参考--> [倒木、落雷、縛り首、蛇などによる死の回避]

 

倒木による死  スロベニア人

 ある子供が生まれたとき、食卓の上に 一本のナイフと、蜂蜜の入った壺と、一片の木切れが置いてあった。運命の女神ソイェニツァたちがこう定めた。

「この子は木に打ち倒されて死ぬだろう」

 予言されたとおりになった。ある日、その子は森に出かけていって、一本の木に打ち殺された。

 だから、人々は子供の誕生に際して次の三つの言葉を決して口にしない。――ナイフ、水、木。もし口にすれば、産まれた子は刃物か水か木に殺される運命を与えられるかもしれないから。



参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

※ウクライナの類話では、「庭の木によって命を失う」と予言された地主がその木を切り倒して細かく割ってしまう。ところが、彼は割った木のささくれでケガをし、それが元で命を失ったのだった。



転落による死  日本 秋田県

 ある人が大石の傍に泊まっていると、夜中に、箒神が「お産に行こう」と誘ってくる。大石に宿っている石神は「客があるから」と言って断る。しばらくして箒神が戻ってきて、「産まれた子は男だっけ。めあじょなを持ってきたから大工になるべ。十七になれば死ぬな」と話している。翌朝 村に行くと、果たして男の子が生まれていた。

 十七年経ち、その人が再びその村に行ってみると、その子は大工になり、屋根から転落して死んでいた。



参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

※運命の子が大工になり、屋根から転落して死ぬパターンは、日本の[産神問答]では新潟、大阪などにもある。

虻に手斧ちゅうな   日本 新潟県

 あったてんがな。

 あるどき、村の鎮守さまに、六部が泊まっていた。夜中に、チリンチリンチリンと鈴つけた馬の音がして、他の神さまが迎いにござらしたてや。

今夜こんにゃ、村に子供が産まれるすけ、はや、行ぎましょうねかの」
「オラもそう思て、行ごうと思ていたども、オラどこに急に泊まり客があって、オラ、行がんねえすけ、よろしゅう頼む」
「そうかの。そうせば、行って来る」

 そう言うて、チリンチリンチリン、行がした。

 ほうして、大概めえたれば(だいぶ過ぎると)、チリンチリンチリン、音がして、その神さまが戻って来らした。

「めでたく男の子が産まれた」
「その子の運は、なじだの(どんなものかい)
二十はたちの年の虻に手斧ちゅうなだ」
「そうかの」

 それっきり、神様がたの話はやんだ。

 

 それから二十年経って、その六部がまた、その村へ来たてや。ほうしると、あの晩に産まれた男は今年二十になって、もう亡くなっていた。その男は大工どんになって家を建て、その建て前(棟上げ)の時、天井へ上がって、コンコン、手斧ちゅうなを使っていた。そのどき、虻がやたらに顔に、ブーンブーンと飛んでくるんだんが(飛んでくるものだから)、持っていた手斧で払い除けようとして、手斧で顔を傷つけて、下へ落って、命を落としてしもたてや。

 いきがポーンとさけた。


参考文献
『おばばの夜語り 新潟の昔話』 水沢謙一編 平凡社名作文庫 1978.


参考 --> 「虻と手斧1

 海外のもので転落死が予言される例は、かなり少ないらしい。スロベニアの民話に次のようなものがある。

 その子供が生まれたとき、三人の運命の女神デセトニツァがやってきた。母親は「この子はどんな人間になりますか」と尋ねた。すると女神の一人が言った。「二十一歳のとき、その子は深い淵に落ちるだろう」。そして女神たちはその運命の日を書き留めた。

 その日が来ると、両親は「外に出ないように」と言ったが、その子は外に出たがる。それでベッドに寝かせた。すると、子供はベッドから落ちて死んだ。

 他には、「池で溺れ死ぬと予言された子を守るため、池の周りを高い土塀で囲ったところ、子供はその土塀から転落して死ぬ(スロベニア)」「娘が井戸で溺れ死ぬ夢を見た商人が、その井戸を汲み干して毛皮で蓋をする。ところが誕生日の日、娘は走ってその毛皮の上に飛び乗り、枯れ井戸の中に落ちて死ぬ(ロシア)」というものもあるにはあるが……。



落雷による死  ドイツ人

 大昔、ライン川のほとりに住む王に一人の息子が生まれた。王は後継が出来たことを喜び、お抱えの天文学者に息子の運勢を占うように命じた。危険が迫っていないか、細心の注意を払わなければならないと思ったのだ。

 天文学者たちは天をくまなく探り、こう言った。

「私どもはこう判断いたします。――ご子息は七歳まで生きながらえたなら、後は天寿をまっとうし、名声と力を得るでしょう。しかし七歳のときには、しっかり守ってあげなければなりません」

 王子が七歳になると、王はラインのほとりの山の上に頑強な塔を作り、その中に王子を閉じ込めた。食料も薬もおもちゃも、全てが前もって運び込まれていたので、王子が退屈することは無かった。

 そうして、王子が七歳になって七ヶ月と七日経った日。恐ろしい雷雨がやってきて塔を包み込んだ。それでも、王は塔が王子を守ってくれるものと安心していた。しかし嵐が過ぎ去ったとき、塔は崩れ落ちていて、王子は召使いや教師たちと一緒に瓦礫の下に潰れて横たわっていた。



参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

※落雷による死はパターンが確立されている。

(1)運命の女神または予言者が、子供が落雷で死ぬ運命を告げる
(2)親は子供を塔・砦・地下室など、頑強な建物に隠す
(3)雷が落ち、建物は粉々に壊れて子供も死ぬ

 ただし、これも[水による死]と同じで、信仰によって運命を退ける、キリスト教化されたハッピーエンド型が存在する。むしろ、そちらの型の方が広く知られているかもしれない。



縛り首による死  スロベニア人

 三人の男の子が生まれた夜、運命の女神ロイェニツァたちがやって来て、運命を定めました。三人のうち二人は溺れ死に、残りは絞首刑になる、と。

 成長した三人兄弟はいつも離れずにいました。ある日のこと、三人一緒に川に水浴びに行って、二人は溺れ死んでしまいました。残った一人は、兄弟の死体の間に横たわりました。なにしろ、彼はロイェニツァの予言の話を知っていたのです。このままでは、自分こそが絞首刑で死ぬ運命を得てしまうでしょう。

 すると、ロイェニツァたちが側を通り、互いに言いました。

「私たちが縛り首で殺されると予言した子が、どうして溺れ死ぬことがあるだろう?」

 生き残った子は己の運命の回避できないことを悟り、広い世間へ旅立っていきました。

 やがて、男の子はある主人に雇われて、馬番をすることになりました。ところがある夜、主人はこっそりと家畜小屋に入ってくると、一頭の馬をナイフで刺しました。翌朝、死に掛けた馬を見つけた男の子が主人を呼ぶと、主人は馬殺しの罪を彼になすりつけたのです。こうして彼は絞首刑を宣告されましたが、あわや、というとき、もう一人の主人が駆け込んできて叫びました。「この子は無実だ!」

 男の子は許され、そこから逃げ出しました。途中で出会った男が、親切にも馬を提供してくれました。

 けれども、この男は馬泥棒で、馬は盗んだものだったのです。男の子は馬泥棒を追ってきた人々に捕らえられ、とうとう、本当に縛り首にされて死んでしまいました。



参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

※絞首刑による死の場合、子供の生まれた時間が悪かったから、などと説明されることがある。
 例に挙げた話では無実の罪で殺されてしまうが、「悪い時間に産まれた子」は実際に犯罪者になって、縛り首の結末を与えられる。
 ただし、これにも運命の回避に成功するハッピーエンド型が存在する。



首吊りによる死  ドイツ人

 ジプシーが、ヴィスベックに住む農夫に予言をした。

「あんたの子供は不幸な時間に生まれたから、いつか縛り首になるだろう」

 そこで農夫は息子に神学を学ばせ、正しい道を歩むように望んだ。息子は司祭にまでなったが、ある日のミサのあと、一本の糸で首をくくって死んだ。



参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

※これは、人に殺されるのではなく、自から首をくくって死ぬ型。
 これにも、本人や周囲の人の信心深さによって紐が切れ、自殺を免れるハッピーエンド型がある。

 なお、糸や紐が絡まって図らずも窒息死してしまう、事故死型の話もある。

参考--> 「水の命13



三重の死  セルビア人とクロアチア人

 ある女に子供が生まれた時、三人の運命の女神スジェニツァが枕元に立って、子供の運命の予言をした。夫は火の側で横になっていたので、それを聞いたのは妻だけだった。

 一番目の女神が言った。「この子は蛇によって死ぬだろう」

 二番目の女神が言った。「この子は墜落して死ぬだろう」

 最後に、三番目の女神が言った。「この子は溺れて死ぬだろう」

 夫婦はスジェニツァたちの予言を信じなかった。だって、一人の人間が三通りの死に方をするなんてことがあるだろうか?

 子供は大きくなり、ある日、鳥の巣から卵を取ろうとして木に登ったところ、巣に潜んでいた蛇に噛まれ、驚いて水の中に落ち、溺れて死んだ。



参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

※「玉突き式ふんだりけったり死」というか……。

 この三重の死の話型は、ペルシアからアイルランドにまで広がっているそうだ。

 中世アイルランドの有名な魔術師マーリンにまつわる話もある。

 女王ガニーダは、マーリン(ライケロン)の力を試そうと思い、一人の男の子を三つの姿に変装させて、それぞれどんな死に方をするか予言を受けに出かけさせた。

 最初の姿のとき、マーリンは「この子は岩から落ちるだろう」と言った。次の姿の時には「この子は木で死ぬだろう」と言う。三つ目の姿の時には「この子は川で溺れ死ぬだろう」と告げた。

 マーリンの予言の力は否定されたかに見えたが、後、成長した男の子は、狩をしているうちに岩から落ち、両足が一本の木に引っかかり、そこにぶら下がったまま頭は川の水に浸り、溺れて死んだ。

 ただ、この話には別説もある。三つの異なる死を予言したその日、ライケロン(マーリン)自身が予言どおりの三重の死を遂げる。

 この話型では、死の予言を「疑う」というニュアンスがある。デタラメだ、と思わせておいて、残酷な状況で成就させる。

 

 また、やや違った「三重の死の予言」にまつわる話群もある。三つの死因が予言され、本人やその周囲の者が予言の一つ一つを回避していく。だが、ついに最後のひとつの予言を回避できず、その通りに死ぬ。

 

 思えば、多くの「運命の女神の予言シーン」を見れば、女神たちはてんでに勝手なことを言っている。女神一人一人が、一人の人間について全然別の運命を語ったりする。が、結局は一番年長の女神が定めたことが「運命」になる。三重の死の話型では、この「意見を取りまとめる女神」が存在していないようだ。そのため、複数の相反する条件がそのまま受諾され、全てが叶うように強引に成就されてしまう。三題噺みたいだ。




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