「寂しいの、…そばに来て」

生まれた時を覚えていない。
気がついたら誰かにそばにいて欲しいと思っていた。いつもひとりだった。冷たい水の底にひとり。小さな魚、ゆれる水草、水を通してくる光。
水を泳ぎ、辺りを見て回るのはかなり勇気のいる作業だった。
ひとりでいるのが寂しいだけでなく、慣れた所を離れるのも恐ろしい事だったのだから。
少しずつ少しずつ行動範囲を広げた。
今日はここまで。…大丈夫、怖いことない。
今日はここまで。…大丈夫、怖いことない。
今日はここまで。…大丈夫、怖いことない。
大丈夫、水の中は怖くない。
そうしてわかった事は、ここには私以外には誰もいないということだった。
寂しい反面、ほっとした。

ある日、光の方から何かが落ちてきた。
光の差さない日に水と空気の塊が落ちてくる事はあった。
水面の揺れが、水中に影響する事はあった。
激しい時は、水がさらわれていくのがわかった。
光の差さない日は、1番安全な所で小さくなって過ごした。

何かが落ちてくるのは、初めての出来事だった。
小石だった。
「なにがあるのかしら」
未知の世界に対する恐怖心と好奇心が争った。
「光の差す方向には何があるのかしら」
水の中は怖くない。
ここには私以外には誰もいない。いるとすれば、水のない所。
その場に行って見る勇気を奮い起こした。
水底を蹴って、光の差す方向を目指した。
水によって屈折し、優しく注ぎ込んでいた光がだんだんと強くなる。
きらりとまっすぐに差込むのを見た。
先に手が水のない空間を掻く。
初めての感触にバランスを崩した。浮力が増して跳ね上げられたような気がした。
見えた世界はまっすぐだった。水に揺れる世界とは違う。透明だ。柔らかく包んでくれる水の感触がなかった。一瞬息が苦しくなったが、すぐに慣れた。見えた世界に、ただただ目を見張った。
広かった。今までいた世界より何倍も。大きな土の隆起、生き生きとした大きな植物、見たことのないものばかり。まっすぐに差す光と光をいただく青い空間。
「すごい…」
言葉にならなかった。

水に包まれていないのはとても不安だった。柔柔と私を包む水は守り神なのだと感じた。
水の外の世界は忘れられなかった。
そして時々、外の世界を見に行くようになった。
時々小動物の姿を見ることがあった。自分と同じような生き物、他の言葉の通じそうな生き物の姿を見ることはなかった。
そんなあるとき、水面に上がると子供と目が合った。
一瞬何が起こったのかがわからなくて、私も子供も動きが止まった。
「あ…」
理解するのと声を出すのが一緒だった。
岸の子供に向かって、水を掻いた。子供は驚き悲鳴を上げて逃げていった。
「お願い、待って」
手を伸ばした。
「私をひとりにしないで」

噂には尾ひれがつく。そう言うものと決まっている。と、いうことすら私は知らない。
私の世界は、ここだけだから。

町で「湖に魔物が現れる」という噂が立つのは早かった。

私は初め、湖に人が訪れてくれることを喜んでいたが、それが善意からではないことに気づき、怯えた。
面白がって見に来る者や悪意を持って湖に物を投げ込んでいく者。
すべてが悪意に満ちていた。よくない気配が湖を包んだ。
すべてが怖くなった。それなのに…。
さびしい。
私は誰かがそばに来てくれることを望まずにはいられなかった。


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