# 24 栄光の大地脚本:面出明美/コンテ:佐藤真人/演出:鳥羽 聡/作画監督:中島里恵 最終決戦前の休息をオリジナルエピソードまで入れて見せてくれた、《萌え》という甘いクリームがたっぷり盛られた贅沢な回でした。 絵は可愛かったです。ルークの目が丸くて、童顔でした。
以下は重箱の隅ツッコミです。読みたい方だけどうぞ。 アバンは《前回のハイライト》。かなり長く尺を取って、モース戦とラルゴ戦の顛末を見せ、二人のヒロインの強さを紹介。 が。ラスボスたるヴァンの復活は扱いませんでした。ぷぷぷ。
Aパートは、プラネットストームの護りを失ったエルドラントに向けて、中央大海上から砲撃している艦隊の様子から。攻撃が当たるようにはなりましたが、反撃もされています。 第20話の艦隊はマルクト軍のみだったと思うけど、今回はキムラスカ軍も混じった連合艦隊なのかな。 ……いや。この次のシーンでゼーゼマンが「キムラスカ・マルクト連合軍はエルドラントに向け出撃準備に入った」と言ってますから、この時点では相変わらずマルクト軍のみなんですね。
原作では、艦隊のエルドラント攻撃は実現していません。アルビオールのエルドラント突入を助けるため、連合艦隊が援護射撃を行う作戦でしたが、作戦開始直前に、エルドラントの方からアルビオールに体当たりを仕掛けてきてイスパニア半島に落下したからです。 ……こういう風に書くと、エルドラント体当たりは、ホント間抜けだなぁ。(^_^;) ヴァン師匠、なんであんなことしたんだろ。浮いたままだった方が絶対有利だったと思うよ。
場面はグランコクマ宮殿の謁見の間に移ります。 ルークたちに向かい、プラネットストーム停止の労をねぎらうピオニー皇帝。何故か玉座に座らず、流れ落ちる水鏡の滝の方を見て、ルークたちに背を向けていました。 ルークたちに対面しているのはゼーゼマン参謀総長とノルドハイム将軍。原作ではマルクト軍本部の作戦会議室でのシーンでしたが、謁見の間に移動させて、ピオニーの出番を作ったみたいです。 原作どおり、ちゃんとルークが中心になって受け答えしています。うんうん。よかった。またジェイドに取られるんじゃないかと思ってました。
ルークが仲間たちに、本当にエルドラントへ行っていいのか意思を問うエピソードはカット。ノエルが危険なエルドラント突入の覚悟を決め、操縦士としての自負を見せるエピソードは、Bパートの作戦前日の会議に移動しています。
出撃準備が完了するまでしばらく時間がかかるので、その間にやるべきことを済ませなさいとゼーゼマン参謀総長に言われ、場はおひらきに。
その後、ピオニーの私室に行きます。 フローリアンとミュウがプウサギと遊んでいました。愛らしいですね。 相変わらず、アニメピオニーの私室はあんまり散らかってる感じに見えません。つーか、むしろ殆ど物が置いてない殺風景な部屋に見える。(^_^;)
ピオニーがプウサギを「可愛い方のジェイド」と呼んで可愛がり、ジェイドが憮然として、それを見たルークたちが唖然としてから吹き出すという、ほのぼのテンプレエピソードあり。 笑うルークが口元に握った手を当てていて、なんだか女の子みたいな笑い方でした。可愛いけど(笑)。貴族だから笑い方も上品、なのかな? 皇帝の前ですし。ちなみにナタリアは手のひらを口元に当てて。ガイは顔をやや背けて噛み殺す感じで笑ってました。みんな上品だ。(^−^)
ピオニーに注視されていることに気付いて、フローリアンは不安そうにアニスの陰に隠れる。けれどピオニーが立ち上がって名前を問うと、気後れなんてどこかへポイ。自分もサッと立って、元気いっぱいに名乗るのでした。ホントに小さい子供みたい。それに、自分個人の名前があって名乗れることが、とても嬉しいんでしょうね。 フローリアンという名がアニスの付けたもので、古代イスパニア語で《無垢な者》の意味だと説明。原作では名前の意味を説明したのはジェイドでしたが、アニメ版ではガイ。 フローリアンをどうするとピオニーに問われたアニスは、ダアトに連れて行って自分の両親に世話をしてもらうつもりだと説明。なにしろ導師イオンのレプリカなのだから、ダアトに預けるのがいいだろうとジェイドも太鼓判です。
場面は切り替わり、ルークたちはフローリアンを連れてグランコクマの水道橋を歩いています。――と。ルークに頭痛発生。ナタリアが、橋の向こうから歩いてくるアッシュに気付きます。 ここでの会話、前半は概ね原作どおりでしたが、後半はばっさりカット・簡略化されていました。カットされた部分は次回のエルドラントでのルークとアッシュの決闘場面に合成されています。 結果として、アッシュが崩れないようになっていて、綺麗でした。 原作のアッシュは、ここで大きく崩れます。それまで影のある助っ人、ルークを叱咤するカッコいいダークヒーローに見えていた彼が、「俺とお前は違う」というルークの反論を受けて、ガタッと立ち位置を崩され、今までになく支離滅裂に荒れる。 お前が俺の偽物じゃないと言うなら証明してみせろ、出来なければ認めないと喚き、ナタリアに「言ってることがめちゃくちゃですわ」とたしなめられると「うるせぇっ!」と怒鳴りつけてしまう。今まで大事に庇って常にカッコいい顔を見せてきた、最愛の彼女に対して。 これまでアッシュに説教される側だったルークが、ここでは「ナタリアに八つ当たりするな」と意見することになります。しかしその言葉を遮って、アッシュはとうとう、ルークたちの前では隠し続けてきた思い――弟子としてのヴァンへの執着心、自分自身の弱さをも暴露してしまうのでした。 ルークがヴァンを未だに「
けれども、アニメのアッシュはそこまで崩れません。次回、ルークとの決闘時に、ヴァンの弟子でありたいと今も思っていることを言いはしますが、そこにはナタリアがおりませんので、彼女に八つ当たりで怒鳴ってしまうエピソードは消滅。ルークで例えるなら、「俺は悪くヌェー」とみっともなく言うシーンが消えてるみたいな感じ。ちょっと物足りヌェー。 (アニメ版) みんなと会えたから、自分は自分だと思えるようになった、か……。実際その通りだと思いますが(どんな思索も、他者との関わりの中で生まれるものだから)、微妙に釈然としないのは、誰かに与えられた愛により救われた、みたいな外側のことだけ言って、ルークの内側を、相も変わらず見せないからですね。 仲間たちと出会って、楽しいことも嫌なことも色々あって、みんな大事だ、一緒にいて楽しいと思えるようになった。それは間違いなくルークを支える大切な宝。独りじゃ無理で、仲間がいてこそ変革を貫けたのは真理だと思います。でも、それとルーク自身の存在の悩みは、また少し違うと思う。 周囲の仲間たちが優しいとか好きだとか、ルークはルークだと認めてくれたとか。だからルークは自分は自分だと思うの? もしも仲間が認めてくれなかったら、自分は自分だと思えないの? それはヴァンや なんて、少し捻くれたことを考えちゃいました。 大切な人がいたから頑張れた。大切な人のために生きる、死ぬ。それは真理で普遍的で、誰もが望む共感し易い《答え》なんだけど。ルークが自分の価値を得たのは少し次元が違っていて、あくまで自分自身の内面の問題、じゃないかと。
原作ルークは、自分が変われたのはみんなに会えたからだとは言わず、ただ「おまえが認めようと認めまいと関係ない。俺はおまえの付属品でも代替え品でもない」とアッシュに言っていました。 無論、仲間がどうでもいいとか、誰の意見も聞かないとかいう意味じゃなくて。 周囲がどう言ったとか何をしてくれたかってことじゃなく。自分がどう思っているか。どう思えるようになったか。自分自身の価値観を持つ。原作ルークがこだわっているのは《そこ》で、だからティアやガイに何度「お前はお前」と言われても迷い続けてた。 みんなと会えたから自分の価値を見つけられたんじゃなくて、迷い続けてた俺をみんなが支えてくれた、みたいな言い方の方がピンと来る感じでした。 大切な人を見つけたから、愛することを知ったから悩みが解決、という系統の話じゃないと思うのです。愛は大事。でもそれはそれとして、あくまで自分を確立しようともがいた、それが《レプリカルークの物語》かと。
原作ルークとアニメルークは、大筋は同じでも、何かが違う感じがする、のです。アニメ短髪ルークは凄い《いい子ちゃん》と言うか、要所で、原作とは違う、テンプレ主人公の価値観で動いてる感じが。 例えばアブソーブゲート決戦時には、「俺はこれ以上、人が悲しむのは見たくない。守りたいんだ!」というオリジナル台詞を言ってましたが、言うことが既製品的と言いますか、模範的だなぁと思います。 いや。アニメはアニメ。原作は原作。違うんだから当たり前ですね。 と言うか、今までの商業二次の中では、アニメ版は格段に原作に忠実に、真摯な姿勢で描いてくださっているのは確かです。なので逆に、本気で原作と比較してしまうのでした。(^_^;) 比較しがいがあるもんで…。我ながらウザいです。 (原作・メインシナリオ)
さて。場面は飛んでダアト。 アニスはフローリアンを両親に引き会わせる。なんだかんだ言って、無償の愛情を与えてくれる点において、アニスの両親ほど心強い里親はいない気がします。
まだ対面の途中だったのに、一人で黙って部屋を出ていくティア。失礼だよ。ルークだけがそれに気付きます。 ティアは、亡きイオンを思い出して辛くなったみたいです。一人で礼拝堂へ行くと、心の中でイオンの望んだ平和な世界を作ることを誓い、なんとビックリ、七番目の旋律まで全て揃った大譜歌を詠ってました。
ユリアの譜歌は七つの旋律から成り、六つ目の旋律までは意味と象徴を正しく理解した場合にのみ譜術として発動する。けれど七つの旋律全てを連ねた大譜歌は、ただ詠うだけでローレライとの契約として発動し、ローレライの召喚を可能とすると言われる。これが原作設定ですが、アニメ版ではとうとう、この説明が成されることはありませんでした。 また、原作ティアは七つ目の旋律を忘却しており、ヴァンとの最終決戦時になって、幼い頃子守唄代わりに兄から聞かされていたことを思い出すのですが、アニメティアは最初から忘れることなく大譜歌が詠えるみたいです。
大譜歌を詠うティアの様子を覗き見するルークとミュウ。ミュウは美しい歌声にウットリしています。
詠い続けるティアは、十一年ほど前、幼かった頃に聞いた兄の言葉を思い浮かべます。原作でヴァンを倒した時のティアの台詞「私、思い出したの。兄さんが泣いてばかりいた私に詠ってくれた、この歌を。兄さんは譜歌の意味を知っていて、最初から私に全て伝えてくれていた」を膨らませたと思われる、アニメオリジナルのエピソードです。 #ユリアシティのセレニアの中庭で、花の中に座り込んで泣いている五歳頃のティア。 十六、七歳のヴァン兄さんはやっぱりイケメン。このたった一、二年後には、アリエッタを発見した時の、今と変わらぬ老け顔になるのかと思うと涙を禁じ得ません。どんな苦労をしたのかしら。(T_T) それはそうと、アニメ版でもヴァン(ティア役以外の声優さん)は譜歌を詠いませんね。シナリオ的には詠ってるはずのシーンなのに。多分、譜歌の使用契約上の問題なんだろうなぁ。
ティアは兄に教えられたユリアの譜歌をイオン様のために、と思いながら詠います。その体は金色に輝いて光の粒が立ち昇っています。詠い終わると光が広がり、『ありがとう……』というイオンの声が聞こえたのでした。 原作の、イオンの慰霊祭イベントの簡略版、ですね。原作では慰霊祭に参加した多くの人がイオンの声を聞きますが、アニメ版ではティアと、覗いていたルークとミュウだけ。アニスがちょっと可哀想?
原作では、このイベントをクリアすると、イオンの力添え(?)でティアの 元々、ユリアの大譜歌はローレライを活性化させるという設定でした。ルークはローレライの完全同位体ですから活性化した、ということなのかな。
イオンの声を聞いたルークは思わず驚きの声を上げ、ティアに気付かれる。そこで、彼女に話しかけながら礼拝堂の中に歩いて入ってくる。……のですが、ティアの方も応えながらルークの方へ歩いて行って、合流したら「さ。みんなの所に戻りましょうか」と、さっさと出口へ。ルーク、歩き損でしたね(笑)。
ティアに従って元来た道を歩き始めたルークでしたが、突然左手を押さえてしゃがみ、苦しみ始めます。驚いて駆け戻ったティアの前で、ルークの左手が金色に光って透き通る。ハッとして、ルークは気まり悪げに身を縮めますが。 ティア「隠さなくていいわ」 原作では障気中和後すぐに入っていたエピソードを元に、会話は殆どオリジナルになっています。ティアが原作よりも感情的で女っぽい。恋愛要素が強化されてる感じですね。ミュウが同席してるけど。
原作ティアは、ミュウからルークの でもアニメティアは、障気中和後からここまで、ルークの音素乖離に気付いていることを一切表に出さなかったですよね。どうしてでしょうか。今回の偶然がなければ、ガイみたいに最後まで黙ってたのかな?
一方、どこかの荒野に停まっているアルビオール3号機の機室にて。独り座席に座るアッシュは、片手で胸を押さえて激しい痛みに耐えている様子。けれどもう一方の手はローレライの剣を握り、離していない。 「……間に合うか……」 痛みをこらえながら、険しい目を上げて声を吐き出したところで、Aパート終了です。
Bパートはバチカル城からスタート。 インゴベルト王の私室に、ナタリアが入ってくる。「お父様!」と言うなり駆け寄って、父に抱きつきます。
場面はファブレ邸の玄関ホールに移動。 戸口に立ったまま、気まずげに俯いて中に入ろうとしないルークに、ガイが少し呆れたように呼びかけています。 ガイ「ルーク。何やってんだ」 唐突に入った、この《出撃前に家族に挨拶》エピソード。多分ナタリアとルークはおまけで、シナリオライターさんが本当に語りたかったのは、ガイが宝刀に「父上」と呼びかける場面なのだと思います。つくづく、TVA版『アビス』影の主人公はガイでしたね。 そんで、アニメのルークは最後までうじうじ要素が強調されていたなぁと。実際、ルークは人の愛を求めるのに臆病な、繊細ともヘタレとも言える気質を持つので、ここに至ってさえ両親に会うのに気後れしたって、おかしくはないのでしょうが。でもこれだと、前回冒頭、ファブレ公爵に「父親として誇りに思う」と言われたエピソードが殺されてしまう、よーな。 どーせなら第21話で両親に優しく見送られても目を合わせられなかったエピソードと対比させて、ルークが(自分はもう帰れないと知っているから少し辛そうに、でも)ちゃんと目を合わせて出発の挨拶するとこなんかが見たかったなぁ。それを見届けてから、ガイが剣を見上げて内心で父親に語りかけるとかでもよかった気がする。
それはそうと、ガイが「旦那様も奥様も、お前の顔を見るだけで安心するんだからさ」と言ったのが気になりました。原作では、ガイがファブレ公爵を「旦那様」と呼んだのは、使用人時代のみ。正体が暴露されてからは《公爵》と呼んでいましたから。 ガイにとって公爵は、家族を殺した張本人。復讐は水に流したとはいえそれは変わりなく。それに爵位はやや下とはいえ今は同じ貴族同士。「公爵」呼びで礼儀にも反してない。もう使用人ではなく雌伏する必要もないのに、無為にへりくだって「旦那様」なんて呼ばせなくていいのにと思いました。 なんとなく、『マ王』漫画版のインゴベルト説得直後、ガイがルークに「羨ましいなら おまえも公爵様に甘えてこい!」と言うオリジナルエピソードを思い出したり。
次に、画面は出撃準備を続けるマルクト、キムラスカ両軍の様子を映します。ジェイドは故郷に帰ったりせず、マルクト軍の作戦会議に参加していたみたいです。そりゃそうか。 そして画面はどこかの建物の一室に集合しているルークたちを映す。 ……ここ、どこなんでしょ? 原作とは全然外観が違いますが、キムラスカのタペストリーが部屋の壁にかかってるので、ケセドニアのキムラスカ領事館なのかなぁ? キムラスカのゴールドバーグ将軍も、マルクトのノルドハイム将軍もちゃんと同席しています。
作戦の内容を周知するジェイド。作戦の成功はあなたの操縦の腕にかかっていると言われ、けれどしっかりと請け負うノエルは勇ましい。原作ではルークに向かって請け負っていましたが、アニメ版ではジェイドに向けて。
作戦の確認が終わると、ジェイドは言います。 「では各自、明日まで自由行動とします」 ま、また休憩かい! Σ(・□・;) 実際は合間にもっと色んなことがあった筈ですが、圧縮された物語で見ると、ついさっきゼーゼマンに「やるべきことをやっておきなさい」と言われて、ダアトへ行ったりバチカルへ行ったり、今までになく贅沢に余暇を楽しんだばかりだというのに、ちょっと作戦会議しただけでまた休暇になった感じで、こんなに休んじゃっていいのかしらとオロオロしました(笑)。
ちょこっと残念だったのは、自由時間を言い渡された直後のエピソードはアニメ化されなかったこと。 アニスは気を回してガイとナタリアを誘って消え、ジェイドも黙って消え、残されたルークとティアは互いを誘いたいんだけど誘えなくて、当たり障りのないこと喋りながらもじもじしてる。(二人揃って恋愛ヘタレ。)それを見ていたノエルが気を回して、二人(とミュウ)をアルビオールでのロマンチックなドライブに連れ出してくれる、という奴。アニメで、可愛く細やかな表情の変化付きで見たかったかも。
それ以降は、原作のエルドラント決戦前夜を忠実に再現していました。それでも違いは色々とありましたので、それを記録しておきます。
ナタリアとガイ まず、ナタリアの立っている場所が、石積みの波止場ではなく、木製の桟橋の先になっています。 そして、ガイの台詞を中心に、アッシュ評が大幅に削除されていました。 (アニメ版) アニメ版では、ガイがアッシュを憎んでいる様子を完全カットしてきたんですが、何故か今になって、ナタリアの台詞によって、二人の間にわだかまりがあったことを明示しています。 んー。つまり、脚本的には原作どおりガイはアッシュを憎んでいたんだけれど、第9話の絵コンテか演出家さんが変更しちゃってたってことなのかなぁ?
なお、ガイの台詞のニュアンスが原作から変えてあります。 原作では《アッシュが過去を清算したならば》と条件を付けつつも《アッシュと一から関係を築き直す》と概ね断言しているのに、アニメ版では条件無しながら《アッシュと一から関係を築き直してもいいと思っている》と、やや婉曲・消極的な表現になっています。アニメのガイは、まだアッシュに対して微妙なわだかまりがある?
そして、原作ガイはアッシュの心情を「レプリカを憎むことで保っていた存在意義を見失った」「(決闘を申し込んだのは)もう違う存在なんだと認識するため」と具体的に語っていますが、アニメ版ではカットでした。 (原作) 原作ナタリアは、ガイの「傷つけ合うためじゃない」「もう違う存在なんだと認識するため(ルークとアッシュは決闘する)」という台詞を受けて「そうなった時どうすればいいのかしら……」と言います。二人が別個の存在だと完全証明されることに不安を感じている訳です。 ガイとナタリアは七年間、ルークがレプリカだと知らずに接してきました。ガイはルーク(変化したルーク)寄り、ナタリアはアッシュ(過去のままのルーク)寄りではありますが、やはり心のどこかで、《ルーク》二人を完全には切り離し難く思ってしまう複雑さを抱えていたのだと思います。七年分の《思い出》があるから。 でも、ガイは二人を完全に別個の存在として扱い、仇の息子として憎んでいた過去も捨てると言う。けれどナタリアはまだ、迷いを捨てきれない。アニメ版では結局カットされた最終決戦直前の決意表明にて、《アッシュとルークが二人で王の仕事を補佐してくれたらいいと夢見ていた。でもルークには私が縛れない自由な未来があったのだ》と打ち明けていました。頭では違うと分かっていても、心のどこかで、ルークをアッシュの一部のようにみなしていたからだと思います。
対してアニメ版では、ナタリアはガイの《今度アッシュとルークが会えば、互いの存在の決着をつけるだろう》という意味の台詞を受けて「わたくしはどうすればよいのでしょう。二人とも大切なのに……」と言っています。大切な二人が喧嘩して傷つけ合うのが辛い、という程度の意味になってる感じですね。 この辺りの原作ナタリアの心情は複雑で、「アッシュに一途じゃないなんて!」みたいに叩く視聴者が出易いかと思うので、こういう博愛的な形に変えるのが正解と言うか、無難なんだよなぁと思いました。ナタリアがルークに揺れるのは、七年間ルークをアッシュだと思い込んでた気持ちや思い出が残ってるからで、結局はアッシュ一筋ということなんですけど…。
ジェイドとアニス 殆ど原作のままです。ジェイドの呑んでいるのが、恐らくウイスキーのオンザロックだと判るのと、台詞に微修正が加わっているのと、アニスの演技がちょこちょこ違う程度。 例えば、ジェイドが戦いが終わったらフォミクリー研究を再開してレプリカの存在を昇華したいと言うのを聞いて「是非それやって下さい。イオン様も喜ぶと思う」と言う時、原作アニスは目を伏せてややしんみりした感じですが、アニメアニスは両手を握り合わせて嬉しそうに笑って言います。また、ジェイドに「アニスは教団を立て直すんですね」と言われた後、原作アニスはわざとらしく顔の汗を拭う仕草をして照れ臭そうに笑いますが、アニメアニスは握り合わせていた両手を驚いたように離しただけでした。 あと、アニスが初代女性導師を目指すと言うと、ジェイドが「頑張ってくださいね」と可笑しそうに、けれど優しく(!)笑うシーンが追加。最後のアニスの台詞「ぶーぶー。けちー」がカット。ぶすっとして頬杖をつく動作で代えられていました。
ちょっと気になったこと。 アニスが、ティアに気を利かせてルークと二人きりにしてやったと話すと、原作でもアニメでも、ジェイドは「へぇ……。酷なような気もしますが……」と呟きます。 原作ジェイドは、ティアがルークの 微妙にニュアンスが違う感じ?
ノエルとミュウ ルークのもとへ行こうとするミュウを、ノエルが捕まえて行かせない。「……やっぱりご主人様が心配ですの」が「ボクもご主人様のところへ行くですのぉ!」に変えられていたくらいで原作そのままなのですが、ノエルとミュウの表情がギャグっぽい胡乱顔に描かれていたので、かなり印象が違いました(笑)。 ノエルに捕まえられたミュウの「みゅううぅぅぅ……」という声、原作だとか細くて悲しそうな感じなのに、アニメ版ではギャグ調の表情に合った、実に不満そうな唸り声になってた(大笑)。
ルークとティア ルークとティアの会話運びは、非常に原作に忠実でした。ルークが照れ隠しに鼻をこする仕草まで再現! 差異は、最後のルークの台詞「『今』が一番幸せなんじゃないって……思えればいいのに」が「『今』が一番なんかじゃないって……これから先で、もっと幸せだって思えたら……」に変更されていたこと。最後に映る夜空に流れ落ちる星が描かれていないこと。(Web配信だとそう見えたけど、鮮明な画質で見たら違うのかな?) そして何より、月にエルドラントが重なっていない点でした。OPではちゃんと《月に重なって浮かぶエルドラント》が描かれてるのに…。描くの忘れたのだろーか。
贅沢を言えば、折角アニメなので、ティアへの気持ち盛り上がって告白するぞっと思って、でも明日には自分は死ぬと思い出してやめた時のルークの表情を、もう少しだけニュアンス豊かにしてほしかった気がしたんですが、繰り返して見てたら、このくらいシンプルな方がいいのかなとも思いました。 ルークが告白する直前のティアや背景の海を、ルークビジョンでキラキラにしてほしかった気もしました(笑)。「夜の海は凄く綺麗で、ティアもそんな感じで、だから俺は俺の本当の気持ちを言おうかなって思ったけど」と日記に書いてたくらいですもんねぇ(ニヤニヤ)。俺はもう消えるから告白はやめたけど、俺が死んだあと、この日記を読まれたら気持ちが分かっちゃうかななんて書いてましたもんねぇ。(ニヤニヤニヤ………しょぼん)
さて。いよいよ突入作戦当日に移ります。 仲間たちが、もうルークがリーダーみたいなものだと言って作戦開始の号令をかけさせるエピソードはカットでした。残念です。
原作では、アルビオールは連合艦隊より早く作戦地点に到達、作戦開始時間までエルドラント下の海面で待機していたところ、唐突にエルドラントが落下してきて押し潰されそうになったので、海面から緊急発進して回避したのですが、アニメ版では展開が変えられていました。 作戦が開始され艦隊がエルドラントを砲撃。アルビオールは上空からエルドラントに接近して突入を計る。するとエルドラントが体当たりを仕掛けてきたので、そのまま空中で回避、でした。 アニメ版ではアルビオールの艇内でティアがずっとミュウを抱いていました。ティア、かわいいもの独占中。
ちなみに、エルドラントは推進装置か何かで空を飛んでるわけではなく、複製したパッセージリングの生成したセフィロトツリーの上に浮いていただけです。(エルドラントは外殻大地のホドのあった位置に存在。)原作によれば、
原作は、イスパニア半島に墜落したエルドラントからの対空砲火を避けているうちに、ジェイドが砲火のない部分を発見、そちら側からエルドラント前の海岸に着陸したところ、砲台に突っ込んで半壊しているアルビオール3号機を発見します。 対してアニメ版では、ルークたちの目の前を3号機が飛んで行って砲台に突っ込み粉塵があがる。その後エルドラントはゆっくりと着水し、ジェイドの指示で、アルビオール2号機は3号機が砲台を破壊したところに突入しました。解り易くてイイです。
砲撃を続けるエルドラントの上にヴァンが立ち、カッと目を上げて 「来たか」 と呟いたところで、今回は終了でした。
次回はいよいよエルドラント内部へ。残り二話で最終回です。
今回の総論。
これを書いている時点で、Web配信も最終回を迎えています。 最終回まで観て思いましたが。 どちらかでも触れるだろうと思っていたので、とても驚きました。 だって、これらを語っておかないと、最終回のラストシーンでジェイドが悲しそうな顔をする意味に繋がらないじゃないですか〜! 折角の感動ラインを放棄しちゃって、あまりに勿体なさ過ぎだと思うのですが。
今回は、《物語》をケーキに例えるなら一番外側の甘くて柔らかいクリームに相当するだろう《萌え》が中心の回でした。私はガイが好きなので、彼が宝刀に語りかけるオリジナルエピソードは本当にモエモエで、嬉しかったです。 でも。最終回まで観てから振り返ると、ナタリアが父王に会う〜ガイの宝刀エピソードの尺を空けて、ジェイドがルークと話すエピソードを消化した方が良かったんじゃないかなぁと思いました。 ジェイドが、ルークと違って自分は人の死を実感できないと告白してから、自分は研究で失敗したことがない、でも今回は
ガイが宝刀に語りかけるエピソードは、DVD/BD特典ドラマCDなんかでやっても問題なかった気がします。 終盤は、もう少しジェイド( いや。ガイ好きな私は、そうなったらなったで、ガイの出番がないと不平を漏らしてたんでしょうけども〜。(^_^;) モエを選ぶかスジを選ぶか?
ではまた次回。 |