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「そうか……。それで、どうしたのだ?」

「どうも……。だって、ラーラは怒って口をきいてもくれないし……」

 ボクはため息をついた。

 あれから、ラーラは先生に治癒魔法をかけてもらって、すぐに回復したんだケド……。

「いつもみたいに怒って喚いてくれさえしなかった、よ……」

 ただボクを睨んで。そして黙って行ってしまった……。

「仕方あるまい。そのラーラとやらにしてみれば、お前は命の恩人……だが、結果として試験には失敗してしまったわけだからな」

 そうなのだ。

 無事戻れたものの、魔導球を取れなかったボクらは、試験に失敗してしまった。

 もっとも、これは選抜試験の一つに過ぎない。これまで高位の成績を維持し続けてきたラーラならば、魔導中学への受験資格を得るのも不可能ではないだろう。

 けれど、最高位の成績を持つ者だけが得る、推薦資格は逃してしまったのだ。

 やっぱり……ボクのせい、なんだろうな。

 もう一つため息をつくと、大きな手がくしゃくしゃとボクの頭をかき回した。

「子供が、いつまでもため息をついているんじゃない。元気を出せ。さぁ、菓子が出てきたぞ」

「うん。ありがとう……サタンのおじさん!」

「お兄さんだ、おにーさんっ!」

「ぐーっ!」

 カーくんは大喜びでお菓子の山にむしゃぶりついている。


 

 ここは、ボクの家からちょっと離れた森の中にあるお屋敷。

 ここには、ボクが幼稚園の頃からサタンという魔族のおじさ……おにーさんが住んでいて、何かというと可愛がってもらっているのだ。

 何を隠そう、カーくんも元々はサタンのペットで、いつのまにかボクにくっついてボクの家で暮らすようになってしまった。サタンはそれを許してくれたけれど、サタンがすっごくカーくんの事が好きで、だからとても無理しているのが解るから、週に一度は顔を見せに来るようにしているのだ。 

 その度にサタンは大喜びし、食べきれないほどのご馳走を作ってテーブルに並べ、至れり尽くせりに歓待してくれる。

 そんなサタンに、ボクはここしばらくの間に起こった事を相談してみたところなのだった。

「その、シェゾとかいう男とは、本当に面識がなかったのか?」

「うん……。一応、お母さんたちにも聞いてみたけど、知らないみたいだし」

「そうか……」

 なんとなく、ボクらは黙りこんだ。目の前でパクパクお菓子を食べてくカーくんをぼんやりと見ている。

「しかし……心当りがないというのなら、そう気にする事もないのではないか?」

「うん……」

 でも、ボクは前よりもシェゾの事がひっかかっていた。

 あの時、一瞬見えた彼の表情。

 それが……何故だか。だって、あれはまるで……………。

 考えていると、ふいに体を引き寄せられた。

「アルル」

「サ……サタンっ?」

 ボクは、サタンに抱きすくめられていた。うんと小さい頃にはよく抱っこしてもらったけれど、最近はこんなの滅多にない。心臓が口から飛び出ちゃいそうに飛び跳ねた。

「アルル……どこにも行くな」

「――え?」

 ボクを後ろから抱きすくめたまま、サタンの言葉はやまない。

「これを言うのはまだ早いと思っていたが……。アルル、私の妃になってくれ」

「え……ええっ!? 妃って、奥さんのコトでしょ!? そんなの……!」

 ボクはビックリした。でも、抱きすくめられてドキドキして、声が詰まってる。

「いやか?」

「だって……だって、ボクはまだ子供だよ」

「そうだな。だが、五年もすれば一人前の女性だろう? 私にとっては五年など瞬きほどの時間だからな」

「でも……」

「アルル、お前は魔導学校に行くのか?」

「えっ? ……ううん。試験にも失敗したし、ボクは多分もう無理。だからここにいて、お父さん達に魔法を習うつもり……」

「なら、いいではないか。ずっとここにいろ、アルル。たとえ何者が来ようとも、私がお前を守る。だから、我が妃としてここで暮らせ」

「サ、サタン……」

 頭が真っ白になって、ボクは何も考えられなかった。

 つい今まで親しいお兄さんだとしか思っていなかった人からプロポーズされて、抱きしめられて。でも―――嫌じゃない。

 嫌じゃないけれど……。

 サタンの腕が緩んだ。

「急ぎ過ぎたな……。返事は、今すぐでなくていい」

 振り向くと、少しばつの悪そうな顔がある。幼稚園の頃から知っているのに、初めて見る表情だった。

「だが、考えておいてくれ。……いい返事を、期待している」

 そう言って、サタンはいつものように優しく笑った。



 ボクは、家に続く道を歩いていた。

 サタンは送ろうと言ったけれど、断わった。一人になりたかった。(肩にはカーくんがいるんだけど。)

 なにがなんだか、分からない。

 今まで平凡すぎるほど平穏だったボクの周りに、突然嵐が吹き荒れ始めたかのようだった。

 結婚……ボクが結婚だって!?

 でも、そうだ。あと何年かすれば、ボクだって結婚してもおかしくはないんだ。

 サタンと結婚して……この村で、ずっとずうっと暮らして……。

 ――ずっとここで?

 夕景の中、足元には長い影が落ちている。

 ボクは立ち止まり、振りかえった。

 背後に、あの死神のような黒い影が現れているかと思ったのだ。

「……」

 けれど、そこには誰もいなかった。ただ、木々の長い影が落ちているだけ。

「彼が怖いの?」

「え?」

 突然声をかけられて、ボクははっとした。いつのまにか、近くの木の下に女の人が立っていた。影になっていて、姿はあまり見えない。

「彼って、シェゾのこと? シェゾを知ってるんですか?」

 女の人はこれには答えなかったけれど、微かに笑った気配があった。

「彼を怖がる必要はないよ。いつだって、決めるのはキミ自身なんだ。……アイツの何が怖いって言うの?」

「――だ、だって……」

 ――「来い!」

 死神に強引に腕を掴まれて引っ張られた、あの瞬間をボクは思い出した。とてつもなく怖かった――態度は乱暴だし、どこに連れていかれるのか、何故なのかも解らなかったし。でも、何より。

 何故だろう。”異質だ”と感じたのだ。アイツは、この村から――風景から。ボクの慣れ親しんだこの世界とは何かが異なっていた。だから怖かった。叫ばずにはいられないくらいに。

 サタンは、きっとボクを守ってくれるだろう。サタンはボクの知る限り一番に――お父さんの次くらいかもしれないケド――強い。あの得体の知れない強さを持った魔導師だって、きっと勝てない。だからボクはもう、あの死神に怯えなくたっていいのだ。この村でサタンやお父さん達に守られて、暮らしていけばいい。

 なのに。――何故だろう? 振り向いてしまったのは。

 そうだ。

 あの時。魔法陣で転移する時ほんの一瞬だけ見えた、彼の表情。それが引っかかっていたのだ。

 気のせいなのかもしれない。もしそうだとしたって、ボクが気にすることではないのかもしれない。でも。

 ――彼が、とても傷ついていたように見えたから。

「ボクは……」

「決めるのはキミ自身だよ。だから、キミがどんな道を選ぼうとも止めはしない」

 耳元で声がした。

「でも……思い出して。キミが本当は何を望んでいたのかを……」

 はっと顔を上げると、息がかかるくらいすぐ側に、女の人が立っていた。まだ随分と若い。紫紺のプリーツスカートに、同系色の魔導装甲を着けたおねーさんだった。白いぴったりとしたブラウスは、夕日の下で薄いオレンジに染まっている。背中には赤い短いマントがなびき、手には大きな複雑な形をした魔導杖を持っている。

 そんな、一目で魔導師だと判る姿をしていた。颯爽として、力に溢れていて、強い魔力を感じる。ボクとは桁違いに。一度も会った事がない、初めて見る人だった。

 なのに。

 どこだっただろう? とてもよく知っている人のような気がする……。ひどく、もどかしい。

「あなたは……」

 奇麗な金無垢の瞳でボクを見つめて、おねーさんは確かに笑った。でも、それは一瞬。

「あっ……!?」

 ざあっと吹き抜けたつむじ風に目をつぶって。目を開けると、彼女はもうどこにもいなかった。

 そしてボクは気付いた。

 あのおねーさんに、影はなかった。確かにそこにいたのに――影はなかったのだ。



 急に、感情が胸の奥からせりあがった。

 恐怖ではない。けれど、とても近いもの。

 畏れに囚われて、ボクはその場を駆け出した。

 やがて、ボクの家が見えてくる。

 赤い屋根、お父さんが作った少し不格好な郵便受け。煙突からは薄い煙が立ち昇り、窓辺にはカーテンが揺れている。

「お父さんっ!」

 家に駆け込んで、ボクはテーブルについていたお父さんの膝にしがみついた。

「お父さん、ボク、ここにいていいよね? ずっとここにいていいんだよね!」

 黙って、お父さんがボクの髪をなでてくれる。

 幼稚園の頃に戻ったように、ボクは泣きじゃくった。何故か、涙が出て仕方がなかった。



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