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翌朝。
色んな夢を見た気がした。いつものように。覚えていた試しはないんだけど。
ベッドの上に半身を起こして、ぼんやりと考える。いつのまにベッドに入ったんだっけ……? ああ、そうだ。きっと泣き疲れて眠ってしまったボクを、お父さん達がここまで運んでくれたんだろう。
「アルルー。お客さんよ」
お母さんの声がする。
予感がしていた。窓から、ボクは家の前を見下ろした。
朝もやの中に、黒い影が見える。
本当に影になってしまったみたいに、死神が――シェゾが黙ってそこに立っていた。側にはインキュバスもいる。
とうとう、来た………。
「アルル……。会いたくないなら、会わなくてもいいのよ? お母さん達が追い払ってあげるから」
「お母さん」
いつのまにか後ろに来ていたお母さんが、そっとボクの肩に手を乗せた。お父さんもおばあちゃんも来ていて、心配そうにボクを見ている。
気持ちが揺らいだ。でも、ボクは首を横に振った。
「ううん。大丈夫、会うよ」
「……そう」
着替えて、深呼吸して。ボクは家の戸口に立った。後ろにお父さん達がついていてくれている。
「グッモーニン、アルルさん。今朝もチャーミングですね」
こんな朝っぱらからインキュバスのテンションは全然落ちてなかった。例によってウインクなんてしてる。対照的に、シェゾは静かだった。これまでのように激昂することもない。ただ、ボクを見ている。
長い間……あるいはほんの僅かな間だったのかもしれないけど、ボクらはそうしてお互いを見て立っていた。
「………力づくでも連れ帰ろうと思っていた」
シェゾがそう言った。
「だが……俺が連れ帰るべき女は、もうここにはいないのかもしれん」
「………」
「どちらが真実か、幸せか……。それは、自分自身が決める事だ。お前がそう決めたのなら……それでいい」
「シェゾさん……ホントにそれでいいんですか?」
「ああ」
少し意外そうな声音のインキュバスに憮然と頷くと、じゃあな、と言ってシェゾは背を向けた。
あれだけ強引にボクを連れていこうとしていた彼が、こんなにもあっさりと去ろうとしている。ボクは、胸の奥を爪でかきむしられたような気がした。不安――悲しいような。
どうして………だろう?
シェゾの歩いていく道は、丘の下を通って、村の外に繋がっている。ボクはまだ行った事のない道だ。だってその必要がなかったから。
ゆっくりと、丘の向こうから朝日が射してくる。まぶしくてボクは目をすがめた。
さっきまであんなに朝もやが濃かったのに、急に遥か向こうまで道がくっきりと見えた。まるで、シェゾが歩いていく側から、道が見えていくように。
――ううん。
ボクが、見ようとしていなかったんだ。道はずっとそこにあったのに。
「お父さん……」
ボクはお父さんを見上げた。
ボクを見下ろすお父さんには……………顔がなかった。
そうだ。だってあんまり小さな頃だったから……ボクはお父さんの顔を、忘れてしまっていたのだ。優しい印象ははっきりと覚えているのだけど。
顔の見えないお父さんは、それでもしっかりと頷いてくれた。励ますように。
うん。
「ありがとう……。ボク、行くね」
そして、ボクは駆け出した。
彼方に小さくなりつつある黒い背中を追う。
「おーいっ! シェゾ、待ってよーーっ!」
黒い影が驚いたように立ち止まり、振り返るのが見えた。追い付くまで、後ほんの少し。
道はどこまでも伸びている。この懐かしい世界から――見た事もない、馴染みのない。けれど、ボクが向かうべき場所へ向かって。
「……アルル!」
ゆっくりと開いた世界は、やっぱり光に満ち溢れていた。
「ぐーっ!」
黄色くて柔らかい、暖かなものがボクの首に飛びついてくる。
「アルル、目を覚ましたか!」
ホッとしたようなサタンの声。部屋の隅にインキュバスが立ってるのが見える。それから、ようやくベッドから顔を起こした、青い瞳。
「なによ、もう……心配かけるんじゃないわよっ!」
最初に聞こえた声が、少し湿ってまた聞こえた。
その時、彼女は確かに泣いていたと思ったのだけど……後でそう言っても、ルルーはどうしてもそれを認めなかった。