「……なんで、ボクってあんなところにいたんだろうね」

 子供じみた、ちょっと間が抜けたと言い換えてもよさそうな声が聞こえる。

「そうね。……なんだったのかしら?」

 応えるルルーの声も要領を得なかった。

 こちらに戻って来たアルルは、”向こう”へ行っている間の記憶を持っていなかった。それどころか、傍観していただけのルルーでさえも、アルルが消えていた間の――未来のアルルと接していた間の記憶を失っていたのだ。

 サタンはどうなのかは判らない。「お前がやったのか?」という問いに不思議そうな顔をしていたが、ただトボけているだけなのかもしれない。

 あるいは、巨大な力を持っていた”彼女”自身がそういう術を施していったのかもしれなかった。こちらが心配しなくとも、”彼女”にはちゃんと後始末をする力があったということだろうか。

 

 しかし……。

 ならば、何故自分には何の影響も起こらなかったのだろう、とシェゾは考えた。

 彼の記憶は完全である。

 

 未来を、自分は知っている。

 無限の可能性のうちの一つとは言え。

 恐らくは最も強い可能性の一つだ。

 その日は、多分そう遠からず来るのだろう。自分と彼女が死力を尽くし、戦い、……殺される日が。

 いや。

 自分が知っている以上、それは回避されるべき出来事になったのだろうか?

 

 シェゾは、ルルーと話しているアルルを見た。

 アルルは、無邪気な笑顔を満面に浮かべている。

 

 例えば、今ここでアルルを殺してしまえば、自分が殺される未来は回避される。”今”なら、それはそう難しいことではないはずだ。

 

 ………。

 

 無意識に、シェゾはバンダナを巻いた額を軽く押さえた。

 ――”彼女”が触れていった場所を。

 

 ――しっかりしなよ。

 

 歴史を変える恐れのある――時空に重大な影響を与えるかもしれないこの記憶を、何故”彼女”は消さずに去ったのだろうか。

 

「未来……か」

 

 俺に、そんなものはあるのだろうか?

 

 視線に気付いたらしいアルルが振り返り、何やらつっかかり始めている。それにいつものごとく応酬をしながら。

 シェゾは思いを馳せた。

 きたるべきその日。

 そして、その先の――無か有か。それすら定まらぬ、己の未来に。








 

 

「よく、戻ったな」

 静かに迎えた男の胸に、彼女は黙って飛び込んだ。頬を押し付け、存分にその感触を楽しんでから、口を開く。

「ただいま。――心配した?」

「勿論だ。まぁ、お前のことだから大丈夫だろうとは思ったがな」

「ふふ……」

 彼女は笑う。嬉しそうに。

「”ボク”は、無事に帰れた?」

「ああ、確認した。……しかし、流石に可愛かったな。十六歳のお前は。こう、改めて見ると、やはり肌の張りが違うと言うか、ピュアと言うか」

「…………ふぅ〜〜〜〜ん」

 ふにゃふにゃとした幸福な気配に包まれていた男は、はっとしたように声を詰まらせ、早口にまくしたてた。

「い、いや。違うぞ。勿論今のお前の魅力には叶わないとも! ピチピチしているとはいえ、アレはまだ、元気なだけのただのお子ちゃまだからなっ」

「お子ちゃま……。そっかぁ。そんなコト思ってたんだ、あの頃」

「ち、ちちち違う。いや、違わないがっ。そーではなく、だからなっ」

「よーく分かったよ。もう、キミの大好きなアレはしてあげないっ」

「え!? ……アレって……アレか? 嘘だろう!?」

「ダメー。アレだけじゃなくてソレもコレもゼ〜〜ッタイ、してあげないんだから」

「そ、そんなぁ! アルルさんっ」

 さっきまでの落ち着き振りはどこへやら。情けない泣き声をあげた男に、もう一度彼女はしがみついた。さきほどよりも強く。

「………どうした?」

「………」

 男の腕が彼女を包み込んだ。腕だけではなく、漆黒の翼さえもが。

 薄い闇の中で、彼女は深い安堵にとらわれて力を抜いた。

 

 後悔はしていない。

 ボクがボクである為に――未来に進む為には避けられない事態だったし。

 あの決断は正しかったと、今でも思っている。

 それに……なにより。

 

 彼女は囁いた。

「ボク――幸せだよ。サタン」






END





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