「はぁ、はぁ……」

 うずくまって、シェゾは荒い息をついていた。

 精神集中などまるで出来ない状態で咄嗟に使ったテレポート。空間の狭間に落ち込まなかったのは僥倖だが、ここがどこなのか見当が付かない。

 まぁ、”跳んだ”時の感覚からして、大して移動していないのだろうとは分かるが……。恐らくは街の近辺のどこかだろう。

「うっ……ゴホゴホッ」

 また咳き込んだ。少しずつ悪化しているようだ。

「あらあら、大丈夫ですか?」

 突然背後から声をかけられて、シェゾはぎくりと身をすくめた。気配にまるで気付かなかったのは己の失態。しかも、今は敵味方関係なく、誰とも接触すべきではない。

 振り向くと――キキーモラだった。白いエプロンドレスを着て、モップを持っている。彼女は、何故だか驚いたようにじっとシェゾを見つめていたが。

「――大丈夫ですよ」

「は?」

「大丈夫です! 私が、何から何まで奇麗にしてあげますっ。心も体も、これからずっと!
 とりあえず、脱いでくださいっ」

「なに!?」

「その服を洗濯しますっ。土埃が付いてて耐えられないわ。さあ、早くっ」

 目を爛々と輝かせてキキーモラが飛び掛かってくる。

「だぁああ、やめんかっ。人間、多少は汚れてる方がいいんだ! テレポート!」

 シェゾの姿はそこから消えた。



 



 

 再び転移して別の場所。やはり、大して跳んでいないようだ。どんどん魔法の精度が落ちてきている気がする。

「はーっ、はーっ……」

 乱れきった服装のまま、シェゾは更に荒い息をついている。

 ――なんとかして、これ以上誰にも出会わないうちに逃げのびねば。

 しかし……なんでこの俺が、こんなことでここまで追いつめられてなくちゃならないんだ……?

 情けなさ過ぎる……。

「ごふっ、げふげふっ」

 咳のし過ぎで喉が痛いが、頭はもっと痛い。熱がかなり上がってきたようだ。立ち上がろうとすると、かくん、と力が抜けて失敗し、自分で驚いた。

 ――オイオイ……。動けないで、どうやって帰るんだよ……。

 たかが風邪も、過ぎれば重大である。下手すればここで動けないまま野垂れ死にってコトも……。

「あらあらぁ、どうしたのぉ、そんなところで」

 声がした。

 誰かに会えたことを喜ぶべきか、悲しむべきか。どうにか冷静に話の出来る奴ならいいのだ・が………。

「まぁ、色っぽいわねぇ、その恰好。ふふふ……」

 赤いボンデージ服に身を包んだセクシーな美女。サキュバスだった……。

「どうせだから全部脱がせてみたいわぁ。ふふっ、大丈夫。その分、暖かくなることをしてア・ゲ・ルv

「お前も脱がしネタか……」

 もう流されてしまおうか……という投げやりな気持ちになりかかったが、そういうわけにもいかない。淫魔と一度でも関係を持ってしまえば、吸血鬼に噛まれた人間と同様、その支配下に置かれてしまう恐れがある。そうなれば後はただの奴隷、サキュバスの胸三寸で精気を吸われ尽くされてミイラだ。流石にそこまで自棄にはなれない。なれない、が……。

 悲しいことに、抵抗する余力がなかった。

 ――テレポート……。

 駄目だ。発動しない。

「くっ……。俺は、お前と遊ぶヒマなどない。放せっ」

「ダ・メ・よ♥ 怖がらなくても、最初は優しぃ〜くしてあげるわ。その後で、私のしもべとしての心得を、たっっ……ぷり仕込んであげるから」

 シェゾの上に馬乗りになり、シャツを脱がせながらサキュバスは舌なめずりをした。魔力と精気たっぷりの上玉だ。器の出来もいい。当分の間、楽しく遊べそうである。

「あら……泣いてるの? 可愛いわね」

「誰がっ……! っ、ごふごふっ」

 その時、スッと長い棒がサキュバスの顔の脇から、二人の間を阻むように差し込まれた。棒――いや、モップだ。

「野暮ね。邪魔する気?」

「……嫌がっているだろう」

 二人の背後に立ち、モップを差し込んでいるのはブラックキキーモラだった。黒いエプロンドレスを着た彼女の表情は、いつになく険しい。

「嫌がってなんかいないわ。この子は、私の物よ」

「だが、泣いている」

「泣いとらん!」

 涙目ですかさずシェゾは叫んだが。

 人間、感情が極限まで昂ぶれば、悲しいのだろうが嬉しいのだろうが怒っているのだろうが怖がっているのだろうが、関係無く自動的に涙が出るのである。これは仕方がない。

「どうあっても邪魔をする気ね……。いいわ、黙らせてやる。かかっておいで!」

「フン。いいだろう!」

 二人の女の間に火花が散った。



 



 

 狼に食べられかけた時、やってきた鷹と狼が争い始めた。この場合、哀れな獲物のウサギとしては、この隙にさっさと逃げてしまうべきである。

 なのに、ロクに逃げられない。這いずる速度でしか移動できない悲しさよ。それでもまぁ、時折咳き込みながら、戦闘現場から離れることには成功したのだが。

「ぷよっ、ぷよぷよ〜ぉ」

「殿! 拙者、今日からお主を殿と認めるでござる。なんでも言いつけてくだされ!」

「ソーセージあげるにゃん」「食べるにゃん」

 ………周囲に余計な連中(しかもあからさまに人外)がうじゃうじゃと集まって来ているのは何故なのだろうか。

「愛です〜ぅ!」

 金色の翼でふわりと空中を滑ってくると、間延びした声でハーピーが言った。

「あなたに捧げる〜〜、愛の歌を歌いますわ〜〜♪♪」

 四方に、破壊音波が走った。

 



 

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