>>参考 「白鳥の姉」「タムとカム」【蛇婿〜偽の花嫁型

 

Mohter Gooseより

My mother has killed me,

My father is eating me,

My brothers and sisters sit under the table,

Picking up me bones,

And they bury them under the cold marble stones.

母さんがぼくを殺した

父さんがぼくを食べてる

きょうだいたちはテーブルの下に座って

ぼくの骨を拾ってる

そして冷たい大理石の下に埋めた



杜松ねずの木  ドイツ 『グリム童話』(KHM47)

 昔、およそ二千年ぐらい前のこと。あるところに金持の男がいた。その男には、美人で信心深い奥方があった。夫婦仲はよかったが、子供がいなかった。

 奥方は子供がほしくてほしくてしょうがないものだから、子供が出来ますように、子供が出来ますようにと、昼も晩も一生懸命お祈りした。

 夫婦の家の庭に、杜松ねずの木が一本あった。ある年の冬、奥方がその木の下でリンゴの皮をむいていた時、指を切って、血が雪の上に落ちた。奥方はそれを見ると悲しくなって、こう言った。

「血みたいに赤くて、雪みたいに白い子供がほしいものだわ」

 ところが、そう言っているうちになんだかうれしくなってきて、それが現実になるような気がした。

 やがて春になり、七月になると、杜松の木には実が重くみのった。奥方はそれをとって、がつがつと食べた。そして九月に雪のように色白で血色のいい男の子を産んだ。そして、「私が死んだら杜松の木の下に埋めてください」と言って、死んでしまった。

 金持ちの男は奥方を杜松の木の下へ埋めて、長い間泣いていたが、やがて元気になって二度目の奥方をもらった。

 二度目の奥方には女の子がうまれた。この子の名前はマリーといった。奥方は自分の娘が可愛くってしょうがなかったけれど、前の奥方の生んだ綺麗な男の子を見ると胸がくしゃくしゃして、この子が自分の子供の邪魔をして父さんの財産を相続するような気がしてならなかった。それで、しまいに男の子が憎らしくなって、打ったり叩いたり、隅から隅へこづきまわした。男の子は奥方をこわがって、家にいる間は始終びくびくして、ちっとも落ち着いていられなかった。

 あるとき、奥方が自分の部屋へ上がってみると、マリーがやって来て

「おかあさん、リンゴ一つちょうだい」と言った。

「あいよ、ほうれ」と言って、奥方は箱からみごとなリンゴを出してやった。その箱には大きな重い蓋がついていて、頑丈な鉄の錠がついているのだった。

 マリーが言った。

「おかあさん、お兄ちゃんのぶんは?」

 それを聞いて、母さんはむしゃくしゃしたけれど、こう言った。

「うん、学校から帰って来たらね」

 その時、男の子が帰ってくるのが窓から見えた。母さんは娘のリンゴをとり返して言った。「お兄ちゃんにあげるなら、お前の分はないよ」そして、リンゴを箱の中へぶちこんで蓋をしめた。

 男の子が戸口へ入って来ると、母さんは猫なで声を出して言った。

「お前、リンゴがほしいかい」

「うん、リンゴちょうだい」

「こっちへおいで」

 母さんは箱の蓋を開けた。

「さあ、リンゴを一つ取りなさい」

 男の子が箱の中をのぞきこんだとき、悪魔が母さんに知恵をつけたので、彼女はバタン! と重い蓋をしめた。男の子の首が千切れて落ちて、紅いリンゴの横へ転がった。

 それを見ると、母さんはすっかり恐ろしくなって

「あたしのしたことにならないようにする方法はないものかしら」と考えた。

 それで、ひきだしの中をかきまわし、男の子の頭をまた上へくっつけて、つぎ目がわからないように布をぐるぐるまきつけて、男の子を戸口の椅子へ腰かけさせて、手にリンゴを持たせてやった。

 しばらくすると、マリーが台所に入ってきた。母さんは、火のそばで熱い湯の入った釜をしきりにかきまわしていた。

「おかあさん」とその子は言った。「お兄ちゃんは戸口に腰かけて、真っ白な顔をしてリンゴを持ってるよ。あたしがリンゴをちょうだいって言っても、返事もしないの。あたし、気味がわるくなっちゃった」

「もう一度行っておいで」と母さんが言った。「それで、返事しなかったら耳をたたいておやり」

 そこでマリーは行って言った。

「お兄ちゃん、リンゴちょうだい」

 けれど、男の子が相変らず黙っているものだから、耳の所をひっぱったくと、頭がころりと落っこちた。マリーは大声でわあわあ泣き出して、母さんのところへとんで行って言った。

「大変だよう、おかあさん。あたし、お兄ちゃんの頭を落としちゃった」

 そうして、泣いて泣いて、いつまでも泣きやまなかった。母さんが言った。

「マリー、大変なことをしたね! だけど、騒ぐんじゃあないよ。やってしまったことは、しょうがないからね。お兄ちゃんはシチューにしてしまおう」

 母さんは男の子を運んできて、細切れにして熱い湯の鍋へ投げこんで、ことこと煮てシチューにした。マリーは、そばで泣きじゃくっていた。涙が釜のなかへおっこちたものだから、シチューには塩はちっともいらなかった。

 父さんが帰って来て、テーブルにすわって言った。

「せがれはどこにいるんだい」

 そこへ、母さんが黒いシチューの入ったとても大きな皿を持って来てならべた。マリーは、ただもう泣いてばかりいた。父さんはまた言った。

「せがれはどこにいるんだい」

「ああ」と母さんは返事をした。

「あの子は、田舎へ行きましたよ。大叔父さんに逢いに行ってます。しばらく泊まって来るって」

「いったい、何しに行ったんだろう? わたしに挨拶もしないで行くなんて!」

 そう言ってシチューを食べはじめた。

「マリー、何だって泣いているんだい? お兄ちゃんは、そのうち帰って来るさ。それにしても、この御馳走は何てうまいんだろう。もう少しおくれ!」

 そう言っておかわりをした。それでもまだ足りなくて、食べれば食べるほど、いくらでも食べたくなって、「こんなにうまいものは食べたことがない」と言って食べつづけた。

 骨をみんなテーブルの下へ捨てながら、父さんがシチューをすっかり平らげてしまうと、マリーは自分の箪笥の一番下のひきだしから出した一番上等の絹の布に、テーブルの下の骨を、大きなものも小さなものも一つ残らず拾い集めて、包んで杜松の木の下の青草のなかへ置いた。

 骨をそこへ置くと、急にすっと気が軽くなって涙が止まった。その時、杜松がゆれ動いた。枝が火のように光って、その中から、すばらしくいい声のとてもきれいな鳥が飛び出した。鳥が空高く飛んでいって姿が見えなくなると、杜松はもとの通りになって、骨を包んだ布は消えてなくなっていた。マリーは気が晴れ晴れとして、お兄ちゃんが死んだ気がしなくなって、幸せな気分になった。それで、家へ帰って晩ごはんを食べることができた。

 一方、飛んで行った鳥は、金細工師の家の屋根にとまって歌い出した。

母さんがぼくを殺した

父さんがぼくを食べた

妹のマリーが 骨を残らず拾って

絹のハンカチに包んで 杜松の木の下に置いた

キーウィット、キーウィット、ぼくはなんてかわいい鳥!

 金細工師は自分の仕事場に坐って金の鎖をこしらえていたが、これを聞くと、片手に金の鎖、片手にやっとこを持ったまま外に出た。そして鳥をじっと見つめて言った。

「鳥や、お前はなんて歌がうまいんだろう! 今のをもう一度歌っておくれよ」

「いやだよ、二度は歌わないことにしているんだ。でもその金の鎖をくれればもう一度歌ってやるよ」

 鳥は言った。金細工師は金の鎖をさし出した。

「さぁ、もう一度歌っておくれ」

 鳥は舞い降りて金の鎖を右の足先ではさんで、金細工師の前へ行って歌った。

母さんがぼくを殺した

父さんがぼくを食べた

妹のマリーが 骨を残らず拾って

絹のハンカチに包んで 杜松の木の下に置いた

キーウィット、キーウィット、ぼくはなんてかわいい鳥!

 次に、鳥は靴屋のところに飛んでいって、屋根にとまって歌った。

母さんがぼくを殺した

父さんがぼくを食べた

妹のマリーが 骨を残らず拾って

絹のハンカチに包んで 杜松の木の下に置いた

キーウィット、キーウィット、ぼくはなんてかわいい鳥!

 靴屋はこれを聞いてシャツ一枚で戸口へかけ出し、太陽がまぶしくないように手を眼の前にかざして屋根の方を見た。

「鳥や」と靴屋が言った。「おまえはほんとうに歌が上手だねえ!」

 それから、家の中へ入った。

「おっかあ、ちょいと来てみろよ、鳥がいるぞ。まああの鳥見てみろや、いい声で歌ってるぞ」

 それから、娘や子供たち、職人や小僧や女中たちをよび出した。

 みんな往来に出て来て、かわいい鳥をながめた。鳥は真っ赤な羽をしていて、首に金色の鎖をかけて、目はお星さまみたいにピカピカ光っていた。

「鳥さん」と靴屋が言った。「今のをもう一度歌っておくれよ」

「いやだよ」と鳥が言った。「二度目はただじゃ歌わないよ。なにかおくれよ」

「おっかあ、仕事場へ行って一番上の棚に赤い靴が一足あるから、それを持って来ておくれ」

 靴屋のおかみさんは行って、靴を持って来た。

「どうれ、鳥さん。さあ、今のをもう一度歌っておくれな」

 そうすると鳥はおりて来て、靴を左の爪で持って、また屋根の上へ飛んでいって歌った。

母さんがぼくを殺した

父さんがぼくを食べた

妹のマリーが 骨を残らず拾って

絹のハンカチに包んで 杜松の木の下に置いた

キーウィット、キーウィット、ぼくはなんてかわいい鳥!

 すっかり歌ってしまうと、飛んで行ってしまった。右の爪には鎖を、左の爪には靴を持って、ずっと遠い水車の方へ飛んで行った。

 水車は「かたり ことり かたり ことり かたり ことり」と廻っていた。ここの水車には粉ひきの若い衆が二十人いて、石材を切って「こつこつ、こつこつ」ときざんでいた。

 鳥は水車の前の菩提樹の木にとまって、歌った。

母さんがぼくを殺した

 これを聞いて、一人が仕事の手をとめた。

父さんがぼくを食べた

 これを聞くともう二人、仕事をやめて歌を聞いた。

妹のマリーが 骨を残らず拾って

 これを聞いて、また四人仕事をやめた。

絹のハンカチに包んで

 さて、まだ八人石をきざんでいた。

杜松の木の下に

 さて、まだ五人仕事をしていた。

置いた

 さて、まだ一人仕事をしていた。

キーウィット、キーウィット、ぼくはなんてかわいい鳥!

 これで一番最後の男が仕事をやめて、その男は一番しまいの文句まで聞いた。

「鳥さん」とその男が言った。「お前はほんとうに歌が上手だな! もう一度歌っておくれよ」

「いやだよ」と鳥が言った。「ただじゃあ二度とは歌わないよ。その石臼おくれ。それがあればもう一度歌うよ」

「うん」と一人が言った。「他の奴がいいと言うなら、こいつをやろう」

「よかろう」と他のが言った。

「もう一度歌うんなら、こいつをやるよ」

 これを聞くと鳥は飛びおりて来て、粉屋たちは二十人総がかりで丸太で石臼をおこした。

「ウンコラショ ウンコラショ ウンコラショ!」

 鳥は臼の孔に首を突っ込んで、ひだ襟みたいにはめた。そして木の上へ飛んでいって歌った。

母さんがぼくを殺した

父さんがぼくを食べた

妹のマリーが 骨を残らず拾って

絹のハンカチに包んで 杜松の木の下に置いた

キーウィット、キーウィット、ぼくはなんてかわいい鳥!

 鳥は歌い終わると翼をひろげて、右の爪に鎖、左の爪に靴、首には石臼をはめて、まっしぐらに杜松の木のある家へ帰って行った。

 部屋の中では父さんと母さんとマリーが食卓についていて、父さんが

「ああ、満腹した。ほんとうにいい気持ちだ」と言った。

「そうかい。わたしは、せつなくてせつなくて、暴風雨でも来たみたいだよ」と母さんが言った。

 そこへ鳥が飛んで来て、屋根の上にとまると、父さんが、

「まったく、なんだかえらくうれしいな。いい天気だし、俺は昔馴染にでも逢いに行くみたいな気がするぞ」と言った。

「そうかい。わたしは憂鬱で、歯がガタガタするよ。血管の中に火が流れているようだわ」と母さんは言って、テーブルから離れた。マリーは隅っこに坐ってお下げ髪を目にあてて泣いていて、あんまり泣くものだから、お下げの髪がびっしょり濡れてしまった。

 やがて、鳥は杜松の木にとまって歌った。

母さんがぼくを殺した

 そうすると、母さんは耳に手をあて、目をつぶって、見まい聞くまいとした。だけれど、滝みたいに耳にわんわん響いて聞こえる。母さんの目は燃えて、目の前が稲妻みたいにぴかぴかした。

父さんがぼくを食べた

「おや、お前」と父さんが言った。「きれいな鳥がいるぞ、いい声で歌ってる。お日様はぽかぽか照らしているし、うきうきしてたまらないぞ」

妹のマリーが

 これを聞くと、マリーは頭をエプロンから上げて、不意に泣きやんだ。父さんが言った。

「外へ出て、あの鳥をそばでよく見よう」

「やめときなさいよ。わたしは家中、燃えてくみたいな気がしますよ」

 母さんは止めたけれど、父さんは外へ出て、鳴きつづけている鳥をよく見た。

骨を残らず拾って

絹のハンカチに包んで 杜松の木の下に置いた

キーウィット、キーウイット、ぼくはなんてかわいい鳥!

 こう言いながら、鳥は金の鎖をおっことし、うまい工合に父さんの首へすぽっとはまった。父さんは内へ入って言った。

「ごらん、何てかわいい鳥だろう。俺にこんな金の鎖をくれたよ。まったく見事なものだな」

 だけど、母さんは気がさわぐばかりで、部屋の中に倒れて、帽子が頭からおっこちた。

 そのとき、鳥がまた歌った。

母さんがぼくを殺した

「ああ、真綿を耳いっぱいつめたら、あんな声聞えなかったろうに!」と母さんはわめいた。

父さんがぼくを食べた

 これを聞くと、母さんは床をころがりまわった。

妹のマリーが

「あたしも外へ出て、鳥を見てみよう」

 マリーはそう言って外へ出て行った。

骨を残らず拾って

絹のハンカチに包んで

 こう言って、鳥はマリーに赤い靴を投げ落した。

杜松の木の下に置いた

キーウィット、キーウィット、ぼくはなんてかわいい鳥!

 これを聞くと、マリーはとても気が明るくなって、新しい赤い靴をはいて踊りまわった。

「本当に。さっきまではせつなかったけれど、今はとても幸せよ。あの素晴らしい鳥が、あたしにこの赤い靴をくれたのだもの」

 母さんは床から立ち上がって「熱い」とうなった。

「とても我慢ができない。あたしも気分が良くなるかどうか、外へ出てみよう」

 母さんが戸から出ると、ドッスーン!と、鳥が頭の上へ石臼を投げ落したもんだから、母さんは潰れて死んでしまった。

 その音を聞いて父さんとマリーが外へ出てみると、石臼のところからかすみと炎が立ち上がって、それが消えると、いなくなったかわいいお兄ちゃんが元の通りに立っていた。

 それで、三人はそろって家へ入り、テーブルに座って御飯を食べた。



参考文献
『完訳グリム童話集(全五巻)』 J.グリム+W.グリム著、金田鬼一 訳 岩波文庫 1979.

※杜松は松の木の葉を少し幅広くしたような感じの木で、実には様々な薬効があるとされている。常緑樹のため、西欧では生命の木の一つとみなされているらしい。この木の下に死体を埋めると、生き返る、という伝承があるそうだ。

 鳥になった男の子は、生命の木の化身である。桃太郎(二人兄弟)や瓜子姫オレンジの乙女)と同じように。面白いのは、最初の奥方が男の子を身ごもるまでのエピソードに、そのモチーフが重複して現れている点である。まず、雪に血を滴らせる。「白雪姫」や「三つの愛のオレンジ」でも見られるものだが、これは《血が植物の葉に滴って、そこに小さ子が生まれる》というアジアなどで見かけるモチーフの変形だろう。もうひとつは、その時皮をむいていたのがリンゴであること。リンゴはしばしば生命の果実に例えられる。そしてなにより、杜松の木の実を食べて懐胎することである。
 生命の木の化身たる小さ子は、再生復活の力を持っている。いや、再生するからこそ、男の子の生まれは《母が生命の木の実を食べて》でなければならないのだ。

 ところで、この話で奇異なのは、鳥が散々 告発の歌を歌っているのに、それを聞く人々は「すてきだ、いい声だ」と言うばかりで少しもその不気味な内容に気づかない点である。怯えるのは殺害者たる継母だけだ。
 また、最後に殺された男の子がよみがえるシーンが、あたかも継母の命を吸い取ったかのような描写であるのも気になる。「継子と鳥」系の話は不気味でありつつ もの悲しいものだが、この話には物悲しさは殆ど感じられない。ピントがズレた感じで、人々の行動が理解不能であり、色んな意味で不気味な話である。



アルスマン  ロシア

 父母とその実子の兄妹が暮らしていた。息子の名はアルスマンといった。

 母が病気になり、父に頼んだ。

「私、肉が食べたいわ」

「それじゃ買ってきてやろう」

「ダメよ、アルスマンの肉が食べたいの」

 父はアルスマンを殺し、母に食べさせた。

 やがて娘が帰ってきてお腹がすいたと訴えると、「棚にお前の分のスープがあるよ」と答える。飲むと小指が一本入っていた。

「これはお兄さんの指だわ」

 妹は指を布にくるむと教会に運び、教会に着くと、指は小鳥になり飛び立った。

 小鳥は布屋に行って訊いた。「歌ったら何くれる?」「絹のきれをやろう」

 小鳥は歌った。

ぼくは小鳥だ、鳥だ、鳥だ

ぼくはティリリリ・ティリリ! 

父さんがぼくを殺した

母さんがぼくを食べた

妹がぼくに優しくしてくれた

ぼくは小さな鳥だ!

 小鳥は絹布をもらい、次に針屋で針の小箱、靴屋で靴一足、留め針屋で留め針を一束もらって、家に戻り屋根にとまった。そして父を呼んだ。

「わしはお前に復讐されるかもしれん。恐ろしくて出られない」

「怖がらないで。そんなに怖いなら、ざるをかぶって、隙間から見るといいよ」

 父はざるで顔を隠したが、鳥は針を投げ、針が目に突き刺さった。同じように母も留め針で目を潰された。妹にはスカートを広げるように言って靴と絹布を落とした。

 これらのことを済ますと鳥は飛び去り、二度と戻らなかった。



参考文献
『世界の民話 コーカサス』 小沢俊夫編訳 株式会社ぎょうせい 1978.

※一見してグリムの「杜松の木」の類話だが、グリムのものよりすっきりしている。また、「杜松の木」では復活した男の子が、ここでは決して甦らない。

 珍しいのは、父母が共犯であり、殺害者が父で食べたのが母であること。継母が継子を憎むあまり「肝を食べたい」あるいは「殺した証拠に肝を取って来い」と言うのは世界的に継子譚に見られるモチーフ。しかし実際に食べるのは珍しい。普通は、継子本人ではなく、継子の可愛がっていた牛を殺して食べるからだ。→シンデレラの環[牛とシンデレラ]参照

 最後に、針を落として両親の目を潰してしまう点も興味深い。「震旦の周代の臣、伊尹が子 伯奇、死にて鳴鳥となりて継母に怨みを報ぜる語」でも、継母に殺されて鳥になった息子が、継母の両目をくりぬいている。《目が潰れる》のはしばしば《死》のイメージと入れ替えられるので、つまり、「杜松の木」のように継母を殺してしまう、というエピソードだったのが和らげられて《目を潰す》ことになったのだろう。

 また、見上げると針で目を刺されるというモチーフは、「日妹・月兄」のような太陽神話との関連を思わせる。

 「杜松の木」にも見られるように、骨は布に包まれ安置される。するとそこから獣の姿で死者が復活する。シンデレラ系の話「モーリン」にも同様の描写が見られる。日本の天皇が真床覆衾まとこおうふすまをまとって真の天皇となるように、布(皮)をまとってじっとすることは、新たな何かへの変化・神化を促すのだろう。



継子と鳥  日本 新潟県

 むかあしね、あったてんがな。

 むかし、女の子がふたりいたと。姉の方は先妻の子で妹の方は後妻の子だったと。ととは、銀山平ぎんざんだいら])の山奥で炭焼きしていて、祭りの日が近うなってくると家へ帰って来るがんだと。

 継母は姉を憎がって、父が出かけると苛めていたって。ある時、籠を持たして、「水、汲んでこい」て言いつけたと。姉は川へ行って、籠に水がいっぱい入ったので上げようとしると、ざあっとこぼれて、なんでも(なんにも)水汲まんねえ。「汲まんねえ、汲まんねえ」てて、川原かわばらで泣いてたと。そこへ旅の人が通りかかって、「こうやって汲め」て、籠の中に紙敷いてくれて、それで姉は水を汲んで来たてや。

 継母は、こんだ(今度は)、槌を姉に渡してね、「山へ行って、これで萩を刈ってこい」て言いつけたと。姉は山へ行ったども、槌でや、とても萩を刈ることはできないので、「刈らんねえ。刈らんねえ」てて、泣いていたと。そこへ通りかかった武士が、「[]、そんげのもんじゃ萩は刈らんねえ。俺が伐ってくれる」て言うて、刀で萩を伐ってくれて、それで姉は萩を持って帰ったてや。

 ほうしたら継母は、「湯を沸かせ」て言いつけたと。姉は大きな釜の中に籠で汲んだ水を入れて、持って来た萩で火を焚いて、お湯を沸かしたと。したら、継母は釜の上に萩を渡して、その上から巾着(財布)を吊るして、

「明日はお祭りだすけ、お金くれるから、巾着、取ってこい」て言うた。

「落ちるすけ、やだ、やだ」てのに、やれもか(無理矢理)「取ってこい、取ってこい」て言うたと。

 姉は、仕方ねすけ、釜の上の萩を渡ってったら、真ん中頃で萩が折れて、じゃぼん、とあっちゃい釜ん中へ落ちて、煮殺されてしもうたてや。

 ほうしたとこが、妹が「俺も、その巾着が欲しい」て言うて、止めるのも聞かずに釜の上を渡って、これもじゃぼんと落ちて、死んでしもうたと。

 継母は、姉ばっか殺そうとしたのに妹まで死んでしもうたので、「こら、まあ、おおごとだ」て思うていたと。ほして、前の坪処つぼどこ(庭辺り)へ穴掘って、そん中へ二人とも埋めておいたてや。

 祭りの前の日になって、ととが山から炭をむっつりて、帰って来たと。いつも喜んで出てくる子供たちが、全然姿見せねぇんだ。

かか、嬶。子供たち、何処どけ行った」

「ふん。明日は祭りなんだ、二人して遊び行ってる」

 そう言うども、昼めしどきンなっても、いっこと(いっこうに)帰ってこねがんだと。父は心配して、前の坪処んとこへ出てみたと。したら、綺麗きれえな鳥が一羽、ぷあぷあぷあ、と飛んで来たてや。

 鳥は、父の前の木の枝にとまってね、

 っつぁ 父っつぁ 銀山の山から来やァったか

 籠で水ァ汲まんね

 槌で萩ャァ刈らんね

 ピー ヤラ シャン

クリックでメロディを流します。《mamakoto_tori.mid》1.43KB 語り手の歌の楽譜採録より

 て鳴くんだと。

 変なこと言うて鳴く鳥だなぁ、と思うて、父はそっちの方へ行った。したら、また鳥が目の前へ飛んで来て、

 父っつぁ 父っつぁ 銀山の山から来やァったか

 籠で水ァ汲まんね

 槌で萩ャァ刈らんね

 ピー ヤラ シャン

て言うて鳴くがんだてや。

 父は「おや」て思うて、坪処の、土を盛り上げたようなとこを棒でつっついてみたと。ほうしたら、子供の足が出てきたと。まだもよく掘ってみたら、まるで炙り大根みたようになった、二人の子供の死骸が出てきたと。

 それで、父はとっても怒って、継母をはったき出してしもうたと。

 いきがポーンとさけた。



参考文献
『雪の夜に語りつぐ ある語りじさの昔話と人生』 笠原政雄語り 中村とも子編 福音館文庫 2004.

※穴空きの容器で水を汲む、切れない道具で柴を刈るというのは説話ではお馴染みの無理難題で、たとえば『グリム童話』の「水の魔女」にも見える。これは「いつまでも終わらない作業」を意味しており、本来は冥界の死者たちの様子…死人は永遠に変化しない…を暗示していた。

 継母は子供の支配者であって「終わらない作業」をさせ、煮え立つ鍋で煮ようとしている。これは継母のキャラクター原型が「冥界の女神、偉大な大母神」であることを暗示している。マレーシアの伝承では、冥界には煮立った大釜があり、この釜に架かったメンテグという橋を、死者の霊は渡らなければならない。つまり、子供が煮え立つ釜の上に渡された萩を渡る情景そのものが、冥界の光景を現していると思われる。(日本でも、地獄には地獄の大釜があると言う。)

赤いうぐいす  日本 東北地方

 昔、おりん子にこりん子という愛しげな娘があった。病の母が亡くなり、父はよそから優しげな女の人を連れてきた。だが、この新しい母は、夫のいない時を狙って子供たちを苛めるのだった。

 ある時父は町へ用足しに行くことになり、おりん子には白みの鏡、こりん子には赤い手箱をお土産に買ってくると言い置いて出かけた。

 父が出かけると、継母はさっそく継娘たちに大鍋に湯を沸かさせ、鍋に一本の萩の枝を渡して二人に渡れと命じた。娘たちは嫌がるが、結局渡らされて二人とも鍋に落ちて死んだ。継母はおりん子の死骸は流しの下、こりん子の死骸は便所の脇に埋めた。

 やがて父が帰り、娘たちがいないのを不審がるが、継母は何食わぬ顔をしている。すると春でもないのに真っ赤なうぐいすが二羽、飛んできた。うぐいすは庭先の梅の木にとまって、細い声で鳴きだした。

父さん恋しや ほうほけきょ
京の鏡はもういらぬ

父さん恋しや ほうほけきょ
京の手箱はもういらぬ

 鳴きながら一羽は流しの下へ、一羽は便所の脇へ飛んで行くので、これは怪しいと悟った父がそこを掘り返してみると変わり果てた娘たちの死骸が見つかった。

 怒りに狂った父は継母を裸にして転がし、髪を掴んで萱野を引きずりまわした。継母の血で萱の根は赤く染まった。なおも父は継母をまな板に載せ叩き潰し、飛び散った肉はのみに、砕けた骨はしらみになった。蚤や虱が人を食うのは悪い女からできたからだという。


参考文献
『日本の民話10 残酷の悲劇』 松谷みよ子/清水真弓/瀬川拓男/大島広志編・再話 角川書店 1973.

※おりん子、こりん子という名前は、「お月お星」系の継子譚、つまり継母の迫害を逃れて姉妹が家出し、後に幸せを掴むシンデレラ系の話にしばしば見られる名前である。漢字で書くと大輪子・小輪子となるらしく、私は勝手に、太陽と月または星に関わる名前だと思っている。

 面白いことに、継母の最期が死体化成神話系になっている。継母は瓜子姫がそうされたようにまな板に載せられており、「杜松の木」の子供がシチューにされて食べられたのを連想させる。いや、そもそも、まま子たちが煮立った鍋に落とされて煮殺されるという点が、《シチュー》と根を同じくしているに違いない。

 煮立った大鍋を渡らせ、それにより殺す話は、【蛇婿〜偽の花嫁型】にも現れている。ここでは殺されるのは最初に継子を殺した殺害者の方なのだが。

赤い鳥  日本 鹿児島県

 王様が継娘を嫁に選ぶ。継母は自分の実娘を嫁入りさせ、継娘は殺して松の木の下に埋める。継息子(殺された娘の弟)は馬の草刈りとして実娘の嫁入りにつける。

 弟は毎日松の木の下に草刈りに行っては泣く。すると天から赤い鳥が降りてきて、松の下で死んだ姉の姿になる。

「人の捨てた芭蕉の糸を拾い集めておきなさい。天国のお母さんと二人で、綺麗な着物(寝る時に布団としてかぶるもの)を作ってあげるから」

 弟が糸を集めて持っていくと、一週間後にまた来いと言う。

 一週間後、弟は作ってもらった着物をかぶって寝る。それを見た王様が「どこからこんなものを持って来た」と訊く。

 王様は弟から話を聞くと、ニセの妻を殺して肉を料理し、豚肉の料理を作ったと母を呼ぶ。母は腹いっぱい食べる。

 母が帰る時、王はニセの妻の首を投げつけ、「継子を粗末にした罰だ」と言う。母は「あーら、自分の子の肉食べたなぁ」と泣きながら頭を抱いて帰る。


参考文献
『日本の民話12 九州(二)』 有馬英子/遠藤庄治編 株式会社ぎょうせい 1979.

※「白鳥しらとりの姉」の類話。そちらでは殺された継娘は最後に復活するが、この話では復活は描かれていない。しかし、継娘の埋められたのが松の木の根元であるので、本来は《甦る》というイメージがあったものと思われる。常緑樹である松は、洋の東西を問わず、《永遠・不死・再生》のシンボルとされているからである。


参考--> 「白鳥の姉」【蛇婿〜偽の花嫁型



震旦の周代の臣、伊尹が子 伯奇、死にて鳴鳥となりて継母に怨みを報ぜること  日本 『今昔物語』巻九第二十

 今は昔、震旦(古代中国)の周の時代に伊尹という大臣があった。一人の息子を持っていた。伯奇という。容姿は端正である。その母が死んで後、伊尹は他に妻を娶って、その継母がまた一人の男子を産んだ。

 伯奇が子供の時、継母はこれを憎むこと限りがなかった。ある時、蛇を取って瓶に入れて伯奇に持たせて、継母の小さな子のところへやった。小さな子はこれを見て怖じ恐れて泣き惑い、声を高くして叫んだ。

 その時に継母が父の大臣に告げて、「伯奇は常に私の小さな子を殺そうとします。あなた、このことを知らないのですか。もしお疑いならば、すぐに行って正否を確かめてみてください」と言って、瓶の中の蛇を見せた。父はこれを見て言った。「我が子伯奇が幼いと言えども、人に悪事をなしたのを見たことがない。決してこのような間違いはするまい」と。

 その時に継母は「あなた、もしこのことを信じないなら、伯奇の所業をしっかりと見せましょう。私と伯奇とで裏の園に行って菜を摘みます。あなたは密かに来て遠くから見ていなさい」と言って、密かに蜂を取って袖の中に隠し持って、園に伯奇と共に行った。摘み菜をして遊ぶうち、継母は俄かに地に倒れて「私の懐に蜂がいて、私を刺すのよ」と言った。伯奇はこれを見て、継母の懐を探って、蜂を払って捨てた。

 父はこの様子を見て、遠かったので継母の声を聞かず、伯奇に裏切りの心があると信じた。

 継母は起き上がって家に帰って父に言った。「あなた、見ましたか」と。父は「確かに見た」と言って、伯奇を呼んで言った。

「お前は私の子だ。よって上は天に怒り、下は地に恥じる。どうしてお前は継母を犯そうとしたのだ」

 伯奇はこれを聞いて反論したが、父はまるで信じなかった。そのために伯奇は思った。「僕が過ちを犯していないと言ったところで、継母の陰謀によって、父さんは深く信じ込んでいる。こうなったら自害するしかない」と。

 人がこれを聞きつけて哀れに思って、伯奇を諭した。

「きみ、罪無くしていたずらに死んでしまうよりは、他の国に逃げて行って、そこに住むに越したことはないよ」

 こうして、伯奇はついに逃げ去った。一方、父はこのことを深く考えるにつけて継母の讒言だったのではないかと疑いはじめており、伯奇が逃げたと聞いて、驚き騒いで車に乗って走って伯奇を追った。

 河岸に至って、その船着き場にいた人に父は尋ねた。

「ここを子供が通らなかったか」

 その人は答えて言った。

「容姿の綺麗な子が、泣き悲しみながらこの河に入って、河の真ん中に沈みながら天を仰いで嘆いて言いましたよ。『僕は思いもよらない継母の讒言によって、家を離れて流浪している。行き着くところも知らない』って」

 父はこれを聞いて、心は騒ぎ胸は惑って、泣く泣く悔い悲しむことに限りはなかった。その時に、一羽の鳥が飛んで父の前に来た。父はこの鳥を見て言った。

「これは、もしや我が子伯奇が鳥と化したのか。そうならば、来て我が懐に入れ。私はお前を恋うて、悔やむ心を深くして追ってきたのだ」

 その時、鳥は飛んで父の手にとまって、その懐に入って袖から出た。父は言った。「我が子伯奇が鳥になったならば、我が車の上にとまって、私に付いて家に帰れ」と。鳥は車の上にとまった。なので、父は家に連れ帰った。

 家に入る時に継母が出てきて、この鳥が車の上にいるのを見て言った。

「この鳥は、邪悪な心を持つ怪鳥ですわ。どうしてすぐに射殺してしまわないのですか」

 父はまた継母の言葉に従って、弓を取って鳥を射ると、その矢は鳥の方へは行かないで継母の方へ行って、継母の胸に当たって死んだ。

 その時に鳥は飛んで継母の頭にとまって、両眼をついばみ穿ってから、高く飛んでいなくなった。

 してみると、死んで後に敵に報復する、いわゆる鳴鳥とは、すなわちこれのことである。雛のうちは継母に養われ、育つと帰還して継母を食い殺した。この敵対関係は世々に絶えないものだと語り伝えたという。



参考文献
『今昔物語集』 池上洵一編 岩波文庫 2001.

※中国の『孝子伝』から採られたもので、類話は『孔子家語』にもあるそうだ。

《継母の命じる通り鳥に矢を射かけたが、矢は継母に当たった》という、いわゆる《返し矢》または《ニムロッドの矢》と呼ばれるモチーフや、目上の女が若者を讒言で陥れるモチーフも現れている。

 非業の死者の魂が鳥となり、親しい者が「もし生まれ変わりなら袖に入れ」と言うと入る、というモチーフは、中国系の【蛇婿〜偽の花嫁型】やベトナムの「タムとカム」など、アジアのシンデレラ系の話にもしばしば現れている。鳥が敵の目玉を抉る結末はグリムの「灰かぶり」を思わせる。説話において盲目化と死は同義である。

 

 ところで、父親の伊尹とは、大洪水の時 桑の木から生まれたとされるあの伊尹なのだろうか?



プチュク・カルンパン  インドネシア ジャワ島

 百姓夫婦があり、夫はジュルクというオンドリを異常に可愛がっていた。出稼ぎに行くとき、夫は身重の妻に、生まれた子が男だったら大事に育てろ、だが女は何の役にも立たないから殺してジュルクにやってしまえと言い置いた。

 生まれたのは女の子だったので、母はプチュク・カルンパンと名付けたその子を産婆に預けて逃がし、ジュルクには後産で出た胎盤だけを与えた。

 やがて夫が戻ってくると、ジュルクはこう唄った。

ブラク ブラク、ククルユク!

赤ん坊の肉なんて、嘘っぱちだよ、

俺が食べたのは後産だけだよ、

へその緒だけだよ、

赤ん坊は夜明けに逃げちまった。

あの婆さんは遠慮を知らねぇ!

 夫は怒り、妻に逃がした子供を捜して連れてこいと命じた。それから毎日妻は娘を捜しにやられたが、娘を預けた産婆の家には行かずに、ただ さ迷い、泣き暮らしていた。その間、夫は何ダースものナイフを研ぎ澄ましていた。

 それから何年も経ち、プチュク・カルンパンは娘に成長していた。彼女は養母からもらった綿の種を蒔いた。その時、ついに夫に抗しきれなくなった母がやってきて、高い垣の向こうから声をかけた。

プチュク・カルンパン、プチュク・カルンパン! 早く戻っておいで!

お前のお父さんが帰ってきたよ!

父さんは首飾りを持って来てくれたよ。イヤリングも、腕輪も、金色の巻きスカートも、ピンも。

 プチュク・カルンパンは答えた。

「蒔いた綿がまだ双葉だから、先に帰っていて」

 それから毎日、母は娘を呼びに来た。その度にプチュク・カルンパンは答えた。蒔いた綿がまだ四つ葉、六つ葉、花が咲いたところ、実が生ったところ、弾けたところ、乾いたところ、摘んだところ、紡いでいるところ、織っているところだから、先に帰っていてね、と。実は、彼女はまだ見ぬ父の為に上衣サロンを織っていたのだ。母は泣き過ぎて目を潰してしまった。

 ついに上衣は出来上がり、プチュク・カルンパンはそれを持って、母に連れられてわくわくしながら家に帰った。父はナイフの梯子を作って待ち構えていた。プチュク・カルンパンは驚いたが、母に言われて梯子を登った。登るたびに体に刃が食い込み、血が流れた。

「お母さん、私の足のこの赤いものはなあに」

「金の足輪だよ、私の可愛い子。お前のお父さんが町から持って来てくれたんだよ」

「お母さん、私の膝のこの赤いものはなあに」

「金の膝バンドだよ、私の可愛い子。お前のお父さんが町から持って来てくれたんだよ」

「お母さん、私の腰のこの赤いものはなあに」

「金の巻きスカートだよ、私の可愛い子。お前のお父さんが町から持って来てくれたんだよ」

「お母さん、私の胸のこの赤いものはなあに」

「金のピンだよ、私の可愛い子。お前のお父さんが町から持って来てくれたんだよ」

 そして最後に、

「お母さん、私の首のこの赤いものはなあに」

「金の首飾りだよ、私の可愛い子。お前のお父さんが町から持って来てくれたんだよ」

 プチュク・カルンパンの首は落ち、梯子の下の自分の織った真っ白い上衣の上に転がった。その肉はジュルクがみんな食べた。

ブラク! ブラク! ククルユク!

あの柔らかい肉で、俺のお腹は満足したよ!

あの若い骨は赤くって髄もたっぷりあったぜ。

ブラク! ブラク! ククルユク!

 母は泣きながら娘の骨を集め、血まみれの上衣に包んで森の中に葬った。

 

 さてその頃、この辺りの領主は夜毎の夢に悩まされ、やつれていた。夢に白いヴェールを着けた美しい娘が現れ、真っ青な顔をして助けを求めている様子なのだ。しかし何者なのかも分からず、助けることもできない。領主は腹心の部下で常に行動を共にしている老賢者ママンダ・マンクブミに相談し、彼の提案で気晴らしに狩りに出た。鹿を追い、ママンダと二人きりで森の奥に踏み込み、そこでそんな場所に相応しからぬ立派な墓を見た。しかも墓は輝いているように見える。不思議に思った二人はその墓を掘り返し、血の染みの付いた上衣と、それにくるまれた小さな骨を見た。その時、木の枝にとまっている鳥の声がこんな風に聞こえた。

生き返れ! 生き返れ! 生き返れ!

夢の中の青ざめたお姫様!

心の素直なお姫様!

死ぬまで真心を持った純真なお姫様!

生き返れ! 生き返れ! 生き返れ!

 それを聞くと賢者は全てを悟り、骨を集め、魔法のうちわを取り出して唱えながら扇いだ。

私のうちわよ、魔法のうちわよ、

砕けた骨をつなげ、流された血を集めよ

なくなった肉を再び取り戻せ!

魂よ、飛び戻れ!

死者よ、甦れ!

 すると肉体が復元された。しかしまだ死んだ肉に過ぎなかった。賢者は更に唱えた。

私のうちわよ、魔法のうちわよ!

西のものは西へ帰れ、東のものは東へ帰れ、

そして中央へ集まれ、頭の頂点で合わされ!

心臓にくっつけ!

気持ちを強めろ!

足の裏へ行け!

血の中で働け!

無傷の体よ、再び健やかになれ!

生きていたものは甦れ!

目覚めよ! 目覚めよ!

私の魔法のうちわよ!

 肉体に血が通い、生気が宿った。そして娘は目を開け、起き上がった。目覚めた娘は目の前の見知らぬ男達に驚き、また裸のままだったので、自分の下に敷かれていた血の染みた上衣を着た。

 領主は甦ったプチュク・カルンパンから訳を聞いた。そしてこの娘こそ夢で自分に助けを求めていた者だと確信し、連れ帰って妃にした。

 プチュク・カルンパンは優しかった養母と実母を王宮に呼び寄せて共に暮らしたが、父は流刑となり、ジュルクは殺された。



参考文献
『世界の民話 インドネシア・ベトナム』 小澤俊夫編訳 株式会社ぎょうせい 1977.

※少し変わった形になっているが、子供が身内に迫害されて食べられ、鳥がそれを歌い、骨から死んだ子供が甦るという基本ラインは踏襲されている。ただ、最後に甦った娘の結婚の条があるのが珍しい。

 領主が森で娘の遺体を発見して同行者が呪術で復活させる…という展開は、実はグリムの草稿版の「白雪姫」と同じである。そのように考えてみると、「親に憎まれた娘が家を出て隠れ暮らす。親はそれを知って娘を訪ねて殺す。死んだ娘を王が発見して蘇らせ妻にする」という話の流れは共通している。

 

白雪姫」において魔法の鏡が王妃自身の心の声ともとれたように、オンドリのジュルクが父自身の分身・投影であるのは明らかだ。「杜松の木」では、継母が殺して料理した我が子の肉を、そうと知らず父が食べる。そしてこの話では父(の分身たるジュルク)が我が子の肉を意図的に食べている。「白雪姫」の王妃が娘の心臓と肝臓を塩茹でにして食べたつもりでいたように。

 しかし、何故父の分身がニワトリなのだろうか? 分からないが、説話に登場する太陽神が、多くの場合「子供をむしゃむしゃ食べている」人食いの巨人の姿で現されており、朝を告げるニワトリは太陽と関わる存在とされることが多いので、そこからきているのかもしれない。

 

 なお、プチュク・カルンパンが登らされる「ナイフの梯子」は、針の山や刃の橋と同系の、冥界を表すモチーフであると思われる。




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