ウル姫子  日本 岩手県

 昔あったそうな。ウル姫子という娘がいた。家の人たちが畑に野良仕事に出ると、いつも一人で機を織っていた。

キーカラリ、バタラヤ

キーカラリ、バタラヤ

 ある日のこと、山から山姥がのっそりのっそり下りてきて、窓からヌーと顔を出した。

「ウル姫子、ウル姫子、何しるバ」

「機っコ織ってるんす」

「ウル姫子、ウル姫子、おらに飯食わせれ」

 山姥はウル姫子の家のキシネ櫃に米が一杯入っていることも、木小屋には薪がいっぱい積まれていることも、大釜が釜場に据えられていることも、みんな知っているのだった。

「これウル姫子、飯さ炊いて握り飯をこしらえ、戸板にずらっと並べて おらに食わせれ」

 そう言うので、言われたとおりに握り飯をこしらえると、山姥は戸板の前に座って、藤蔓を束ねたような髪を解いた。すると、頭の上に大きな口が開いている。山姥は握り飯をポンポンその口の中に放り投げて、みな食べてから帰っていった。

 あくる日も、ウル姫子が機を織っていると やっぱり山姥はやって来て、窓からヌ−と顔を出す。

「ウル姫子、ウル姫子、何してるバ」

「機っコ織ってるんす」

「あの水屋上みじやかみすもも、おらに食わせれ」

 山姥は、水屋上の大きな李の木に、真っ赤な美しい李が枝の裂けるほど生っているのを ちゃんと知っているのだった。

「どうぞ なんぼでも食ってせ」

 ウル姫子が言うと、山姥はワサ、ワサ、ワサと木登りして一コも残さず食べてしまった。

 そのあくる日は、ウル姫子は機をていた。するとまた山姥がやって来て、窓からヌーと顔を出した。

「ウル姫子、ウル姫子、何してるバ」

おさ経糸たていと掛けてるんす」

「綺麗なへそ糸だな。おら、その糸喰いたくなったから、それみな こっちさ寄越せ」

 ウル姫子が白糸、黒糸、赤糸、青糸、おまけに鬱金の糸まで出してやると、山姥は頭の口をあんぐり開けて、みんな食べてしまった。そうして、

「ウル姫子、ウル姫子、明日の朝になったらこの窓の下さ来てみれ。そこに何かあんべから、大事にしとれぇ。あばえ」

と言って山に帰っていった。

 糸がみな無くなったので、「明日から なじょして機っコ織るべ」とウル姫子が泣いていると、夕飯に家の人たちが畑から戻ってきて、「ウル姫子、ウル姫子、なして泣くバ」と訊いた。

「糸っコ、みんな山姥に食われてしまって、もう機っコ織れない」

「糸っコ食われても、またんで、染めさえすりゃ出来るさかえ、何泣くことあんべ。早く晩飯食って、寝るべや」

 こうしてその晩は過ぎて、あくる朝、ウル姫子が窓の下を見てみると、むしろの上に山のように糞がたれてある。

「あやや、こただ汚いもの、雪隠せっちんサでも投げべ」

とみんなは言ったが、ウル姫子は、

「そんでも山姥が大事にしとれと言ったから、雪隠さ投げたら悪かんべ。洗ってとっておくべ」

と言って、みんなに手伝ってもらって後ろの川に持っていって、川にドサッと入れると、糞が溶けて、中から五色の蜀江の錦がほぐれ出し、川瀬の流れに たなびいて、一の橋、二の橋、三の橋まで届いてゆらゆら揺れたから、それはもう美しかった。

 それからというもの、この家は錦の長者と呼ばれるようになったそうな。

 それきて とっぴんぱらりんぷん。



参考文献
いまは昔むかしは今3 鳥獣戯語』 網野善彦/大西廣/佐竹昭広編 福音館書店 1993.

※この話では、姫が瓜から生まれたというくだりが欠けている。



参考--> 「月の顔」[牛とシンデレラ〜母親的な牝牛]「山姥と石餅



瓜姫女房  山形県 東田川郡黒川村

 昔むかし、黒川村の孫在家まございけというところに、孫三郎という一人の百姓があった。ある時、川端に出ていると、川上から瓜が流れてきたので、これを拾って神棚に上げ、後で食べようと楽しみにしていたところ、不意に赤ん坊の泣き声が聞こえてくる。驚いて神棚を見ると、可愛らしい女の児が生まれていた。その子を大事に大事に、息を吹きかけるようにして育てたところが、たちまち大きくなって美しいお姫様になった。

 このお姫様があまりに美しいので、孫三郎は彼女の傍から離れがたく、毎日その姿を眺めているばかりで日が終わる。これではよくないと、姫は自分の姿を絵に描いて、それをどこへでも持って行って働くようにさせた。そんなわけで、孫三郎は姫の絵を畑の傍に引っ掛けておいて、それを見ながら畑仕事していたのだが、ある日、不意に大風が吹いて空高くこれを巻き上げ、どこへ行ったのか見えなくなってしまった。

 絵は風に乗って飛んで、お城の殿様の庭の高い松の木の枝に引っ掛かっていた。殿様が「あれは何か」と取ってこさせて見たところが、世にも稀なる美人の姿絵である。このような美しい上臈がどこにいるのであろうと、家来に探し回らせたところ、それは孫在家の賤しい百姓の女房だと判った。そうと知ると、殿様はすぐに彼女をお城に呼び寄せて、無理に奥方にしてしまった。

 孫三郎の方は、無くしてしまった絵を散々探し回って、手を空しくして帰ってくれば、本物のお姫様も もういない。お城に連れ去られたと聞いて、どうにかして一目でもいいから会いたいと思って毎日お城の門まで行くが、門番が叱り飛ばして入れてくれなかった。そこで色々と思案して、姫が大好きであった栗を売りに行ってみようと思い、栗売りに姿を変え、

 梳代山たらのぎやまの柴栗、柴栗

 と大きな声でふれながら、お城の周りを三度巡ってみた。

 一方お姫様の方では、無理に連れて来られて奥方になったが、まだ一度も笑い顔を見せたことが無かった。それがこの日、お城の窓の下を、大声で栗を売って歩く男の姿を見て、初めてたった一度、にっこりと笑った。殿様はそれを見て大急ぎで栗売りを呼び入れさせ、こんなことを言った。

「男、その栗はみんな買ってやるが、その代わりにこちらの言うことを聞くか」

 何かと思えば、殿様は自分の美しい着物を脱いで、孫三郎の汚い着物と取り替えさせた。そして柴栗の袋を背に負い、門を出てお城の窓の下を何度も何度も「栗、栗」とふれて歩いた。そうしてもう一度 姫の笑顔を見たいと思っているうちに、日が暮れて城の門は閉ざされ、偽の栗売りは帰ろうと思っても門番が入れてくれない。偽の殿様の孫三郎は、出ようと思っても門が硬く閉ざされていたために、とうとう殿様となって御殿の中に泊まってしまった。

 しかし、いつまでもここには居たくない。翌日には、孫三郎は姫を伴って、色々の宝物を持って黒川の村へ帰ってきた。黒川明神の御宝物の能の面をはじめとし、金の茶釜や金銀細工の道具類は、いずれもこの折にお城から持ち出したものである。孫三郎はそれから明神の社家となり、また能楽の座頭となって、子孫は明治の初めまで続いていたという。



参考文献
『桃太郎の誕生』 柳田國男 角川文庫 1951.

※いわゆる【絵姿女房】系の話なのだが、女房の出自が瓜姫である。

 サエない若者のところに、ある日突然、不思議な美少女が転がり込んできて、何故か惚れてくれて そのまま恋人になってしまう。けれど魅力的な彼女を狙って、金持ちの色男がちょっかいをかけてきて……

 という展開は、現代でも漫画や小説で非常にポピュラーな話である。今も昔も、人はこの手のネタが大好きらしい。萌え。



孟姜女モンジャンニュイの話  中国 漢族

 ずっと昔、ジャンという家があった。ヒョウタンを植えたところが、つるが一本、隣のモン長者の所まで伸びていって、大きな実をならせた。あんまり大きいので、孟長者の家の者が割ってみると、なんとまあ、中に女の子が座っている。そこでこの子は孟姜女モンジャンニュイと呼ばれることになった。

 孟姜女は背が伸びるにつれて綺麗になり、まるで天女が舞い降りてきたよう。一目見たら忘れられない美しさだったが、孟長者は孟姜女を屋敷の奥庭にある女部屋に住まわせて、表門はおろか中門さえ潜らせない。おかげで、その美しさを知る者は誰もいなかった。

 そんなある日のこと、孟姜女が奥庭で侍女と遊んでいると、綺麗な蝶が飛んできた。捕まえようと、孟姜女は絹のハンカチで蝶を打ったが、蝶は逃げてしまい、ハンカチは池に落ちた。孟姜女はがっかりして岩に腰かけ、侍女にハンカチを取ってと頼んだが、嫌だと言うので、仕方なく、袖をまくりあげて白い腕を出し、自分で拾い上げようとした。

 と、侍女が「あいやー!」と大声を立てた。庭の築山の陰に見知らぬ男がいて、お嬢さんに見とれているのを見つけたのだ。孟姜女も頭をもたげ、りりしい顔立ちの若者を見ると頬を染めた。

 若者は飛び出してきて、地面に頭をこすり付けて謝った。

「お嬢様、なにとぞお許しを」

 侍女が図に乗って騒ぎ立てた。

「この不届き者、どこから入り込んだ」

「わたくしは范 喜良ファン・シーリャンと申します。役人が、私を人夫に狩り出そうとしたので、こちらに逃げ込んだのでございます」

 この頃、秦の始皇帝が万里の長城を築いていた。それはとてつもない大工事だったから、死ぬ者も数知れず、お上は毎日、長城行きの人夫狩りをやっていた。人夫に狩り出されたら最後、もう家には戻れっこなかったから、誰も進んで人夫になろうという者などいない。この日、とうとう喜良シーリャンの所へ人夫狩りの役人がやって来て、逃げに逃げて、孟長者の屋敷の奥庭に隠れたのだった。

 侍女がまた怒鳴った。

「ここがお嬢様の奥庭と知ってのことか」

「滅相も無い。存じませんでした」

 侍女がこの若者を責め立てるのが、孟姜女は面白くなかった。彼にすっかり一目ぼれしてしまっていたからだ。顔立ちも立派なら、人柄もよさそうである。「そんな失礼なことを言うのはおやめ」と侍女を叱りつけると、「お父様のところへお連れして、どこかに匿っていただきましょう」と言った。

 こうして、孟姜女は侍女と一緒に、喜良を父親の書斎へ連れて行った。孟長者も喜良を一目見るなり気に入って、まずは学問を試してみようと問いただせば、スラスラと淀みなく答える。喜んだ長者は早速婿にすることに決めて、その日のうちに式を挙げてしまったのだった。

 ところが、式の最中に人夫狩りの役人が踏み込んできて、たちまち喜良を引き立てていった。婿を人夫に取られた孟一家は泣き悲しむばかり。孟姜女といえば、夫が帰ってくるまでいつまでも待ち続けます、決して諦めませんと誓いを立てた。来る日も来る日も、孟姜女は女部屋に閉じこもって、茶も飲まず飯を食べるのも忘れたまま、秦の始皇帝を恨み、万里の長城の工事を恨み、夫を狩り出した役人を恨み、長城に、そしてあの世に共に行けない我が身を恨み続けた。

 季節は進み、瞬く間に十月一日が来た。この日は、冬服に衣替えする慣わしである。孟姜女は、夫がひとえを着たままだったのを思い出し、冬服を届けに行こうと決心した。両親がいくら止めてもだめ、侍女も手の施しようがない。とうとう長者も折れて、下男をつけて、長城まで行かせることにした。

 孟姜女は紅も白粉もつけず、髪もきりりと巻き上げ、普段着をまとうという質素な身ごしらえをした。夫のための綿入れを背負うと、ひざまずいて、きっぱりと言った。

「お父様、お母様、夫を見つけるまでは帰ってまいりませぬ」

 孟姜女は下男を連れて家を後にすると、幾つもの野を越え村を越え、わき目もふらずに旅を続けて、長城の関所に差し掛かった。

 関所の役人は孟姜女の美しさに目がくらみ、嫁になれと迫る。しかし孟姜女はしっかり者。役人を散々にやり込めたので、役人も「もうよい、行け」と関所を通した。

 しかしこの役人、抜け目なく これを出世の手づるにしようと、上役に「孟姜女という美女が通ります」と報せておいた。きっと上役は大喜びで孟姜女を妻にし、自分を取り立ててくれるに違いないと考えたのだ。ところが上役も同じ考えで、そのまた上役に孟姜女のことを報せ、とうとう始皇帝の耳に届いてしまった。

 さて、孟姜女の方は関所を越えて険しい山道に差し掛かっていた。一人しか通れない細い道の両側は、深い谷川になっている。この時、思いもよらぬことが起こった。下男が悪心を起こし、孟姜女に俺の嫁になれと迫ったのだ。

 けれども、孟姜女は落ち着いたものだった。ニコニコ笑ってこう言った。

「あなたと結婚してもいいわ。でも、仲人がいないとダメよ」

「ええっ、こんなところで仲人が見つかるものか」

 孟姜女は微笑んで、崖に咲いている小さな赤い花を指差して言った。

「あの赤い花を仲人にするのよ。お前があの花を取ってきてくれたら、結婚するわ」

 下男はすっかりその気になって、花を取ろうと崖を降り始めた。そこを、孟姜女はトンと一突き。下男は谷川へと落ちていった。

 孟姜女は一人きりになった。夫の喜良が生きているのか死んでいるのかも知るすべがなく、長城の傍に座り込んで、三日三晩ただ泣き明かした。すると、その涙に応えるように長城が崩れて、喜良の骸が現れた。

 そんな折、役人たちがやって来て孟姜女を捕らえ、始皇帝の前へ連れて行った。孟姜女の噂を聞くとすぐに、始皇帝はその女を妃にするぞ、連れて来い、と命令を下していたのだ。

 始皇帝を見るなり、孟姜女は深い恨みと怒りに燃えた。孟姜女を見るなり、始皇帝は喜び、のぼせ上がって、彼女を傍に引き寄せると言った。

「孟姜女、そちを妃にしたい」

「よろしゅうございます。三つの願いを叶えてくださるのであれば」

「妃になってくれるのなら、三つどころか三十でも三百でもよい。さ、早くその願いを言ってみよ」

「一つは、三ヶ月の間、夫の喪につかせていただくこと」

「よしよし。して、二つ目は」

「二つ目は、夫のために立派な葬儀をしていただきたい、ということ」

「よーしよし。立派な棺おけを作り、天子なみに百二十八人の人夫に担がせ、七・七の四十九日の間 お経をあげてつかわそう。して、三つ目を早く申せ」

「三つ目は、皇帝様が麻の喪服を着けて、夫の名を書いた旗を持ち、葬式行列の前に立たれること。お役人も一人残らず喪服を着ていただきます」

 これには始皇帝も困った。旗持は死者の息子の役と決まっているから、これでは始皇帝が范喜良の息子ということになってしまう。しかし、どのみち三つの願いさえ叶えたら、孟姜女を妃にできるのだ。息子になったって構わんじゃないか。そう考え直して、二つ返事で承知してしまった。

 葬式の日になると、始皇帝は麻の喪服に旗を持って范喜良の喪主役をつとめ、孟姜女も喪服に身を包んで霊柩車に乗り込んだ。文武百官もみな喪服を着て葬列に従い、ジャンボン、ジャンボンと楽器を鳴らしながら范家の墓地目指して進んだ。やがて大きな川に差し掛かると、不意をついて孟姜女は車から降り、川の中に身を投げた。

 孟姜女を失った始皇帝は、気がふれたようになってしまった。一日中「孟姜女、孟姜女」と呟いて、やたらと人殺しを好むようになり、大臣にこんなことを訊くのだ。

「城門の前の石馬は、草を食うか。どうだ」

「石の馬は草を食べませぬ」

「馬が何で草を食わぬのじゃ。この者を引きずり出し、首を斬ってしまえ!」

 毎日一人ずつ打ち首になるので、大臣たちはみな震え上がった。

 一人、心の優しい大臣がいたのだが、この大臣にも斬られる番が回ってきた。いよいよ斬られるという前の日、大臣は屋敷に帰って悲しんでいた。そこに一人の道士がやって来て、大臣の屋敷の門口で木魚を叩き鳴らしてお布施を求めた。使用人が出てきて、「わしらの旦那様は、心の優しいお方。いつもなら、米なり小麦粉なり、必ず差し上げるのだが、今日はあいにくのこと、心配事があってお布施どころではないのです」と言うと、道士は「米や小麦粉をいただきにきたのではごさらぬ。ご主人を救いに参ったのじゃ」と言う。使用人は早速 大臣に知らせて、道士を奥に案内した。

 大臣に会うと、道士は袖の中から一本の鞭を探り出して言った。

「この鞭は山狩り鞭と申すもの。明日、始皇帝にお目通りなされる時、この鞭を袖の中に隠しておいて、始皇帝のお尋ねには『石の馬は草を食べます』と答えなされ。食べさせてみろと仰せられたら、この鞭を振るのじゃ。すると、石の馬は草を食べる。それからこう申されるのですぞ。『この鞭は山さえ動かす不思議な鞭。孟姜女を探し出すことができます』と」

 言い終わったとたん、道士の姿は消えてしまった。道士の正体は太白金星だったのだ。

 あくる朝、大臣は袖の中に山狩り鞭を忍ばせて始皇帝の前に出た。始皇帝が例によって訊ねた。

「石の馬は草を食うか、どうだ」

 間髪いれずに大臣は答えた。

「食べます!」

 周りの文武百官はビックリ仰天、始皇帝もかえって正気を取り戻して「石の馬が草など食べるものか」と言い出す。大臣はすかさず「お疑いでしたら、試してみましょう」と言った。

 すぐさま、みなは御殿の表門の前に集まり、馬丁が草を持ってきて石の馬の前に置いた。大臣の胸はドキドキと波打ったが、ままよ、どうせ殺されるのだと、袖の中から鞭を取り出して、振るいながら大声で叫んだ。

「石の馬よ、草を食べーい!」

 なんと、石の馬は本当に草を食べ始めた。みなは見事見事と手を叩く。これはまたどうしたことかと訊ねる始皇帝に、大臣はサッと山狩り鞭を差し出して、道士の言ったことを残らず申し上げた。

 山狩り鞭を手に入れて有頂天になった始皇帝は、朝廷のことなどほっぽりだして、早速 孟姜女を探しに出かけた。毎日、西へ東へ駆けずり回り、小さな山を動かしては川を埋め、大きな山を動かしては海を埋めて歩く。

 これに慌てたのは龍王だった。龍宮はグラグラ揺れ通し。巡回夜叉を遣わして様子を探らせると、秦の始皇帝が山狩り鞭で孟姜女を探しているのだと言う。このままでは、いつ龍宮の上に大山が落ちてくるか分からない。けれども、どうすればいいだろう。孟姜女は死んでしまって、亡骸も行方知れず。探し出せるはずがないのだ。

 と、龍女が進み出て、「お父様、私が何とかしますわ」と言う。

「何かいい考えがあるのかね」

「私が孟姜女に化けて、始皇帝のところへ行けば、もう海を埋めはしないでしょう」

 龍王は嫌だったが、もはやどうしようもない。しぶしぶ娘の申し出を許した。

 始皇帝の方は、せっせと海を埋め続けていたが、ふと近くの海の上に女の死体が浮かんでいるのを見つけた。早速 引き揚げてみると、まさしく孟姜女である。胸に手を当ててみると、まだ温かみがある。喜んだ始皇帝は手当てをして生き返らせ、御殿に連れ帰って妃にした。

 一年経つと、妃は男の子を産んだ。彼女は始皇帝に自分の正体を明かし、龍宮に帰らねばならぬ身だと打ち明けた。そしてある晩、山狩り鞭を盗み、子供を抱いて御殿から逃げ出した。子供は奥深い山の中に置いて、一人で海へ帰っていった。

 残された子供は、一頭の雌虎に乳を与えられ、育てられていた。一年も経つと、雌虎は子供をくわえて人の通る道へ運んでいった。この近くにシャンという老夫婦が住んでいて、子供がなく、豆腐を作っては売って暮らしを立てていた。朝早く豆腐を売りに出かけた爺さんは、雌虎の置いていった子供を見つけて大喜び。豆腐もほったらかして、抱いて家に連れて帰った。

 この子は大事に育てられ、体格のいい、山も引っこ抜くほどの力持ちの若者になった。項爺さんは、この子に項羽シャン・ユイという名をつけた。つまり、後の楚の覇王である。

 楚の覇王は、文字通り龍が産み虎が育てた英雄で、やがて秦を滅ぼして、孟姜女と范喜良の仇をとったのだった。



参考文献
『中国の民話〈上、下〉』 村松一弥編 毎日新聞社 1972.

※原題は、「孟姜女的故事」。孟姜女とは、姜家から来た孟家の嫁、という意味である。

 彼女が生まれる瓜は川を流れ下っては来ないが、代わりに、二件の家にまたがった、いわば「境界」に実っている。川もあの世とこの世を隔て繋げる《境界》なので、その意味では変わらない。

 孟姜女の話は漢族のポピュラーな物語で、様々なバリエーションがあるという。なお、冒頭の孟姜女と范喜良の出会いを、庭園で水浴びする孟姜女を喜良が覗き見て結ばれる、という、【白鳥乙女】系のモチーフで語るものもあるそうで、ここに挙げた例話でも、孟姜女が池に落ちたハンカチを取ろうと袖をめくる姿を見られた、となっているのは その名残であろうと思われる。

 いずれにせよ、瓜から生まれたか天から舞い降りたか龍宮からやって来たか、そういう女神的な存在と、彼女に選ばれた男性が結ばれるという、神婚のモチーフであろう。

 その後の展開は大きく崩れてしまっているが、本来は【絵姿女房】や[竜宮女房]のように、権力者が無理難題で美しい人妻を奪おうとするのを、知恵や神力で退ける、というものだったのではないだろうか。

 その他、山で獣に育てられたり、老夫婦に拾われて育てられる怪力の青年は、【桃太郎】系の英雄のモチーフである。

 また、下男に意に沿わぬ結婚を迫られた孟姜女が、「あの花を取ってきて」と危険な場所に行かせ、崖から落として殺すモチーフは、日本の民話では【猿婿入り】で知られている。



参考--> 「桃の子太郎と魔法師の娘



ム・ジュク  ベトナム 寧順ニントゥアン寧福ニンフック福有フックフー有徳フードック村 チャム族

 昔、芽荘ニャチャンのランガリ山の辺りに老夫婦が住んでいた。人徳に優れていたが子供が無く、瓜を作っては暮らしを立てていた。

 ある年、瓜が大変な豊作になったが、七月十五日の月夜、畑が荒らされた。盗まれたのだ。こんなことが三日続き、四日目の晩、老夫婦は畑を見張ることにした。

 おぼろな月のかかった夜だった。天空から、一人の天女が舞い降りてきた。十六歳ばかりの少女で、大変に美しい。少女は瓜を取り、戯れにそれを投げ上げたりして無邪気に遊び始めた。

 ああ、これは、子供の無い私たちへの天からの授かりものに違いない。

 老夫婦はそう思い、少女に駆け寄って抱きしめると、私たちの娘になっておくれ、と言った。娘は承知し、老夫婦はこの娘を「黒いお婆さんム・ジュク」と名付けて可愛がった。三人は仲良く幸せに暮らした。

 そんなある日のこと、ム・ジュクがいつものように家の裏の川で水浴びしていたところ、大きな木が流れてきた。それは沈香で、三尋もの大きさがあった。ム・ジュクは泳ぎの練習をしようと思い、その木につかまった。ところが大波が起こり、彼女はそのまま流されてしまったのである。

 

 さて、その頃、天下には大旱魃が起こり、人々が苦しんでいた。王朝も揺らぎ、王は寺を建てて天に救いを求めた。そんな時、一人の道士がこんな予言をした。

「海岸に、一本の沈香が流れ着いています。それを引き揚げれば世は救われるでしょう」

 海岸に使いをやると、果たして沈香が流れ着いていた。けれども、誰一人としてこれを引き揚げることが出来ない。誰が触っても、まるで根が生えたようにそこから動かないのだった。

 不思議な沈香の噂は、やがて王子の耳にも届いた。王子は好奇心を抱いて見に行き、これに触れたところ、何故かひどく軽い。誰も動かせなかった香木を軽々と肩に担いで王宮に持ち去ると、たちまち大雨が降って大地を潤した。

 旱魃が去り、人々は生き返ったようになって喜んだが、反対に王子の方は元気が無くなり、抜け殻のようになって、持ち帰った沈香ばかり見ていた。すると、木の中から笛のような音が聞こえてくる。それは哀しげな音色で、王子を ますます物狂おしい気分にさせるのだった。

 そんな、ある月夜のこと。王子は、沈香の中から一人の美しい天女が現れたのを見た。彼女を捕らえ、激情のままに結婚を迫ったが、彼女はこう言って諭した。

「私と結婚したいのなら、あなたのご両親にお話をして許しをいただき、正式な手続きを踏んでください。あなたはまだ王になっておられない、王子の身なのですから。正式なお許しがいただけるまでは、この沈香から出てあなたにお逢いすることはございません」

 その思慮と慎みの深さに王子は感心し、ますます彼女を愛しく思った。そこで父母に報告したが、父王は、「そのような妖怪と、どうして息子を結婚させられるだろうか」と反対した。父の許しは得られず、娘に逢うことも出来ないで、とうとう王子は床に伏した。

 すると、以前 沈香の漂着を予言した道士が王に言った。

「ご心配には及びません。沈香の娘は天の子であり、王子と結ばれることは前世から約束されていたのです」

 ム・ジュクが天の子であることを知って、王は喜んだ。王の許しを得ると、王子は飛んでいって沈香に向かって呼びかけた。けれどもム・ジュクは、

「結婚の許可をいただいたのでしたら、どうして王様からの正式な使いが参らないのでしょうか」

 と言って、やはり姿を現さない。そこで迎えの使者が立てられると、ム・ジュクはようやく沈香の中から現れ出でたが、その美しさときたらたとえようも無かった。結婚の宴は百日もの間 続いた。

 

 六年が過ぎると、二人の間には優れた二人の息子も授かった。

 ところが、夫は軍を出しては侵略を行うようになり、残虐な略奪行為を繰り返しては人々を苦しめていた。ム・ジュクは「そんなことは止めて下さい」と何度も諌めたが、全く聞く耳を持たなかった。とうとうム・ジュクは夫に愛想を尽かし、再び沈香の中に入ると、夫も子供も捨てて、風に運ばれて故郷の芽荘ニャチャンに帰った。彼女は、クワで地を耕すこと、布を織ることなどを人々に教え、自らポー・イン・ヌガルと名乗って、この地の女王となった。

 この話を伝え聞くと、夫は激怒した。彼は二人の息子と共に、軍船で芽荘ニャチャン湾にやって来た。そのことを知ると、ム・ジュクは神に祈った。たちまち嵐が起こって船は転覆し、夫と三人の息子は海に沈んで、三つの石に変わった。



参考文献
『ヴェトナム少数民族の神話 チャム族の口承文芸』 チャンヴェトキーン編、本多守訳 明石書店 2000.

※ポー・イン・ヌガルは女神の名前である。

  一般的な【瓜子姫】のように瓜から生まれたとは語られないが、【瓜子姫】にも、爺が瓜畑で女の子を発見して養女にしたと語る話群があり、イメージの繋がりを感じさせる。それに、ム・ジュクは瓜に入って川を流れては来ないが、沈香に入って川を流れていく。

 これは全体的には『ミルテの木の娘』系の話だが、娘が《妬む女》に殺害され再生するくだりが無い。

 神の娘が人間と結婚し、その後に傲慢な夫に愛想をつかして逃亡、それを夫が船で追うが、逢えない……という展開は、日本の『古事記』にある阿加流比売のエピソードを思わせる。

 

 女神ム・ジュクは夜毎に瓜畑を荒らす。

 神の化身が夜毎に畑や果樹を荒らし、それをきっかけにして神と人の結婚が行われる……というモチーフは、コーサカス、中国、東南アジアなどの神話に見られる。例えば、コーサカスのゼラゼと双子の兄弟の物語では、白鳩の姿で飛来する神の娘によって、黄金のりんごの実が夜毎に食い荒らされるし、インドネシアの「猪の国を訪ねた男」では畑が夜毎に祖霊の化身たる猪に荒らされる。若者は夜番をしてこの獣を傷つけ、異界へ旅し、神の娘と結婚する。中国の彝族や納西族の創世神話でも、原初の人々の畑を天神の使者たる猪が荒らし、いくら開墾しても翌朝には元の状態に戻されてしまう。この猪を助けた兄妹だけが洪水を生き延びる方法を教えられ、洪水後の人間の祖となった。

 このモチーフは、獣に開墾地を荒らされるという単純な生活経験と、獣や自然に神性を見る精霊・祖霊信仰から導き出されたものなのであろう。獣の皮をかぶって冥界からやってくる神。彼らが畑や果樹園を荒らすのは、その土地が本来彼らの土地であり、そこから得られる作物や果実もまた、本来は彼らのものであったからである。まず、それを知ること。すなわち、恵みを与えてくれる神(自然)を畏敬する。また、人間が彼らと婚姻を結んで恵みの所有権を得たということ。それを語ろうとしているように感じる。

 

 以下、類話を紹介する。

天依阿那の伝説  ベトナム

 昔、大安ダイアン山の近くに子の無い老夫婦があり、瓜を作って暮らしていた。

 瓜の収穫期に、一夜で一つの畑全ての瓜が盗まれるという事件が起こった。その夜、爺が畑を見張っていると、一人の少女が現れて瓜を取り、投げ上げたりして遊び始めた。捕まえて話を聞くと、この辺りを放浪する孤児だという。老夫婦はこの娘を養女にしたが、実は彼女が天依阿那の化身であることを薄々感じていた。

 日々が過ぎ、大安山一帯が洪水に見舞われて河が氾濫した。天依阿那は天宮を思い出し、山に行って果物をつんで石を並べ、箱庭を作って遊んだ。それから家に帰ると、「どこへ行っていたんだ、親に心配を掛けるんじゃない」と叱られたので、魔法で沈香の木切れの中に入ると、河の流れに身を任せた。

 沈香は北の海岸に流れ着いた。人々はこれを運ぼうとしたが動かない。噂を聞きつけてやってきた、その地の太子だけが簡単に動かせた。太子は木切れを宮殿に持ち帰り、大切に安置した。

 その夜、太子は寝付かれず、本でも読もうかと書斎に向かった。途中、中庭をよぎると、見たことも無い娘が遊んでいる。彼女は太子に気付くと、サッと姿を隠してしまった。太子は不思議に思い、その娘がどこから現れたのか確かめようと、寝ずの番をすることにした。そうして何日か過ぎた後、沈香の中から現れた娘を捕まえた。太子は、この娘、天依阿那を妻にした。

 

 それから数年が過ぎ、二人の間にはチーという男の子とクイーという女の子が生まれていた。天依阿那は故郷の瓜畑を懐かしみ、残してきた両親が心配になった。彼女は宮殿を捨て、二人の子供と共に象牙状になった沈香に入り、水を流れて大安山に帰った。しかし、そこはひどく静かだった。両親は既に死んでいた。天依阿那はそこに二人の廟を建て、クラオ山の頂に沈香の木切れで彫った自分の像を立てると、子供たちと共に消え去った。この地の人々は、その像を女神の廟に入れた。

 北海の太子は妻子を失って悲嘆した。軍を率いて探し回ったが見つからなかったので、人々が嘘をついていると思い込み、クファン湾に軍を上げて殺戮と略奪を行わせた。すると風が吹いて大波が起き、太子の艦隊は転覆して一隻残らず沈み、全てが死んだ。

 人々は天依阿那を崇めた。人は言う、彼女は時に白象に乗って山頂をさまよい、時に白い絹布をまとって空を飛ぶ。時にサメに乗ってクラオ山とホンイェン山を往復するが、その際には雷鳴のようなざわめきと眩い光輪を伴う。

 人々は塔を建て、天依阿那、太子、二人の子供、老夫婦を崇めている。

慶和カインチュア芽荘ニャチャン城甫 ポー・ヌガル廟境内にある石碑より)


参考文献
『ヴェトナム少数民族の神話 チャム族の口承文芸』 チャンヴェトキーン編、本多守訳 明石書店 2000.



参考--> 「柘枝伝説」「二つの種族



 

隠元豆の娘  アルバニア

 昔、昔のこと。王様の息子が、犬を連れて狩りに行きました。犬はみんな隠元豆の畑に走って行くと、そこで吠えに吠えました。王様の息子がそこに行って探すと、なにやら生き物を見つけました。それを拾い、家に持って帰りました。この生き物には魔法が掛かっていましたが、日増しに育って、大きくなって、一人前の娘になったのです。

 この娘は機織りをしましたが、彼女が織ると、金の鈴が鳴るのでした。

 王様の息子は、この娘を嫁にしようと思いました。けれども、王様は言いました。

「これは まともに生まれた子じゃない。隠元豆のところでお前が見つけた子だ。お前はもっとマシな者を嫁にするがいい」

 王様の息子は、行って、別の花嫁を見つけてきました。

 この花嫁は、隠元豆の娘にケンカを売りました。隠元豆の娘はケンカを買って出ました。花嫁のために、あえて素晴らしい衣装を縫って贈ってやったのです。

 隠元豆の娘が衣装を縫っていたとき、指ぬきが下に落ちました。隠元豆の娘は言いました。

「あなたたち、出てきて、指ぬきを拾ってちょうだい!」

 すると、彼女の両目が出てきて指ぬきを拾い、おまけに、縫っていた衣装は金になりました。

 召使いが、仕上がった金の衣装を花嫁の家へ持って行き、事の次第を報告しました。

「隠元豆の娘は生地を一つ取って縫って、これこの通りです」

 それを聞くと、花嫁も、一から十まで同じようにして衣装を縫いだしました。けれど、指ぬきは落ちませんでしたので、わざと下に転がしてやりました。そうしておいてから言ったのです。

「あなたたち、出てきて、指ぬきを拾ってちょうだい!」

 けれども、目は一向に出てきません。花嫁は自分で両目を抉り出してしまい、盲目になりました。

 それでも、花嫁は隠元豆の娘にケンカを売りました。それで、隠元豆の娘は鍋に油を入れて火にかけると、煮え立った中に両手を差し込みました。そうして引き出したときには、その手には金の手袋がありました。それから、それを花嫁に届けました。

 花嫁は今度も同じことをやりました。煮えたぎる油の中に両手を突っ込んで、引き出したところ、皮が剥けているどころか、肉もありませんでした。

 その後、王様の息子は花嫁を追い出して、もう見向きもしませんでした。

 王様は、それでも、別の花嫁を見つけなければいかん、と言って聞きませんでした。王様の息子は出かけて行って、別の花嫁を見つけてきました。

 この人も隠元豆の娘にケンカを売って、隠元豆の娘は受けて立ちました。隠元豆の娘は屋根に上がり、持って行った三つの石を一つまた一つと転がしてから自分も下に落ちると、石は三個の金のりんごになりました。それを花嫁に届けさせました。

 花嫁は、自分も同じことをやってやると言いました。隠元豆の娘がやったとおり、そっくりそのまま真似をしましたが、石ごと下に落ちて身体が不自由になりました。

 王様の息子は、帰って両親に言いました。

「これ以上 四の五の言わないでください。うちには私の花嫁がいるのですから」

 王様の息子は、身体が不自由になった花嫁を追い出して、隠元豆の娘と結婚しました。



参考文献
『世界の民話 アルバニア・クロアチア』 小沢俊夫/飯豊道男編訳 株式会社ぎょうせい 1978.

※「太陽の娘」系の話だが、この話では隠元豆の娘が太陽の娘だとは語られず、「畑に降臨した(植物から生まれた)」という要素の方が強い。
 蔓性作物の畑での誕生、異常な成長、機織りと、【瓜子姫】を思わせる要素が多い。

 

 ところで、隠元豆の娘、怖くないか? 私は怖い。最初畑で(赤ん坊や娘ではなく)「生き物」を見つけたってのがそもそも怖いし。目が出るわ煮立った油に手を突っ込むと金の薄皮がつくわ(テンプラの衣か?)。エイリアンというか、怪奇的な感じがする。こんなんでいいのか、王様の息子。反対する父王の気持ちがわかるかも…。



参考--> 「瓜姫物語」「太陽の娘」「親指姫




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