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「……まだ目覚めませんの?」
女は呟いた。
それは特に誰かの答えを期待したものではなかったが、答えはちゃんと返った。
「ああ……」
その場で応えられる者は彼しかいないのだから、彼がそうするのは当然だろう。とはいえ、そこに彼ら二人しかいないというわけではない。
だが、他の者――二人は、女の声に応えようにも応えられない状況にある。
彼らの前のベッドに横たわった少女と、その側の椅子に腰掛けたまま、倒れ込むようにベッドに顔を伏せている青年。
「ヤツを信じて待つしかあるまい……」
「本当に信じていいのでしょうか、こんなヘンタイを。やっぱり、あたくしが……!」
かなり傍若無人な物言いに、男の口元が微かに歪んだ。"苦笑"の形に。
「無理を言うな。魔力を持たぬ者に、この任は厳しい。といって、私がヒトの内に入るにはあまりに容量が違い過ぎるし……な。仕方あるまい」
「だって、元々この男のせいなんですよ!? この子を、こんな……っ!」
「傷は大した物ではなかった。治療も完璧に行われていた。………状況を考えれば、ヤツをただ責めるのも酷だろう」
「でも……」
「ああ見えて、ヤツは一度交わした約は律義に履行する。大丈夫だろう」
彼自身も疲れていたが、強いて明るく、宥めるように女に言った。そして思う。
――問題は、むしろ"彼女"の方かもしれない。こうまで頑強に目覚めぬというのは……。
――何か、他に要因があるのか……?
彼に断言されてかなり気が楽になったのだろう。それでも、少し心配げに腰をかがめ、女は眠る少女の前髪に触れた。
「アルル……」
遠 い 風 景 。
丘の上に、少女は座っていた。
ここは彼女の特等席だ。小高いこの場所からは、遠く村の外へ伸びる道が見て取れる。
いつも、彼女はここで待っていた。
その道を通って、父親が帰ってくるのを。
村の外から戻るとき、父親は大抵何かお土産を持っていた。
それは飴玉だったりおもちゃだったり、ささやかなものだったが。
彼女はそれを楽しみにしていたし、なにより、帰ってきた父親の顔と、笑顔になる母親の顔を見るのが好きだった。
「……でも」
遠い道を見ながら、呟く。
「ボクは、もうここには来ないよ」
毎日、彼女はここで待ち続けた。
―――あの日から。
背の高い影が、遠い道の向こうから現れる日を待ち望み続けた。
それが、もう決して望めぬ事だと知っていても。それでも、待ち続ける事で信じていたかったのかもしれない。
「でもね……気付いちゃったから。お母さんは何も言わないけど、ボクがここに行くのを哀しんでる」
帰って来ない父親の影を待ち続ける娘を、哀れんでいる。
「だから……ボクは、もう来ない。お母さんに悲しい思いはさせたくないから」
ボクはもう、待たない。
「でも、信じる気持ちを捨ててしまったわけじゃないよ。
――今度はボクが、捜しに行くから」
お父さんみたいな立派で強い魔導師になって……。
村の外へ続く道。
遠い遠いその道を通って。
お父さんしか行けなかったような、そんな遠くへだって行って。
きっと、きっと………。