都市は城壁に囲まれていたが、中央へ向けて街全体が隆起して段を作っており、あたかも巨大な岩山を街の形に削り上げたかのようにも見えた。
「空中庭園ってヤツだな」と、辺りを検分しながらバリーが言う。「”グリーン”の伝説に相応しいかもしれない」。
 門は壊れかかっていて、中へ入るのは容易だった。月は天頂にあり、封じられていた廃墟を、灯かりがいらないほどに明るく照らしている。
「思っていたより痛んでおりませんわねぇ……。砂も殆どありませんし」
 見回して、赤毛の魔女が言った。
「って……。何でお前が付いて来てるんだよ」
「純粋な好奇心ですわ。古代の叡智を見られるまたとない機会なんですもの、逃せないじゃありませんか。……それに、古代魔導のお宝があるかもしれませんしね」
 手を口に当ててぐふふふ……と”笑い”を演じてみせる魔女を横目で見ながら、シェゾは(それが本音なんじゃないのか……?)と危ぶんだ。
 それにしても、静かだ。こうした遺跡には多くの魔物が巣食っていることが殆どで、護衛としては幾分気合を入れて臨んだというのに、拍子抜けするほどに何事もない。もっとも、まだ都市の外周を巡っているところだから、奥に入れば何があるのか知れやしないが。
 幾つかの階段を上ると、山の中程、ぽっかりと開けた広場に至った。一方がバルコニー状に張り出していて、東屋などもあり、街やその外の砂漠が見渡せる。魔女が歓声を上げた。
「あらぁ、なかなか素敵な景色の場所ですわね」
「市民の憩いの場、ってトコか」
 言って、バリーは東屋に設置された椅子の一つに腰を下ろす。一つ息をついた。
「おっさん、平気かよ」
「ああ。やれやれ、トシはとりたくないねぇ」
「トシのせいばかりじゃないだろ。……目的を持って生きるだとかご立派なごたくを述べるんなら、不摂生はやめろよな」
「耳が痛いねぇ」
 無精髭で薄汚れたような顔を歪めて、バリーは苦笑する。――同道を始めてから、もう幾度も見せてきた表情。
 ふと、シェゾは不安になった。
 理論立った思考ではない、もやもやした感覚のようなもの。何だ? 俺は何を不安がっている。

――『……でも、それは弱さなんだよ』

 刹那、記憶の奥底から”彼女”の声が浮かび上がった。
「……っ!」
 痛みをこらえるように、シェゾは息を飲み込む。それと殆ど同時に、だしぬけに大きな音が響いた。
「なっ、何ですの!?」
 魔女がうろたえた声を上げる。ハッとして、シェゾは杖を構えた。
――集中しろ、今は仕事だ。余計なコトを考えている場合じゃない。
 その間も、音は一度では止まず、何度も反復して響き続けていた。まるで、神殿の礼拝の鐘の音のように。
「鐘?」
 そう。これは、鐘の音だ。
 それを悟ると、三人は首を巡らせて音の出所を探した。
「あ、あそこですわ!」
 魔女が一方を指差す。街の中央近く、尖塔が一際目立って頭を突き出していた。神殿跡なのだろうか。
「何でまた……いや、一体”誰”があの鐘を鳴らしているんだ?」
 そう言っている間にも鐘は鳴り続け、きっかり十二響くと、ぴたりと止んだ。
 そして、変化は劇的に訪れた。
 ワッ、と羽音のように空気が弾ける。ぎょっとして見回すと、周囲の様子は一変していた。がらんとした、寂しげな廃墟。つい先程までそんな場所だったはずなのに。
「こ……この方たち、一体どこから現れましたの?」
 目の前を横切る主婦らしい姿の女性を避けながら、魔女が動揺を隠さない声で言った。
 広場は人で満ちていた。テントを張った露店が並び、それを覗き込む者、物を運んでいる者、間を縫って走る子供たち。売り声、笑い声、時に小さな叱声が、消える泡のようにブツブツとさざめいている。広場だけではない。街の上も下も、道を歩く者、建物の窓からのぞく者と、人の気配が溢れ返っていた。ありふれた日常の風景だ。……そんな風に惑わされる。
 だが、それは錯覚なのだと、少し視線を上げれば思い知れた。天には月。今はもう夜半過ぎだろう。なのに、人々は真昼のように笑い、動き回っている。その辺りが本当に昼のように明るく見えるのは、彼ら自身がそれぞれ光を放っているからだと、見ているうちに分かってくる。
「ゴースト……なのか?」
 シェゾは呟いた。その差し伸ばした手を、天秤棒を担いだ男が何の抵抗もなくすり抜けていった。
「ゴーストはゴーストでも、死霊レイスじゃなく、街全体の残像ゴーストって感じだな」
 自分をすり抜けていく影たちに構わず突っ立ったまま、バリーが見解を述べた。魔女は、ぶつからないと分かっているのにいちいち幽霊たちから体を避け、「気味が悪いですわねぇ」と嫌そうに顔を顰めている。
「いやあ、だが、悪いコトじゃないぜ。つまりは、この都市が生きていた頃の姿がそのまま見えてるんだ。残された痕跡から在りし日の姿を推理するのが考古学者の仕事だが、ここは至れり尽くせりだな」
「考古学なんて、自分で好き勝手に想像するのが楽しいんじゃありませんの? ……そんなことよりお宝ですわ。もうっ、あなたたち、うじゃうじゃ動いて邪魔ですわよ」
 八つ当たりに近い魔女の声を聞きながら、シェゾは例の尖塔を見やった。このゴーストたちが意味あるものにせよ、ないにせよ、その理屈の一端はあそこにあるのに違いあるまい。一体、何が隠れているというのか。

――……………。

 尖塔に集中していた意識に、耳元を過ぎる囁きのごとく、フッと何かが触れて消えた。
「! ………」
 一瞬、シェゾは身を震わせた。
――この、感覚。
 もう一度尖塔に視線を投げかけて眉根を寄せると、唇を噛み、ゆるりと歩を踏み出す。
「え? ちょっとあなた、勝手にどこへ行きますの?」
 広場を出て行きかけた背を見咎めて、魔女が声を掛けた。
「呼んでる」
「――は?」
「あんたたちは、そこにいてくれ」
 言って、振り返らずに広場から走り出て行く。その背は幻の雑踏に紛れ、すぐに広場から見えなくなった。





 彼女は最初に、どんな風にその話を切り出したんだっただろう。
『その森の奥にね、古い祠があって……。あっ、といっても、魔の森みたいなところじゃないよ。その辺の子供でも木の実を採りに行けるような森。でも、祠のあるところは深いから、二、三日はかかるかな』
 そんなところに何の用があるんだ? と訊いたら、彼女は『その祠に祈ったら、すっごいご利益があるのよ』と笑った。『とっても古い、今では誰にも忘れられている祠なんだけどね』。
 一体どんな願い事があるんだか。彼女の言い出すことは、しょっちゅう俺には理解不能で、ぼんやりと謎めいていた。よく喋り、くるくると表情が変わる。食べ物が美味しいとか、景色が綺麗だとか、そんなことでひどく喜んだり、服の裾に泥跳ねが付いたとか、寝癖の頭を見られただとか、そんなことで落ち込んでいる。まるで異世界に住んでいるようで、かと思えば、何もかも見通しているように思えるときもあった。”女の子”っていうのはみんなこうなのか? 中学は男子校だったので、考えてみてもよく分からなかった。少なくとも妹や、小学校以前に女子と話したときなんかには、こんなにも不可思議さを感じたことはなかったと思うが。
 ともあれ、彼女に異を唱えても無駄だということは分かっていたので、俺は予定から外れたその森へ行くこと自体はやぶさかでなかったが、祠に行くまでに二、三日かかる――野宿をしなければならない、という一点に引っ掛かった。
 彼女と同道を始めてから二ヶ月弱の間、俺は必ずあるレベル以上の宿を取るように心がけていた。いくら全快したと本人が言っても、つい先頃まで死に掛かるほどの大病をしていたのだ。別に誰に頼まれたというわけでもないが、父親とも知り合いであることだし、この旅の間は俺が彼女を護って、安全に過ごさせてやらなければならない。――馬鹿が付くほど生真面目に、そんな風に考えていた。だから、野宿なんて真似をさせるわけにはいかない。俺はそう言って反対したのだが。
『平気だよ、そのくらい。今はあったかい季節だし。
――それに、シェゾ君がいるから、大丈夫』
 そんな風に笑顔を見せられると、俺はもう、逆う気にはなれなかった。
 反対に使命感は増大し、彼女は必ず護る、野宿の間は一晩中番に立とう、なんてコトを決意していた。……徹夜で番をして、昼は昼で歩き通すだなんて真似、出来るはずがない。なのにあの頃の俺は出来ると考えていたし、そうしなければならないとも思い込んでいたのだ。
 彼女は、俺のそんな傲慢な、そして滑稽な気持ちを見抜いていたんだろうか……? 
 森の夜、燃える焚き火を挟んで横になって、けれど彼女はすぐには眠らずに、俺に色々なことを話し掛けた。昼もよく喋ってはいたが、夜遅く、静かな森で二人きりで交わした会話は、何だかいつもとは違うように思えて。まるで岩のひびにコケの絨毯を通った清水が染み込むように、よろっていたものを透過して、奥底に柔らかに触れてくる――そんな風に感じられていた。
 ……だから二日目の夜、俺はあんなことを口にしたのだと思う。

「……なぁ。この先、あんたはどうする?」
「この先?」
 不意に投げかけた俺の質問に戸惑ったように、彼女は数瞬、声を詰まらせた。
「……………って、この森を出た先?」
「ああ。この森から戻ったら、魔導学校に指定された場所までは後僅かだ。その後も付いてくるって言うんなら、それでも構わないが……。入学申請室に着いたら、俺は学校に入るからな」
 流石に、それ以降は面倒は見られない。……別れることになる。
「そうね。じゃあ……私もシェゾ君と一緒に、古代魔導学校に入学しちゃおうかな?」
「おい……。あそこは『入学しちゃおうかな』で簡単に入れるところじゃないぞ。まず入学申請許可が必要で、その許可を得るにも色々と資格と手続きが必要だ。大体あんた、魔導も使えないくせに……」
 いや、あそこの校長は風変わりな性格で有名で、やたらと厳しい入学試験を課す一方で、その資格を一切満たさない者を気まぐれに入学させることもあるという。
 だとすれば………。可能性はないわけじゃない、のか……?
 そう思い至ると、俺の頭の中は”この先”のことで一杯になった。


――未来はそう簡単に予測のつくものじゃない。単純で見通しがよいように見えても、そこかしこに不用意な足を引っ掛けようとする石が潜んでいる。


 くしゅん、と彼女が小さなくしゃみをしたので、俺は我に返った。慌てて焚き火の火を掻き立てる。
「寒いのか?」
「うん……。ちょっと冷えてきたみたい」
 鼻と口の辺りを押さえて彼女はそう言い、肩に掛けていた掛布を掻き合わせている。もっと火を強くしないと。集めておいた枯れ枝を火にくべる俺を見て、彼女は「大丈夫だよ」と笑い、そして言った。
「シェゾ君は、優しいね」
「え?」
 思わず手が止まる。そうして見返すと、彼女はまだ俺を見て微笑み続けているので、急に、妙に落ち着かない気分になった。――そんな気分になるのは初めてのことで。そのことに、また戸惑った気分にさせられる。
「火はそれで充分だよ。それより、誰かと一緒にいたほうが暖かいかも」
 焚き火越しに、彼女が俺に手を差し伸べてくる。
「シェゾ君、こっちに来てくれる?」
 揺らめく炎の向こうの彼女。もう見慣れている。けれど、今初めて見たようにも思える。

 ……――そして、俺は彼女に触れた。



 未来は、考えるものではない。いつだって、予測どおりのそれなんてやって来ない。
 そこに、その”先”があるのだと信じて扉を開けても。
 ――そこには、亡霊が嗤って待ち受けているのだから。





 一度掴んでしまえば、その”声”を辿るのは簡単だった。時折行き過ぎる幽霊たちをすり抜け、辿り着いた先は、やはりあの尖塔。ただし、鐘の吊り下げられた鐘楼ではなく、その下へ螺旋にくねりながら続く階段の奥底に、それは待っていた。
「……ここ、か……?」
 さほど広くはない、と言って狭くもない、中途半端な広さの部屋。壁には古代の文様が刻まれ、術式の展開中なのか、たまにチラチラと光っている。
 そして、部屋の中程には、巨大な、ふた抱えはありそうな真球が浮かび、輝いていた。
 それは部屋の向こうの景色を歪んで透かして見せながら、ゆっくりと回転している。
「お前が、俺を呼んだのか……?」
――かつて感じたことのある、あの”声”たち。修学旅行で訪れた廃都で、そして――彼女と訪れた森の祠で。幾度も俺を呼び、闇へと誘った。あの声と、同質の呼びかけ。
 幾度も、幾度も呼びかけられる。忘れて、何もなかったフリをして生きていくことさえ許してくれやしない。

――『待っていましたよ』
――『待っていたのよ』

 円い水晶は、きらめきながら回っている。シェゾは手を伸ばし、そっとその表面に触れた。
「………っ!!」
 弾かれたように手を引き、飛び退すさる。
「これは……!」
「まぁあああっ、なんて大きな魔導水晶!」
 背後から馬鹿でかい女の声がした。
 振り向くと、部屋の入り口に赤毛の魔女。
「お前っ……。なんでここに!」
「だって、あからさまにおかしな様子で出て行かれるんですもの。気にならないわけないでしょう? 抜け駆けは許しませんわっ」
 ジロリとシェゾを睨んでから、魔女は両手で緩んだ頬を押さえながら部屋の中へと踏み込んだ。
「素晴らしいですわ……。この大きさ、この輝き。一体、金幾らになるのかしら。ワタクシはこれで億万長者。ああっ、困りましたわぁ」
 言いながら、手を伸ばして水晶に触れようとする。
「やめろ!」
「きゃっ!?」
 伸ばした手を弾かれて、魔女は後ろに二、三歩よろめいた。シェゾに、彼の持つ長い杖で叩かれたのだと悟る。
「な、何しますのぉ!? 独り占めはよくありませんわ。そりゃ、最初に見つけたのはあなたかもしれませんが、この都市を見つけるための精霊の召喚は、このワタクシの力なくしてはありえないことでしたでしょう。それを……」
「この水晶は、周囲の存在の力を吸い取っている」
 魔女の言葉を遮って、シェゾは冷徹に告げた。
「え?」
「直接触れれば、なお激しく吸収される。……魔力も何もかも吸収されて、ミイラになるぞ」
「ま……まさか」
 言いながら、魔女は更に二、三歩後ずさった。
「恐らくは……この水晶の中には、この都市一つ分の人の力が――命が吸収されている。その力を使って、この都市は何百年……あるいは何千年もの間保たれ、結界で守られてきたんだろう。ああして街のゴーストを映し出すのは、余禄オマケってところか。
 だが、いくら都市一つ分の命とはいえ、これだけの期間作動し続けるのには足りるまい。だからこそ、今でも周囲の力を吸い取り続けている。魔物がいないのもそのせいで……この辺りに砂漠が広がり続けているのも、もしかしたらこのためなのかもしれないな」
 古代魔導文明は未曾有の繁栄を遂げ、そして急速に衰退した。その理由は、今の世に生きる人間には分かりようもない。推測はいくらでも出来るが、これこそ考古学者の道楽だろう。
――だが、こうしてヤツらの声を聞き、意思に触れると、その理由が知れるような気がしてくる。
 他者を侵し、踏みつけ、その上で君臨する、華やかで強大な力。
 そんなものは…………結局は、ゆるされるはずはないのだ。この世に存在し続けることを。
 シェゾは杖を構え、刀印を結んだ。
「何をしますの?」
「壊す」
「そっ、そんなぁ! 勿体無いですわっ」
「じゃあ、お前が一人で抱えて持って帰ってもいいぜ。村に着く前にミイラになるだろうけどな」
「うぅ……」
 魔女が黙り込んだのを確認して、シェゾは刀印を切る動作を再開した。呪文を唱えて術式を編み上げ、解放する。
「ブラストっ!」
 低位の、爆裂の魔法。白色の光球が飛んで水晶に着弾した。
 魔導水晶はさして硬度のある物質ではない。この程度の衝撃でも充分に破壊できる。粉々にはならずとも、ひびくらいは確実に入るはずだ。
――だが。
 水晶は一瞬輝きを増し、しかしそれ以上は何の変化もなく、ただそこに在った。
「魔法を吸収しましたの?」
 魔女の声を背に聞いて、シェゾは短く舌打ちをした。そうだ、当然推測して然るべきことだった。周囲の力を、魔力を吸い取る存在なのだから。燃える火に火をぶつけるようなもので、魔法で壊すことは不可能なのだろう。
 しかし、方法は一つしかないわけではない。
「ならば……物理的にぶっ壊せばいい!」
 シェゾは長い杖を振り上げた。
「はぁあああああああっ!」
 バシン、と激しい音がした。振り下ろされた杖は、しかし、水晶に触れることさえ出来なかった。水晶の周囲に現れた魔障壁の光に阻まれ、あと僅かの宙で止まっている。そして、掛けられた負荷に耐えかねたかのごとく、ベキリと音を立てて砕けた。
 竜の頭のような形をしていた杖頭が放物線を描いて飛び、床をカラカラ回って壁で止まる。
 ――産みの父親が好んで使っていたという、上位の魔導杖。
 それを一瞬だけ目で追い、シェゾは折れた片割れをも床に投げ捨てた。
「どうするつもりですの?」
「心配するな。切り札は、まだある」
 言って、右手を掲げる。手のひらを何かを掴もうとしているかのような形に緩く開いて。
 ズブリ、という音を、魔女は耳に聞いた気がした。実際には何の音もしてはいなかったのだが。
 掲げられた少年の右の手のひら。それを突き破って、ズブズブと何かが生え出してきている。
 いや、よくよく目を凝らせば、そうではない。手のひらではなく、その間近のくうを切り裂いてそれは現れつつあった。しかし、それを認識してなお、少年の手を破って、あたかも少年自身を糧として生え出ているように見えてしまう。
 それは、やいば
 朧に透き通り、鋼にも水晶のようにも見えるその刃は、黒く濡れたような光を放って、まるで血にまみれているかのような錯覚を覚えさせる。
 剣としての全容を現し、つかまで出てしまうと、シェゾはそれをぐっと握りしめた。その瞬間、刃がぽう、と光る。まるで、先程魔法を吸収したときの魔導水晶のように。
「なんですの……それ」
 魔女は言った。己の声が震えているのが分かる。
 訊ねるまでもない。それは少年の魔導具で、魔剣なのだろう。なのに、そう訊ねずにおれないような異様さが、その剣からは濃密に放散されていた。そして、それを手にした少年もまた、急に人ならぬ異様な存在に変貌した……そのように感じられたのだ。
 シェゾは、特に魔女に構いはしなかった。ただ、黒い魔剣を構え、呼びかける。
「闇の剣よ……」
 応えるかのように、刃の中に淡い紫の光が蠢いた。
「――切り裂けっ!」
 刃を振り下ろす。
 それは水晶を覆う魔障壁にぶつかり、しかし容易く切り裂いて、水晶そのものに衝撃を与えた。水晶が一瞬光り、次の瞬間には一面に細かいひびがパーッと走って、白く濁ったようになる。次いで大きなひびが分断すると、巨大な水晶球はガラスの滝となって、床に粉々に崩れ落ちた。
 急激に、四方の壁を覆っていた文様を辿る光が消えうせていく。
「す……すごい剣、ですわね……」
 呆然としたまま、魔女は呟いた。
 闇の剣。あの魔剣のものなのであろう名称が、記憶の片隅を刺激している。伝説の魔剣。その剣を持つ者。それは、確か……。
「あなた、まさか」
 ――その刹那。
 ドン、と地鳴りを伴って床が揺れた。
「なっ……!?」
 ミシミシと部屋全体が音を立て、天井から砂のような埃が零れ落ちてくる。
「何、地震っ?」
「魔力の支えを失って……都市が崩壊しようとしているのか?」
「えええええっ! それって、チョーマズいじゃありませんのぉぉ!」
 魔女は頭を抱えて左右を見回し、脱兎のごとき勢いで出口へ駆け去った。それにさして注意も払わぬまま、シェゾは足元にうずたかく積もった水晶の破片をかえりみた。欠片は未だ仄かに燐光を放ってはいたが、そこに籠もっていた”力”は急激に拡散し、消滅しようとしている。
――あっけない。
 あれほど多くの人の命。その塊だったというのに、壊してしまえば一瞬だ。
 ぎゅっ、と右手を握り締める。その手のひらの中には、もう何もなかった。闇の剣は、役を果たすといつの間にか霧散していた。あの時のように語りかけてくるようなことはない。
――分かっている。俺が拒絶しているからだ。
 ……この期に、及んで。
「ちょっとおおおお! なにボーッとしてますのっ!?」
 背後から大声が浴びせかけられ、思考は中断された。魔女が息を切らしながら戻ってきていて、鬼気迫る表情で罵声を発している。
「早くっ。逃げるんですわよ!」
 空になったシェゾの右手を掴むと、すごい力で引く。そのまま部屋を出て階段を上り始めた。

 二人はひたすら螺旋階段を上った。しかし階段も壁も何もかもが激しく揺れ、緩んで、思うようには進めない。
「もうっ……。冗談じゃありませんわぁ!」
 魔女は袖口に手を差し入れ、中から己の身長ほどもありそうな長いほうきを引き出した。それに飛び乗り、「乗ってください!」とシェゾにも促す。シェゾが柄にまたがると、魔女は気合と共にほうきを飛翔させた。
「あぁああぁあああああっ!」
 崩れ落ちていく階段ホールを、一直線に上へ。黒い矢のように疾走したほうきは、崩壊する瓦礫の中から飛び出、天高く舞い上がった。傾き始めた月が背後に大きく浮かび、ほうきに乗った二人のシルエットを黒々と浮かび上がらせる。
 天から見る都市は、子供に蹴り上げられた砂の城のように、砂煙を上げて脆く崩壊していくところだった。
「危ないところでしたわ……。あのままあそこにいたら、命はありませんでしたわよ」
 冷や汗をぬぐう魔女に、シェゾはハッとして問うた。
「おい、おっさんは!?」
「は!? そういえば、バリーさんは疲れたから待っているって仰って、まだあの広場に……」
 シェゾは崩壊する都市に視線を戻した。バルコニー状に張り出したあの広場は、上空からも特定が易い。幸い、未だ崩壊はしていないようだったが、それも時間の問題だろう。
「あそこへ戻れ!」
「えっ……。……でもっ、今から戻っても崩壊に巻き込まれるだけですわよ!」
「なら、俺だけが行く。俺をあそこに下ろして、お前は先に逃げてろ」
「そんな………もうっ、知りませんわよ!?」
 魔女はほうきを広場近くへ飛空させる。その上空に至ると、シェゾは自身に軽い浮揚の魔法ライト・レビテーションを掛けてほうきから飛び降りた。
「シェゾさぁああんっ!?」
 泡を食った魔女の声がたちまち遠ざかる。魔法によって重力加速が軽減され、危なげなく石畳に着地した。
 広場はぐらぐらと揺れていた。それだけではない。先程まで満ち溢れていたゴーストたちがいない代わりに、色とりどりの歪んだ影が蠢いており、唸り声のような音が耳障りに響いている。
――水晶が壊れた影響なのか……?
 とにかく、尋常ではない。急がなければならない。グチャグチャの色影たちの間を縫って走り、シェゾはバリーの姿を探した。





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