ビンを傾けて地にそそぐと、それは見る間に染み込んで消えた。かなりいい酒を選んだのに、あっけない。
 辺りは、地平線まで広がる荒地だ。だが、かつてに比べればその自然の顔はかなり柔和になっている。あちこちに緑が芽生え、パラパラと潅木があった。
 ここで間違いはなかっただろうか……。変化した景色に惑わされ、そんなことを考える。あの時、辺りの瓦礫の一つを墓標代わりに置いたのだが、長い年月に風化して、今ではそれも見えない。
――まぁ……。気にすることでもない。どちらにしても、あのオヤジはこの砂の大地の下に埋まっている。
 あれほどに”緑の大地グリーン”を求めていた男。なのに、それとはかけ離れた不毛の大地で眠りに就いた。
 今は、僅かながら緑も萌えている。……少しは、満足しているのだろうか?
 荒野を渡る風に暫し吹かれていると、心の中から”相棒”が呼びかけてきた。
「ああ……そうだな。とりあえず、街へ戻るか」
 かつては拒絶していた奥底の声に応えると、青のマントを閃かせ、シェゾは空間転移テレポートの呪文を唱えた。





 ジンネスティアは、今ではこの地方で一、二を争う大都市だ。砂に埋もれかけていた村の面影はまるで窺えない。かつては砂の大地だった村の際にも、今は建物が建ち、農地が広がり、規模は格段に広がっている。
 街は活気に溢れていた。子供たちが、嬌声を上げて路地から広場を駆け抜けている。そんな雑踏の中を歩いていると、甲高い声が彼を呼び止めた。
「そこのお兄さんっ。運勢を見て差し上げましょうか!」
「いらん」
「まあそう言わずに。お安くしておきますよっ」
「しつこいな……。俺は占いだとか運命だとか、そういうのがキライなんだよ」
「あら、そうですか。未来の話がお嫌いなら………昔話などはいかがです?」
「……何?」
 振り返り、シェゾは初めて声の主の姿を見た。襟の立った長い青の上着に、つばの青い白くて丸い帽子。赤毛の魔女が、街の片隅に設置した占いの台について、こちらに手を振りながら笑っていた。
「お久しぶりですわね、シェゾさん」
「お前っ……。なんでここに!? 修行を終えて、故郷に帰ったと聞いていたが」
「こちらへ来るのは久々ですわ。今日あたり、ここにシェゾさんがいらっしゃるだろうと思いまして」
 魔女はニコニコと笑う。
「フン……。お前の得意な占いか?」
「いいえ。……命日だからです」
 笑顔を消さないまま、ほんの少し、魔女は声音に寂しさを浮かばせた。
「……別に、毎年来ているわけではないぞ」
「ええ。ワタクシもそうです。ですから、これはまさに運命のいたずら。女神の粋な計らいというヤツですわね」
「ただの偶然だ」
 面白くなさそうにシェゾは鼻を鳴らした。
「それにしても……立派になりましたわねぇ。背もこんなに伸びて。前はあんなに子供子供してましたのに」
「あのなぁ。いつの話だ、いつのっ」
「これも、手取り足取りオトナの手ほどきをして差し上げた、このワタクシのおかげですわね」
「誰がお前に手ほどきされたか! おかしな言い回しをするな!」
 シェゾは血を昇らせて反論している。魔女はクスクスと笑った。
「そういうところは変わりませんのね。……でも、結構楽しくやっているみたいで、ワタクシも安心しましたわ」
「はぁ? ……何の話だ」
「女の子に、手当たり次第に『お前が欲しいっ』って声を掛けて回っているそうじゃありませんの。究極の変態ナンパ師として、男の子に声を掛けるときもあるとか。
 あの頃は、若いみそらで女に興味のないホモさんだなんて、一体どうなるのかしらと気をもんだものでしたが、守備範囲が広がったというのはよいことですわよ。人生の楽しみが増えたのですからね。
 まあ、あまりに手を広げすぎるというのも問題ですけれども。行き過ぎは犯罪ですわ」
「……………っ。おい、誰が手当たり次第に………って、そいつを誰から聞いた!」
「魔女には魔女の情報網があるのですわ」
 秘密、という風に唇に人差し指を当てて、赤毛の魔女はウインクしてみせる。
――あいつか……っ。
 シェゾの脳裏に、生意気な金髪の小魔女の顔が浮かんだ。
――シメる、次にったらシメるっ!
「……何はともあれ、気にしてくれる人がいるというのは、悪くはありませんわね」
「鬱陶しいだけだっ」
 言い捨てて、シェゾはマントを翻して背を向けた。
「あらぁ……。もう行っちゃいますの?」
「俺の用はもう済んだからな」
「積もる話がありますのに……。そんなにも早く帰りたいんですか。さ・て・は! 彼女が待っているんでしょう。あっ、それとも彼氏ですかしら」
「お前のそのワケのわからん話に付き合いたくないだけだっ!」
 何度目かの怒声を上げ、シェゾは「ったく……」と息を吐いた。
「大体……俺に待っているヤツなんかいるはずないだろう。俺は、闇の魔導師なんだぞ」
「そんなの、関係ありませんわよ」
「……関係あるのさ」
 苦く笑うと、シェゾは今度こそ魔女に背を向けた。雑踏の中を歩いていく。
 その背を見送りながら、ふと、赤毛の魔女はいつかバリーが歌っていたフレーズを口ずさんだ。

   丘の向こうで彼らが呼んでいる
   緑だ、緑だグリーン・グリーン、ここは緑で満ちている、と

――闇の剣を持つ者。神を汚す華やかなる者。その存在は、今は殆どの魔女にも忘れられた、一族の伝え語りの中にも現れていますわ。
 魔女は思う。
――けれども、その名は……必ずしも忌まわしいものとして語られているわけではありません。
 語られる時、語り伝える人。
 それぞれによって、その意義は異なって伝えられる。そのように、過去ですら、この世界の中では変化するのだ。ましてや、
未来さきは、誰にも分からない」



 魔女の歌うフレーズは、シェゾの耳にも届いた。
――”グリーン”、か……。
 本当に、いつか見つけられるのだろうか。そんな、夢のように遠い場所を。
 なぁ、おっさん。

   俺もいつか行くだろう、ここより緑の濃いどこかへ

 歌声は街のざわめきに紛れ、風に消えていった。





<終>

あとがき
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