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サタンは、飲みかけの花茶の入ったカップをテーブルに置いた。カップとソーサーが触れ合って、カチャリと音を立てる。
豪奢な部屋の中で彼が座っているのは、洗練されたデザインの椅子、それに合わせたテーブル。向かいの席にはいつか暇に飽かして作ったクッション、その上にカーバンクルをかたどったヌイグルミが鎮座している。
たまには、こんなゆったりとした時間を過ごすのもいい。
満足して、彼はそう思った。おもむろに、持っていた雑誌のページをめくる。この雑誌は『魔王通信』といい、全国の自称他称の魔王の情報やら魔王愛好家の読者たちの投稿で紙面が埋め尽くされているという、まぁなんというか、一部マニア垂涎の書、というやつなのだが、自分自身の特集がしばしば組まれるこの雑誌をサタンは愛読しており、時にはペンネームを使って自作のポエムなど投稿しちゃったりなんかもしているのである。……ちなみに、ルルーもこの雑誌を愛読しており、定期購読したりなんかしているわけであるが、サタンのペンネーム投稿に関してはいまだ知る由もない。
うむ……。今日は気分がいいからな。投稿用にひとつ、ポエムでもひねってみるか。
テーブルにひらりと一枚、純白の紙を置いて、サタンは羽ペンの先にインクをつけた。
「春……春に関わる出だしがよいな。そして、我が妃への湧き上がる思いを込めて……」
さらさらとペンを走らせる向こうで、先ほどお茶を運んできたマミーとキキーモラが、パタパタと部屋の窓を開けていた。
「いい天気だわさ〜」
「本当ね。こんな日には、窓を開けて空気を入れ替えなくっちゃ」
開けた窓からさわさわと風が入ってきて、複雑な織りのレースのカーテンを揺らす。
「まぁ、いい風……」
と、キキーモラが言い終わらないうちに、突風が部屋の中に飛び込んできた。
「のわぁあっ!?」
書きかけの紙を宙にさらわれて、サタンが悲鳴を上げる。風は笑い声を上げながら部屋中をぐるぐると駆け巡り、テーブルクロスが翻り、シャンデリアがシャラシャラと鳴りながら揺れ動き、花瓶の花のいくらかが吹き飛んで撒き散らされた。
「ドアと、廊下の窓を開けろ!」
「は、はいだわさ!」
サタンの声に従い、マミーが転がるように走っていってドアと窓を開けた。吸い込まれるように、風をまとった子供はそこから外に出て行った。
部屋の中に平穏が戻る。――とりあえずは。
「まったく、なんという風だ……。折角浮かんだフレーズが、どこかにいってしまったではないか」
ひらりひらりと舞い降りてきた紙を伸ばした右手の先で捕まえてから、サタンはため息をついた。
「ん、待てよ。風……そうか、風か。これを出だしにしよう。……『春のイタズラな風が/私のお前への想いを吹きさらう』……えーと」
「サタン様、このお部屋は今からお掃除しますから、どいてくださいっ」
ペンを走らせ始めたサタンの向こうで、キキーモラがモップを振り回して叫んでいる。
いつも思うが、どうしてこうも乱暴な仕方で掃除が完璧に出来るのだろうな。……いかん、余計なことを考えると、またフレーズが頭からこぼれる。
「『だが、安心するがいい。私の愛は不滅なのだ/我が妃よ、お前に』……お前に、うーむ」
「ぐー」
考え込んでいる耳に、聞き慣れた、しかし最近はそうそう聞くことの出来ない愛しいものの声が響いた。
「うぉおおおうっ、安心するのだカーバンクルちゃんっ。カーバンクルちゃんへの愛も忘れていやしないのだからな。『我が妃よ、お前に生涯の愛を誓おう/そしてカーバンクルちゃんと共に永遠のラブラブパラダイスだ!』……よし、出来た、傑作だ!」
「……きみも、ホンっトに変わらないよねぇ」「ぐー」
「ん……!?」
サタンは目を瞬かせた。空耳ではない。見れば、目の前にはアルル、そしてテーブルの上には人形ならぬ本物のカーバンクルが耳をピコピコさせながら立っているではないか。
「おおおおっ、アルル、カーバンクルちゃん! 自ら我が前へやってくるとは……そうか、ついに私と共に暮らす決心を固めたのだな!」
ぎゅっと抱きしめるべく、両腕を広げてサタンは席を立った。そこに、またも聞き慣れた声。
「サタン様っ」
「うっ……。ル、ルルーか?」
窓枠を乗り越えて、ルルーが部屋の中に飛び込んできた。その後ろからミノタウロス、箒に乗ったままのウィッチがぞろぞろと入ってくる。
「サタン様……風を追ううちに、思いがけずあなたにお会いできるだなんて。これも運命ですわね。ルルー、嬉しいですわっ」
ルルーは両手を組んで、うっとりと目を潤ませている。
「あ……いや……その……なんというか……」
どうも、この少女を前にすると、しどろもどろになりがちなサタンである。側にアルルやカーバンクルの胡乱な視線があると、特に。
「わたくしたちは、風の精霊を追ってここまで来たのですわ」
場の雰囲気をまるで意に介さない様子で、ウィッチが言った。手にはゆらゆら揺れ動きながら一方を指している、小さな風見鶏のような魔導具を持っている。その矢印を見ながら、
「わたくしの精霊探知機スーパーZによれば、確かにこの辺りに来ていたはずなのですが……」
その呟きにマミーが答えた。
「風だったら、さっき向こうの窓へ通り抜けて行っただわさ」
「この窓ですわね」
窓際まで行くと、ウィッチは魔導具の矢印を確かめはじめる。その背中にアルルが問うた。
「ねぇウィッチ……まだ追いかけるの?」
「当たり前ですわ。由緒正しい魔女の血を引くわたくしが、あそこまで馬鹿にされたのですもの。しかるべき報復なしには魔女の誇りが許しません」
「えぇーー?」
いつも元気いっぱいのアルルが、不満げな声を上げるのは珍しい。そう思って改めてアルルを見て、サタンは感想を述べた。
「そういえば、なんだかボロボロだな」
「まぁ、そりゃね……。ここに来るまでに色々あったから……。ナスに火を吹かれたり、ハーピーに歌われたり、ぞう大魔王に怒られたり、バンシーに叫ばれたり、セリリちゃんに泣かれたり、たらに踊られたり、ハニービーに追いかけられたり、インキュバスに迫られたり、チコにお金を取られたり、双子のケットシーの厳しすぎる友情に触れたり」
「そ、そうか……」
それは大変だっただろう。最後のはよく分からないが。しみじみと相槌を打っていると、ルルーが、押しのけるようにして二人の間に割って入った。
「あら、この程度で音を上げるだなんて、だらしないわね、アルル」
そんなことではサタン様のお妃を狙うだなんて到底無理ね、と口元に手を当ててほくそ笑む。
「だから、ぼくは妃なんてどうでもいいんだってば。……それに、ぼくは箒に乗ってるわけじゃないし、ルルーやミノタウロスみたいなスタミナお化けでもな……」
「なんですって!?」
「うわっ」
ルルーの鉄拳を、危ういところでアルルは避けた。
「げんこつはやめてよっ」
「逃げ回る体力はあるんじゃないのよっ!」
ばたばたと追いかけっこを始めた少女たちの真ん中で、サタンはしばし顎に手を当てて考え込む素振りをしていたが。
「……うむっ」
「きゃっ。なにすんのよ、サタン!」
横合いから突然サタンに抱き上げられて、アルルはじたばたと暴れた。
「暴れるな。確かに走って風を追うのは辛かろう。私が空を飛んで運んでやろうというのだ」
「えっ……」
アルルは暴れるのをやめる。
「まぁあっ。サタン様に運んでいただけるだなんて!」
ルルーが紅潮した頬に手を当てて叫んだ。
「きゃあああ、なんだか恥ずかしい〜、でも感激ですわ〜〜vV」
「あ……いや、その……」
サタンは少しばかり口ごもったが、ややあって覚悟を決めた様子で、空いた片手でルルーを抱き寄せた。
右腕にアルル、左腕にルルー、頭の上ではカーバンクルが金の角につかまっている。両手に花ならぬ両手頭に花、の状態で、サタンならずとも舞い上がりたくなるというものかもしれないが。
「風の精霊は、こっちですわ」
「よし、では行くぞ」
サタンは翼を広げると、先に立ったウィッチの後について、窓から空に飛び出していった。それをマミーとキキーモラが笑顔で見送り、置いてけぼりにされたミノタウロスは「ウモォオオオオ〜〜」という雄たけびと涙で見送った。
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