運命の女神が溺死の予言をし、それが成就する話は、ヨーロッパには広く分布し、かなりポピュラーなものなのだそうだ。また、ヨーロッパにおいては溺死は特に「悪い死に方」と考えられる。溺死者の魂は天国へ行けないとされているからだ。

ヨーロッパ各地の溺死予言の型

  1. 〈運命の予言〉
    1. 子供が生まれたとき、三人の女神がやって来て子供の溺死を予言し、それを雇人・産婆・名付け親・乞食(旅人)・両親や祖父母のいずれかが聞く
      1. 一人ずつ、それぞれ無惨な死を予言していくが、最後の女神の言葉が真実となる
      2. 「悪い星の時に産まれたために普通の死に方はせず、溺死する」と予言する
      3. 最初「子供は悪い人間になるが長生きする」と予言。父親が供物を捧げると、「良い人間になるが早死にする」と訂正する
    2. 占い師が溺死を予言する。夢で知る場合もある
  2. 〈運命の回避努力〉両親等、予言を知った者は運命を回避するべく努力する
    ※この段が無い場合もある
    1. 水で死ぬ→子供を水辺に近付けないようにする。池の周囲に柵や壁を作る。
    2. 井戸で死ぬ→井戸を埋めたり周囲に柵を立てるなどする。
    3. あるいは、予言の年や当日に子供を家に閉じ込めたり、井戸を塞ぐなどする。
  3. 〈運命の成就〉子供は予言どおりに死ぬか、水に関連した奇妙な死に方をする。
    1. 水で死ぬ→橋から水に落ちて溺死/水溜りで溺死/洗面器に顔を漬けて死ぬ/水を飲んで死ぬ/水滴(鳥、魚、馬などの動物がはねたり落としたもの)が体にかかったり口に入った途端死ぬ
    2. 井戸で死ぬ→井戸の蓋が壊れて落ちて溺死/井戸の側の水溜りで溺死/井戸の周囲(主に閉ざされた蓋の上)で何故か死ぬ/井戸の周囲の柵にぶつかって死ぬ

※死ぬ人間自身が自ら「その時」に従って「予言どおりに死ぬべく」水辺に急ぐが、井戸が閉ざされていたり、予言された時刻に間に合わなかったりして、このような奇妙な死を遂げた、と語るものが少なくない。逆に、死を恐れて閉じこもっていたが何かの偶然で死んだり、予言を馬鹿にしていたが事故で死んでしまうものもある。

 いずれにせよ、予期しない、奇妙な、あるいは偶然を装った必然に彩られた死である。

 対して、運命の日の行動次第で運命回避に成功する、ハッピーエンド型の話群もある。日本の類話にはこの型が多く、運命の日に命を奪いにきた水の魔物を接待したり、逆に殺したり、あるいは人として立派な振る舞いをしたために運命を回避する。→[水の神]



水の命  ロシア

 夜、一人の巡礼者が、見知らぬ男たちが問答するのを聞きました。最初は二人。そこにもう一人やってきて、最初の二人が遅れてきた男に問いました。

「主よ、この家の女主人は今夜 子供を生みますが、その子にどんな魂を与えるようお命じになりますか?」

「男の魂を与え、その子をイワンと名付けなさい。イワンは十八歳のとき、中庭の井戸で死ぬでしょう」

 このことを巡礼者から教えられると、家の主人はすぐに中庭の井戸に蓋をして塞がせました。

 産まれた子は、十八歳になったとき妻を娶りました。婚礼の夜、父親は笑いながら事の次第を息子に語り聞かせました。

「くだらない話だ、何事も起こらなかったじゃないか。明日にも井戸の蓋を開けてしまおう」

 食事が済むと、息子は中庭に出て行きました。そして井戸の蓋の上に横になったところ、蓋が壊れ、そのまま井戸に落ちてしまいました。

 こうして、運命の書に記されたとおり、神は息子の魂を取り上げてしまわれたのです。



参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

※以下、類話を列記する。

水の命2  リトアニア人

 一人の司祭が子供が生まれたばかりの農家に泊まり、運命の女神ライマがこう予言するのを聞いた。
「この息子は、井戸で溺れて死ぬだろう」

 運命の日、司祭は再び農家にやってきて、井戸を雄牛の毛皮で覆いなさいと命じた。農夫がその作業を終えた途端、ひどい嵐になり、子供はどこかにいなくなってしまった。

 後に子供は発見された。井戸を塞いだ毛皮に溜まった雨水の中で溺死していたのである。


参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

水の命3  ギリシア

 昔、ある女の子の名付け親が、その子の洗礼前に三人の運命の女神モイラが現れて予言するのを聞いた。
 一人目の女神が言った。「この子は野獣に引き裂かれることになるだろう」
 二人目の女神が言った。「いや、この子は火に焼かれることになるだろう」
 最後の女神が言った。「お待ちなさい。この子は十八歳になったとき、溺れて死ぬだろう」
 他の女神たちもそれに賛成し、消え去った。

 女の子が予言された年齢に近づいてくると、名付け親は両親に、一年間娘を預からせて欲しいと頼んだ。そしてひとつの部屋を用意して、女の子を閉じ込めて決して外に出さないようにし、けれど欲しいものは何でも揃うようにしておいた。

 運命の年がきた。女の子は決して水辺には近寄らなかった。けれどもある日、部屋の中で洗顔用のたらいに頭を突っ込んで溺死しているのが発見されたのだった。


参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

水の命4  スラヴ ヴェント人

 昔、ある男が道を急いでいました。何故って、彼のおかみさんが今にも子供を生みそうになっていて、すぐに産婆を呼んでこなければならなかったからです。
 産婆を連れて戻る途中、ある池のほとりにさしかかったとき、池の上に明るい光が見えました。男は産婆に尋ねました。
「あれは何の光だろう?」
 すると、産婆は応えました。
「あなたの子供が、もしも今この時間に生まれているのならば、いつかこの場所で溺れて死ぬでしょう」

 その子供は成長し、結婚して子供も生まれました。家族揃って例の池にいつも草を採りに行っていましたが、ある時、その池にある小島に綺麗な草が生えているのを見て、家族のとめるのも聞かずに採りに行き、溺れ死んでしまったのでした。


参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

水の命5  スラヴ ヴェント人

 昔、ある女の子が産まれたとき、産婆が言いました。
「この子を出来る限り水に近づかないように守ってやりなさい」
 昔の産婆たちは、星占いで産まれた子の運を知ることが出来たのです。

 両親は忠告に従い、女の子は無事に大きくなって、たいへんな美人になりました。そしてお金持ちと結婚しましたが、天然痘にかかり、運良く助かったものの、見るも無残なあばた顔になってしまったのです。彼女はすっかり気鬱になり、入水して自ら命を絶ったのでした。


参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

水の命6  スラヴ ヴェント人

 昔、ある男の子が生まれた後、産婆が「この子は水難で死ぬ」と予言した。そこで両親は息子に水泳を習わせ、その子はまるで魚のように泳げるようになった。

 成長して後、若者は一人の少女がボートから川に落ちたのを見て、泳いでいって助けようとした。だが、彼の手があと少しで少女に届こうとしたとき、彼の姿は突然水底に沈んだ。何故そうなったのか、誰にもわからない。


参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

※予言を受け、水から遠ざかるのではなく、逆に水泳を習わせるところが特徴的なので採ってみた。後で紹介している「占い師の予言」と同じモチーフである。

水の命7  スロベニア人

 運命の女神ソイェニツァたちが、生まれたばかりの男の子の運を定めました。
「この子は、水に溺れて死ぬだろう」

 その子は大きくなり、沼にかかった小さな橋のたもとに働きに行きました。ところが天気が悪くなったので足止めされ、小さな橋の上に座りました。そして、うっかり橋から落ちて沼で溺れ死んだのでした。


参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

水の命8  ドイツ人

 昔、小さな男の子を持った女がいた。ある時、一人のジプシーがやってきて、その子の運命を占った。
「息子さんは水車用の池で溺れ死ぬ運を持っています。決して、この子を水車小屋にやって粉を運んで来させたりしないように。この子がいつか、長靴を片方履いてもう片方が見つからないことがあれば、それが運命の日が来たしるしです」

 果たして、長靴の片方が見つからない日が来た。母親は言った。
「ここにいなさい。水車小屋に行く必要はありません」
 すると息子はとても気分が悪くなり、床に就いた。病気になったのだ。ひどく喉が渇いて母親に頼んだ。
「お母さん、頼むから水車の池の水を汲んできて。喉が渇いてたまらないんだ」

 母親は息子の望みを聞いてやった。息子は水を飲んだが、飲み干した途端に死んでしまった。


参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

水の命9  ドイツ人

 創造の女神シェプファーラインたちが、「いつか溺れて死ぬ」と ある子供の運を予言した。そのため、その子は水の側へ近寄るのを避けて暮らしていた。

 ある時、その子は一本の木の下でうとうとと眠り込んだ。すると微風が濡れた木の葉の何枚かを巻き上げた。と思うや、眠っている男の子の口にその木の葉が貼りついた。
 こうして彼は、葉に付いていた僅かばかりの水滴のために溺死した。


参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

水の命10  スラヴ ヴェント人

 ある農夫の息子について、産婆が予言した。「この子は十五か十七歳のとき、水で死ぬでしょう」。そこで農夫は井戸に板で蓋をした。

 その子が成長したとき、井戸の蓋の上に横になって口を開けて空を見ていた。すると一羽の鳩が頭上を飛び去ったが、くちばしから水を落とした。その水が口に入って少年の息を詰まらせた。こうして彼は水で死んだ。


参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

水の命11  チェコ人とスロバキア人

 ある金持ちの家に一人の乞食が来て、泊めてくれるように頼みました。主人は乞食を快く招き入れて言いました。
「今日、私たちには長男が産まれたのです。家族もお客を喜ぶでしょう。さぁ、入ってくつろいでください」

 夕食が済むと、乞食は夫婦にお祝いの言葉を述べ、こう助言しました。
「食卓に運命の女神スディチカたちのためのパンと塩を供えなさい」

 真夜中になると、スディチカたちが白い衣装をまとって現れました。乞食は信心深かったので、その姿を見ることが出来ました。一番若いスディチカが子供を食卓のパンと塩の側に座らせると、最年長のスディチカが姉妹たちに尋ねました。

「あなたたちは、この子にどんな運命を授けるつもりなの?」
 一番目のスディチカが言いました。「この子は毒を盛られて死ぬでしょう」

 最年長のスディチカが、二番目のスディチカに尋ねました。
「そしてあなたはこの子に何を定めるの、妹よ!」

 二番目のスディチカは言いました。「この子は十八歳のときに中庭の井戸で死ぬことにしましょう」
 他のスディチカたちもそれに同意しました。

 翌日、乞食は子供を水から守るようにと両親に警告しました。けれども、その理由は教えませんでした。乞食は子供の洗礼に名付け親として立会い、「何年かしたら戻ってきて、あなた方に秘密を打ち明けましょう」と約束しました。

 乞食は十二年後に戻ってきました。そして家族の幸せな様子を見て、両親を悲しませるのに忍びず、秘密を漏らさずに帰りました。乞食がようやく秘密を打ち明けたのは、その三年後のことでした。そこで父親は井戸に蓋をさせました。

 それからまた三年経って十八歳になったとき、子供は井戸の側に歩いていって、突然ひざまずきました。その光景を見た父親は叫び声を上げて、息子を守ろうと駆け寄り、捕まえました。けれども両腕に抱かれたのは、既に魂の無い亡骸に過ぎなかったのです。


参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

水の命12  ロシア

 ベロゼールスク街道をチェレポヴェツへ向かって進み最初の林を抜けたあたりに、昔、晩小屋があって、一組の夫婦と女の子が住んでいた。そこに一人の老人がやってきて、「お宅の娘さんはいい子だが、七つの歳に井戸で溺れて死ぬ。それは○月○日だ」と告げた。

 その子が七歳になると、両親はその日に備えた。井戸は窓の側にあったのだが、蓋をして釘で打ちつけたんだ。

 女の子は庭で遊んでいた。両親がテーブルについて窓から様子を見ていると、女の子は井戸の側に行って蓋を引っ張った。けれどもびくともしない。釘で打ちつけられていたんだから。反対側に行って引っ張ったが、同じことだった。すると女の子は蓋の上にごろんと横になり、そのまま死んでしまった。

 誰でも、定められた運命に逆らうことは出来ないんだ。


参考文献
『ロシアの妖怪たち』 斎藤君子著 大修館書店 1999.

※井戸で死ぬと予言された子が、井戸を塞いだ蓋の上に横たわったり、腰掛けたりして死ぬ、という話はヨーロッパの民話で多く見かける。単に、井戸の側で頭痛や胸痛を起こして蓋にもたれたまま死ぬなど突然死するだけのものもあるが、話によっては、予言された子は塞がれた井戸の周りをぐるぐる回ったり泣いたりし、時には閉じ込められた部屋から抜け出していってさえして井戸や水辺へ走り、しまいに井戸の蓋の上によじ登ったり、井戸や池を囲った柵に体を打ち付けて死ぬのだ。子供自身が、何か強い力に引かれるように、運命を「成就させようと」もがくのである。

 ところで、ここで挙げた話で運命を予言するのは、女神ではなく老人だ。占い師であるとも、神の話を聞いてしまった旅人であるとも語られていない。この老人は祖霊であり、つまり精霊か亡霊であるらしい。

水の命13  日本 岐阜県

 旅の商人が、一人でお宮に泊まっていました。すると馬のくつわの音がして、馬に乗った誰かが外にいる気配がします。「行こう」と中に声をかけてくるのに、「客があるから行けぬ」と声が返って、商人は仰天しました。それがお宮の神の声だと気付いたからです。

 やがて夜が明けると、再び馬に乗った神様が帰ってきて、お宮の神様に言いました。
「里でいい子が生まれたが、十二の七月某日に水に溺れる」

 商人が家に帰ると、自分の家に男の子が生まれていました。さては、神様が言っていたのは我が息子のことだったかと悟り、大事に育てました。

 やがてその子が十二歳になると、川へは決してやらないように気をつけていましたが、ある日、子供は暖簾に頭を突っ込んで、それが首に絡まって死にました。その暖簾には「水」という文字が書いてありました。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

水の命14  日本 新潟県長岡市

 六部(旅の僧)が鎮守様の縁下に泊まっていて、夜中に箒神の誘いの声を聞いた。

「今夜 村で子供が生まれるから、運定めに行こう」「今夜は泊まり客があって行けない」

 やがて戻った箒神はこう報告する。
「臼神様が少し遅く着かれたが、めでたく男の子が生まれた」「して、その子の運は?」「三つの水の命ということに決めてきた」

 翌朝、六部は子供の生まれた家に行って産神達の話を伝え、両親は子供が三歳になると水辺へ行かせないよう注意した。けれども、三歳のとき、子供は家の中の暖簾に絡まって死んだ。その暖簾には波に千鳥の模様が描かれていた。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

※夜に旅人が無人の(神聖な)建物に泊まっていると、外に何者かがやって来て、中に語りかける。すると無人のはずの中から返答する声がする。建物の中の声の主は泊まっている旅人を「客」とみなして大事にしていることが分かる……。

 このモチーフは、ロシアの民話でも見かける。ただし、こちらはもっと怖い話になっている。

 ロシアのサウナ小屋であるバーニャには、バーンニク、シシーガ、オブヂェリーハなどと呼ばれる精が憑いているといわれる。この精は産神でもあるが、時には子供と産婦を殺すこともある、恐ろしい精である。

 ある時、旅人がバーニャに泊まった。眠り込んだとき、外から男が入ってきて「おい、俺におしゃべりに来いと言っておいて泊り客を入れるとは何事だ。こいつの息の根を止めてやる!」と言った。すると床板がガバッと開いてバーニャの精が出てきて「俺が入れた客は俺が守る。手出しをするな!」と言って戦い始めた。長い間戦っていたが、決着はつかなかった。すると、バーニャの精が旅人に向かって言った、「十字架を外してヤツを打て!」。その通りにすると、二人とも姿を消してしまった。(『ロシアの妖怪たち』 斎藤君子著 大修館書店)

占い師の予言  日本

 今となってはかなり昔の話である。母親が知り合いの占い師に、生まれたばかりの息子の将来を相談した。占い師は「この子の首の回りに川か水の渦のようなものが見える、水難の相かもしれない」と言う。
 母親は子供を池や川に近付けず、一方でスイミングスクールに通わせて泳ぎを上達させた。

 成人になろうかという頃、母親が家に帰ると、子供は台所の暖簾を首に巻いた首吊りの状態で死んでいた。その暖簾は鯉の滝登りの絵で、滝の部分が水の渦のように首の周りに巻き付いていた。
 どうしてこんなことになったのかは分からない。母親は「これがこの子の寿命だったのだ」と思った。


参考文献
『新・耳・袋』 木原浩勝、中山市朗著 扶桑社 1990.

※『新・耳・袋』は、後にメディアファクトリーより再販され、シリーズを重ねている。角川文庫版もある。

 この話には、民話のモチーフが完全な形で現れている。民話を基にした創作と考えることも出来るのかもしれないが、この本は「本当にあった体験談を収集した怪談集」、という体裁なので、現代の生の民話、と考えて採ってみた。「かなり昔の話」とあるが、スイミングスクールに通わせているのだから、そう昔の話ではないはずである。

水の命15  日本 愛知県

 金持ちの家に男の子が生まれた。長く子供がなく、神に祈ってようやく得た子供であった。

 子供の生まれた夜、六部(旅の僧)が氏神の社に泊まっていると、馬の蹄の音がして、神々が集まって話し始めた。
「貴公のところは男の子が一人増えておめでたい」「あの家は血筋が絶える運命にあるが、あまり頼むので水難の相のある子を授けた」

 六部は金持ちの家に行き、このことを教えた。金持ちは子供に召使いまでつけて、大事に大事にして育てた。ある日、その子が召使いたちと遊んでいると、土蔵の瓦が崩れ落ちてきて、それに当たって死んだ。

 その瓦には三つ巴の紋がついており、人々は予言どおり水難で死んだのだと噂し合った。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

ともえは波頭を図案化したものとされる。つまり、水を表す図形である。

水の命16  日本 新潟県佐渡郡

 昔、坊主がお宮に泊まっていると、夜中に神様がやってきて宮の神に呼びかけた。宮の神は「今夜はお客で行かれない」と断った。やがて出かけた神が帰ってきて、「村一番の庄屋に男の子が生まれたが、水について死ぬ」と言って去った。坊主はその家に行って、この子は水について死ぬから気をつけぇと注意した。

 さて、庄屋の家では水に注意してその子を育てたが、十歳になったとき、油断して「水」という名の《がんほん(お化け)》に取られてしまい、死んでしまった。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

※兵庫県の話では、某月某日に水で死ぬと神に予言された子を、当日、母親が一日中背負って連れ歩いていると、母親の里の親が来て子供を連れて行き、そのまま戻らなかった。その親は河童が化けたもので、そのまま子供を川底に連れ去ったのだと言う。

十八年の寿命  ロシア

 ある女に子供が生まれて、その子が三ヶ月のときだった。夜、眠っていると、不意に誰かが窓をトントンと叩いた。起き上がって窓を開けると、白い服を着た女が「水を下さい」と言う。水をたっぷり飲ませてやると、今度は「お前の息子を渡しなさい」と言った。母親が断ると、女は言った。

「十八年後に、お前の息子は自分から進んで私たちのところへやってくる」

 まさにその通り、息子は十八歳のときに死んだ。


参考文献
『ロシアの妖怪たち』 斎藤君子著 大修館書店 1999.




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