高句麗〜痩せた馬

 金蛙ワァ王には七人の息子がいましたが、朱蒙チュモンはその末弟として育てられ、いつも一緒に遊んでいました。

 しかし、才能の違いはあまりにもはっきりしていました。みんなで狩に出かけますと、兄王子たちは四十人あまりのお供を引き連れて、やっと一人につき一、二頭の鹿をしとめる程度でしたが、朱蒙はたった一人で五頭も六頭も射るのです。金蛙王が褒めるので兄王子たちは妬ましくなり、朱蒙を木に縛り付けて鹿を奪って帰ってしまいました。すると、朱蒙は縛られた木を引っこ抜いて帰ってきました。彼は恐るべき怪力さえ持っていたのです。

 長兄の帯素テソは優秀過ぎる弟に太子あとつぎの地位を奪われることを恐れ、金蛙王に言いました。

「朱蒙はあまりに人間離れした力を持っています。そもそも、あいつは私たちの本当の身内ではないではありませんか。今のうちに殺してしまわなければ、国にとって災いになるでしょう。」

 金蛙王はこの進言を即座に鵜呑みにはしませんでしたが、疑わしい気持ちにはなり、朱蒙に辛く当たるようになりました。狩に出ても少しの矢しか与えられず、とうとう馬番を命じられてしまい、朱蒙は恨みでいっぱいになって母に言いました。

「私は天帝の孫だというのに、人のために馬の世話をして生きるなど死ぬよりも辛いです。いっそ南に行って自分の国を建てたいですが、母上のことを思えばそうもいきません」

「お前の今の境遇には、私も胸を痛めていました。お前が出て行きたいのなら、そうしなさい。ただ、男が長旅に出る時には、必ずや駿馬が必要だと聞いています。この母は駿馬を見分ける方法を知っています。お前にふさわしい馬を選んであげましょう」

 こう言うと、母はすぐに牧場に向かいました。そこで長い鞭をビュンビュンと振り回しますと、馬たちは驚いて走り回り、その中の赤い馬一頭が二丈(約6m)あまりの柵をぽーんと飛び越えました。

「分かりました、母上。あの馬こそが駿馬なのですね」

 朱蒙は納得していますが、大雑把な見分け方だと思います。つーか、その柵高すぎないですか。高さではなく横幅だったのでしょうか。

 

 それからしばらくして、金蛙王が牧場の視察にやってきました。すると素晴らしく肥えて立派な馬がいたので喜び、それに自分が乗ることに決めました。一方、朱蒙には牧場中で一番痩せっぽちでみっともない馬を与えました。

 しかし、実はその馬こそが例の駿馬でした。朱蒙がこの馬の舌に針を刺しておいたので痛くて何も食べられず、げっそり痩せていたのです。そして王が選んだ見掛けの立派な馬は、朱蒙が飼葉をたっぷり与えて太らせた駄馬だったのです。

 朱蒙は駿馬を自分のものにすると、針を抜いてよく飼葉を食べさせ、元のように立派に太らせたのでした。




高句麗〜魚の橋

 兄王子たちは またもや朱蒙を殺そうと計画を練り始めていました。密かにそれを知った朱蒙の母は、息子にこう告げました。

「この国の人々は、今まさにあなたを殺そうとしています。あなたならばどこへ行っても立派にやっていける。このままこの国に留まって恥辱を受けるよりは、遠くへ行って有為な仕事を成しなさい」

 朱蒙は国を出る決意をしましたが、母を連れて行くことは出来ません。恐らくは今生の別れとなるでしょう。朱蒙が辛そうにしていると、母は

「私のことは心配いりません」

と言って、五穀の種を包んで渡してくれました。新しい国でくように、というのでしょう。

 

 鳥伊、摩離、陜父という三人の賢い男が友となり、朱蒙の旅立ちに同行しました。四人は馬を駆って淹滞という河に至りましたが、橋も船もないので渡ることが出来ません。後ろからは兄たちの差し向けた騎兵隊が追ってきているというのに。

 朱蒙は馬鞭で天を指し、「ああ、 私はここで死ぬわけにはいかない」と嘆きながら言いました。

「我は天帝の孫、河伯の外孫なり。今、難を逃れてここに至ったが、追手が迫っている。天神地祇よ、この孤子を憐れみて、今すぐにこの河を渡らせたまえ!」

 そして弓で水面を打ちますと、どうしたことでしょう、魚やスッポンが沢山浮かび出てきて、頭を並べて橋を作りました。河伯のお祖父さんが願いを聞いてくれたのでしょうか。

 朱蒙たちは魚の橋を急いで渡りました。次いで追手たちもその橋に馬を走らせましたが、橋はたちまち散り散りに消え失せて、追手たちは水の底に沈んでしまいました。

 

 さて、こうして東扶餘を逃れた朱蒙でしたが、別れの悲しみのあまり、母から渡された五穀の種を忘れて出てきていました。

 朱蒙が大樹の下で休みながらそんなことを思い出していると、二羽の鳩が飛んでくるのが見えました。鳩の喉が膨らんでいたので、朱蒙は

(あれはきっと、忘れた五穀の種を運んできた母上の使いに違いない。)

と咄嗟にひらめき、弓を引いて一矢で二羽をしとめました。そして喉を開いてみますと、果たして、五穀の種が入っています。それを取り出してから水を吹きかけますと、鳩は生き返って飛び去っていきました。




高句麗〜建国

 朱蒙は毛屯谷(または、普術水)に着いたとき、三人の男に出会いました。一人は麻衣(麻で作った白い服。僧侶の衣)を、一人は衲衣のうえ(糞掃や死体の包装などに使用した穢れた布を縫い集めて作った衣。または、その精神にのっとった僧侶の衣)を、一人は水藻の服を着ていました。

 朱蒙はその三人に言いました。

「お前たちは何者か。姓名を名乗れ」

 麻衣を着た男は答えました。

「我が名は再思」

 衲衣を着た男は答えました。

「我が名は武骨」

 水藻の衣を着た男は答えました。

「我が名は黙居」

「名は分かったが、姓はなんと言うのだ」

「………」

 三人は黙っていて答えません。名字がないのだか、答えたくないのだかは謎ですが。

「分かった。では、私がお前たちに姓を授けてやろう。再思は克氏、武骨は仲室氏、黙居は少室氏だ」

 朱蒙は勝手に(?)三人に名字をつけてしまうと、世間に向かってこう公言しました。

「我は大命を承り、国家のもといを開こうとしているところである。今、偶然にもこの三人の賢人に出会ったが、これは天からの賜りものに違いない」

 家で苛め殺されそうになったのに耐えかねて逃げ出してきたのだとばかり思っていましたが、いつの間にか、天から国作りの特命を受けたことになっていたみたいです。

 とにかく、三人にはそれぞれの能力に応じた仕事を与え、一緒に旅して卒本川に着きました。

 ここは肥えて美しく、山河も堅固ないい土地でした。ここには卒本扶餘という国がありましたが、王には跡継ぎの息子がありませんでした。王は朱蒙が常人離れして優れているのを見て取ると、自分の三人の娘のうち、次女を妃として与えました。やがて王が死ぬと朱蒙は王位を継ぎ、国の名前を高句麗としました。また、名字を改めて「高朱蒙」と名乗りました。太陽は高い場所から世界を照らすものですから。

 高句麗の王となったとき、朱蒙は二十二歳でした。紀元前三十七年のことだと言われています。人々は天(太陽)の子である彼を東明王と呼びました。




高句麗〜国争い

 国を建てると、四方から評判を聞いて人々が集まってきて、次第に賑やかになりました。周囲の他部族を攻撃して従えさせ、概ね平和に過ごしていました。

 そんなある日、朱蒙が沸流水という河に行きますと、上流から菜っ葉が流れてくるのを見ました。さては、上流に人が住んでいるな。それに気付いた朱蒙は狩をしながら上流を目指して行きますと、やはり狩をしている貴人の一行に出会いました。彼は沸流水の上流にある沸流国の王で、松譲と言いました。

 松譲は朱蒙の様子が常人とは異なるのを見て取り、彼を引き寄せて一緒に座って尋ねました。

「私は僻地に住み、これまで君子に出会うことがなかった。今日は図らずも出会うことが出来て幸いである。ところで、そなたは何者で、何処からおいでたのかな?」

「私は天帝の孫で、この近くに都を定めています。あえて尋ねるが、君王はどなたの後裔であるか」

「私は仙人の子孫であり、何代にもわたって王業を続けてきた」

 いつものように、朱蒙は必殺技の「天帝の血筋」を出してみましたが、なんと相手は仙人の子孫です。よく分かりませんが、なんだか凄そうです。しかも、何代にもわたる地元の王の血筋であるというのですから、正統性では圧倒されています。

 実際、松譲は朱蒙の出自を聞いても大して怯まず、「この辺りは二人の王を受け容れるには狭い。そなたはまだ都を定めて日が浅い。我が沸流の属国となり、私の従者になるのがよかろう」とさえ言いました。

 これを聞いて、朱蒙は怒りました。

「何を言う、そなたこそ我が従者になるがよい! 私こそが神の後を継いだ正統な王だ! そなたは神の子孫でもないのに勝手に王を名乗っているが、もし私に従わぬのなら、必ずや天罰が下るであろう!」

 天帝の血を引く、ということは彼の存在意義アイデンティティの全てでした。何をするにも、天の子であるからこそ正当であり、周囲にもそう理解されて当然だったのです。

 しかし、松譲は朱蒙が「天帝の孫、天帝の孫」と繰り返すのを生暖かい気持ちで聞いていました。ならばどの程度のものか試してやるかと思い、弓術の勝負を持ちかけました。……朱蒙は弓の名手だったのに、マズい方法を選択したものですね。

 松譲は鹿の絵を掲げ、百歩離れたところから射てちゃんと当てました。ただし、中心に的中はさせられませんでした。一方、朱蒙は宝石の指輪を百歩離れたところに吊るして射ましたが、指輪は一発で粉々になりました。この神業に、松譲は大いに驚きました。

「なるほど、そなたは優れた力を持っているようだ。だが、我が国は古くからこの地にある歴史ある国。天が我が一族にこの地を下された証として、鼓、笛といった伝来の神器を授かっている。そなたにそれがあるのかな?」

 そんなものは持っていませんでしたので、朱蒙はショックを受けました。それらがないので、沸流国の使者がやってきても王としての威儀を整えることが出来ず、馬鹿にされていると感じて悩みました。

 朱蒙がこのことを漏らすと、聞いていた臣下の扶芬奴が進み出て言いました。

「臣が大王のために沸流の鼓を取ってまいりましょう」

「よその国のものをどうやって取って来ると言うのだ」

「それは天が与えたもの。そして我が大王は天の血筋です。どうして取って悪いことがありましょう。

 それに、大王は様々な危地を乗り越えられて、今、この地でお名を馳せておられます。大王が扶餘で困っておられた頃、誰がこのような未来を予想したでしょうか。これほどのことを成し得たのも、それが天命だったからに他なりません。天がついているのですから、どんなことでも出来ないことはないのです」

 おいおい、それは屁理屈だろう。しかも電波入ってるし。

 しかし、扶芬奴は実行しました。仲間二人と共に沸流に潜入し、まんまと鼓と笛を盗み出してきてしまったのです。

 すぐに、沸流からの使者がやってきました。朱蒙はバレるのではないかとヒヤヒヤしましたが、鼓と笛の色が褪せて前よりも古い感じに見え、違うもののようであったので、松譲は「盗んだな」と言えず、この件はそれで終わってしまいました。なんてこった……。

 また、松譲は言いました。

「この地に二人の王は納まらぬ。どうだ、どちらが王都を開いたのが先か、それによって優先されるべき国を決めようではないか。やはり、歴史ある国の方が主となり、歴史浅い国は属国となるべきであろう」

 そこで、朱蒙はわざと古い柱を使って宮城を建てました。そのために一千年も経っているように見えたので、松譲はそれを見て、もう「歴史」のことは言わなくなりました。

 

 このように高句麗と沸流は小競り合いを続けてきたのですが、ついに決着のつくときがやってきました。

 朱蒙は西の地方を巡幸していたとき、雪のように白い大きな鹿を捕らえました。これは神の眷属に違いない……そう思った朱蒙は、蟹原という地で 逆さてるてる坊主のように白鹿を逆さ吊りにして、このような呪文を唱えました。

「さあ、大雨を降らせ。降らして沸流国をそっくり水の底に沈めよ。さもなくば、お前を決して放しはしまい。お前が我の憤りを晴らすのだ!」

 鹿の悲しげな鳴き声は天にまで達し、果たして、天の池の底を突き破ったような大雨が七日間も降り続けました。洪水となり、朱蒙の望みどおりに沸流の都は水の底に没しました。そして、高句麗も水の底に没していました。って……。これって、単に平等に地上に天罰が下ったってだけのことなんじゃあ。

 朱蒙は馬に乗って水の中を泳ぎ渡り、葦の束を流れの中に横に渡して、自分の国民をそれに捕まらせました。それから馬鞭で水をさっと掻きますと、水は直ちに引いたのでした。……そんなことが出来るなら、葦の束を渡す前に水を引かせればいいのに……。

 紀元前三十六年の六月、松譲が来て、国を挙げて降伏しました。洪水の被害で高句麗と張りあってはいられなくなったのでしょう。朱蒙は沸流を多勿郡という名にし、松譲をその主に封じました。高句麗の言葉で「多勿」は「古い土地を取り戻す」という意味です。他人の国を取ったのに、朱蒙的には「取り返した」ということになっていたようです。「地上の国は全て天から与えられたもの。であれば、もともと天帝の孫の私の持ち物だったのだ」という理屈なんでしょうか。すばらしきジャイアニズムです。王たるもの、このくらい図々しくないといけないのかもしれません。

 

 その一ヵ月後、鶻嶺という山が黒い雲に覆われ、下から見えなくなりました。ただ、数千人が土木工事をしているような声や物音だけが聞こえてくるのです。朱蒙は「天が私のために城を築いているのだ」と言いました。果たして、七日目に雲が晴れ、立派な城が姿を現しました。朱蒙は天に向かって礼拝すると、そこに移り住んだのでした。




高句麗〜太陽に昇る琉璃

 朱蒙が高句麗王となって数えで十四年目、母の柳花が亡くなりました。金蛙王は皇太后の待遇で彼女を葬り、神廟を建てました。それを知った朱蒙は金蛙王に感謝し、使者を扶餘に遣わして高句麗の産物を贈ったのでした。

 その五年後のことです。朱蒙のもとに、彼の息子だと名乗る若者がやってきました。扶餘から逃れて来たと言い、その母だという女性を伴っています。

 朱蒙はこの地で結婚した妃との間に沸流プル温祚オンジョという息子をもうけていましたが、それ以外の子供が………実は、いたのです。東扶餘から逃亡するとき、彼は既に禮一族の娘と結婚していたのですが、彼女を連れて行くことが出来ず置き去りにしたのでした。その後で禮氏は琉璃を産んでいたのです。

 琉璃は語りました。

「私が幼い頃、道で雀を射て遊んでいて、誤って水汲みの女の水がめを割ってしまいました。女は私を呪って言いました。

『これだから父親のない子は!』

 私は恥ずかしくなり、帰って母に問いました。『私の父は誰なのですか? どこにいるんですか』と……」

 

 琉璃に尋ねられると、母は「お前に定まった父はいないのですよ」と答えました。「私にも、誰がお前の父親なのだか……」

 これを聞くと琉璃は涙を流しました。

「父親が誰かも分からないだなんて、世間に顔向けできません」と言って首を刺そうとしたので、母は慌てて止めて

「冗談が過ぎたようです。お前の父は常人とは異なっていたので国に受け容れられず、南の地に逃れて国を開き、王になっています」と明かしました。

「それは本当ですか!」

 琉璃は喜びましたが、やがて悔しがりはじめました。

「父は王だというのに、子の私は人に仕えて暮らしているなんて。才覚の差というものでしょうが、恥ずかしいです」

 すると、母は言いました。

「国を出るとき、あなたの父上は仰いましたよ。

『生まれた子が男児ならば、その子に言いなさい。私の形見の品が七稜七つ角の石の上の松の下に納めてある、それを探し出せたなら間違いなく我が子であると認めよう』と」

 母の話を聞いた琉璃はすぐにその形見を探しに山や谷に行きましたが、見つけることが出来ず、ただ疲れて帰ってきました。

 そんなある日のこと、琉璃が堂の上にいると、柱を支えている礎石の下から何かが聞こえるような気がしました。見ると、礎石には七つの角があり、柱は松で出来ていました。こここそが父の言い残した場所だったのです。琉璃は柱の下を探し、折れた剣を一振り発見しました。

 

「その剣を持ち、屋智と句鄒と都祖の三人を共にして、私は父上に逢いにやってまいりました。どうかこの剣を見て下さい!」

 琉璃は語り終えると、大事に持っていた折れた剣を差し出しました。朱蒙が自分の折れた剣を出して合わせますと、剣は血を流してくっつき、一振りの剣になりました。朱蒙は更に琉璃を試して言いました。

「お前が本当に我が子ならば、何か神術ができるだろう」

 すると琉璃は天空の太陽まで昇って見せました。……おいおい、そんなこと父ちゃんの朱蒙にも出来ねーよ。才覚がナイなんてもんじゃないって。(余談ですが、琉璃は父に負けず劣らずの弓の名手でもあります。)

 これらを見た朱蒙は喜び、高句麗で出来た二人の息子を差し置いて琉璃を太子に定めたのでした。

 

 これも天の計らいだったのでしょうか。それからたった五ヵ月後の秋、朱蒙は四十歳で昇天しました。琉璃は遺品の玉と鞭を龍山に葬り、王位を継ぎました。

 なお、朱蒙の故郷であった東扶餘は、帯素王(朱蒙の長兄)が高句麗の三代目の王・無恤王(朱蒙の孫)に討たれたことによって滅びました。西暦二十二年のことです。帯素は朱蒙が東扶餘に災いを成すとして殺そうとしましたが、図らずもその危惧のとおりの結末を迎えたのでした。




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 朱蒙が兄王子たちに苛められてるのって、日本本土の神話のオオクニヌシみたいだね。木に縛り付けられるのは、オオクニヌシが木に挟まれて殺された話を思い出すかも。
 そのあと国を出て自分の国を作るのも、脱出を助けるのがお母さんなところも同じ。
 同じ系統に属した話なのかもしれませんね。
 オオクニヌシのエピソードはギリシア神話のアドニスとアフロディテのエピソードによく似ているのですが、同じように、朱蒙のもとに母の使いの鳩が現れるくだりは、ギリシア・ローマ神話などで類似のエピソードを見る事が出来ます。

 女神アフロディテと人間の王アンキーセースの間に生まれたアイネイアースは、トロイア戦争で敗北したあと、一族を引き連れて新たな国を求めてさまよいました。そんな中で巫女シビュレーに頼み、冥界にいる父・アンキーセースと語らって指示を受けるため、冥界へ下る冒険をすることになります。
 シビュレーは、冥界へ行くのは容易いが、生きて戻るためには「黄金の枝」が必要になる、と言いました。その枝を手に入れるのは難しく、運が悪ければ木からもぎ取ることは出来ないだろう、と。
 アイネイアースがシビュレーの指示に従って森に行くと、二羽の鳩が現れて案内しました。母神のアフロディテが使いをよこしたのです。
 鳩の案内でアイネイアースは黄金の枝を手にいれ、冥界で父の言葉を聞きました。その後、辿り着いた約束の地で地元の王女ラウィーニアと結婚し、基盤を固めます。
 彼の後を継いだのはラウィーニアとの間の子ではなく、陥落するトロイアを脱出する際に離れ離れになった最初の妻クレウーサとの間の子、アスカニウスでした。彼の子孫がローマを建国します。
 なんとなーく、似ている話のような……?
 琉璃の物語のような、高貴な父親が子供の生まれる前に去り、成長した子供が父の残した品物を手に父に会いに行く……というエピソードも伝承の世界では他で見られるもので、これもギリシア神話で例を見る事が出来ます。

 アテナイの王アイゲウスは神託によってトロイゼーン王女アイトラーと一夜を過ごし、「産まれた子が男児ならば、あの大岩を動かせるようになったとき、私の素性を教えて訪ねて来させよ」と言い残してアテナイに帰りました。産まれた子・テセウスはやがて大岩を動かせるほどに成長し、岩の下に隠してあった父の剣とサンダルを持ってアテナイまでの冒険の旅に出発します。
 父王は既に別の女性と結婚していて、彼女の妨害で殺されそうにもなりましたが、最後には証拠の品によって父子があることが判明し、テセウスは国の跡継ぎとして迎え入れられたのでした。
 ホントに同じ話だね。
 さて、朱蒙の一族の物語はまだ続くのですが、次回はちょっとお休みして、高句麗と同時期に存在していた別の国、新羅の建国神話をお話したいと思います。


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