///アルル・ナジャ


アルル・ナジャ 性別
身長 158cm
体重 46kg
53kg(『ぷよ通』〜『ぷよSUN』)
スリーサイズ B80、W58、H80
B80、W60、H85(『ぷよSUN』)
B86、W60、H85(『ぷよ通』)
年齢 16歳
誕生日 7月22日
一般的紹介
(真魔導系除く)
ごぞんじ主人公。
明朗快活・天真爛漫・元気いっぱいな魔導師の卵で、自分のことを「ボク」と言う。

シリーズの主人公。すごい潜在能力を秘めた魔導師見習いの女の子。

 アルル・ナジャは、魔導師の卵の女の子だ。
 明るくさっぱりした性格で、自分のことを「ぼく(ボク)」と言う。また、たった一人で魔物の跋扈する世界を旅しているだけあって、物怖じせず、気の強い面もある。だからといって男まさりというわけでもなく、いたって普通の元気な女の子である。
 髪の毛は栗色で、肩のラインで切りそろえ、両サイドをたっぷり取って後ろでまとめている。髪の毛の量はかなり多いようだ。瞳の色は、金にも茶にも見える琥珀色。『ぷよ1』の頃には「金無垢の瞳」と表現されることもあった。

 ただ、(これは、角川版小説から引き継がれた表現のようだが、)何故か小説『真魔導』シリーズでは「亜麻色の髪(薄い金髪)の少女」と繰り返し書かれたり、セガが製作した『さわって! ぷよぷよ』『ぷよぷよフィーバー1』では、瞳の色が青になっていたりして、身体的特徴が異なっている。髪を染めたりカラーコンタクトを入れたりしておしゃれに気を配ったのか。それとも、単なる同名の別人なのか?


●アルルの名前
 アルルはぷよ・魔導シリーズ通しての主人公だが、そのキャラクター像には意外に揺らぎがあり、変遷を重ねている。
 初めて登場したMSX-2版の『魔導』両作品においては、彼女には名前すらなかった。プレイヤーが自分の心の中で勝手に名前をつけるという形式で、公式では「魔導の女の子」「A子」などと表現され、開発者は取説で「私は"らっこ"と呼んでます」と述べている。しかし、翌年のPC-98への移植版になって、「アルル・ナジャ」という固定名が付けられることになった。


 名前と言えば、アルルはシェゾラグナスと並んで、シリーズ中数少ない「名字ファミリーネームのあるキャラクター」だと言われることがあるが、私はこの解釈に少々の疑念を抱いている。マリィ・アンだとかポリー・アンナみたいなもので、「アルル(ファーストネーム)・ナジャ(ミドルネーム)」なのではなかろうか。(同様に、シェゾの「ウィグィィ」もミドルネームの可能性があると思っている。ラグナスの「ビシャシ」はファミリーネームで間違いないようだが。)
 というのも、「ナジャ(ナージャ、ナディア)」はロシア系の女性名ナディエージダの愛称でもあるからだ。この場合、意味は「希望」となる。この流れでアルルに日本名を付けるとするなら、「のぞみちゃん」といったところか。


●アルルの性格
 オリジナル『魔導』の人物紹介欄では、アルルは「魔導師になるために旅をする女の子。」「自分のことを"ぼく"と呼ぶ元気な少女。」と紹介されている。また、付属のカードゲームを参照するに、サタンカーバンクルを惹き付ける「優しい心」の持ち主でもあるようだ。アルルがサタンに優しくしたことなど、少なくともオリジナル『魔導』の段階では皆無なわけだが、カーバンクルに優しく接することが、間接的にサタンを惹き付ける、ということなのだろう。
 オリジナル『魔導3』には、苛められて泣いていた魔物の子・テテテを慰めるという、アルルの優しさが実際に発揮されたエピソードもある。ただ注意すべきは、アルルは決して、テテテを哀れんだり同情したりしていないし、苛めっ子たちに怒りを向けもしていない、ということだ。
泣いてないで楽しくなるように、自分の手で変えていかなくっちゃ
 アルルはさらりとこう語る。周囲がどうだということは関係なく、自分の心のあり方次第で状況はいくらでも変わる、ということを、アルルは確固として信じている。テテテは「説教ババア! べェーだ!」と舌を出して逃げ去るが、後に父親のトトトが返礼に現れており、アルルの心は充分に伝わっていたようだ。
 ついでながら、魔物たちと散々戦っていたときに見かけた魔物の子だったのに、普通に声をかけて慰めており、種族の差や立場をあまり気にしない、こだわりのない価値観の持ち主であることも分かる。……こだわりなさ過ぎなのか、一方では、人語を喋る魔物商人(?)のミイルにいきなり塩を振りかけて食べようともしていたが。(まぁ、これは相手を脅すための駆け引き、フェイク行動であった可能性が高い。)


 この他、オリジナル『魔導』の言動でアルルの性格を探ってみると、シェゾのことをいきなり「変態だわ」と決め付け、「なによあの魔導師、ちょーっといい顔してると思って。」と言ってみたり (拉致行動と顔の造作は無関係だろう……)、サタンのプロポーズ(?)を「なんだよこのおっさん、変なの。」と切り捨てたりしていて、若い娘特有の、傲慢かつ微妙にピントのずれた発言が目立つ。
 シェゾはアルルの魔導力をすっかり吸収――命を奪おう(?)としているのであり、サタンは一方的にアルルを花嫁に――強引に純潔を奪おうとしているのである。しかも、実際にはそこらの「変態お兄さん」や「変なおっさん」ではない。強大な力を持つ闇の魔導師と魔王なのだ。十六歳の少女には手に余る、のっぴきならない危難のはずだ。それなのに、アルルの発言はやけにのんきでマイペースに見える。

 だが。これこそがアルルの能力の一つであり、才能なのだ。――そう、私は思っている。
 古くから、世界には「言霊ことだま」の概念がある。言葉には力があり、口に出して言挙げした事柄は吉にせよ凶にせよ避け難いものになる。また、物事に「名前を付ける」ことは、存在をその形に縛り付ける、という効果を持つ。
 恐ろしい闇の魔導師や魔王を、アルルは「変態お兄さん」「変なおっさん」と呼んで定義付けた。そして実際、シェゾもサタンもその括りに縛られた。その後の長いシリーズ展開において、彼らはそこから抜け出せてはいないのだから。
 どんな状況でも物怖じず、相手のペースをかき乱して己のペースに引き込んでしまう。これは、駆け引き・戦術としても優れたものだ。宮本武蔵がわざと巌流島に遅れて出向き、佐々木小次郎を己のペースに引き込むことで勝利した、というのは有名な話だが、アルルも相手を己のペースに引き込むことで、手に余る存在を手の内の存在に変え、勝利をつかんだのだと考えられる。それを無意識にやってのけるのが、彼女を無敵たらしめる才能なのだと言えよう。


●幼児化するアルル
 こんなアルルだが、コンパイル晩期になると、「お子ちゃま」「超良い子」というイメージが非常に強く定着していた。いつもニコニコ、太陽のようにペカッと笑い、純真無垢で天真爛漫。カーバンクルとの癒着はシリーズが進むごとに強くなり、常に傍らの彼(?)に語りかけるようになった。精神性は幼くて、言動は子供っぽい。一方で正義感は強く、悪いヤツは見逃せない正義の味方。
 もしもこのアルルが泣くテテテに出会ったなら、「泣かないでよ、可哀想に」と深〜く同情したり、「よーし、お姉ちゃんが苛めっ子を懲らしめてあげるよっ」と変に深入りしたりするに違いない。適度に距離を置いたアドバイスをすることなど、お子ちゃまアルルには出来やしない芸当だ。


 これは一体、どうしたことか。どうしてこんなにもキャラクターが変わってしまったのだろうか。
 実は、コンパイル時代の長いシリーズの流れを見ていくと、アルルのキャラクターは概ね二系統に分裂していて定まらず、最終的に定着したのがその一方、純真無垢で天真爛漫なお子ちゃまアルルだった、というわけなのだ。
 では、もう一方の系統とは、どんなアルルだったのだろうか?
 ……こちらは、自然体でたま〜に相手の心を刺す、天然毒吐きアルルなのだった。


 これら両極端のアルル像は、オリジナルアルルの「子供やカーバンクルに優しい」という面と、「シェゾやサタンにズバズバときつい発言をする」という面を、それぞれ発展させていった結果なのだろう。設定・シナリオを担当したオリジナルスタッフらが早い時期に退社していたため、その後は別のスタッフたちがそれぞれの解釈でキャラクターを捉えて描いていたために、こうなってしまったのだと思われる。一種、二次創作の世界でキャラクターが「ジャンル内成長」を遂げ、原作のキャラクターとは似ても似つかない存在に変貌する状況を思わせる。


 性格だけではなく、アルルの外見・体型もまた、シリーズの進行と共に変化した。
 オリジナルのアルルは普通の――いやむしろ、発育のいい十六歳の少女の体型で、胸は出て腰は締まり、ミニスカートからすらりと足が伸びている。おまけにかなりの美少女だ。地下牢の見張りの魔物を色気で騙してのけ、サタンは一目見て「可愛い」「美しい」ので「妃にふさわしい」と評してキスを迫ったし、『ぷよ通』の時点でも、シェゾとサタン双方から「キュート」「プリティー」と賞賛されまくっている。
 ところが、コンパイル晩期の小説『真魔導』になると、サタンはアルルを「お子ちゃま」と評して、門前払いしようとしたり、少なくとも外見には全く興味を惹かれていない。そう言われて怒るアルルの態度も、なるほど、まるっきり「お子ちゃま」なのだった。

 一体いつから、アルルは「お子ちゃま」に変化してしまったのだろうか。
 データの面からこれを探ると、『ぷよ通』の頃に公開されていたアルルのスリーサイズは、「B86・W60・H85」なのに、『ぷよSUN』になると「B80・W60・H85」と、バストが五センチも減ってしまっている! 更に真魔導設定になると、「B80・W58・H80」となり、ウエストがちょっぴり、ヒップがかなり減って、全体にこぢんまりしてしまっているのだった。
 どうしてこんなに体型が変わってしまったのだろう。身長に変化はないが、体重も53kg→46kgと変化しているので、かなりなダイエットでもしたのかもしれない。しかし、ウエストが2cmばかり減ったところで、バストがこんなに縮んでしまったのでは台無しだ。


 一方、ゲーム中でアルルが「幼児体型、ちんちくりん」などという風に言われたのは、恐らくは96年の『ぷよCD通』三周目のVS.ルルーの漫才デモが最初だ。

ルルー
「やっときたわね、発展途上。」
アルル
「はっ、はってんとじょう!?(中略)それって、どういう意味よ!」
ルルー
「そぉ〜ねぇ、わかりやすく言えば、幼児体型……ってところかしら。」
アルル
「よっ、幼児体型ぇ〜!? ぼっ、ぼくだってあと2〜3年もすれば、ボインボインのナイスバディになるんだい!」
ルルー
「どうしてあんたみたいなちんちくりんが、サタン様の愛を一身に受けられるのよ!」


 バストが86もある幼児なんていやしない。なのにルルーがこう言ったのは、(ルルー思うに)二人が恋のライバル同士で、なにより女性的資質で争う間柄だからか。アルルは普通にグラマーだが、ルルーは素晴らしくグラマーな「B90・W61・H87」。(『ぷよ通』当時。ルルーのスリーサイズも変化しており、コンパイル晩期の真魔導設定では「B90・W57・H86」になっている。)絶対的に勝っているこの点で、あえて半ば言いがかり的にアルルを攻撃した、という次第であろう。この当時のアルルのスリーサイズデータを見る限り、彼女が本当に幼児体型のちんちくりん……ということは有り得ない。

 けれども、アルルが幼児体型だ、という認識は、その後すっかり製作側にも定着してしまう。商業二次小説とはいえ人気の高かった角川版小説で「小学生顔負け(笑)の幼児体型。(新☆魔導2)と書かれた影響もあったかもしれない。スリーサイズデータが改竄されたことが何よりの証拠だが、『はちゃめちゃ期末試験』でルルーに「あらっ! やけにチンチクリンな娘がいると思ったら アルルじゃないのよ」と言われたのはともかく、『アルル漫遊記』ではサタンに「ちんちくりんな娘」と罵られ、『アルルの冒険』ではコドモドラゴンに「チンチクリン」「おこさまむし」と罵られている。とはいえ、そう言われたアルルは烈火のごとく怒っていて、事実無根の悪口であって実際は違う……という解釈も出来なくはないのだが。
 ……ついに、恐れていた時が来てしまった。準公式作品たる小説『真魔導』で、アルル自身が自分のことを「幼児体型」だと説明するシーンが現れてしまったのだ。他人から見ても本人が見ても、アルルが幼児体型だと、ここで確定してしまったのである。


 SS版『魔導』には、アルルが「ボク 16さーいっ!」と無邪気に告げると、ラグナスが素で「ウ…ウソだろ…っ!?」と驚愕するシーンがある。それまで結構長い間共に行動していたというのに、アルルをもっと幼いと思っていたようなのだ。データ上一つしか年が違わないのに、まるっきり子供だと思っていたらしいのである。
 アルルの幼児化は、コンパイル晩期には行き着くところまで行ってしまった。ここでのアルルは、もはや外見も精神も自他共に認める完全な「お子ちゃま」。十歳くらいの感じか、せいぜい十二、三歳程度だ。データ上の年齢は十六歳のままなので、いわゆる白痴美現象が起こっている。「幼稚・未発達」であることを「無垢」に読み替えて、実年齢より幼いことを「美しく純粋な心の持ち主だ」と言い張っているのである。

 個人的には、これはいくらなんでもあんまりだろう、と思っている。良い方に進化するならともかく、キャラクターが退化したとしか思えないからだ。幼児化しているアルルは、一種フリークスめいていて、あまり気味が良くない。


●アルルは極悪非道か?
 一方で、『ぷよ1』『ぷよ通』の頃、アルルは「罪のないぷよたちを平気な顔で消していく極悪非道な少女」などと紹介欄に書かれることがままあった。
 言うまでもなく、これは単なる悪ふざけのネタ文章だ。ぷよを消すから極悪だというのなら、『ぷよぷよ』の登場キャラクターは全員極悪人のはずである。

 『す〜ぱ〜ぷよぷよ攻略本×ぷよマスターへの道』(辰巳出版)に、コンパイルスタッフへのインタビュー記事があるのだが、そこにこんなことが書かれている。

――アルルは人畜無害のぷよたちを大量に時空の彼方に消し去っておいて、罪悪感はないのでしょうか?
MOO仁井谷「その辺の謎は、パソコン版RPG『魔導物語A・R・S』をやって頂ければ、アルルとぷよとの関係がわかりますよ。あとはひみつ」


 ……『A・R・S』をプレイしたところでサッパリ分からないのだが。
 まぁ、言えるのは、ぷよは決して「人畜無害」などではない、ということである。『ぷよぷよ』しかプレイしたことのないユーザーにはぴんと来ないのかもしれないが、ぷよは人間を襲う魔物であり、相手が幼児であろうとお構い無しなのだ。
 そう考えれば、アルルがぷよを時空の彼方に消したからといって罪悪感など感じるはずもないし、「極悪だ」と責めるのは見当違いである。


●アルルは方向音痴か?
 ユーザーの間にうっすらと広まっている認識として、「アルルは方向音痴だ」という設定がある。ところが、ゲームの公式設定にはそんな設定はないし、ゲーム本編中でそういうエピソードが語られたこともない。なのに、どうしてこういう共通認識が存在するのだろうか。
 結論から言えば、これは漫画『とっても! ぷよぷよ』での設定なのである。この漫画におけるアルルは方向音痴で、地図を持っていても道に迷うことが多い。彼女の方向音痴をテーマに語られた回もあるくらいだ。なんでも、作者のたちばな真未女史が方向音痴なのだそうで、つまりこの漫画のアルルは作者の自己投影でもあるということなのだろう。
 ところが、である。「方向音痴設定は商業二次作品での設定、公式設定には関わらない」と言い切って終わってしまえない部分が、実はある。何故なら、SS版『わくぷよ』の解説本である『わくわくぷよぷよダンジョン公式攻略本』(エクシード・プレス/ビー・エヌ・エヌ)掲載の、コンパイルスタッフの描いた、いわば公式プレストーリー漫画において、アルルが方向音痴であるとシェゾが語っているからである。
 この漫画を描いた村長さわ女史は、魔導・ぷよシリーズのイラストレイターであると同時に、長い間魔導・ぷよシリーズの設定製作担当者でもあった。そんなわけで外部作家の漫画の絵コンテチェックも担当しており、たちばな真未女史とも交流があったようだ。漫画を読むうちに自然に「方向音痴」設定が普遍的なものとして彼女の中に定着していたのだろうか。設定製作者がそう認識していたのだから、コンパイルが倒産しなければ、今頃は「アルルは方向音痴」設定はゲーム公式設定に昇格していたのかもしれない。


●「ぼく」と「ボク」
 アルルは、自分のことを「ぼく」と言う。……が、細かいことを言えば、オリジナル『魔導』ではひらがなで「ぼく」と言い、コンパイル晩期の真魔導設定ではカタカナで「ボク」と言うことになっている。

 ゲーム本編をたどると、94年頃までは「ぼく」できっちり固まっているのだが、94年末のGG版『魔導V』で初めて「ボク」が使われ、その後しばらく各ゲームごとに異なったり、『ぷよ通』のように入り混じったものもあったりして、96年まで混沌状態が続いた。それ以降は完全に「ボク」がスタンダート状態になり、98年には真魔導設定で「ボク」で「なければならない」と定められるに至ったのである。

 この変遷の原因が何だったのかは知れるところではないが、94年上半期に発行開始された角川版小説では、何故か最初からずっと「ボク」が使われていたことは注意すべき事実だろう。
 03年、セガが製作した『ぷよぷよフィーバー』では、「ぼく」に回帰していた。しかし、『フィーバー2』では再び「ボク」に戻った。もはや、お好みでどっちでも可、ということであろう。


●アルルの好きな人
 『魔導物語』は、「ルルー→サタン→アルル」という三角関係をその根本に持っている。もしもアルルがサタンの求愛を受け入れたなら、あるいはルルーがサタンの愛を勝ち得たなら、そこで物語は一つの結末を迎えることになるだろう。それ故にか、アルルが誰のことを好きか・好きになるかという点へのユーザーの関心度は高い。

 しかし公式にはアルルに好きな異性などおらず、ゲーム本編でそのようなエピソードが語られたこともない。……と、いうのはたてまえで、各シナリオライターが自分の好みでそれっぽいエピソードを挿入していることがあるのは事実である。
 勿論、これらはあくまでシナリオライター各自の遊びであって、ゲーム中でそれっぽいエピソードがあったからといって、それが公式の設定になるということではない。

 ゲーム本編はこんな感じだが、商業二次作品は「本編ではない」分、各作者のカップリングの好みがもっと強く現れている。
 角川版小説第一期では、アルルはシブい中年武士のマサムネにプロポーズされたり、サタンに真剣に迫られたりして心揺らしつつ、師匠であるルシファーへの淡い想いを告白する。
 『とっても! ぷよぷよ』では、アルルは魔導幼稚園の園長先生に恋している。自覚していて、サタンにもはっきりとそう告げる。しかし一方では、サタンの一言にショックを受けたり、サタンがルルーと仲良くなると胸が痛んだり、サタンが死の淵から生還すると抱きついて大泣きしたり、魔導学校へ旅立つ際にはサタンの頬にキスしたり、本当に好きなのは誰かということが、かなりあからさまに示唆されている。
 そして小説『真魔導』ではアルルはラグナスに恋しており、出会うなり前世の記憶らしきものを垣間見て途方もなく切なくなったり、彼が想い人のことを語るのを聞いて胸を痛めたりしているのだった。

 まったく、アルルは誰を好きなのか。見解(願望?)は見事にバラパラなのである。


●カレーシェフ・アルル
 アルルの好物はカレーライスで、よく食べるし よく作っている。『鉄拳春休み』やSS版『魔導』を参照するに、もしかすると殆ど毎日毎食コレなのではないかと疑わしくさえ思われる。
 カレー作りの腕前はごく普通レベルらしく、味は多分に、材料の良し悪しに左右されている。「伝説のカレー」などというものを作り上げることもあるし、「激マズカレー」を作ってしまうこともある。調理スキルは多少不安定でもあって、カレーのつもりで肉じゃがやシチューを作ってしまうこともあるようだ。

 ところで、アルルはどんなカレーが好みなのだろうか?
 PS『ぷよよん』の『カレーすとーりー』を参照すると、アルルの作れるカレー一覧の中に「アルルのカレー」という、恐らくはアルルオリジナルレシピで、彼女の好みが反映されていると思われるものがある。材料を見ると、「タマネギ(もしくは伝説のタマネギ)、ジャガイモ、とれたてニンジン(もしくはニンジン)、牛肉、りんごとハチミツのルー」となっていて、要は甘口のビーフカレーのようだ。そういえば『大魔導戦略'95』でも、「タマネギをたくさん入れるとあまぁくなるんだよ!」と嬉しそうに語っていたので、タマネギをたっぷりあめ色に炒めて作る、甘みの濃いカレーが好きなのかもしれない。


 さて、美味しいカレーは出来た……が、アルルのこだわりはここで終わらない。『大魔導戦略』で彼女は語る。

 カレーに、らっきょに、京都の一級水。
 他は全てそろっているのに、ふくじんづけだけが、ない!
 これは由々しき事態よっ。
 ふくじんづけのないカレーなんて・・いくらおいしくってもそんなの、だめだわっ。
 本当のカレーじゃない!


 そう。彼女のこだわりは、一緒にいただく飲み水や、付け合せの漬物にまで徹底されていたのである! 恐るべし、アルル。ぷよ・魔導中最強のカレーの鉄人は、間違いなく彼女であると言えよう。『セリリのはっぴーばーすでぃ』のアルルEDでは、カレーレストランを経営することになっていたのも頷ける話だ。


●アルルと学校
 アルルは、幼稚園の頃から魔導師養成の専門教育機関に通っている。そしてずっと優秀な成績を収めているエリートだ。……少なくとも、オリジナル『魔導』ではそうだった。
 このことは『魔導1』で、「今年魔導幼稚園の卒園試験を受けられる優秀な人は、アルル一人だけ」とのっけから断言されていることで、ハッキリと確認できる。幼稚園児のアルルは「ぼくは大きくなったら、この学校(魔導学校)に入学して、立派な魔導師になるんだ。だからこの試験もがんばらなくっちゃ」と述べており、実際に十六歳になると魔導学校入学の試験を受けているので、途中で気を抜くことなく努力を続け、着実にステップを踏んで夢を叶えようとしていることが明確に分かる。
 ところが、「努力家の優等生」というのは親しみが持ちにくいと思われたのかどうか。MD版『魔導T』では、アルルが卒園試験の受験資格を得られたのは実力ではなく、ただ運が良かっただけだ、と語られてしまい、「大きな潜在能力を秘める(裏返せば、普段は大したことがない?)」と紹介欄に書かれることが多くなり、真魔導設定になると、(ゲームシステム上レベル1から始める必要があったからとはいえ、)十六歳時点で基本魔法さえロクに使えない落ちこぼれ魔導師になっていた。『ぷよウォーズ』でも、アルルが自分のことを「落ちこぼれ」だと称していた、とマリンの口から語らせている。

 明るく可愛いが、普段の言動はバカっぽい。なのに凄まじい潜在能力を秘め、いざというときには感覚でそれを使いこなす……。コンパイル晩期のアルルには、ガッチリとではないが、かなり色濃くこのイメージがまとわりついていた。
 いわば、漫画でもお馴染みの、「学校の成績は悪いが、運動はズバ抜けている」というタイプである。こういうキャラクター像は、ユーザーに親近感を与えつつも自尊心をくすぐり、受け入れられ易い。
 だが、最初からそういうキャラクターとして生まれているならともかく、元々は違うキャラクター性を持っていたアルルを無理にこの形に歪めようとしていたのには、個人的には少々疑問を感じる。

 なお、ゲーム本編に はっきりとこの現象が現れ始めるのは前述のごとく96年のMD版『魔導T』からだが、角川版小説では、94年の第一巻の時点で、既に
ちっとも強くないのに、『強力な魔導力』を持ってるって言われて、サタンやシェゾに狙われるんだけど、ホントなのかな。
 と人物紹介に書かれている。シェゾやサタンを倒したアルルが「ちっとも強くない」なんてことは有り得ないはずだが。


 魔導幼稚園卒業後から古代魔導スクール(通称、魔導学校)受験までのアルルの学歴は、つまびらかにはされていない。しかし、カセットドラマ『の〜てんSPECIAL』では十二歳で魔導小学校の卒業試験に挑んだことが語られ、PC-98版『なぞぷよ』において魔導中学に三年間通ったことが描かれている。(しかし、ここでのアルルはサタンやシェゾたちと既に知り合いであり、魔導中学=魔導学校の意味で描かれている可能性が高い。)日本と同じ6・3・3の学校制度なのだろうか。
 オリジナル『魔導1』のエンディングでは、やや幼い頭身のアルルが巻いた紙(卒業証書?)を手に建物を後にしていたり(小学校卒業?)、同じ服(制服?)を着た二人の少女と共になにやら本を持って語り合っていたり(魔導中学の勉強風景?)、マントを着て佇む姿(学位取得して魔導中学卒業?)までをイラストで見ることができる。


 ところで、オリジナル『魔導』のアルルは魔導学校へ向かう旅をしている(正確には、「申請室へ自分の力だけで行く」という試験を受けている)最中なのだが、ぷよシリーズのアルルはどうなのだろうか。
 実はこの辺り、混沌としている。
 例えば『ぷよCD』の取説には
やあ、みんな今日は。ぼくはアルル・ナジャ。魔導師を目指している女の子だよ。今までいろんな魔物と闘って経験値を上げてきたけど まだまだ修行中の身。さあ、魔導学校に行かなきゃ。
 とあり、『ぷよぷよ通 for Windows95』の取説には
ボクはいま、リッパな魔導師になるために、古代魔導学校目指して旅をしてるんだけど、これがなかなか大変で。
 と、魔導学校へ向かう途中なのだと明記されている。
 しかし、『ぷよ1』『ぷよ通』の解説本や取説の中には既に「魔導学校に通っている」と書いたものがあるのも確かなのだ。一体どちらなのであろうか。


 ただ、どちらにせよ、ゲーム中で「学校に通っている」らしい描写は皆無である。そもそも学校に通っているなら、どうして野っ原で次々とサタンの刺客に襲われたり、意味なく塔の探索を始めたりするのだろうか。……個人的な趣味か?
 「通っている」と書いたものの中には「通っている……はず」と気弱な書き方をしているものもあるので、どうも、公式側にとってもイマイチはっきりしない(どーでもよい)事柄だったのではないかと思われる。
 『魔導大全』を参照すると、アルルがオワニモの呪文を解放した『道草異聞』のエピソードは、魔導学校への旅の最中の出来事だとなっているが、ぷよぷよ地獄が起こったのは魔導学校に入学してからなのか、あくまで旅の途中なのか……。

 『魔導大全』ではアルルの学歴について「現在 魔導学校入学に向けて移動中」とあり、入学したという記述は一切ない。(この時点では『ぷよ』は通まで出ており、『はちゃめちゃ期末試験』は まだ発表されていない。)
 ちなみに角川版小説では、ぷよぷよ地獄はアルルが魔導学校を卒業した後の出来事となっている。


 なお、『アルルのルー』や『大魔導戦略』、SS版『魔導』を参照すると、アルルは一軒家(?)に住んで自炊しており、どう見ても「旅の途中」ではない。……だからといって、学校に通っている様子もないのだが。
 最終目的の学校に入学して一人暮らしを始めて、流石のアルルもすっかり気が緩んでしまったのだろうか。学校へも行かずに毎日フラフラ遊び歩いてぷよぷよ三昧か?
 まぁ、真魔導設定的には、ぷよ世界のアルルはそもそも学校に通っていないようだし、あまり気にしてもしょうがないことなのだろう。


●アルルの趣味
 遺跡探索が大好きで、特に、晴れた日にはダンジョンに潜りたくなるらしい。
 魔導師の業だねぇ……。


●アルルの家庭環境
 アルルは魔導師の家系に生まれた。一人っ子の母子家庭である。

 アルルの家庭環境はシリーズ中殆ど語られず、オリジナル『魔導』では、せいぜい祖母がいることがエンディングのイラストで確認できる程度である。『A・R・S』では、その祖母はアルルの家から妖精の森を隔てた家に別居していて、頻繁に行き来があることが分かり、GG版『魔導A』では、ちょっと厳しい母親がいることが分かる。しかし、父親や兄弟姉妹は全く現れない。
 『はなまる』になると、祖母は古代魔導文字が読め、優秀な魔導師だったらしいと分かってくる。父親の姿は相変わらず微塵も見えず、どうやら一人っ子の母子家庭らしいと読み取れる。
 具体的にアルルの父がどうしたのかということは、ゲーム本編や取説で語られたことは一度もない。だが、どうも裏設定は存在していたらしい……ということが、『はなまる』発売前の『DS』やゲーム雑誌の記事を読むと分かる。94年(!)12月発行の『PCエンジンファン1月号増刊 Virtual IDOL』(徳間書店)の『はなまる』の特集記事を参照すると、「立派な魔導士であった父親は現在、行方不明のため、母親と2人で暮らしている。」と明記されている。

 物語中でアルルの父について語ったのは、商業二次作品の漫画版『はなまる』と角川版小説『アルルとおとぎの国』がある。それによれば、「父は魔導師だったが、アルルが物心つくかつかないかの頃、仕事に出たきり帰ってこなかった」のだそうだ。
 漫画版『はなまる』では、父はアルルが生まれる前に仕事に出たまま帰らず、角川版小説では、アルルが四歳のときにネクロマンサーと戦って共に崖下に落ちて行方不明になったという。故にアルルは「父を失った母を安楽にするために」「いつか父を探しに行くために」一流の魔導師を目指すのだと説明されている。
 真魔導設定では、角川版小説に現れた方の設定が ほぼそのまま採用されているようだ。加えて、「アルルの父は青いスカーフを愛用していた」「魔導学校へ旅立つとき、そのスカーフの一部がアルルに与えられ、アルルの髪留めになった」と新たに語られている。

 この他の家族、アルルの母親に関しても、『はなまる』で「かつては有名な魔導師だった」と明かされ、小説『真魔導』では更に「現在は"カリン"と名乗っているが、かつては別の名を名乗っており、大陸に名を馳せる高名な魔導師だった」と語っている。また、小説『真魔導』によれば祖母は父方の母親で、名は"マリア"だそうだ。


●勇者としてのアルル
 ところで、シリーズ全体を見渡すと、たまに、アルルが「勇者」の称号を冠されることがある。たとえば、『ぷよウォーズ』ではマリンに「勇者さま」と呼ばれている。

 このモチーフが初めて浮上したのは……GG版『魔導A』だろうか? この時、幼稚園児のアルルはカエルの勇者カエルロッドに認められ、聖剣ゲロゲーロを譲られている。まあ、その認められ方にはいささか疑問が残るが。(カエルロッドの像に彼の好物のぷよまんを供えたか否かだ。)

 「勇者なのでは?」という疑問が話題の中心になったのが、角川小説版『新魔導3』。この物語は、後の真魔導設定と相似した部分を持っている。
 ルーン・ロードがシェゾに語ったことによれば、この世界には厳然たる「運命」があり、光と闇、正義と悪、勇者と魔王の戦いですら、その中での「くり返しのパターン」の一つに過ぎないと言う。
 つまり、正義と争った悪が滅ぼされる、これは予め世界に定められた運命であり、闇の魔導師の後継者であるシェゾはいずれ勇者に滅ぼされることに最初から決まっていると言うのだ。そしてシェゾは思う。もしかすると、自分を滅ぼすべく運命付けられている――不思議な運命の力に守られ、決して負けることのない勇者。それこそがアルルなのではないか、と。

 真魔導設定では、アルルは「闇に対する光」という立場を更に超越して、光と闇双方を作り出した「創造主」と同等の、唯一無二の存在「輪廻外超生命体」……ということになっている。彼女は幾度も魔導世界を滅亡の危機から救い、最後に創造主と五百年かけて戦って倒したことで、魔導世界そのものを消滅させてしまったらしい。
 ここまで来てしまうと、もはや何がなんだか分からない。

 元々は、卒業や入学の試験という、全く個人的な目的のために動き回っていたアルルなのだが、コンパイル晩期になると、しばしば世界を滅亡の危機から救うために行動するようになった。世界を救うべく命をかけて行動するのは英雄的行為だ。これを勇者と呼ぶならば、まさに、シリーズ晩期のアルルは勇者であると言えるだろう。



●伝承の世界
 余談。
 アルルの名の由来はクラシックの『アルルの女』からだそうだが、神話をひも解いていくと「アルル」という名の女神が存在しないわけでもない。単なる偶然だが、ちょっと書いてみよう。

 メソポタミアの『ギルガメシュ叙事詩』は世界最古の物語として有名である。ひとことで言えば、ウルク王ギルガメシュが、親友エンキドゥの死をキッカケに、不死を求めて旅立つ物語だ。
 ギルガメシュは粗暴な王で、治めるウルクの民を苦しめていた。これを見た天神アヌはギルガメシュを倒そうと考え、神の血を引く彼に対抗しうる存在として、獣人エンキドゥを創造することにした。
 この、エンキドゥ創造を担当したのが、女神アルルである。
 アルルは粘土をこねて創造を成した。中国の太母神ジョカの人類創造を彷彿とさせる。古い創造女神なのだろう。

 ちなみに、不死を求めて旅だったギルガメシュだが、得たものは「不死になることは出来ない」という無情な結論だった。それでも「若返りの草」を手に入れることが出来たが、帰り道で水浴びをしている隙に、蛇に草を食べられてしまった。よって彼は不老になれず、蛇は脱皮をしては若返るようになったという。

 蛇(ウサギ、鳥、童子)の妨害・失敗によって人間が不死または不老を手に入れ損ねたという物語は、日本を含む全世界で見ることが出来る。聖書のアダムとイブの物語にもこれに類似したモチーフがある。アダムとイブは楽園で老いを知らずに暮らしていたが、蛇が現れてイブに知恵の実を与えたので、二人は楽園を追われ、老いて死なねばならなくなったのだ。
 一説によれば、蛇はイブと交わり性交を教えた。性に目覚めたアダムとイブは分別を覚え、このことで神の怒りを買ったとされる。一方、『ギルガメシュ叙事詩』のエンキドゥは、生まれたときには性も文明も知らぬ野人だったが、ギルガメシュに女を与えられ、性を知ったことで文明も知り、ギルガメシュの親友になった。が、ギルガメシュと共に暴虐を繰り返した結果、神々に呪われて病死した。死ぬ前に彼はこう言って嘆いたという。
「俺が死なねばならないのは、遊女の誘惑に負けてウルクに連れてこられてしまったせいだ」
 アダムとイブの物語と同じ、人間は自然で無垢であれば不死でいられたのに、性交して文化を持ったために死なねばならないのだ、という思想が現れている。

 イブを誘惑した蛇は、ある考えによれば「サタン」である。さしずめ、エンキドゥにとってのサタンはギルガメシュだったわけだが、そのギルガメシュ自身が、蛇のせいで死ぬ運命を受け入れざるを得なくなったわけだ。

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