月と不死の薬〜月と不死の薬を関連付けたもの。

>>参考 「月の嫦娥」「天の犬が魔法の草を追う」「月の中の天丹樹の話」「竹取物語

 

クオイとガジュマルの木  ベトナム

 昔、クオイという男が斧を担いで深い山に入り、渓流の近くの木の陰に洞窟を見つけた。中を覗くと四匹の虎の子がじゃれ合っている。クオイは斧を振るってこれを殺した。すると恐ろしい唸り声が響き、背後から母虎が迫ってくるのが見えた。慌てたクオイは高い木に登って隠れた。

 母虎はしばらく子虎たちの死骸を鼻で探っていたが、やがてクオイが隠れている近くの木の葉を噛みちぎって、噛み砕いてから子虎の口に含ませた。すると子虎たちは生き返って跳ね回り始めた。

 虎たちが立ち去ると、クオイはその木を根こそぎ引き抜いて持ち帰り始めた。

 帰る途中で河に差し掛かると、ボロボロの衣をまとった老人の死骸を見つけた。さっそく木の葉を噛み砕いて口に含ませると、老人の顔に血色が戻り、息を吹き返して立ち上がった。老人は、

「これは特別な木だから、決して汚いものをかけてはならないよ」と言い残して去って行った。

 クオイは木を自宅の東側に植え、毎日、川の奇麗な水をかけて育てた。そして死んだ人があると聞けば木の葉を持って飛んで行き、数多の人を生き返らせて世間にその名を響き渡らせた。また、長者の娘を生き返らせて、彼女と結婚した。

 クオイは常日頃から、木には決して汚いものをかけてはならないと妻に言い聞かせていた。ところが彼が山に行っている間に、妻は木の根元に下肥をかけてしまった。

 たちまち大地が揺れて、轟音と共に木は浮き上がり始めた。ちょうどそこに帰って来たクオイは、貴重な木を逃すまいとその根にしがみついた。けれども木はクオイをぶら下げたまま、月まで飛んで行ってしまった。

 今でも、月を見ればガジュマルの木とその根元に座り込んだクオイの姿が見える。

 陰暦八月十五日の中秋節は子供の祭りで、夜になると子供たちが竹と紙で作った星や象や馬の形の灯を持って、「象牙色のまん丸いお月さんには、大きなガジマルの樹と年老いたクオイがいる。クオイさんよ、月の宮殿で何しているの……」と歌いながら、湖の周りを歩いたりして夜遅くまで遊ぶ。



参考文献
『ベトナム人と日本人』 穴吹 允著 PHP研究所 1995.
四季折々のお祝い」/『大学教授のベトナム講座』(Web) 武越日(穴吹 允)著

※月に《不死の木と、男》の影が見えるという、中国文化圏ではポピュラーな観念に基づいた物語だが、不死の霊草のモチーフが混入している。

 不死の霊草は、インドの「ラーマーヤナ」や古代バビロニアの「ギルガメシュ叙事詩」にも出てくる。霊山の頂(洞穴)にあるとされるのが基本だが、この話に見える例のように、霊獣が死んだ仲間を生き返らせたのを見て、主人公が使い方を知るというパターンもある。

三枚の蛇の葉  ドイツ 『グリム童話』(KHM16)

 昔、ひどく貧乏な男がいて、とうとう一人息子も養えないほどになった。息子はそれを悟ると自ら家を出ることに決めて、父に見送られて家を出ていった。

 若者は権勢ある王の軍隊に入って戦場に行った。そこで劣勢になった時に味方を鼓舞して戦い、大変な手柄を立てて、王の重臣に抜擢された。

 ところで、王にはたいそう美しい娘がいたが、一風変わった性質で、彼女が先に死んだ場合、その亡骸と共に生き埋めになることを約束する男とでなければ結婚しないという誓いを立てていた。「わたくしを心底愛してくださるならば、わたくし亡きあとの命など不要のはずでございましょう。その代わり、もし夫が先に死んだなら、わたくしも夫の亡骸と共に墓に埋められるつもりですわ」と言うのである。

 そんなわけで、周囲の男たちはみんな引いてしまっていたのだが、若者は彼女の美しさに魂を奪われて、あまり深く考えず、その通りに誓って結婚したのだった。

 ところが、しばらくすると若いお妃は重い病気にかかって死んでしまい、若い王はいやおうなしに、お妃の亡骸と共に王家の円天井の墓室に閉じ込められてしまった。墓室の中にあるのは灯りが四つ、パンが四つ、葡萄酒のビンが四本。これが尽きれば王の命はおしまいとなる。

 毎日パンを一口、葡萄酒をひと舐めだけしてどれだけ過ごしたのか。王が死神の足音を感じながらぼんやりしていると、円天井の隅から一匹の蛇が這い込んで来て、王妃の屍に近づいていった。王は蛇が王妃の亡骸を齧りに来たのだと思ったので、剣を抜いて「私の生きている間は、妃に触ることはまかりならん!」と、これを三つに斬って捨てた。しばらくするともう一匹蛇が這い込んで来て、三つに斬られた仲間を見ると一度戻り、間もなく青い葉を三枚くわえて戻ってきた。三つに切られた死骸を正確に並べて傷口の上に青い葉を一枚ずつ載せたところ、体が一つに繋がって生き返り、二匹連れ立って帰っていった。

 王はこれを見ると、蛇が残していった青い葉を拾い上げて、お妃の亡骸の両目と口の上へ載せてみた。途端に血の気が戻り、息をして、お妃は目を開けて言った。

「まあ、いやだこと。わたくし、どこにおりますの」
「あなたは、私の側にいるのだ」

 王はこれまでのことを説明し、お妃にパンと葡萄酒を少しずつ与えて元気を取り戻させた。それから二人で戸を叩き大声で呼んだので番兵の報せで老いた王が自ら扉を開け、娘夫婦が生きているのを見て大変に喜んだ。

 若い王は、墓から持ち出した三枚の青い葉を自分の家来の一人に渡し、「これはお前が肌身離さず大事に持っていてくれ。いつこれが私たちを助けることになるかもしれない」と命じた。

 ところで、お妃は生き返ってからというもの心がすっかり変わってしまい、夫への愛情がすっかり消えうせてしまったようだった。

 少し経ってから、若い王は自分の父親に会いに行くために、お妃を連れて船に乗った。ところがお妃は船長と道ならぬ関係に陥り、夫が眠っていた隙に船長を呼び寄せて、二人で頭と足を抱えて海に投げ込んだ。そして船長に言った。

「さあ、故国に帰りましょう。お父様にはわたくしから上手く言うわ。あなたを私の夫にして王位を継がせるようにね」

 この一部始終を、若い王の忠義な家来が目撃していた。彼は人に見つからないように小舟を下ろして親船から離れ、王の死骸を海から掬いあげると、三枚の蛇の葉を使って蘇らせた。それから二人は懸命に小舟を漕いで親船より早く老いた王の所に戻り、全てを報告した。

 老いた王は話を聞いて、「わしの娘がそのような大それたことをするとは信じられん。だが、真実は間もなく明らかになることだろう」と言って、二人に、他人に見られない部屋に隠れておくように言いつけた。

 間もなく親船が着いて、神の恐ろしさを知らぬ女が、悲しそうな様子で父親の前に現れた。

「どうしてお前は一人で帰って来たのだ。婿殿はどうしたのかな?」
「どうしましょう。わたくし、悲しくてどうしていいのか分からずに戻ってまいりましたの。夫は航海の途中、急病で亡くなってしまったのですわ。この船長が色々と助けてくれました。彼がいなかったら、わたくしはどうなってしまっていたことか」
「わしが死んだ者を生き返らせてやろう」

 老いた王はそう言うと、部屋の戸を開けて、若い王とその家来に入ってくるように促した。女は夫を一目見ると、雷に打たれたようになってぺたりと座りこみ、必死に許しを請い始めた。

「許すことはあいならん。お前の夫は、お前と一緒に死ぬ覚悟をなされた。そして、お前の失われた命を取り戻してくだされた。それを何じゃ、お前の方は、夫の寝込みを襲って殺害しおったのではないか。お前は、自分のしたことに相応の報いを受けねばならぬ」

 これが老いた王の言葉だった。

 若いお妃は、悪時の片棒を担いだ男と一緒に、穴だらけの舟に乗せられて海へ突き出され、間もなく波間に沈んでしまったのだった。



参考文献
『完訳グリム童話集(全五巻)』 J.グリム+W.グリム著、金田鬼一 訳 岩波文庫 1979.


参考 --> 「ポリュエイドスと蛇の草



参考 --> 「天の犬が魔法の草を追う」「月の中の天丹樹の話



不死草  中国

 大昔、愛尼山に老という猟師が住んでおり、妻亡き後は七人の息子と共に猟をして暮らしていた。

 ある日のこと、大雨に遭ってしまった猟師はずぶ濡れで家に帰り、具合を悪くして寝込んでしまった。いよいよ悪くなると、七人の息子を枕元に呼んで言った。

「息子たちよ、遠い遠い東の三角山の洞窟に、金色に輝く不死草があるということじゃ。わしが死んだら、お前たちはわしを背負ってその山へ行き、洞窟の中の不死草を探し、わしの頭に置いてくれ。するとわしはまた生き返るのじゃ」

 そう言い終わると彼は死んだ。

 七人の息子たちは、言いつけ通りに父の死骸を担いで太陽の昇る方へ向かい、三角山を探して旅立った。無数の山を越え無数の河を渡るうちに父の死骸は腐ってきた。それでも見えない三角山を目指したが、とうとう、六人の兄たちは不死草を探すのはやめて、死臭のする死骸を谷間に埋めてしまおうと言いだした。

 末の息子の老七は兄たちの言うことを聞かず、勇を奮い、一人で父の死骸を担いで三つの山三つの河を渡り、とうとう三角山に辿り着いた。老七は父の死骸を下ろすと、急いで不死草があるという洞窟を探した。それは山をよじ登った場所にあり、四方に金色の光を放っていた。

 洞窟の前では一頭の虎と一頭のノロ鹿が闘っていて、虎に首を噛まれたノロ鹿は洞窟の中へ転がっていった。それと同時に虎は老七を見つけて、大きな口を開けて飛びかかって来たが、老七は恐れずに刀を抜き、虎の体を幾つにも分断してのけた。

 老七が身を屈めて洞窟に入ると、死んだはずのノロ鹿が金色に輝く不死草をくわえて立ち上がり、洞窟から空へ飛んで行った。老七も二本の不死草を抜いて一枚口に含むと、体が燕のように軽くなって洞窟から飛び出した。

 ところが、父の死骸の所に戻ってみると、影も形もない。これは、ノロ鹿がくわえていった不死草が父の口に落ち、生き返った父は草を口に含んだままどこかへ飛んで行ってしまったからだった。仕方なく、老七は二本の不死草を持って家路についた。

 やがて小さな河辺に来ると、死んだ犬が流れて来た。老七はそれを引き上げて、不死草を一本、犬の頭に置いた。しばらくすると犬は体を振るって立ち上がった。このようにして、老七は道中で多くの獣や貧しい人々を生き返らせた。

 愛尼山の麓の村へ来ると、何やら騒々しい。村の中から悲痛な泣き声が聞こえてくる。行き会った老人に訊ねると、花のように美しかった長者の娘が死んでしまい、長者が嘆き悲しんで娘を墓に埋めないと言い張っているのだと言う。老七はそれを聞くと急いで長者の家に行って言った。

「私に娘さんを診せてください。私には娘さんを生き返らせるすべがあります」

 それを聞くと、長者は喜んでこう言った。

「私の娘は死んで二日経ちました。もしあなたが娘を生き返らせてくれるのなら、娘をあなたの妻に与えましょう」

 老七は横たわる娘の側に案内されると、すぐに懐から不死草を出して娘の顔の上に置いた。しばらくすると娘に息吹が通い、静かに両のまぶたを開けた。これを見た長者は心の飛び立つほど喜んで、娘の体調が戻ると吉日を選んで老七に嫁がせた。

 結婚してしばらくすると、老七は愛妻を連れて自分の家へ帰った。ところが、家には六人の兄の姿はなかった。老七は父と兄たちを失った悲しみのあまり、だんだんと痩せ衰えて病になった。妻は、不死草は死人を救うのだから病気も治すだろうと思って、こっそりと不死草を臼で粉にして、鶏スープに入れて老七に飲ませた。すると老七の体が小さくなっていき、空に舞い上がって太陽の中にへ入って光となった。妻は老七を慕い、残った不死草の粉を飲んだ。するとやはり体が小さくなって舞い上がり、月の中に入って光となった。

 それ以来、太陽も月も老いることがない。太陽が沈めば月もその後を追うのは、月の中の老七の妻が、太陽の中の夫を慕っているからである。



参考文献
「不死草」/『西双版納哈尼族民間故事集成』
生き返り草」/『ことばとかたちの部屋』(Web) 寺内重夫編訳

※不死草は三角《山》をよじ登った《洞窟》にあり、それ自体が《黄金》に輝いている。洞窟の入口には虎がおり、虎に噛み殺されたノロ鹿は《洞窟の中に》転がり込む。

 山の上の黄金の洞窟は《冥界》を暗示している。『論衡』に引かれている『山海経』などに、東海の度朔山の頂に不死の実をつける桃の大木があり、木の下に神荼と鬱壘という兄弟神がいて群がり来る鬼(神霊)たちを審判し、悪いモノは虎に食わせてしまうとある。不死草の生える洞穴の前にいる虎は、恐らく神荼と鬱壘の虎と同じもので、ギリシア神話の冥界の番犬ケルベロスとも相似の存在に違いない。インドネシアのニアス島の伝承では、地下国(冥界)へ向かう橋には楯を持った番人がおり、やって来る死者の審判を行う。失格した死者は番人の連れている猫に橋から地獄へ突き落とされると言う。



参考 --> 「月を射る



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