人の運命  『捜神記』巻十九 中国

 陳仲挙(後漢の人)がまだ出世していない頃の話である。

 仲挙が黄申という人の家に泊まったその日、丁度、申の妻がお産をしていた。

 その夜のこと。戸を叩く者があるのに、仲挙だけが気付いた。やがて家の裏手から「客間に人がいる。入ることができないぞ」と声がする。戸を叩いていた者は「それでは裏門から入ろうか」と言って歩いていき、やがて戻ってきて、待っていた方と問答をはじめた。

「男か女か? 名前はなんという? その子の寿命はいくつか?」「男の子で、名前は奴という。寿命は十五歳のはずだ」

「なんで死ぬことになっているのか?」「刃物で死ぬことになっている」

 翌日、仲挙は「私は人相を診る術を心得ています」と言い、申の家族に「この子は刃物で死ぬ相がある」と告げた。それがために、両親は子供に小刀一つ持たせないように注意して育てたのだが、子供が十五歳になったとき、梁の上に置いてあったのみの柄を木切れかと思って下から鈎で引っ張り、落ちてきたのみが頭に刺さって死んだ。

 太守になっていた仲挙はこのことを知り、「これが人の運命というものだ」と嘆息したという。

※以下、類話を列記する。

あずまに下る者、人の家に宿りて産にあいたること  日本 『今昔物語』巻二六第十九

 今は昔、東国の方へ行く者があった。どこの国とも知らずに人里を通るうちに、日が暮れたので、今夜ばかりはこの里に宿を取ろうと思って、田舎の、それでも大きな造りの、活気のある感じの家に近寄って、馬から降りて言った。「どこそこへ行く者だが、日が暮れたので今夜だけ泊めていただけませんか」と。家の主人らしい、いかにも老いた女が出てきて、「早く入って休みなさい」と言ったので、喜びながら入って、客間と思しき所に落ち着いた。馬も厩に引き入れさせて、従者たちもみんな相応しい場所に落ちつけたので、嬉しさは限りがなかった。

 そのうちに夜になると、旅籠はたご(携帯食入れ)を開けて物など食べて寄りかかっていると、夜が更けるうちに、俄かに奥の方に騒ぐ気配が聞こえた。何事だろうかと思ううちに、例の女主人が出てきて言った。

「私には娘がおりますが、懐妊して既に産み月に当たっておりました。とはいえ、すぐには産まれないだろうと思って、明るい時にお泊めいたしました。ただ今、俄かに出産の気配が起きましたが、夜になっております。もし只今産まれてしまいましたら、(あなたが産褥の穢れに触れてしまうことになりますが)いかがいたしましょうか」

 泊まり客は言った。「それは何も問題ありません。私は、全くそのようなことは忌みませんから」と。女は「それはとても良かった」と言って去った。

 そのあと暫くあって、ひとしきり喧騒が大きくなって産まれたんだなと思っていると、この泊り客のいる所の近くに戸があったが、そこから身の丈八尺(2.4m)ほどの、なんとなく恐ろしげな者が、内から外へ出ていきすがら、

「年は八歳、死因は鎌で自害」と言って去った。

「何者だろう、こんな事を言うなんて」と思ったけれども、暗かったので今一つ見えなかった。人にこのことを話すこともなく、暁に急いで出立した。

 さて、国に下って八年過ぎて、九年目という年に帰京の旅をしたが、この泊まった家を思い出して、親切な所だったなと思えば、その感謝を伝えねばと思って、以前のように立ち寄った。例の女も前より老いて出てきた。「嬉しい来訪です」と言って、世間話などするついでに、泊まり客が

「そういえぱ、前に参った夜に産まれた方は、今は大きくおなりでしょう。男か女かも、とにかく急いで出立したので尋ねませんでした」と言うと、女は泣き出して、
「そのことでございます。とても愛らしい男の子でございましたが、去年の某月某日、高い木に登って、鎌でもって木の枝を切っているうちに、木から落ちて、その鎌の先が突き立って死にました。とても哀れなことでございます」と言ったのだった。

 その時になって、泊まり客はその夜に戸から出て行った者の言ったことは、それでは、鬼神の言ったことだったのかと思い当たって、
「これこれのことがありましたが、大したこととは思わずに、この家の内の人が言うことだと思って、何も言わないで出立しましたが、さては、そのことを《モノ》が予言していたに違いない」と言うと、女はいよいよ泣き悲しんだ。そして、泊まり客は京に上って語り広めたのだった。

 してみれば、人の命はみな前世の業によって、産まれる時に定め置かれているものなのを、人は愚かなもので知らずにいて、今始まったことのように思い嘆くのだ。されば、みな前世の報いと知るべきであると、語り伝えたということだ。

産まれ児の運1  日本 徳島県美馬地方

 ある男が、行き暮れて岩屋に泊まっていたとき、化物まじんが木の上で話しているのを耳にした。
「今夜お産があったが、遅れて行ったので先にのみに名を付けられてしまった。寿命は七つ」
 翌日、男が家に帰ると、自分の子が産まれていた。

 子供が七歳のとき、棚からのみが落ちてきて、それが刺さって死んだ。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

※この地方では子供が産まれると《物》に命名されないように「ととの子、かかの子」 と呼ぶ風習があるそうだ。西欧や中東の「名付け親」の思想みたいで面白い。名前を付けることにより、生命や運命を左右できてしまうのである。

参考--> 「ノミに殺される

産まれ児の運2  日本 青森県八戸地方

 ある男がお堂に泊まっていると、夜中に馬の蹄の音がし、神の話し声がする。
「今夜産ませてきた児は男で、寿命は十九、職は大工で、のみで死ぬ」
 男が 家に帰ると、隣家に男児が産まれている。

 この子供は、十九歳になってのみを磨いていた時、飛んできた蜂を追い払おうとし、誤って自分の喉を刺して死んだ。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

虻と手斧ちょうな1  日本 宮城県登米郡豊里村

 行き暮れた六部(旅の聖職者)が観音堂に泊まった。夜中に目を覚ますと、観音と山神が問答している。
「今夜の産まれ児は男の子だ。命数は二十五。病名はアブ手斧ちょうな
 翌朝になって六部が村に行ってみると、果たして、昨夜男の子が生まれたのだと言う。

 この子は長じて大工になったが、二十五歳のとき、仕事中にたかってきたアブを追い払おうとして、持っていた手斧ちょうなで誤って自分の膝を切りつけ、その傷が元で死んだ。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

※日本では、『産神問答』のうち刃物によって死ぬ型のものを「虻と手斧」型と呼ぶ。

 日本に伝わるこの型の話では、運命を予言された者の職業が「大工」であることが多い。まず中国からのみが刺さって死ぬという話が伝わり、のみは大工が持つ道具だから、という連想でこうなったのだろうか?


参考 -->「虻に手斧

蛙と鋏  ルーマニア人

 ある女が男の子を産んだ。長い間子供が出来なかったので、その喜びようは並々ではなかった。ところが、産まれた後に現れた運命の女神ミーラたちが、「この子は二十歳で殺されるだろう」と定めた。「一匹のカエルがその死の原因になるだろう」と。

 男の子は豊かな才能に恵まれ、宮廷で皇帝の右腕となり、二十歳になったとき、皇帝の娘と結婚することさえ決まった。だが何を思ったのか、羊飼いのいる牧場に行って、ぜひとも ある羊の毛を刈らせてほしいと頼んだ。
 羊の毛の下には一匹のカエルが潜んでいて飛び掛ってきたので、若者は持っていた毛刈り用のはさみで防ごうとして、誤って自分の目を突き、その場で死んだ。


参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

羊と鋏  セルビア人とクロアチア人

 ある日、旅人がある家にやってきて、泊まった。その家には大きな喜びがみなぎっていた。ちょうど、一家の主人に息子が産まれたところだったからだ。
 みなが寝静まった深夜、三人の運命の女神ヴィーラがやってきて、こう定めた。
「この子は二十二歳の誕生日に羊の毛刈りをしているとき、自分の体を切って死ぬだろう」
 旅人はそれを聞いたが、父親には知らせず、ただ、予言された日には必ずここに戻ってこようと心に決め、実行した。

 定めの通り、若者は二十二歳の誕生日、羊の毛刈りの作業中に自分の体を切って死んだ。そこで、旅人はかつて見聞きした一部始終を父親に打ち明けたという。


参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

蛇と大鎌  マケドニア人

 運命の女神ナレチニツァたちが、ある男の運命を定めた。
「お前は蛇に噛まれた傷が元で死ぬだろう」
 後に、男は草原に行って一匹の蛇を見つけた。持っていた大鎌で攻撃したところ、自分の頭を切り落としてしまった。


参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

※蛇に噛まれた傷では死んで無いじゃん。運命の女神もいい加減。

えんこときり   日本 徳島県

「あなたは《えんこ》に捕られて死ぬでしょう」と易者に言われた男がいた。
 その男が村の芝居を見に行ったとき、幕に《えんこ》の絵が描いてあった。それで、その絵をきりで突き刺そうとしたが、間違って自分の手を突いてしまい、それが元で死んだ。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

※《えんこ》とは猿猴えんこうのこと。つまりサル類のことなのだが、猿猴とは河童の別称でもあり、水の魔物に命を取られる話にも関連する。手を刺して死ぬという点では、『いばら姫』も思わせる。

参考 --> 「水の命16

虻と手斧2  日本 岩手県

 六部が山神の堂に泊まっていると、山神の話し声が聞こえる。
「今夜はお客があって行かなかったが、首尾はどうだ」「母も子も丈夫だ。年は七つ、手斧で死ぬ」

 七年経って六部がその村に行くと、大工の親父が子供の寝顔に虻がたかったので手斧で追い払って、間違って子供を殺した、と大騒ぎになっていた。六部は七年前のことを思い出し、今日がその日だったと思い当たった。


参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

リンゴとナイフ  ラトビア

 ある金持ちに男の子が生まれた。誕生の後、女神ライマが運命を定めて言った。
「この子は十歳で死ぬだろう」

 父親は息子を小さな島に連れて行き、そこに隠した。そこならば死神も息子を見つけられまいと考えたのだ。こうして息子はその島で生活したが、ある日、難破した船乗りが命からがらこの島にたどり着いて、それから二人は一緒に暮らした。

 ところが、十歳になったとき息子は病気になった。船乗りが彼を看護した。
 ある日のこと、病気の子供はリンゴを欲しがった。そこで船乗りは病人のベッドの上に身をかがめ、壁からナイフを取ってリンゴを切ろうとした。その瞬間、船乗りは足を滑らせ、男の子を刺し殺してしまった。


参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

※類話が『千夜一夜物語』にある。(バートン版第14〜16夜「バグダッドの軽子と三人の女 三番目の托鉢僧の話」)

 宝石商人の息子の運命を、占星師と賢者が告げる。「この子は十五歳のとき、ハジーブの息子・アジブという王に殺されるだろう」。父親は息子が危険だという四十日間、彼を孤島の地下室に幽閉する。ところが君主アジブがその島に漂着して宝石商人の息子と友達になる。そして四十日目、アジブはスイカを切ろうとしてナイフを持ったまま転び、誤って友人を殺してしまう。




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