仲間たちを伴ってバチカル城の城門に至ると、ルークは足を止めた。

 やはり、気後れがする。以前、和平の親書を持って初めてここに踏み込んだ時は、全くそんなことを感じはしなかったのに。

「ナタリアが戻ってると助かるんだけどな……」

「呼びまして?」

「うわっ!?」

 叫んで、ルークは後ろを向いた。階段の下に金色の髪の従姉が現われていた。旅姿で、背後には護衛なのだろうキムラスカ軍の一隊を引き連れている。彼女が軽く片手を挙げると、兵たちは素早く立ち去った。

「お前、なんでここに……」

「ケセドニアの視察を終えて戻ったところですわ。それより丁度いいところに!」

 驚きのあまり声のうわずっているルークに軽く返して、ナタリアはつかつかと歩み寄ってきた。ぐっと両手で掴んだのはジェイドの襟首だ。

「おや……!」

 突然掴みかかられたジェイドは、しかし面白そうに笑っていた。身長差があるので、背伸びをして引き降ろしているような様相のナタリアを見下ろしている。

「まあ、相変わらず涼しい顔で! どういうことですの! 我がキムラスカ王国は平和条約に基づき、マルクト軍に対して軍事活動を起こしてはいませんのよ」

「ああ、やはりそうでしたか」

「やはりそうでしたかではありません!」

 柳眉を逆立てるナタリアを見ながら、ルークは少し困った気分で頭を掻いた。この一ヶ月、ナタリアは和平を確実なものにするために精力的に各地を巡っていたようだが、その気性は相変わらずのようだ。

「ケセドニアでは、まるでこちらが悪事を働いたと言わんばかりに白い目で見られ、屈辱でしたわ! まさかマルクト軍の示威行動ですの?」

「その話をしたくて来たんだ、ナタリア。非公式に陛下に取り次いでくれないか?」

 ルークがそう言うと、ナタリアはジェイドの首から手を離した。

「よろしいですわ。お父様のお部屋で詳しいお話を伺いましょう」





 一行はインゴベルト王の私室に並んだ。王は席に着き、その隣にナタリアが立っている。

「……なるほど。そういうことでしたの」

 話を聞き終えると、ナタリアは少し沈んで得心の声を出した。フリングス将軍の死は、彼女にとっても重い。

「私は、マルクトを攻撃するような命令は下していない」

「そうですわ。我が国は無実です」

 インゴベルト王が言い、ナタリアも強く頷いた。

「だが、こうなるとフリングス将軍を襲った奴らは一体何者なんだ?」

 キムラスカの仕業ではないこと自体は想定の範囲内である。問題はそこから先なのだ。

 ガイがそう言った時、「そのことなのですが」とジェイドが口を開いた。

「フリングス将軍は正体不明の軍が死人のような目をしていたと言いましたよね。私はあれが気にかかります」

「何か心当たりがあるのか?」

 訊ねたルークに、彼は言った。

「断定は出来ませんが、フォミクリー実験による症状に似た事例があるのです。六神将が暗躍していることを考えると、レプリカで兵士を作った可能性も捨てきれない」

「レプリカ……」

 ルークは目を見開いた。「俺と同じ……」と呟いて呆然と視線を宙に浮かせる。

「なんということだ。レプリカが我が国の名を騙って何の利がある」

 耳に届いたインゴベルトの声が、一瞬、胸を一際大きく波打たせた。

「キムラスカとマルクトの関係を悪化させて、戦争を引き起こそうとしている?」

「それじゃあまるでモースと同じじゃないか」

 思索に沈んだティアの声が聞こえる。顔を上げてルークが言うと、ガイが考え深げに唸りをあげた。

「そうか……。ディストはモースを連れ去ってたな。モースなら預言スコアを再現するためにキムラスカとマルクトを対立させるぐらいやりかねない」

 その時、ナタリアが傍らの父を見上げてはっきりとした口調で言った。

「お父様。わたくしをダアトへ行かせて下さい」

「突然どうしたのだ」

「わたくし、あの旅の後、預言スコアのことをずっと考えていましたの。世界はユリアの預言から外れた。にも拘らず、まだ預言に縛られている者のなんと多いことか」

「そうだね。やっぱ不安なんだよ……」

 アニスが言う。自分自身の気持ちを告げるように。

「ですから、預言スコアをどうしていくのか、国際的な会議を開催するべきだと思うのですわ。今回の件がモースの仕業であろうとなかろうと、これ以上預言を理由に愚かな真似をさせては駄目なのです。そのためには導師のお力が必要ですわ」

「まあ、悪くはないですね」

 ジェイドが言い、ルークも頷いた。

「そうだな。アッシュがどこに行ったかも分からないし、モースの行方も分からないし……」

「ふむ。ではナタリア。旅立ちを許可しよう」

「ありがとうございます! お父様!」

「……ダアトへ行くんだ」

 アニスが呟いている。

「その方がいいと思うわ。兄さんが生きている可能性があることも知らせた方がいいでしょうし」

「それは手紙で知らせてあるよ。だから、やめない?」

 何故なのか、アニスは落ち着かなげに見えた。ティアを見上げて懇願する様子にルークは驚く。

「なんだ? 帰りたくないのか?」

「……ううん。そうじゃないけどさ。えっと、ほら。ピオニー陛下にキムラスカが犯人じゃないってことを知らせないといけないし」

「鳩を飛ばそうかと思っていましたが……それもそうですね。一度グランコクマに戻りますか」

 ジェイドが言うと、アニスは表情を明るくした。

「そうそう。ダアトはやめて、グランコクマへ行こ〜う」

「まぁ。アニスはなんだかおかしいですわね」

 首を傾げたナタリアの声に、「お、おかしくなんかないもん」と唇を尖らせている。

「なぁ、世界が本当に預言スコアから離れて暮らせると思うか?」

 その時、ガイが誰に言うともなく訊ねた。

「……幾つか選択肢があって、どれを選んだらいいか分からない時に、預言スコアは確実な答えを教えてくれた。それがなくなるってことは、全部自分で考えて自分で決めるってことだよね」

 目を伏せてアニスが言葉を紡ぐ。これまで、預言は当たり前に人々の生活の中に入り込んでいた。それから離れるということが、果たして可能なのか。

「分かりませんわ……。預言スコアは政治にまで深く関わっています」

 深刻な顔でナタリアが答える。

「確かに世界は預言から外れました。わたくしたちはその経緯を知っています。でも一般の人々は、預言が外れた経緯は知らない訳ですから……」

「それどころか外れたなんて思ってないもん。はい、預言スコアなしで生きましょう――って、いきなり切り替わるとは思えないよ」

 現に、今も教団には預言を求める人の波が絶えないのだ。ティアも顔を曇らせた。

預言スコアは人生の道しるべだったんですもの。いきなり灯り無しで暗闇を歩けと言っているのと同じだわ」

 ルークたちは世界が預言から離れた経緯を知っている。だから納得もしているし、仕方がなかったのだとも分かっている。だが、他の人々はどうだろう。世界は変わり、先は見えない。――事情を知っている自分たちですら、不安を拭えないでいるのだから。

「仮に国際会議で預言スコアに頼らないと決まっても、それを受け入れられるようになるまでは何十年もかかるのかもしれないな……」

 ルークが呟くと、「当然ですね。人の心はそれほど単純ではないのですから」とジェイドが結論付ける。

「とにかく、今は出来ることをやるしかありません」

「そうだな。よし、グランコクマに戻るか」

 そう言ったルークに、インゴベルトが声をかけた。

「ルーク。ナタリアを頼むぞ」

「あ……はい。陛下……」

 たちまち、ルークの声がしぼむ。なんとか顔を伏せずに頷いた。





「グランコクマへ戻る前に、今日はバチカルで休まないか?」

 城門を出たところで、そう提案したのはガイだった。

「まだ夜までは時間があるけれど……」

「そうですね。アルビオールは素晴らしい乗り物ですが、ノエルは人間です。無理をさせ続ける訳にもいきません」

 ティアとジェイドが言い、話が決まる。

「よし。それじゃ屋敷へ行こうぜ、ルーク。俺も久しぶりにペールの顔を見たいからな」

「え……」

 ガイに笑顔で促されて、ルークは顔を強張らせた。

「あら、どうしましたの、ルーク。顔色が冴えませんわよ?」

「……な、なんでもないよ」

 不思議そうに覗き込んでくるナタリアから顔を背けて、ルークは近くに見えるファブレ邸の屋根を見やる。そのまま黙って歩き始めたが、すぐに足が止まった。

「セシル将軍……」

 広場に佇んでいた彼女の名を呼んで、ルークは声を詰まらせる。

「……話は……聞きました……」

 いつも凛としている彼女に相応しくなく、その声は空洞を抜ける風のような掠れを帯びていた。

「あの……なんて言ったら……」

 そう言って、ガイは口を閉じる。言葉は見つからなかった。

 あれほどに幸せを願ったのに。背中を押し、新たな道へ踏み出した姿に喜びを噛み締めたのに。爪痕を残され、無惨に毟り取られただけに終わるとは。

「いいんです。彼も私も軍人です。この仕事に就いている限りいつかは訪れることですから……」

 セシルは言う。「でも……」と呟いて、ぐっとこらえるように顔を俯かせた。

「……いえ……なんでもありません。御前を失礼致します」

 礼を欠くことなく、頭を下げるとゆっくりと彼女は歩き去っていく。ナタリアは両手を胸で握り締めて声を震わせた。

「……なんということですの。むごすぎます……」

「……そうだな」

 低くガイも頷く。ルークは、遠ざかる背中を見ながら、何も言えなかった。





「無事にお友達に会えたのですね」

 公爵は公務で留守にしていた。一人、夫婦の居室にいた母のシュザンヌは、ルークが引き続いて旅をすることを告げると僅かに瞳に翳りを乗せたものの、それでも微笑んで励ましとねぎらいの言葉を掛けた。

「あの。それで、母上……」

 言いかけて、ルークは言葉を詰まらせる。言わなくてはという思いと言いたくないという感情がせめぎ合ったが、どうにか口を開いて続きを声に乗せた。

「アッシュ――本物のルークのことですけど……」

 シュレーの丘で会ったが、引き止めることが出来なかったとルークは語る。「すみません」と俯くと、「まあ、どうしてあなたが謝るのです」と母は言った。

「そうだぜ。お前が気にすることじゃない」

「そうそう。子供じゃないんだから、帰って来たいんなら自分で帰ってくるよ」

 ガイとアニスが口を揃える。

「――奥様。そろそろお休みになられた方が」

 シュザンヌは息子を囲む若者たちを好ましげに見つめていたが、メイドにそう言われて「分かりました」と腰を上げた。

「それでは、わたくしはこれで失礼致します。主人は留守にしておりますが、どうぞごゆるりとおくつろぎ下さい。――これからもルークをお願いしますね、皆さん」

 優雅に一礼すると、彼女は寝室に去って行った。




 屋敷の回廊を歩いていくと、行き会ったメイドたちがあからさまに身を強張らせるのが分かる。以前ならガイの側に駆け寄ってきただろうに、今はルークの方を気にして、遠巻きに様子を窺っているようだった。

「……」

 俯きがちになったルークの肩を、ガイの手がポンと叩く。

 扉をくぐって玄関ホールに至ると、ホール中央の柱の前に佇む影があった。

「ペール」

 その老人の名を呼んで、ルークは側に歩み寄る。振り向いた彼は、二人の若い主人あるじを目にして相好を崩した。

「これはルーク様。それにガイラルディア様も。お変わりないようで何よりでございます」

「久しぶりだな、ペール。お前も元気そうだ」

 ガイが笑って返した一方で、アニスは老人が脇に抱えていた数冊の本に目を留めたようだった。

「それ、ペールさんの本ですか?」

「はい。今、少し荷物の整理をしておりましてな」

「そういえば、部屋のペールの机の周りには本ばっかりあったよな」

 ルークが言う。本のタイトルを覗き込んで、アニスはほう、と感心の息を漏らした。

「ペールさんは本が好きなんですねぇ。難しそうな本ばっかりー」

「知識を身に付けることは楽しいものですからな。例えば、ルーク様。バチカルの成り立ちはご存知ですかな?」

 急に話を振られて、ルークは少しばかり動揺して考え込んだ。

「確か、えーと……昔に巨大な譜石が落ちて抉れた跡に作ったんだよな」

「そうです。そしてこの辺りはかつてイスパニアと呼ばれておりました」

「出た……。私、歴史苦手だよぅ」

 アニスは両手で頭を抱えて身悶えている。ルークは首を捻った。

「イスパニアって、古代イスパニア語だとかで聞いたことはあるけど……」

「いかにも。そのイスパニアです」

「イスパニアは、我がキムラスカ王国のユリウス王に破れ、滅亡したのです」

「当時キムラスカはまだ小国でしたが、イスパニアを破って列強の仲間入りをした訳です」

 ナタリアが口を開き、ジェイドが後を継いでいる。

「へぇ……」

 感心の息を漏らしたルークに、ペールが笑って告げた。

「当時はマルクトもキムラスカの属国だったのですよ」

「新暦468年の内乱で、強引にマルクトが独立をうたったのがマルクト帝国の始まりなの」

 ティアが更に補足する。

「ってことは、もしかしたらマルクトとキムラスカは、一つの国だったのかもしれないんだな」

「まあ、その可能性もあるな。歴史ってのは不思議なものさ」

 ガイがしみじみとした調子で笑った。

「歴史か……。それなら、ユリアシティの成り立ちっていうのはどんななんだ? 確か、監視者の街なんだよな」

「その通りよ。ただ、街の設計や音機関の仕組み、ユリアの伝承など、記録が失われてしまったものも多いの」

「二千年も経ってるんだもんね」と、アニスが言う。

「ええ。文献は何冊も残っているのだけれど、その多くは半分以上が欠落しているわ」

「それほど古い文献ということですか?」

「確かに古いのも事実ですが、障気によって朽ちたとも言われています」

 訊ねたジェイドにティアが答える。ガイがジェイドを見て言った。

「フォミクリーなら、復元できるんじゃないか?」

「フォミクリーは現状のものを複製する技術です。以前の状態を復元する訳ではありません。複製時に多少時間を逆行させることもできますが、せいぜい数日から数ヶ月でしょう」

「残念ですな。ユリアシティの文献ともなれば、興味深いものでしたでしょうに」

 ペールが軽く息をつく。ルークは呟いた。

「そういえば、ティアの家にもぼろぼろの本があったよな。二千年前ってことは、もしかしてあれも古代イスパニア語か?」

「そうよ。あれは『ローレライ伝承記』ね」

「ティアも古代イスパニア語が読めるのか?」

「ええ。士官学校に入ると必ず習うのよ」

 ティアは頷く。アニスも口を添えた。

「古代イスパニア語って昔の公用語なんだよ。だから上流階級の人たちとか軍人とか研究者は、みんな身につけるんだよね」

「あなたも覚えた方がいいですわ。正式な場で苦労しますわよ」

 ナタリアが言う。「文法はフォニック言語とそんなに違いませんから」と勧められたが、ルークはただ苦笑を落とした。

「……そのうちな。なんかめんどくせぇや」

 無駄だろう。今更、自分が『正式な場』なんてものに縁があるとは思えない。

「しかし一般の方でここまで歴史に詳しい方はあまりおられないでしょう。大したものですよ」

 ペールに視線を向け、珍しく、ジェイドが人を誉める言葉を口にした。

「まあ、今でこそ一般人ですが、わしもかつてはガルディオス家を守る左の騎士でしたからな」

 照れ臭そうに言ったペールを見ながら「そっか……」とルークは呟いた。ルークにとっては物心ついた時から庭師だったので、つい忘れそうになってしまうが、彼は本来はマルクト帝国のホドの騎士だ。復讐を望んだガイを見守るために、身分を隠してこの屋敷にやって来た。

「父上が言ってた。引継ぎが終わったら、ペールにも暇をやるって……」

「はい。長らくお世話になりました」

 穏やかに老庭師は微笑みを見せる。

「ペールは俺のところで引き取るつもりだ。お前も遊びに来ればペールに会える」

 ガイが言う。「だから、そんなしょげた顔するなよ」とルークに苦笑を見せた。

「……うん」

「わしの本は置いていきます。よろしければルーク様もお読みになって下さい」

「分かった。ありがとうペール」

 どうにか顔を上げてルークは笑った。

「では、わたくしは一度城に戻りますわ」

 一段落ついたと見て、ナタリアがいとまを告げる。「宜しければ、ティアとアニスの部屋も城に用意しますわよ。積もる話もありますし……」などと話している一方で、老庭師が再び柱を――柱に飾られた、ファブレ公爵の戦勝品だという剣を見上げていることに気付いて、ルークは声を掛けた。

「ペール。またそれを見てるのか」

「はい……」

 ゆっくりと振り向くペールを見て、以前にもこんなことがあったな、と今更ながらにルークは気付く。『懐かしい思い出の詰まった剣』だと、その時は言っていただろうか。

「この剣に思い入れでもあるのか?」

「それは……」

 淀んだ老人の言葉を継いだのは、傍らのガイの声だった。

「これは俺の父親の形見なんだよ」

「……え!?」

 息を呑んで幼なじみを見上げたルークの前で、ペールが静かに頷く。

「はい。これは今は亡きジグムント・バザン・ガルディオス伯爵の剣でございます」

「ガイのお父様ですわね」

 確かめるようなナタリアの声が聞こえた。

 以前、ガイにこの剣のいわれについて訊ねたことがある。

 

『聞いた話じゃ、何かの戦いで、敵の、……首級と一緒に持って来たものらしいな……』

 

(首。――ガイの、父上の)

 誇らしげに、玄関の正面に飾られた剣。

「ガイ……辛かったでしょう」

 ナタリアは目を伏せたが、剣を見上げるガイの顔色は変わらなかった。

「そんなことはないさ。この剣がここにあったから俺は生きていられたんだ」

「どういうこと」と、ティアが問う。剣から目を逸らさぬままにガイは言った。

「いつかこの剣で父上の仇を取る……ってね」

「……」

 言葉をなくすルークに、ガイは青い瞳を巡らせた。

「そんな顔するなって。悪かったな」

 少しばかりばつの悪そうな笑みを浮かべて、「今は復讐しようって気はないぜ。そう言っただろ?」と声を重ねる。

「それもお前のおかげなんだよ」

「俺? 俺は何も……」

「賭けに勝たせてくれた」

「また『賭け』かよ。賭けって何だ? アッシュとしたんじゃないのか?」

 幾分苛立った様子のルークを見やって、「本当に覚えてないんだなぁ」とガイは苦笑いしている。

「まあいいさ。とにかく俺はお前のおかげで過去の自分と決別できたのさ」

(俺のおかげで、なんて……)

 真っ直ぐな視線で笑うガイから、ルークは僅かに視線を落とした。

 昔から、ガイは何でも出来た。何でも教えてくれた。今でもそうだ。一ヶ月うじうじ悩んでいた自分とは違って、新しい場所で、新しい目標を見つけて、ずっと先を歩いている。

(俺はガキで役立たずで。ガイや、みんなのために出来たことなんて……何もないのに)

「でもいいのですか? この剣はここに置いておいて」

 ジェイドが問いかけた。

「いいも悪いも、今じゃこの剣はファブレ公爵のものだ。俺が口を出すものじゃないよ」

「……」

 答えるガイの顔に陰は見えない。黙って、ルークは柱に青く輝く曇りない刀身を見上げた。


 ナタリアと合流すると、様々なサブイベントを起こせるようになります。 

 ファブレ邸に戻ると、執事のラムダスが駆け寄ってきて、シュザンヌが倒れたとルークに告げます。おまけダンジョンのキノコロードへ行けるようになるイベントです。

 また、玄関ホールに戻るとペールが剣を見上げています。『宝刀ガルディオス』イベントの二回目です。ガイファンは必見。(一回目を起こしていることが条件)

 更に、ペールの部屋に行ってペールの机を調べると、ペールがキムラスカとマルクトの歴史について教えてくれるイベントが起こります。声付きです。(『ガイの奥義』の一回目を起こしていることが条件です。)このイベントの見所は、何と言っても、ペールが間もなくいなくなることを思ってしょげてしまうルークと、それを慰めるガイです。つくづく、ルークはペールになついてたんですねぇ。

 また、この時点で戦闘難易度ハードでエンカウント256回以上しているなら、闘技場の観客席で台の上で応援している男性に話しかけると、ベルセルクの称号がもらえます。ルークの衣装が変わります。

 それから、バチカル港へ行くと『セシルとフリングス』の四回目が起こります。

 その他、メインストーリーとは無関係の各地でサブイベントが大発生です。っていうか、レプリカ編はサブイベント多すぎです(笑)。

 あまりに量が多いので、別ページで紹介します。→ナタリア合流後に起こせるサブイベント


 グランコクマ宮殿に入ると、どこかいつもと雰囲気が変わっていた。

「どことなく落ち着きませんね……」

 何気ない様子で言いながらジェイドは油断なく辺りに目を配っている。謁見の間に入ると、(通常ならありえないことだが、)メイドが一人駆け寄ってきた。

「あの! 今こちらにブウサギが走ってきませんでしたか?」

「ブウサギ?」

 壮麗な宮殿に似つかわしからぬ単語を聞いて、ルークは目を瞬かせる。

「見ていませんわよ」

 ナタリアが答えると、「ああ! どうしましょう! ゲルダ様〜! サフィール様〜!」と喚きながらメイドは向こうへ走って行ってしまった。客人への礼すらも忘れるほどに取り乱しているらしい。

「なに、あれ」

「どうしたのかしら……」

 ぽかんとするアニスとティアの一方で、ジェイドとガイは押し黙っていた。ジェイドは無表情になり、ガイは肩を落としている。

「どうしましたの、ガイ」

「……嫌な予感がする……」

 片手で顔を押さえて呻くガイを余所にして、ルークは今は空の玉座の奥、大きな飾り窓の向こうに流れ落ちる水の壁に目を奪われていた。

「それにしてもすげぇ滝だよな」

「ああ……。あの高さから水が流れ落ちるってのは迫力があるな。光が反射して、まさに水鏡って感じだ」

 気を取り直したようにガイが同意してくる。

「この滝見たさに謁見を希望する方もいらっしゃいますよ」

 ジェイドが言い、「水の流れって美しいわ。いつまで見ていても飽きないもの……」とティアがうっとりした時だった。

「そんなもんかねぇ。見慣れたせいかもしれんが、俺にはむしろ鬱陶しいぜ」

 背後から声が聞こえて、ルークたちは振り向く。供の一人も連れず、ピオニー皇帝がゆったりと歩いてくるところだった。

「ブウサギたちの方がよっぽど飽きないさ。なぁ、ジェイド?」

「……陛下。それは名前の付け方に起因してるのでは?」

 珍しく、頭痛をこらえるような仕草でジェイドは額を押さえている。

「まあまあ、いいじゃねぇか。気にすんなって」

 のほほんと笑ったピオニーに、アニスが擦り寄らんばかりに近付いて可愛い声をあげた。

「陛下ぁ! 滝もすごいですけどぉ、宮殿の中も広〜いし、お部屋がいっぱいあってすごいですよねぇ?」

「ん? まぁ、そうだな。とは言っても、全部先祖が作ったもんだからな。別に俺には思い入れがないんだよ」

「そんなものですか? わたくしは自分の城には愛着がありますわ」

 小首を傾げたナタリアに「俺は城で育ってないからな」と返して、「まあとにかく、この街の形も宮殿もケテルブルクも、何代か前には完成していたらしい」とピオニーは説明してみせた。

「ケテルブルクもですか?」

 緊張も忘れて、思わずルークは声をかける。

「ケテルブルクに建てられている銅像が、陛下のご先祖様ですよ」

「そういや、そんな話聞いたな」

 ジェイドに言われて、決まり悪げに頬を掻いた。ケテルブルクに初めて行った時、街のあちこちに建てられた銅像をうっとりと見上げたティアに向かい、ジェイドがそんな説明をしていたことがある。確かピオニーの三代前の皇帝で、カール三世というのだったか。

「詳しい話はケテルブルクの住人かジェイドに聞いてくれ。そいつは頭しか取り柄がないからな」

「やれやれ……」

 小さく肩をすくめたジェイドには構わずに、ルークたちの前に立ったピオニーは満面の笑みを浮かべると話を改めた。

「それより、お前たち! 丁度いいところに来た。さて、今回の任務だが……」

「……俺たちまだ引き受けるとも何とも言ってないんですけど」

 ルークは呟いたが、ピオニーはまるで頓着していない。

「細かいことは気にするな。俺の可愛いブウサギたちが逃げ出したんだ。多分城の中にいるはずだから探してくれないか」

「陛下。私たちはブウサギを探す為に来た訳ではありませんよ」

 私たちは報告に……と言いかけたジェイドを、ピオニーは恨みがましい目で睨む。

「何だと。じゃあ聞くがな。可愛いジェイドが階段から落ちて首の骨を折ったらどうするんだ。はたまた可愛いジェイドが厨房で丸焼きにされたらどう責任を取る?」

「……不気味なのでその言い方はやめてもらえませんか」

「安心しろ。お前は可愛くない方のジェイドだ。俺の可愛いジェイドはな、芸の覚えは悪いが毛並みだけはぴかぴかで……」

「探します。探しますからいい加減にやめて下さい」

 嫌そうに顔を歪めて懇願するジェイドというものを、ルークたちは初めて見た。だがピオニーは見慣れたものらしく、にっこり笑って先を続ける。

「そうか。分かってくれたか。逃げ出したブウサギたちは、ネフリー、ジェイド、サフィール、アスラン、ゲルダの五匹だ。見つけてくれたら礼はする。頼むぞ」




 俺は自分の部屋にいるからな、と言ってピオニーが立ち去ってしまうと、仲間たちは一斉にジェイドを睨んだ。なかなかに珍しい光景だ。

「……大佐」

 腕を組み目をすがめて、ナタリアが代表するように声を出す。

「……すみません。あれ以上の屈辱に耐えられそうもなかったものですから」

「ジェイドってピオニー陛下には弱いよな。なんか弱点でも握られてるのか?」

 ルークが言うと、ガイが肩をすくめた。

「旦那に弱点があるなら教えてもらいたいぐらいだ。陛下を尊敬するよ」

 弱みをつくこともなく、素のやり取りだけでジェイドを操作できるということなのだろう。確かに、それは凄い。尊敬に値する。

「とにかく、引き受けた以上探すしかないわね」

「そうそう。お礼目指してがんばろー!」

 ティアとアニスがそれぞれの表情で言った。

 ジェイドやガイもいるとはいえ、先日まで敵だった国の王族であるナタリアやルークに自由に城内を探索させるというのも暢気な話だが、真に立ち入りを禁じている場所には常時見張りの兵がいる。そこにはブウサギは行っていないと踏んでのことなのだろう。




 五匹のブウサギは、小一時間ほどで全て発見された。幸いにしてブウサギの気性は穏やかであり、ここ一ヶ月散歩係を務めていたガイがいたせいか、暴れることもなく大人しく連れ戻されていった。

 ジェイドという名の刻まれた首輪をしたブウサギは、階段の陰に隠れていた。「名前の割に簡単な所にいたな」とは、ガイの弁である。

 ゲルダという名の刻まれた首輪をしたブウサギは、来賓用の寝室をウロウロしていた。

先生の名前を付けるのはいかがなものですかねぇ……

 ジェイドが何か呟いたので、振り向いて「なんか言ったか?」とルークは訊ねたが、「……いえ、なんでもありません」と彼は口を閉ざす。

 アスランという名の刻まれた首輪をしたブウサギは、資料室の机の下に隠れていた。ティアが両膝をついて呼ぶと、鼻をふごふごと鳴らしながら近付いてくる。

「この子、よく見ると目の色がフリングス将軍に似てるわ」

 ぶちの毛並みを優しく撫でていたティアが、ブウサギの目を覗き込んでそう言った。

「それでアスランか……。安直だな、陛下……」

 ルークは呟く。もういなくなってしまった男と同じ名前のブウサギを、自分もそっと撫でてみた。

 ネフリーという名の刻まれた首輪をしたブウサギは、いつの間に入り込んだのか、ルークたちが出発した謁見の間の玉座の後ろで発見された。「人の妹の名前を……」と、ジェイドは渋い顔をしていたものだが、「でも、この子の首輪が一番上等みたいですよ」とアニスに言われて、「……それもどうかと思います」と複雑な顔をした。

 サフィールという名の刻まれた首輪をしたブウサギは、最後まで発見されなかった。あちこち動き回っていたのだろう、それまでに何度も通っていた廊下でやっと捕獲されたのだ。

「サフィールって確か……」

 首輪を確認してから、ナタリアが呟いた。

「死神ディストの……」

 ティアが続ける。今まさに逃亡中で発見されていない、ピオニーとジェイドの幼なじみの本名だ。

「……馬鹿面がよく似ていますよ」

 にべなくジェイドが吐き捨てたので、少女たちは口を閉ざした。




 ブウサギたちを連れてピオニーの私室の奥に通されて、ルークは愕然としてしまった。

(ここ……なんかの事件の後か……!?)

 思わずそう思ってしまうくらいに。

 造りは豪華なその部屋の有様は衝撃的だった。武具や本やクッションや、あらゆるものが床に散乱している。連れ戻したブウサギたちは躊躇なくその間に踏み込み、ぶうぶうと鳴きながら気ままに闊歩し始めたが、ピオニーは満足げに目を細めるだけで咎める様子は全くなかった。

「ご苦労。可愛いブウサギたちが戻ってきてくれて一安心だ」

 衝撃を正直すぎるほど顔に出してしまっているルークを見ても、慣れたものなのか気分を害した様子もない。

「ご覧の通り、整理整頓ってのは苦手なんだ」

 詰まるところ、散らかしたのはピオニー自身であって、他の誰の仕業でも、ましてやブウサギの仕業でもないということなのだろうか。

「それにしても、これだけブウサギがいると凄まじいな……」

「あら、わたくしたちが探してきた五匹以外に、もう一匹ブウサギがいますわね」

 ルークと同じように部屋を見回していたナタリアが、奥にぽつんと離れている一匹を見つけて声を出した。

「ああ、あれは……」

 言いかけたガイの言葉を、ピオニーが引き取る。

「そいつはルークって言うんだ。いい名前だろ」

 ルークの鼻の頭に皺が寄った。

「まあ、折角だから俺のブウサギをじっくり見ていけよ。可愛いぞ!」

(かわいい……)

 言われるまでもなく、ティアはしゃがみ込んで、うっとりとブウサギの鼻面を撫でている。

「陛下のブウサギの件は、また今度にしましょう。それより、我が軍を襲った謎の襲撃者のことですが……」

 ジェイドがようやく本題に切り込もうとしたが、ピオニーは軽く肩をすくめた。

「キムラスカの仕業ではない。――だろう? ナタリア姫がここに来ているんだからな」

「当然ですわ。我が国は平和条約を破るような真似はいたしません!」

 ナタリアは肩を怒らせる。ジェイドが口を添えた。

「ですが、それ以上のことは不明です」

「そうか……。こちらも新たな情報はつかめていない」

「アッシュの足取りも、まだ分かっていないんですか?」

 訊ねたガイに「ああ」とピオニーが頷いた時、立ち上がって話を聞いていたティアが、眉をひそめて口を開いた。

「……あの。何か音がしませんか?」

 しばらく耳を澄ましてみて、ジェイドが頷いた。

「……ええ。これは音素フォニムの干渉音のようですが……」

「そう言われてみれば……」

 ナタリアも頷く。虫の羽が唸るような音が辺りに響いていた。どこから聞こえているのだろう。音の出所を探すように、ルークたちは部屋の中を見回す。

第一音素ファーストフォニム第六音素シックスフォニムの干渉ですの!」

 ミュウが言った。それは、対極となる闇の力と光の力の間に起こる特殊な現象だ。ルークは片耳に手を当てて耳を澄ます。

「おかしいな。この部屋から聞こえるのは間違いないぞ」

音素フォニム爆弾だったりして?」

「おいおい。笑えない冗談はやめてくれ」

 うっすら笑ってのアニスの声に、ピオニーが本気で眉を下げた。あり得ない話ではないのだ。また、これだけ部屋が散らかっていては、爆弾を仕掛けられても気付けないかもしれない。

「探してみよう!」

 真剣な顔になってルークが言った。

 仲間たちは部屋に散らばって音の中心を探し始める。すぐに、「これよ! この剣から干渉音が聞こえるわ!」というティアの声が響いた。

 それは、部屋の片隅に無造作に転がされた剣だった。鍔の部分が翼をあしらった意匠になっている。ルークが近付くと、音は一際大きさを増した。

「うわ、何だ!?」

「闇の剣と反応しているようですね」

 考え深げな顔をしてジェイドが言う。

「闇の剣って……これか?」

 ルークは腰の後ろから剣を抜いた。魔物の背に刺さっていたのを手に入れた、第一音素ファーストフォニム――シャドウの力を強く発散しているという剣だ。

 抜いた刃を近づけると、第六音素シックスフォニム――レムの力を発散しているらしい剣は震えるほどに唸った。

譜術封印アンチスペル音素フォニムの動きを一時的に止めましょう」

 ジェイドの指示を聞いて、ティアが素早く動く。しゃがんで片手をかざすと、剣が淡く光って音が止んだ。

「陛下。この剣は何なんですか?」

「こいつは、マクガヴァンじーさんが退役する時に残していった剣だ。俺は武器集めが趣味なんでね。じーさんが気を利かして置いていってくれたのさ」

 銘は『ロストセレスティ』だ、とガイに答えるピオニーの声を聞きながら、ルークはジェイドの顔を見上げていた。

「ジェイド。これってもしかして惑星譜術の触媒じゃないのか?」

「……でしょうね。それにしてもこんな無造作に……」

「何か文句があるのかな?」

「……いえ、何も」

 口の端に笑みを浮かべて言ったピオニーに、ジェイドは淡々と返す。

「まあいいが。それで、惑星譜術の触媒ってのは何なんだ?」

「話せば長くなりますが――ガイ、説明を」

「俺かよっ!」

 唐突に話を振られて、ガイはぎょっとしたように身を引かせた。何故なのか、ジェイドはややこしい説明はガイに任せたがる傾向がある。

「なんだって説明役をやらされるんだ……」

 器用貧乏人宝、という奴であろうか。ぶちぶち呟きながら、彼はそれでも過不足なく説明をこなした。

 二千年前の譜術戦争フォニック・ウォーの時代に開発された大規模譜術、惑星譜術。失われたその術を復活させるために、シャドウの力を宿す武器を三種、レムの力を宿す武器を三種必要とするという。それが触媒だ。ダアトで進められていたこの計画の責任者は、かつて神託の盾オラクル騎士団に所属していた頃のゲルダ・ネビリム――ジェイドやピオニーの子供時代の師であったが、先代導師エベノスの死と共に計画は頓挫。資料は退役したネビリムが故郷ケテルブルクに持ち帰ったらしいが、ネフリーの話によれば、その遺品は随分前にマルクト軍の情報部が引き上げていったという。

「……ネビリム先生の情報か。その頃はまだ親父の代だからな。俺にも詳しいことは分からん。とにかく情報部から資料を提出させよう。後でお前の執務室に届けさせておく」

 ピオニーがそう請合った時、アニスが怪訝な顔で首を捻った。

「あれぇ……? まだ音素フォニムの干渉音が聞こえますよぅ?」

「確かに……聞こえるな。さっきより随分小さな音だが……」

 耳を澄ませてガイが言い、ティアが「おかしいわ。この剣の音素フォニムの動きは凍結させてあるはずよ」と眉を寄せる。

「でも……聞こえるぜ」

 ルークたちと共にしばらく辺りを見回した後、ナタリアがハッとした顔になって負っていた荷物を降ろした。

「もしかして、これのせいでしょうか」

 そう言って開いたケースの中には、弓が一張り収められている。やはり翼を模した意匠であり、ルークが闇の剣を近づけると大きく鳴った。

音素フォニムが干渉し合っていますね」

「はぅあ! じゃあこれも触媒の一つ!? 何でナタリアが……」

「お前、これ、どうしたんだよ」

 ジェイドとアニスの声を受けてルークが訊ねると、「バチカルの廃工場で発見されたものが城に届けられたのですわ。あの工場は王室のものですから」とナタリアは答えた。

「あそこは元々兵器工場だからな。もしかしたらこいつで兵器の開発をしていたのかもしれないぜ」

 ガイが言う。「なるほど、触媒が三つあったので干渉音も大きくなっていた訳ですか」とジェイドが得心の声を漏らした。

「これで触媒が三つ揃ったことになりますね」

「そうなります。ところで陛下、これをお借りすることは出来ますか?」

 ティアに頷いて、ジェイドはピオニーに訊ねたのだが。

「そうだなぁ。そこの可愛いお嬢さんたちに、おねだりしてもらえたら貸してやるよ」

 ニヤリと笑った皇帝をしばらく眺めて、男たちは揃った動作で女性陣に視線を巡らせた。少女たちは顔を見合わせる。

「そういうのを性的嫌がらせセクハラと言いますのよ!」

 肩を怒らせてナタリアは咎めたが、「じゃあ、野郎共もやれ」とあっさり返して、ピオニーは無造作に命じた。

「んじゃ、ルークから」

「お、俺ぇ!?」

 目を丸くして、ルークは自分を指差す。仕方なく、ぼそぼそと言った。

「……剣を貸して下さい」

「次」

 ピオニーの声はルーク以上にやる気がない。

「失礼ながら剣をお預かりしたいのですが……」

「次」

 ガイの丁重な請願でも同じだ。ぞんざいに進める。

「世界で一番カッコイイ、ピオニーへ・い・かv アニスに貸・し・てv

 次に口を開いたのはアニスだった。両拳を口元に当て、可愛らしく身をくねらせながら見上げてくる。

「うんうん。あと六年経ったら正式なお付き合いをしようなv

……すげぇ。態度が全然違う

 満面の笑みになった皇帝を見て、ルークは思わず感心の息を漏らした。

「――剣を貸して下さいませ」

 次はナタリアだ。実に不機嫌そうに、両腕を組んでぶすりとした顔で言ったのだが、ピオニーはますます機嫌を上昇させた。

「うんうん。その冷たさがたまらないなぁv

 次は――しばらく間が空いた。全員の視線が、黙って突っ立っているティアに集中する。

「わ、私もですか!?」

 視線に気付いて、ティアは恥ずかしそうに頬を染めると両手を胸に当て、ためらいがちに願いを口にした。

「あ、あの……陛下。どうか剣を貸していただけませんか」

「うんうん。そのちょっとウブな感じが最高だねv

 へにゃへにゃとニヤけたピオニーに、「陛下」と朗らかな、いっそ可愛らしいと言ってもよさげな声が投げかけられた。――ジェイドだ。

「お前はいい。いらない。聞きたくない。キモイ」

「まあ、そう仰らず」

 軽く押し上げられた眼鏡の向こうの目は、全く笑ってはいない。

「とびっきりのおねだりをして差し上げますよ」

「いらん! 失せろ!」

 ブウサギ探しを依頼された時とは反対だ。心底嫌そうに言ったピオニーに笑って、

「いやー残念です。では、剣はお借りしていきますね」

 と言ったジェイドを、ルークたちは呆気に取られて見るしかなかった。

「とにかく、これで触媒は残り三つだな」

 気を取り直すようにガイが言う。

「そうだな。他の触媒がどこにあるのか分かればいいんだけど」

 ルークも返した。六神将が復活し、ヴァンも生きているらしいという状況だ。惑星譜術は強大な力を持つという。戦力は少しでも大きい方がいいのだろう。

「マルクト軍が引き上げたという、ネビリムという方の遺した資料には書いていないのでしょうか」

「どうでしょう。全ての触媒の在処が分かっていたのなら、とうに譜術を復活させていてもいいはずですからね」

 ナタリアとジェイドがそんな言葉を交わしている一方で、アニスは両手を揉んでピオニーに擦り寄っていた。

「それで、陛下〜v ブウサギ探しのお礼なんですけどぉv

「そうだった、そうだった。じゃあ、とびっきりの情報をやろう」

「情報?」

 見返したルークの視線の先で、ピオニーは落ち着いた様子で言葉を続ける。

「今貸してやった剣は、マクガヴァンのじーさんが置いていった物だという話はしたな。で、実はその剣はじーさんの家に代々伝わる家宝で、もう一つ、対になる武器があるらしい」

「触媒の剣の対になる武器か……。それも触媒である可能性が高いな」

「よし、セントビナーへ行ってマクガヴァンさんに話を聞いてみよう」

 ガイとルークはそう言ったが、「待って」とティアが口を挟んだ。

「その前にダアトへ行った方がいいんじゃないかしら。イオン様にもご報告はするべきだし……」

「報告は手紙でしてあるってば。それより、セントビナーへ行って触媒の武器を探した方がいいんじゃないかなぁー」

 そんなことをアニスは言う。

「お前、ホントにダアトへ帰りたくないみたいだな」

「そ、そんなことないよぅ!」

 少しばかり呆れた面持ちでルークが言うと、アニスは弾かれたように返して顔を背けた。

「まあいいでしょう。ダアトよりセントビナーの方がここから近いですからね。ダアトへ行く前にセントビナーに立ち寄ることにしましょう」

 ジェイドがそう提案する。頷いて、ルークたちは宮殿を後にした。





 グランコクマ商業区の賑わいは相変わらずだ。その街並みを歩きながら、アニスはふと思い出したように笑みを漏らした。

「それにしてもすっごい名前の付け方だったね。陛下のブウサギ」

「だろ? ジェイド、サフィール、ネフリー……だもんな」

 ガイは苦笑いしている。あのブウサギたちの散歩を、この一ヶ月、彼は任せられていたのだ。

「俺も名前を使われたぞ……」

 ルークはムスッとしていた。ジェイドは失笑を浮かべる。

「あの方にも困ったものです。幼い頃を懐かしがるのは宜しいのですがねぇ……」

「そういえば! ネフリーだけやたら綺麗だったね」

「そういえばそうですわね。毛並みも美しかったですし」

 アニスとナタリアが顔を見合わせた時、飄々としたジェイドの声が場に落とされた。

「ネフリーは陛下の初恋の相手です」

「えー!!」
 次の瞬間、仲間たち全員が大きく口を開けて叫んでいた。

「妹のことが忘れられなくて結婚できないんですよ。世継ぎ問題をどうするつもりなのでしょうねぇ……」

 ピオニーとその初恋の女性は身分違いで結ばれることがなかったのだと、以前ジェイドは言っていたのだったか。しかし、まさか彼の妹のことだとは思わなかった。世間は案外と狭い。

「陛下の好みは知的メガネ美人か。……よ〜し、メガネ型の響律符キャパシティコアを買ってこよっと」

 企み顔で笑うアニスを見て、「まだ諦めてなかったんだな、玉の輿……」と、ガイが引きつった笑みをこぼした。――その時だ。

「大佐! カーティス大佐ですよね!」

 大きな声をあげて、道端にいた金髪の若者がジェイドの側に駆け寄ってきた。

「知り合いか?」

 ルークはジェイドを見上げる。

「ええ、まあ……」

 否定はしなかったが、ジェイドの歯切れは悪かった。若者は軍服を着ていない。軍の部下ではないようだが。

「大佐の弟子でカシムと申します!」

「弟子にした覚えはありませんよ」

「そんなこと言わずにお願いします! 譜眼の秘密を教えて下さい! 禁書扱いになっていて図書館でも閲覧できないんですよ」

「譜眼……? それは一体なんですか?」

 怪訝に眉を寄せたティアに、よくぞ聞いてくれたとばかりにカシムは得意げな顔を向けた。

「大佐の目に施してあるのと同じ譜術ですよ。目は人体の最大フォンスロットでもありますから、そこに譜陣を刻み込んで通常の三倍以上の音素フォニムを集めるんです」

「もしかして、それでジェイドの目って赤いのか?」

「なるほど、それなら行使する譜術の威力も格段に上がるわね」

 ルークは言い、合点したようにティアは頷いたが、アニスは小首を傾げている。

「だけどそれって、大佐だから制御可能なんじゃないの? 六属性全部の音素フォニムを自力だけで扱うって、普通はなかなか出来ないもん」

「ええ。得手不得手というのがありますからね。ろくに譜術も扱えない人間が譜眼など施せば確実に死にますよ」

 淡々とジェイドは同意を述べる。若者に顔を向け、冷たい目で言い切った。

「特にカシム、あなたでは無理です」

 一瞬、カシムは怯んだように身を固めた。が、見る間にその顔に朱が刷かれて眉が吊り上がっていく。

「……分かりました! 大佐がそこまで言うなら自力で譜眼を施してみせます!」

 吐き捨てて駆け去った若者の背を、ジェイドは見送ろうともしなかった。側にいたナタリアの方が、むしろオロオロして問いかけてくる。

「行かせてよかったんですの? 無茶なことをやらないか心配ですわ」

「何かしでかしても、それは自業自得です。私の知ったことではありません」

「毎度のことながら、淡白だねぇ」

 ガイは首をすくめて、困ったように軽く息を吐いた。


 ジェイドはパーティーの中で最年長で、アニスの父親であってもおかしくはない年齢です。賢く強く、実行力もあり、社会的地位を持ち、権謀術数もこなして対人関係もそつなく、上司には可愛がられ部下にも慕われて、非常に頼りがいのある人物です。

 しかし、彼は完璧な『大人』なのかと言うと、決してそうではありません。(世の中のどんな人間もそうでしょうが。)

 

 幼い頃から天才の呼び名を欲しいままにしてきた彼は、(シナリオライターインタビュー等も鑑みて解釈するに、)周囲を見下す傾向のある人間でした。無論、様々な経験を経て大人になるにつれてその性格は矯正され、そつなく社会を渡れるほどになっていますが、消えたわけではない。

 彼が、ルークが長髪だった頃に何かと嫌味を言い、煽るとも言える言動を取っていたのは、恐らくはこの性格が出てしまっていたからです。

『馬鹿なガキ』の典型とも言えるルークが、ジェイドは最初は大嫌いでした。ですから見下していましたし、親身に面倒を見てやるつもりもなかったのだと思われます。ルークが失敗して痛い目を見るとしても、それは個人の問題であって、自業自得だと考えていただろうからです。

 同じように、『馬鹿な若者』であるカシムをジェイドは冷たく跳ね除けますが……。

 このイベントはサブ扱いなのですが、ジェイドの成長・変化を知ろうと思うのなら欠かせないものだと思います。このイベントを最後までこなすと、ジェイドの称号『ツンデレおじさん?』が入手できます。

 

 ところで、私三周目ではネビリムイベント一回目の聖剣ロストセレスティ入手のくだりをレプリカ編に入ってからやったんですが、まだナタリアと合流していなかったのに、私室のピオニーに話しかけるなりナタリアが湧いて出たので、割とイヤンな気分になりました。崩落編でネビリムイベントの一回目をクリアしておいて、レプリカ編冒頭のまだルーク一人旅の時点でセントビナーに行くと、ネビリムイベントの二回目が起こって、やはりいないはずの他の仲間たち全員が沸くそうです。仲間が揃わない時はイベントが起こらないように条件付けとくべきだと思うのですが。フラグ管理のチェック漏れやなー……。


 一行はセントビナーに飛び、老マクガヴァンを訊ねた。

「話は聞いたぞ。フリングスは……残念じゃったな」

「はい。――彼は優れた軍人でした」

 まずそう切り出した老人に頷き、ジェイドはそう語る。

「うむ。いい奴ほど先に逝くわい。わしのような人間は老醜をさらしていると言うのにの」

「その伝でいくならば、私などは元帥よりももっと長生き出来そうですね」

「違いない」

 老マクガヴァンは笑うと、皺に埋もれていた右目を開けて、「して、今回はわしに何の用かの」と訊ねた。その声を受けて、ガイが荷物の中から一振りの剣を取り出す。

「ん? お前さんたち、その剣はわしが陛下に献上した『聖剣ロストセレスティ』ではないか?」

「はい。実は訳あって陛下からお借りしています。ところで、この剣には対になっている武器があったとか」

「うむ。我が家の家宝である『魔槍ブラッドペイン』だな。今は息子のグレンに譲ったが」

 そう言って、老人はじろりとジェイドを見やった。

「あの槍をどうするのだ?」

「なんか惑星譜術とか言うすごい譜術を使うのに要るらしいぜ」

 ルークが答えると、肩の力を僅かに抜く。

「そうか……。それならいいが」

「何か引っかかることでもあるんですか?」

 ティアが訊ねた。

「うむ……。以前、対の武器を使って、マルクトを荒らしていた譜術士フォニマーを封じたことがあるのだ」

「封じたってことは、倒せなかったんですかぁ?」とアニスが小首を傾げ、ジェイドが確かめた。

「元帥が最後に前線に立たれた『譜術士フォニマー連続死傷事件』の犯人ですね」

「うむ。まるで魔物だったよ。たった一人の譜術士に一個中隊が壊滅だからな。無論、小規模編成ではあったが……しかし……」

「一個中隊が壊滅とは、まさに鬼神だな」

 口ごもる元元帥を前に、驚きを隠しきれない声音でガイが言う。普通ならあり得ないことだ。ジェイドなら、もしかしたら可能かもしれないが、出来るとも言いがたい。

「それで封じるしかなかったのですわね」と、ナタリアも神妙な顔をした。

「で、どこに封じたんだ?」

 ルークは、あまりピンとはきていない様子である。何気なく訊ねると、老人は大声で叱り付けた。

「馬鹿者。機密事項じゃ。誰かが封印を解放したらどうなる?」

「う……」

「まあとにかく、危険な武器じゃから扱いには気をつけるんじゃぞ」

 肩の力を抜いて、老マクガヴァンはそう話をまとめた。





 アルビオールは、ダアトを目指して空を飛んでいた。

 老マクガヴァンの許可を得た後、ルークたちは息子のグレン将軍から問題の魔槍を借り受けた。第一音素ファーストフォニムの力を強く発散するそれは聖剣を近づけると干渉音を発し、触媒の一つであることも確認されている。

 二つ目の触媒を発見してからここまで、とんとん拍子だ。もっとも、魔槍は簡単に借りられたわけではなかったが。



「……魔槍ブラッドペインだと!」

「はい。出来ればお借りしたいんですけど……」

 グレンを訪ねてルークがそう切り出すと、彼は何事か考え、落ち着かなげに逡巡した後でようやく口を開いた。

「……そうか……丁度いい。実は……貴殿らに頼みがあるのだ。それを聞いてもらえたらブラッドペインをお貸ししよう」

「頼みというのは何ですか?」

 ティアが訊ねると、グレンはこう言ったのである。

「実は先日、父が飼っていたブウサギが散歩中に逃げ出してしまってな」

「まさかそれを探せってのか?」

 ルークの声音は一気に下降する。

「うむ。あのブウサギは陛下に献上した、聖剣ロストセレスティの代わりに頂いたものなのだ。幸い、父にはまだばれていないが……」

「……またブウサギかよ」

 ガイは片手で頭を掻いて、いささか複雑な顔をしていた。マルクトに居を移して以来、あの生き物と縁が切れないのは何故なのだろうか。

「この街のどこかにいますのね?」

 ナタリアは投げ出さずに確かめている。

「それが街の外に出て行ってしまって……。しかも魔物の血が目覚めてしまったらしくて街に近付いてこない」

「げー! 外を探せっての!?」と、礼も忘れてアニスが大声をあげた。

「左様。ブウサギの名前はアウグスト。赤いリボンをつけているから外を歩いていてもすぐに分かるだろう。意外に行動範囲が広いのであちこちくまなく捜してみてくれ。頼んだぞ」

「……やれやれだぜ」

 ルークは肩を落とし、息を吐いた。



 幸いにして、アウグストは街の門を出てすぐの木の陰に隠れており、発見は容易だった。野に出たとはいえ、結局はエサを取れずに人里に戻ってきていたのかもしれない。

「アウグスト! よかった!」

 連れ戻すと、グレン将軍は破顔して赤いリボンを巻いたブウサギに駆け寄った。

「これでブラッドペインを貸してくれるな」

「もちろんだ。それとアウグストのことは父上には内密にな」

 大事そうに皇帝下賜のブウサギの毛並みを撫でて言った将軍を眺めて、「やれやれ、この分ではいつか、マルクトの廷臣間にもブウサギがはびこることになりそうですね」とジェイドは小声で呟いていたものである。



「槍も借りることが出来た訳ですし、明日はダアトへ行きましょう」

 譜術封印アンチスペルを施して槍の干渉音を止めると、仲間たちを見渡してナタリアが言った。

預言スコアの取り扱いを巡る国際会議について、イオンに相談しなければなりませんわ」

「今度は帰りたくないなんて言わないよな」

 少しからかう口調でルークが言うと、「そ、そんなこと言ってないじゃん!」とアニスは唇を尖らせた。

「そうね。ダアトへ行きましょう。ローレライの鍵についても導師のご意見をお伺いしたいし……」

「……ローレライの鍵、か」

 ティアの声を聞いて、ルークは呟く。

「ご主人様、本当にローレライさんから貰ってないですの?」

「ねぇよ。そんなの」

 小さくミュウに返して、ルークは僅かに視線を下に向けた。




 こうして、一晩セントビナーで休息した今、一行はアルビオールに乗ってダアトを目指している。

「大佐、どうかしたんですか?」

 考え込む様子のジェイドに気付いて、側の座席に座っていたティアが声をかけてきた。

「ローレライの鍵を送る……というのは、一体、どういう方法なのでしょうね」

「ローレライの鍵は第七音素セブンスフォニムで構成されているという伝承です。本当に存在しているのなら、音素フォニム状に分解して届けたのでは……」

 生真面目にティアは答えてくる。やはり近くにいたガイが、少し困惑した顔で話に加わってきた。

「よく分からないんだが、音素フォニムと元素に分解された物質が、意志を持って誰かの元に届くということはあり得るのか? 生物は分解されれば当然死ぬよな」

「無機物ですから、再構成は……まぁ不可能ではないのでしょう」

 考えながらジェイドが言う。

「粒子化したローレライの鍵が、正しくルークの元に届くのかと言えば、ルークの固有振動数は第七音素セブンスフォニムの振動数と同じだとローレライも言っていましたから」

「同じ音素フォニム同士、引かれ合う性質が利用されている?」

 確かめるティアに、ジェイドは頷きを返した。

「ええ。言ってしまえば、ルークとアッシュ、それにローレライは同じ存在なのです。――固有振動数だけを見ればね。不可能ではないと思います」

 そう彼は請合ったが、ガイはやはり要領を得ない顔をしている。首を捻って疑問を口にした。

「俺にはやっぱりよく分からないが、言葉通りの鍵の受け渡しが可能なんだとしたら、どうしてルークは受け取っていないんだ?」

「それはやっぱりアッシュに聞くしかないのだと思うわ」

「……結局そこに辿り着くんだな」

 会話を続けるティアとガイの側から離れて、ジェイドは窓の側に立つと外を眺めた。流れる雲を見ながら口の中で独りごちる。

「……まさか……コンタミネーション現象か?」

 離れた場所に座って時折ミュウと言葉を交わしているルークを見やり、視線を戻して眼鏡のブリッジを指で押し上げた。

「いや……そんな筈はないか」

 否定の思いを呟く。残りの言葉は、彼の胸の中だけに落ちて消えていった。

(――それでは、あまりに辛すぎる……)


 そろそろ、崩落編から張られていた不吉な伏線が目立ち始めてきます。色々と。

 崩落編は王道展開で、一度破壊されたものが再生しもっと大きなものが形作られていく話なのですが、レプリカ編は一度完成したものをもう一度破壊していく話です。最終的には再び(歪ながら)再生はされますが、取り返しのつかないことも多いし、破壊されていく過程が(見所ではあるのですが)なかなかにシンドイ。

 

 それはそうと、街の外に逃げ出したというブウサギのアウグスト。「魔物の血が目覚めてしまったらしくて街に近付いてこない」とグレンが言うので驚きました。え!? ブウサギって、元々魔物なの…!?

 ……魔物の中にはイノシシ型のヤツがいますけど(倒すと『ポーク』が手に入る)、それを家畜化したのが『ブタ』で、ブウサギはそれの改良種…とかなんでしょうか。なんか、『アビス』の世界では、「魔物=有害指定の野生動物」っぽい感じもします。


 ダアトに到着し、教会への道を歩いていた時だった。

「ティア!?」

 前を歩いていたティアの体が突然大きく揺らいだのを見て、ルークは駆け寄ってその体を支えた。

「……ご、ごめんなさい。少し眩暈がして……」

 ルークの腕にぐったりと身を預けて、ティアは何かをこらえるような表情をして顔色を真っ青にしている。

「私、イオン様を呼んでくる!」

 言うなり、アニスは教会の方へ駆け出していった。

「平気よ。薬が切れてしまっただけだと思うわ」

 覗き込むルークに微笑みかけながら、しかしティアの声は小さく、息は浅い。

「でも……」

 不安げにルークが言った時、後ろからジェイドの冷静な声が聞こえた。

「おかしいですね。薬が切れただけならそれほど顔色は悪くなりませんよ」

「どういうことだよ。もしかして酷くなってるってのか?」

 ティアを支えたまま顔を向けて、ルークは詰問のような声を出す。

「それはないと思うわ。障気を吸わなければ進行しない病気だもの」

「とにかく、教会まで歩けるか? そうしたらアニスが休む場所を用意してくれてるだろうから」

 取り成すように囁くティアを見ながら、ガイは心配と後悔を目に浮かべていた。

 ティアが障気に体を蝕まれていることは、仲間たちの全員が承知していたことだ。だが、普段は全くそれを感じさせないように振舞う彼女の気丈さに誤魔化されて、つい無理をさせてしまったのかもしれない。

「ええ……。大丈夫。ありがとう」

 務めて明るくティアは返す。ルークの腕から身を離し、自ら先に立って歩き始めた彼女の肩に、ルークはそっと腕を回した。触れるか触れないかの距離で。

 ティアはきっと、支えられることをよしとはしないだろう。それでも、彼女がよろめいたならすぐに抱き止めることが出来るように。





 教会に入ると、イオンが駆け寄ってきた。

「みなさん! ティアが倒れたと聞きましたが……」

「イオン様……。大丈夫です。すみません、ご心配をおかけして」

「……ティア。とても大丈夫とは思えませんよ」

 力なく微笑むティアの顔色を見て、イオンは深刻に声を震わせる。

「そういえば、アニスはどうした?」

 辺りを見回してガイが言った。イオンがいるのに、彼女の姿は見えない。

「あれ、先にルークの所へ戻ると言っていましたが……」

「来てないぜ」

 ルークが言うと、イオンは僅かに眉根を寄せたものの、すぐに切り替えてルークたちを促した。

「仕方ないですね。すぐ戻ってくると思いますから、先に僕の部屋へ行きましょう」




 イオンに強く説き伏せられて、ティアはイオンのベッドに体を休めた。

「おかしいですね。新たに障気を吸わない限りは、ここまで消耗するとは思えません」

 ぐったりした彼女を診ながら、イオンが表情を曇らせている。

「プラネットストームには障気が混在している恐れもありますが、その程度なら音譜帯を抜けた後、大気圏外に離脱してしまいます。影響はないと思うのですが……」

「まさかプラネットストームの活性化で、また障気が発生してるとか……」

 腕を組んで述べたジェイドに、ルークが不安げな顔を向けて言う。

「やはり、ティアの体に蓄積した障気の除去を考えた方がいいのではなくて?」

 ナタリアの声も心配に満ちていた。横たわるティアから目を離さずに言うと、「それは無理だって、ベルケンドで言われたじゃない」と、掠れた声が返ってくる。

「それよりナタリア、預言スコアについての会議を導師に提案するんじゃなかったの」

「それはそうですけれど……」

 イオンはじっとティアの様子を見つめていたが、やがて顔を上げると口を開いた。

「……あの実は、僕、ティアの障気を無くす方法に心当たりがあるんです」

 ハッとして、全員がイオンに視線を集める。心なしか青ざめた顔で目を伏せ、「ただ、それを行うには、僕の……」と、彼が言いかけた時だった。

「イオン様! 大変です!」

 勢いよく扉を開けて、アニスがイオンの私室に飛び込んで来た。

「アニス。どこへ行っていたんです」

 イオンが僅かに声に乗せた咎めの色も気にせず、駆け寄って大声で訴える。

「それが、外が大変なんです!」

「外がどうしたんだ?」

 ただならぬ雰囲気を感じ取ってルークは訊ねた。ティアも、ベッドに半身を起こす。

「障気がばーんと出てきてマジヤバですよぅ! イオン様! 来て下さい!」

 両腕を振り回してそう告げると、アニスはイオンの腕を引っ張って、有無を言わさず部屋から駆け出て行った。扉が荒々しく閉じる音が響く。やや呆気に取られた空気の中に、ガイの訝しげな声が落ちた。

「また障気が出てくるなんて、一体どうなってるんだ」

「障気は消滅した訳ではありませんので、漏れ出る可能性はゼロではありませんでしたが……。偶発的なものとは思えませんね」

 ジェイドが言う。ティアはベッドから降りると、強い表情で仲間たちを促した。

「私たちも様子を見に行きましょう!」

「ティア! あなたが倒れたのは、障気の復活を敏感に感じ取ったからかもしれませんわ。ここに残りなさい」

 母親のような口振りでナタリアが命じる。

「そうだぜ。またぶっ倒れちまうぞ」

 ルークもそう言ったが、ティアは表情を揺るがさなかった。

「障気が復活したのなら、どこにいても同じよ」

「無茶ばっかり言いやがって……」

「でも事実よ」

 冷徹な顔でティアは言い張る。こうなれば彼女はテコでも動かないことを、ルークは今までの旅で知っていた。

「……分かった。無理はするなよ」

 小さく息を吐いてそう言う。

「ええ、ありがとう」とティアは頷いた。


 まっすぐで、でも頑ななティア。

 感情よりもやるべきことを優先させる。悩んだり落ち込んだりする前に、出来ることから一つずつ。

 それはティアの長所で美点なのですが、短所でもありますよね。

 己の身を削り、感情を殺して、自分の血を吹き出させたまま行動する。そうすることで大局的には周囲を救うことが出来るけれど。それはいつか自分自身の息の根を止めかねないのは勿論、親しい人を傷つけることもある。

 それにティアが気付くのは……いつなんかなー?


 イオンの私室から教会の出口へ向かうには、転移の譜陣を使わねばならない。転移が完了して光に塗り潰された視界が元に戻るなり、周囲を剣を構えた神託の盾オラクル兵たちに囲まれている事に気付いて、ルークたちはハッと身を強張らせた。

「なんだ!?」

 ガイが叫ぶ。ヴァンとモースが教団を支配していた頃ならいざ知らず、現在は神託の盾オラクル騎士団に襲われる理由などないはずだ。

「動くな」

 背後から冷徹な女の声が聞こえた。

「リグレット教官!」

 振り向いて、ティアが叫ぶ。教団兵に左右を護られ、譜銃を構えた金髪の女が冷たい目でこちらを見ていた。

「これは何の真似だ!?」

「今、お前たちに動かれては迷惑なのだ」

 問い質すルークに、リグレットは静かに返す。

「それにローレライの鍵についても聞きたいことがある。大人しくしてもらうぞ」

 その時だ。神託の盾オラクル本部へと続く扉が荒々しく開き、一頭の巨大なライガが躍り込んできて兵士たちに襲い掛かった。リグレットがそれに気を取られた刹那、ティアが連続して二本のナイフを投げ放つ。しかし一本は軽く首を傾けたリグレットの背後の壁に突き立ち、もう一本は譜銃で受け止められた。

「投げに移る動作が遅いと言っただろう! 同じ間違いを二度犯すな」

 鋭く叱りつけ、リグレットは譜銃を持った腕を振るう。刺さっていたナイフが床に落ちて高い音を立てた。

「……くっ」

 ティアは悔しげに唇を噛む。

 その前に、ヌイグルミを抱えた黒衣の少女が駆け込んで来た。妖獣のアリエッタだ。兵たちの息の根を止めたライガが、彼女の隣りに並び立った。

「……イオン様に何をさせるの。リグレット」

 リグレットを睨む少女の声は低く強張っている。

「アリエッタ! そこをどきなさい!」

「イオン様に第七譜石の預言スコアを詠み直しさせるって本当なの!?」

 アリエッタの叫びを聞いて、ティアが青い顔色を更に青ざめさせた。

「導師イオンに惑星預言プラネットスコアを詠ませる? そんなことをしたら……」

「体の弱いイオン様は死んでしまう! アリエッタ……そんなの許せない!」

「モースを動かすにはそれが一番簡単なエサよ」

 悲憤を滲ませたアリエッタに対し、リグレットはどこまでも冷静な顔をしている。

「あなたが望むフェレス島復活のためには必要なの。分かるわね?」

 最後に子供を宥めるように微笑んだが、次にアリエッタが声を投げたのは背後に立つルークに向けてだった。

「ルーク! イオン様はアニスがここの教会にあるセフィロトへ連れてった」

「アニスが!?」

「アリエッタ! 裏切るの!?」

 初めて、リグレットの顔に怒りと焦りが浮かぶ。

「ヴァン総長は、イオン様を殺さないって言ってたもん! 裏切ったのはリグレットたちだよ!」

「ルーク! 例の隠し通路へ行きましょう。確かにアニスの様子はおかしかった」

「分かった。アリエッタ、ありがとう!」

 鋭く促したジェイドに頷き、アリエッタに礼を叫ぶと、ルークは仲間たちの背を追って走り出した。ティアは最後まで残ってリグレットを見ていたが、すぐに同じように駆け出す。階段を駆け登る背に、争う物音とライガの咆哮が届いた。





 教会の奥にある、今は使われていない資料室。そこに駆け込んだルークたちは、モースとアニスに挟まれて連れられていくイオンに追いすがった。

「待て!」

「ルーク!」

 驚いたようにイオンが叫ぶ。モースとアニスも足を止めた。

「どうしてここにモースがいるんだ! ――それにアニス、これは一体どういうことなんだ?」

 低くルークが問い質すと、アニスは声を震わせてうな垂れる。

「……それは……」

「ぬぅ……リグレットめ。こんなガキ共すら足止め出来んとは!」

 モースは、何恥じることなく教団の法衣を着ていた。歯軋りをし、アニスを見下ろしてきつく命じる。

「アニス! ここは任せたぞ! 裏切ればオリバーたちのことは分かっているな?」

 うな垂れたまま唇を噛んだアニスを残し、モースは法衣の裾を翻した。特に抵抗らしいことも出来ずに、イオンは転移の譜陣のある部屋へ連れられていく。

「おい、アニス! オリバーさんたちがどうしたって言うんだ?」

 残ったアニスをガイがただしたが、少女は両手を握ってやけになったように怒鳴り返した。

「うるさいな! 私は、元々モース様にイオン様のことを連絡するのが仕事なの!」

 そして、負っていたヌイグルミを外してガイに投げつける。彼がそれを受け止めた一瞬の隙をついて、少女はモースの後を追って駆け出していた。

「待ちなさい!」

 ジェイドが叫び、ルークを先頭にして仲間たちも追う。

 だが、それ以上アニスたちを追うことは出来なかった。アニスは転移の譜陣に駆け込んで消えたが、後に続こうとしても譜陣が全く反応を示さなくなっていたからだ。

「駄目ですね。反応しません」

 幾度か試した後でジェイドが言った。何かの設定が変更されたのだろう。ルークは苛立たしげに靴の踵で譜陣を踏みつけたが、何回そうしても事態が変わるはずもなかった。

「他にセフィロトへ行く方法はないんでしょうか」

 どこか途方に暮れてティアが問う。しかしその答えを返せる者はこの中には存在しない。

「まさかアニスとモースが繋がっていたなんて……」

「何か事情があるはずだ! じゃないと……」

 動揺した声を交わすナタリアとルークに、「訳ありなのは確実だろ」とガイが浅く笑いかけた。幼なじみたちを落ち着かせるように。

「おい、これを見てくれ」

 彼は先程からずっとアニスのヌイグルミを調べていたのだが、それを差し出してくる。近付いて覗き込んだルークは、ヌイグルミの負った袋に細く折りたたまれた紙が差し込まれていることに気が付いた。紙には文字が書いてある。これは……。

「手紙を持ってるな……」

 それを引き出して広げ、ルークは声に出して走り書きのような文章を読んだ。

ザレッホ火山の噴火口からセフィロトへ繋がる道あり。ごめんなさい

「アニスからですわね」

 傍らから覗き込んでナタリアが言う。

「それにしても、モースのあの口振りだと、まさかご両親を人質に取られているのでは」

「そのようですね。まあ、元々モースの回し者スパイだったのでしょうが」

 ジェイドが言った。アニスの様子がおかしいことは前々から気付いていたが――まさか、イオンに害が及ぶようなことをしでかすとは思っていなかった。事態を読み切れなかった自分の失態だ。

「とにかく今はアニスの手紙を信じて、ザレッホ火山に行ってみましょう。イオン様に惑星預言プラネットスコアを詠ませては危険だわ」

 ティアは声に緊張を滲ませている。ルークは疑問に思っていたことを口にした。

「なあ、惑星預言プラネットスコアってのは、一体何なんだ? 普通の預言スコアとは違うのか?」

「普通の預言スコアは人の一生を詠み取るものだけれど、惑星預言プラネットスコアは星の一生を詠み取る大規模な未来視なの。ユリアの預言スコアもそうよ。それは、第一譜石から第七譜石までの七つの譜石に書かれているわ」

「第七譜石……? あの、地核で見つけた、あれか!」

「そうね。その第七譜石に書かれているような惑星預言は、ユリアのような強大な力を持った第七音譜術士セブンスフォニマー――教団の代々の導師、つまりイオン様だけが詠む事ができるの。でも、それにはもの凄い負荷がかかるわ……」

「負荷って……あいつ、ただでさえ弱っちいのにそんなことして平気なのか?」

 ルークは眉根を寄せる。イオンは、ダアト式封咒の扉を開くだけで真っ青になって倒れていたのだ。ティアは悲しげに瞳を伏せた。

「……平気なわけないじゃない……。導師イオン……」

「ええ。それにイオン様はレプリカです。レプリカの肉体を構成する原子は第七音素セブンスフォニムだけで繋がれている。第七音素同士は引き合います。大量の第七音素の制御を必要とする惑星預言プラネットスコアを詠めば、その瞬間に体内の第七音素が引き出されて尽き果て、音素フォニム乖離を起こして亡くなられてしまうことにもなりかねない」

「アルビオールならザレッホ火山へも進入出来ますわ。急ぎましょう!」

 ジェイドとナタリアの張り詰めた声が聞こえる。

「そうだな。なんとしてもイオンを助けないと」

 アニスの残したメッセージに目を落として、ルークは深く頷いた。

「イオン……死ぬなよっ!」


 この辺りは、原作から結構改変を加えています。

 基本的に、このノベライズは(便宜上、サブイベントの発生時期などのシチュエーションはいじってますが)設定を記した文章は あまりいじらないように心がけてきたんですが、「惑星預言とは何なのか」「どうしてそれを詠むとイオンが死ぬのか」という点に関しては、原作どおりの説明だとイマイチ分かりにくいというか、変な感じがしたからです。攻略本に書かれた設定等参照しても、どうしても納得できなかったので、自分が理解できる形に変えてしまいました。それはご了承下さい。

 

 ちなみに、元々の原作では、ジェイドやティアはこんな風に語っていました。

「ええ。イオン様はレプリカです。惑星預言プラネットスコアを詠めば、その瞬間に体内の第七音素セブンスフォニムが尽きて亡くなられてしまうでしょう」

惑星預言プラネットスコアには星の一生が詠まれているの。第七譜石に書かれた預言スコアがそうよ」
「第七譜石……? あの、地核で見つけた、あれか!」
「そうね。その第七譜石に書かれている惑星預言は、導師、つまりイオン様だけが詠む事ができるの。でも、それにはもの凄い負荷がかかるわ……」

 原作の説明では「第七譜石に書かれた預言=惑星預言」で、「第一から第六の譜石に書かれたユリアの預言は惑星預言ではない」、「イオンはレプリカなので惑星預言を詠むと体内の第七音素を消費して死ぬ」という風に読めちゃいます。

 つまり、「イオンはこれからユリアの第七譜石の預言を詠まされようとしている。そして第七譜石は導師にしか詠めない。それを詠むと、元々の健康に関係なく、レプリカの特殊な体質のせいで必ず死ぬ」と思えてしまいます。

 しかし、私はそれでは理屈に合わない、つまりは説明が足りていないと思うのです。この件に関しては、後でもう一度自分の考えを書きます。

 

 他にも一つ。原作ゲームでは、アニスは背中からパッと青いトクナガみたいなヌイグルミを出してガイに投げつけます。その青いヌイグルミが手紙を持っていたというわけです。しかし、その青いヌイグルミはどこに隠し持っていたのか、こんな切羽詰った時にわざわざ専用のメッセンジャー人形を用意する余裕があったのかなど、考えるとややこしい気がするので、負っていたトクナガそのものを投げつけるという形に変えました。これでも話に齟齬は出ないし、むしろスッキリすると思いましたので。

 勝手な想像ですが、これ、シナリオではトクナガを外して投げつけてたのを、ポリゴンキャラにその演技をさせるのが手間だったため、こういう形に変えて誤魔化したんじゃないかなーと感じたのでした。だとしたら演技の制約のないノベライズで踏襲する必要はあるまい、と。

 実際、ルークの日記には「その時ガイが、アニスのトクナガを持ってきた。そこにはアニスからの手紙が挟んであり」と書いてありますし。


 ルークたちは資料室から教会の一階へ引き返した。

「アリエッタがいなくなってたな……」

 ガイが言う。ここに来るには、リグレットに待ち伏せを受けた譜陣の並ぶホールを再び通らねばならなかったのだが、そこは既に静まり返っていたのだ。

「リグレット教官も……。あの二人どうしたのかしら……」

「相打ちでも死体は残っている筈ですからね」

 さらりと語ったジェイドを、ナタリアが足を止めて軽く睨んだ。

「大佐! アリエッタは敵とはいえわたくしたちを助けてくれましたし、リグレットはティアの教官でしたのよ。もう少し言葉を選びなさい」

「これは失礼」

 ジェイドは俯いて失笑し、軽く眼鏡を押さえる。

 その時、詠師トリトハイムが教会の出口の方から歩いてきて、ティアに気付くと足早に近付いて来た。

「おお! ティア! アリエッタから話を聞いたぞ。モースが導師イオンを連れ去ったそうだが……」

「はい。これからザレッホ火山へ救出に参るところです。ところでアリエッタは……」

「怪我を負っていたのでオリバーたちの部屋に休ませている。しかし亡くなった筈のリグレットとアリエッタが現われたり、障気が復活したり……。全くどうなっておるのかの」

 トリトハイムは困惑しているようだった。無理もないだろう。つい一ヶ月前に大変革が起こり、その対処にも苦慮していたところだというのに、異変は後を絶たないのだから。彼自身は元々預言スコアに従うことに疑問を感じない保守派だったのだから、変化の激しさには振り回され気味なのかもしれない。

「障気が復活したっていう話は本当だったんですね?」

 ルークが確かめると、トリトハイムは頷いて言った。

「うむ。おかげで街は混乱している。気をつけて行きなさい。こちらも急いで火山に神託の盾オラクル騎士団を差し向けよう」

 そして気忙しそうに立ち去りかけ、思いついたように足を止めた。

「そうだ。どこかでオリバーたちを見かけたら、すぐに戻るよう伝えてくれ。アリエッタの面倒をみる者がおらんのだ」

 そう言い足して、今度こそ去る。その背を見送りながら、ガイが小さな声で言った。

「なるほど。こいつはアニスの両親が人質に取られてるって線が濃厚だな」

「ああ、なんとかしてやらないとな」

 ルークも小さな声で返す。

「それにしても、リグレットの狙いは何なのでしょう?」

 トリトハイムの姿が見えなくなると、ナタリアが誰に言うともなく問うた。

「導師イオンに預言スコアを詠ませることは、ヴァンの意志とは反するはずですが……」

 ジェイドが返す。ヴァンは預言スコアに支配された世界を嫌悪し、レプリカの世界と入れ替えようとしていたのだ。なのに、ヴァンの指示で動いているのだろうリグレットは、何故今になってイオンに惑星預言プラネットスコアを詠ませようとするのだろう。

「ああ。それに気になることを言ってた。モースを動かすエサだとか……」

 ガイは表情を曇らせる。ルークは声をあげた。

「ともかくイオンたちを追わないと! もし預言スコアを詠まされちまったら、マジで死んじまうぞ!」

「アリエッタも導師イオンの死は望んでいなかった。六神将も今は完全な統制が取れていないのよ」

「そのようですね。とにかく、グズグズしている暇はありません」

 ティアが言い、ジェイドが同意する。

「アニスも気になるしな」

「ああ、急ごう!」

 ルークはガイに頷きを返した。

 そして、一行は足早に教会の正面扉を抜けたのだが……。





 教会の扉の向こうに広がる街並みは、薄紫のもやの中に霞んでいた。一ヶ月と少し前の魔界クリフォトの光景そのままに。

「くそ……。これもローレライがどこかに閉じ込められているせいなのか?」

 ルークは歯噛みする。以前の旅で一つ一つ積み上げていったものが、砂となって脆く崩れてしまったかのようだ。

「だとしたら……ヴァンは本当に……」

 美しい眉を曇らせてナタリアが呟いている。

「兄さん……生きているの?」

 ティアは不安そうにか細い声を落とした。――次の瞬間、激しく咳き込む。

「ティア! 大丈夫ですの?」

 驚いたナタリアが覗き込んだが、ティアは口元を押さえた手を下ろして、

「ええ……。障気に当てられただけ」と、ぎこちない笑みを浮かべてみせた。

 ティアの障気蝕害インテルナルオーガンは確実に進行している。風邪のような咳は、この蝕害の典型的な症状だ。

「ティアの体は、障気の復活を知っていたんだな」

 痛ましげな目をしてガイが言った。だが、ティアは殊更に明るい声を出す。

「私は平気よ。今はイオン様を追いかけましょう」

「ティア、ごめんな。助けてやれなくて……」

 己の無力を噛みしめて、ルークはただ謝罪を口にした。

(俺は、いつだってティアに何もしてやれない……)

 ――ティアは、ずっと俺を助けてくれていたのに。

「馬鹿ね。そんなこと気にしている場合じゃないでしょう。それより急ぎましょう」

 むしろ気遣うように微笑んで、ティアは青い顔でルークを促す。なす術もなく、ルークは頷いて市街へ続く階段を降り始めた。



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