月下老人  中国 『続玄怪録』

 長安の郊外に、韋固という男が住んでいた。両親を早くに亡くしたが、幸い遺産があったので不自由することも無く、青年になってからも特に勤めに出ず、上級役人になるための試験勉強を続けていた。そろそろ結婚して身を固めたいと思っていたが、親類がいないので世話をしてくれる人が居ない。仕方なく自分で探したが、なかなかよい縁には恵まれなかった。そんな時、急用で遠方に出かけることになり、途中で泊まった宋城の南の村で、韋固の身の上に同情した人が土地役人の娘を世話してくれ、夜明けに竜興寺の門前で会うことになった。

 韋固は待ちきれず、夜が明けないうちに宿を出た。辺りはまだ暗く、尖った月が青い光を地上に投げかけている。

 寺の門前に着くと、石段に腰を下ろした老人が、大きな布の袋に寄りかかって月の光で本を読んでいるのが目に入った。近づいて覗いてみると、見たことも無いような曲がりくねった文字だ。不思議に思った韋固は老人に話しかけた。

「あなたの今読んでおられる本は、どこの国の文字で書かれているものですか。私は外国の文字には少しは自信があるのですが、そのような文字は初めてです」

 老人は頷いて応えた。

「お前さんに読めぬのは当たり前じゃよ。これはな、この世の本ではないのじゃ」

「この世の本ではない? では、どこの……」

「冥界の本さ」

「冥界ですって! ではあなたは冥界の方ですか。そんな方が何故、こんなところで本を読むのです」

「お前さんがあんまり早くやってきたので、わしに出会ったのさ。わしはな、冥界で役人勤めをしておる。わしの役目は生きている人間たちの管理じゃから、時折、こうしてお前さんたちの世界に入り込んでくるのよ。この世には生きている人間とあの世の者とが半々で動き回っているのじゃが、生きている者の目にはそれが映らないだけなのさ」

「ではあなたは、人間の何を管理しておられるのですか」

「わしかい。わしはな、結婚に関する帳面を扱っている」

 韋固は内心しめた、と思った。うまくすれば、最高の嫁を見つけてもらえるかもしれないと思ったからだ。

「私は幼い頃に両親を亡くしたので、早く結婚して家庭の温かさを味わいたいと思ってきました。しかし、いくら探しても自分に相応しい相手が見つからず、困っていたのです。今日こうして早くやって来たのも、この門前で見合いをするためなのです。どうでしょう、この縁談はまとまりますでしょうか」

 老人は頷いてしばらく帳面をめくっていたが、やがて顔をあげて気の毒そうに言った。

「駄目じゃな、この話はまとまらんよ。縁が無いとなると、どんなことをしても駄目なものさ。反対に縁があるとなると、どんなに嫌がっても遠ざけても、最後には結ばれてしまう。この帳面によると、お前さんの嫁になる娘は、今はまだ三歳じゃ。この娘が十七になった年、お前さんのところにやってくる」

「今、三歳ですって?」

「さよう、あと十四年待つのじゃな」

 韋固は、この老人はきっと自分をからかっているのだと思った。けれども、もし本当のことだったら……。彼はしつこく尋ねた。

「その袋の中には何が入っているのです」

「赤い縄さ。この縄で、夫婦になる定めの者の足首と足首を結ぶのじゃ。生まれるとすぐに結ぶのじゃが、この縄で一度結ばれた同士は、どうしても夫婦になってしまうんじゃ。お前さんの目には見えないが、その三つの女の子と固く結ばれてしまっておるんじゃよ。そんなわけだから、今日の見合いは諦めた方が利口だな」

「その女の子はどこに住んでいるのですか」

「近くじゃよ。この村に住んでいる野菜売りの老婆が養っている娘じゃがね」

「会うことが出来ますか」

「その老婆は、女の子を抱いて市場で野菜を売っている。わしについてくれば、いつだって会わせてやるよ」

 夜はすっかり明けたが、見合いの相手はとうとう やって来なかった。やがて本を閉じた老人は袋を担いで立ち上がり、韋固はその後に続いて、いつの間にか市場に来ていた。

「ほれ、あの子がお前さんの将来の嫁さんじゃ」

 老人の指さす方を見ると、片目のただれた汚い身なりの老婆が、垢で汚れたぼさぼさ髪の女の子を抱いて野菜を売っていた。

(あぁ、あんな汚い子供が私の妻になるんだって?)

 韋固はひどく落胆してしまった。

(そうだ、今のうちにあの子供を殺してしまえば、別の女と取り替えてもらえるかもしれない……)

 老人は、韋固の心中を鋭く読み取ったようだった。

「いかん! あの娘は天から良い運を授かって生まれてきているのじゃ。将来、あの娘の産んだ子は立派な人間になることが約束されておる。お前さんなんぞの手で殺すことが出来るものか。馬鹿な事を考えるな!」

 こう叱り付けると、老人は姿を消してしまった。

「老いぼれじじぃめ、デタラメもいいところだ! 私は孤児ではあるが、れっきとした家柄の息子だ。あんな野菜売りの娘など嫁にしてたまるものかっ」

 韋固は老人の消えたほうに向かって罵ったが、気分はおさまらなかった。宿に帰るなり、旅に同行していた下男に一振りの短刀を渡して言った。

「お前を役立つ者と見込んで頼むのだ。市場で野菜を売っている老婆の娘を殺して来い。褒美はたんまりやるからな」

 下男は欲に目がくらみ、理由も聞かずに承知した。

 翌日、短刀を懐に仕込んだ下男は、人ごみにまぎれて老婆に近づき、隙を見て娘に切りつけた。市場中が大騒ぎになり、この騒ぎに慌てた韋固も下男の後について逃げ出した。どうにか追っ手から逃げおおせてから、韋固は尋ねた。

「うまくやったか」

「心の臓を一突きと思ったのですが、手元が狂い、額に傷をつけただけで逃げ出しました」

 下男はただ謝るばかりだった。

 その後、韋固に幾つかの縁談があったが、何かと邪魔が入り、その一つもまとまることはなかった。

 

 十四年が過ぎた。

 上級役人の試験に合格した韋固は、亡き父親の功労で、安陽の役所に勤めることが出来た。安陽の長官の王泰は、韋固に戸籍係の仕事を与え、裁判の事務も手伝わせた。韋固がてきぱきと仕事を片付けるのを見た王泰は、その将来を見込んで自分の娘を韋固に嫁がせた。気立てが優しく美しい、十七歳の娘だった。韋固はこの妻を愛し、夫婦の仲はいたって円満だった。

 ところが、一つだけおかしなことがあった。この新妻は流行の造花の飾りを額につけるのが大好きらしく、寝るときも、入浴のときにさえ外したことが無かった。はじめのうちは好きでつけているのだろうと思っていた韋固も、それが一年も続いたので黙っていられなくなった。ある日、ついに無理やり造花をもぎ取ろうとすると、妻は泣き伏して打ち明けた。

「わたくしには、まだお話していない秘密があるのです。今の親は実の親ではなく、養い親なのです。七、八年前、ふとしたことでここの長官の養女となりましたが、わたくしの本当の父は宋城の県知事をしておりました。わたくしが幼い頃にその父が急死し、母も悲しみのあまり後を追うように亡くなりました。わたくしには僅かばかりの田畑が遺産として残されました。わたくしの面倒は乳母だった人が見てくれ、畑で取れた野菜を市場に売りに出て、乏しい収入で養ってくれたのでございます。ところが三つのとき、市場で乳母に抱かれておりますと、一人の悪者が短刀で襲い掛かり、わたくしの額に傷をつけて逃げました。その傷跡が未だに残っておりますので、あなたのお目触りになってはと、花飾りで隠していたのです」

 韋固は、忘れていたあの朝のことを思い出した。目に見えない赤い縄で結ばれたら、どんなことがあっても離れられない……そう言った老人の言葉を。

「そうだったのか。あの時の老婆がお前の乳母だったとは、知らなかった……」

 韋固は思わずひとりごちた。今度は妻の方が驚いて尋ねた。

「な、なんと仰いました。わたくしの乳母をご存知だったのですか?」

「何を隠そう、お前の命を狙わせたのは、この私だったのだ」

 韋固は、宋城の南にある竜興寺の門前で出会った、あの不思議な老人のことを妻に話した。そして、運命に逆らうべく幼い子供の命さえ取ろうとした己の罪深さを反省した。

 やがて二人の間に男の子が生まれた。この子は成長すると、貧乏人や虐げられた人々の為になる政治を行い、人望を集めたということである。



参考文献
『中国怪異集』 鈴木了三訳編 現代教養文庫 1986.

※老人が見ている本は、勿論、運命の書き記してある《運命の書》なのだが、類話によっては、老人は本を読んでいるのではなく、小石を二つずつ並べては『縁結び』をしている。石には運命を定める力があるのか? そういえば、日本では産神の依り代として出産の際に石を拾ってくる、または産神への供え物を石にする習慣があるが……。
 子供を傷つける方法は殆どの場合刃物だが、時には石をぶつけることもある。西欧の類話では、留め針を刺したり投げ落としたりすることもある。いずれにせよ、子供の顔には傷跡が残り、それによって因縁が明かされる。

 日本には、将来結婚すべき者とは手の小指と小指が見えない赤い糸で結ばれている、という伝承がある。その原型のひとつとされるのが、この中国の赤い縄の縁結びの伝承である。なお、西欧ではキューピッドの矢で射られると、運命の相手と赤い糸で結ばれると言われているが、これらの伝承の相互関係は不明である。
 この問題に関しては、下の「踵を縫った糸」も参照。

 ところで、「夫婦のうち、女の方に幸運が定められている。その幸運はどんなことをしても覆せない」というモチーフが混ざりこんでいる点に注目したい。


参考--> 「天が定めた夫婦の縁」[男女の福分]



湛慶たんけい阿闍梨、還俗して高向公輔たかむこのきんすけとなれること   日本 『今昔物語』巻三一第三

 今は昔、湛慶たんけいという僧がいた。仏法・学問に優れ、心栄えも素晴らしいと評判だった。

 その頃、藤原良房が病気になった。湛慶は治癒の祈祷を行うべく呼ばれ、それはうまくいった。ところが屋敷に滞在するうち、ある女と恋に落ちて、ついには男女の関係を結んでしまった。僧が女と交わるのはご法度である。二人はこのことを隠していたが、どこに人の目があるかは分からぬもの、やがて二人の関係は世間に知られることになった。

 何故、優れた僧である湛慶がこのようなことになってしまったのだろうか。実は、そこには仏の因縁があったのである。

 

 その昔、若き日の湛慶の夢に、かねてから信仰していた不動尊が現れ、こう告げた。

「汝はもっぱら我を祈り頼るゆえ、我は汝を加護する。しかし前世の縁があり、お前は尾張の国の某の娘と夫婦になる定めじゃ」

 夢から覚めて湛慶は嘆いた。彼は高潔な志を持っていて、立派な僧になりたい、なれると思っていたので、女に堕ちてしまう自分の定めが納得できなかった。

(そうだ、その女を訪ねて、いっそ殺してしまおう。そうすれば私は仏の事のみを考える生活に戻り、心安らかになれる……)

 湛慶は修行に行くと偽って、一人で尾張の国へ出かけていった。着いて尋ねると、本当に某という家があるという。その家に行って中を窺うと、十歳くらいの女の子が庭で遊んでいる。ちょうど出てきた下女に「あの遊んでいる女の子は誰ですか」と尋ねると、「あれはここの主人の一人娘です」と答えた。

「それだ!」

 湛慶は喜んだ。あの娘こそが、己が命を奪うべき女なのだ。

 その日は宿に帰り、次の日、再び某の屋敷に行った。見ていると女の子が庭に遊びに出てきたが、ほかに人の姿は見えない。湛慶は庭に駆け込み、女の子を捕まえると、その首を掻き切った。ぱっと血が吹き出て、女の子は血溜りの中に倒れた。この間、湛慶のしたことを目にした者は誰もいなかった。それでも追われる気がして怖くなり、彼は京の都に逃げ帰った。

 

 こんなことがあり、運命の相手は確かに殺したはずであるのに、今、自分は愛しい女の手に堕ちている。不動尊の予言は外れたのだろうか、と湛慶は不思議に思っていた。

 そんなある日、女と一緒に寝ていたとき、ふと、女の首に大きな傷跡があることに気が付いた。

「この傷は、一体どうしたことなのだ」

「私は、尾張の国の某の娘です。幼い頃、家の辺りで遊んでいたところ、見知らぬ人が出てきて私を捕まえ、首を掻き切りました。後で倒れている私を家の者が見つけて憤りましたが、何者の仕業なのかは知れないままだったのです。私は大怪我をしましたが、傷を焼いて縫い合わせて、奇跡的に命長らえました。このことがあったため、私は家を出て良房様のお屋敷にお仕えすることになったのです」

 湛慶は驚き、また後悔した。更には、不動尊の霊験は確かなことだったのだと信仰を新たにし、尊く思った。彼は泣きながらこのことを女に打ち明け、女もまた彼を哀れに思って赦したので、二人の絆はより深まり、夫婦になって末永く暮らすことになった。

 良房は言った。

「湛慶は僧の身でありながら戒めを破り、女に堕ちた。これは異様なことだ。しかし彼は優れた人物だから、いたずらに処分してしまうのはよろしくない。速やかに還俗させて、公の位を与えよう」

 湛慶は高向公輔タカムコのキミスケとなり、五位に叙されて高太夫と呼ばれることになった。元々学識に深く人品優れた人物だったので、役人になっても困ることはなく、ついには讃岐の守になり家も栄えた。また、仏教への造詣の深さは相変わらずで、極楽寺の仏像の並べ方がおかしいのを指摘し、正しい並べ方を教授するなどして、大いに人々に感心された、と語り伝えられている。

※この話を読むと、私は「安珍清姫」の物語を思い出す。

 清姫が自分の家に泊まった僧・安珍に恋して妻にしろと迫るが、安珍は破戒を恐れて拒絶し、逃げてしまう。清姫は大蛇と化して安珍を追い、ついには己から発する炎で焼き殺す。後に、安珍をかくまった道成寺の僧の夢に安珍と清姫が蛇の姿で現れ、「私たちは夫婦になるべく前世の縁で定められていたのです」と告げる。

 

 主人公を僧にしたため、中国の話に比べいっそう因縁深い話になっている。

 湛慶は高潔な僧だったというが、それは独りよがりの高潔さだった。彼は、己の清さを失いたくないが故に、幼子を殺そうとした。それも、まずは下見に行き、翌日誰もいないのを見計らって襲い掛かり、首を切るという周到さである。彼は女と関係を結んだために俗に堕ちたことになっているが、実際には、幼子を傷つけた時点で穢れていたのである。

 ただ、この話では湛慶は罪を告白して妻の許しを得るが、韓国の「天が定めた夫婦の縁」では生涯隠し通して、しかし罪の償いとして仕事に専念し妻を愛したと語っている。

 ラトビアの類話でも、結婚の運命を聞いた男が女児の首を切る。

 

 以下、類話を列記する。

夫婦の因縁  ブルガリア

 一人の旅人がある家に泊まった。その家の女主人は一人の女児を生んだところだった。
 みんなが寝静まった真夜中、旅人は運命の女神スディツァたちがやってくるのを見た。

 一番目の女神が言った。「この子は五十歳まで生きるだろう」
 二番目の女神が言った。「この子は貧しくなるだろう」
 三番目がこう定めた。「この子は、ここにいる男と結婚するだろう」

 旅人は一人ごちた。「三十年も独身でいたのに、このうえ後二十年も待てというのか? 冗談じゃない!」
 彼は子供を連れ去ると、怒って往来に投げ捨てた。殺してしまおうと思ったのだ。そして別の街に行き、そこで暮らした。

 けれども、赤ん坊は死んではいなかった。通りがかった人々が、垣根の下に血まみれで横たわっている赤ん坊を見つけ、母親の元に連れ戻した。子供は首に傷跡を残しただけで元気に育った。

 二十年後に旅人は花嫁を探した。結婚した後、彼は妻の首の傷跡に気付き、それはどうして出来たのかと尋ねた。そして妻が事の次第を語ったのを聞いて仰天したのである。


参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

夫婦の因縁  スロベニア人

 ある農家に働き者の下男がいた。ある日のこと、その農家の主婦が自分の娘におむつを当てていると、運命の女神ロイェニツァたちが窓辺に現れて、「この子はこの家の下男の妻になるだろう」と言った。

 その後、下男がその子を抱いて子守をしていたとき、ロイェニツァたちの予言が本当か確かめようと思って、子供の柔らかい頭に留め針を刺した。そしてその家の下男をやめ、旅立って行方をくらました。

 年月が過ぎ、彼は別の国で結婚したが、ふと、あのロイェニツァたちの予言を思い出した。そして何気ない素振りで妻の頭を触ってみると、本当に留め針が刺さっていた。どう巡り巡ったのか、彼はちゃんと、あの農家の娘と結婚していたのだ。

 彼は留め針を引き抜いたが、そのために妻はすぐに死んだ。――彼が予言を疑ったために、ロイェニツァたちが罰を下したのである。


参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

※東欧には、男が女児を傷つける方法として「留め針を頭に刺す」話群がある。

 [三つの愛のオレンジ]では、悪い女が姫君の頭にピン(留め針)を刺して、彼女を魚か鳥に変えてしまう。また、「主人公が人食い巨人の家に出かける」モチーフでは、巨人の身内の女が主人公にピンを刺して虫に変えるパターンがある。これらのピンが抜かれると、変わっていた姿は元の人間に戻る。[白雪姫]に出てくる指輪や櫛、帯も同じ効果がある。

 これは、本来 ピン=人を殺害する刃物であって、「殺されて魂になる、または獣に転生する」ことを意味していると思われる。ピンが抜かれると、元の人間として生き返るわけだ。

 しかし、この話に現れる留め針は、それとはまた違う。刺されている間は生きていて、抜かれると死んでしまうからだ。まぁ、現実にも刃物で刺されたなら、下手に抜き取ると失血死するわけだが……。

 留め針を抜くと死んでしまうくだりは、くるぶしのピンを抜くと全身の血が抜け出て死んだという、ギリシア神話の青銅の巨人タロスを髣髴とさせる。

 

 どうも惑わされてしまうが、【運命説話】に現れる留め針や傷跡は、運命が成就されたことを示す「印」として機能していることに注目すべきなのだろう。インドや欧州の伝承で、運命の神は産まれた子供の顔や手に運命の印を書き付けるとされていることに無関係ではないかもしれない。



踵を縫った糸  モンテネグロ

 二人の運命の女神ヴィーラたちが二つの山の間を旅していた。一方の女神がもう一方に問いかけた。

「ああ、ウヴィド!」「一体何なの、ウリス?」「あの母親はもう息子を生んだかしら?」「ああ、まだよ!」「まぁ、幸せな時がその子から消えてしまったわ!」「どんな時だったの?」「今生まれていたなら、その子は世界一の大商人になれたのに!」

 しばらくすると、また女神がもう一方に問いかけた。

「ああ、ウヴィド!」「なぜ私を呼ぶの、ねぇウリス?」「あの母親はもう息子を生んだかしら?」「その子はまだ生まれてないわ!」「まぁ、今度はもっと恵まれた時を逃してしまったわ!」「ねぇ、一体どんな時だったの?」「今生まれていたなら、その子は世界の支配者のうちの第一になれたのに!」

 みたび、女神はもう一方に問いかけた。

「ああ、ウヴィド!」「なぜ私を呼ぶの、ねぇウリス?」「あの母親のところには、もう息子が生まれたかしら?」「ああ、生まれたわ!」「まぁ、残念ねぇ。その子は不幸な時にめぐり合わせたものだわ!」「どんな時だったの?」「今生まれたために、その子は自分の母親の夫になるでしょうよ!」

 その母親は男の子を産んだが、女神たちの会話も全て聞いてしまった。女は小さな針に絹糸を通すと、赤ん坊の両足のかかとを縫い通した。そして子供をモミの木に吊るして捨てた。

 皇帝が狩の途中で捨て子を見つけ、妻の元に連れ帰った。子供は宮廷で育てられて大きくなった。

 若者は自分の生い立ちを知ると旅に出て、ある宿屋に泊まった。そこの女主人こそが彼の実の母親だったのだが、知るはずもなかった。女主人はまだ若々しく、若者を見るとすっかり恋してしまって、結婚してくれないかと迫った。若者は同意し、翌朝には結婚した。

 結婚した後、若者は狩りに出て、夕方に帰って靴を脱いだ。妻は夫の素足を見てギョッとし、ヴィーラたちの予言を思い出した。なぜなら、彼の踵には傷跡があったのだから。

 息子は身の毛もよだつ真実を知って跳び上がり、すぐに馬に鞍を置いて叫んだ。

「母上、アッラーに誓って言いますが、あなたの目は二度と私を見ることはないでしょう!」

 こうして若者は泣きながら去り、母親は嘆きつつ取り残された。そして実際、この二人が互いの消息を知ることは二度となかった。



参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

※運命の結婚を逃れるため子供を殺そうとしてつけた傷が、運命成就の確認の証拠となる。一見して中国や日本の話とは違うようでいて、道具立ては全く同じである。ただ、男女の年齢が入れ替わっているのと、運命を拒む理由が「実の親子」というタブーになっているだけだ。

 恐らくは、「生き別れていた母子または兄妹が、そうと知らずに結婚する」という兄妹始祖のモチーフと、[夫婦の因縁]のモチーフが混ざり合って出来たものではないだろうか。

 以下、類話を列記する。

川の息子  ギリシア

 何百年も昔のこと。世界の果てに一人のキリスト教徒がおり、妻と九人の子供たちと暮らしていた。やがて十人目の子供が生まれたが、生後三日目に運命の女神ミーレたちがやって来た時、両親は何の供え物も用意していなかった。女神たちは怒って、「この子の兄たちは死ぬだろう。そして父親が死んだ後、この子は母親と結婚することになるだろう」と定めた。

 産婆がこの定めを聞き、子供を奪って川辺に捨てた。子供は通りかかった男に拾われた。

 その子は大きくなると、よく父親に尋ねた。
「お父さんはどうして僕のことを『川の息子』って呼ぶの?」

 父親は息子に真実を打ち明け、若者は実の両親を探しに旅立った。そしてそうと知らずに故郷の村にたどり着き、ある老婆の家に泊まった。老婆は、若者にこの村に住む女性との結婚を勧めた。彼女は未亡人だったが美しく魅力的だったので、若者は勧めに従って彼女と結婚した。

 何年か経ったとき、妻は夫に語った。
「昔、子供を産んだ時、ミーレたちが予言したの。『お前は我が子と結婚する』って。だから、その子を川辺に捨てたのよ……」

 それを聞いて若者は気分が悪くなった。養父から、自分が捨てられていたときの詳しい様子を聞いていたからである。そして妻も、ついには今の夫が自分の息子であることを悟った。女神たちの予言は成就していたのだった。


参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

妊婦と三人のナラチニツァたち  マケドニア

 ある女が、生まれたばかりの我が子の運命を予言する、三人の運命の女神ナラチニツァの声を聞いた。

 一人目が言った。「その子は、盲目になるだろう」
 二人目が言った。「その子は盲目になるが、生きながらえるだろう」
 三人目が言った。「その子は盲目になるが、後に父親を殺し母親と結婚するだろう」

 あんまりひどい予言に母親が泣き始めたとき、女神たちは言った。
「よろしい、それでは、その子は父親を殺すだけにしておこう」

 父親はその子を殺そうとしたが、母親はただ捨てることに決めた。捨て子は拾われて成長したが、養い親の子供たちと折り合いが良くなかったので、銃を持ってそこを去り、道路の警備員になった。そして、後にぶどう山で一人の男を射殺した。それは彼の実の父親だったが、知る由もなかった。

 殺された男の妻が裁判官に訴え、裁判官はこう判決した。
「殺害者は絞首刑になるか、未亡人を妻に迎えて養わなければならない」

 未亡人はよく考えてから、勧めに従って若者と結婚した。やがて妻は夫が実の息子であることに気付き、予言のことを全て打ち明けた。そして二人はもう一度新たに結婚した。


参考文献
『運命の女神 その説話と民間信仰』 ブレードニヒ著、竹原威滋訳 白水社 1989.

※この系統の話では珍しく、破局していない。タフな母子である。

 ぶどう山で父親が殺されるくだりがこの例では意味不明だが、類話を参照するに、本来は「実父のぶどう山の番人に、息子がそうと知らずに雇われる。父は新しい番人の勇気を試そうとして、夜、こっそりぶどう山に向かう。息子は泥棒だと思って父親を射殺または投石で殺す」というモチーフである。

参考 --> 「オイディプス




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