天人女房  日本 熊本県 天草

 昔のこと。天女さんが何人か連れ立って天から降りてきて、美しい着物を川のほとりに脱ぎ捨てて水浴びをしていなさった。そうすると、通りがかった若者がこれを見て、一番美しい着物を、そろっと隠してしまった。

 そしてその辺に隠れて様子を見ていると、天女さんは次々上がってきて、めいめい自分の着物を着ては天に舞い上がっていった。ところが、一番美しい天女さん一人、自分の着物がないと言って、座り込んで泣いていなさった。若者が何も知らぬげに出て行って、親切そうに訊ねると、天女さんは、着物がなければ天に帰れないと言って大声で泣き出してしまった。

 若者は気の毒になって、もういっそ出してやろうかとも思ったが、あんまり天女さんが美しいので知らんふりをしていた。天女さんは仕方なく、若者に付いてその家に行って、お嫁さんになりなさった。

 若者の家には、犬が一匹飼われていた。二人は睦まじく暮らして、一年経ち二年経ち、三年経った。そこで若者は、もう着物を見せても天に昇ろうとはすまいと思って、あの着物を出してやった。ところが、天女さんは嬉しそうに着てみたかと思うと、そのまま天へ飛んで行ってしまいなさった。

 若者は、どうかして天まで追って行きたいとと考えて、夜も眠れなかった。そのうちに顔も青ざめて、病人のようになってしまった。

 そこへ訪ねて来た人が、若者の様子を見て驚いて訳を訊ねた。そこで若者は、始めから終わりまで話して聞かせた。するとその人は、

「一日百足の草履を作って、一本のへちまのぐるりに埋めれば、一晩のうちにそのへちまが伸びて天に届く。それを伝って天に昇れ」と教えて、姿を消してしまった。

 若者はもう喜ぶの喜ばないの、すぐに草履を作り始めた。ところが、やっと九十九足まで作ったところで、もう日が暮れてしまった。そこで仕方なく九十九足の草履をへちまのぐるりに埋めておいたら、一晩のうちにそのへちまが、それはそれは高く伸びていた。若者は喜んで、すぐにそれを登り始めた。そうすると、飼っていた犬も後からするする付いて登ってきた。

 ところが、天まであと一歩というところまで来たら、へちまがそこでおしまいになっていて、もう登れない。草履が一足 足りなかったからだ。けれども付いてきた犬がぴょいと天に跳び上がって、若者の方へ尻尾を下ろしてやった。それで若者はそれに掴まって、ようよう天に登ることが出来た。

 その天女さんが七夕星で、若者が犬飼星になったんだそうな。



参考文献
『いまは昔むかしは今(全五巻)』 網野善彦ほか著 福音館書店

※【白鳥乙女】型の話。

 若者が天女を追うために「百足の草履」を必要とするのは、「百足の草履を履き潰す長い旅をしなければならないほど、(冥界へ去った)妻を取り戻すのは困難である」という暗示と思われる。西欧の民話では「鉄の靴をすり減らし、ビンを涙で一杯にする」という表現で現れてくるモチーフだ。日本には「あねさん女房はかねのわらじを履いてでも探せ」という格言があるが、これはかねのわらじを履くほどの苦労をして探すほど、年上の妻には価値があるという意味である。この格言の根底には、《鉄の靴をすり減らす苦労》の観念があったのかもしれない。

日本 徳島県  『いまは昔むかしは今(全五巻)』 網野善彦ほか著 福音館書店

 狩人が水浴びしていた天女の着物を隠して女房にした。やがて子供も生まれたが、子供に着物の隠し場所を聞いた女房は、夫の留守に着物を着て、いごづるの木を伝って子供と一緒に天に帰ってしまった。

 狩人は二匹の犬を連れて天に登り、天女の父親に「婿にしてくれ」と申し込んだ。様々な無理難題を女房の助けで切りぬけ、最後に父親は「婿にしてやるから」と瓜の番人を申し付けた。

 女房は「天で瓜を食べてはならない」と警告したが、喉の乾きに耐えかねた狩人は一つ瓜を食べてしまった。すると瓜の中から大水が溢れだし、狩人を下に押し流した。これが七月六日のことで、だから七夕には瓜を供えない。


参考--> 「牛飼いと織姫」「天の水汲瓢

天女あもれの話  日本 鹿児島県 奄美 『いまは昔むかしは今(全五巻)』 網野善彦ほか著 福音館書店

 薪拾いの男が、水浴びしていたあもれの着物を隠して女房にした。三人の子が生まれたが、長女の歌で着物の隠し場所を知ったあもれは、夫の留守に着物を着て、置手紙を残して、子供と共に天に帰ってしまった。

 男は置手紙の通りに天を七回招いて、降りてきた綱を伝って天に行った。それから様々な難題をあもれの父親に課せられたが、あもれの助けを借りて切りぬけていった。

 最後に、父親は「瓜を切れ」と命じた。あもれは「横に切ってはいけません。縦切りになさい」と警告したが、これまでずっとあもれの言うとおりに物事を行ってきた男は、いいかげんこれくらい好きに切りたいと思って横に割ってしまった。たちまち瓜の中から水がどんどん溢れ出してきて洪水になった。

 こうして天の川ができたのだという。あもれと男は川の向こうとこちらに押し流されてしまったが、一年に一度、七夕の日に雨が降らなければ、また遭うことができるのだといわれる。



天稚彦の草子  日本

 昔、長者の家の前で女が洗濯していた。大きな蛇が現れて「我の言うことをきけ。きかなければ、巻きつくぞ」と言うので、女が「何でしょうか。できることならなんでもお聞きします」と言うと、蛇は口から手紙を吐き出して、「長者にこの手紙を渡せ」と言う。手紙を持って行き、長者が開けてみると、「お前の三人の娘を私に差し出さなければ、父も母も取り殺す。この話を受けるならば、どこそこの池の前に十七間の釣殿を作れ。我が身にはそれでも小さいが」と書いてある。これを長者夫婦は読んで、泣くこと限りなかった。

 長女を呼んでこのことを言うと、「そんなことごめんです」と言う。次女に言えば、同じ返事をする。末娘は一番可愛がっている子だったが、泣く泣く呼んで言うと、「お父様とお母様を取り殺させるくらいなら、私がどうにでもなったほうがいい。私が行きます」と言った。不憫でたまらず、泣きながら送り出した。

 蛇の言った池の前に家を作り、末の姫ただ一人を置いて人々は帰った。亥の刻(夜十時)頃になっただろうか、風がさぁっと吹いて、雨はしとしとと降り、雷鳴、稲妻が閃いて、池の中に波が高く立ったように見えた。姫が生きた心地も無く、気も遠くなっていると、十七間の家に入りきれないほど大きな蛇が現れて、言った。

「我を恐れるな。もし刀を持っているなら、我が頭を切れ」

 恐ろしかったが、爪切り刀(つめきり。化粧道具として持っていた)で簡単に切れた。

 切れた頭の中から直衣のうし(貴人の服)を着た、本当に美しい男が走り出てきて、蛇の皮をまとい、姫を小唐櫃からびつ(物を入れる大きな箱。今で言うなら収納ケース)の中に誘った。二人は一緒に寝て楽しく語らい、姫は恐ろしさも忘れ、夢のような一夜を過ごした。

 かくして、夫婦は仲良く暮らすようになった。家にはあらゆるものが沢山あり、足りないものは無く、楽しさは限りが無い。家来や召使も大勢いる。

 ある日、夫が言った。

「我は実は海龍王である。だが、天にも昇ることがある。このほど用事ができたので、明日あさって辺りに天に昇ることになった。七日過ぎたら帰る。もし思いがけず帰ってこれなければ、二の七日(二週間)待て。それより遅ければ三の七日(三週間)待て。そうなっても帰らなければ、帰らないと思ってくれ」

「そうなったら、どうしましょう」

「西の京に女がおり、一夜杓いちやひさごという物を持っている。それを手にいれてそなたも天に昇って来なさい。それはとても困難なことだが、もしも昇れたなら、道で出会った者に『天稚彦のいらっしゃる所はどこですか』と尋ねて来ればいい」

 夫はそう言って、また「この、物の入った唐櫃は、とても大切だ。如何なることがあろうとも開けてはならぬ。開ければ、我は二度と帰って来れないだろう」と言い残して天に昇って行った。

 さて、姉たちが、妹の幸せな様子を見ようと訪ねてきた。

「あなたはこんなに楽しい暮らしをしているのに、私たちときたら、怖がって損したわ」などと言いつつ、いろんなものを開けては見て回り、「これは開けてはなりません」と言う例の唐櫃を、「開けてよ、見たいわ見たいわ」と言い合う。「鍵がどこにあるか知らないもの」と言うと、「鍵を出しなさいよ、何故隠すの」と二人で妹をくすぐった。鍵は袴の腰に結わいつけてあったのだが、くすぐられた拍子に几帳きちょうに当たって音を立てたので、「ほら、あるじゃないの」と言って、その唐櫃をあっさりと開けてしまった。

 唐櫃の中には何も入っておらず、ただ、煙が空に立ち昇った。

 こうして、姉たちは帰って行った。

 三の七日待ったが、夫の姿は見えなかった。姫は夫に言われた通りに西の京に行き、女から一夜杓を譲り受けた。それは、地面に埋めればあっという間につるが伸びて天まで人を運ぶ、魔法のひょうたんなのである。姫は、(これに乗って天に昇ったら、もう帰って来れないでしょう。私が行方知れずになったと聞いたら、両親はどんなに悲しむことかしら)と思うと、とても悲しかったが、その心を振りきって天に向かった。

 天に昇って行くと、白い狩衣を着た見栄えのよい男に会ったので、「天稚彦のいらっしゃる所はどこですか」と尋ねると、「私は知りません。次に会った人にお訊きなさい」と言って去って行く。「あなた様はどなたでしょう」「夕づつ(宵の明星)です」

 次に、ほうきを持った人が現れた。さっきのように尋ねると、「私は知りません。後から来た人にお訊きなさい。私はほうき星(彗星)です」と言って通り過ぎて行った。

 次に、集団に会った。またさっきのように尋ねると、今度もさっきのように答えて、「私たちはすばる星です」と言って通り過ぎて行った。

(こんなことでは、尋ねあてることはできないのではないかしら)

 姫は不安になり、心細くなった。それでも行かねば、となおも進んで行くと、立派な玉の輿に乗った人に出会った。これまでと同じように尋ねると、「これより奥に行くと、瑠璃の大地に宝石の御殿が建っています。そこに行って、天稚彦を訪ねなさい」と教えてくれた。

 言われた通りに行って、姫は夫をたずねあてた。あてどなく探し回った心の内などを聞いて天稚彦も心打たれ、

「我も辛く、そなたがきっと来てくれるに違いないと心を慰めていたが、そなたも同じように感じていたのだな」

と、改めてお互いを確かめ合い、語らった。まことに浅からぬ縁である。

 そして、天稚彦は言った。

「さても困ったことだ、どうしたものか。我の父は鬼なのだ。そなたがここにいると聞けば、どうなることか」

「とても驚きましたが、あなたとはこんなにも心を尽くした仲なのです。ここが嫌でも帰る所も無い身ですし、あるがままに受け入れましょう」

 それから日にちが過ぎて、この親がやってきた。天稚彦は、姫を脇息きょうそく(肘掛け)に変えて寄りかかった。父鬼は本当に恐ろしい形相だ。「娑婆しゃば(現世)の人間の匂いがする。臭いぞ」と暫くうろうろしてから帰った。それからも度々来るようになったが、その度に天稚彦は姫を扇や枕にしつつ、ごまかしていた。

 父鬼はそれに感づいて、足音を忍ばせて、ふいにやってきた。この時は天稚彦は昼寝をしていたので、姫を隠す暇がなかった。「これは誰だ」と言うので、今となっては隠しても仕方がない。ありのままに説明すると、父鬼は言った。

「わしの嫁にしよう。家の世話をする者に事欠いていたところだ。もらっていくぞ」

 天稚彦は、(ああ、恐れていた通りだ)と思って悲しんだが、父に逆らうことはできないので、姫を父鬼にやった。

 父鬼が姫を連れて行って言うには、

「野に飼っている牛が千頭いる。それを朝夕世話しろ。昼には外へ出し、夜には牛小屋に入れるのだ」

 姫が天稚彦に「どうしましょう」と相談すると、自分の袖を解いて与えて、「『天稚彦の袖、天稚彦の袖』と言って振れ」と教えた。言われた通りに振ると、千頭の牛は勝手に朝には野に出て、夜には牛小屋に入る。「これは不思議だ」と父鬼は言った。

 次に、父鬼は「わしの蔵にある米千石を、すぐに別の蔵へ移せ。一粒も落とすな」と言った。また袖を振って唱えると、アリが沢山出てきて、すぐに運んでしまった。父鬼は算木で米を数え、「一粒足りない」と怖い顔をして、「絶対に探し出せ」と言う。「探してまいります」と見て回ると、腰の折れたアリがヨロヨロと運んでいるのを見つけて、喜んで持って行った。

 次に、「百足の倉に入れてやれ」と言って、中に鉄の張られた倉に閉じ込められた。百足といっても普通のものではない。一尺を超えるようなものが四、五千も群れ集って、口を開けて食い付こうとしてくる。目もくらむ心地ながら、また例の袖を振って「天稚彦の袖、天稚彦の袖」と唱えると、百足は倉の隅に寄って近付いてこなかった。父鬼が七日過ぎて蔵を開けてみると、姫はなんともない様子でいた。

 今度は、蛇の城に閉じ込められた。その時も前と同じようにすると、蛇は一匹も寄って来ない。父鬼がまた七日過ぎて開けてみると、前と同じように無事に生きている。どうしたものかと、姫を扱いかねてしまった。

「仕方がない。だが、天稚彦と元のように逢うのは、月に一度だけだぞ」と言ったのを、姫は聞き間違えて「年に一度と仰いますか」と言ったので、父鬼は「ならば年に一度だ」と、瓜を持って投げつけた。瓜が割れると、そこから水が溢れ出して天の川となり、夫婦を隔てた。それで、二人は七夕(織姫星)と彦星(牽牛星)となって、年に一度、七月七日に逢うのである。



参考文献
いまは昔むかしは今1 瓜と竜蛇』 網野善彦ほか著 福音館書店

※「あめわかみこ」「たなばた」といったタイトルで類似の絵巻が多数存在する。「蛇婿入り(異類婚姻譚)」+「失われた夫を探す妻」+「七夕説話」といった感じ。しかし全体の構成は、ギリシア神話の「エロスとプシュケ」にもとてもよく似ている。

エロスとプシュケ  ギリシア

 昔、ある国の王さまと王妃さまの間に三人の娘がありました。姉妹全員が並外れた器量の持ち主でしたが、末娘のプシュケの美しさは特に素晴らしく、この世の貧しい言葉では言い表せないほどです。噂は四方に広まって、近隣の国々から大勢の人々がその美しさを一目見ようと押しかけてきました。そして彼女の姿を見てびっくりしては、この方こそ新たな美の化身だと、本来は美の女神アプロディテ(ビーナス)にだけ向けるべき敬意を王女に払ったのでした。結果としてアプロディテの祭壇を顧みる人はいなくなり、人々はプシュケを称え崇めて、彼女が歩くとその足元に花冠や草花を撒き散らしました。

 この有様を見て、アプロディテは怒り狂ったものでした。

「ならば私の輝かしい名誉は人間の娘に奪われてしまうのかしら? ならばあの気高い羊飼い(トロイアの王子パリスのこと)の審判は嘘だったとでも言うのかしら? あの審判は大神ゼウスでさえも認めたのよ。そして羊飼いは、輝くアテナやヘラよりも美しいと、この私に勝利の棕櫚シュロを渡したのだわ。あんな娘にそう易々と私の名誉を横取りされてたまるものか。今にあの不法な美しさを後悔させてやる!」

 アプロディテは息子のエロス(キューピッド)を呼びました。翼を生やしたいたずらな息子は、母の並べた不平不満をふんふんなるほどと聞いています。

「ねえ、エロスや。あの不埒な娘を懲らしめておくれ。母の恨みを存分に晴らしておくれ。母が受けたこの大きな傷に負けぬくらいにね。あの高慢ちきの娘の胸に、誰か下賎で下劣な男を恋い焦がれるような激情を注ぎ込んでやるのだよ。今味わっている喜びや勝利と同じくらい大きな屈辱を、あの娘が味わえるようにね」

 エロスは母神の願いを叶えるために行動を開始しました。アプロディテの庭には泉が二つあり、一つからは甘い水が、もう一つからは苦い水が湧いています。二つの琥珀の瓶にそれぞれの水を汲みとると、それをえびらの先端に吊るして、急いでプシュケの部屋に行きました。見れば彼女は眠っています。そこでエロスは彼女の唇に苦い水を二、三滴落とし、可哀想に思いながらも娘の脇腹を矢の先でつつきました。すると娘は目を覚まし、エロスの方をじっと見つめました。人間の目には神の姿は見えないのでしたが、エロスはひどく動揺し、手にしていた矢で自分を傷つけてしまいました。そして自分の失敗を何とかごまかそうとして、プシュケの絹糸のような巻き毛に、甘い歓びの水をかけてしまったのです。

 

 さて、それからしばしの時が過ぎましたが、プシュケはまだ独り身でいました。彼女よりも美しさの劣る二人の姉はとうに結婚していたというのに。あらゆる王侯貴族が彼女の美しさを褒め称えましたが、誰も結婚を申し込む者はいなかったのです。というのも、愛を司る女神アプロディテの不興を買っていたからなのですが、知る由もありません。どんなに美を称賛されようとも誰一人にも愛を抱かせることができないと我が身の孤独を嘆く娘を見て、両親は何かの神に祟られているのではないかと考え、ピュティアのアポロンの神殿で神託を伺いました。すると、こんな神託が得られたのです。

『この乙女は人間の花嫁にはなれぬ運命にある。花嫁衣装を着せて山頂の岩の上に置け。この世で最も恐ろしい、神々さえ恐れさせるモノがその婿になるだろう』

 この恐ろしい神託を聞いて人々は驚き、両親は悲嘆にくれました。けれどもプシュケは言いました。

「お父さま、お母さま、なぜ今になって私のためにお嘆きになるのです。みなが私の上に分不相応な名誉を限りなく降り注ぎ、口をそろえて新しいアプロディテと呼んだ時にこそ、お嘆きになるべきだったのです。今やっと分かりました。私はこの、アプロディテという称号の犠牲になったのです。是非もありません。さあ、その岩山とやらに連れて行ってください。私の不幸な運命が私に定めた、その岩山へ」

 そこで準備が整えられ、プシュケは行列の中に入りました。しかしそれは婚礼の行列というよりは葬式の行列というのに相応しいものでした。彼女は両親に付き添われ、人々の嘆き悲しむ声を聞きながらその山に登って行きました。そして山の頂に着くと、一同はその場に彼女だけを残して、涙をこらえながら帰って行ったのです。

 

 プシュケが山の上に立って恐ろしさで泣いていると、優しい西風ゼピュロスが彼女を抱きあげて、そっと深い谷の底に下ろしました。そこは花の咲き乱れる美しい場所で、プシュケは心安らいで、緑の堤に身を横たえて眠りました。

 やがて目を覚ますと、プシュケは高い木々の茂る森へ入って行きました。その中央に透き通った泉があり、側に素晴らしく立派な宮殿が建っていました。中に入ってみると、壁は猟獣の姿や田園の風景を描いた彫刻や絵画で飾られ、奥には広間と多くの部屋があって、その全てがあらゆる宝物で満たされているのでした。

 それらにプシュケが見とれていると、どこからか声が聞こえてきました。

女王さま、今ご覧になっているものは、ひとつ残らずあなた様のものでございます。そして、今お聞きになっていらっしゃいますこの声の持ち主である私どもは、あなた様の召使いで、どのようなご命令にもこの上ない注意と勤勉でお仕え申し上げるのです。ですからまずお部屋においでになって、しばらく綿のベッドでお休みください。そしてお好きな時に湯浴みをなさってください。お食事は、もし隣の小部屋にお席を作った方がよろしければ、そのようにいたします

 プシュケは、この声しか聞こえない召使いの勧めに従いました。一眠りしてから湯浴みをしてさっぱりすると、小部屋に腰を落ち着けました。するとすぐに食卓がひとりでに出てきて、誰の姿も見えないのに、その上に実においしそうな食べ物や香りのよい飲み物がいっぱいに並べられました。そして目に見えない楽人たちの奏でる音楽が耳を楽しませてくれました。ある者は歌をうたい、ある者はリュートを弾き、最後には全員が素晴らしいハーモニーで合唱したのです。

 夜になると松明の火が消され、宮殿は闇に満たされました。真夜中に一人の男が寝室に入ってきて、プシュケに愛を語り、妻にしました。姿は見えませんでしたが彼の言葉や振る舞いは妻への愛に満ちており、プシュケの心にも同じものを吹き込みました。夜毎にやってくる夫をプシュケは喜んで迎えましたが、夜が明けきる前に彼はベッドを抜け出て行ってしまうので、一度も姿を見たことがないのでした。プシュケは夫に哀願しました。帰らないで、ずっと側にいてと。けれども彼はそれを聞き入れず、それどころか僕を見ようとしてはならない、姿を隠していることが望みなのだからと言うのです。

「きみはどうして僕を見たいだなんて言うんだい? 僕の愛が信じられない? きみの望むもので他に叶えられないことが一つでもあるかい? きみは僕の姿を見たら、きっとおそれるよ。それに崇拝するだろう。でも僕はそんなことは望んじゃいない。きみは今のまま、僕を愛していてくれればいい。僕はきみに対等な存在として愛してもらいたいんだ」

 こうした言葉を聞いて、プシュケの心も幾分かは安らぎました。そして物珍しさが続いている間は幸福な思いに浸っていました。しかしそのうちに両親のことが心に浮かんできて、二人に自分がこうして無事に暮らしていることを知らせたい、姉たちと話したい、家族とこの宝の数々の素晴らしさを分かち合いたいと思うようになりました。家族に会うこともできないなんて、それでは幾ら綺麗でも牢獄と同じです。ある夜にその悲しみを訴えると、夫は最初は反対していましたが、とうとう、渋々ながら姉たちをここへ呼ぶ許しをくれたのでした。

 プシュケはさっそく西風を呼び、夫の命令を伝えました。西風はすぐに、山の彼方から二人の姉をこの谷間へ運んできました。二人は妹を抱き締めました。プシュケも姉たちを抱き返しました。

「さあ、私と一緒に私の家にお入りください。そしてあなた方の妹に何なりと言いつけておくつろぎくださいな」

 そう言うと、プシュケは姉たちの手を取って黄金の宮殿の中を案内して回りました。そして声だけの召使いたちに命じて湯浴みをさせたり御馳走したりしてもてなし、また自分の宝物も一つ残らず見せました。姉たちはこうした天上のもののような素晴らしさを見ているうち、いつしか胸に黒い気持ちが湧いてきました。妹のくせに私たちを遥かに凌ぐような、こんな豪華で贅沢な暮らしなんかして、と思ったのです。

 そこで二人は数限りない質問を妹に浴びせました。とりわけ、旦那さまというのはどんな人なのかと尋ねました。プシュケは、夫は美しい青年でいつも昼間は狩りをしているのだと答えました。二人はこんな答えでは納得せず、無理やり妹に打ち明けさせて、実は彼女も夫の姿を見たことがないのだと知りました。すると二人は、妹の胸を暗い疑念でいっぱいに満たし始めたのです。

「ほら、思い出してごらん。あのピュティアの神託を。お前は恐ろしい、ものすごい怪物と結婚するというお告げだったじゃないの。
 この谷間に住んでいる人たちの話によると、お前の夫は恐ろしい怪物のような大蛇で、お前に美味しいものを食べさせてしばらく養っておいてから、そのうちにお前を食べてしまうということよ。だから私たちの忠告を聞きなさい。
 ランプと鋭いナイフを用意して、見つからないよう隠しておくの。そしてあなたの夫が眠ってしまったら、そっとベッドから抜け出してランプを点けて、噂が本当かどうか自分の目ではっきりと確かめるのよ。もしも本当だったら、迷わずにその怪物の首を切り落としておしまい。そしてお前自身の自由を取り戻すの」

 プシュケはそんなはずはない、そんなことはしないと出来る限りの抵抗をしましたが、二人の仕組んだ黒い種は抜かりなく妹の心に芽吹きました。姉たちが帰ってしまうと、疑惑と好奇心があまりに強い力を持ち始めて、とうとうそれに逆らうことができなくなったのです。そこでランプと鋭いナイフを用意すると、それらを夫の目につかない場所に隠しました。そして夫が深い眠りに落ちてしまうと、そっと起き上ってランプを取り出し、ナイフを片手に持って、その姿を照らし出したのです。

 そこに眠っていたのは恐ろしい大蛇ではなく、金の巻き毛を垂らし雪のように白い翼を背に持った、あまりにも美しい若者でした。そう、彼こそがエロス。全ての神々さえ恐れさせひれ伏させる《愛》でした。プシュケの胸は愛しさでいっぱいになり、思わず深く覗き込みました。すると、手に持っていたランプから熱い油が一滴、エロスの肩に落ちました。火傷の痛みで目を覚ました彼は事態を見てとり、黙って窓から飛びたちました。追おうとしたプシュケは窓から落ちました。それに気づくと、エロスは止まって塵にまみれた妻に言いました。

「おお、愚かなプシュケよ、これが僕の愛に対するきみの仕打ちなのか? 僕は母の命に背いてきみを妻にしてしまった。その僕を、きみは怪物だとみなして、そのナイフで首を刎ねるのか?
 もう行くんだ。姉たちのもとへ帰れ。きみには僕の忠告よりもあの二人の忠告の方が信じるに足るもののようだから。僕はきみに何も罰を与えはしないけれど、君のもとからは永遠に去ることにする。《愛》は疑いと共には暮らしていけないんだから」

 そして哀れなプシュケが地に打ち伏してむせび泣いているのにも構わず、飛び去って行ったのです。

 

 やがてプシュケが幾分の落ち着きを取り戻して涙を拭い、辺りを見回してみると、黄金の宮殿も何もかもが消えうせていて、彼女は一面に茨と雑草が茂る中にぽつんと立っていたのでした。そこは姉たちの住む町からそう遠くはない野原で、プシュケは町へ行くと姉たちにこの不幸を全て話しました。その話を聞いてうわべは悲しみながら、この底意地の悪い姉たちは内心では喜んでいました。

(だって今度は)と二人は心の中で言いました。(きっと私たちのどちらかを、あの方は選んでくれるはずだもの)。

 こうした考えを抱くと、二人の姉はそのことは一言も言わずに、次の朝それぞれ早くから起き出して、一人で例の岩山へ登って行きました。そして頂上に着くとさっそく西風ゼピュロスの名を呼び、私を受け止めてお前の主人のもとへ運んでいっておくれと頼みました。そして岩の上から身を躍らせたのですが、西風がそれを受け止めてくれなかったので、そのまま断崖を落ちていき、めちゃめちゃに潰れて死んでしまったのでした。

 

 さてプシュケの方は、寝食も忘れ昼夜も分かたずに夫を捜し、さまよい続けていました。やがてある高い山の峰の辺りに立派な神殿が建っているのを見つけて、そこに夫がいるのかもしれないと行ってみました。すると神殿の周囲にも中にも沢山の小麦や大麦の刈り穂が束ねられないまま雑然と積み上げられてあり、鎌や熊手や、あらゆる刈り入れ道具が散らかっていました。プシュケは信心深く誠実な性質だったので、神殿がこのような有様なのはよくないと思い、それらを選り分けてあるべき場所に片づけました。

 この神殿に祀られていた豊穣の女神ケレス(デメテル)は、この様子を見ると現われて言葉をかけました。

「おお、プシュケよ。真に我らの同情に値する者よ。私はお前をアプロディテの不興から救ってやることは出来ません。しかしどうすれば女神の怒りを鎮めることができるか、その良い方法を教えることはできます。
 お前はこれからお前の女王アプロディテのところへ行って、自ら女王に身をゆだねるがよい。そしてしおらしく、また恭しい態度で、女神から赦しを得られるように努めるのです。そうすれば恐らく女神も機嫌を直して、お前の失った夫を返してくれるでしょう」

 プシュケはケレスの言葉に従って、あれこれ不安に思いながらもアプロディテの神殿へと向かいました。

 アプロディテはむっつりした顔でプシュケを迎えました。

「しもべの中でも最も不埒で不誠実な女よ。お前は今になってやっと、自分にも女主人があったことを思い出したのかしら? それとも、病気の夫に会いたくてやってきたのかしらね。可愛い妻から受けた傷がもとで、まだ伏せっている夫に。
 お前はそのように醜くいやらしい女なのだから、お前が夫を取り返せるただ一つの道は、精勤と勤勉以外にはないのよ。だからお前がどれだけ家政をこなせるか、私が試してあげるわ」

 女神はプシュケを神殿の穀物倉へ連れて行かせました。そこには沢山の小麦、大麦、黍、カラスえんどう、大豆、ひら豆が鳩の餌として蓄えられているのです。(※鳩はアプロディテの使いであり、化身とされる。)

「この穀物を一粒残さず選り分けて、それぞれ同じ種類のものでまとめるのよ。夕方までに全て終えておしまい」

 そう言うと、アプロディテは立ち去りました。けれどもプシュケは、この途方もない仕事に呆然として、指一本動かせずに座り込むばかりでした。

 その時です。蟻の群れが現れて、実に勤勉に穀物を一粒一粒選り分けて、それぞれの種類をそれぞれの小山にまとめてくれたのです。実はエロスの働きかけで、蟻の王がプシュケに同情したのでした。蟻たちは仕事を片付けると直ちに立ち去り、夕暮れに神々の饗宴から戻ってきたアプロディテは仕事がすっかり片づいているのを見て叫びました。

「この性悪女! これがお前のやった仕事でなんかあるものか。これはあの子がやったのよ。お前がたぶらかしてお前の不幸にまで巻き込んだ、あの子が!」

 そう言うと、女神は夕食に黒パンをひとかけら投げ与えただけで、そのまま行ってしまいました。

 

 あくる朝になると、アプロディテはプシュケを呼び出して言いました。

「あそこの森をごらん。水辺に沿って長く伸びているでしょう。あそこでは羊たちが羊飼いもなしに草を食べているけれど、みんな金色に輝く毛皮を持っているわ。お前はそこへ行って、その一頭一頭から少しずつ羊毛を集めて、どんなものか私に見せるのよ」

 プシュケはとにかく最善を尽くそうと決意して、言われたとおり素直に河岸へ行きました。そのとき風が吹いて、河岸に生えている葦が一斉になびいてさやさやと音をたてましたが、それは人の囁き声のように聞こえました。

 おお、厳しい試練を受けているお嬢さん
 みだりに河を渡るのはおやめ。向こう岸の雄羊の中へ入るのはおやめ。
 雄羊たちは朝の太陽の下では荒れ狂って人を噛み殺し突き殺す。
 けれど真昼の太陽が雄羊たちを木蔭へ導き、河の精が宥めて休ませるだろう。
 そうしたら安心して河を渡りなさい。辺りの藪や木に付いた金色の羊毛を、安全に集めることができるだろうから。

 これは河の神の声でした。他にも細々とした注意を教えてくれたので、プシュケはそれらをよく守って、間もなくアプロディテのもとへ金色の羊毛を腕いっぱいに抱えて帰ることができました。しかしそれでもまだ、執念深い女主人は満足せずに言うのでした。

「私には、これがお前一人の力で成し遂げたことではないということぐらい分かっているわ。だからお前を認めはしない。けれど、もう一度試してあげましょう。
 さあ、この箱を持って冥界エレボスへお行き。そしてこの箱を冥界の女王ベルセポネに渡して伝えるのよ。『私の主人のアプロディテさまが、あなたの化粧品を少し分けてほしいと申しております。病気のご子息さまをご看護あそばされているうちに、少しおやつれになったからでございます』とね。
 ぐずぐずしていては駄目よ。私はそれでお化粧をして、今夜の神々の饗宴に出席しなければならないんだから」

 プシュケはいよいよ自分の最期が近づいたことを悟りました。自分の足で暗闇エレボスへ……死の国へ行かねばならないのですから。悲嘆にくれた彼女は、真っ直ぐに冥界へ行くために、高い塔の頂から身を投げようとしました。すると塔の中から一つの声がして言いました。

「哀れな娘よ、なにゆえにそのような恐ろしい方法で生涯を閉じようとするのか? また、なんたる臆病な心が、この最後の試練の下に汝を沈めようとするのか。汝はこれまでにも、あれほどの援助を得て、奇跡的に切り抜けてきたのではないか」

 その声は、この世のあらゆる洞穴からハデスの国(冥界)へ行くための方法を教えてくれました。そしてまた、頭が三つある冥界の番犬ケルベロスの脇を通る方法、三途の川の渡し守のカロンを説き伏せて行きと帰りに河を渡してもらう方法をも教えてくれたのです。ただし、最後にその声はこう付け加えました。

「ベルセポネがその箱に化粧品を入れてよこした後、とりわけ汝が気を付けて守らねばならぬことは、一度たりともその箱を開けたり、中を覗いたりしてはならぬということだ。好奇心のあまりに女神の美の秘宝を詮索してはならない」

 プシュケはこの助言に励まされて、全て言われたとおりに注意深くこなし、無事にハデスの国に辿り着きました。ベルセポネの宮殿に通されると、やはり助言に従って、勧められた美しい椅子には座りませんでしたし、見事な御馳走も遠慮して、粗末なパンだけをいただくと、手早くアプロディテからの伝言を伝えました。やがて中に高価な品を納めた例の箱が返されて、プシュケはそれを抱えて来た道を引き返し、嬉しいことに再び日の光の中に出ることができたのです。

 しかし危険な仕事がこれほど首尾よくいったと思うと、プシュケの自制心は緩みました。箱の中身を確かめたくて仕方なくなったのです。

「どうしてこの私が、神の化粧品の運び手である私が、これをほんの少しだけ分けてもらって悪いということがあるのかしら。私だってお化粧をしたいわ。愛する夫に、もっと綺麗な顔を見せてあげたいんだもの!」

 そうして彼女は、そっと箱を開けてしまったのです。しかし中には化粧品など入ってはおらず、あったのは冥界の……地獄ステュクスの眠りだけでした。それはプシュケに襲い掛かり、彼女は棒のように道の真ん中に倒れて、眠るしかばねとなったのです。

 

 さて、エロスは火傷の傷が癒えると、愛する妻にもう一度逢いたいという気持ちを抑えきれなくなっていました。そこで閉じ込められていた部屋の窓の僅かな隙間から滑り出て……というのも、その部屋の中でその一つの窓だけが開いていたのです……プシュケのもとへ飛んで行きました。そして彼女にまとわりついていた《眠り》をかき集めて箱の中に閉じ込めてしまうと、矢の先で軽くつついて起こしました。

「またしても、きみは好奇心から身を滅ぼすところだった。ともあれ、僕の母から課せられた仕事だけは最後までやってしまうことだよ。後のことは僕が何とかするから」

 それからエロスは、天の高みを閃く電光のような速さで大神ゼウスの前に進み出ると、彼に哀訴しました。ゼウスは好意の耳を傾け、この恋人たちのために色々と熱心にアプロディテを説き伏せてくれたので、彼女もやっと承知しました。

 ゼウスに遣わされたヘルメス神は、プシュケに不死の飲料アムプロシアの杯を渡して言いました。

「これをお飲み、プシュケよ。そして不死の身となるのだ。そうすればエロスも結ばれた絆から解き放たれることはなく、この婚姻は永遠のものとなるだろう」

 こうしてプシュケは神々の一員となり、エロスと本当に結ばれたのでした。やがて二人の間に生まれた女の子には、《喜びウォルプタス》という名が付けられました。

 

 一説によれば、姑や小姑たちの無責任なおしゃべりを封じるのが、女神になったプシュケに特に任された仕事だと言われます。母親や姉妹たちが花婿や花嫁を訪ねて結婚相手の悪口をあれやこれやと吹き込み、「自分の目で確かめたらいい、確認してこそ相手を信じられるものなのだから」などと言い始めると、彼女はこの連中を追い払ってから、姿は見せずにそっと心に囁くと言います。

「愛だけが愛する人の秘密を知る。信じてこそ相手を知ることができるのよ」と。



参考文献
『ギリシア・ローマ神話』 トマス・ブルフィンチ著 大久保 博訳 角川文庫 1970.
『ギリシア神話小事典』 バーナード・エヴスリン著 小林稔訳 教養文庫 1979.
『ギリシア・ローマ神話辞典』 高津春繁著 岩波書店 1960.

 

※この話が文献上に初めて現れるのは、紀元二世紀の作家アプレイウスの書いた『転身物語(黄金の驢馬)』の中の話中話で、元々民話として流布していたものらしい。全体的には赤い子豚系の異類婚姻譚で、前半部は蛇婿譚に似ている。実際、姉たちが正体不明の夫は大蛇に違いないと脅すくだりに、この話が本来は蛇婿譚だったという片鱗が窺えるように思う。

 後半、姑に様々な難題を課せられるくだりは、民話では[魔女の難題]と呼ばれるモチーフである。男性主人公が舅に難題を課せられる難題婿譚の一流[魔法使いの娘]は、このタイプによく似ている。

 また、中に「地獄の眠り」が入った箱は、[浦島太郎]の玉手箱との関連を注意すべきだろう。ちなみに、玉手箱とは化粧道具入れのことである。

「見てはならない」という禁忌を破ると豪華な屋敷も何もかも消え、一人で荒れ地にぽつんと立っているというシーンは、「うぐいすの浄土」や「マリアの子」と同じである。

 

 類話によって細部が異なっている。上に紹介した話では苦い水と甘い水を垂らして矢でつついているが、ある話ではプシュケが父王に仕える豚飼い(または醜い豚)に激しく恋するよう天上から黄金の矢で射ようとするし、別の話では一生独身でいるように誰も愛さなくなる鉛の矢で射ようとする。しかしいずれにせよ、エロスは眠るプシュケの美しさに惑い、自分の親指または足、または胸を自身の恋の矢で傷つける。プシュケは岩山の上で泣き疲れて眠り、その間に西風に谷底に運ばれる。そこは美しい花の咲き乱れる庭園で、黄金に輝くエロスの宮殿が建っている。多くの話では結婚したプシュケは姉たちを自分の宮殿に招待するが、別の説では自らが実家に里帰りする。どちらも多くの民話で見られるパターンである。夫の顔を覗き見るための明かりは、ランプではなく蝋燭をともした燭台で、垂れ落ちたのは熱い蝋のしずくだともされる。

 アプロディテに課される難題には、他に「忘却の泉の水を汲んでくること」というものが数えられることもある。その泉(または滝)は人が登れないような高山にあり、二頭の竜によって守られているのだ。しかし大神ゼウスの使いである鷲が現れ、プシュケの瓶を取ると水を汲んできてくれたので、無事にクリアできた。

 結末にも様々な説があり、プシュケは今でも夫を探して森や暗い場所をさまよっているとか、アプロディテが彼女をフクロウに変えて、「フー? フー?」と鳴いていると言われることもある。

 

 プシュケ Psyche はギリシア語で「蝶」を意味する。芋虫からさなぎになって美しく脱皮し、空を飛んでいく蝶は、輪廻転生し飛翔する霊魂と同一視された。説話に現われている「冥界下りの物語」は魂の転生を暗示しているが、実際、この物語でもプシュケは冥界に下り、そこで「死の眠り」に囚われ、その後に女神に転生している。人間という芋虫から神という蝶に変わったのである。プシュケという言葉の本来の意味は「精神、心、魂」であり、原義は「息吹」である。英語ではサイキ。

 エロスは「(肉体を支配する)愛」を意味するが、このエロスとプシュケの物語は、それが「心」と結ばれることで精神的な愛にまで昇華され、「喜び」が生まれる、という寓意を込めた物語だとされる。


参考 --> 「プレッツェモリーナ

 

 天稚彦が父鬼が訪ねて来る度に姫を脇息や扇に変えて誤魔化すくだりと同じモチーフは、例えばロシア民話「ダニーラ・ゴヴォリーラ王」にも見える。人食いの母親が帰って来る度、その娘が姫を針に変えて隠している。



参考 --> 【蛇婿〜偽の花嫁型



七夕女たなばたつめ  日本 『為相古今集註』

 昔、もろこしに乾陸魏という長者がいた。その下女が水辺で洗い物をしていると、大蛇が出て、口から結んだ手紙を出して、長者に渡せと言う。長者の三人の娘のうちどれか一人をよこせというのだ。さもなくば長者一家はおろかその一族眷属全てが破滅するだろう、と。もし娘をくれるならば、これより東の山中に七間四面の屋敷があるので、その中に姫を乗せた輿を置いて、他の者は帰せ、と。

 下女は恐ろしく思いながら報せに行き、長者が見に行くと、長さ二丈七、八尺ばかりの大蛇だ。見るからに、本当に恐ろしい。蛇が先に下女に語ったように言うので、「分かった。三人の娘に話してみよう」と言って屋敷に帰ると、蛇も帰った。

 さて、長者は家に帰ってから物も食べないで寝込み、嘆いた。娘たちは理由を知らないで、父の病気を何とかしようと部屋に見舞いに来た。長者が「一人も娘をやらないでいれば親子五人、親類縁者数万人が一度に滅んでしまう。それが嫌だから娘を一人やろうと思っても、どの子をやることもできない。みんな私の子供だ。そう思うと病気になり、物も食べられないのだ」と言うと、長女は「嫌だわ。相手がどんなでも人間ならお父様の言いつけに従いますが、そんな恐ろしいことには、たとえ一日でみんな死んでしまうことになっても、進んで従う気にはなりません」と言って帰った。その後 次女が来て病状を訊いてくるので、さっきのように答えた。この次女も、さっきの姉のように答えて帰った。もっともなことで恨むこともできず、思い煩った。

 末の娘はことに幼く、まだたったの十三歳である。どんなに怖がるだろうと思うと、父母もなかなか言い出せずにいたが、父が物も食べられないのを悲しんで、自分で父のところに理由を尋ねに来た。しょんぼりとかくかくしかじかと説明して、「お前の姉さん二人は嫌だと断ったが、もっともで恨めないことだ。ましてお前は幼いのだから、どんなに怖がるだろうと思うと、力も出なかった。わしらの子供がみんなが滅ぶ宿因になるのだ。約束の日も近い。それにしても、わしら一族、牛や馬にいたるまで失われることを思えば、心細くて悲しくてたまらない」と語った。

 末娘はじっと話を聞いて、涙を流して言った。

「私がこうして楽しい日々を送ったのも、お父様とお母様のおかげです。だから、たとえ火や水に入り、鬼に食べられ神に取られようとも、お父様とお母様のために言いつけに従うことを嫌がったりしません。ましてや、私が行かなければみんな死ぬと言うのでしょう。私一人が蛇に食べられて、家族から使用人のみんなまで助けることができるなら、それはとてもいいことです。死んだ後はきっと極楽に行けます。……さぁ、安心して、早くご飯を食べてください」

 これを聞いて、両親はもとより、使用人にいたるまでみんな袖をしぼって泣いた。

 すぐに、明日は約束の日、という日になった。娘は人に形見を渡したり別れの挨拶をしたりし、行水して身を清めて、守り仏の金銅の観音像をしっかり肌身につけた。観音経を持って輿に乗り、家族や使用人がお葬式のように泣きどよむ中、「早く連れて行ってください。約束に遅れたら、蛇が来てみんなに災いをなすかもしれません」とキッパリした様子である。輿は急いで出発し、父母は、せめて自分たちの命の代わりに、と珍しい宝を添えて送った。

 例の蛇が指定した山里に行ってみると、忌まわしい感じの御殿がある。その中に輿を置いて、送りの者たちは泣く泣く帰った。娘はたった一人残って観音経を唱えていると、長さ二丈ばかりの大蛇が這い出てきた。目は月日のごとく、口は獅子のそれのようである。輿の側まで這い寄って、舌をちろちろと出している。暫くそうしてから蛇が言うには、

「小刀を持っていますか。私の背を尾まで割ってください」

 嫌だと思ったが、硯の小刀を取り出して、言われた通りに割った。すると、蛇の中から、十七、八ばかりの、色が白く、辺りが照り輝くように麗しい男が出てきた。綺麗な服に宝石の冠をつけて、全てこの世の人とも思えない。例の蛇の皮を身に巻き、娘と夫婦になって、めでたいと言うばかりである。男の眷属もどこからともなく現れて、使用人として働き始めた。

 それから十七日経って、娘の家族は、もしや蛇の食い残した骨などあるかもしれない、拾って供養しようと思って、人を使いに出した。すると、死んだりしないで、立派に富み栄えているではないか。夫も蛇ではなく美男子だし、やってきた人々は思いがけなくて、嬉し涙を流した。

 さて、このことを長者夫婦に伝えると、喜んで大声を張り上げて、急いで見に行った。すると、後園の倉は数え切れないほど、庭の砂まで金や宝石を敷いてある。まるで生きながら仏の国に来たようで、嬉しくてたまらなかった。婿を見れば蛇どころか辺りが光り輝くような美男子。両親は手を合わせて拝んだ。

 これを見て、蛇のところに行くのを嫌がった二人の姉は口惜しくねたましく、私が行けばよかった、私が行けばよかったと、悔しがった。

 ある日、夫は娘に言った。

「私は四王天の梵天王の子で、彦星という者です。あなたと前世の縁があったので、あなたと夫婦になるために下界にこの三年間住みました。今度、天の父の用で天に帰り昇ります。決してあの朱の唐櫃からびつを開けないでください。来年三月には必ず戻ります。けれど、もし、この朱の唐櫃を開けたら、どんなに願おうとも帰る事はできないでしょう」

 そして、唐櫃の鍵を「身から放さないでください」と言って預けて、天へ昇った。

 娘の両親と姉たちが、夫の留守の寂しさを慰めようと訪ねてきた。後園の倉を開けて、見たことも無いような宝が沢山あるのを見ては誉めて騒いだ。例の朱の唐櫃の中身を知りたがったが、「これは開けてはいけないものです」と、どうしても開けようとしなかった。そうなると、あんな素晴らしい宝物の入った倉は開けたのにこの唐櫃は開けないなんて、きっともっと素晴らしい物が入っているに違いないと、そわそわして気になって、「鍵はどこにあるの」と末娘をくすぐって言わせようとしたが、「開けません」としっかりしている。ところが、姉は力が強く、なんと箱の錠をねじ切って唐櫃を開けてしまった。けれど、中からは細い煙が一筋立ち昇るばかり。「なんてことないわ、つまらない」と、唐櫃を投げ出して、また別のものを物色し始めた。末娘はとても悲しくなって泣いてしまったが、今となっては無駄なことだった。

 夫の約束した月が来たが、帰ってこなかった。悲しんでいると、実家にいた頃から可愛がって飼っていたつがいのカササギが、羽を並べてこの上に娘を乗せ、遥かに天を指して舞いあがった。四王天に至り、天人に「梵天王の御子、彦星はどちらにおいででしょうか」と尋ね、教えられて尋ね着いた。夫が言った。

「私が約束の日に降りようとしても、私が拠り所にした物を入れた唐櫃を、開けて人に見られてしまったので、中身は煙となって昇ってしまいました。こうなっては、何を拠り所にして降りたものか。そう思いながら三年を過ごしてきましたが、嬉しいことです。ただし、ここは人間の来ないところです。私の親にこのことを説明せねばなりません」

 しかじかと説明すると、梵天王は「とんでもないことだ」と叱った。

「ただし、その女がわしに天の羽衣を織って渡すなら、お前と逢うことは許そう。彦星よ、お前はわしの千頭の牛を七日の間引き連れて世話をするのだ。そうすれば、その女と逢うことを許そう」

 夫は娘にこのことを伝えた。

「織り方を習ったことはありませんが、仏に任せて一生懸命織ってみましょう」と言って、娘が羽衣を織ると、仏が哀れんで、簡単に織ることができた。よって、彼女を織女と書いて「たなばた」と言う。

 夫の彦星は、七日の間千頭の牛を引いて世話をした。よって、彼を牽牛と言う。

 梵天王は、こうなっては仕方が無い、と、二人が逢うことを許した。「ただし、月に一度逢え」と言って、瓜を持って投げ打った。瓜がつぶれて天の川となった。今、牽牛と織女が年に一度逢うのは、月に一度と言うのを年に一度と聞き違えたからだという。

 七月七日に梵天王の許しを得て、彦星と織女が逢うとき、天の川が深くて渡ることができないならば、あのカササギのつがいが羽を並べ、紅葉を食べて橋となし、渡らせるというので、天の川に紅葉の橋、カササギの橋と言う事がある。

 

天河あまのがわ 紅葉もみじを橋に渡せばや 七夕女たなばたつめの秋をしも待つ



参考文献
いまは昔むかしは今1 瓜と竜蛇』 網野善彦ほか著 福音館書店

※「天河 紅葉を橋に〜」の歌は、中国の唐代の「紅葉のなかだち」の故事による。干祐と宮女の韓夫人は、紅葉に詩を書いて御溝みかわに流し、それが縁で結ばれた。

カンダ爺さん  シベリア ウデヘ族

 カンダ爺さんが婆さんと二人、網で魚を獲って暮らしていた。

 ある日のこと、魚を獲りに行ったが何も網に掛からず、背後から黒雲が迫ってきた。逃げながら爺さんが見ると、大蛇が追って来るのである。大蛇は爺さんの体をきつく巻いて言った。

「私を養子にするなら助けてやろう。だが、そうしないなら殺すぞ」
「分かった、養子にする!」
「では、夕方にお前の家に行く。お前の家の隣に、私が暮らすための穴を掘っておけ」

 夕方になると、爺さんの掘った穴に大蛇が来て眠った。爺さんと婆さんが話すと、魚の詰まった蔵が一つ現れた。また話すと、肉の詰まった蔵が現れた。こうして、あらゆる食べ物や服が詰まった蔵が七つ、あくる日には更に七つ並んだ。

 大蛇は目を覚ますと言った。
「私の嫁を探しに行け」
「一体誰が蛇のところに嫁にくるだろうか。どこへ行けばいいのだろう」
「心配するな。近くのカンダ爺さんの家に娘が三人いる。そこに行け」
「しかし、どう話をすればいいものか」
「粟粥を煮て茶碗に盛り、油塊も匙一杯分持って行け。結婚に同意した娘は、その粥を匙で食べるのだ。そのように話をしろ」

 貧しいカンダ爺さんは、近所の金持ちのカンダ爺さんの家に行った。

「お前は貧乏だから、蛇なんかを養子にしたんだろう。何をしに来たのだ」
「養子にした蛇が私をよこしたのだ。あなたの娘を嫁にもらうために」
「私の一存では決められない」
「承知する娘がいれば、この匙でこの粥を食べるはずだ」

 金持ちのカンダ爺さんは娘を連れてきた。一番目の娘は「誰が蛇のところになんか行くもんですか」と、すぐに去った。二番目の娘も「蛇と結婚なんてしないわ」と言った。一番小さな三番目の娘は、貧しいカンダ爺さんの匙で粟粥をすくって食べた。

 貧しいカンダ爺さんはその娘を連れ帰ることにした。金持ちのカンダ爺さんは、蛇に嫁入りする娘に嫁入り道具を贈らなかったので、娘は身の回りのものしか持たなかった。娘は大蛇と結婚した。

 蔵には常に食べ物や着る物が詰まっていたので暮らしは結構なものだったが、妻は夫が蛇であることに、やはり思い悩んでいた。だが、いつの間にか眠っていた。目を覚ますと、傍らに美しい若者が眠っている。蛇の皮が脱ぎ捨てられて足元に蹴っ飛ばしてあった。妻は急いで蛇の皮を隠した。夫は目を覚まして言った。

「私の皮をどこへ持って行ったんだ」
「あなたがあの皮を着れば蛇になってしまいます。蛇の姿の人とは暮らしにくいわ」
「私はまだ、人の姿になるべき時期になっていないんだ」

 夫はそう言ったが妻は皮を返さなかった。そうして夫婦は暮らしていった。

 妻の二人の姉がこのことを知って、妹のところに毎日やって来ては、くすぐって皮のありかを白状させようとした。舅と姑は眠っていて、このことに気付かなかった。妻はどんなにくすぐられても秘密を洩らさなかったが、次第に痩せていった。

 蛇の夫が妻の痩せたのに気付いて訳を尋ねた。妻が打ち明けると、「蛇の皮をやってしまえ」と言う。

「二人は蛇の皮を火の中へ投げ込むだろう。そうしたら、皮は燃えて飛んでいくだろう。お前はその行方をよく見ておくんだ。私は、私の実家にお前を連れ帰ることを、実母に相談してみよう」

 次に姉たちが来てくすぐった時、蛇の妻はこらえきれずに、長持の中に隠してあることを教えてしまった。姉たちはそれを焚き火に投げ込んだ。蛇の妻は相変わらず眠っていた舅と姑を叩き起こして、急を知らせた。三人が急いで外に出ると、蛇の皮は燃えていて、空に飛んでいった。蛇の妻は嘆き、カンダ爺さんは二人の姉を殴った。

 蛇の妻は薪取りに行って木の傍で眠り込み、夢を見た。夢に夫が現れてこう言うのだった。

「私は天に去ったが、お前を迎えに行きたい。しかし母が反対しているのだ。遠い地の人間をどうして連れてくるのかと。それでも私はお前を連れさらいに行くぞ」

 蛇の妻は舅と姑に話した。

「私は天に行きます。夫が迎えに来ます。あなた方には沢山の食べ物が残されていますから、泣かないでください」

 やがて蛇の夫が馬で妻のところに降りてきた。妻を乗せて飛び立ち、天に着くと七日七夜、彼女を洗った。大地の匂いを洗い落とすためである。それから、母親のところに挨拶に行った。

「お前の妻は地上の人間だよ。地上の者をどうして天上に置いておけるものか」
「そんなことはありません。大地の匂いはしませんよ」

 母親は近付いてきて匂いを嗅ぎ、納得した。「反対は必要なかったね」と言った。

 こうして夫婦は天で暮らし、やがて男の子も授かった。



参考文献
カンダじいさん」(外部)/『北東ユーラシアの言語文化』(Web) 東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所

 

※皮を焼かれると蛇婿が死ぬ、という設定を明言していないため、今一つ分かりにくい話になっている。

 天界へ行った妻を七日七夜洗って大地の匂いを消したのは、天界の住人(死者)にとって、地上の人間(生者)の匂いは異質なものである、という信仰を示している。「天稚彦の草子」では、妻が夫を追って天界へ行くと、夫の父が「娑婆しゃばの人間の匂いがする。臭いぞ」と言いながら現れる点にも、それが現れている。

 逆に、死者の匂いは生者にとって異質だ。日本怪談の常套句が「生暖か〜い風が吹いて、生臭い匂いがした」であるように、霊は異質な臭いを放つ。

 この流れで考察すれば、神事の際に神官が生臭物を断って潔斎したり、禊ぎをして身を清めるのは、神霊と交信するために生者の臭いを消そうとしているのだ、と考えることも出来る。


参考 --> 「蛇息子・結婚型



参考 --> 【蛇婿〜偽の花嫁型



脚布奪きゃふばい星  日本 愛媛県

 昔、七夕はんが「七月七日の晩に雨が降らないようにしてください」と、天のおなご(女)星さんらにお願いした。その代わり、七月七日までに脚布(肌着)を織って一枚ずつ差し上げます、と。

 ところが、一生懸命機を織ったのに、どうしても一枚織り終えなかった。七日の晩、二人のおなご星さんが天の川で水を浴びていたが、川から上がってみると脚布は一枚しかあげられない、と言う。それで「うちにおくれや」「ううん、うちぃお貸しや」と脚布の奪い合いを始めた。

 このおなご星さんの一方が、雨を降らせる役目を持つ星である。それで、この雨降りのおなご星さんが脚布を取った年には、約束通り七日の晩に雨が降らないのだが、取れなかった年には雨がざんざん降る。そうして、脚布を取れなかったおなご星さんは、裸を雨雲に隠したまま、さっと山の向こうに沈んでしまうのだそうだ。



参考文献
『日本の星 星の方言集』 野尻抱影著 中公文庫 1976.

※天の川でおなご星さん――天女が水浴びしているところ、七夕はん(織女)が彼女達のための衣を織っているところなど、中国の古い七夕伝承を思わせる。また、おなご星さん――天女が、雨を降らせる神として登場している点にも注目である。

 脚布奪い星は、さそり座の鉤型の尾の根元側、μ1、μ2の二重星を指す。小さな星がちかちかと瞬いて二つに見えたり一つに見えたりするので、星が争っている、何かを奪いあっている、と見ていたらしい。同様に見える星は他にもあちこちにあるようで、それらの殆どは《相撲すも取り星》と呼ばれている。
 脚布とは湯巻もしくは女性の腰巻のことである。昔は、風呂には裸ではなく、専用の白い着物を着て入った。今の浴衣の原型だが、これを湯巻と言う。一方、腰巻は巻きスカートのように腰に巻きつけた女性の下着である。この物語で語られている脚布は、水から上がった後に奪いあっているところからして、腰巻のことだと思う。
 女性が下着を奪いあっている様は、まだなんとか絵になっている感じだが、香川県高松市ではこの星をふんどしい星と呼んでいて、まるで絵にならない。天神の投げた一本のふんどしを星たちが奪いあっているのだそうだ。



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