アイヌラックル〜飢饉と幸の女神


 地上を襲った危機を次々救ったことで、アイヌラックルの勇名はいやがおうにも高まりました。

 そんなある年のこと。海の漁、川の漁、山の狩、全てがさっぱり思わしくなく、食べるものがなくなって、人間たちは打つ手も尽き、もはや飢え死にするのを待つだけ、という状況になりました。

 魔神相手であれば、刀で斬り伏せることも出来ます。ですが、相手が飢えでは刀ではどうしようもありません。アイヌラックルは自分の館に蓄えてあった木の実、草の実、川の幸、海の幸を人間たちと分け合って食べることにしましたが、すぐになくなってしまい、ついには自分の食べ物にも事欠くようになってきました。そこで最後に残った稗で酒を作り、幸の女神に祈りを捧げました。

 アイヌラックルの必死の祈りは幸の女神に届きました。彼女の家の窓に酒の満たされた杯が現われ、アイヌラックルの言葉を伝えたのです。

「狩猟の神 尊い神よ、私の声を聞いてほしい。私の名はアイヌラックル。人間の集落が飢饉に襲われ、最後の稗 最後の麹を集めて この酒をかもした。尊い神に仲介をお願いし、神々に幸を願っていただきたい」

 他ならぬアイヌラックルの、それも飢え死に覚悟の願いとあっては放ってはおけません。幸の女神はトンコリ(アイヌの楽器)をかき鳴らして美しい声で歌い、天上の神々を自分の館に集めて賑やかな酒宴を始めました。

 幸の女神は歌い舞いながら神々をもてなし、その話を聞いて回りました。国造神が酒も飲まずにムスッとした顔をしているのを見て、近づいてみると、杯の酒の中に人間の女の髪の毛が一本、浮かんでいるのです。

「近頃の人間は神に捧げる酒も粗末に扱うのか」

 国造神はそんな風に言ってむくれています。咄嗟に、幸の女神は「あら、大変失礼いたしました。それは私の髪の毛ですわ。すぐに新しいお酒を用意いたしますから、どうぞお許しくださいまし」と謝りました。

「なに? そうであったか。同じ髪の毛でも、女神のそれとあっては不浄なものではない。わしも早とちりしたようだ」

 国造神は機嫌をなおして にこやかになりました。

 それから、鹿の神と魚の神が並んで腰を下ろして話を交わしているのを聞くと、こんなことを言っているのです。

「近頃の人間はどうだ。私の眷属たる鹿を客として降ろしてやっても、さっぱり感謝もせず、もてなしもせず、頭をポツンと切って、木幣イナウもやらないで ただ捨てるだけ。鹿の霊は泣きながら天に帰ってくる」

「私のところもそうだ。私の眷属たる魚を客として降ろしてやっても、流木の上で腐れた木で叩かれ、時には石で叩かれ、魚の霊たちは腐れた木をくわえ 石をくわえて、泣きながら天に帰ってくる。こんな礼儀知らずの人間どもに、どうして幸を授けてやれるだろうか」

 ああ、それで神々は人間界に何も降ろさなくなったのだ、と幸の女神は悟りました。幸の女神は歌い舞いながら訴えました。

「でも、鹿の神、魚の神。今、集落コタンの者たちは、食べ物がなくて飢え死にしそうになっています。あのアイヌラックルでさえも。神というものは、人間を助けてこそ拝まれ、尊ばれるものではありませんか。鹿を降ろしてやってください、魚を降ろしてやってください。アイヌラックルのためにも、どうかお願いします」

 この訴えを聞いて、鹿の神、魚の神をはじめ、他の神々も心を動かされました。

「それでは、鹿の骨一つだけ投げ下ろしてやろう」

 そう言って鹿の神が骨を一つ地上に投げ落とすと、沢山の鹿の群れが現われて地上を駆け回りました。

「それでは、魚の骨を一つだけ投げ下ろしてやろう」

 そう言って魚の神が骨を一つ地上に投げ落とすと、川は魚で溢れ、上になった魚は背中が太陽で焼け焦がれ 下になった魚は川底の石でお腹が擦り剥けるほどでした。

 こうして、再び地上には鹿や魚が満ち溢れることになりました。神々は夢で事の次第を人間たちに教えたので、人間たちはお酒と木幣で神々への失礼を詫び、それからは鹿にも木幣を捧げ、獲った魚を叩くときには聖木とされる柳の棒で叩くようになりました。

 こんなわけで、神と人との仲介者であるアイヌラックルの名は、また一段と高く人々の間に知れ渡ったのです。 




アイヌラックル〜初恋と結婚


 時は流れ、アイヌラックルは立派な若者になりました。刀の鞘の彫刻も、今では素晴らしく上手に出来ます。

 そんなある日のこと、アイヌラックルは森に狩りをしに出かけました。すると、小さな泉のほとりで誰かが休んでいます。どうやら女のようです。

 そうっと覗いてみて、アイヌラックルは息を呑みました。色鮮やかな羽根の衣を身にまとった、今まで見たこともないような気高くも美しい天女です。彼女こそは噂に聞く霊鳥ケソラプの女神に違いありません。

 アイヌラックルはしばらく魂を抜かれたように ぼうっと見とれていましたが、我に返り、駆け寄って女神を抱きしめようとしました。自分の妻にするならこの女神しかいない、と思ったのです。あぁ、青春の暴走。でもいきなり抱きしめたら変質者ですよアイヌラックルさん。

 けれども、女神に隙はありませんでした。さっと腕をすり抜けて空へ舞い上がり、そのまま天に帰ってしまったのです。

 それ以来、アイヌラックルは半病人のようになりました。夜は眠れず、ご飯も喉を通らず。養い姉が心配してあれこれと尋ねるのですが、心ここにあらずで生返事ばかりです。

(どうも、これは重症の恋の病だわ。どうにかしてあげなければならないわね)

 賢く優しい養い姉は、窓辺に来た小鳥に頼んで、ケソラプの女神にこのことを伝えてもらいました。すると、女神はすぐに六重の大青空、六重の星居の空、六重の雲居の空を駆け下りてきて、アイヌラックルの館の窓にとまって優しく言って聞かせたのです。

「アイヌラックルよ、私はケソラプの女神です。私を想ってくれるのは嬉しいのですが、あなたにはまだまだ やるべきことが沢山あるはずですよ。

 川をさかのぼって沙流川の源に行くと、大きな湖があります。そこをこっちの岸 向こうの岸と飛び回っている、黄金のとっくり 白銀のとっくりがあります。二つのとっくりの一方には山に居る良い神々、一方には人間に悪さをする魔神の姿が彫ってあるのです。

 また、川を下って海を渡ると、大きな海の井戸があり、中を黄金の鉢 白銀の鉢が飛び交っています。それには海の善神と魔神の姿が彫ってあるのです。

 アイヌラックルよ、それを持ち帰って、人間たちに善神・魔神の姿を教えておやりなさい。もしも行く気があるのなら、しばらくの間 私の翼の力を貸してあげましょう」

 こう言って女神が飛び去った後も、アイヌラックルは暫く ぼうっとしていました。それはそうでしょうね。けれども、そのまま腑抜けていたばかりではありません。気を取り直すと、ある日 川をさかのぼって出発したのです。

 道中、魔神たちの妨害はありましたが、それを父神譲りの火を噴く刀で斬り伏せ、飛び交うとっくりと鉢を女神の翼の力で手に入れました。

 こうしてそれに刻まれた神々の姿を人間たちに伝えたので、今まではっきりしなかった善神と魔神の姿が判るようになり、どの集落の人間たちも こぞってアイヌラックルを讃えるようになったのです。

 

 それからまた、ある日のことです。アイヌラックルはあちこちの集落の様子を知ろうと、幌尻岳ポロシリだけを登って行きました。この山は天界の一部と言われている神域でもありました。アイヌラックルはそこから下の集落をぐるっと見回していましたが、日が傾き始めたころ、なんだか辺りがざわざわと騒がしくなってきた気がしました。

(こんなところに、一体誰がいるんだろう……)

 不思議に思ったアイヌラックルは、そっと声のする方に近寄っていきました。見ると、天から次々に神々が降りてきて、楽しそうに談笑しています。

(ははぁん、ここが噂の神々の遊び場カムイミンタラなのだな。)

 血筋正しく、他の神々にも一目置かれているようなのに、遊び場がどこにあるのか今まで知らなかったようです、アイヌラックル。実は除け者にされていたのでしょうか?

 ともあれ、アイヌラックルがこっそり見ていると、そうとは知らない神々は歌ったり踊ったり、実に楽しそうに遊び始め、その美しさ楽しさにアイヌラックルも思わず見とれてしまいます。やがて白々と夜が明け始めましたが、その時、天から黄金のシンタに乗った姫神が降りてきました。他の神々は遊び疲れて帰ってしまいましたが、この姫神は一人残り、衣を脱いで、泉で水浴びを始めました。

 その輝くばかりの美しさ、白い肌を見て、アイヌラックルの胸は高鳴りました。っていうか、これではただの覗き魔です。

 しかし、ただの覗き魔で終わらなかったのが彼の潔いところ(?)。騒ぐ心を抑えられず、アイヌラックルは姫神の前に躍り出しました。そして脱いであった姫神の衣を奪ったのです。覗き魔に飽き足らず、下着泥棒ですかアイヌラックルさん。アイヌラックルは姫神の衣を握り締めたまま言いました。

「私は、この地上に住むアイヌラックル。あなたは高貴な神の姫君と見た。どうか私の妻になってほしい。いい返事があるまではこの衣は返さないぞ!」

 驚きと恥ずかしさのあまり、姫神は口もきけません。けれども思い切りはよい方でした。彼女は素裸のままシンタに飛び乗ると、そのまま天に帰ってしまいました。

 あーあ……。衣ではなくてシンタの方を奪っていればよかったのに。

 がっかりしたアイヌラックルは、それからというもの、持って帰った姫神の衣を見ては ため息ばかりついていました。でも、こんなことではどうしようもありません。一念奮起して、何か手がかりがないか、もう一度会えないかと、再び幌尻岳に登って行きました。すると、姫神はいませんでしたが二人の女神がいて、なにやらおしゃべりしています。例によってそっと盗み聞きしたところ、あの姫神は天の大神の娘であること、今、原因不明のふさぎ病で寝込んでいることが分かったのです。

(なんと、あの姫神が床についておられるとは……)

 アイヌラックルはもういても立ってもいられず、六重の雲を掻き分けて天に昇り、探し探して、雲の間に燦然と輝く黄金の館を見つけ出しました。

「あれこそ、大神の館に違いない」

 館に入り、中にたなびく雲を掻き分けて奥に進むと、炉端の正座に一人の老人が座っています。威厳のある様子で、これこそ天の大神に違いありません。その側にはあの姫神が床についています。アイヌラックルに気がつくと、姫神は身を起こし、恥ずかしそうに目を伏せました。

「そなたは誰だ。何の用があってここまでやってきたのか」

 大神が問いました。

「私は地上に住むアイヌラックル。先日、神の遊び場でそちらの姫神を見初め、求婚しましたが、姫神は返事をせずに逃げてしまわれた。それ以来 姫神のことが忘れられずにいましたが、聞けば、原因不明の病で床についているというではありませんか。それで矢も盾もたまらず天に駆け上ってきたのです。天の大神よ、どうかあなたの娘を私の妻にしてください」

「なるほど……娘がふさぎこんでいたのは、こういうわけであったのか」

 話を聞き終わると大神は言いました。

「いいだろう。だが、お前たちが夫婦になりたいと望むのなら、その前にやらなければならないことがある。この天上に伝わる様々な語り伝えと共に、臼、杵、櫛、衣類、刺繍などの一切の知識と技術を、下界の人間たちの間に伝え広めてくるのだ」

 それは大変なことでした。まずは、アイヌラックルと姫神は座って様々な物語を聞かされ、それを覚えなければなりませんでした。胸躍ったり愉快だったりする物語ばかりでしたが、厄介なことに、その間決して笑ってはならないというのでした。けれども、彼らは難題を果たして地上に降り、それを人間たちに語り伝えました。

 こうして無事に二人は結婚し、人に文化を伝えた神として讃えられたということです。 




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 アイヌラックルの結婚話は多数存在して、妻の出自も一定していません。婚約者との仲を魔神に妨害されて、派手に立ち回って戦う話が多いようですが、ここではより神話的なエピソードを選びました。
 アイヌラックルが姫神の衣を取っちゃう話……どこかで見たことがあるなぁ。
 あっ、そうだ、『天女の羽衣』!
 そうですね。白鳥乙女(羽衣、天人女房)系のモチーフは世界中の伝承で見ることが出来ますが、アイヌの伝承にもこうして現われています。
 ふーん……世界中の人が好きな話なのかな?
 ところで、どうして魚を棒で殴るんだろう。
 釣りをしない人には分かりにくいでしょうか?
 釣り上げた魚は元気よくビチビチと跳ね回りますから、棒で殴って大人しくさせるのですよ。
 そ、そうなんだ……。
 同じ殺して食べるにしても、できる限り敬意を払った殺し方をして供養もしよう、糧になってくれたことに感謝しよう、という戒めなのですね。
 そうかぁ……。


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