ひどく賑やかだ。ザワザワとさざめく人声、足音。物売りや子供の甲高い声が、それらを割って通り過ぎる。吹き抜ける風は潮の香りを含んで重く、時折、遠く近く汽笛の音が響いた。
「いい加減、帰れよ」
 何度目かの台詞をシェゾは口に出した。呆れと、幾らかのみ。そして少年らしい照れをいささか含ませた。
「かーえーらーなーいっ。もー、ここまで来て何言ってるのかなぁ、キミは」
 予想通りの応えを、目の前の少女は返した。背に垂れた亜麻色の髪を揺らし、鳶色の大きな瞳で見詰めてくる。
「あのなぁ……。何で俺に付いて来るんだよ。俺はこれから船に乗る。早く魔導学校へ行かなきゃならないんだ。あんたの相手をしてる暇なんかないぞ」
 古代魔導学校の入学試験には乗り物を使ってはならない。それはよく知られたことだが、流石に、大海などを隔てている場合は別である。その場合、魔導学校が指定した地にまず到達し、そこから入学申請室まで、己の足と魔導のみの旅となる。
「いいじゃない、船旅。私も船に乗りたかったんだ」
「おい……」
「別にキミの邪魔はしないわよ。私が勝手にくっついていくだけ」
「充分ジャマだっ。大体、あんたは体が弱いんだろ。カーフの領主が……あんたの父親が心配するだろうが」
「あら、ちゃんと書置きをしてきたもの、大丈夫よ。それに、病気ならすっかり治ったわ。キミが取って来てくれた薬のおかげでね」
 少女は朗らかに笑う。確かにその頬は薔薇色で、以前ちらりと見たときの、ベッドに横たわっていた青白い顔とは比べるべくもない。
「本当ならね、私はあのとき死んでいたの。あの部屋から出られないで、何一つ出来ないままで……。だから、生まれ変わった人生は私のものよ。これからは好きなところに行って、やりたいことをやるの」
 おかしなことを言う、とシェゾは思った。あの時死んでいただとか、生まれ変わっただとか、どうしてそんな決めつけを、奇妙な言い回しを選ぶんだろう。女ってヤツは無駄に感傷めいていて、理論や根拠に薄い。ひどく感覚的だ。
「あっ、ほら、また汽笛が鳴った。早く港へ行ってみようよ!」
 手を握られ、少しばかり強引に引っぱられる。

 何を感じ、考えていたところで、変えることが出来なかったのならば意味のあることではない。
 結局は、俺自身も流されていた。引かれるままに、この状況に甘んじていたのだから。



――彼女は?
『あの方は、ファトマリム・カーフ。十六歳になられる、領主様の一人娘です』
 故郷を発って、最初に着いた街と言えるだけの規模の地、カーフ。その大衆食堂で、唐突に強面こわもてのおっさんたちに取り囲まれた。家を出て以来、どういうわけだか魔物や追い剥ぎに絡まれる率が日に日に高くなっていたんで、最初はまたその類かと思い、少々暴れてみせたもんだが。
 そいつらは、俺の名を正確に呼んで制止した。それだけじゃない。俺の容姿も識っており、魔導師と呼んで、『共においでください、領主様があなたへの依頼を望んでおられます』と告げたのだ。
 全く、奇妙な状況だよな。確かに俺はその春に魔導中学を首席で卒業したが、逆に言えばそれだけで。卒業すれば資格的に魔導師を名乗れはするが、まだ何の実績もない、駆け出しの子供に過ぎない。故郷から離れた街にまで名が知られているはずもないのだ。なのに俺を指名し、あたかも、俺が当日その街に着くことを知っていたかのごとくに探し当ててきた。
 それから街の中央の領主館に案内され、中の一室に通された。その部屋は二間続きになっており、開いた扉の向こうに、ベッドに横たわって眠っているらしい女の姿が見えた。
『ファトマリム様は生来病弱な方で……。今年に入ってからは特に、病状が思わしくありません』
 女の頬はひどく青白い。思わしくないってのはホントらしいな、と思う。ベッドの傍には一人、ひどく年取ったばあさんが腰掛けていた。看護人だろうか……それにしては黒づくめで、この立派な屋敷には似つかわしくなく薄汚れているような気がする。フードから束になって流れ落ちている白髪を見ながら、そんな感想を抱いた。
『彼女は、占い師でね』
 現れた領主は、どこか憔悴した顔でそう説明した。
『彼女がやって来て告げたのだ。娘の命を救うためには、魔の森の奥に隠された薬が必要だと。それを取って来ることが出来るのは、シェゾ・ウィグィィという魔導師だけで、彼は今日、この街に現れる……とな。
 正直、半信半疑だったが……君は確かに現れた』
 俺は複雑な気分になった。
 一つは、俺の知らないところで勝手に話が進んでいたことへの反発。占いだか何だか知らないが、俺だけが出来るの出来ないの、そんなことを勝手に決めんなよっ。そしてもう一つは……矛盾しているが、何か神秘的なものに"選ばれた"ことへの高揚感、だった。誰でも、子供の頃一度は勇者の物語を聞くだろう。勇者は、女神や神殿の神託に選ばれて世直しの旅に出発するのさ。そんな物語を追体感できたみたいな、一種の誇らしさ。
――今思えば、滑稽なコトだが。
 魔の森とは、入った者は二度と戻れないと言われ、カーフの人間は決して入ろうとしない魔境だと言う。魔物がいるのか、あるいは罠でもあるのか。それすらもはっきりしない。なにしろ、戻った者がいないのだから。
 そんな所へ俺一人で行き、本当にあるかも判らぬ薬を取って来いというのだ。
 冗談じゃない、とは思ったが、俺でなければ誰もそれを成し得ない、このままでは彼女は死ぬかもしれない、と言う。そして何より、これは俺が生まれて初めて得た、"一人前の魔導師"としての依頼だった。俺は受けた。――軽率だ、と笑われても仕方がない。その仕事自体は無事に成し遂げた、のではあっても………。
 戻ると、領主は俺の手を握り、何度も何度も頭を下げて、しきりに感謝の言葉を口にした。ファトマリム・カーフはベッドに半身を起こし、薔薇色の頬で微笑みかけていた。
 そのベッドの傍に、もう、あのしなびきったばあさんの姿は見えない。
『君が戻る少し前のことだった。かなりの高齢のようだったからね。……まるで、娘の身代わりになってくれたようにも思えるのだ。丁重に葬ったよ』
 訊ねると、領主はそう答えた。あのばあさんがどんな風に俺のことを予知したのか。それを知りたい気持ちがあったので、多少残念には思えたが……。その時はただ、それだけのことに過ぎなかった。
 今思えば、この頃の俺はなんてお人好しな、自分の見たいものしか見ない、暗愚な子供ガキだったのだろう。多分、今でもそう賢くはないのだろうが、この頃は格段に愚かだった。呑気にも達成感に満たされてカーフを発ち、勝手にくっついてきたファトマリム・カーフ…………ファトムに文句を言いながらも、結局は共に行動して……。
 馬鹿みたいに、浮かれていた。





   丘の向こうで彼らが呼んでいる
   緑だ、緑だグリーン・グリーン、ここは緑で満ちている、と
   俺もいつか行くだろう、ここより緑の濃いどこかへ

 シェゾは目を開けた。
「今の歌……」
「お、目を覚ましたか?」
 呟くと、すぐ隣からバリーの声が返った。
「おっさん、あんたが歌ってたのか?」
「ああ。グリーンの伝説の残っている地域の一つに伝わってる歌でね」
 結構気に入ってるのさ、と顔を皺だらけにして笑う。
 砂礫に爆裂系の魔法で掘った窪地に、二人は並んで座っていた。赤毛の魔女と共に、老人がかつて遺跡を見たという場所までやって来たのだが、召喚は昼よりも夜の方が相応しい、と言うので、日陰を作ってそこで休んでいたのである。そうこうするうち、いつの間にか転寝うたたねしていたらしかった。陽は既に傾き、世界は燃えるオレンジから、ゆっくりと冷たい青灰色に染まっていこうとしているところだ。
 魔女は窪地から出て、なにやら踊っているかのような動作で砂地の上に色砂を撒いていた。魔法陣を描いているらしい。日が消えかけた砂漠で魔女の踊る様は、無音というわけでもないのに奇妙に静謐で、一枚の絵のようにも感じられる。
 その絵画を見ながら、バリーは同じ歌のワンフレーズを繰り返し口ずさんでいた。そこしか覚えていないのかもしれない。

   俺もいつか行くだろう、ここより緑の濃いどこかへ

 シェゾは暫くぼんやりと聴いていたが、やがて「なあ、おっさん」とバリーに呼びかけた。
「"グリーン"を探すっていう、あんたの夢……。その夢だけを見ていたために、周囲を不幸にした。あんたはそう言ってただろ。………なのに、どうしてまだ"グリーン"を探すんだ?」
 膝を抱え、視線を向けず言う少年を見やり、バリーは苦笑を隠さずに返す。
「そうだな……。まぁ、業ってヤツかねぇ」
「それって……結局、悪モンだってコトだろ。誰かを傷つけて、踏みつけにして。それでも同じことを繰り返す。そういう風にしか出来ない……それがうんめいってヤツなのだとしたら……その上でまだ、……生きてく意味なんて、あるのかな」
「そうだな……」
 バリーは窪地の壁に背を預けた。
「俺が"グリーン"を探すのは、結局は、他にすることがないからさ。
 だがな……目的を掲げるってのが大切なんだ。目指す場所があるってのがな。死んじまうのは簡単だ。死ぬ気がなくとも、死ぬときには死ぬ。だが、目的があれば生きる糧にはなる。
 本当の目的なんてものは、最初から見つからなくたっていいんだ。人に笑われるようなことでも、眉を顰められるようなことでも、何かを目指す。そうやって歩いていれば、いつか辿り着けるもんさ。――自分の行きたい場所へ、な」
「……そんな場所」
――行けるもんか。
 シェゾは心の内で吐き捨てた。
 行きたい場所も、帰りたい場所も、確かにあった。けれども、今はそのどちらへも行けない。――行ってはならない。どこにも行ける当てのない自分なのに。
「あら、やっと目を覚ましましたのね」
 苛立ちを押し殺していると、赤毛の魔女がこちらに歩いてきた。
「準備は大体終わりですわ。それにしても子供はよく眠るものですわねぇ」
「誰が子供だ! いい加減調子に乗ってベラベラ喋るのをやめろ、このクソ女っ」
「んまぁあっ、なんて口のきき方でしょう、このジャリンコはっ」
「クッ……。話にならん!」
 言い捨てて、シェゾは立ち上がった。その背に向かい、バリーが声をかける。
「おいシェゾ。お前、もしかして……」
「――!」
 ギクリ、とシェゾの足が止まった。
「もしかして、この魔女のネエちゃんにホの字かい?」
 そのまま、がくりと前につんのめる。
「まああ、そうでしたの? それは気付かずに申し訳ありませんでしたわ。ですが、ワタクシには故郷に想う人がおりまして……」
「好きな女には思わず悪態をついちまう……。いやぁ、"青い春"と書いて青春だねぇ」
「違うっ!! 俺は女なんざ大っ嫌いだ! うるさい魔女や、占い師なんかは特にな!」
 立ち上がって振り返り、シェゾは力の限り叫んだ。バリーと魔女のいささか面食らった顔を目にし、しまった、出し過ぎたかと後悔する。
「シェゾ、お前」
「!」
 一歩、身を退いた。
「まぁ、好みは人それぞれなんだが……女もイイもんだぜ?」
「その若さでホモの方でしたとは……なかなかマニアックですわねぇ」
 が、再びつんのめって今度は仰向きに地面に倒れた。日にたっぷりと焼かれた砂は、まだ充分に熱い。
「大丈夫か?」
「あらあら、貧血でも起こしましたの? 普段から好き嫌いせずに何でも食べないといけませんわよ」
「………」
 地面から起き上がりながら、シェゾは右手を硬く握り締めた。この能天気なやつらをどうにかしてくれ、と心の中で何かに願いつつ。





 濃紺の空には銀盤がクリアに浮かび、眼下に広がる砂の大地を白く輝かせている。
「……さあ、これで全て準備完了ですわ!」
 振り向いて、赤毛の魔女が言った。その足元には色砂で描いた魔法陣がある。半径が五メートルほどあるだろうか。先程まで歌のように紡がれていた魔女の呪文に応じて、内側がほのかに光を放っていた。
「ワタクシの仕事はここまで。仕上げは……あなた、一応魔導師ですわよね。どうぞやってくださいな」
 突然役を振られて、シェゾは面食らった。
「何? ちょっと待て、中途半端だぞ。お前が精霊を召喚するんじゃないのか」
「そう言われましてもねぇ……。随分と値切られましたし。あの金額では、これが限度ですわ。
 なんですの、そんな顔して。あなた、もしかして自信がありませんの? 召喚をやったことがないとか……」
 だったら仕方ありませんわね、追加料金でこのワタクシが……と言い掛けている魔女を遮り、シェゾは怫然として「それくらい、ある」と答えていた。
「あら。……意外と経験ありますのね」
「一度だけだけどな」
 白い頭巾をひらめかせて、シェゾは魔法陣の前に進み出た。このままこの魔女に任せておけば、どこまで値を吊り上げられるか分かったものではない。勿論、払うのはバリーなのだからシェゾの知ったことではないが、このオヤジにそんな支払い能力などないことは、ここ暫くの同道で身に染みて分かっていた。となれば、こちらにとばっちりが掛かる可能性は高く、放ってはおけない。
「一通りの呪言は、もう入力してあります。後は、キーだけですわ。つまり、契約者の名前です」
「お前……自分の名をキーにするのが嫌なだけなんじゃないのか」
 精霊に限らず、他者と契約するためには名前が必要だ。それによって契約は成され、利益が与えられると共に縛られる。
「あら……おほほ。そんなコトはありませんわよ。でも、ワタクシは今はまだ修行中の魔女ウィッチ。どちらにせよ、真の名は持っておりませんけどね」
「確信的犯行かよ」
 勃然としながらも、シェゾは己の身の丈以上もある杖を構え、意識を凝らした。
「あ……。言っておきますけれど、成功するかどうかは術者の力量次第ですからね。失敗したとしても、ワタクシのせいではありませんわよ」
「うっさい。少しは黙ってろ!」
 怒鳴り返し、また意識を魔法陣に戻してキーを口に上らせた。
「我が望みに応え、契約を成し、疾く現れよ。――契約を望む者、我が名は”シェゾ・ウィグィィ”」
 唱え終わると同時に、魔法陣が光った。光の筋が立ち昇り、中に何者か――恐らくは精霊の気配が凝り始める。
「嘘……! 本当に成功しましたの?」
「あのな……俺を何だと思ってるんだ」
 用意された呪言の、最後のキー入力すら出来ないと思ってるのか。振り向いて忌々しげに言っている間にも、光の中の気配は強くなっていき、やがて光が消えるのと引き換えにその姿を現した。
「呼ばれて飛び出て、ジャジャジャ・ジャァ〜ン!!」
 開口一番、元気よく叫んで宙をくるりと回る。
 その精霊ジャァーンは少女の姿をしていた。肩の線よりも少し短いくらいのラインで淡い青緑色の髪を切りそろえ、頭頂部には金色の二本の角が生えている。
「それで、私に何の用でごじゃるか?」
 おかしな口調で精霊は言った。
「え……。あ、ああ。嵐を起こしてもらいたいんだ。お前たちが百年に一度起こすっていうのと同じくらいのヤツを」
「それは簡単でごじゃるが……対価をもらってないでごじゃるよ」
「何?」
「対価もないのに、強引に呼ばれたでごじゃる。こういうことをされると困るでごじゃるな」
 振り向いて、シェゾは慌てた様子の魔女を睨みつけた。
 かつて、修学旅行で訪れた廃都の地下迷宮で、古代の魔法陣から精霊を呼び出したことがある。あの時には、爆柳、サルの毛、電光石という三つの魔導具を対価として差し出した。逆に言えば、精霊は対価がなければ呼べもしないもののはずなのだ。
 さっき、精霊を呼んだらやけに驚いてたが。そもそも呼べるだけの対価を用意してなかっただけなんじゃねーかよっ。
「仕方ないでごじゃるな……。対価がないのなら、代わりにお前の力をもらうことにするでごじゃる」
「なっ……。冗談はやめろ!」
 伸ばされた精霊の手から、シェゾは飛びのいて身をかわした。魔女を指差して叫ぶ。
「何で俺なんだ。対価なら、あの女から取れ!」
「ちょおおおっと、なんですのそれは、あんまりじゃございません!?」
「自業自得だっ!」
 精霊は首をかしげ、暫し「うーん」と考え込むそぶりを見せたが。
「折角でごじゃるが、ここはやはり、契約者の力をいただくのが筋と言うものでごじゃるよ」
「おーっほっほっほっほっ、そうですわ、契約者はシェゾさんですものねぇ」
「この女ァああああ!」
 高笑いする魔女をシェゾが怒鳴りつけた、その刹那。「では、いただくでごじゃる」と精霊がつかみかかってきた。咄嗟に、炎の攻撃呪文を唱える。
「フレイム!」
「じゅっ」
 飛びのいて、精霊は奇妙に唸った。
「むぅう……。対価を渡さない気でごじゃるか。だったら、力づくでごじゃる!」
 精霊は両手を合わせて突き出した。すると、そこからシュルシュルと白い煙のようなものが噴き出してくる。
「な、何だ!? おかしなものを出すなっ」
 辺りは白煙に覆われ、精霊の姿はすっかり見えなくなった。……体調が悪くなる感じはしない。幸い、毒ガスの類ではないらしい。ただの目くらましか。
 だが。目くらましに過ぎないのだとしても、厄介なことに変わりはない。それをすぐに思い知った。
「ジャァーン!」
 突然、耳元で精霊の声が響いた。ぎょっとして身を退くのも間に合わないうちに、バチンッ、と全身に衝撃を受ける。
「ぐっ……!」
 たまらず吹っ飛び、転がった。
 衝撃波系の魔法か。……いや、魔力の動きは感じなかった。では、体当たり? ……それにしては衝撃の範囲が広くて均一だったような……。
 そんなことを考えるうちにも、またも衝撃が襲い掛かってくる。
「ジャジャァーン!!」
 また何かに叩かれ、吹っ飛ばされる。
「チッ……」
 白煙は薄れることがなく、相変わらず何も見えない。
 このままでは埒が明かんな。
 だが生憎、煙を晴らすための魔法は身につけてはいない。となれば、仕方がない。少々手荒いが……。
「おい魔女ウィッチ、おっさんは頼んだぜ!」
 叫ぶと、シェゾは長い杖を掲げた。
「フレイムストーム!」
 呪文を放つと同時に、周囲をゴオッと炎の渦が覆い尽くした。居場所が分からないのなら、とりあえず周り中を攻撃してみればいい。大雑把だが、これが簡単で確実だ。
「じゃっ」
 精霊の唸り声がした。やはり近くにいたらしい。同時に、周囲を覆っていた白煙が薄れだした。炎の魔法は思わぬ効果を生んだらしい。熱気が呼んだ風が煙を流し去ったのだ。煙の向こうから精霊の姿が見え始める……。
「うっ!?」
 それを目にして、シェゾはたじろいだ。
 精霊は、思ったよりも離れた場所にいた。だが、今一つ距離感がつかめない。……その掲げられた右の手のひらが、座布団ほどに大きく見えていたので。
 まさか……さっきから、あのバカでかい手ではたかれていたのか? 俺は。
「もっと大きくなるでごじゃるよー」
 言うと、精霊の右手はますます大きく膨らみ始めた。
「カッコイイでごじゃろう?」
「カッコイイわけあるかっ。手ばかりでかくて、バランスが悪いぞ!」
 嬉々とした精霊の発言に、すかさずシェゾの突っ込みが入る。精霊は少し考えるそぶりで黙り込み、その間は手が膨らむのも止まっていたが。
「じゃあ、バランスをよくするでごじゃるよーーー」
 それは僅かな間。たちまち、手だけではない、全身がむくむくと巨大化した。今や精霊は見上げる大きさ。巨象とアリの体格差である。流石に、シェゾの顔が青ざめた。
「ちょっと待て……。こんなのと、一体どうやって戦うっていうんだぁああ!?」
「ジャァーーーーン!!」
 割れ鐘のような声を響かせて、精霊が壮大すぎるチョップを振り下ろしてくる。
「だぁあああっ!」
 危うく避けたが、ザバン、と砂が波打ち、風圧だけで転がせられた。
「おい……コイツの弱点か何か、知らないのか!」
 転がって跳ね起き、精霊の足元を逃げ回りながら魔女の方に叫んでみる。
「え? ええとぉ……。さぁ?」
 魔女は全く頼りにならなかったが、意外にも、その隣のバリーから答えが返った。
「なんでも、精霊は血の代わりに熱風が全身を巡ってるんだとよ。だから、怪我をするとたちまちそれが流れ出て、すぐに弱っちまうと聞いた事がある!」
「あ、では、傷をつければよろしいんですわね。小さなものでも。……ですってよぉ、頑張って下さいませー!」
「傷をつける、って言ったって……」
 こんな巨人に多少の魔法を放ったところで、かすり傷さえ付きそうにはない。
――魔法ではなく、アレを使えば。それは恐らく容易なのかもしれないが。
 ……………………。
 シェゾは、浮かんだ思いを振り落とすように頭を振った。大丈夫だ。アレを使わずとも、何とでもなる。
「ダイアキュート!」
 巨大化したおかげで敏捷性は低い。精霊の足元を縫って逃げ回りながら、シェゾは増幅呪文を唱えた。
「ダダ ダイアキュート!」
 もう一度唱える。己の内で光球が大きくなるイメージ。高められた魔力が更に膨らみ、純度を増していくのを感じる。
 一匹のアリの開けたただ一点の穴が堤防を決壊させるように、要は一点集中。ほんの僅かにでも傷をつけられればいい。この場合、唱える呪文も広範囲・高威力のものである必要はない。威力は低くとも、集束力を持ち貫通性のあるものこそが相応しい。
 用意した呪文を、シェゾは解放した。
「ララララ…… ライトニングっ!」
 増幅され、輝きを増した一条の雷光が、精霊の腹部を突き抜けて夜空へはしった。
「じゅっ!」
 精霊は唸り、一瞬、ビクリとその全身を硬直させた。だがそれだけで。一見、何のダメージも与えられなかったかのように見える。
 が、間もなく、シュー……と空気漏れのような音が聞こえ始めた。それがどんどん大きくなっていくと、精霊はグラグラと体を震わせていく。最初は左右に、やがて上下に。
「やられたでごじゃるよーー」
 そんな間の抜けた叫びを残して、穴の開いた風船のように、精霊は全身から音を鳴らして風を噴き出し、霧散していった。
 その風の勢いは凄まじい。巻き上げられた砂で目も開けられず、呼吸さえままならないほどだ。シェゾは、暫くは両手で顔をかばって耐えていたが、そのうち風で滑って砂の上を後方に吹き飛ばされた。
「わ あぁああっ!」
 悲鳴を上げて砂塵の中に巻き込まれていこうとした腕を、誰かの手がガシリと捉えた。
――おっさん。
 その手の主の名を、シェゾは呟く。被っていた白い頭巾はそのまま砂嵐にさらわれて見えなくなった。膝をついたバリーの傍に、同じく這いつくばった赤毛の魔女がいて、タイミングを合わせて障壁魔法を唱える。
「どんえーん!」
 四方を覆った不可視の壁に護られ、猛風が止んだ。三人はどうにか人心地がついて、壁の中の僅かな場所で息を殺し、砂嵐の収まるのを待った。
 風が荒れ狂っていたのは、どのくらいの間だったのか。
 不可視の壁の向こうの空気が澄んで行き、視界が開けると、魔女は障壁魔法どんえーんを解除した。澄んだ濃紺の空には、星や銀盤が鮮やかに浮かんでいる。
 その光を白々と弾いて、巨大な都市の遺跡が、砂の大地に忽然とその姿をさらしていた。





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