キルケーの館

《おとぎ話》に多くの人が持つイメージの一つに、《魔女が魔法で人を動物に変える》というものがあるのではないだろうか。

 魔女は可哀想なお姫様や勇敢な王子様を醜い獣に変える。あるいは自分自身が獣に変身する。そうでなくとも、魔女はカエルやトカゲや猫やコウモリといった獣を使い魔として常に周囲に置き、使役するとされる。

 どうして魔女の周囲には、こうした獣の姿がまとわりついているのだろう。

 

 ギリシア神話話群に属する、ホメロスの『オデュッセイア』(紀元前八世紀ごろ)に、キルケーという魔女のエピソードがある。

 トロイア戦争の英雄オデュッセウスが帰郷の航海の途中で立ち寄った島の一つ、アイアイエーに彼女は住んでいた。彼女は太陽神と海の女神の娘である。島に着いたオデュッセウスが丘から見回すと、島の中心に立ち木に囲まれた宮殿が見えた。そこでエウリュコロスを指揮官にして部下の半分を調査に向かわせると、宮殿の周囲には無数の獅子や虎や狼がいたが、みな大人しかった。中からたえなる音楽が聞こえ、美しいキルケーが現れていざない、料理と酒でもてなした。しかし料理には秘密の薬が入れてあり、食事が済むとキルケーは男たち一人一人を魔法の杖で打って豚に変え、家畜小屋に入れると豚の餌をあてがったのだった。宮殿の周囲にいた獣たちも全て、同じように姿を変えられた犠牲者たちだったのである。ただ一人、怪しんで宮殿に入らずに様子を窺っていたエウリュロコスからこの報告を受けたオデュッセウスは、部下たちを救おうと無謀にも単身出かけて行った。ところが途中で一人の見知らぬ若者が現れて馴れ馴れしく話しかけてきた。彼こそはヘルメス神であり、オデュッセウスに身の振舞い方のアドバイスをすると霊草モーリュを授けた。これを服用しておけば魔法にかからないのだ。そんなこととは知らないキルケーはいつものようにご馳走してから魔法の杖で打ったが、オデュッセウスは変身することなく剣を抜いて襲い掛かった。キルケーはひざまずいて命乞いし、豚にした男たちを人間に戻し、今後は一切危害を加えずに歓待すると約束して、実際にそれを守った。オデュッセウスは一年のあいだキルケーと楽しく暮らし、キルケーはオデュッセウスが旅立つ際には今後に役立つ様々な助言を与えた。彼女はオデュッセウスとの間に息子テレノゴスを産んだ。

 この類話は、文献上では二世紀ごろの中国(唐)の『河東記』内「板橋店三娘子」、十一世紀のインドの『カター・サリット・サーガラ』内「ムリガーンカダッタ王子の物語」にも見える。

板橋店三娘子  中国 『河東記』

 開封の西郊に板橋店という宿場町があった。ここにいつの頃からか三娘子という女が独りで宿を開いており、小屋に沢山の驢馬を繋いでいて、安価で貸し出すというので人気があった。

 元和年間(806〜820)のある日、許州の趙李和という男が、洛陽へ行く途中でこの宿に立ち寄った。他の宿はいっぱいで、この宿も六、七人の先客があったがなんとか泊めてもらい、あてがわれたのは三娘子の私室の隣部屋であった。その晩、三娘子は食事の後で泊まり客たちに酒を振舞い、巧みな話術で大いに場を盛り上げた。李和も楽しんだが下戸だったので酒は飲まなかった。

 その夜、なかなか寝付けずにいた李和は、三娘子の部屋からいつまでも物音がするのに気付いて怪しみ、壁の割れ目から覗いてみた。すると三娘子が小さな箱の中から六、七寸(20cm前後)ほどの農夫と牛の形の木彫りの人形を取り出している。かまどの前に並べて口に含んだ水を吹きかけると、人形は生きているかのように動き出して土間を耕し始めた。三娘子が例の小箱から袋を取り出して渡すと、人形はその中から蕎麦の種を取り出して耕した畑に播く。蕎麦はみるみる伸びて葉を広げ花を咲かせて実り、夜明け前には収穫も粉ひきも終わって、七、八升のそば粉が出来ていた。全ての作業が終わると人形は倒れて動かなくなり、三娘子はそれらを元通り箱にしまってから、自分でそば粉を捏ねて焼餅シャオピンを幾つか作った。

 朝になると、三娘子は例の焼餅を朝食に出した。李和は急ぎの用があるからと偽って食べずに宿を出、隠れて様子を窺っていると、食べた他の客たちはみんな驢馬に変わったではないか。三娘子は高笑いすると竹鞭で驢馬たちを打ちすえて厩に追い立て、残った荷物は自分のものにしてしまった。李和は見つからないよう逃げ出し、このことは誰にも話さなかった。

 一ヶ月後、洛陽から戻ってきた李和は再び板橋店に差し掛かって、三娘子の宿に入った。この日は、偶然にも彼以外に泊まり客はいなかった。李和はわざと「明日は早く出発したいので朝食を用意してください」と頼み、翌朝に三娘子が例の焼餅を出すと、彼女が席を外した隙に予め買っておいた見かけがそっくりな別の焼餅と入れ替えた。

「実は、ここに来る前に焼餅を買っていたことを忘れていました。私は女将さんの作ってくれたものを食べますから、どうぞ女将さんは私の焼餅を食べてください」

 三娘子は疑わずに自分の作った焼餅を食べ、驢馬に変わった。李和はこの驢馬に乗り、例の木箱に入った人形を持ち出して宿を後にした。李和は三娘子の操った妖術を我が物にしたかったのだ。しかしどんなに真似をしても人形が動くことはなく、諦めるよりなかった。驢馬になった三娘子は大変頑健で、日に百里(ここでは60kmほど)行っても転びもせず潰れることもなかった。

 李和が驢馬の三娘子に乗って天下を周遊する旅を始めて四年目、函谷関を抜けて西へ向かい、ちょうど華岳廟の東五、六里の辺りにさしかかったところ、道端に一人の老人が現れて、李和がまたがった驢馬を見ると手を打って大笑いを始めた。

「板橋の三娘子よ、どうしてまたそんな姿になったものか」

 そして驢馬に駆け寄ると手綱を取り、李和ににこやかな顔を向けた。

「こやつにも悪いところはあったが、ここまでこき使われては少し気の毒であろう。わしの顔に免じて許してやってくれ」

 そう言って驢馬の口に両手を掛けると一気に左右に引き裂いた。驚いた李和は驢馬から転げ落ちた。見れば、裂かれた皮の中から人間の姿の三娘子がまろび出ている。彼女は老人に何度も何度も頭を下げると何処かへ走り去り、気づけば老人の姿も消えていた。

 それ以来、三娘子の姿を見た者はいないということである。

 

参考 --> 「シディ・ヌウマンの話

 インドの『カター・サリット・サーガラ』の方は、ムリガーンカダッタ王子の臣下であるビーマ・パラークラマの物語。彼が旅の途中である女の家に泊めてもらい、夜中に目を覚ますと、女は大麦を播いてみるみる育てて収穫し粉に挽き、出来た小麦粉で団子を作っていた。翌日に出されたそれを別の団子とすり替えておくと、女は知らずに自分の作った団子を食べて雌山羊に変わってしまった。ビーマはこの雌山羊を肉屋に売り払った。

(日本の福島県石城郡湯本町に伝わる民話はこの話によく似ている。ただし宿の女は老婆で、泊まったのは僧である。老婆は夜中に囲炉裏に胡麻を播いて育て、胡麻饅頭を作る。これを食べた者を牛にして牛屋(牛鍋屋?)に売るつもりなのである。しかし胡麻促成栽培を覗き見していた僧は食べずに去り、後に戻って饅頭をすり替え、食べた老婆は牛になった。…ここまではほぼ同一だが、この後の結末は大きく異なる。僧は牛を引いていくが、道々罪を諭す。そして神が現れ、老婆に改心を促して元の人間に戻してやったという。少々不自然で説教臭くなってしまっているが、どこかの語り手の誰かが、いくら悪人でも売り払って終わりというのは可哀想だと思ってアレンジしたのだろうか。)

 日本では、《旅人が、宿の主人に馬に変えられる》モチーフを持つ民話は「旅人馬」と呼ばれている。

旅人馬  日本 鹿児島県 喜界島

 金持ちの子と貧乏の子が、兄弟のように仲良く交際していた。

 あったる時、二人遠い国へ旅行に行った。だんだん行ったところが、日が暮れたので宿をとった。二人は六枚敷きの部屋に寝かされた。

 昔から、なららん(貧しい)人間の子は眠られんという言葉がある。夕食を食べて二人は寝たが、貧乏の子はどうしても眠ることが出来ない。目を開けて囲炉裏のところをじっと見ていた。

 すると、夜中ごろのことである。宿屋の女が囲炉裏を掻き回して田でも梳くようにして、稲種を播いた。苗が伸びたので植え、田の草を取って、だんだん穂が出て来た。刈り取って磨って搗いて米が取れた。そうして、それで餅を作り上げた。

 なんとも不思議なこともあればあるものじゃないか……と考えているうちに夜が明けた。

 宿の女が二人を起こして茶を飲めと言うので、貧乏の子は金持ちの子のところへ行って膝をつねって、「あの餅食うなよ」と小さい声で教えた。ところが金持ちの子はよく聞こえなかったかどうかして、餅を食べてしまった。一つ食うまでは何ともなかったが、二つ食ったと思ったら馬になった。

 こうなると金持ちの子も初めて忠告の意味が分かったと見えて、涙をたらたら落とした。

「見たことか、俺があれほど膝をつねって教えてやったのに」

 そう言って、貧乏の子は宿を出て行った。

 長い間あちこち彷徨い歩いているうちに、ある日、白髪の生えた七十ばかりの爺さんに行き会った。

「爺さま爺さま、突然に物尋ねあげてみましょう」
「何事だ青年」
「実は私の友達が、かくかくしかじかの次第で宿屋で馬にされました。こういうことは、爺さまのような年の人でなければ解らんことです。どうしたら友達を元の人間に戻すことが出来るか、教えてたぼうれ」
「よしよし教えてやる。これから向こうへ行くと、一反畑にいっぱいの茄子を植えたところがある。その茄子の東を向いているもの一本から、茄子を七つ取って来て食わせればよい」

 貧乏の子は「これは有難てぇことで」と礼を言って、先へ行ったところが、一反畑にいっぱい茄子を植えたところがあった。けれどもどんなに探しても、東を向いたもので一本に四つ実が生っているものはあっても、七つの実が生ったものがなかった。

 これはいかんと思って、また先へ行くと、一反畑にいっぱい茄子を植えたところがあったが、ここには五つ生ったものしかなかった。その先へ行くと六つ生ったものしかなかった。

 その先へ行って、やっと東を向いて一本に七つ生っているのを見つけたので、これじゃこれじゃと喜んで、その茄子を取って、一時も早く友達を助けてやろうと、汗水滴らせて宿屋へ走り帰った。

 金持ちの子だった馬は主人に引かれて、田へ行こうとしているところであった。よく見ると馬の背は傷だらけである。貧乏の子はすぐに茄子を差し出してこう言った。

「とう(さあ)、きばってこの茄子を食え」

 ところが四つまではサクサク食べたが、後はもう食べきらんと頭を振って嫌がる。

「何を言うか、これを食わなければお前はいつまでも元の人間に戻り出来らんぞ」

 そう叱ってまた一つ食わせた。一つ食っては馬は頭を振り振りしたが、無理に七つ食わせたところが、ちゃんと元の人間に戻ることが出来た。

 二人が家へ帰ると、金持ちの父は「お前たちは何故こんなに長くかかったか」と言う。実はかくかくの訳で何ヶ月の間、難儀をしてきましたと言うと、金持ちは「そうか」と言って、あるしか(あるだけ)の財産を二つに分けて、一つは貧乏の子にくれた。それで貧乏の子も金持ちになったということである。



参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店

※この話は「板橋店三娘子」とは話の軸がずれており、人を獣に変える怪しい女のことは放置されている。この話で語られているのは、馬にされた友達を救おうとする熱い友情だ。『オデュッセイア』のキルケーの物語で、オデュッセウスが豚にされた部下たちを救うために単身でキルケーの宮殿に向かったくだりの方を重視した感じだろうか。

参考 --> 「キャベツ驢馬

 家を訪ねて来た男に物を食べさせて獣に変えてしまう美女というモチーフの根底には、死者の霊はカエルや蛇や鳥や様々な獣に自在に姿を変えるという、世界的な信仰があるように思われる。

 ギリシア〜ローマの大女神アプロディテ(ヴィーナス)は美と性愛の女神として知られるが、同時に冥界の女神としての性格も持つ。……厳密には、女神というものは多かれ少なかれ豊穣をもたらす母神としての性格を持ち、豊穣の母神は死の女神とは表裏一体なのである。アプロディテは《墓の女神エピテュンブリア》という別名で呼ばれることがあった。一方、彼女の使鳥は鳩であり、ローマではヴィーナス・コルンバ(鳩)と呼ばれることがあった。

 鳩、特に白鳩は観念的には《霊魂》を表す。鳩が異界(冥界)から飛んできて水辺で羽衣を脱ぎ、美しい天女(女神)に変わる伝承は枚挙にいとまがない。ジプシーの民話によれば、祖霊は中空の魔の山に住み、男性の霊は蛇に、女性の霊は鳩に変身しているという。このような観念が古く各地に広まっていたのだろう。キリスト教でも鳩は霊魂、特に神の聖霊であるとみなされている。『アイネーイス』によれば、ヴィーナスは息子アイネイアスの冥界下りを助けるために、黄金の枝まで白鳩で導いた。ヴィーナスは死や墓地をも管掌するとされていたが、彼女の地下墓地、霊廟、共同墓地は《鳩小屋》と呼ばれていた。これは、鳩を霊魂であるとイメージすれば理解しやすい。女神の管掌する地下墓地……冥界には、白鳩の姿をした死者の霊魂が群れ集い、憩っているのである。これは日本民話の「舌切り雀」に現れる冥界、《雀のお宿》に近いイメージだろう。

 枝に憩う鳥の姿をした霊魂たちは、木に実る果実のイメージと入れ替えて語られることも多い。そして世界各地の女神たちの殆どが果樹園や果実と関わる。中国の西王母は仙桃を持ち、アイルランドの女神モーガンは西の《果実の園アヴァロン》で不死のリンゴを持って英雄を待っている。北欧神話の女神イドゥンは西の果樹園に実った回春のリンゴを神々に授ける。ギリシアの女王神ヘラ、あるいはアプロディテは黄金のリンゴの果樹園を持つとされる。黄金のリンゴが実る園はやはり西の果てにある。そこは太陽が沈む黄昏の国。太陽が死んで死の神に生まれ変わる場所。そこで黄昏の娘たちヘスペリデスと、決して眠らない多頭の龍ラドンがそれを守っている。(あるいは、ヘスペリデスからラドンはリンゴを守っている。)これらは冥界のイメージである。

 最果ての島の中央の宮殿に住む《太陽の娘》キルケーもまた、冥界の女神とみなすことが出来るだろう。彼女の宮殿を訪ねた人間は食事を与えられ、その後に打たれて獣に変わる。死者の霊は冥界に到達してその一員となった。それは《食事をする(同じ釜の飯を食う/黄泉戸喫よもつへぐいする)》ことや、《杖で打たれる(殴り殺される/生命の木に触れて変化する)》ことで暗示されている。そして、冥界で憩う霊魂の様子は、群れ集まる獣たちという形で語られるのだ。

 魔法物語や魔女伝説の中で、魔女が人を獣に変えたり、自分が獣に変身したり、多くの獣を従えているのは、恐らくこの《冥界の女神が霊たちを憩わせている》、《霊魂は獣の姿をしている》というイメージが根底にあるのだろう。しかし信仰が《物語》へと変化していく中で、人を獣に変える女が冥界の女神であったことは忘れられていったのだと思われる。金品を盗む目的で男を獣に変え、その後に逆襲されて自分が獣にされ、時にはそれで殺されてしまう。そんな矮小な存在になってしまった。

 

旅人馬」の類話には『グリム童話』の「キャベツ驢馬」も数え上げることも出来るが、これはやや性格が異なっていて、むしろ「フォルチュナトス」(女に騙されて「無限の富の湧く宝」と「好きな所へすぐに行ける宝」を盗られ辺境に置き去りにされるが、食べると角の生えるリンゴと角の消えるリンゴをそこで発見して、変装して女に食べさせて復讐し宝を取り戻す話)の類話として見るべきであろう。

キャベツ驢馬  ドイツ 『グリム童話』(KHM122)

 若い猟師が道で行き会った醜い老婆に乞われて、分相応に施しをした。老婆は感謝して、以下のように教えた。

 この先に行くと木に九羽の鳥がとまって一枚のマントを奪い合っている。その真ん中を狙って銃を撃てば、マントと鳥一羽が手に入るだろう。そのマントを羽織って願えば一瞬で行きたい場所へ行けるし、鳥の心臓を取り出して呑み込めば毎朝枕の下に金貨が入っているようになるだろうと。

 猟師は言われたとおりにして金貨をたっぷり手に入れ、世界見聞の旅に出た。

 ある時、木が恐ろしく茂った森に差し掛かった。森の中央は広場になっていて大きな宮殿が建っていた。厚い壁にぽつんと開いた窓は額縁のように見えたが、そこから一人の老婆(前の老婆とは別人である)が美しい娘と一緒に外界を見下ろしていた。

 老婆は、森に入って来た猟師が霊鳥の心臓を呑んでいることを知っていた。だからそれを奪うために、娘を脅してすべきことを命令した。

 猟師の方はと言えば、窓辺に立つ娘の姿を一目見て参ってしまい、のこのこと近づいて宿を求めた。そして老婆に歓待され、娘と夫婦のように過ごして、すっかり虜になって楽しく暮らしていた。

 老婆と娘は煎じ薬を作り、猟師に飲ませた。言われるままにそれを飲んだ猟師は鳥の心臓を吐き出し、娘がそれを呑み込んだ。それで毎朝出てくる金貨は老婆が拾うようになったが、猟師は娘に夢中で、そんなことは少しも構わなかった。

 老婆はまだ欲を出して、今度は願いを叶えるマントを奪うことにした。娘は反対したが再び母に脅されて、言われたとおり、わざと悲しそうな顔をして呟いた。

「このずっとずっと向こうにあるガーネットの山に行きたいの。それはそれは素晴らしい宝石が取れるのよ。でも鳥でもなければどうして行けるかしら」
「なんだ、そんなことか。そんな悩みは私がすぐに払ってあげる」

 猟師はマントの下に娘を抱き込むと、ガーネットの山へ行きたいと願った。一瞬で二人は宝石の山に至り、最も美しいものを集めて回った。ところが老婆が魔法を掛けておいたので、やがて猟師は眠くてたまらなくなり、娘の膝枕でぐうぐう眠ってしまった。娘は猟師の首からマントを外すと、宝石を抱えて家へ帰りたいと願った。

 猟師は目覚めて、恋人に捨てて行かれたことを知った。悲嘆していると、この山を支配する巨人たちが三人でやって来るのが見えた。猟師が眠ったふりをした。

 一人目の巨人が言った。「なんだ? こんなところに虫みたいに丸くなっている奴は」
 二人目の巨人が言った。「踏み殺してやれ!」
 三人目の巨人が言った。「生かしておいてやれ。どうせいつまでもここにはいられまい。山の頂上へ行けば雲がどこかへ連れて行くだろうからな」

 巨人たちが行ってしまうと、猟師は山の頂上へ行った。しばらく待つと雲が彼を運んで行き、周囲をぐるりと土塀で囲まれた大きな野菜畑に下ろした。空腹の猟師はキャベツを食べた。すると驢馬になってしまった! しかし、違う種類のキャベツを食べると元の人間に戻ったのだった。

 猟師は二種類のキャベツを一玉ずつ取って袋に入れ、顔を赤黒く塗って産みの母でも見分けがつかないほどに変装すると恋人の宮殿に戻った。そして一夜の宿を乞い、代わりに王さまの命で探してきた天下一のキャベツを差し上げようと申し出た。老婆はよだれを流して喜んで自分で台所へ持って行くとすぐにそれをサラダにし、食卓に運ぶのも待ち切れずつまみ食いした。ごくんと飲み込むやいなや、老婆はメス驢馬になって中庭へ駆け込んだ。

 その後で年増のメイドが来て、サラダが置いてあるのを見て食卓へ運ぼうとしたが、途中でいつもの癖が出てちょっとつまみ食いをした。メイドもメスの驢馬になって中庭へ駆けて行き、サラダボウルは床に落ちた。

 さて、娘の方は食卓で待っていたが、よだれが垂れそうなのにいつまで経ってもサラダが来ない。変装した猟師は「見てきましょう」と席を立つと、サラダが床に散らばっていて中庭に二頭の驢馬がいるのを確認した。「これでよし。この二人はなるようになったのだ」と呟いてサラダをかき集め、娘の所へ運んで行った。娘もそれを食べて驢馬になって中庭へ走った。

 猟師は変装を解くと、三頭の驢馬を一本の綱で数珠つなぎにして粉ひき小屋へ追い立てて行き、お礼をするからこの驢馬三頭を引き取って使ってくれと持ちかけた。老いぼれ驢馬は毎日三遍ずつ殴って食事は一回、年増の驢馬は殴るのは一度で食事は三回、一番若い驢馬は殴らずに三度食事をやるようにと。そして自分は宮殿に戻って気ままに過ごしていた。

 四、五日経ってから粉屋が訪ねて来て、老いぼれ驢馬が死んでしまったことを告げた。年増の驢馬と若い驢馬はまだ生きているが、だいぶ弱っていると。これを聞くと猟師は可哀想になって、怒りを収めて二頭を連れ戻し、キャベツを食べさせて元の姿に戻してやった。

 娘は猟師の足元に身を投げ出して許しを乞い、母に脅されていた、本当はあなたを愛している、マントはクローゼットにある、鳥の心臓は吐き薬を使ってあなたに返すと言ったが、猟師は「私はお前を妻にするつもりなんだから、どっちが持っていても同じことだよ」と笑った。

 それから婚礼が挙げられ、二人は死ぬまで楽しく暮らした。



参考文献
『完訳 グリム童話集3』 金田鬼一訳 岩波文庫 1979.

※男が愛人の女の魔術によって驢馬になって遍歴し、最後に特定の植物を食べて元に戻るモチーフは、アプレイウス『黄金のろば』でも有名である。その話ではルキウスという青年が驢馬になり、見世物にされるなどした挙句、薔薇の花(女神イシスの花)を食べて元に戻る。

 

 さて、「人が馬に変えられる」モチーフを持つ伝承の中には、馬に変える呪力を行使するのが女ではない話群もある。

四国の辺地へちを通りし僧、知らぬ所に行きて馬に打ち成されたること  日本 『今昔物語』巻三十一第十四

 今は昔、仏法修行を行う僧が三人、連れ立って四国の辺境を巡る旅をしていた。そのうちに思いがけず深い山に入り込み、道に迷ってしまった。

 嘆きながらいばらやカラタチの藪を掻き分けて進んでいくと、開けた場所があって、垣根に囲まれた屋敷がある。たとえ鬼の棲家であろうと今は有難い。喜んで訪ねると、六十歳ほどの恐ろしげな風貌の僧が出てきた。しかしとても美味しい食事を出してくれたので「なんだ普通の人じゃないか」と安心していたところ、食べ終わった後で恐ろしげな様子で「例の物を持ってこい」と家の者に命じている。命じられた法師(やはり不気味な容貌である)が持ってきたのは馬の端綱と鞭(細い木の枝)であった。「いつものようにせよ」と主人の僧が命じると、法師は三人の修行者のうちの一人を庭に引きずり出して、鞭で五十回背を打った。修行者は「助けてくれ」と悲鳴をあげたけれども、残りの二人にはどうにもできなかった。それから着物を剥いで更に五十回打って、主人の僧が「さあ引き起こせ」と命じたのに応じて法師が引き起こすと、打たれた修行者はたちまち馬になって体を震わせて立ち上がり、その口には端綱が掛けられた。

 次に、二人目の修行者も同じようにして馬に変えられた。

 残った三人目の修行者が仏に祈りながら怯えていると、どうしたわけか「その修行者はしばらく放っておけ」と主人の僧が言っている。猶予が出来たものの、こんな山中ではどこに逃げたらいいのか分からない。(馬に変えられるくらいなら、山で迷って死んだ方がマシだ。ああ、でも死にたくない。しかし馬にされてしまうなら、いっそ身投げしてやろうか)と嘆き迷っていると、主人の僧が呼ぶ。「ここにいます」と答えると「あっちの後ろの方にある田んぼに水があるか見てこい」と命じられた。行ってみると水があったのでその通りに報告したものの、(一体何なのか。私をどうする気なのだろう)と生きた心地もなかった。

 しばらくして、人がみんな寝静まってしまうと、修行者は「とにかく逃げよう」と一心に思って、荷物も捨てて身一つで走り出して、足の向く方へ逃げて行くと、五、六町は来たと思う辺りにまた屋敷が一軒あった。「ここもどんな家だか分かるものか」と恐ろしく思って通り過ぎようとしたのだが、屋敷の前に女が一人立っていて、「これは、どうされましたか」と訊ねてくる。おずおずながら訳を話して救いを求めると「お気の毒に。まずはここに入りなさい」と言うので、その屋敷に入った。

「長年、このようにいとわしい事態を見てきましたが、やめさせるには私の力が及びませんでした。けれど、その後悔を踏まえてあなたを助けようと思います。
 私は、あの家の主人である僧の長女なのです。ここから少し下った云々の場所に私の妹が住んでいます。彼女こそがあなたを救えるでしょう。そこへお行きなさい。紹介状を書いてあげます」

 女はそう言って手紙を書くと、こう付け加えた。

「二人の修行者を馬に変えて、土を掘って埋め殺すつもりなのです。田んぼに水があるか確かめさせたのは、掘って埋めるためです」

 これを聞いて、(逃げてよかった。僅かな間でも命が延びたのは仏のお助けだ)と思って、紹介状をもらう時に女に向かって両手を合わせて泣きながら伏し拝んだ。走り出して、教えられた方へ二十町ほど来たと思う辺りに、ぽつんと山があって、屋敷があった。

 ここだと思って、近付いて「これこれの手紙をお渡しします」と言うと、使用人が出てきて受け取って入って、帰って来て「こちらへお入りなさい」と案内された。

 女が一人出てきて言った。

「私も、長年いとわしいことだと思ってきましたので、姉がこのように言ってきたのですから、お助けしようと思います。ただし、ここではとても恐ろしいことが起こります。しばらくこちらに隠れていてください」

 そして狭い場所に隠して、「決して音を立てないように。そろそろ時間です」と言うので、修行者は何事だろうかと恐ろしく思って、音も立てず動きもせずにいた。

 暫くあって、恐ろしげな気配を漂わせた者が入って来た。生臭い臭いであった。恐ろしいことと言ったら限りがない。(これも魔物だろうが、何者だろうか)と思っている間に、この家の主人の女と親しげに語らって、二人で寝たようだ。聞いていると、女を抱いてから帰ったようだった。修行者は(この女は鬼の妻なのか。鬼はいつも訪ねて来て、このように抱いてから帰るのだな)と思ったけれども、極めて気持ち悪かった。

 さて、女は行くべき道を教えて「命が助かるとは、本当にあり得ないほど幸運ですよ。喜びなさい」と言った。修行者は前のように泣きながら伏し拝んで、そこを出て、教えられたとおりに行くと、夜も明ける頃になった。もう百町も進んで来ただろうと思っていると、夜は白々と明けた。見れば、全く普通の道に出ているではないか。この時にこそ心落ち着き、嬉しいとただ言うだけではとても足りないほどに嬉しかった。

 そこから人里を訪ねて、人の家に入って、これまでの経緯を語ったところ、その家の人も「驚くべきことだ」と言った。里の者たちも集まって来て、この話を語り合った。

 さて、あの二人の女たちは修行者に口止めして「普通なら助かることの有り得ない命を助けてあげました。決して、このような場所があることを人に言ってはいけませんよ」と何度も何度も言ったのだけれども、修行者は「これほどのことを、どうして言わないでおれようか」とて、世間に広く語ったので、その国の人で若くて血気盛んな、武術の腕に覚えのある者は、「軍勢を仕立てて行ってみよう」などと言ったけれども、そこへ行く方法も判らなかったので、そのままに終わった。そうしてみると、例の屋敷の主人たる恐ろしげな僧も、道がないのだから逃げられまいと思ったからこそ、修行者が逃げたのを追わなかったのだろう。

 さて、修行者はそこから道を伝って京にのぼった。その後、あの場所がどこにあるかは分からなかった。目の前で人を打って馬に変えるとは、全く不条理だ。畜生道(仏教での冥界の一つ)にでも迷い込んでいたのだろうか。

 例の修行者は京に帰って、馬に変えられた二人の同胞の成仏を願って、特に功徳を積んだのだった。

 これから思うに、いくら身を捨てて修行すると言っても、無意味に知らない場所へ行くべきではない。修行者が確かにそう語ったのを聞き伝えて、このように語り伝えたということだ。



参考文献
『今昔物語集 本朝部 〈下〉』 池上洵一編 岩波文庫 2001.

※この話では人を獣に変えるのが女ではなくなっている。同じタイプの民話が山梨県西八代郡上九一色村に伝わっている。

 和尚が六人の若い僧を連れて一軒家に泊まる。その家の主人たる爺は囲炉裏に鍋を掛けて粥を煮始めたが、何故かそこで隣の部屋に閉じこもる。和尚が怪しんで覗くと、盥に土を入れて種を播き、見る間に青草を育てていた。その青草を入れた粥を食べてから風呂に入ると、六人の若者は馬になってしまった。爺は馬を厩に繋いだが六頭しかいないことに気付いて残り一人を探し回り、逃げていく和尚を見つけて鬼になって追ってきた。しかし危ないところで太陽が昇り、和尚は逃げ延びることが出来た。

 

 鞭で五十回も打たれれば、皮は裂けて剥けて血だるまになっていたことだろう。ギリシアの生殖の神マルシュアスは、音楽勝負に負けて太陽神アポロンに生皮を剥がれたとされる。彼は山羊または馬の姿をした神である。そして太陽神アポロンはその矢で人を射殺す死の神でもある。(反面、人を甦らせる医薬の神の面も持つ)

 山奥の屋敷に住む不気味な僧は、死の神、冥王であると考えられる。彼のもとに迷い込んだ修行者たちが魔法の杖で打たれて…生皮を剥がれて馬に変えられる。あるいは風呂で煮られて馬に変えられるのは、冥界の光景の再現でもある。日本人に分かりやすいイメージで語れば、閻魔大王の指示で地獄の鬼が地獄に落ちた亡者を金棒で叩き、地獄の釜で煮ているのだ。いずれ罪が浄められて生まれ変わる時が来るまで。

 鞭で打って皮を剥ぐことは「死」を意味しているが、同時に「より良いものへの転生」を意味している。同じ『今昔物語』の「人に知られぬ女盗人のこと」で女盗賊が夫を鞭打つことで強くしていたのも、根底には同じ信仰があったのだと思われる。

 

 冥界からの脱出の道を教えてくれる二人の女は、スラヴ系の民話に登場する山姥ババ・ヤガーや、日本仏教であの世の入り口にいると語られる奪衣婆、あるいはギリシア神話のペルセウスの物語に登場するグライアイたちのような、《冥界の女神にして関守》と同じ存在とみなしていいだろう。

 ここまでの例では、主人公が旅して冥界を訪ね、馬に変えられる。しかし西欧に伝わる話群の中には、神や聖者が貧しい旅人に身をやつして訪ねて来て、人を馬に変えるものもある。

ろばに変身させられた男  ギリシア バレアレス諸島

 昔、あばら屋と立派な屋敷が向かい合って建っていた。あばら屋に住んでいるのは三人の子供を抱えた貧しい寡婦やもめで、お金も土地もなく、いつも飢え死に寸前だった。屋敷に住んでいるのは裕福な農夫で、けれど非常にけちであり、寡婦に豚の餌一つ分けてやることはなかった。

 ある日のこと、いかにも長い旅をしてきたといった風情の二人連れの老人が、あばら屋を訪ねた。一晩泊めてくれと言うのだ。けれども寡婦は困ってしまった。家には何も食べ物がなかったからである。

「家の子供たちさえ空腹のまま寝るしかないのです。ですから何のおもてなしもできないのですよ」
「でもあなたはかまどに鍋をかけているじゃありませんか」
「ええ。子供たちを宥めすかすために小石を鍋に入れて火にかけたんです。そうすればきっと眠ってくれるだろうと思って」
「そうですか。では、もう煮えているかどうか鍋を覗いてごらんなさい」
「まあ。小石が煮えるかもしれないなんて、あなた方は子供たちよりももっと子供っぽいことを仰いますね」
「いいから言う通りにしてごらんなさい」

 老人たちがしきりにそう言うものだから、とうとう寡婦は行って鍋の蓋をとった。すると彼女の目に飛び込んできたのは、鍋いっぱいに煮えた豆だった。

「仰る通りだわ。さあ、お二人とも夕ご飯を食べてください。でも残念ながら他には何もあげられないんですよ」

 すると老人たちは寡婦を脇の小部屋に行かせた。そこには甕があって、オリーブオイルがなみなみと満たされていた。そして籠があり、パンがいっぱい詰まっていた。

「おお神よ。こんなに沢山のパンは夫が死んでからというもの、この家にあったためしがないのに」

 それから寡婦は夕飯の支度をして、旅人たちと子供たちと共に今見つかったご馳走を食べた。食事が終わると寡婦は神に感謝を捧げ、老人たちには自分たちのベッドを使うよう、自分たちは屋根裏部屋で寝るからと言った。けれど老人たちは自分たちが屋根裏部屋に寝ると言って上にあがって行った。

 ところが朝になると、寡婦はあの二人の老人をもうどこにも見つけることが出来なかった。それでもオリーブオイルとパンは、この家にいつも絶えないようになった。

 次の晩、今度は屋敷に二人の老人がやってきて一夜の宿を乞うた。心の冷たい農夫は「食いものはやらん。馬小屋で寝るがいい」と言い捨てた。今までこの家に宿を乞うた貧しい人々はみんな馬小屋にやられ、そこで二匹の山犬に引き裂かれ、食べられて死んでいたのであった。しかし老人たちは平然と馬小屋へ行った。二匹の山犬を見ると一人がもう一人に言った。

「ペトゥルスよ、お前はあちらの犬の上に座りなさい。私はこちらの犬の上に座ろう」

 そう。この二人は我が主イエスと聖ペトゥルス(聖ペトロ)だったのである。

 朝になって馬小屋の様子を見に来た農夫は、二人の老人が生きて犬の上に座っているのを見て腹を立てた。が、怒鳴りつけようとした瞬間、彼の姿は驢馬に変わっていた。イエスがペトゥルスに言った。

「ペトゥルスよ、あの驢馬に乗って向かいの家に連れて行きなさい!」

 そこでペトゥルスは驢馬に乗って寡婦の家に行き、その驢馬を渡して、「この驢馬を毎日うんと働かせなさい。いつかまた取りにくるから」と言った。

 それからというもの、驢馬は辛い仕事をせねばならなかった。泉から水を汲み上げるために大きな輪を回転させ、水車の輪を回させられ、重い荷物を運ばされた。七年もの間、驢馬はそうやって寡婦のところで働かねばならなかった。このおかげで寡婦は子供たちに食べさせて着せることが出来た。

 七年過ぎて、寡婦の一番上の息子が大きくなり、もう自分で働ける年頃になると、あの二人の老人がまたやって来た。そして驢馬を引き取って、あの山犬のいた家畜小屋へ引いていった。そこで老人の一人が驢馬を激しく蹴ると、その瞬間にそれは元の農夫になった。イエスが言った。

「いつかまた貧しき人がお前の所へ来たなら、ちゃんと食べ物を与えるのだ。そして二度とここに人を閉じ込めてはならない!」

 それからというもの農夫はすっかり改心し、財産を貧しい人々に分け与えたという。



参考文献
『世界の民話 地中海』 小沢俊夫編訳 株式会社ぎょうせい 1978.

※農夫は旅人を必ず、人を引き裂く山犬がいる家畜小屋に入れたという。これは日本神話で根の国のスサノオを訪ねたオオクニヌシが入れられた蛇の部屋を思い出さされる。

 ロシアの類話では、傲慢な地主を神が驢馬に変えて、正体を知らせぬまま小作人たちに与えて酷使するよう指示する。一年間酷使されて驢馬は痩せ衰え、飢えて畑のキャベツを齧る。夫とは知らない地主の妻が腹を立てて棒で殴りつけると、驢馬は元の姿になる。それ以来、地主は傲慢さをなくしたという。グリムの「キャベツ驢馬」や日本の「旅人馬」にある《特定の植物を食べると元に戻る》というモチーフと、「板橋店三娘子」や『今昔物語』等にある《皮を剥いだり殴ったりすると姿が変わる》というモチーフの両方が出ている。


参考 --> 「二人の兄弟と石の犬」 人間の焼き直し

 しかしこの話はむしろ、日本の九州〜沖縄地方に伝わる民話【猿長者】との類似が大きい。

猿長者  日本 鹿児島県大島郡

 あがり長者は大家おおやであった。西いり長者は年取った爺さんと婆さんの二人暮らしで、子供もなければ金もない貧乏者でした。

 ある師走の二十九日の年の夜に、西の爺さんが「東の長者の家に行って、米味噌を借りて年忘れしようではないか」と婆さんに言いました。婆さんは「東長者のところで物を借りようとしたところで、口をきくだけ損をするばかりです。粟種でお粥でも炊いて年忘れしましょう」と語っていました。そこに、お天道の神さまが人の心を見るために降りて来られました。

 神さまは貧しい飯もらい坊主の姿になって、まず東長者の家へ行って「まことに済まないことであるが、行き所がないからどうか宿を貸してたまわれ」と申されました。ところが東長者は「師走二十九日の年の夜を知らないのか。ぐずぐず言うと骨打ち折ってとらせるぞ」と言って断りました。

「そんならよろしい」

 飯もらい坊主はそう言って、今度は西の爺さんたちの家へやって来ました。

「爺さん、婆さん、飯もらい坊主でありますが、今日の年の夜に、どうか宿を貸してくだされ」
「さあさあ、早くお入りなされ。食べるものは何もありませんが、粟種を入れたお湯がありますから、それでもおあがりなされ」

 爺さんと婆さんは、坊主を喜んで迎えました。坊主は「一升鍋を洗って青葉三葉入れ、水をいっぱいにして炊いてごらんなさい」と言いました。婆さんが言われる通りにすると、いっぱいの肴ができました。今度は「釜を洗ってごらん」と言いました。婆さんが釜を洗うと、坊主は財布から米粒を三粒取り出して釜の中に入れ、さあこれを炊きなさいと言いました。炊くとまた釜いっぱいのご飯ができました。三人はその御馳走を食べて、楽しい年忘れをしました。

 御馳走が終わると、坊さんが言いました。
「爺さん、婆さん。お前たちは貧乏して年もとっているようだが、宝が欲しいかい、それとも元のように若くなるのがよいかい」

 尋ねられて、二人は答えました。
「私たちは、十七、八の若さが欲しいと思います」

「そんなら大鍋にお湯を立てなさい」

 そう言われてお湯を立てると、坊主は財布から黄色い粉をつまんで湯の中に入れました。

「爺さん婆さん、後先にならないようにお湯に入りなされ」

 勧められて爺さんと婆さんが一度に入ると、元の十七、八の若者になりました。

 そうしている間に夜が明けました。また坊主が言いました。

「火に水をかけて消してしまって、婆さんは東の家から火種をもらってきなされ」

 婆さんが東長者の家へ火種をもらいに行くと、東長者の家では婆さんの若返った姿を見て家内中が驚きました。昨晩、飯もらい坊主が来て、こうして若さをもらいましたと語ると、東長者は「とんでもないことをしたものだ、うちに泊めていたら、俺たちがあのような運を授かったものを。今から何とかすればこの家においでにならないだろうか。そう頼んでくれないかい」と言いました。

 婆さんが家に帰って話すと、坊主はすぐ東長者の家に行きました。

「どうじゃ、東長者。これほどの財産、もう何の不足もないではないか」と言うと、東長者は
「あるからこそもっと欲しい。もっとくれてたぼれ」と頼みました。

「そんなら、銭金は不足はなかろうから、元の若さにしてあげよう」

 坊主はそう言って風呂を立てさせ、今度は財布から赤い粉を取って入れました。「さあみんな、一度に湯を浴びなさい」と言うと、みな一度に入りました。

 ところが、主人夫婦は猿になりました。子供は犬になり、下男は猫になりました。下女は鼠になり、今一人の下男は山羊になりました。

 それから、坊主は西の家の夫婦に、東長者の世帯を譲ってやりました。

 ところが、夕方になるといつも二匹の猿が暴れて困るので、とてもこの家には住めないから元の家に帰ろうと話しておりました。そこに坊主がまた訪ねて来ました。どうも困っていると言うと、坊主は「庭の黒い石を二つ焼いて、いつも猿の来る所に置いておけ」と教えました。その通りにしておくと、猿は何も知らずにやって来て、その石に腰を掛けて、火傷をしてそれっきり来なくなりました。

 猿の尻が赤いのはそのとき焼かれたからだそうです。若返った爺さんと婆さんはその家にいて、今が今まで良い暮らしをしているそうです。



参考文献
『こぶとり爺さん・かちかち山 ―日本の昔ばなし(T)―』 関敬吾編 岩波版ほるぷ図書館文庫 1956.

※こちらの話では傲慢な金持ちは罰されたまま、二度と元の姿に戻れない。無残である。

 暗くなると猿が来て困るので焼いた石を置いておき、腰掛けた猿が火傷して二度と来なくなる…というモチーフは、中国民話「猿にさらわれた娘」にも見える。夜な夜な《山》から下りてきて悲痛な叫び声をあげたり暴れたりするそれは、死霊のイメージである。

 風呂に入っての変身は、鍋で煮られる……地獄の大釜に入るイメージが根底にあるのだろう。大抵の類話では猿になるのは金持ち夫婦だけだが、この例話では金持ちの家に住んでいた子供も使用人も全てが獣に変わっている。多くの獣たちで溢れていたキルケーの館を思い出ささせる。

 なお、類話によっては少し捻ったアレンジをしているものもある。金持ち夫婦があまりに貧乏人夫婦の真似をして幸運にあやかろうとするので、うんざりした坊主が「そんなに猿真似が好きなら猿になってしまうがいい!」と言うと猿になったと言う。

参考文献
『魔法昔話の起源』 ウラジーミル・プロップ著 斎藤君子訳 せりか書房 1983.
『神話・伝承事典 ―失われた女神たちの復権―』 バーバラ・ウォーカー著 青木義孝/栗山啓一/塚野千晶/中名生登美子/山下主一郎訳 大修館書店 1988.



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