それは、確かに獣のように思えた。闇を見通すシェゾの目をもってしてもどんな姿なのかは見て取れなかったが、なんとなく、四足の獣だという感じがした。暗闇に鬼火のような目がらんらんと燃え、フーッ、フーッとかすかな息遣いが聞こえてくる。

 魔獣か……確かにそんなに感じだな。

 シェゾがそんなことを思ったとき、何の前触れもなく、魔獣がこっちに突進してきた。

「アルル!」

 咄嗟にアルルを突き飛ばし、自分は反対側に倒れる。その間を突風のように通りぬけた影は、明らかに尋常な速さではなかった。

「シェゾ! あいつ滅茶苦茶に素早くて、呪文もろくに唱えるヒマがないんだ」

「そういうことはもっと早く言えよっ」

 言いながら、シェゾは掌から魔剣を取り出した。両手で構える。

「アルル、ライトを唱えろ! こう暗くちゃいくら俺でも不利だ。俺が時間を稼ぐから、光系の魔法で攻撃しろっ」

「で、でも半端な威力の呪文じゃ……」

「だから俺が時間を稼ぐって言ってるだろ。増幅版のじゅげむでもぶちかましてやれ!」

 シェゾは剣を手に部屋の中央に踊り出た。

 「来やがれ!」

 格好の獲物を引き裂こうと、魔獣が飛び掛ってくる。速い。シェゾは最小の動きでそれをかわした。こういう場合、こちらも無理に速く動くよりは、こうして気配を読んで最低限に動いた方がいい。

「ライト!」

 アルルの声が聞こえた。その手から放たれたのだろう、光球がまばゆく周囲を照らす。目がくらむほど明るく輝いたのは一瞬で、すぐに薄ぼんやりとした程度に光度は落ちたが、それはさして問題ではない。

 明かりの下で見ても魔獣ははっきりとした形をもたなかった。というより、影のようなもやがそれを覆い、ゆらゆらと立ち上っている。闇の獣は明かりに戸惑ったのか、動きを止め、二の足を踏んでいるようだ。すかさず、シェゾは唱えていた呪文を解放した。

「エクスプロージョン!」

 爆散する炎を生み出す火系の上位魔法だ。大抵のものなら巻き込み、燃やし尽くしてしまう。だが、意外なほどに魔獣がそれでダメージを受けている様子はなかった。

 なんだ? 魔法が効かないのか……? 俺が闇の魔導師だから……いや、あれは闇属性の魔法ではない。それは変だ。まるで魔法が無効化されたような……。

「ダイアキュート!」

 背後から、増幅呪文を唱えるアルルの声が聞こえた。そうだ、魔法が効くかどうかは、彼女の魔法が炸裂してから判断すればいい。

 再び、魔獣が動いた。……アルルの方へ向かっている?

「させるかっ。……闇の剣よ!」

 シェゾは鋭い一撃で魔獣を切り裂いた。会心の当たりのはずだ。……が。

「!?」

 ぎょっとして身を引いてしまう。

 何だ? 手応えが全くない……? 馬鹿な。確かに……。

 いくら闇の剣で闇の魔獣を斬ったのだとはいえ、ここまで手応えがないなんてことがあるのだろうか。

「じゅじゅじゅ……じゅげむ!」

 そのとき、アルルが完成した呪文を解き放った。

「……なにっ?」

 放たれた力はまっすぐに……シェゾに向かってきていた。

 咄嗟に飛びのいたが、かなりのレベルで巻き込まれてしまった。爆発するエネルギーに吹き飛ばされ、壁でしたたかに体を打つ。

「だっ……!」

 目から火花が散る思いがした。

「ごめんシェゾ、外しちゃった!」

「アルル、お前なっ……」

 ふらつく頭を押さえてアルルを睨んで、シェゾはぎょっと動きを止めた。

 アルルが立っていて、手には解放を待つ魔力が輝いている。そして、彼女はその手をまっすぐに、シェゾに向けていた。

「……アルル?」

「ごめんね。一発で、楽に終わらせてあげようと思ってたのに、外しちゃって……」

 アルルは笑っていた。そして、手のひらのファイヤーを放つ!

「シールドっ」

 即座にシェゾは障壁の呪文を唱えていた。ファイヤーがそれに阻まれて目の前で飛散する。アルルは素早く次の魔法を放とうとしたが、それより速くシェゾがアルルに飛びかかり、腕を掴みあげていた。そのまま顔を覗き込む姿勢になる。

「貴様、ニセモノ……というわけじゃなさそうだな。この魔力……。精神支配されたか」

「ひどいな、ボクはまともだよ」

「!」

 アルルが膝蹴りを打とうとし、シェゾは思わず飛びのいた。

「だって、キミは闇の魔導師なんだよ? そしてボクを狙ってる。ボクがキミを倒すのは、当然のことじゃないか」

 笑顔を張りつけたままのアルルの台詞に、シェゾはかすかに顔をゆがめた。

「……ま、その通りなんだがな……」

「ヘブンレイ!」

 自由になったアルルは爆散する光の魔法を放った。

「イクリプス!」

 対してシェゾが放ったのは、短時間ながら自分に対する物理的・魔力的問わないあらゆる干渉を阻む古代魔導の防護魔法だ。

「スティンシェイド!」

 ヘブンレイがシェゾに何のダメージも与えられないまま消滅すると、シェゾは同じく爆散する、しかし闇系の魔法を放った。

「リバイアっ」

「くっ」

 反射の呪文で、シェゾに魔法の威力が返ってくる。イクリプスの効果は短い。勿論アルルもノーダメージではないが。思わずふらついたところに、光の中で大人しくしていた魔獣が飛び掛ってきた。

「うわっ!」

 弾き飛ばされる。シェゾは呪文を唱えなおした。

「イ……イクリプス!」

 さて、どうするか……。

 浅く息をつきながら、思いをめぐらす。

 実際、今はアルルと戦っている場合ではない。しかし、こっちは……。

 ちらりと魔獣に視線を走らせる。

「やはり……こっちか!」

 剣を構え、シェゾは走った。アルルに向かって。そのまま、剣の柄をアルルの鳩尾に打ち込もうとする。だがその前にアルルの魔法が打ち放たれた。

「アイスストーム!」

「うううっ」

 呻いて、シェゾは跳び退る。

「やはり、生半可な攻撃ではお前には通じないか……」

 額から流れ落ちた血をぬぐい、シェゾは笑った。こんな状況であるのに……どこか歓びを帯びた笑み。

「いいだろう。お前に俺の最高のモノを……味わわせてやるぜ!」

 シェゾは吼えた。己の魔導力を、差し上げた剣を媒介に集中していく。マントや髪が、エネルギーの奔流の中で風を受けたようにはためく。

「ダイアキュート!」

 アルルが再び増幅の呪文を唱えていた。そして。

「アレイアードっ」

「じゅじゅ……じゅげむっ」

 二つの力が激突した。


第二回終わり



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