「うぅう。火事場の馬鹿力もここまでですわぁ〜。腕が抜けるかと思いましたわよ」
暫後。離れた場所の木の下で。右手で左の二の腕を揉みほぐしつつぼやいているウィッチと、ぐったりとへたり込んでいるシェゾの姿があった。
「一体……なんなんだ……」
「シェゾ……。あなた、さっき私の店で薬を飲んだでしょう」
「あぁ? 風邪薬が何………ってまさか! お前、また何か怪しいものを飲ませたのか!?」
「違いますわよ、馬鹿っ!」
立ち上がって勢い込んだシェゾの頭を、ウィッチのほうきがバシンと叩いた。
「あなたが勝手に間違えたんですわ。風邪薬はこっちですわよ、ほらっ」
ポケットから小さな薬ビンを出して見せる。
「わたくしが散々苦労して、やっとのことで手に入れた貴重な薬材を飲んでしまって……。もうっ、一体どうしてくれるんですの!?」
そう言うとウィッチは少し涙ぐんだように見えたので、シェゾは居心地悪げに視線を逸らして座り直した。
「………何だったんだ、アレは」
「アレは、バレンタインフラワーのエキスですわ」
「バレンタインフラワー?」
「知らないんですの? あなたが。結構勉強不足ですわね。恋人達の仲を取り持つと言われる、伝説の花ですわ」
ウィッチは語り始めた。
「これは、わたくしの故郷の大陸の伝説ですわ。
その昔、ある国で戦争が起こりましたの。それぞれ異なった考え方を持つ人々が二派に分かれて、醜い殺し合いを始めたんです。ところがその中に、違う派に属していながら互いに深い愛で結ばれた男女がいましたの。けれど、二人は大っぴらに愛を語り合うことは勿論、結婚も許されませんでした。それを知ったその国の神官長がこっそり二人を結婚させましたの。
ところが、後にこのことがバレて神官長は罪に問われ、ついには殺されてしまいました。すると、彼のお墓の周りに、それまで誰も見たことのない、美しい花が咲きましたの。
神官長の名はバレンタインといったので、その名を取って、この花はバレンタインフラワーと呼ばれるようになったのですわ。二月頃に咲く花なのですけど、この花を好きな異性に贈れば、きっと想いが届くと言われているのです」
ロマンチックでしょう? とウィッチは同意を求めたが。
「殺された奴の墓に咲く花のどこがロマンチックなんだか……。呪いの花っぽいぞ」
「ほんっとに朴念仁ですわね、あなたって」
「ほっとけ。ゴホッ。それで、その花の効果でルルーの奴が壊れたりとかしたわけなんだな」
「それは……わかりませんわ」
「なに?」
「稀少な花ですから正確なところはわからないんですけれど……。わたくしの調べた限り、実際にはバレンタインフラワーには男女を結びつけるような成分なんてないはずなんですわ。所詮伝説は伝説といったところですわね」
「なんだと!? じゃあ、今俺の身に起こってる現象は一体何なんだっ」
「だから、わからないって言ってるでしょう!? バレンタインフラワーで無差別に人に好かれたなんて話はついぞ聞きませんわっ。ただ……もしかしたら、バレンタインフラワーにはまだ知られていない人を引き寄せるような成分があって………それが何かの原因で異様にパワーアップしたのかも……」
「何かって……」
「………」
「…………」
「……風邪か?」
「……風邪ですわね」
二人は同時に呟いた。
「おかしな話ですけど、他に原因を思いつきませんわ。大体、バレンタインフラワーのエキスを一気飲みするなんてこと自体、異例なことなんですし。……アレ、かなり青臭かったと思いますけど、飲んで気付きませんでしたの?」
「……風邪ひいてると、鼻が詰まってものの味が分かり難くなるんだよ」
憮然とシェゾは答えた。
「ホントに、闇の魔導師も人の子ですわねぇ〜。とにかく、風邪を治すことが先決ですわ。そうすれば、これ以上被害者は出ないはずですし……。多分、もう被害を受けている人の症状も、離れていれば数日で治まるんじゃないかと思いますから。その間、療養することですわね」
「……なんだ、その”被害者”ってのは……」
被害を受けたのはこっちの方だ、とシェゾはむくれたが、ルルー達の側に立ってみれば確かに、被害を受けたのはあちらでもあろう。
「とりあえず、この風邪薬を飲むといいですわ。私の特別製です。くしゃみ鼻水鼻詰まりくらいなら、すぐ治まりますわよ」
「ああ……」
シェゾは、ウィッチが掲げている風邪薬に手を伸ばそうした。が、その前にさっと彼女の反対側の手が差し出される。何かをよこせ、というポーズだ。
「お代をお願いしますわ」
「……代金はいらんと言ってただろうが」
「あれは、風邪薬の代金ですわ。払っていただきたいのは、あなたが勝手に飲み干したバレンタインフラワーのエキスの代金です」
「なっ……。あれは事故だろうが。俺は知らんぞっ」
「払っていただけないなら、この風邪薬は渡せませんわね。当然、風邪薬は別にしても代金は要求しますけど」
「くっ……。いくらだっ」
ウィッチは顔を寄せると、こそこそとシェゾに耳打ちした。
「なっ……! 馬鹿な、法外だぞ!」
「相場ですわ。少しは自分の犯した罪の重さを噛み締めることですわね。おほほほ!」
「ぐぅうっ……!」
シェゾは莫大な代金を支払った。財布が空になったのはおろか、残りは借金である。
――なんでこんなことに……。
一瞬、ウィッチを含めた周囲の何もかもを破壊して逃げてしまいたい気もしたが………、現実として、今はその力が出ない。幼稚な行為でもあるし。
「早く薬をよこせ! ゴホッ、ゴホッ」
「ああ、ほら。怒鳴ると咳が止まらなくなりますわよ。今渡しますから。――はい」
ウィッチは上機嫌に、薬を持った手を差し出した――のが、何故か固まった。
「ウィッチ……? 何をもったいぶっている。ちゃんと支払いの契約をしただろうが。……おい?」
ガシャン、とビンの割れる音が響いた。ウィッチの手から転がり落ちた風邪薬のビンが割れた音。中の液体がだくだくと地面に染み込んで消えていく。
「あああああっ!」
シェゾは叫んだ。そのシェゾの背中に向かい、唐突に……。
「愛してますわぁあ〜〜っっvVvv!」
叫んで、がばっとウィッチが抱き付いた。
「ウィッチ!? まさか……お前もかっ?」
考えてみれば当然である。今や、ミイラ取りは完全なミイラになっていた。シェゾの首にかじりつき、うっとりとした表情でじっと見つめて、
「ああ……その銀の髪、冷たい眼差し、いつ見ても変わり映えのしないバンダナ。冷徹なくせに、妙なところで腰砕けで情けないところも素敵……。もうっ。好きですわ。大好きですわ。愛しちゃってますわぁっvV」
「だぁっ、やめろ、正気に戻れっ! ちょっ、どこ触ってるんだ!? おい、馬鹿、やめろというのにっ。脱がすなぁっ!」
「好きな人の物を何でも持っていたいというのは、女の子の当然の気持ちですわ! 大人しく、その服をよ・こ・し・なさい〜〜!」
「ヘンだ、お前はヘンだっ」
「あら、ヘンタイはあなたですわ!」
「うぅうっ……。納得いかぁあ〜〜んっ!! テレポートっ!」
直後、シェゾの姿はその場から消え失せた。