日月を奪う者〜日蝕や月蝕、あるいは日没や月の満ち欠けは、獣や怪物がそれらを食べたり閉じ込めたりしたために起こる、という話。
>>参考 (食べる)「首の怪物(インド)」「首の怪物(タイ)」「日食の伝説」「ムカデが月を食う」「月の満ち欠け」
(閉じ込める)「日の女神を救え」「罠にかけられた太陽」
天上にある数多の国の一つに、
その昔、暗黒国の王は太陽を盗もうと考え、最も強い火犬にそれを命じた。火犬は駆けていって、太陽をくわえようと噛みついたが、あまりの熱さに口を離してしまう。何度やっても駄目なので、とうとうしょんぼりと帰って来た。
暗黒国の王は、それならせめて月が欲しいと思い、また火犬を差し向けた。ところが月はあまりに冷たくて、やはり噛みついてもくわえていることができない。こちらもしょんぼりして帰って来た。
このように、暗黒国の王が太陽か月が欲しいと盗心を起こす時、火犬が駆けて行って噛みつく。日食や月食はこの時に起こるのである。
参考文献
『朝鮮の民話』 孫晋泰著 岩崎美術社 1966.
大地が出来たばかりで小さかった頃、地上に住んでいたのは巨人達だった。その頃は夜がなく、ずっと太陽が照り輝いていたが、ある秋の日、一頭の雄のヘラジカが雌のヘラジカを従え、太陽をくわえて天空へ駆けだした。
たちまち大地は漆黒に包まれ、困った巨人達の中から、暴れ者で恐いもの知らずのマンギ(マニ)という猟師が弓矢を掴み、二匹の犬を連れてヘラジカを追い始めた。雄のヘラジカは逃げ切れないとみると、太陽を雌に渡して自らは囮となり、雌を北の天に開く天上に通じる穴に逃がそうとした。雄のヘラジカを仕留めたマンギはそれを悟り、あと一息という雌を弓矢で殺した。ヘラジカの口から落ちた太陽のおかげで地上は再び明るくなった。使われた矢は三本だった。
このとき狩りに加わった者は二度と地上には戻らず、星となった。そうして今でも北の天の穴を目指して、狩りをし、走り続けている。以後、昼夜の別が現われ、鹿が太陽を盗むと夜になり、マンギが取り戻すと昼になるのだ。
参考文献
『シベリア民話への旅』 斎藤君子著 平凡社 1993.
『世界の太陽と月と星の民話』 日本民話の会/外国民話研究会編訳 三弥井書房 1997.
※北の天の穴とは北極星、星になった狩人達とは大熊座のこと。
エヴェンキ族に限らずシベリアの狩猟民の間には、太陽は巨大な鹿の姿をしていて、一日で天体を一回りするという伝承がある。
エヴェンキ族の概念では、世界は善霊の住む上の国、人間の住む中の国、悪霊と死者の住む下の国の三層からなり、三つの国は穴を通じて行き来できるのだという。中の国から上の国へ通じる穴は北極星で、そこへ至る道を知るのはワタリガラスだけだともいう。
別の伝承によれば、大地が出来たばかりの頃、天神ホヴォキは地上に池や湖を一跨ぎして狩りが出来るような巨人を住まわせていた。狩りの名人マンギは妹を苛めたために両親に叱られるのを嫌って天に昇り、天空でヘラジカを追っているという。彼の残したそりの跡が天の川で、大熊座とオリオン座はマンギと弓矢とヘラジカの姿であると。
妹を苛めたことで親に怒られることを恐れて昇天し天体になるというくだりは、朝鮮の神話「日妹・月兄」を思い出させる。
昔、独りぼっちで暮らしている女がおり、仕事もせずに毎日手毬で遊んでいた。ある日新しい手毬を作ろうと思い立った女は空に手を伸ばし、太陽と月を取って縫い合わせ、中に星を詰めた。こうして、片面が月、片面が太陽、中で星がきらめくすばらしい鞠が出来あがった。
太陽も月も星も一度に空から消えてしまったので、辺りは暗黒に包まれた。困った人々の中から勇敢な若者が太陽と月を取り戻す旅に出、暗闇の中を松明をかざし、犬そりを走らせて女の家に辿り着いた。そしてナイフで女を脅したので、女は泣く泣く手毬をほどいて太陽と月を大空に投げ返した。
こうしてこの世は再び光明を取り戻した。
参考文献
『シベリア民話への旅』 斎藤君子著 平凡社 1993.
※パレオアジア諸民族やインディアンの神話にも太陽は手毬として登場する。
アジアエスキモーの女達は握りこぶし大の手毬を作って寝間の梁に吊るし、魔除けのお守りとする。この手毬は普段は屋外に持ち出すことを禁じられ、病人が出ればその体をこの手毬で軽く擦った。エスキモーの老婆は死期を悟ると手毬を作って身内の娘にお守りとして贈った。太陽の霊力と生命力を同一視する観念が伺える。
女は縫い合わせていた太陽と月を解いて天に投げ上げる。「」や「」のような、二つに切られた人間を天に投げ上げると太陽と月になったと語る伝承と近いものがあるように感じられる。
昔、どこかの国であった話だ。
王様が竜とケンカした。竜は腹いせに太陽と月と星々を盗んで地下に隠したので、人々は大いに困った。
ところで、この国にはコースチンという男がいて、彼の三人の息子は そろって勇士だった。王様は家来を遣わして末の息子を呼んだ。
「あの竜のもとから、奪われた一切を取り戻してくれないかね」「いえ、私には出来かねます。中の兄さんに頼んでください」
そこで中の息子が召された。
「あの竜のもとから、奪われた一切を取り戻してくれないかね」「いいえ、私にも出来かねます。上の兄さんなら出来るでしょう」
とうとう上の息子が呼び寄せられた。
「あの竜のもとから、奪われた一切を取り戻してくれないかね」「いいでしょう。ただ、私たちには三頭の駿馬が必要です。三つの馬の群れを追い立ててください」
三つの馬の群れが追い立てられた。馬に長男が手を置くや、どの馬も どう、と横倒しになった。後に残ったのは三本足に翼が一つ、びっこをひいた痩せ馬一頭。長男が手を置くと、そいつは膝を落とすだけだった。
「うむ、こやつは下の弟に。さて、また三つの馬の群れを追ってくれ」
そこでまた三つの群れが追い立てられた。長男は片っ端から投げ倒し、最後に残った二本足に翼が二つの馬を選び出した。
「こやつは中の弟に。さて、また三つの馬の群れを追ってくれ」
そこでまた三つの群れが追い立てられた。長男はよくよく選り分けて、一本足に四つの翼の、一見して一番ダメな馬を選び取った。
選定が終わると、馬たちは長男に頼んで言った。
「コースチンの息子さん、私たちを三日間広い野に放して、新鮮な草を食べさせておくれ」
長男は馬たちの望みをかなえてやった。三日経つと、馬たちは丸々肥えた素敵な駿馬になった。
三兄弟は馬にまたがり、丘に登って てんでにハッシと弓を射た。放った矢が探し物を見つけてくれるまじないだ。
三兄弟は故郷を後にして馬を走らせ、竜の館に辿り着いた。館の前には末の弟の放った矢が落ちている。中に入ると酒とご馳走があったので飲み食いして一息入れた。夜になって末の弟が見張りに立ったが、魔法の手袋と編み鞭を置いて、「これに汗が滴り血が流れたら、このアイテム二つと僕の馬を解き放って、兄さんたちも加勢に来てください」と頼んだ。この手袋と鞭は主が無くともひとりでに敵を打ち攻撃する業物なのだ。
末の弟は橋の下に座っていた。夜中になると、大地をドロドロと轟かせて、馬に乗った三つ頭の竜が近づいてきた。竜の三兄弟の末の弟だ。橋の上に差し掛かると竜の馬はピタリと立ち止まった。
「畜生め、どうして先に進まないんだ」「橋の下にコースチンの息子が座っているんですもの、どうして進めるでしょうか」
末の弟は隠れ場所から飛び出し、三つ頭の竜と戦った。楽勝で倒してしまい、証拠に竜の舌を切り取ってポケットに入れた。館に戻ってみると、兄二人は騒ぎに気づきもせずに眠りこけていた。
三兄弟は再び旅立った。やがて、次の竜の館に辿り着いた。館の前には中の兄の放った矢が落ちている。中に入ると前より良い酒とご馳走があったので飲み食いした。夜になって、今度は次男が見張りにたつ番だったが、彼は嫌がった。代わりに末の弟が見張りに立ったが、今度も魔法の手袋と編み鞭を置いて、「これに汗が滴り血が流れたら、このアイテム二つと僕の馬を解き放って、兄さんたちも加勢に来てください」と頼んだ。
末の弟は橋の下に座っていた。夜中になると、大地をドロドロと轟かせて、馬に乗った六つ頭の竜が近づいてきた。竜の三兄弟の次男だ。橋の上に差し掛かると、竜の馬は立ち止まった。
「畜生め、何故 止まる」「橋の下にコースチンの息子が座っているんですもの、どうして進めるでしょうか」
末の弟は隠れ場所から飛び出し、六つ頭の竜と戦った。今度はなかなかの強敵で、手袋からはポタポタと汗が滴った。けれども兄二人はぐっすり眠り込んでいて気づかない。なんとか倒して竜の舌をポケットに入れて戻ると、末の弟は兄たちを起こして文句を言った。――倒せたから、まぁいいけど。
三兄弟は再び旅立った。やがて、最後の竜の館に辿り着いた。上の兄の放った矢は、館を半ば崩して落ちていた。三人は中に入り、景気付けに飲んだり食べたりした。夜になって、やはり末の弟が見張りに立ったが、「今度は眠らないで、手袋から血が滴ったら すぐに加勢に来てください」と言い置いた。
末の弟は橋の下に座っていた。夜中になると、大地をドロドロと轟かせて、馬に乗った十二の頭の竜が近づいてきた。竜の三兄弟の長男だ。橋の上に差し掛かると、竜の馬はハタと立ち止まった。
「畜生め、止まるんじゃない!」「橋の下にコースチンの息子が座っているんですもの、どうして進めるでしょうか」
末の弟は隠れ場所から飛び出し、十二の頭の竜と戦った。手袋からは汗が滴り、見る間に血に変わった。けれども、兄たちはやはり眠っている……。厩では末の弟の馬が大暴れを始め、館がガラガラと崩れ始めた。そこで流石に兄たちは目を覚まし、手袋と鞭と馬を解き放つと、自分たちも馬に飛び乗って加勢に向かった。修羅場に着いてみると、手袋は唸り鞭は宙を斬り、馬は大暴れしている。三人揃うと兄弟は竜を打ちのめし、火あぶりにして、灰を風に飛ばした。そんなわけで、竜は跡形もなくなってしまった。
それから、三兄弟は地下の国に行き、太陽と月と星と虹を取り戻して空に返した。そうして、家路を辿り始めた。
ところが、半ばまで戻ったとき、末の弟がこう言った。
「手袋と鞭を忘れてきてしまったぞ。あんな業物が忌まわしい奴らの手に渡るのは残念だ」
そこで末の弟はオオタカに姿を変え、今来た道を飛び戻った。ところが、竜の館に竜の女房と子供たちが残っていて、長男の竜の女房と三人の娘たちは三兄弟に復讐しようと相談していた。末の弟は子猫に変身して窓辺で可愛くじゃれた。娘たちは喜んで猫を中に入れようとしたが、竜の女房はとめて、二切れのパンを与えた。一切れには蜂蜜、もう一切れには毒が塗ってある。自分たちの眷属なら毒の方を食べるはず、というのだ。子猫は毒の方を食べてケロリとしていたので、女房も安心して中に入れた。
女房は娘たちに復讐の手はずを指示した。上の娘にはこう言った。
「先回りしてベッドに姿をお変え。奴らはそこで一息入れたくなるだろう。お前の上に身を横たえたコースチンの息子は、血まみれになってあの世行きさ」
中の娘にはこう言った。
「お前は道端の泉に姿を変えるがいい。奴らが一口含んだら、あっという間にお陀仏さ」
下の娘にはこう言った。
「お前はリンゴの木におなり。その実をかじれば身の破滅さ」
話を聞き終わると、子猫は手袋と鞭に さも面白そうにじゃれついて見せた。竜の子供たちは「お父さんを滅ぼした憎い奴のものだから、捨ててしまおう」と、子猫ごと外に放り出した。末の息子はオオタカの姿に返り、手袋と鞭を拾い上げると、飛んで じきに兄たちに追いついた。
三兄弟が馬でどんどん進んでいると、帳に包まれた柔らかそうなベッドが現われた。くたくたの兄二人は争ってベッドに向かったが、末の弟はそれを追い越して、ベッドに一太刀浴びせた。竜の上の娘は血まみれになってあの世行きになった。また少し先に進むと、見事なリンゴの木があって、その熟れた実が地面に落ちている。今度も末の弟は木を斬りつけ、下の娘も血まみれで息絶えた。そこからさほど離れていない場所には素晴らしい泉があった。三兄弟は幾日も露さえ口に含んでいなかったので、兄二人はすぐに駆け寄ろうとした。末の弟は兄たちを追い越して泉に一太刀浴びせ、中の娘も血まみれで死んだ。
老いた竜の女房は、娘たちが非業の死を遂げたと知ると、クワッと口を開けて三兄弟の後を追いはじめた。上あごは天まで届き、下あごは地に達し、炎で焼き尽くす勢いで、仇を追ってビュンビュン飛んできた。
末の弟は地面に耳をつけてこれに気づき、三兄弟は早足で逃げ始めたが、もう遅い。たちまち追いつかれて、近くにあった鍛冶場に逃げ込んで扉にかんぬきをかけた。
「ええい、ここをお開け。さもないと鍛冶場もろともに ひと呑みだよ」
竜の女房が言うと、鍛治工たちは答えた。
「扉を舐めてみやがれ、熱い奴をお見舞いするぜ」
竜の女房は扉を舐め尽して、中に舌を伸ばしてきた。鍛治工たちは真っ赤に灼いたやっとこで それをはさみ、竜の体に鋤をつけて谷間を耕し起こさせた。海岸べりまで耕し終わると、竜の女房は言った。「一息入れさせておくれ。水をたっぷり飲みたいんだよ」
海まで辿り着いた竜は水をガブガブ飲みに飲み、とうとう腹がはじけて死んでしまったとさ。
参考文献
『ロシアの民話〈I、II〉』 ヴィクトル・ガツァーク編、渡辺節子訳 恒文社
※本来末弟だけが活躍する話であったろうものを、ところどころ長男に花を持たせて立ててみたり、末弟が理由無く神か魔法使いのような存在になっていたり(オオタカになってひと飛び出来るなら、馬に乗って旅する必要なんてないじゃないか)、細かいところが混乱しているが、神話的観念が非常に端的に現れていて面白い話である。
竜は、「呑み込む者〜冥界そのもの」として現われている。竜は太陽や月や星を呑み込み、"地下=冥界=己の腹の中"に隠す。竜の女房が三兄弟を呑もうとするのは、彼らが冥界に下って宝(太陽や月)を奪ったことを別の形で再表現しているに過ぎない。また、"呑みこむ者=竜=女神≒生命の果実、泉、ベッド≒死の眠りを与えるもの"であることも示されている。
ところで、竜が馬に乗って現われるのは奇異な感じも受けるが、ゲルマンやスラヴ系統の民話では、馬は"冥界と現界を行き来できる"乗り物と考えられている。だから冥界に向かう三兄弟は特に優れた馬を選んで出発しなければならないし、竜も馬に乗っている。竜と末の弟が出会う場所が必ず「橋」なのも示唆的だ。つまり、そこはこの世とあの世の境であり、その関門として竜はいるのである。
物語の結末、突然三兄弟の勇士は消えてしまい、ぽっと出の鍛治工たちが竜の女房を支配して大地を耕させる。物語としては破綻しているが、これは、火を制する金屋たちが"獄炎燃え盛る冥界=竜"の支配者であることを意味しているのだろうか。そういえば、北欧の冥王アルベリヒは小人の鍛治師であることになっている。雌竜が大地を耕すのは、"竜=火を吹く神牛・神馬=生贄の牛馬"であって、また、彼女が豊穣の地母神であることをも示しているのだろう。
参考 --> <小ネタ〜三匹のイワナ>
昔々、まだ雲の王が若かった頃のこと。
その頃、雲の王と太陽の王はとても仲がよかった。太陽の王が長旅に疲れると雲の王はやってきて、しもべの雨に命じて大地に水を撒かせたものだ。この友情のおかげで、人々が雨を望む時に太陽が照りつけることはなく、太陽の光を望む時に雨が降るようなことは決してなかった。
ある午後に、太陽の王は雲の王に向かって言った。
「なあ雲の王よ、今日、わしは懸命に働かんといかんかったから、とても疲れたんじゃ。夜にたくさん雨の降った国で、その大地を乾かさねばならんかったんでな。そうしないと作物の出来が悪くなり、哀れな人間たちはひどいことになったろう。すまんが、わしが早引け出来るように空を覆っておいてくれんか」
ところが雲の王はこう答えた。
「それは出来ない相談だね! ちょうど今、昨日雨を降らせた国へ行くところなんだ。お前、大地を乾かすなんてことしなければよかったのに。というのもな、俺が何様であるかを思い知らせてやるために、これから九週間の間ずっと、その国に雨を降らせてやるつもりだからだ」
「なんでお前は、哀れな人間たちを罰するんじゃ?」と、太陽の王は訊ねた。
「その国は王が治めているんだが、王にはとても美しい娘がいてね。俺がその娘を妃に欲しいと言ったところ、王はそれを撥ね付け『雲の王に娘はやれん』と言ったのだ。それなら俺が何様であるかをあの国の連中に思い知らせてやろうというわけだ。我がしもべの雨、風、雷光、雷鳴、雹、雪どもを連れて行き、心行くまで暴れられるよう、一斉に解き放ってやるんだ!」
「哀れな民はお前に何もしておらんじゃないか。その王がお前を侮辱したとしても、国民みんなを罰して破滅させようとしてはいかんよ!」
心の優しい太陽の王がそう言うと、雲の王はこう言い返した。
「そんなことは俺には関係ない! 誰が俺のやり方に指図できるって言うんだ!」
「わしがだ!」と、太陽の王は答えた。
「そうか? それが出来るかどうか、拝見したいものだなぁ!」
雲の王はそう言うと、足早に立ち去った。
ところで太陽の王は事実、手をこまねいてはいなかったのだ。すぐに取って返し、雲の王としもべたちより速くその国へ到着していた。おかげで雲の王は何も手出しが出来なかった。というのも、太陽があまりに眩く照り輝いたため、しもべたちはかろうじて焼け死ぬのを免れただけだったからだ。
雲の王は我を忘れるほどに怒りながらも、半ば焼け焦げたしもべたちと共に、彼らの住処である世界で最も高い山へと帰っていった。諦めたわけではなく、改めてやり直すつもりだった。
けれども、雲の王が恐ろしいしもべたちと共に人間の国を乱そうとすると、その度に太陽の王が現れて追い払うのだった。雲の王はとても不機嫌になり、どうすれば太陽の王を出し抜けるか考え始めた。
ある時、雲の王がこの気持ちをしもべたちに伝えると、風が言った。
「ひとつ企みがあります。ご存知のように、我らが仇敵たる太陽の王は、朝早く幼子の姿で空に昇り、午後に大人になり、晩に弱った年寄りになって戻ってきて、母親の懐で眠るのです。もし奴が母親の懐で眠ることが出来なければ、弱々しい年寄りのまま若返れず、空に昇ることは出来ません。なんとしてでも太陽の母親を捕まえましょう。そうすれば、太陽の王はもう私たちに手出しは出来ませんよ」
その提案を聞くと、雪と雹はヒューヒュー囃し声をあげて喜び、雷光は走り回り雷鳴は唸って賛成し、雨は「お前は頭がいいなぁ」とザーザー囁いた。
「そいつはいい案だ! 太陽の母親を捕まえることにしよう!」
雲の王も言うと、太陽の王の家へ向かった。
太陽の母は黄金の家の門前に座っていた。太陽の王は毎日、家から遠く離れて世界中をさまよっていて、夜まで戻ることはないのだ。雲の王は美しい灰色の馬に姿を変えると、太陽の母に話しかけた。
「こんにちは、おばさま! 私は風の馬というものですが、あなたのご令息の太陽の王様の使いで参りました。急いで来てほしいとのことです。太陽の王様は洪水にさらされた国にいまして、大地を乾かす力を使い果たしています。一時間、あなたの懐で眠って、力を取り戻したいそうです!」
太陽の母は答えた。
「おかしいのう。息子は一度たりとも私にそんなことを願ったことはなかったが。じゃが、それが本当なら、急いであの子のところへ行かねばならぬ。お前の背に乗せておくれ!」
それは雲の王にとって願ってもないことだった。太陽の母が背に乗ると、馬は風のように速く駆けて洞穴へ向かった。そこで風の王の正体を現し、太陽の母を洞穴に閉じ込めたのだ。
さて、太陽の王は晩に弱々しい年寄りになって家へ戻ってきたが、母がいないことに気がついた。そして、母の懐で眠ることが出来なかったので、とても弱り、次の日に空に出て行くことが出来なかったのだ。
こうして太陽が輝くことはなくなり、暗闇が辺り一面を支配した。今や雲の王は誰にも邪魔されずに、しもべたちと共に混乱を引き起こすことが出来た。
しかし、彼らの素晴らしい日々は長続きはしなかった。というのも、太陽の母が指の爪を伸ばして、穴を掘って洞穴から脱出したからだ。彼女は息子のもとへ急ぎ、太陽の王は母親の懐で眠って力を取り戻した。溌剌と空に現れた太陽の王に雲の王は追い払われた。
それ以来、雲の王と太陽の王のあらゆる友情は途切れたのだと言う。
参考文献
『「ジプシー」の伝説とメルヘン 放浪の旅と見果てぬ夢』 ハインリヒ・フォン・ヴリスロキ著 浜本隆志編訳 明石書房 2001.
※太陽は朝に誕生し日没時に老いて死ぬ。死んだ太陽はその母(大地の女神)の胎に入って翌朝産み直される……。そんな信仰が非常に分かりやすく解説されている物語である。
やはりジプシーの民話に、「漁師と妖精ウルメ」(『世界のメルヒェン図書館6 美しいヒアビーナ ―ジプシーのはなし―』 小澤俊夫編訳 株式会社ぎょうせい 1981.)という話がある。
漁師の若者が運試しの旅の途中で
若者は妻を捜して旅立った。風の王と月の王に妻の行方を尋ねるが知らないと言われる。最後に太陽の王に尋ねると、あの鳥はチャラナ鳥といって999年生きており、毎晩同じ女の乳房から乳を飲まねば死んでしまうのだと教えてくれた。そしてチャラナ鳥の住む高山の頂の鉄の城まで連れて行ってくれ、風の王と協力して
夫婦が月の王に借りた空飛ぶマントに乗って逃げていくと、チャラナ鳥が追ってくる。それで月の周りを九回も廻って逃げ続けたが、朝になるとチャラナ鳥は死んだ。
この話では太陽は主人公の援助者として現れてもいるが、実は敵であるチャラナ鳥もまた「太陽神」ではないかと思われる。中国の伝承では太陽はカラス…すなわち鳥だ。
この話では洞穴に閉じ込められるのは太陽自身ではなくその母となってはいるが、日本本土の天の岩戸の話やアイヌの日の女神を救う話と近い印象を受ける。
参考 --> 「フシェビェダ爺さんの金髪」
※天の犬が月に噛みつくので月食が起こるという観念は、中国、朝鮮、モンゴル、シベリア諸民族、北米インディアンにまで分布する。不死の霊草が関わることが多く、月は噛みつかれた傷を霊草で癒すなどと言う。
シベリアのナーナイ族の伝承では、天地創造神エンドリの犬が月に噛みつくので、月は不死の草で傷を癒すために天上の草原に向かう。このため、月は暗くなるのだと言う。中国の『洞冥記』や『酉陽雑爼』には、太陽の中の三本足のカラスが不死の草を食べに舞い降りるとある。おかげで太陽は老いることがないと。
天の犬が魔法の草を追う 中国白 族
昔、ニエユアン西山に仲睦まじく暮らす夫婦がいた。ところが夫が皮膚病にかかって全身がかさぶただらけになると、村人たちばかりか妻までもが彼を馬鹿にし、忌み嫌うようになった。
男は悩み苦しんだ末に山に隠れ、病気を治す薬草を探して廻った。けれどどんな薬草を試しても効くことはなく、癩病に蛇の肉が効くらしいと聞いてからは蛇を捕まえて食べていた。
ある時、男は竹林で一匹の蛇を捕らえ、輪切りにして土鍋に入れてから薪を取りに出た。戻ってくると、一匹の蛇が一本の草をくわえて小屋に入って来た。蛇は頭をあげて土鍋の周りを回ると、尾で鍋をひっくり返し、転がり出た蛇の肉を一つ一つ草でこすって繋げていった。それからクオクオと三声鳴くと、死んだ蛇が生き返った。二匹の蛇は竹林に消えていった。
男は、これは魔法の草に違いないと考え、蛇の残していった草で全身をこすった。するとこすったところが奇麗な肌になり、たちまち皮膚病が癒えたではないか。男は荷物をまとめて喜び勇んで家路についた。
途中で死にかけたカササギを見かけたので、くちばしをこじ開けて魔法の草でこすると息を吹き返し、感謝する様子で飛んでいった。またしばらく行くと、家で飼っていた黒犬が道端で撃ち殺されていた。魔法の草でこすると生き返り、しっぽを振って男と一緒に家に帰った。村人たちも妻も、男の皮膚が元通りになったのを見ると再び親しく付き合うようになり、男は山から採ってきた様々な薬草と魔法の草を使って、沢山の人の命を救う薬草医者として名を馳せた。
男は魔法の草をとても大事にして、使い終わるとすぐに箱にしまい、妻にも勝手に触れさせなかった。けれども彼の留守中に村で重病人が出て、その息子が呼びにきたので、妻は親切心から魔法の草のしまってある箱を取り出して、歩きながら急いで開けた。ところが庭で転んで魔法の草は転がり出し、たちまちそれを太陽が奪った。太陽はこの草を月にも貸したので、これ以来、太陽と月は決して病気にかからなくなり、以前より明るくなった。
男は妻を罵り、人々のために魔法の草を取り戻しに行く決意をした。男は庭に《百節参天樹木》を植えて、朝晩、天秤棒二担ぎ分の泉の水をかけるように妻に命じ、黒犬と共に木の梢にしがみついた。木はぐんぐん伸びて雲に入り、天宮まであと一歩と言うところまで至った。黒犬はパッと跳んで天宮に着いたが、男はまだ梢にしがみついていた。
一方妻は、夫に命じられたとおりに朝晩、泉から天秤棒で水を汲んで来ては木にかけていた。靴を三足履きつぶし、天秤棒を三度取り換え、水桶も三回取り換えた。肩の皮は剥け、タコになっていた。見れば、木の梢にいる夫の姿は雲の中に入ってもう見えない。妻は、夫はもう天宮に着いただろうと考え、泉の水ではなく米の研ぎ汁をかけるようになった。このために根が腐り、木は倒れて、男は振り落とされてぐちゃぐちゃになってしまった。
黒犬は主人が落ちたのを見て、生き返らせるために魔法の草を取り戻そうと、必死になって太陽や月に噛みついた。
今、人々はこの犬を天狗(天の犬)と呼び、天狗が太陽を齧るのを日食、月を齧るのを月食と呼ぶ。太陽と月は犬に餌をやり、あやして眠らせる。こうして数年は静かに過ごすが、犬は主人のことを決して忘れず、目を覚ますたびに太陽と月を追いかけて行っては齧りつき、魔法の草を返せと責めたてている。
参考文献
『世界の太陽と月と星の民話』 日本民話の会/外国民話研究会編訳 三弥井書房 1997.
※ 天狗とは《天の犬》の意味だが、現代日本では天狗と言えば鼻が長く赤ら顔で修験者の服装をした妖怪・神のことになっている。とは言え最初からそうだったわけではない。『日本書紀』の記事によれば、舒明天皇九年、都の空に大彗星が現れて雷のような音を立てて東から西に飛んだ。すると中国から帰国したばかりの僧旻 が、「流星ではない、これは天狗 です。その吠え声が雷に似ているだけです」と言ったという。天体現象に関わる天狗(天の犬)の観念を、留学僧が日本に持ち込んだということだろう。
高い木を伝って天界に登ろうとするが後一歩足りず、連れていた犬が先に天に登る、というモチーフは「天人女房」等の【七夕】譚に見える。
男が植物を伸ばして天に昇りかけるが、妻の行動のために失敗してしまう話だと考えると、「お天道さまに届いた豆」とも共通するかもしれない。
参考 --> 「クオイとガジュマルの木」「不死草」「月の満ち欠け」
モンゴルでは、日月を呑み込んで日食や月食を引き起こすのは《竜》だというのが一般的だ。中国から伝わった長崎くんちの竜 踊りも、竜が日月を追う様子を表したものである。日月は不老不死をもたらすので、それを呑もうとするのだと。インドの伝承では、不老不死の薬を飲み損ねた魔神ラーフが、首だけになりながらも日月を呑もうと追う。ラーフは西洋占星術上ではドラゴンとされている。紀元前十四世紀頃のウガリッド王国の粘土板に刻まれた「バアルとアナト」に、七つ頭の悪蛇ロタン(レヴィアタン)が太陽や月を呑んで蝕を引き起こすとあり、エジプトの神話の一つに、太陽神ラー(鳥)は大蛇アペピと日毎に戦い、蛇に呑まれている間が夜である、とするものがある。
この他、蛙、ムカデ、得体のしれない怪物が日月を食べるとされる。
参考 --> 「ワタリガラスが日と月と星を盗んだ話」