# 25 存在を賭けて脚本:面出明美/コンテ:こだま兼嗣/演出:佐藤照雄/作画監督:杉本幸子、前澤弘美 最終回一話前。多くの人が待っていたのだろう、ルークとアッシュの一騎打ちが描かれた回です。
原作では、 全員でリグレット戦→ルークがはぐれてアッシュと一騎打ち→全員でシンク戦 と連続して中ボスキャラとの決戦が行われますが、それを ルークがはぐれてアッシュと一騎打ち。 という形にまとめ直してありました。
原作の流れを追ってはいますが、全体にオリジナルの味付けになっています。別段問題なく、当たり前にアニメ化されている感じなんですが、二箇所だけ大〜いに不満に感じた点がありました。 きっと、他の方は殆ど誰も不満に感じない点なのでしょう。ただ、私自身のキャラ解釈が合致しなかった…ってことなんだと思います。
以下は重箱の隅ツッコミです。割としょーもないツッコミばかりしています。それでも大丈夫な方だけどうぞ。 アバンは、エルドラントの砲台に突入して中破したアルビオール3号機の操縦席から。操縦席に座ったまま気を失っていたギンジが呻きつつ目を開けると、アッシュが覗き込んでいます。ギンジが正気づいたのを確認すると、「ご苦労だった。お前は脱出しろ」と言い残して素早く出て行ってしまう。 次いで、ルークたちの乗るアルビオール2号機が着陸してきます。すぐに機室のドアが開き、ルーク、ガイ、ティアと続いて仲間たちがデッキに駆け出して、入口の脇に停止している3号機を視認している様子。
…で。この先の展開と言うかカメラワークが、少し変でした。 ルークたちが3号機の様子を見てましたから、すぐにアッシュやギンジの無事を確認しに行くのかと思うじゃないですか。ところが次のカットになると、ルークたちは何事もなかったかのようにゆっくりエルドラントの入口へ向かっていて、その横方向から怪我をしたギンジがよろめき出てくる。ノエルが気付いて、驚いて駆け寄ることになっていました。 えええ? シーンが繋がってない感じです。
これは、原作とは状況を変えていたのに、ギンジを見つけるところだけ原作寄りにしてしまったために生じた齟齬かと思います。 原作ルークたちは、エルドラント入口前に降りた時まで、3号機がそこに突入していたことを知りませんでした。ですからエルドラント入口へまっすぐ向かっていて、入口脇に3号機を発見。驚いて見ていると操縦士(ギンシorアストン)がよろめき出てきて、ノエルが駆け寄る展開になります。
ここでかなり長く、ギンジにアニメオリジナル台詞を喋らせていました。恐らく、原作のアストンバージョンの会話を下敷きにしていると思うのですが……大いに納得できませんでした。不満点その一です。 (原作・メインシナリオ) (アニメ版) みなさんはどう思いましたか? アニメギンジが、「アッシュさんを、止めてください!」と言うこと。私は、何言ってんの!? と思いました。 原作アストンのように、アッシュが一人で突っ走っているから追って アンタは一体何のつもりでここまで来て、決死の突入を行ったんだ。 非常に苛立ちました。レムの塔の時は、漆黒の翼がアッシュを止めてくれと頼んできましたし、ルークたちだってそのつもりで追いかけてましたけど。今回は状況が違うと思う。 アッシュもルークも、そして仲間たちも。全員が、《生き延びるため》《自分自身の存在・信念を証明するため》に、ここにやって来たんですよ。戦わなければならない正念場です。今更止めてどーすんですかっ!
原作のギンジやアストンは、決着をつけようとするアッシュの気持ちを認めて、自ら操縦士として協力し、決死の突入を成功させたのだと思っていました。操縦士としての戦いを見事に成し遂げたのだと。 が。アニメのギンジは何ですか。 自棄になってるっぽいアッシュを放っておけないから仕方なく付き合って、彼が望むから嫌々突入したけど、本当は一歩もエルドラントに入らせたくなかったと言うんですか? たまたま後から来たルークたちに「止めてください!」と責任を押しつけるくらいなら、アッシュを乗せたまま世界の果てにでも逃げるか、アルビオール壊して飛行不能にしてれば? そして全責任を自分で負え。 敵の拠点に踏み込むのは、誰でも不安ですよ。アッシュの様子がおかしければ、そりゃ心配でしょうよ。でもね。彼の望みを認めてエルドラント突入する決意を固めたなら、今更止めるな! ルークたちにはアッシュへの協力と支援を願えばいいじゃないですか。 原作でギンジやアストンがエルドラント突入成功させたのを見た時には、なんて男気のあるカッコいい人なのか、アッシュにはこんなにも頼もしい仲間がいたんだと感銘を受けたのに。アニメのギンジはヒヨヒヨナヨナヨ優柔不断。放っとけないから厭だけど仕方なく突入しましたアッシュさんを止めてくださーい。何なんだ。むかむかむか。
Aパート。 原作のエルドラントは、白亜の神殿を思わせてとにかく美しかったですが、アニメ版では入った直後の通路が地下道みたいにジメっぽくて暗かったです。全員で駆け込んだのに、何故か他の仲間たちが消えてルークだけになり、 ……ギンジは「止めてください」と頼んでたけど、ルークには止める気はないみたいです。原作どおり、合流して一緒に闘おうとしてる。
原作アッシュは「エルドラントで決着をつける」と決闘の予告をしていたわけですが、アニメの彼はルークとケンカ別れしただけ。誘いを激しく撥ね退けます。――と。突然、床に譜陣が浮かんで円い穴が開き、二人は悲鳴を上げながら落ちて行っちゃいましたとさ。 コ、コントみたい……(震笑)。いや、原作の方がもっとコントっぽい落ち方でしたが。 落ちる瞬間に仲間たちが追い付いてきて、慌てて駆け寄りましたが、追って飛びこもうとしたガイの目前で穴は消えてしまいました。悔しがるガイと、それぞれの想い人の名を呼ぶティアとナタリア。そして今更「やはり、罠ですか」と、したり顔してるジェイドです。「やはり」なんて言うなら、エルドラント突入前に注意しなよ〜。(^_^;)
原作では、床の中央に円い模様の描いてあるホールをルークたちが歩いていると、突然、模様の内側の床が消滅。ガイ、ティア、ジェイドも穴に落ちそうになったのですが、それぞれ素早くバックステップして回避。ルークだけが間抜けに落下。アニメ版とは違って穴は消えなかったので、ガイが追って飛び込もうとしましたが、ジェイドが強く止め、下に安全な出入り口があるはずだと言って、全員で探しに行きました。 対してアニメ版では、ルークを探しには行けません。直後に兵士たちを引き連れたリグレットとシンクが現れて戦闘になったからです。 ……が。実を言うと、戦闘が終わってもルークたちを探そうとした様子がなく、全員で普通に先に進んで、そこにルークが追い付いてくる形になってました(笑)。再構成の都合ですね。
ここから、シンク戦、リグレット戦、アッシュ戦が同時に起こり、シーンが交互に切り替わって進みます。AパートからBパートまで
まずはシンク戦から見てみましょう。 アニスとシンクのエピソードが強化されていました。そして何故か、ひたすらガイがアニスを庇う(笑)。『ファンダム Vol.2』のガイのタイミングバトルでは、キャラ配置の都合上、アニスがヒロイン役(攻撃してはならない対象)に設定されてたけど。ガイのヒロインはアニスなのかしら〜(笑)。そういえばタタル渓谷で崖から落ちかけたのも助けたしね。 #現れたシンクを見て、ぽつりと呟くアニス シンクの、アニスへの接し方が原作とは異なっています。 原作のシンクはアニスに向かって「お前がイオンを殺した」とは全く言いません。ただ、イオンの物真似をしてみせたり、ボクと戦うということはイオンと戦うということさと嘲ったりして、《アニスが殺してしまったイオン》と自分を、わざと重ねて見せることで、アニスを傷つけていました。 シンクのそんな態度に傷つけられるアニスは、シンクとイオンを重ねて見てしまっています。一方で、二人が別個の存在なのだと頭では認識していて、シンクがイオンの影を気取ることに憤ります。 人によっては、アニスやナタリアが自分の大切な人と《そっくりさん》を心情的に重ねてしまうことを激しく批判し、愚劣な行為だと一刀両断することがあるかもしれません。ですが、外見が全く同じ人物に対し、どこかに繋がりを探してしまうのは、人間の心理として不可避ではないかと思います。人間は機械のように理屈だけで行動できない。少なくとも私だったら、そうできる自信は無いなぁと思います。
以降のシンクとアニス、加えてガイの会話は概ね原作どおりですが、ルークがいないので、彼の台詞をナタリアが喋っていました。 この辺のシンクの演技は、原作の声優さんの方がテンションの高低がくっきりしていて好きかもです。 ルークがいないので、シンクの台詞から「おまえみたいに代用品ですらない。ただ肉塊として生まれただけだ。ばかばかしい。」という部分がカット。 また、自分が空っぽだと言った後の「だが構わない。誰だってよかったんだ。 その後、 アニス(トクナガ)とシンクの激しい格闘(シンクの激しい攻撃の中、アニスはとうとう両手で頭を抱えて目をつぶってしまう。でもトクナガは自律型ロボットじゃないから、アニスが見て操らないと戦えません。)→ と戦闘が続いていきます。なんかループです。 第7話と同じく、シンクの拳や足刀に緑色の電光がまとわりついて、ヒットするたびにバチバチッと光る感じに演出されていました。カッコいー!
シンクにトドメを刺したのはガイでした。アニスにさせるのはあまりに過酷だからでしょうか。 死ぬ前にシンクが壊れたように笑う点は、原作のシンク敗戦ボイスそのままなんですが、その後に消えながら言う台詞が、原作とは全く違っていました。 (原作) (アニメ版) 原作版は、最期までローレライ(世界)に憎悪を抱き、その消滅に執念を燃やしている感じですが、アニメ版では死ぬことを喜んでいて、その他のことはどうでもいいみたいな感じです。
シンクが《死》を解放と考え、死に際に喜びを感じていたという解釈は、ファミ通文庫小説版外伝『 しかもルーク自身、「試してみようよ。アンタたちと空っぽのボク、世界がどっちを生かそうとしてるのかさぁ!」というシンクの言葉を聞いて、世界がどちらを生かそうとしているか答えをシンクが知らないはずがない、自分もアッシュとの間で同じことに悩んできたレプリカなのだから、と思っています。つまりこの小説はシンクの言う「どっち」を、オリジナルとレプリカの対比だと解釈していて、しかも《オリジナルにしか生きる資格はないと、ルークが結論している》と語っている訳です。 私はそう思いません。 シンクが言った「どっち」は、単純に《シンクとルークたち》のことだと思いますし、ルークが《世界はオリジナルを生かすに決まっている》なんて結論していたとも思わない。……厳密に言えば、たとえ世界に選ばれなかったとしても、生きたいなら生きていい。それは誰にも否定できない。と思っていたと思います。
原作の《ルークの日記》を参照すると、ルークはシンクの死に関して シンクは本当に空っぽだったんだろうか。空っぽでいたいと思っただけなんじゃないのかな。もうそれを、あいつに聞くことはできないけど、俺はそう思った。 と書いています。 シンクは自分が劣化レプリカである現実を乗り越えられなかった。勝手な都合で生み出され棄てられ拾われて利用されているばかりの、お情けで息をしている、価値のないくだらない自分。でも世界だってくだらない、価値がないじゃないか。そう思うことで自分の矜持を保ち、生まれたこと自体を否定して、自分を変える努力をしなかった。 生まれてきて何も得ることがなかった、ボクは空っぽだと、シンクはアニスに言いましたが。それは彼自身が得ようとしなかったから……空っぽでいたかったからじゃないかと、もがいて変わって自分を満たしてきたルークは感じた…んじゃないかな。 #《ルークの日記》を参照するに、レプリカ編冒頭の、自己存在の価値を見失っていた時期の原作ルークは、レプリカの自分は空っぽだと思って不安がっていました。けれど今、彼はそう思っていません。
シンクが本当に、ただ死にたいのでしかなかったのなら、もっと早く独りで死んでよかった。そうしなかったのは彼の弱さであり、反面で、彼の心が完全には空っぽではなかった証拠ではとも思います。シンクは心のどこかで生きたいと思っていたし、ヴァン(養父)に必要とされたいとも思っていた。でも現実の自分は廃棄品のリサイクルで、そのギャップに耐えきれない。だから自分もろとも、自分が欲しかった世界全てが消えてしまえばいいと思っていた。 全てが同時に死に絶える。それは、考えようによっては、とても幸福な妄想です。不安も未練も感じる必要がなくなる。自分を変えなくても大丈夫。みんな一緒なのだから。 シンクが空っぽでいたがったのは、憎む方が楽だったからなのかなとも思います。何かを得てしまったら、それを認めてしまったら、多分、世界を…生まれたことを否定できなくなる。そうしたら逃げ道がなくなってしまうから、とか。
シンクが これはアニメオリジナルエピソード。何故なのか今回は本当に、ガイとアニスが強く結びつけられていたなぁ。 ふと思いましたが、もしガイが裏切ってルークを殺していたなら、アニスと同じように、その後ずっと後悔に苛まされ、引きずることになったんでしょうか。
アニスがシンクの哀しい死に心を痛める様子は原作にもありますが、イオンの死とシンクの死を重ねる気持ちの方が強く出ている。半分はイオンの死を悼んでいます。対してアニメ版はシンクのことだけを言うので、ストレートに彼の死を悼める感じ。それに、消えゆくシンクを咄嗟に抱き締めようとしたのは、この幼い少女から胸広き母性すら感じられて感動的でした。この辺りのアニスの描き方は、原作より好きです。
次にリグレット戦。 こちらの戦闘前会話は、幾分簡略化されているものの、大体は原作のままです。 ナタリアとジェイドは リグレットが二挺の譜銃から撃ち放つ銃弾の雨の中を駆け抜け、杖で殴りかかるティア。譜銃を交差させて受け止めたリグレットは、「迷いによって出来ていた隙が無くなったな。それでいい」と満足げに笑う。教官はどこまでも教官ですね。 ティアがバックステップで離れると、タイミングを読んでいたかのようにジェイドが譜術・アイシクルレインを発動。でもリグレットは身軽に避けます。そしてオリジナル会話が挿入。 #バックステップして、譜術を放ったジェイドの隣に並ぶティア この会話は、原作のヴァン最終戦、ルークとティアを戦闘チームから外してジェイドを操作キャラにした場合に発生する会話に近い。敵側がジェイドに軽く敬意を払い、ジェイドは自分の研究を利用されたからには責任を取ると返す。 でも、なんか変です。根本的な理屈が歪んでるよーな…。 リグレットが「あなたほどの者が、 えぇえええ? ルークたちも預言から世界を解放しようとしてるんでしょ? つか、もう解放してる筈なのに。預言は既に全世界で禁止されてますよね? そう言えばアニメ版では、外殻大地降下後の預言禁止や不安がる民衆の様子を描きませんでしたが。まさか、ただの省略ではなくて、マジに全く禁止されず前のままだったってことなんですか!? そしてこの先も禁止の予定が立ってないってこと? そんな馬鹿な。 ……まあ、ヴァンたちは、オリジナルを皆殺しにしてローレライを消滅させない限りは預言は消えないと考えていた訳ですから、それを阻むルークたちは「 でも。第23話で戦ったラルゴは、ルークに「俺たちは同じように預言から離れようとしてる! どうして殺し合わなきゃならないんだ!?」と言われて「結果は同じでも……違うのだァ!」と返してましたよね。原作どおりに。今回でも、アニスがオリジナル台詞で、「イオン様が願った、預言に頼らない、レプリカも安心して暮らせる世界を、私が作る」と言ってます。ルークたちもヴァンたちも、預言を廃しようとしている点は同じ。ただ、やり方が違うだけ。その前提を六神将たちも理解している筈。なのにどうして今更、リグレットに「
ジェイドの言葉に無言を返し、リグレットは譜銃を構えて円周を歩き、間合いを取り始めます。するとジェイドが目線と頷きで傍らのティアに合図を送る。無言でしたが、ティアは阿吽の呼吸で理解して、下がって間合いを取りながらタイミングを計り始めました。 リグレットの銃弾を、ジェイドは譜術・ロックブレイクで床を隆起させ盾とすることで防ぐ。 一方で、アニスやガイはシンクと激しく戦っています。 その時、ティアが その瞬間、不思議なことが起こりました。この譜歌は本来は誘眠の術のはず。しかし何故か、敵の全員が譜術・タイムストップをかけられたかのように、それぞれの動作の途中のまま停止したのです。(兵士なんか、無理な姿勢のまま空中停止してました。) 次の瞬間、ナタリアが複数の矢を放って兵士たちを、ガイが剣でシンクを、ジェイドがやっと取り出した槍でリグレットを、貫き斬り裂いて戦いを終わらせたのでした。
静と動のコントラストを際立たせた戦闘決着は、第6話、廃工場でアヴァドンを倒した時と、ちょっとだけ似てますね。
リグレットにトドメを刺す役をジェイドにしたのは、単に、ティアの譜歌を利用した都合上でしょうが、個人的には、ティア自身にさせて欲しかったなぁ。
リグレットの死に方が、ちょっとギャグっぽかったです。 というのも、カッコよく片膝をついて、背筋を伸ばし、両腕をピンと伸ばして譜銃を構えて微動だにしないというピンシャンした姿勢で、かなり長時間、人形のように静止して長台詞を言うからです。ジェイドに斬られたはずですが傷は全くなく、血も一滴も出ていません。どこをやられたのかちっとも判りません。なのに、言うべきことをキビキビと語り終えると、バタッと倒れて死ぬのでした。 少しも死ぬようなダメージを負っているように見えないし、苦しそうにすらしないので、お芝居にしか見えません。
原作のリグレットは、戦闘終了後には両膝をガクリとついて、身は何とか起こしているものの、両腕はダラリと下げています。そんな瀕死の状態なのに、それでもよろよろと片腕を上げ、譜銃をティアに向ける。あくまで敵対の意志を見せる。その状態でティアに「おまえは一つだけ間違っている」と語りかけた後、バタリと床に倒れて、ヴァンへの末期の台詞を呟き、息絶えます。
原作リグレットは、戦闘中に「我々とお前たちの未来は違う。我らは敵同士なのだ」と言い、ティアへの師弟愛をほの見せながらも、あくまで敵同士という筋を通して死にました。彼女が倒れた瞬間、原作ティアは駆け寄りかけますが、結局、手前で立ち止まる。死んでいくリグレットを、立ったまま少し離れた位置で見守り、彼女の死後は、傷付いた顔をしながらも決して涙を流さず、軍人としての筋を通すことで悲しみを乗り越えようとしていました。(サブイベントでリグレットの遺書を読んだ時は、仲間たちに席を外してもらって一人になってから「ごめんなさい、教官」と謝罪してましたが。) しかしアニメ版は全く違っていて、リグレットが倒れた瞬間、ティアは悲鳴のように「教官!」と叫んで駆け寄り、リグレットを腕の中に抱きとめました。リグレットはティアの腕の中で末期の台詞を言い、息絶える。ティアは師の亡骸を抱きしめると、ひとしきり嗚咽を漏らしていました。一応、顔を隠して涙は見せませんでしたが。で、やがて顔を上げたティアは冷徹な仮面を被っていて、「行きましょう」と凛々しく言う、と。
個人的には、ここは原作の描き方の方が好きでした。 原作だとルークが同席していて、ティアに「泣いたっていいんだぜ」と語りかけますが、彼女は「私は泣かないわ。泣いても何も変わらない。感情を律することができなければ……」と、決して弱音を吐きません。シェリダンの惨劇後、タルタロスで、泣くルークに向かって言ったのと同じ理屈。これがティアの信念。ですがルークが、自分はティアの事をあまり解っていないのかなと苦笑すると、小さく「……そんなことないわ」と呟きます。 泣いていいよ、というルークの言葉に寄り掛かることは、今のティアにはできない。肩肘張ってないと崩れちゃって、先に進めないから。でも、(かつては冷血女なんて言ってたのに、今では)本心を解ってくれて、しかも弱さを認めてくれるようになったルークの言葉が、とても嬉しかったんでしょうね。 ついでに言うと、この場面の《ルークの日記》には、とても重要なことが書いてある気がします。 教官を失ったティアは、傷ついた顔をしていたのに涙をこぼすことはなかった。凄い自制心だと思う。 強さと引き換えに涙を差し出して、決して泣かないティア。子供の頃は泣いてばかりいたというのですから、軍人になってから己を律するようになったのだと思います。リグレットを殺した時も、ヴァンを殺した時も、彼女は哀しそうにしながらも涙をこぼさなかった。 けれども。物語のラストシーン、帰ってきた《彼》と相対した時、ティアは大粒の涙をぽろぽろとこぼすのです。 ルークは、他の大切な人が死んでも泣かなかったのだから、ティアは自分が死んでも泣かないのだろうと思っていました。(ルークは、自分がティアに特別な意味で想われていることを知りませんでした。)でも「泣いて欲しい訳じゃないけど」と書いてますので、逆に、少し泣いてほしかった、特別に悲しんでほしかったのかなとも思います。 そして、《彼》を前にしてティアは泣いた。ルークの「泣いたっていいんだぜ」という許しに、今応えたかのように。 ラストシーンのティアの涙には、こういう意味が籠もっているかと思います。でもアニメ版は取り扱ってくれなかったですね。ティアがラストまでは絶対に泣かなかったことを、視聴者に印象付けませんでした。ちょっと勿体ないかも…。
さて。お待ちかねの(?)アッシュ戦です。 アッシュと二人同時に落とし穴の罠に落ちちゃったルーク。原作には、落下先の部屋の扉が特殊で、二人のうちどちらか一人しか出られないという設定がありましたが、アニメ版ではカット。これはスッキリして嬉しかったです。
戦闘前の会話は、部分的に原作を流用しているものの、似て非なるものになっていました。 (アニメ版) (原作) みなさんはどう思いましたか? この会話の変更を。 第23話の感想にも書きましたが、私は「ぎゃッ」と思いました。ルークが 「レプリカだけの世界なんて、間違ってる。俺みたいな思いをする奴は、もう作り出してはいけないんだ!」 というオリジナル台詞を言っていたからです。しかも半泣き。 ここが第二にして最大の不満点です。 (アニメ版・続き) アニメルークは「俺とお前は違うんだ」とアッシュに言う。でも同時に、レプリカとして生まれて辛い、レプリカなんて生まれない方がいいと半泣きで言っている。 何かがおかしい。歪んでる気がします。
そりゃあ。原作でも、この後アッシュが結果的にルークを庇って死に、ナタリアが我を失うほど悲しむ様子を目の当たりにすると、ルークは思わず「ナタリア……ごめん。あのとき俺が残れば……」と悔やみ、日記には「(やっと我を取り戻したナタリアは)俺の中にアッシュがいると言ってくれた。俺が死ねばよかったのにって責められても仕方がなかったのに。ごめんな、ナタリア。」とやや卑屈めに書いていましたよ。 いくら「俺は俺だ」と悟ったところで、レプリカとして生まれた現実は覆らない。レプリカとして見られることへの痛みも完全に消えはしないでしょうし、オリジナルの人々、特に、アッシュやナタリアや両親のような近しい人々への罪悪感は無くなりはしないでしょう。ですから原作ルークだって、目の前で人間のレプリカが無為に大量生産されようとしていたら、やっぱり止めたと思います。 でもですね。なんか違う。アッシュとの決闘前にレプリカ否定の台詞を入れるなんて、断然おかしいです。
原作のこの時点のルークは、少なくとも、自分を憐れんではいませんでした。 どうしてアニメルークは、己の存在を証明するって時に、《 レプリカとして生まれた現実は変えられない。そこを無視してはどこにも進めない。レプリカの自分を肯定しない限り、俺は俺だ、俺はレプリカだけどオリジナルのお前とは違う、お前の代わりなんかじゃない、なんて言えない筈でしょう?
原作ルークは、アッシュに向かって言いました。 「それでも俺は俺であると決めたんだ。おまえがどう思ったとしても、俺はここにいる。それがおまえの言う強さに繋がるなら、俺は負けない」 原作ルークは、アブソーブゲートでヴァンと戦った時にも「俺は俺だ」と言いました。けれどその一ヶ月後、ティアに向かって吐露しています。「頭では分かってるんだ、俺は俺だって。だけど俺って何だ?」「俺は俺を探さないといけない」と。原作ルークがここで「俺は俺であると決めた」と言うのは、その回答だと思うのです。俺って何だ? という問いかけへの。
彼は自分がレプリカであることも命が尽きかけていることも知っています。この現実を覆せないことも知っている。それは苦しく哀しいこと。ですが、「それでも」と彼は言う。「俺は俺であると決めたんだ」と。 原作ルークは、レプリカである自分を肯定したのだと思います。かつては自分がつまらない存在だと認めたくなかった。だから、そうじゃない自分を探したかった。そうして否定して否定して、否定し尽くした果てに。 現実は覆らない。アッシュやヴァンや多くのオリジナルたちに人間として認められないだろうことも知っている。でも。「おまえがどう思ったとしても、俺はここにいる」。誰かに認められなければ生きられないなんてことはない。そう思えるようになった。自分自身でそう決めた。それは、別の視点で見れば現実の転換・変革。能力や生まれで劣ったとしても存在自体は劣らない。俺は確かにここに生きていて、生きたいと思っている。だから、自分の居場所を獲得することを、石にしがみついてでも、最期の瞬間まで生きることを諦めない。それを剣の力で示せと言うのなら。戦って勝ち取れというのなら。――「俺は負けない」!
私は、ルークのこの台詞が大好きです。長かった《レプリカルークの物語》の終着点の一つ。重ねられてきたエピソードが解放され、カタルシスが生じる。長い旅路の果てに己を肯定したルークが堂々としていて、とてもカッコイイと思います。 なのにアニメ版はこの台詞をカットして、己の可哀想さに半泣きになりつつここに至ってまで自己否定するという、物語全体を否定するかのよ―な泣き事台詞に入れ替えてのけたのでした。 なんでじゃあああ!!(泣)
本当に、なんでアッシュとの存在をかけた正念場に、こんな台詞を言わせるのか。 細かい理屈を抜きにしても、男同士の決闘という場面で我が身を憐れんで半泣きなんて、チョーカッコ悪い。ルークはここまで情けない男でしたか?
それにアッシュはむしろレプリカを作られた被害者。なのに、そんな彼に向かってレプリカの俺可哀想って泣き事を言うの? そもそもアッシュはレプリカを作ろうなんてしてないので、そんなこと言われても困るよね。 いや。早く先に進んでヴァンと戦いたい、ヴァンはレプリカ世界を作ろうとしているからそれを阻止したい、だから邪魔するアッシュを倒す、ってコトなんでしょうが。それでもオカシイです。 だってね。ヴァンがやろうとしてるのは、自分含むオリジナルの人類を全消滅させて、レプリカの人類と入れ替えるってことなんですよ。ヴァンのレプリカ世界にオリジナルは一人もいない。レプリカ人類が唯一無二のオリジナルになります。 にもかかわらず、アニメルークは「俺みたいな思いをする奴は、もう作り出してはいけないんだ!(だからヴァンを止める)」と半泣きで言いました。 レプリカ世界の人類が、もう存在しないオリジナルを 私の誤解かもしれませんが、アニメルークはヴァンの計画を正確に理解してないように思えました。脊髄反射のように、レプリカは生み出してはいけないモノだ、ヴァン師匠はレプリカ世界を作ろうとしてるから悪い人だ、としか考えてないみたいに見えます。 もしそうなら。アニメルークはぞっとするほど馬鹿です。この土壇場に、自分が戦う敵の計画内容すら理解してないなんて。 レプリカを作るから悪いんじゃない。預言を消そうとしてるから悪いんでもない。今の世界の人類(保護されているレプリカたち含む)の意思を無視して皆殺しにしようとしてるから悪いんでしょ。 もしも私がヴァンだったら、こんなことを言うレプリカが決戦場にやってきたら、絶対に「お前はオリジナルを超えた、本物の人間になった」なんて言ってやりません。「愚かだな。所詮お前はレプリカか。己の身を憐れみながら、消えるがいい!」とか、軽蔑のまなざしで吐き捨ててやりたいです。アブソーブゲート決戦時から一ミリも成長してねーのかよ。むかむかむか。
それはそうと、アッシュがナタリアとの約束が心の支えだったと回想していてハッピーでした。うんうん♥
戦いが終わると、アッシュはローレライの剣をルークに渡して先に進むように命じます。その時、奥の扉が開いて大勢の 原作ではゲームシステム上の制約で、ルークが自分の剣をアッシュに渡すことができず、アッシュが徒手で
脱出する際、ルークはアッシュに絶対生き残ると約束しろ、と言います。原作アッシュは「うるせぇっ! 約束してやるからとっとと行け!」と返し、ルークが立ち去ってから「ふん……俺には時間がないんだよ。俺は……もうすぐ消えちまうんだからな……」と呟く。 #アッシュはそう思い込んでいるのですが、実は彼の勘違いです。 ところがアニメアッシュは、ルークに約束を迫られても無言です。そしてルークが立ち去ってから、心の中で(その約束は出来ねぇんだよ……)と呟く。何も約束しませんでした。
物語のラストシーン、現れた《ルーク》らしき《彼》に、ティアが、どうしてここに帰って来たのかと尋ねると、《彼》は「約束してたからな」と答えます。これは勿論、レプリカルークが最後にティアや仲間たちと交わした約束を《彼》が知っている…ルークの記憶を持っているという意味で、レプリカの記憶がオリジナルに吸収されるという、 けれども原作プレイヤーの間には、この約束とは、絶対に生き残るというルークとのものではないかという解釈もありました。それでも筋は通るし、両方の意味をかけているなどと考えるのも面白いですよね。 アニメ版のこの変更は、答えを決定化する意図なんでしょうか? 帰って来た《彼》が言う約束は、ティアと交わしたもの以外ではありえないんですよ、と。 まあ、単に尺の都合で台詞をカット・簡略化した結果なだけかもしれませんが。
それはそうと。原作でルークとアッシュが罠にはめられたのは、彼らが持っているローレライの鍵をヴァンが恐れていたからで。そもそも、ヴァンがエルドラント特攻なんて無茶をしたのも、ローレライの鍵を持つルークをどうしても始末したかったからだろうと説明されてましたし、リグレットも開口一番、ローレライの鍵を渡せとルークに要求してました。 が。アニメ版ではそれらのエピソードが全てカットされています。ルークとアッシュが罠にはめられたのは、単純に、戦力を分断する目的だと語られていました。 にもかかわらず、ルークが脱出した後の 原作では、あくまでローレライの鍵を奪い取ることが目的だったため、神託の盾兵たちは残っているアッシュに最初は襲いかからず、「そこをどけ!」と言う。鍵を持って脱出したルークの方が重要だからです。 で。アニメ版はローレライの鍵の重要度が全然語られておらず、ただ戦力分断のため罠にはめられたはずなのに、神託の盾兵たちはやっぱりルークだけを追おうとして「そこをどけ!」とアッシュに言うのでした。ははは。
その頃、仲間たちはどんどん先へ進んで、ホドの模造街までやってきていました。ルークとアッシュも無事なら追い付いてくる筈って理屈なのかな。…っつーか、ルークたちを探しに行っちゃうと、ルークと合流した時点でどうして近くで戦ってるアッシュを助けに行かないのか、無理が生じちゃうからですかね。原作は理論武装で押し通したせいで会話がくどかったですから。
原作のホドの街(ガルディオス邸)は白亜のギリシア遺跡のようで、奥のホド神殿と一体って感じでしたが、アニメ版では通路は黒い石、建物の外壁は赤で、カラフルでした。 ガイは、再生途中のガルディオス邸のレプリカに気づき、駆け寄ってあちこち見回す。 が。話が原作とは異なる方向に持っていかれていました。
原作では、感慨深げな様子のガイを見て、ルークが「…… 「私、フォミクリーという技術を嫌いになれませんわ。使い方次第で素晴らしいことが出来そうですもの」 二度と戻れないはずだった場所、永遠に見られないはずだった故郷。過去の世界を、擬似的にであっても追体験することができたのですから。 それを聞いて、ジェイドとルークは言うのです。 ジェイド「なんでもそうだと思いますよ。全ての道具は、素晴らしいことにも、くだらないことにも使える」 そう。だからジェイドは、決戦が終わったらフォミクリーの研究を再開したいと考えてる。悲劇以外の何かを生み出せる技術に昇華するために。 そして預言も。今の世界は預言に頼り過ぎて病んでいるため、ルークたちは全面禁止を敢行しましたが、預言そのものが悪いわけではない。かつてイオンがリグレットに向かって言っていたように、預言は生活を助ける道具で、どう使うかは各人にかかっている。始祖ユリアが ここにも原作特有の価値観の揺さぶり、視点の多角化が提示されています。 フォミクリーは根絶すべき悪の技術なのか? 確かに多くの悲劇を生みましたが、ここにいる仲間たちは、フォミクリーで生み出されたルークやイオンによって結びつけられ、ルークが迷いながらも前へ進む姿を見て自分を変え救われた。それが世界全体の変革に繋がったのです。忌むべき結果だけを生んだ訳じゃない。 でもアニメ版は全然違う方向なんだな。 (アニメ版) 「本物じゃない」と一刀両断。なんかレプリカそのものを否定された気がしちゃいますが、これがアニメ版の結論なんでしょうか。
いや。「器だけあっても、そこにいるべき人はもういない」という言い回しは奇妙なので、最後に帰ってくる《彼》の見かけ(身体?)がルークでも、心がアッシュなら、やっぱりガイにとっての本物(親友のルーク)じゃない、みたいな暗示の意図なのかなぁ、とも思いましたが。
ちなみに原作ガイは、そりゃ、エルドラントは本物じゃないとちゃんと認識してましたが、ここまで一刀両断せず、もう少し正直に、複雑な心境を語ってました。「本物じゃない」とは言わず、「俺の故郷」じゃないと言い回して。 (原作) 存在は唯一無二。消えてしまえば二度と取り戻せない。消えてしまった存在は、記憶の中にしか存在しない。
アニメ版の話に戻りましょう。 ガイがレプリカ否定したところに、ルークが走ってきました。合流を喜び合いますが、アッシュが残ったと聞いてナタリアは不安に顔を曇らせる。仲間たちが先へ進み始めても、心配そうに元来た方を見つめていて、ルークに呼びかけられてやっと歩き出す。 この辺の会話は、原作の該当シーンからエッセンスだけを採ったオリジナルです。くどかった会話がスッキリして、とても良かったです。
場面切り替わり、大勢の (アニメ版) 原作よりも長く尺が取ってあり、アッシュの独白や回想が追加されていて、ドラマチックでした。 ただ、アッシュが背後から兵士に刺されて、メリッと音を立てて剣が腹に突き抜けてくる描写はカット。流石にTVでアレは無理ですよね……。アッシュが己に刺さった剣の一本を抜き捨てる描写も無し。でも流血の量は原作よりずっとずっと凄かったデス。
アニメアッシュは(今何故か気分はいい。俺にはまだ、遺せるものがある)と独白しますが、一体何を遺せると思ったんでしょうか。 んんん…。
さて。 正確に説明してしまうと残るのが 妙な誤解を招く表現を選んでいる。それはいいとしても、アッシュが《勘違いしている》という重要な示唆を、最後まで全くしなかった。これは致命的です。 いくら最後の《彼》の正体をぼかすのが原作ゲーム会社側の意向とは言え、原作の時点で、答えを導けるだけの設定とエピソードがきちんと語られているのに、それ自体を眩ます必要があるのでしょうか。 原作では特殊な隠しエピソードでも何でもない、普通に出てくるサブイベント。攻略本でも設定自体は当たり前に説明されてあります。それを、こうまでして隠蔽する意味があるの? 視聴者が完全な情報を得られたなら、推理して、残るのは 原作側が言わんとする、《好きなように解釈していい》とは、そういうことではないのですか? そこに辿り着く前の道しるべを消してしまっては、本当に《自分の答え》を探すことはできません。推理を楽しむ権利を視聴者に与えて欲しかった。推理するための材料そのものを(原作には存在しているのに)与えないなんて、横暴だと思うのです。
…とは言え、今までの小説・ドラマCD等の先行商業二次が、
アッシュがスピノザの話を聞く回想シーン。背景に、第21話に出てきた障気発生シミュレーション映像のモニターがありますので、障気中和直前の時期だと推測できます。 つまり、第22話にレムの塔でレプリカたちに協力を要請した後、一時的に塔から去った時に話を聞きに行ったかと思われるのですが、よくよく考えれば第18話Bパート〜第19話開始前だと仮定することも不可能ではないですね。アニメジェイドは、イオンに会いに行く前から、アッシュがスピノザに話を聞きに来たことを知っていたことになってましたので。…まあ、前者でしょうが。
ともあれ、アニメアッシュは第14話、偽姫事件でのバチカル脱出当時から、「もう……時間がねぇってのか」と苦しそうに言ってましたから、この頃もう、 アニメスピノザは、第9話でアッシュたちが研究室に押し掛けた後、どこかに逃げてた(アッシュたちを忌避していた)っぽいですし、一体いつ、どのようにして、誰から最初に大爆発現象について聞き出したんでしょうね。
それはさておき。第14話のアッシュは頭痛に苦しんでいる様子でしたが、第21話以降は胸を押さえて痛みに苦しんでいる。……あ、あれ? 痛いところが移動してる…? アニメアッシュの でもアレですね。もしもアッシュがお腹とか更にその下を押さえて「俺には時間がねぇんだよ」とか「もう間に合わねぇってのか」なんて苦悶の表情で言い出したら、ルークなら、「アッシュ、やっぱりここは俺が引き受ける。お前は一刻も早くトイレに向かってくれ!」とか言ってくれそうです。 エルドラントにトイレあるのかな。あるよね。あんなにいっぱい兵士いたんだし。
(アニメ版)
アニメ版の 意図的なのか、たまたまなのか。表現が揃っちゃってるので、アニメ版しか知らない人は、死んだアッシュからルークに 違うよー。ローレライ解放した後、地核の中で、アッシュの亡骸を抱いたルークが 今回、アッシュからルークに音素が流れたのは、大爆発が起こる前段階。レプリカの音素が爆発・霧散する前の一時的な状態です。
それと。あんまり細かいことで「ウゼー」と思われること必至ですが(^_^;)、《生体フォミクリー》ではなく《生物フォミクリー》です。生体フォミクリーという表記は、私の知る限りでは、ファミ通攻略本の解説記事中の誤記です。原作ゲーム中では生物フォミクリーで統一されています。 あと。単に説明を省略しただけなんでしょうが、
原作では、アッシュが死んだと聞かされたナタリアが座り込んだ直後、床に譜陣の罠が現れます。逃げなければならないのに、悲しみで我を忘れたナタリアは動けない。ナタリアを置いて逃げられないと他の仲間たちも脱出を躊躇して、間に合わなくなってしまいます。 絶体絶命の危機。ルークは思わず胸の内で叫ぶ。 (アッシュ! 力を貸してくれ!!) するとルークの中から不思議な力が湧き上がって、譜陣の罠そのものを消滅させてのけたのでした。 ルークが使ったのは第二超振動。二つの超振動が干渉しあうことで発生する、あらゆる音素の働きを無効化するとされる未知の力です。 ルークは、この力はきっとアッシュがくれたものだと思います。超振動を使えるのは自分とアッシュだけなのだから。それを聞いたナタリアは言う。 「そうですわね。あなたの中にアッシュがいる。アッシュがあなたを認めて、力を貸してくれたのですわね」 ルークは、アッシュを足止め役にして脱出したことを後ろめたく感じていて、もっと責められても仕方がないと思っていたので、ナタリアがこう言ってくれたことを有り難く思います。「俺はアッシュに恥じない戦いをする」と改めて誓い、ヴァンの待つホド神殿へ向かう。そんな彼に、またナタリアは言うのでした。 「今あなたの中にはアッシュがいる。以前の私なら、あなたとアッシュを混同していたかもしれません。でも、あなたはあなたですものね。ですから、あなたはあなたの思うままに生きて下さい」
対してアニメ版は、第二超振動の設定を完全削除。ルークの超振動系の力がパワーアップしたとは語らず、「音素と一緒に、アッシュの心が流れ込んできた」と、精神論的な話運びをしています。 …アッシュの心が流れ込むって、それどういう状態? いえ。ナタリアを慰めるための方便なんでしょうけどさ……。アッシュの志を受け取ったとか、彼の魂と共に戦うとかなら分かるけど。心が流れ込む。少し奇妙な…いえ、不穏な言い回しです。 アッシュの心が流れ込んできちゃったら。いつか、ルークはルークでなくなる?
(原作・フェイスチャット『アッシュの死』) 原作のジェイドは、ルークに 完全同位体のオリジナルとレプリカが存在すると、両者の間にコンタミネーションが起こります。まずはオリジナル側がゆっくりと つまり、アッシュの音素がルークに流入したということは、大爆発がいよいよ間近に迫っていることを意味します。けれどジェイドは一縷の望みをかけて訊きました。出ていく感じはしなかったかと。 アッシュは音素化する前に死んだ。もしも大爆発が不発になるならば、ルークに流入したアッシュの音素は離れるはずです。 けれどルークは、出ていかなかったと答えました。 今回ばかりは間違っていてほしかった自分の理論が完璧であると思い知らされたジェイドと、少し不審に思っているガイ。何も気づいてないルーク。結構重要な会話かと思うのですが、アニメ版では完全カットです。
危機を脱した後、未だにへたり込んでいたナタリアを、原作ジェイドは平手打ちします。驚きと軽い怒りでやっと我を取り戻した彼女に向かい、ジェイドは淡々と告げる。 (原作) 哀れな状態のナタリアを平手打ちするのは衝撃で、それ故に印象的でした。ここは好きです。けど、その後に続く説教台詞が苛烈でちょっとくどいので、少しモヤッとはする。そこまで言うことないでしょ、と。
アニメ版は平手打ちを消し、説教台詞も完全変更しています。 「立ちなさい、ナタリア」「ここで座り込んで、世界が滅亡するのを、ただ黙って見ているつもりですか? ――それがアッシュの望みだとでも?」 平手打ちがないのは残念ですけど、とても綺麗な、気持ちのいい台詞になっていると思います。 二つを並べてみると、原作の方は平手打ちがあるのが、アニメの方は説教台詞の内容が好きだなぁと思いました。 ついでに。アニメ版には、泣き崩れたナタリアの傍にティアとアニスがしゃがんで、そっと触れて慰める演出が追加されていて、それもとてもよかったです。友愛だねぇ。
ナタリアが立ち上がり、「行こう! ヴァン師匠のもとへ!」とリーダーの貫録を見せて言ったルークを先頭に一行が歩きだした止め絵で、今回は終了でした。最後にヴァンの不気味な横顔がオーバーラップ。 ヴァン
今回の総論。
では次回、最終回。 |