で、そんなことをふと思う。家の中には見慣れないものが幾つかある。壁の色も違いやしないか? ああ、彼女は几帳面で綺麗好きだから、きっと壁紙を貼り替えたのだろう。
 けれど、そんなことは些細なことだ。
 決定的なのは、空気、とも言うべきもので。
 たまに戻ったとき、ドアを開けるなり感じていたあの気配。暖かく柔らかに満ちていたもの。それが、消えうせていた。
 かつては、それが当たり前だと思っていた。無くなって初めて、それがあったのだと、消えているのだと知覚する。
 なんて愚かな。
 頭を占める焦燥感とは裏腹に、胸に恐ろしさがじわりと染み込んできて、部屋の中をゆっくりと歩いた。奥の部屋、寝室。彼女たちはそこにいるはず……。
 部屋の中には陰鬱な空気があった。まるで穴蔵みたいに暗い。カーテンは開いていて、外はまだ明るいというのに。並べられた二つのベッドと、その周囲を取り囲んだ灰色の人々。時折、細く低く嗚咽が漏れている。
「どうして……」
 どうして、俺はもっと早くここに来られなかったのだろう?
 大したことはないと思っていた。どうせ、ちょっとひどい風邪程度だ。近所には面倒見のいい人たちも沢山いる。俺がいなくたって大丈夫さ。
『ずっと……最期まであんたの名を呼んでいたよ』
 灰色の影の一つが言った。憔悴しきった声で。
――大丈夫なはずがない。
『メルテムの方が先に………。リュシナは少し前だった』
――大丈夫じゃなかったじゃないか!
 その場から身動きも出来ずにいると、鋭い叫びが飛んだ。
『どうして、どうして今頃!』
 灰色の中から飛び出してきた、恰幅のいい中年の女性の声だ。彼女の顔や声には覚えがあった。近所に住んでいたはず。屈託のない性格で、彼女とも親しかった。身近な年長の女性として頼りにしていたのだろう。彼女がよく、『大丈夫よ、小母さんもいるから』と話していたのを思い出す。
『浮ついた夢ばかり追っかけて、どうして足元を踏みにじるようなまねをするんだい!! こんな時にまで家を空けて……。あんたの探してるカビ臭い遺跡が、この子たち以上のものだったって言うのかい!?』
 もっと責めてくれ。容赦なく。
 他人ですら、彼女たちのために泣いて、これほど怒っている。なのに………俺は、その場にいることすらできなかったのだ!


「足元がなくなった俺は、宙に浮いた存在になった。ふわふわと頼りなく、中身は空っぽだった。
 何もかも放り出して、ただ浮いていた。それまでに積み重ねてきた多少の名声も、地位も、すぐに零れ落ちて消えていった。その程度のものだったのさ。
 酒を浴びた。当ても無くうろついた。こんな愚かな人間は死んでしまえばいいと願った。……だが、死ねなかった。ただ、投げ出された石のように転がり続けて、死ねない自分がここにいることに何の意味があるのかと問いかけていた。
 ……そうして、気づいたのさ。
 何もかも無くしちまったが、たった一つだけ……俺の手の中に残ったものがあったことに」
 少年の視線が、真っ直ぐにバリーに向いた。
「………それが、"グリーン"?」
「ああ」
 バリーは頷く。
「ガキの頃に見たバカな夢だけが残っていた」
 因業なもんだよな。その夢のために周囲を不幸にしたというのに。
 自嘲の笑みを浮かべて、バリーは視線を彼方に広げた。周囲を囲む岩壁、緑の斜面、その下に固まっている白い石の街。
「見ろよ、ここからの眺めは綺麗なもんだな。街が一望できる。
 この辺りにはまだ緑が豊かだが、ここを出てその道を先へ進めば、後は小さな村が二、三あるだけで、その先は砂漠だ。植物は僅かしか生えない。……そこに、未踏査の遺跡の噂があってな」
 俺はそこへ向かう途中なんだ、とバリーは明かした。
「で、シェゾ。お前は随分先を急いでるみたいだが……何か目的はあるのか?」
「俺は………」
 目をみはり、少年は口ごもった。気まずそうに、どこか恥じたようにその目を伏せ、断ち切るごとく吐き捨てる。
「……っ。あんたには関係ないだろ」
「いやぁ。それがあるんだな」
「はぁ?」
「遺跡踏査っていうのは危険なものでね。魔物は出るし、罠もある。遺跡だけじゃない、最近は旅の道も物騒ときた」
 なにしろ盗賊が出るからなぁ、とバリーはおどけた仕草で肩をすくめる。
「そこでだ。目的を果たすためにも、この先護衛が不可欠だと俺は考えた。魔物と渡り合うには、なんといっても魔導師だ。それに武術も使えれば心強いことこの上ないね」
「俺を……雇うって言うのかよ?」
「ああ。お前に急ぎの用がないって言うんならな」
「………」
 少年は口を閉ざした。
「………俺は」
 何を言うべきか迷っている。そんな沈黙の後に吐き出された言葉は、肺腑の中の空気を絞り尽くしたかのようにかすれていた。
「俺には、誰かを護るような、……そんな資格はない」
「………」
 バリーは目の前の少年を見た。一人前のこしらえをして、体格も悪くない。腕も立ち、立ち回る姿は時に大人以上に堂々としていた。
――だが。
 バリーの口元が笑みの形に歪む。
「資格がない、か。……若いねぇ。自信がないからって、そんなに気に病むことはないぜ」
「な……、自信がないわけじゃない!」
「んん? 一人前に雇われたことがないからってビビッてんじゃーないのか?」
「そんなワケあるか! 仕事なら前にも受けたことがある!」
「じゃあ、その仕事を・失敗したんだな」
「ちゃんとやり遂げたさ! 報酬ももらった。――…………」
 不意に、少年は言葉を途切れさせた。不自然な沈黙。何事か、思いに沈んでいるのか。
「……ま、無理にとは言わねぇけどな」
 言って、バリーも黙り込んだ。
 辺りを覆っていた朝の冷気は次第に霧散しており、白い街並みに薄く刷かれていた明け方の青灰色は、岩壁の上から差し込み始めた強い日光の前に消されつつある。
「…………契約行動中の旅費は、一切そちら持ち。報酬はそれとは別にもらう」
 ややあって、少年が口を開いた。
「それから、契約中、雇用主は絶対酒を飲まないこと。……これが条件だ」
「厳しいねぇ」
 嘆く口調でバリーは言った。目を細めて苦笑する。
「じゃ、成立だな」
 そう言うと、少年は僅かにひるんだ顔をした。断られると思っていたのかもしれない。
 右手を差し出すと、少年は暫し迷ったようだった。だが、結局伸ばされたその手のひらを、強く握り締める。
「よろしくな、シェゾ」
 名を呼んで笑うと、鬱陶しそうに彼は目をすがめた。あるいは、照り始めた朝日が眩しかったのかもしれないが。
 握った手の銀色のアームプロテクターが、差し込んだ陽光を切れ切れに弾いていた。





 そうして、二人は"考古学者"と"護衛の魔導師"として旅を続けてきた。今は三つ目の村。精霊の国ジンネスティアという大層な名前のこの村一帯には、バリーいわく、かつて大きな都市があったのだと言う。都市は放棄され、逃れた人々の集ったというこの村も、年々砂に侵食されつつある、と。この向こうには、少なくとも人族の集落はない。漠々とした砂礫の大地になっている。
 都市の遺跡は、その砂漠を半日ほど進んだ先にあると聞いていたのだが、来てみると、実際にそれを確認することは出来ないのだと教えられた。なんでも、特定の時期、特定の条件の時にだけ姿を見せるというのだが、それがいつのことなのか、どんな条件なのかがよく分からない。そこで、村の人間に詳しく話を聞く必要が起こったが、その役を、昨日からはシェゾが行っていた。
 少年は、最初のうちは交わした契約にただ忠実で、じっとバリーの傍に控えて護衛の役を務めているだけだったのだが、この村に着いて数日、有用な情報を集めるでなく、ただ怠惰に日々を過ごしている――ように見える――バリーの姿に、ついに耐えられなくなったらしかった。そうして自ら精力的に情報収集を始めたというわけなのである。
「に、しても……。買ったんじゃないってんなら、こりゃ一体どうしたんだ?」
 チーズやら干し肉やら堅パンやら、袋いっぱいの食料を覗き込みながらバリーは尋ねた。
「知らん。なんでか、道を歩いてると村の連中があれこれくれるんだよ」
「ああ……」
 なるほどな、とバリーは唸った。分かる気がする。若者の多くはイェシルタッシュか、もっと遠くの街へ出て行ってしまうというこの村には、子供が殆どいない。そのうえ、シェゾは外見が整っていて、かなり目立った。
「じーさんばーさんにモテモテだな」
「はぁあ?」
「そう嫌そうな顔をするな。人に好かれるってのは財産だぜ。実際、これで当分食料には困らなくなったしな。……今の宿も、子供連れってコトでご厚意をいただいて、タダで泊めてもらってるんだし」
「俺は子供ガキじゃねーよ」
 バリーがクツクツ笑うと、シェゾは仏頂面を作った。その反応に、更に笑いを誘われる。
「笑うなっ! あー、もう。せっかく話聞いてきたのに、言わねーぞ」
「クックッ……。ああ、スマン。俺ぁ、らっきょが転がるのもおかしいお年頃でね。――で?」
「何が"お年頃"だよ……"お年寄り"の間違いじゃねーの?
 ……やっと具体的な話が聞けた。そのじーさんは、実際に砂漠で遺跡を見たことがあるんだってさ」
「本当か!?」
「ああ。そのじーさん、自分で言うには百五歳だっていうんだけど……九十年前、俺と同じ年の時に、砂漠に遺跡が現れるのを見たんだそうだ」

――そりゃあ大きな街だった。ひどい砂嵐で、もう生きては帰れんと諦めかけた時、どこからか鐘の音が聞こえてのう。……ああ、空耳だったのかもしれない。とにかく、その音を目指して這って行くと、急に風がやんで、視界が開けた。さっきまでの嵐が嘘みたいな綺麗な月夜で、そこに、大きな城壁に囲まれた街が見えたのさ。

 老人は歯が殆ど抜けた真っ黒い口を開けて、それでもかなり明瞭に喋ってのけたという。
「それで? 中はどうなっていたんだ」
 シェゾは肩をすくめた。
「それが、じーさんは中には入らなかったんだと。なんでも、街全体に幾つも明かりがついて動き回ってるのが見えて、恐ろしくてとても入るどころじゃなかったんだとさ。村に帰りついた後でまた嵐になって、収まってから仲間ともう一度見に行った時には、もう何もなかったんだそうだ。
 ……じーさんが言うには、遺跡は砂の山の下に埋まっていて、大嵐の時だけその下から現れるんじゃないか、と」
「ふーむ」
 バリーは顎に手を当てて考え込んだ。
「実際に砂の下にそのまま埋まっているかは分からんが、砂嵐がキーになっていることは充分に考えられるな。例えば、普段は不可侵結界で外界から隔絶されているが、砂嵐で多量の砂に長時間触れ続けると、結界が一時的に緩む、だとか……」
「……おっさん、ホントに考古学者だったんだな。なんか元気になってきたじゃないか」
「おう、エンジンが掛かってきたぜ。それで、砂嵐はいつ来るんだ?」
「さぁ」
「"さぁ"?」
「俺が知るかよ。……じーさんに訊いたところじゃ、この辺りに嵐が起こるのは六月か十月だってことだが、あの時ほど強い嵐はそれ以来起こっていないんだそうだ。『百年に一度、砂漠の精霊ジャァーンたちが集まって祭りを開くと言われるが、そのせいだったのかものう』だとさ」
「百年……」
「今からだと、十年後だな」
 言っておくけど、俺は十年も付き合う気はないからな、とシェゾはにべもなく言い切った。
「うーーーーむ……。しかし、在ることが分かっているんだ。そのじーさんに詳しく場所を聞いて、その範囲を探索し、結界を中和できれば……」
「いーけどな。行くだけならともかく、おっさんの体力じゃ、砂漠で当てのない探索は無理じゃないか?」
 足掻きをやめないバリーに、シェゾは容赦なく突っ込みを続ける。まぁ、正論だろう。では、他の方法は?
「シェゾ。お前、テレポートは」
「……生憎」
 再び仏頂面になって、シェゾは両手を軽く挙げた。
 空間転移魔法テレポートが使えれば、ぐっと状況は易くなる。一度場所を覚えれば、自在に移動できるようになるからだ。だが、この魔法は制御が難しく、使える魔導師は限られている。年若い少年が使えなくとも無理はない。
 しかし……。では、どうすればよいのか?
「おーっほっほっほっ、お困りのようですわね!」
 唐突に、甲高い女の声が割って入った。
 十メートルほど離れた路地の辺りに、いつの間にか青い服を着た女が現れて、妙なポーズで高笑いを続けている。
「まあとにかく、もう一度そのじーさんに詳しい話を聞いてだな……」
「ちょおおおっと、無視しないでいただけます!?」
 流して話を続けてみたが、女の方は流されるつもりは毛頭ないらしかった。白くて丸い、ちょっと風変わりな帽子の青いつばを押し上げて、二人に割り込んでくる。
「おっとすまねぇな、気付かなかった。なんか用かい、ネエちゃん」
「あんた、広場にいた占い師だろ。さっきも言ったが、占いなんかにゃ用はないぜ」
 適当に返したバリーの傍らで、シェゾが冷たくそう言い捨てる。しかし女は気にする様子はないようだ。
「確かに占いもいたしますが……この可憐な少女の姿をしたワタクシの真の姿は、魔女。どんなお悩みも魔法で解決いたしますわ!」
 高らかに言って、またも妙なポーズを決めた。何か、そういうポーズを決めずにはいられない性格であるらしい。
「ほお、あんたは魔女族ウィッカか」
 バリーの声に、女はフワッとした赤い短髪をなびかせて、「はい」と頷いた。
 魔女族は、外見こそ人族とほぼ見分けがつかないが、異なる種族として別のコミュニティを持っている。元は人族で、魔族と契約した……か、あるいは混血した、その末裔だと俗に言われることもあるが、定かではない。魔女の氏族によっては、先祖は天空から現れ、この世に最初に魔法をもたらした……などという伝説を持つものもあるようである。ともあれ、人族では魔力を備えて生まれる者が稀なのに対し、魔女族は備えて生まれるのが当たり前だ。生まれながらに魔力を操り、独自の魔法体系さえ持ち、特に魔法薬の知識技術では他の追随を許さない、魔法のスペシャリスト。故にプライドが高く、かつては人族と交流することは稀だったが、近年は方針が変わったらしく、年若い魔女族の女ウィッチ魔女族の男ウィザードが人族の里に現れ、修行と称して魔法を使った商売などする姿は珍しくはない。……それが、時に魔導師のシェアを侵すという問題をはらんでもいるわけだが……。
「どんな悩みも魔法で解決、か。ホントにそんなことが出来るんなら、大したもんだがな」
「あら、本当ですわよ。ま、魔導師とは格が違いますわね」
「なんだと!?」
 睨みあいを始めた(というより、殆どシェゾが一方的に睨んでいる状態だが)二人の間に「まあまあ」と割って入って、バリーは魔女に顔を向けた。
「俺たちの話を聞いていたんなら、話は早いが……。あんた、本当に何とか出来るのか」
「勿論ですわ」
「ハン、魔女に何が出来るんだかな」
「あなた、さっきからうるさいですわね。お子サマは黙っていていただけません?」
「なっ……、誰がお子様だ!」
「おーい、話が逸れてるぞ。……で、実際、あんたは何が出来るんだ」
「簡単ですわ」
 バリーの問いに、赤毛の魔女は笑った。
「あなた方の捜している遺跡を見つけるためには、大きな砂嵐を起こす必要がある。砂嵐を起こすには、精霊を待たねばならない。……ならば、精霊をべばよろしいじゃありませんか」
「精霊を……呼ぶ?」
「このエリート魔女のワタクシの手に掛かれば楽勝です。おまかせあれですわ!」
 ホーッホッホッホッ、と魔女の高笑いが響いた。





Next/Back/Top

inserted by FC2 system