>>参考 【親指小僧】【たにし息子/蛙の王子】[親指姫

 基本的には、小人として生まれた主人公が鬼を倒して呪宝を得、普通の男になって結婚する話。

 同じ小人が主人公の【親指小僧】系の話では、主人公は たとえ王に仕えて社会的地位を得ることはあっても、結婚することも大きく成長することもない。それから見ると、一寸法師が最後に魔法で大きくなるのはむしろ奇異な感じがする。

 一寸法師が大きくなるのは、恐らくは【たにし息子/蛙の王子】話群と混じり合っているからである。これは異類婚姻譚の一流であり、神霊と巫女の神婚を語る物語でもある。

 異類婚姻譚では、祖霊は獣の皮(肉体)をまとって現世に現れ、皮を脱いで美しい本性を現す。つまり、たにしや蛙などの獣――異形の姿(肉体)は仮の姿であって、立派な若者の姿(魂)の方が本性なのである。とはいえ、魂は冥界に属するものであって、現世では肉体がなければ存在できない。一時的に皮を脱ぐ――肉体から魂を抜け出させることは出来ても、この世で永遠に「立派な若者の姿」でいることはできない。人間としての肉体を得るためには、生まれ変わる必要がある。そして、生まれ変わるためには、死ななければならない。

 例えばグリムの「小さい野鴨」では、殺されて鴨(魂)の姿となり、夜な夜な水路から上がってくる王妃の首を、王は一太刀で斬り落とす。すると、王妃は人間の姿に戻って生き返る。同じくグリムの「蛙の王様」では、王女が蛙を壁に叩き付けて潰すと、魔法が解けて人間の王子になる。同様に、【たにし息子】系の話では、妻が夫のたにしを叩き潰すか水に落とすことで人間の姿に変わったと語るものが少なくないのである。

 一寸法師が大きくなるシーンも、恐らくは同様であろうと考える。一寸法師は多くの場合 姫が打出の小槌を振ることで大きくなる。絵本やアニメなどでは、一寸法師の頭の上で軽く振る真似をする程度に描かれるものだが、本来は、槌で一寸法師を潰して、一度殺していたのではないだろうか。実際、【たにし息子/蛙の王子】や「五分次郎」系の類話では槌などで叩き潰している。小人(子供)の一寸法師は死に、立派な若者(大人)として生まれ変わったのである。

 

一寸法師・婿入り型  日本 新潟県 佐渡郡

 とんと昔があったげな。爺さんと婆さんがあったが、子が無くて「どうか指の腹のような子でもよいから授けてください」と天道さんに頼んだ。すると本当に指の腹のような子が産まれた。けれども、いくら経ってもいくら経っても、その子が小さくて成長しないものだから、とうとう「お前のような者がいては生活が立たんから、何処へでも行ってしまえ」と暇を出した。

 その子は、「それでは箸を一本、笠一枚、針一本と黍藁をおくれ」と言って、それだけもらって家を出て行った。笠は舟に、箸は櫂にして、黍藁を鞘にして針の刀をさして川を流れて出たら、ずうっと流れてから川の岸辺に寄り付いた。そこで陸へ上って、その辺りの庄屋の家へ行って「ごめんください」と言った。「はい」と返事して使用人が出てきたが、誰もいない。そこにあった足駄を取ると、下から一寸しかないような子供が出てきた。その一寸法師は庭掃除でも何でもするから雇ってくれ、と言うのだった。

「旦那様、こんな者が出てきましたが、どういたしましょう」

「ふむ、掃除と言っておるが、道化ペットにするのも面白いだろう。ここに置いてやれ」

 それで、一寸法師は庄屋の家に住むことになった。

 ある時、庄屋の一人娘が浅草の観音様にお参りに出かけて、一寸法師もお供して行った。すると大きな鬼がいて、娘と一寸法師を呑もうとした。娘は逃げてしまったが、一寸法師は「どれどれ、俺が行って倒してやろうか」と言って、鬼に呑まれた腹の中で、針の刀でそこらじゅうを刺したものだ。すると鬼は腹が痛くなって、一寸法師を吐き出してどこかへ逃げ去った。

 外に出た一寸法師が辺りを見ると、打出の小槌が落ちておった。それを拾って娘の所へ持っていくと、娘は「一寸法師、よう呑まれなんだなー」と言う。

「俺ぁ、呑まれたけど針の刀で しくしくと腹の中を突いてやった。それで、こんな面白いものがあったぞ」

「これはまあ一寸法師、打出の小槌といって、金が欲しけりゃ『金出い、金出い』と言って叩けば金が出る、米が欲しけりゃ『米出い、米出い』と言って叩けば米が出る。何でも欲しい物が出る宝物だ」

「俺は金もいらん、米もいらんが、俺を『背出い、背出い』と言って叩いてくれ」

 そこで娘がそう唱えて一寸法師を叩くと、普通より少し長身の立派な男になった。それで庄屋の婿になって、一生楽に暮らしたとさ。



参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

※「一寸法師」として最も知られているタイプのもの。絵本として語られる場合は、「親に追い出される」くだりは無くなっていて、完全に影の無いハッピーな物語に改変されている。

 この例話では、鬼と出会うのは浅草の観音に参りに出かけたときだが、類話を並べると「清水観音」として語られることが多い。清水寺近くの坂の辺りは、中世にはハンセン病患者が集住する場所であり、当時は坂(この世とあの世の境)の中でも穢れの充満した場所、つまり鬼に遭いやすい地だとみなされていた、という説がある。



五分次郎  日本 岡山県

 昔、子なしの爺さんと婆さんがあったそうな。婆さんが毎日 観音堂に参って祈っていると、三七の二十一日目、右手の中指が膨れてきて、少し切ると小さい子供が飛び出てきた。背の高さが五分(1.5cm程度)くらいしかないので五分次郎と名付けた。

 夫婦は五分次郎に魚やらご飯やら栄養のあるものを食べさせたが、少しも背は大きくならなかった。こうして二十年経ったある日、五分次郎は改まって言った。

「お爺さんお婆さん、わしは魚売りをして二人を養います。ついては初めの仕入れ金を下さい」

 五分次郎は三文の仕入れ金をもらうと、イワシを三匹買って縦に背負って、売り声を上げて歩き回った。大きな長者の屋敷の前を通りかかると、売り声を聞きつけて召使いの女たちが出てきたが、声ばかりで姿が見えない。よくよく見ると、下駄の歯の間からイワシを背負った小さいものが出てきた。

「なんとまあ、これが魚売りだと」

 女は五分次郎を手のひらに乗せて つくづく眺め、感心した。

「わしはもう、とても山坂越えて帰れんから、ここへ泊めてください。我が弁当は持っとるけえ」

「泊まったらええわ。お前みたいな小さい者なら、何人でも泊められるぞな」

 その晩、五分次郎は弁当の煎り粉(はったい粉)を捏ねて、ちょっと夕飯に食べた。長者には白百合のような美しい娘がいたのだが、夜が更けて家中が寝静まると、娘の部屋にそっと忍び込んで、煎り粉の食べ残しを娘の口の端に塗りつけておいた。

 あくる朝、娘の母が起きだしてかまどに火を焚こうとすると、庭でクスンクスンと五分次郎が泣いている。

「あんた、朝っぱらから なして泣きなさりゃあな」

「お嬢さんが、わしの弁当の煎り粉をみんな食べてしもうたぁ」

 まさか、うちの娘に限ってそんなことはするはずがないと、首をかしげながら娘の部屋へ行ってみると、あろうことか、娘は口の端に煎り粉をくっつけて寝ている。

「まあ、すまんことじゃ。煎り粉を沢山挽いて返すけえ、こらえてつかぁさい」

「大きい煎り粉は、喉につかえて よう食べん」

「小さいのを挽いてあげるからこらえてくれ」

「小さいのは、顎に付いて よう食べん」

「ほんなら、どないしたら こらえなさりゃあ」

「おたくのお嬢さんを自分の嫁にくれるなら こらえましょう」

 母は困った、情けないことだと思ったが、できたことは仕方がないと考えて娘に話した。娘は「どうしてもこの家の娘が欲しいと見込まれたのなら、行きましょう」と承知してくれた。

 長者の娘は五分次郎の嫁御になって、婿さんを袂に入れて、五分次郎の家を目指して歩いていった。そのうちに、ある家の前を通りかかると、門に馬がつないであってニーンと鳴いている。五分次郎がそれを聞いて、「ちょっとまぁ、馬が見たい」と言い出した。嫁御が袂から出して笹の葉にとまらせて見せてやったところ、馬が首を伸ばして笹ごと シャッピリ、シャッピリ 食べてしまった。

「まぁ困ったことをした。家が作州にあるとは聞いたが、私の婿さんの家はどこならや」

 思案していたところへ馬がボタボタ糞を落とし始めて、五分次郎を出してくれた。

「ああよかった。二度とあんな危ないところへ行っちゃあいけんで」

 きれいに水で洗ってもらって、一緒に家に辿り着いた。両親の驚くこと、喜ぶことといったらない。

「勿体無いような嫁御が来てくれたもんだ。二人で金比羅さんに参って来い」

 それで五分次郎と嫁御は四国を目指して船に乗った。海を行くと、五分次郎は「大きな魚が見える、見える」とはしゃいで跳び回ったものだから、足を滑らせて海へぴょとんと落ちてしまった。そこへ大きな魚が来て、五分次郎をかっぷり呑み込んだ。

「ありゃ、可哀想なことをした。今度ばかりは助かるまい」

 嫁はがっくりしたものの、ここまで来たのだから一人でも金比羅さんに参ろうと宿に泊まった。

 ところで、その宿の主人が その日大きな鯛を買ったのだが、料理しようとしたところ、死んでいたはずのそれが「包丁危ない、包丁危ない」と言って跳ね回り始めた。たちまち宿中がこの話で持ちきりになり、聞きつけた嫁御は駆けつけて「私の主人は大きな魚に呑まれたでなぁ、腹を薄うに切ってもらえませんか」と頼んだ。そおっと切ったところ、果たして五分次郎が「ああ、助かった」と跳んで出てきた。

 さて、夫婦は仲良く金比羅参りを済ませ、その帰り道に山の中で日が暮れた。やっと一軒の家を見つけたので、中に入って、誰の家かは知らんが泊めてもらおうと話していたところ、そこへ鬼どもがガヤガヤと帰ってきた。なんと、鬼の住処だったのだ。慌てて嫁御は甕の中に、五分次郎は柱の穴の中に隠れた。

 鬼どもは相撲を取り始めた。五分次郎は見ているうちに面白くなって、

「やっちゃこい、やっちゃこい。ああ赤鬼が勝ったぁ、ああ青鬼が勝ったぁ」

と、声を張り上げて行司をした。鬼どもはびっくりして、ギロギロと辺りを見回したが、誰もいない。

「今夜はなんとも不思議な、きょうとい(恐ろしい)晩だ。こうしてはおられんぜ」

と言って、わやわやと逃げてしまった。

 五分次郎が穴から出てみると、打出の小槌が忘れられてあった。

「おう、これはええ物があった。これでわしを叩いてくれ。『五尺三寸のええ男になれ』言うて叩いてくれ」

「潰してしまうけえ、よう叩かん」

 嫁御が尻ごみしても五分次郎はきかなかった。とうとう、「五尺三寸のええ男」とピシャッと叩いたら、五分次郎は本当に大きないい男に変わった。二人は手を取りあって家に戻り、爺さん婆さんは それはそれは喜んだそうな。むかしこっぷり。



参考文献
『日本昔話100選』 稲田浩二・稲田和子編著 講談社

※全体には【たにし息子/蛙の王子】と非常に近い。殆ど、たにし(蛙)の姿をしているか小人であるかの違いくらいしかない。
 鬼をからかうくだりは「一寸法師・鬼退治型」のようだし、魚に呑まれて出てくるくだりは【親指小僧】を思わせる。

以下に類話の幾つかを並べる。(『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-)

岩手県稗貫郡

 子の無い爺婆が観音様に祈願すると、「毎晩 脛にたんぽこ(唾)を付けると子が生まれて福徳長者になる」というお告げがある。その通りにすると婆の脛から小さな子供が生まれたので、すねこたんぱこと名付けた。少しも大きくならないが馬を御することが上手で通い馬子になる。

 両親が嫁の来手が無いと嘆くと、長者の娘を嫁にもらって来ると言って、黍こがしを袋に入れて馬に乗っていく。長者の家に泊まると、最初はチビだからと土間で寝かされそうになるが、観音の申し子だぞと言って娘の側に寝る。寝ている娘の唇に黍こがしを塗って盗み食いされたと泣き、娘を嫁にもらって馬に乗せて帰る。

 道中、娘は「こんな者と一緒になるのは嫌だ」と馬の尻を叩き、すねこたんぱこは跳ね上がった馬から落ちて踏み潰される。ところが、一瞬後には立派な若者になって手綱を取っている。家に帰って親子夫婦で福徳長者になった。

新潟県佐渡

 子の無い夫婦が観音様に願掛けすると、母の親指が裂けて豆粒くらいの子が生まれ、豆助と名付ける。

 十七歳になっても背が大きくならない。香煎(はったい粉に紫蘇やみかんの皮の粉で香りを付けたもの)を重箱に入れて旅に出て、酒屋の釜の下焚きに雇われる。
 酒屋には三人娘がいて、二番娘が美しい。二番娘の部屋に忍び込んで唇に香煎を塗り、残りは川に捨てる。盗み食いだと訴えて娘を嫁にして帰る。

 帰路、嫁は豆助を殺そうとするが果たさない。風呂に入った時、嫁は竹箒で風呂の中をかき回す。すると音を立てて豆助の体が裂け、立派な男になった。嫁も両親も喜んで安楽に暮らした。 -->「ナツメの種っ子

徳島県

 一寸法師が乞食遍路となって侍の家に泊まる。侍にはおさまという一人娘がいる。一寸法師が夕食にもらった はったい粉を寝ているおさまの口の周りに塗っておいたので、おさまは家を追い出されて向かいの爺の家に行く。

 一寸法師はおさまの袖の中に隠れていたが、途中の橋で振り落とされて川に落ちる。向かいの爺が魚を釣って料理しようとすると、中から「怖い怖い、鼻を削ぐ」と言うので、腹を割くと一寸法師が出てくる。

 一寸法師はおさまを嫁に欲しいと言うが、五尺男のひな男になって来いと言われる。一寸法師は椀の船で鬼ヶ島へ行き、相撲を取っている鬼をからかって捕えられるが、鬼の耳に入って千里棒と打出の小槌を取る。米蔵や金蔵を打ち出しておさまと夫婦になる。

高知県

 二分一は小さくて嫁が無い。伯母に茶の粉をもらって嫁探しの旅に出る。娘のいる家に行って主人と話しているうちに夜が更けたので、泊めてもらう。寝ている娘の周りに茶の粉を撒いて、盗み食いしたのだから嫁にする、と言う。

 父は娘に、橋から川へ蹴込めと助言する。川に蹴落とされた二分一はあめごに呑まれる。釣り人があめごを釣って腹を割くと二分一が出る。

 帰り道のお宮で天狗が「天狗天狗三天狗」と歌って踊っていたので、「天狗天狗四天狗」と囃すと怖れて逃げる。打出の小槌を拾って背を大きくする。しかし、米蔵を出そうとすると小盲(こめくら)が出てしまった。

長崎県壱岐

 母と豆蔵の母子。豆蔵は魚釣りに行って海に落ち、魚に呑まれる。魚を買った母が料理しようとすると豆蔵が出る。

 豆蔵は香煎一升挽いてもらって嫁探しに出る。長者の家に泊まって、一番美しい娘の唇に香煎を塗っておく。盗み食いしたから嫁にすると言い、嫌がって喚く娘を無理矢理連れて行く。

 道中、あぜ道でわざと水の中に落ちて蛙に呑まれる。嫁は心配するが、無事に蛙に吐き出されたので一緒に帰った。(大きくなったとは言わない)

 多くの類話で、主人公は母の指や手のひら、脛や股から産まれてくる。これは日本の話に限ったものではなく、ロシアの「小指太郎」では婆が包丁で切り落としてしまった小指から生まれる。高句麗の始祖・朱蒙は、母が脇から産んだ大きな卵より生まれたとされる。女性器以外の人体からの誕生、ということも、異能者の聖別の条件の一つなのだろう。



一寸法師・鬼退治型  日本 鹿児島県 下甑島

 夫婦の間に子が出来ましたが、それはたった一寸三分(4cm弱)の小さな子供でした。何十日経っても大きくなりません。それでも実の子ですから、夫婦で協力して大切に育てて、三つ四つになりましたが、まだ育ちません。十五、六になりましたが、やはり同じことでした。

 その頃、父親は病気になって、色々と手を尽くしましたけれども、とうとう死んでしまいました。子供は何一つ母の手助けが出来ません。母親は一人で様々な供養をしました。三年忌が済んだ時、子供はもう二十歳になっていました。

 ところがある日、子供がこんなことを言いました。

「おっかさん、おっかさん、お願いが一つござる」

「はぁー、何の願いだ」

「何か金儲けしたいと思いますから、暇を下さい」

 母親はびっくりしました。今まで、何一つ働いたことの無い息子。その息子が、突然こんなことを言うのですから。それにしても、たった一寸三分しかない体なのに、家を出て何が出来ると言うのでしょう。どんな危ない目に遭うか知れません。

「そんなことはやめてくれ」

「いや、是非是非くれて下さい」

 子供は引き下がりません。仕方なく、母親は家を出ることを許してやりました。

 一寸法師は米を袋に入れて持って、方角も定めずに家を出て行きました。母親は心配して外に出て見送りましたが、小さいのであっという間に見えなくなりました。

 そのうち、一寸法師は深い山に入り込んでしまいました。道は全然判りません。困っていると、どこからか「どっこいしょ、どっこいしょ」「ほれ西が負けた、東が勝った」などという声が聞こえてきます。やあよかった、人里があるらしい。一寸法師が元気付いてその声のする方へ歩いていきますと、大きな家があって、庭には赤鬼・青鬼がごちゃごちゃいます。どうやら、東西に分かれて相撲を取っている様子です。一寸法師は取り組みの行方に思わず見入り、「あっ、東が負け、西が勝ち」と叫んでしまいました。

 さあ、鬼どもは もう相撲どころではありません。「何だ今の声は」「人間が来たらしいぞ」「それはいい食べ物が来た」と騒いで、辺りを探しましたが、見つかりません。そこで相撲に戻りましたが、また「西勝った、東負けた」などと声がします。今度は何十匹という鬼が木の葉を漁って探し回り、一寸法師を見つけ出しました。

「こら、食べても一口にも足らん。大将に見物させよう」

 鬼どもは一寸法師を手のひらに乗せて、鬼の大将に見せに行きました。

「これは可愛い、珍しい者じゃ」

 大将は一寸法師を見て面白がり、喜びました。ところが、隙を見て一寸法師が鬼の鼻の中に飛び込み、暴れたからたまりません。

「やあ助けてくれ、助けてくれ」

 鬼の大将はもだえ苦しみ、玄関の踏み段のところにひっくり返って死んでしまいました。他の鬼たちは「大変だ、あれは小さいけれど、どんな目に遭わされるか分からない」と怖がって逃げてしまいました。

 一寸法師が鬼の大将の鼻から出て見ると、鬼の家は静まり返っていました。あちこち見て回ったところ、納戸の隅に片足の不自由な鬼が一匹、かがんで隠れていました。

「やあ、まだここに残っているか」

 一寸法師がそう言うと、鬼は「どうか命は助けてくだされ、その代わりに三つの宝を上げ申す」と言います。

「宝はどこにあるか」

「石の三重ねの箱にある」

「それを持って来い」

 すると、鬼は三つの節のある竹を持ってきました。

「これでどうするのか」

「一つ目の節を叩いて『金蔵一軒』と言えば、金の詰まった倉庫が出る。次の節を叩いて『米蔵一軒』と言えば、米の詰まった倉庫が出る。三つ目の節を叩いて『衣装蔵一軒』と言えば、服の詰まった倉庫が出申す」

 一寸法師はそれを受け取って、七日目に家に帰りました。

「お母さん、いま帰って来ました」

「よく帰ってきた」

「良か金儲けをしてきました」

 一寸法師は例の竹の節を叩いて、金蔵、米蔵、衣装蔵を出しました。こうして、母子はそれからは何の心配もすることなく、一生涯安楽に暮らしたということです。



参考文献
『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-

※【桃太郎】系話群や【親指小僧】【童子と人食い鬼鬼】に近い。結婚も成長もせず、冥界に行って呪宝を得て親元に帰って来る。

 類話を幾つか列挙する。(『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-/『桃太郎の誕生』 柳田國男著 角川文庫 1951.)

福島県

 婆の右の手のひらが腫れて子供が生まれる。小太郎と名付ける。

 小さな盥を買ってもらって川に出て、そのまま六年間帰らない。ある時、爺婆が鮭を買って腹を割くと、中から小太郎が出てきた。

 十歳のとき、畳針を竹の鞘に入れて鬼ヶ島征伐に行く。酒呑童子に呑まれるが、腹の中から針でつついて倒し、宝物を取って帰って両親を幸せにする。

鳥取県

 爺婆が観音様に祈願すると、婆の左手の親指が膨れて身の丈五分の子が生まれる。五分次郎と名付ける。

 笹舟を乗り回して大鯛に呑まれる。その鯛を漁師が獲って腹を割き、家に送り返される。

 鬼ヶ島征伐に行き、鬼どもの相撲を見てからかったので呑まれる。しかし鼻の中で針を持って暴れ、宝物を取って帰って爺婆を安楽にする。

広島県

 豆一はあまりに腕白者なので両親に勘当され、碗と箸をもらって家を出る。海を渡り島に上がると、鬼が相撲を取っている。からかうと、怒った鬼に鼻の穴にねじ込まれたが、そこで暴れて宝物の槌を手に入れる。家に帰って蔵と米を出して大金持ちになる。

 隣の息子がこれを真似て宝の槌を取ってきたが、米と蔵を出そうと「こめくら出ろ」と唱えると、小盲こめくらが出てきた。

北海道  十勝アイヌ

 婆のオムから子供が生まれる。オムタロと名付ける。船を造ってもらって海に出て鬼ヶ島に行く。鬼が博打を打っていたのを追い払い、財宝を船に積んで帰る。

 隣のシタロという少年が真似るが、失敗して船にを積んで帰る。

 

 叩くと宝の出る竹は、【狗耕田】や「雁とり爺」の「揺するか叩くと金銀の降る竹」に関連しているように思う。

 佐賀県にはそれらや【金の生る木】との関連を思わせるこんな類話もある。(『日本昔話集成(全六巻)』 関敬吾著 角川書店 1950-)

佐賀県

 川を流れて来た丸太を爺が拾い、割ると小さな男児が生まれる。ちんこまんのこひょろと名付ける。

 針と尺と茶碗をもらって鬼ヶ島征伐に行く。「赤鬼青鬼ほしほし」と言うと鬼が来たので、針で突いて縛って連れ帰る。家の天井に吊るしておくと、翌朝は金や宝物が山と積もっている。

 隣の爺が羨み、鬼を奪って自分の家の天井に吊るす。すると瓦や泥が積もっていたので、怒って川に捨てた。



親指太郎、修行の旅歩き  ドイツ 『グリム童話』(KHM45)

 どこかの仕立て屋さんが、息子を一人持っていました。この息子は手の親指くらいの大きさしかなく、親指太郎と呼ばれていました。小さかったけれども勇敢で小生意気な性格で、ある日父親に言いました。

「お父さん、僕は世の中に出るように生まれついているんだ。絶対家を出るよ」

「それもいいだろう」

 父親はこう言って、長いかがり針を一本手にとってロウソクの火にかざし、針にロウのこぶを一つ拵えました。

「さあ、この刀を持って旅に出るがいい」

 そこで旅立つことになりましたが、その前に家族揃ってお別れのご飯を食べるつもりでした。親指太郎は母親がどんなご馳走を作っているのか見ようと思って、台所へピョコピョコ跳ねて行きました。

「お母さん、今日のご馳走は何?」「自分で見てごらん」

 親指太郎はお皿の中を覗き込みました。ところが、料理からもうもうと立ち昇る湯気が太郎を捕まえて、煙突から外に追い出してしまいました。

 こうして家を出た親指太郎は、しばらくして地面に降りると、ある親方のところに住み込みました。けれど、どうも食事がよくありません。

「おかみさん、僕たちにもっと気のきいたものを食べさせてくださいよ。でないと、僕は明日の朝にここを出て、玄関のドアに白墨で『ジャガイモはもうたくさん、あばよジャガイモ王様』って書きますよ」

 おかみさんは「何が欲しいんだ、このバッタめ」と怒って、ラシャの布くずで太郎をひっぱたこうとしました。太郎は素早く指ぬきの下、布くずの中、仕事台の割れ目の中と逃げ回り、舌を出して「やーい、やーい」と囃し立てました。それでもとうとう捕まえられて、親方の家から追い出されてしまいました。

 親指太郎は旅を重ねて、どこかの大きな森に入りました。森の中で、一群の盗賊が太郎と出くわしました。盗賊どもは王様の宝物を盗もうと考えていたところで、太郎を見つけると、「こいつなら鍵穴に入って鍵を開けることが出来るかもしれないぞ」と考え、「俺たちと一緒に宝物庫へ行かないか。お前なら中へ忍び込んで金を放り出せるだろう」と誘いました。太郎は考え込みましたが、とうとう承知して、一緒に宝物庫へ行きました。

 太郎は宝物庫の壁を調べ回り、自分の入れそうな割れ目を見つけました。そして潜り込もうとしていると、番兵の一人が気付いて「いやな蜘蛛だ」と踏み殺そうとしましたが、もう一人の番兵が「可哀想じゃないか。何もしてないんだから放っておけよ」と止めました。おかげで太郎は宝物庫に入って、盗賊どもの立っている方の窓を開けると、ターレル銀貨を一枚ずつ投げ落とし始めました。

 そうこうしているうちに、王様が宝物庫の検分にやってきました。王様は銀貨がかなり減っていることに気が付きましたが、鍵も見張りもしっかりしています。不思議に思いながらも「金を狙っている者がいるぞ。気をつけておくれ」と番兵に言って帰りました。

 王様がいなくなると、親指太郎は隠れ場所から出て再び仕事を始めましたが、その音が番兵の耳に入りました。番兵たちは素早く踏み込んで泥棒を捕えようとしましたが、誰もいません。太郎は片隅へ飛び込むが早いか、銀貨を頭に被せて隠れていたのです。誰もいないのに、部屋の中から「ここにいるよー」などと声がします。番兵たちがそこへ行くと、今度は別の方から「やーい、こっちだよー」と聞こえます。番兵たちはさんざん引き回されてヘトヘトになり、向こうに行ってしまいました。そこで太郎は残りの銀貨を全て外に投げ出してしまい、最後の銀貨は勢いよく跳ね飛ばして、それに飛び乗って自分も窓の外に逃れたのでした。

 盗賊どもは太郎を褒めちぎって、是非俺たちのお頭になってくれと頼みました。けれども、太郎は世の中をもっと見たいからと言って断り、十字架のくっついた一銭銅貨だけをもらって(というのも、それだけしか持てなかったからなのですが)、てくてく歩いて行きました。

 そうしてあちらこちらの親方の所に住み込みましたが、どうも仕事が面白くありません。しまいに、宿屋の下男に雇われました。同僚の女中たちは彼を憎みました。というのも、太郎はいつもどこか見えないところから女中たちの様子を見ていて、盗み食いや持ち出しを主人に告げたからです。女中たちは全員で示し合わせて、太郎に復讐をしようと決めました。

 そんなある日、女中の一人が草刈をしていると、太郎がそこらじゅうを飛び回って、草へ這い上がったり降りたりしていました。それを見ると、女中は草ごと太郎を刈り取って、大きな布でぐるぐる巻きにしてから牝牛の群れに投げ込みました。牝牛の中に真っ黒いものがいて、それが太郎を呑み込んでしまいました。

 太郎は、牛の腹の中から色々と声をあげました。乳絞りの時は

ぐいっ、ぐいっ、ジャー。

手桶は、もうじき一杯かい

と言いましたが、乳絞りの音に紛れて人には聞こえませんでした。その後で主人が牛小屋に来て「明日はその牝牛を潰すぞ」と言ったので、「僕を出してからにして下さい、ここにいるんですよー」と叫びましたが、主人は何処から声が聞こえるのか分からなかったので、そのまま去ってしまいました。

 あくる日になると黒い牝牛は潰され、その肉でソーセージが作られました。太郎は

深く切りすぎちゃいけない、切りすぎちゃダメだよ、僕が入ってるじゃないか

と叫びましたが、包丁の音がうるさくて誰にも聞こえないのです。それでも、幸運なことにかすり傷一つ負うことはありませんでしたが、ソーセージの中に詰め込まれ、燻すために煙突の中に吊るされてしまいました。

 長い間そのままで、やっと冬になってからソーセージは降ろされました。お客様のご馳走に出されることになったのです。ソーセージが切られたとき、太郎は上手く中から逃げ出しました。

 親指太郎はすぐに新しい修行の旅に出ました。こんなひどい目に遭った家にはいたくなかったからです。ところが、野原で狐の鼻先を通りかかった途端、ぱくりとくわえられてしまいました。

「何をするんです、狐さん。僕を食べると喉に引っかかりますよ」

「その通りだな。それにお前を食べたって何の腹の足しにもなりはしない。お前が、お前の父親の家のニワトリを俺にくれると約束するのなら、お前を逃がしてやるよ」

「約束します。必ず、全部差し上げますよ」

 そこで、狐は太郎を吐き出して、太郎の家まで運んでいきました。父親は、可愛い息子が帰ってきたのを見て、持っているだけのニワトリを全て狐にやりました。

「その代わり、僕、お父さんにお金を沢山、お土産に持ってきたよ」

 そう言って、親指太郎は旅の途中で儲けた一銭銅貨を父親に渡しましたとさ。



参考文献
『完訳グリム童話集(全五巻)』 J.グリム+W.グリム著、金田鬼一 訳 岩波文庫 1979.

※親指太郎が針の刀を持って旅立ち、森の中で危険な集団に会うところまでは「一寸法師・鬼退治型」とほぼ同じなのだが、後半は【親指小僧】的になっている。

 「一寸法師・鬼退治型」の一寸法師は、最後に親の元に大量の財宝を持って帰る。なのに、親指太郎は一銭銅貨を一枚だけだ。「体が小さくてそれだけしか持てないから」という理由がリアルなような、悲しいような……。


参考--> 「親指小僧



ナツメの種っ子  中国

 旧暦八月十五日、爺さんと婆さんは月餅をこしらえてお月見をしていた。

 月はまん丸、綺麗だけれど、爺さんと婆さんはしんみり寂しい。なにしろ、一緒に月餅を食べるような子供が一人もいなかったんだから。婆さんは月餅を食べながら、ふと、餡の中に入っていたなつめの種を取り出して、爺さんに見せて言った。

「あーあ、せめてこの種くらいでもいいから、息子がいたらねぇ……」

 そう言った途端、棗の種はポンと地面に落ちると、「母ちゃん、父ちゃん」と叫んだ。それは本当に可愛らしい声で。

 爺さんと婆さんが種を拾い上げてよく見ると、おやまぁ、手も、足も、目も、鼻も、ちゃんと付いている。二人は大喜びした。なにしろ、念願の子供を授かったのだから。

 このナツメの種っ子はいつまで経っても大きくならないで、一日中ポンポン跳ね回っていて、なんとも可愛かった。

 

 ある日、県庁の下役人が爺さんと婆さんの家の前を通りかかった。ところが ふと立ち止まり、両手に持っていた酒徳利を窓の桟に置いて、そこで用を足し始めた。

 ナツメの種っ子は酒徳利が珍しくてたまらない。ピョンピョン跳ねて近寄ったが、勢いあまって徳利に体当たり。徳利は転げ落ちてガチャンと割れた。

 下役人は怒りも怒った。どうでも県知事様のところに来い、お前を訴えてやる! と言う。それで、ナツメの種っ子は県庁まで行ったけれども、県知事が出てきて まだ口も開かぬうちに、辺りをポンポンと跳ね回りながら、犬畜生のヘボ役人やーい、と囃し立てる。カッとなった県知事は大口を開けて「こっちへ来い!」と叫んだ。途端に、ナツメの種っ子はポーンと一跳ね、知事の口の中に飛び込んでしまった。そうして、内臓にぶら下がって遊び始めたものだから、知事は痛くて苦しくて堪らない。

ブランコ ブラリ

ブランコ ブラリ

こぐぞ三千六百年

 三千六百年どころか ほんの一時でもガマンできない。知事は哀れな声で「早く出てきてくれ。出てきてくれたら褒美をやる」と言った。

「これからワイロを取らないか」「取らぬ、取らぬ、絶対に取らぬ」

 その言葉が終わらぬうちに、ナツメの種っ子はポンと知事の口の中から飛び出した。

 途端に知事は、前よりもすごい剣幕で「チビのくせに、県知事様をバカにするにも程があるわい。こっちへ来い!」と叫んだ。

 またまた、ナツメの種っ子が口の中へ飛び込んだ。

ブランコ ブラリ

ブランコ ブラリ

今度は三万六千年

 知事はオロオロして言った。

「早く出てくれ、今度は何でも言うことを聞く」

「いーや、今度は腹の中で今までの裁きをやり直させろ」

 仕方なく、知事は罪人たちをみんな牢から出して、裁きのやり直しを始めた。

「あー、お前は無実の罪ではないか?」「はい、そうでございます」

すぐさま釈放!」と腹の中のナツメの種っ子が叫ぶ。知事は「ごもっとも、ごもっとも」と釈放する。

「お前は文無しでワイロが払えなかったのだったな」「はい、そうでございます」

すぐさま釈放!」と腹の中のナツメの種っ子が叫ぶ。知事は「ごもっとも、ごもっとも」と釈放する。

 こうして、次から次へと罪人は釈放されてしまった。

「あのう、牢は空になってしまいましたが……」

 しまいに知事が言うと、「百姓を苛める鬼地主どもを捕まえて来い!」とナツメの種っ子が怒鳴る。

「ごもっとも、ごもっとも。これ下役人、大急ぎで連れてまいれ!」

 知事に命じられて、下役人たちはすっ飛んで行った。 下役人たちが出かけると、ナツメの種っ子はポンと知事の口から飛び出した。

「今度嘘をついたら、お前の歯をへし折るぞ!」

 そう決め付けると、ナツメの種っ子はポンポン跳ねて爺さんと婆さんのところに帰っていった。

 

 こうして帰ってきたナツメの種っ子が、爺さんと婆さんは可愛くてたまらない。夜に寝ている間も、しきりに背中をさすり続けていた。すると、なんだかパリパリと音がする。明かりをつけてみると、なんと、ナツメの種の皮がむけて、丸々太った人間の坊やが現れていたから、爺さんと婆さんの喜びようは並みではなかった。

 その晩ぐっすり眠って、翌朝早く飛び起きてみると、ナツメの種っ子はもうスラリとした若者の姿になっていた。若者は寝ていたオンドルからサッと起き上がると、世間の息子が両親を呼ぶ口ぶりで、

「父さん、母さん」

と、呼びかけたんだとさ。



参考文献
『中国の民話〈上、下〉』 村松一弥編 毎日新聞社 1972.

※原題は「棗核児」。北方の漢族の民話。《鬼退治》が《悪徳役人退治》にすり替わっているが、やっていることは「体内からの攻撃」で同じである。また、【親指小僧】に見られるような、「腹の中から声を出して指示する」モチーフも見える。
 類話によっては「牛馬の耳に入って御す」モチーフも現れる。そうして知事の牛馬を奪ってしまう。

 結婚の条がないのに「普通の男に変化する」モチーフが入っているのは珍しい。日本の「一寸法師」にも、婿入り型と同じ展開で最後に打出の小槌で大きくなるのに、何故か結婚に関しては語られない話群があるが、結婚の条の欠落と見るのが自然であろう。

 果実から現れる小さ子の男児という点では【桃太郎】を想起させる。


参考--> 「豆助



一寸法師  日本 『御伽草子』

 少し昔のことだが、津の国難波の里に、爺と婆がいた。婆は四十歳になっても子がないことを悲しみ、住吉大社に参って子を願ったところ、大明神が哀れと思し召して、四十一歳だというのに身ごもったので、爺の喜びは限りなかった。やがて妊娠十ヶ月になると、美しい男子をもうけた。

 しかしながら、産まれてからずっと、背の高さが一寸(3〜4cm弱)だったので、そのまま一寸法師と名付けられた。年月を経て、はや十三歳になるまで育てたけれども、背は人並みにならなかった。

 つくづく思うことには、これは普通ではない、まさに化物のようだ。我らはどんな罪の報いでこのような子を住吉から賜わったのだろう。情けないことよと、嘆く様子は傍目にも不憫である。夫婦はあの一寸法師めを何処へでもやってしまおうと思い、そのことを告げると、すぐに一寸法師は承知して、親にこんな風に思われるのも残念なことだ、何処へでも行ってしまおうと思い、刀がないのはどうかと思って針を一つ婆に乞うと、取り出してきた。そこで麦わらで柄鞘を拵え、都へ上ろうと思ったが、万一、舟がなかったらどうしようかと思って、また婆に「御器(蓋付きのお椀)と箸を下さい」と申し出て、名残惜しいけれども出立した。住吉の浦より御器を舟にしてうち乗って、都へと上ったという。

住みなれし難波の浦を立ち出でて都へ急ぐわが心かな

 こうして鳥羽の津に着いたので、そこに舟を乗り捨てて、都に上り、ここやそこやと見れば見るほど、四条五条の有り様は、想像も及ばないことばかりで語るのも難しい。

 さて、三条の宰相殿という人の家に立ち寄って、「ごめんください」と言ったところ、宰相殿はそれを聞いて面白い声だと思い、縁側へ立ち出でて見たけれども人もいない。一寸法師は、人に踏み殺されまいとして、そこにあった足駄の下から「ごめんください」と言うと、宰相殿は、不思議なことだなぁ、人の姿はないのに、趣のある声で呼ばわっている。庭に出て探してみようと思い、そこにある足駄を履こうとしたところが、足駄の下から「人を踏まないで下され」と言う。不思議に思って見ると、奇妙なものがいる。宰相殿は見て、とても面白い者である、とて笑った。

 こうして年月を送るうちに、一寸法師は十六歳になったが、背は元のままだった。

 ところで、宰相殿には十三歳になる姫君がいた。容姿が優れていたので、一寸法師は姫君を見てから想いを寄せるようになり、どうにかして計略をめぐらせて、我が女房にせねばなぁと思い、ある時、貢物の米を取って茶袋に入れ、それを眠っている姫君の口に塗り、次に茶袋だけ持って泣いていた。宰相殿がこれを見て理由を尋ねたところ、

「姫君が、私がこの頃 集めておいた米を取ってしまわれたのです」

と言う。宰相殿は大変に怒って確認したところ、案の定、姫君の口に米が付いている。本当に嘘ではなかった、こんな者を都に置いてどうするか、なんとしても追い出すべしとて、一寸法師にそれを命じた。一寸法師が言うには、

「私の物を取ってしまわれたのですから、とにもかくにも措置いたします」とて、心の中では嬉しくてたまらなかった。姫君はただ夢のような心地で、呆然としているばかりだった。

 一寸法師が早く早くと促すと、闇へ遠く行く様子で、都を出て、足に任せて歩いていった。心中が察せられることだ。ああ痛ましや一寸法師は、姫君を先に立てて出て行った。宰相殿は引きとめようかと思ったけれども、継母は引き止めない。侍女たちも付き添わない。姫君は情けないことだと思って、こうして何処へでも行かねばならない、難波の浦へ行こうとて、鳥羽の津より舟に乗った。

 ちょうど風が荒くて、きようがる島(奇妙島)に着いてしまった。舟から上陸して見回せば、人が住んでいるとは思えない。こんなに風が悪く吹いて、あの島へ吹き上げられる、どうしようと心配したけれども、その甲斐もなかったので、船から下りた。一寸法師があちらこちらと見て回ると、どこからともなく鬼が二人出て来て、一人は打出の小槌を持ち、もう一人がこう言った。

「コイツを呑んで、あの女は取って食っちまおう」

 一寸法師は口から呑まれたが、鬼の目を突き破って出てきた。鬼は言った。

「これは曲者だ。口を塞げば目から出てくる」

 一寸法師が目から出て跳び歩くと、鬼は怖がってブルブル震えて、

「これは只者ではない。地獄に災いが来たのだ。とにかく逃げよう」

と言うままに、打出の小槌、杖、鞭、何から何までうち捨てて、極楽浄土の戌亥(西北)の、いかにも暗い所へ、ようやく逃げて行った。

 さて、一寸法師はこれを見て、まず打出の小槌を掠奪し、「我の背よ、大きくなれ」と、どうと打ったところが、まもなく背が大きくなった。それから、お腹が減ったので、何はさておき食事を打ち出し、いかにも美味しそうなご飯がどこからともなく出てきた。不思議な幸せとなった。

 その後、金銀を打ち出し、姫君と共に都へ上り、五条の辺りに宿を取って十日ばかりいたが、この次第は隠されることがなかったので、内裏に噂が届いて、急いで一寸法師を召し上げた。すぐに参内すると、帝は一寸法師を見て、

「本当に美しい童子だ。きっと卑しい血筋ではあるまい」

と、先祖を尋ねた。

 爺は堀河の中納言という人の子であった。人の讒言により流罪を受け、田舎でもうけた子だったのだ。婆は伏見の少将という人の子である。幼い頃に父母に死に別れたのだ。

 このように、一寸法師は血筋も心も高貴であったので、殿上へ召され、堀河の少将に任じられたことこそ めでたいことだった。父母をも呼び寄せて、もてなしかしづいて安楽に暮らさせたことは、世の常にないことである。

 そうこうするうちに、少将殿は中納言になった。心栄えをはじめとして、全て人より優れていたので、一門の名声は大変なものであった。宰相殿はそれを知って喜んだ。その後、若君が三人産まれ、めでたく栄えた。

 住吉大社に誓願して、末繁盛に栄えた。世の中のめでたい前例も、これに勝る例はまさかあるまい、という。



参考文献
『御伽草子〈上、下〉』 市古貞次校注 岩波文庫 1986.

※この話では一寸法師は「住吉神の申し子」だと明記されている。よって、この話は住吉大社の宣伝目的で創られたもので、一寸法師がお碗の船に乗るのは住吉神が航海の神(異界からうつぼ船で流れ寄る幼童神)だからだ、とする説がある。その説に従えば、きようがる島での鬼退治は住吉神主が河口の島で行っていた禊祓いの儀式を比喩していて、一寸法師のお碗の船と箸の櫂は、航海の安全を願って船から柏の葉で作った皿(ひらで)に盛った食物と箸を海に投げ入れていた儀式に由来するのだという。

 『古事記』によれば、仲哀天皇が妻の神功皇后を伴って西征した時、天皇が神意を問おうと神寄せの琴を奏でたところ、皇后が神懸かりになって、「西方の彼方の国(新羅)は金銀財宝に満ちている。それを天皇に与えよう」と告げた。天皇がそれを信じなかったところ、神罰が下ってその場で急死した。人々は恐れて祓いの儀式を行い、再び神意を問うと、神は皇后の口を借りて「この国は皇后の胎の中の男児が治めるものだ。これは天照大神の御心であり、海を治める住吉神社の三神の言葉でもある。今、真剣に西方の国を手に入れようと思うなら、天神地祇に幣帛を捧げ、天照大神と住吉三神の神霊を船上に招き、真木の灰をヒョウタンに入れ、柏の葉で作った皿(ひらで)と箸を沢山用意し、それらを全て海に散らし浮かべねばならぬ」と言った。その通りにすると沢山の魚が集まって船を背に乗せ、海をおし渡った、とある。この後、日本に帰還した皇后は応神天皇を産むのだが、彼を一寸法師の原型だと見る説もある。つまり、住吉神の申し子として産まれ、船に乗って海外から流れ寄ってきた幼童神だ、と言う解釈である。

 また、一寸法師は中世に盛んだった針の行商人によって広められた話で、だから針を武器にして持っているのだし、その背景には金属技術集団の姿が見える、などとする説もある。あるいは、「鉄が魔物よけになる」という信仰が全世界にあることから、一寸法師は邪気を祓うお守りとして針を持っていたとし、その針と住吉大社をどうにかして結びつけようと試みる説もある。(ちなみに、小人息子が針の刀を持って家を出る話は日本に限ったものではなく、『グリム童話』にもあるのだが……。(KHM45、「親指太郎、修行の旅歩き」)

 父親の怒りでうつぼ船(箱舟)に乗せられて流され、漁師などに拾い上げられる娘と赤ん坊の伝承は世界中に見られる。ギリシア神話のペルセウスや、日本の戦神である八幡神もそうである。(八幡神は応神天皇と同一視される。)時には、新羅神話の脱解日本の少名毘古那神のように、童子(小人)神が単独で箱舟に乗って海の向こうの国から流れてきたと語られることもある。
 桃太郎瓜子姫花咲か爺の白犬も、川を果実または空木、あるいは箱の中に入った姿で流れてきた。神功皇后の神話では、柏の葉の皿とヒョウタンを海に撒くと海の彼方の宝の国へ行けるのだが、これはヒョウタンの灰で水を清め皿に盛った食べ物を神に捧げる意味であると同時に、水に浮いて流れる皿やヒョウタンが「渡り」の呪宝として認識されていた、という意味なのかもしれない。皿は一寸法師のお碗と同一であり、ヒョウタンは桃太郎の桃や瓜子姫の瓜と同一と言えるのではないだろうか。


 ところで、一寸法師は寝ている姫の口に食べ物を塗りつけ、自分の食料を盗み食いされたと訴える。そのために姫は父親に勘当されて一寸法師の妻にならざるを得なくなる。
 【たにし息子】でもしばしば見かけるこの非道なエピソードを、一体どう解釈すればいいのだろうか。
 一つには、何か神事的な意味が見え隠れしている気がする。というのも、姫の口に塗られた食料は「うちまき(米)」なのだが、これは神前に供える精米を意味する言葉でもあるからだ。(同様のモチーフのある「たにし童」でも、米は神棚に供えられている。)一寸法師は住吉神の申し子であり、自分の食料を食べられたと訴えた訳だから、姫は神である一寸法師に供えられた米を盗み食いした、ということになる。
 もう一つは、この一件そのものが一寸法師と姫の神婚を意味しているのではないか。結婚の際に同じ器から食料や酒を分け合って食べる、というのはアイヌなどでも見られる習慣だが、一寸法師の米を姫が食べる……ということは、結婚の比喩なのではないのか。一寸法師が夜に姫の寝室にもぐりこむこと、類話によっては「私は神の子だから姫の側に寝たい」と言って寝るのは、はっきりと神と巫女の一夜婚を語っているように思われる。
 長崎県の類話「一寸坊」では、金持ちの家の風呂焚きに雇われた一寸坊が、歌が上手いので金持ちの娘に惚れられて恋仲になり、それが発覚して娘と共に家を追い出されることになっている。二人の間に男女的な関係があり、そのために家を出て行ったと考えられる。
 また、このエピソードは、全世界に見られる「うつぼ船に乗せられて流される娘」のモチーフとも近い印象がある。多くの場合、娘は「結婚していないのに妊娠した」ことで父親の怒りを買って流されるのだが、それは神が雨や日光として娘に勝手に触れたためで、娘自身は身に覚えがない、いわば無実の罪で追われている。「一寸法師」の姫が、寝ている間に一寸法師(神)に食べかすを塗られて(知らない間に神と結婚して)、そのために父の怒りを買って家を追われることと、よく似てはいないだろうか。

 なお、貧しい男が「自分と姫には特別の縁がある」という嘘をついて、それを信じた父親が姫を追い出し、追い出された姫は本当に男の妻になる……というと、百済の武王の伝説を思い出す。また、貧しく醜い男が自分の食料を姫に盗み食いされたことで姫と結婚するエピソードは、インドネシアの民話「たる腹」にもある。


 ところで、神(一寸法師)に愛される姫は、巫女なのか、あるいは、幼童神を従える母神や、河口に座して穢れを呑み込む川の女神(冥界の女神)のイメージが託されているのかもしれない。一寸法師と共に家を追われるとき、何故か姫が先に立たされて一寸法師がそれに付いて行く。「一寸法師・婿入り型」でも、姫が寺社参りに行くのに一寸法師が付いて行く。一寸法師を冥界(鬼のいるところ)へ導くのは姫なのだ。 


参考--> 「小黄龍




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